Petunia 〆

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匿名さん  2022-05-28 14:28:01 
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  • No.548 by ギデオン・ノース  2023-08-25 17:09:24 




(躊躇いがちかつ遠回しなおねだりに、思いがけず深い安心感が沸き起こる。ヴィヴィアンはまだ、こちらの全てが恐ろしくなってしまったわけではないのだ──きっとまた、親しく打ち解けあう関係に充分戻れる。とはいえ、返事をする前に、今にも泣きだしそうな相手が必死に呼吸を整えるのを、ゆっくり待つことにして。相手の方を向きながら、弱々しく震える背中を優しく擦ることしばし。途切れ途切れに打ち明けられる心情を最後までしっかり聞き届ければ、まずはその頭を、よしよしと撫でてやり。)

……怖い思いを、ひとつどころじゃなく、たくさん抱え込んでたわけだな。言葉にするのは難しいだろうに、よく俺に話してくれた。
ちゃんと確かめ合おう……おいで。

(そう柔らかな声をかけながら、樽の上で深く座り直し、その両腕を緩く広げて、相手を迎え入れる姿勢を。おずおずとか、飛び込むようにか──いずれにせよ、相手が懐に潜り込んでくれば、嬉しそうに喉を鳴らして、ごく優しく抱きしめるだろう。そうして、小雨と波打ち際の優しい水音に包まれる中。相手の側頭部を己の胸板にもたれさせ、こちらの深い呼吸とゆっくりした鼓動を、ヴィヴィアンにも分け与えながら。絹糸のように柔らかな髪を、ゆっくりと撫で下ろし続けて。)

俺がおまえに欲深くなるのは、自然なことだとは思ってる。だけど、昔怖い思いをしたおまえが、同じ“男”である俺にも怖さを感じてしまうのだって、当たり前のことだろうよ。
だから、気にしなくていい……焦らなくていい。いつか怖くなくなるなら、そのときまでゆっくり待つし。そういう日が来なくても、おまえとこうしていられるのだって、俺は充分幸せなんだ。
それなのに、見捨てるなんて馬鹿な真似をするはずがないだろう? ありもしないことは、怖がる必要なんてない。



  • No.549 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-08-26 14:37:25 




 ( ──ギデオンの懸念とは裏腹に。背中を、頭を、その大好きな手に擦られるだけで、深い安堵が胸に広がり、浅かった呼吸が徐々に治まっていく。まるで此方の心を覗いたかのような、ひたすら自分に都合の良い言葉が面映ゆくて──ドスッ、と。色気容赦ない動きで広げられた胸に飛び込み、頭上から上がる満足気な喉の音に耳を傾ければ、何故か自分が褒められているような、温かく、誇らしい気持ちになってくるのだから不思議でならない。頭を通過していく優しい手つきに目を伏せ、胸板越しに響く低い声を聞くだけで……今迄認められなかった、認めたくなかった恋人の欲、己の弱さまで、そういうものかと素直に胸に染み渡り。誠実に、しかしビビにとって、世界一安心出来る恋人であり続けようとしてくれるギデオンに、少しでも報いたい気持ちの双葉が芽生える。そうして、最愛の恋人の胸の中、「……ありがとう、ございます」と、それはそれは嬉しそうにはにかんで──たっぷり息を吸い込んだかと思えば、肺の中までたっぷりとギデオンの香りに満たされて、まるで酒精に当てられたかのような幸福感と、少しの勇気を分けて貰って。おずおずと上げたエメラルドには、未だあどけない怯えを滲ませつつも、ギデオンの顎にそっと触れたかと思うと、強気に引き結んだ唇を相手のそれへと押し付ける。以前の方が余程上手だった、ティーンだってもっと上手くするような触れるだけの不器用なキス。"不純"だと教えられてしまったソレを自らする羞恥に、真っ赤な顔をぷるぷると震わせ、ぎゅっとキツく目を閉じているものだから、狙いだって定まらなかったかもしれない。──しかし、ただ何も考えず幸福を享受していただけのこれ迄とは違う。"不純"だと言われる行為でさえも、貴方のために捧げたい、という気持ちを篭めた唇を離して。ギデオンの腕の中、素直な気持ちで無邪気に笑って見せたのも束の間。一足遅く己の発言の意味に気がつけば、生真面目に輝いていた表情が、じわじわと羞恥に濡れていき、言葉尻もしどろもどろになっていく有様で、 )

──……それでも、頑張りますね。できるだけお待たせしないで済むように!
私。ギデオンさんになら教えて、貰いたい、なっ……なんて、……、


  • No.550 by ギデオン・ノース  2023-08-26 17:47:06 




(弛緩して程良く重く寄りかかる身体、至極安らかな深い呼吸。それらをじかに感じれば、今宵この場の自分は、きちんと正解を選べたのだと──いつぞやの秋のような馬鹿をせず、ヴィヴィアンの欲しい言葉を与えられたのだと安堵するには充分で。すっかり油断していたものだから、ずず、と頭をずらして見上げてきた恋人がまさか、拙くも一途なキスを打ち上げてくるとは思わない。一瞬平和に硬直したその数秒、腕の中の犯人はと言えば、呑気に無邪気にはにかんでおり。かと思えば、己のぶちかました爆弾を遅れて自覚し、真っ赤な顔でわたわたと狼狽えはじめる有り様で。「………ッふ、」と、堪えきれず吹き出せば、ツボに入ったのだろう、そこからはもうダムが決壊するように、くっくっくっと全身を激しく震わせはじめて。怒られようが嘆かれようが、こればかりは仕方ないだろう──どうしてこのヒーラー娘は、己の前ではこんなに愛らしい阿呆になってしまうのだ。ようやく笑いを引かせながら天井を仰げば、「おまっ、おまえなあ……こっちが約束したからって、すぐさま煽りに来るんじゃない……」と、困ったような、呆れたような、脱力したような嘆きの声を落とし。それからふと、真面目な表情で相手を見下すと、その柔らかな頬を片手で軽く、愛情を込めてむにっとする。──相手の無自覚な煽り癖は、こちらに対する全幅の信頼ゆえの油断であって、他の男にはそうそう向けない、それはわかっているのだが。自覚のない癖だからこそ、ふとしたときの相手の言動を、見てくれ程度でしか寄り付いていない連中が、どう勘違いすることかと心配なのだ。)

……なあ、真面目に、他では気を付けろよ。今日来た消防団の奴らだって、やたらお前を振り返ってたんだ。明日の訓練はまたあいつらが来るから……頼むから、エリザベスやカトリーヌのそばを離れないでくれ。俺が傍にいられないときは、そうだな。絶対傍にいるはずだから、困ったらすぐバルガスを呼んで……

(──そうやって、安定の過保護モードへと急ハンドルを切りながら、あれこれ言いつけていると。ざく、ざく、と砂を踏む音が近づいてきたかと思えば、不意に指向性の魔法灯に照らされる。細めた目に片手を翳してそちらを見遣れば、揃って「「あ」」声を上げたのは、夜間パトロールをしていたらしいデレク、そして今まさに話題にしていたバルガスだ。「──へえ、あんた、野外プレイが好きだったんだ?」と、酷く愉快気な後輩の色男が、にやにやと笑いながらうるさいことを投げかけてくる一方。「……ん゙ん゙っ、その、もう深夜ですし。一応、コテージに戻っていただけると……」と諫言を述べるバルガスは、どこからどう見てもいちゃついている現場をがっつり目撃したからだろう、日焼けを差し引いても真っ赤な顔を、ごく紳士的に背けており。──仕方ないか、というように両手を上げて興産のポーズをとると、「帰るか」とヴィヴィアンを誘い、傘を持ちつつ立ち上がった。
デレクたちと別れた後、相手のコテージに送り届けるまでの道のりで、再び傘を差す必要はなかった。小雨がすぐに止み、頭上の雲の切れ間からは星空すら見えはじめたからだ。──華やかな王都とは違い、ここは地方の観光地。生温い夏の夜風が吹く中、黒雲を掻き分けて次第に面積を広げていく天の銀砂は、そのどれもがはっきりと、手に取れそうなほどの近さで瞬いているようで。ふたりで自然に手を繋ぎ、見えそうで見えない星座の話をしながらのんびり歩くこと数分。コテージももうすぐそこ、という急勾配の階段を上った辺りでふと足を止め。相手に向き直り、先ほどのお返しを柔らかな唇に静かに落とせば。やはりずっと無意識に抑えていた反動だろう、二度、三度と、触れるだけだが熱いそれを幾度も重ねて。しかしその合間に、「そうだ、」と不意に口にしたのは、やはり根が仕事人間であるが故の、真面目で大事な話題。──それでも、額に唇を触れたり、顔の輪郭を撫でたりと、相手を愛でながらの共有となって。)

思い出した……明日の話なんだが。ギルマスから指示が出次第、グランポート編警察署に行くことになりそうだ。“もう一度事情聴取を受けてほしい”って要請があったそうでな。
ヘルハルト・レイケルについて、何やら大掛かりな追跡調査が始まってるらしい。俺たちの知ってることは……ん……1年前にも、数日掛けて洗いざらい話してはいるが。せっかくこっちに来たならと、もう一度……確認したいんだと。



  • No.551 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-08-27 12:48:15 




ち、ちがっ! ~ッ、笑わないでくださいよ!!

 ( よくもまあ、本気で人が恥じらっているのに、こうも楽しげに笑えるものだ──と。いつかの舞踏会以降感じていた相手の印象は、実は必ずしもビビ以外の人達にとって、既知では無いことを最近知った。堪らない羞恥と憤慨し、意地悪な恋人の肩をぺしぺしとやりつつも、この表情が自分だけに向けられていると思うと、ついつい強く怒れない。そうして、その後の子供にするような触れ合いや、過保護な言い含めに対しての方へ、よっぽど不満の表情を返しつつも。そんな余裕さえ、デレク、バルガス両名に決定的な瞬間を見つかってしまえば、一瞬のうちに吹き飛んで──結局ニコニコと2人。仲睦まじく手を繋いで帰路を歩いている。
そうして、崖の上の別れ際。落とされる唇や触れ合いに嬉し恥ずかしといった笑い声を漏らし、首をすくめながら仕事の話に耳を傾ければ。翌日の予定を確認し、オレンジ色の光を灯す玄関ポーチへ振り向こうとした、その間際。思い出したようにギデオンの袖を引いたのは、先程随分と笑ってくれた意趣返しのつもりで。その威力を察知していたかは兎も角、今回は確信犯だった爆弾と共に、愛しいギデオンの耳殼にリップ音を落とせば。後から恥じらいが追いつくその前に、元気よく頭を振り下ろして──ニコッと完璧な笑みで追撃し、捕まらない限りパタパタとコテージへ駆け出すだろう、 )

──……はい、かしこまりました!
ん、ふふ……そしたらとりあえず、皆さんと同じ場所に集合すればいいんですね。明日もよろしくお願いします、おやすみなさ……あ。
……あの、さっきのこと。ギデオンさんなら良いって言ったのは本当ですから…………それじゃ、おやすみなさい!

 ( 翌日。結局朝から始められた事情聴取に、ギデオンとビビの2人が警察署から解放されたのは、午後4時くらいのことだった。例の事件に、レイケルが捜査線上に上がるまでの経緯、ジェフリー達との指示関係、その劇的な最期について等々……真剣な顔の捜査官達から確認される数々の事項に、ビビはといえば──多分だの、確かだの、我ながら全く宛にならない返事しか出来ない一方で。あの状況でそこまで冷静に、それも1年間以上前の出来事を、と惚れ惚れする程スラスラとよどみなく答えるギデオンに惚れ直し、その格好良い横顔を、隣で存分に堪能するだけの時間となった。……それでもまあ、古代魔法の存在や、それが周囲に及ぼす影響等に話が移れば、一応面目躍如の働きは出来たのではないだろうか、多分。そう信じたい。
そんなビビにとってのボーナスタイムの結果、捜査官達の感謝の言葉──と、なんとも言えない生暖かい視線──を背に、警察署を出ると。ううん、と固まっていた身体を一伸ばし。まだ初夏の日は長くとも、今から海岸に戻ってもすぐに訓練が終わってしまうだろう微妙な時間に、仕事場では上司に当たるギデオンを振り返れば、夏空が良く似合う爽やかな笑顔で相手の指示を仰いで。 )

──お疲れ様でした!
ギデオンさんすっっっごく格好良かったです! 
聞かれたこと全部スラスラ答えちゃうんですもん! 私も見習わなくちゃ!
……とりあえず、この後はどうしましょう、戻るにも微妙な時間ですよね?


  • No.552 by ギデオン・ノース  2023-08-27 16:44:21 




(いたいけながらに悪戯好きな小悪魔が、最後にちゃっかりやり返してから、するりと逃げていった後。樫の扉が閉まると同時に、ギデオンは声にならない呻き声をあげ、軒先にしゃがみ込んだ。眉間に皴を寄せ、横髪をぐしゃぐしゃと掻いてため息を吐き出す。しかしその程度では、込み上げる苛立ち交じりの敗北感を噛み殺すことなどできない。彼女に口づけされた耳朶は、らしくもなく染まったままだ。
──彼女の前では、ああして穏やかに演じてみせたものの。ギデオンは決して、聖人でと呼べる男ではない。元々、彼女の体調を気遣って待つつもりではあったにせよ……せいぜいがキス止まりという初心過ぎるこの状況を、歯痒く思わないわけがない。齢四十にもなればそれなりに落ち着きはしたが、所詮性根はけだもののまま。欲は抱くし、溜まりもするのだ。相手が若く美しく、誰より愛しい娘となればなおのこと。なのに肝心のヴィヴィアンが、未だおぼこい怖がりの癖してあの様だ。こちらがどれほど苦しみ悶えていることか。あまり度が過ぎたら、流石に抑えきれるかわからない。
しかし、こんなにも腹立たしくはあれど。怖いもの知らずなヴィヴィアンのことを、愛しく、仕方のない奴だと感じてしまうのも事実だった。──結局のところ、惚れた弱みで弱り果てるのは、ギデオンもまた同じなのだ。……まあ、その時が来たら存分に思い知らせてやればいいか、と、不穏な考えで落ち着きを取り戻す。行為を怖がらなくなった頃にでも、煽ったのはお前だろうと言って、心行くまで貪らせてもらえるのなら。それできっと、そこまでの数ヶ月の鬱憤を思いきり晴らせるはずだ。
そう割り切ってようやく重い腰を上げ、コテージの上を見遣る。二階の丸いガラス窓には、先ほどはなかった暖かな明かりがついている。白いカーテン越しに揺らいで見える影は、おそらくヴィヴィアンのものだろう。「……おやすみ、」と最後に小さく呼びかけて、ゆっくりと踵を返すことにした。──この数年後、ふたりで星空を見上るたびに、『あの時は随分もどかしいことをしていたね』と笑い合う日が来るのだが……今はまだ先の話。)

(──さて、あくる日。予想以上に本格的で長丁場だった事情聴取をようやく終えて、ギデオンも彼女同様、開放的な気分で軽く首をほぐしていた。ギデオンとしてはてっきり1年前を再現する程度だろうと思っていたが、どうやらレイケルの件は今や、壮大な捜査網を敷くまでになっているようで。どんなことも聞き漏らすまいと、入れ代わり立ち代わり、無数の捜査官や専門家、似顔絵職人や他の関係者などがやってきて、それなりに大変だったのだ。「まあ、なんとなくこの展開を予測して、頭の中で準備していたからな」と、ヴィヴィアンの称賛の声に、あっさり種明かしをして笑いつつ。今後の予定を確認されれば、いつぞやの悪い上司の顔で、ぐいと片眉を上げてみせ。)

そうだな。一応ギルマスからは、夕食までに戻ってきて報告してくれという話だ。今回の仕事は警察の都合で動いてるし、長引くことも想定して、時間をたっぷり貰ってある。
……そこで提案なんだが。今後も、グランポートに遠征で来ることがたびたびないとは言い切れないだろう。でもって、各地に赴いたときに、そこの様相を隅々まで把握しておくのは、できる冒険者の鉄則だ。土地勘があるとなしとじゃ、いざというときに動ける早さが変わってくる。
そういうわけで……意味はわかるな?

(言いながら軽く頭を傾けて示したのは、いつぞやふたりでのんびり歩いた、浜辺まで続く砂利道の商店街。どう考えても、危険な魔獣や悪霊が出て討伐沙汰になる可能性はないのだが、物は言いようというやつだ。甍を連ねる軒先には、グランポート名物である魚の骨飾りがカラカラと回っていて、それを見比べるだけでも楽しいに違いない。向こうまで通り抜けても、そこの浜辺はギルドの連中がいるビーチよりだいぶ北寄りだから、うっかり見つかるようなことはないだろう。「ちょうど、買うものもあるだろうしな」と、ふと手を伸ばして掬ったのは、初日以降下ろされているヴィヴィアンの柔らかな栗毛。これはこれで新鮮かつ好みなのでいつまでも見ていたいが、強い潮風に吹かれれば邪魔になるのを、ギデオンも気づいていたのだ。まずは髪留めを探さないかと、相手の白い手を恋人繋ぎで絡めとりながら、近くの小物屋を指し示して。)



  • No.553 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-08-28 14:18:18 




そっか……事前に予測……

 ( ギデオンはまるで簡単な種明かしの様に笑って見せるが、教えてもらえばこんな簡単なことも思いついていなかった己に、相手との埋めがたい経験の差を見せつけられる。しかし、必要以上に悲観的になるでもなく、真剣な表情でぶつぶつと。本日の反省点を次回に活かすべく、新たな視点の吸収に勤しんでいれば。隣のギデオンの表情が悪く歪んでいく様に、思わず瞳を丸くして。そうして、ギデオンの提案に上げた視界に映った通り──『海産物をふんだんに使った磯料理屋、釣り道具屋、水着屋、流木や海の生き物の骨を使った民芸品店、珊瑚や真珠のアクセサリーショップ』──忘れもしない、約一年前。レイケルらの収入源を調べに資料館へと辿った通り、今隣にいる恋人とデートしてみたいと願った通りを目の前に、思わず建前も忘れ、これでもかと興奮が溶け込み輝く瞳をギデオンに向けて。 )

──……わあっ! 本当にいいんですか?
去年ここでギデオンさんとデートしたいなって思ったの!
それに合宿中はゆっくりできないと思ってたから嬉しい……ギデオンさん大好きです!

 ( ただでさえ興味深いものでいっぱいの賑やかな市を、世界一大好きなギデオンと並んで歩く。しかも今回は、相手直々に隅々まで堪能して良いとのお達しで。そんな素晴らしい機会を逃せるはずもなく。これがもし仮に訓練場にほど近い場所で、バレる危険性があったとしても、例の古代魔法を引っ張り出して来てでも遂行してやったに違いない。
──さて何から見よう。まずはお酒のアテになりそうな乾物などどうだろうか……と、周囲を見渡した瞬間。耳の脇の毛束を柔らかくとられる感触に、ふっとギデオンを見上げて。その優しい瞳の色に、直接相談したわけでもない些細な不便に気が付いてくれていた喜びがどっと押し寄せ、先程までの興奮から一転。空いている方の手で自身の毛先を弄び始めたかと思うと、もじもじとはにかんで「はい、」と頷く声の小さいこと。
貝殻のピアスに、色ガラスの首飾り。舶来の染料を使った鮮やかな髪紐、オーガンジーの白いリボン。ギデオンに引かれて覗いた店の品ぞろえは、簡素な路面店とは思えない程垢ぬけていて、こんな時でもなければ喜んで夢中になっただろうに。その可愛らしい品々の輝きも、隣の美しい恋人の前にはかすんでしまって選べない。最初こそビビを見て相好を崩した中年の主人が、色々な品を手に取らせてくれようとしたのだが、彼の奥さんらしい店員が奥から出てきて、さりげなく主人を奥に引きずっていったかと思うと──どうぞごゆっくり、と微笑まし気な表情を向けられてしまって。それまで碌に商品を見てなかったことを誤魔化すべく、少し恥ずかしそうな笑みでギデオンを振り返れば、桃色の首をこてん、と傾げて )

どれも素敵で悩んじゃいます……ギデオンさんはどちらがお好きですか?



  • No.554 by ギデオン・ノース  2023-08-29 15:44:43 




(この春付き合いはじめたばかりの可愛い恋人に、「去年のうちからここでのデートを思い描いていた」と打ち明けられて、男心を擽られない野郎などいるだろうか。仕方なさそうに苦笑しつつ、絡めた手をがっちりと繋ぎ直すその仕草から、ギデオンも同じだけの愛情を相手に伝え返したつもりで。そうして、これまた愛らしくはにかむ旋毛頭に穏やかなキスを落としつつ、ふたりでぶらぶらと小物屋へ。こじんまりとしたアクセサリーショップは、どうやら店の奥がそのまま店主の自宅に繋がっているらしい。軒先に置かれている樽や流木のほか、歩いて数歩もない店内の両壁や二、三の棚には、いたるところに色鮮やかな雑貨の類いが並んでいる。全てを大方見比べれそうなのが、デートにお誂え向きでありがたいところだ……はたしてどれが相手のお気に召すことか。こちらがそう考えたのと同じタイミングで、横のヴィヴィアンのほうからも、可憐な仕草で問いかけられれば。それだけで既に今日一日分も深々満たされるのを感じつつ、表面上はあくまで余裕たっぷりに。ごくゆったり変え品ながら、ヘアアクセサリーの陳列された一角へ歩を進めて。)

ん? そうだな……この辺りなら、デザインも材質も良さそうじゃないか。

(──冒険者という職業柄、まずは機能性や保ちの良さに重きを置く性分だ。加えて、今回の買い物のそもそものきっかけは、ヴィヴィアンの髪紐が波に攫われてしまったこと。だから第一の条件として、「ほどけにくい」ものを選びたいところである。海ウサギの毛皮のパイルゴムなどは、髪に痕がつかない上に可愛らしいこともあり、一般女性は好んでつけるのをギデオンも知っているが……何分“激しい運動”をすれば簡単に滑り落ちるのを見てきた、冒険者の女性には使いにくいものだろうと、選択肢から除外する。とはいえ、隣にある無染色の海猪の革ひもや、樹液を固めて作ったスプリングタイプの輪では、丈夫さや耐水性では群を抜くと知っているものの、少々味気なかろうか。機能性は第一だが、それに次いでデザインの良さも欠かせないという価値観は、ギデオンがそれなりに洒落ている所以である。それに相手の言ったとおり、せっかくのグランポートでのデートなのだ。土産物感が出過ぎない程度に、思い出のゆかりになりそうなものはといえば……。
そうしてギデオンが指し示したのは、右隅にある2種類の髪留めだ。手前にあるのは、丈夫そうな太い髪ゴムに、おそらくガリニアから直輸入した布の切れ端からつくったのであろう、手触りの良いシンプルなスカーフが結びつけられた品物。赤、白、緑、青に黄色と、バリエーションも豊かだし、ワンポイントとしてあしらわれているストーン付きの金具は、ここらの浜辺の貝殻から型抜きしたものらしく、ひとつひとつ形が違う。更に奥へと目を移せば、そこに並べ立てられているのは螺鈿細工のヘアカフス。どれもゴム付きの使いやすそうな造りだが、カフス部分の金や銀の土台は、リング状であったり、菱形や花形であったり、珊瑚を象っていたりと、まずそこからして種々様々。加えて、おそらくル・カルコルの殻から作ったのだろう螺鈿細工は、青やピンクや真珠色を基調とした虹色の殻が細やかに嵌めこまれている。陽に当たればきっと、魔素の宿る物質特有のあの輝きを、きらきらと放つことだろう。螺鈿細工は伝統工芸品ゆえ、ともすれば古臭くなりがちだが……この店の仕入れ先の職人は余程センスが良いらしい、どれも小洒落たものばかりだ。
ちら、と店の奥のほうを振り返ってみたものの。そちらからは店主の旦那と奥方の、「いやぁ、だからよォ、あの都会から来た別嬪さんにゃよォ、俺の確かな目でうちのおすすめってのを……」「バカ! ああいうのは一緒に悩むのが楽しいもんなの! 邪魔すんじゃないのこのスカタン!」なる小競り合いが、相も変わらず聞こえてくる始末。あのご夫婦なら、試着をしても喜んで許してくれそうだ、と安心すれば、壁に掛けられた小さな鏡を指し示し。「実際につけた感じを、確かめてみるといい」と、傍にあった小さな櫛を差し出しながら促して。)




  • No.555 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-08-31 01:12:42 




 ( それこそ昨年からは思いもつかない。甘くて優しい触れ合いに、えへへ、と気の抜けた幸せいっぱいの笑みを漏らす。絡んだ指先に自らも力を込めて、その形を、恋人から与えられる愛情を確認するかのように、むぎゅむぎゅと好きに弄べば。相手の気持ちが伝わったことは十分に伝えられただろうか。 )

あっすごい。そうなんです、こういう太いゴムじゃないとすぐ切れちゃって……

 ( ──そういえば去年のクリスマス。ギデオンから貰ったハンカチは、ヴィヴィアンの好みを正確に捉えていてとっても使いやすかった。最近の流行や使い勝手のみならず、きっと普段から人のことをよく見ているのだろう観察眼に感心すると。相手オススメの品を手に取って、思いのほかしっかりした作りのそれに目を見開く。──折角のデートの思い出だ。たとえ、ビビの癖毛多毛の前にゴムの部分が儚くなってしまおうと。何度だって紐を入れ替え使う気ではいたのだが、これだけ消耗部がしっかりしているなら、装飾部の素材もきっとこだわって作られているに違いない。相手の提案に櫛を受け取りながら頷いて、「すみませーん、試着させていただきますね」と、奥に一言申し付ければ。それぞれ好きにうねって光を乱反射していた縮れ毛が、櫛を通されたところから濡れたように美しい栗色を映し出す。流れるような巻き毛を後頭部で纏めて、白いうなじに散る後れ毛を手早くかき集めると──まず手に取ったのは、貝のモチーフが可愛らしいガリニアスカーフ。中でも迷わず鮮烈な赤を選びとったのは、ビビの中で今年の冬も、あの赤いマフラーを巻くことが決定しているからで。 )

……えへ、どうです? 
似合う? 可愛いですか?

 ( 余程しっかりゴムと飾りが縫い付けられているのだろう。形の良い頭の小さな動きを、如実に反映させるスカーフの揺れの表情豊かなこと。──少し恥ずかしそうにギデオンを振り返って、そのくせ強欲に褒め言葉を強請って期待するビビの頭上で、深紅のうさ耳が控えめに震えたかと思えば、次の瞬間にはピコピコと元気に跳ね回る。それに気づいているのかいないのか、自分でも鏡を覗き込めば、可愛らしくもカジュアルで、使いやすいデザインのそれは自分でも大いに気に入るのだった。
それから次に試したのは、螺鈿細工のヘアカフス。直線的でシンプルなリングに、贅沢にもぐるりと敷き詰められた玉虫色の細工は、さりげなくも上品に、キラリと光って大人っぽい。それからそれから、楕円の細工や、立体的な小花のカフス──途中からは、もう当初の目的から随分逸れ出し。オーガンジーのリボンを試しに、柔らかな髪をハーフアップに捻りあげたり、可愛らしい桃色のリボンでお下げにしたり……さながら2人きりのプチヘアスタイルショーの時間を楽しんで。
そうして結局、こういう時は最初の印象が一番あってたりするもので。悩むビビが握るのは、最初に選んだ赤いスカーフと、シンプルな螺鈿細工のヘアカフス。ギデオンが以前プレゼントしてくれたマフラーと合うのは絶対前者のスカーフなのだが、正直25歳を目の前に控えて、このデザインの寿命はいかばかりか。……であれば、後者の方が長く大事に使えるのだが──ううん、と。普段つるりとした眉間に皺を寄せて、真剣な表情で悩むこと暫く。何気なく覗き込んだ鏡の中で目が合うと、恥ずかしそうに小さく笑って首をかしげて )

ああぁあ……どっちも可愛くて悩みます……
ギデオンさんにが可愛いと思う方にしたいんですけど、どっちがいいですか?



  • No.556 by ギデオン・ノース  2023-08-31 23:01:38 




ああ、よく似合ってる。おまえらしいよ。

(無防備に曝け出された白いうなじに耐え切れず、一瞬視線を外したものの。相手が器用に髪を纏め、くるりとこちらを振り返った時には、いつもの顔を取り戻し、目尻にくしゃりと皴を寄せる。実際、心からの褒め言葉だ──元気溌溂・純真無垢を絵に描いたようなヴィヴィアンには、情熱的な赤、そして少女らしいアクセサリーが、驚くほどよく似合う。おまけに例のスカーフは、頭の上で綺麗に立てれば、さながらウサギの耳のように生き生きと揺れるらしい。今もギデオンの表情ひとつにぴこん! とわかりやすく跳ねるものだから、可笑しそうに喉を鳴らし。鏡の中の相手に向かって、ふと意味ありげな表情を浮かべたかと思うと、「ウサギはウサギでも、手強い海ウサギかもしれないな」なんて揶揄いを。ウサギと言えば、寂しさで死ぬこともあるという俗説が有名だが、相手はそんな弱々しい女性ではない。しかし海ウサギとなれば、時に手練れの戦士でも手こずる獰猛さ、そして何より、決して獲物を諦めない不撓不屈の粘り強さ……そういった点で、ある意味重なる部分があるだろう、実際自分がこうして捕まったのだからと。相手が笑うなり怒るなり、巧みに揶揄い返すなりすれば、また小さく笑いながら、相手のうさ耳、次いで本物の可愛い耳をくすぐり。そうして過ごす最初の寄り道は、瞬く間に過ぎて行くだろう。)

──そうだな……やっぱりいちばん最初のが好きだ。スカーフなら、おまえの気分次第で自由に結び直せるだろうしな。
親父さんに声をかけてくるから、よかったらそのまま着けてくれないか。

(据え置きの鏡の前で(むむん)と悩むその姿は、もはやそれだけで愛しいのだが、何よりその思考がある程度読み取れるものだから、さらにいじらしさを増していた。──ギデオンからすればまだまだ若い娘だが、それでもヴィヴィアン自身からしたら、あのうさ耳(もどきの)のヘアスカーフは、着けづらく思う気持ちもあるのだろう。それでもやはり、今がいちばん若いことには変わりない、身につけたいものを心置きなく着ければいい、実際とても似合っていた。そんな考えからそちらを選び、「いざとなったら、職人街のあいつらに仕立て直して貰えばいい」と、更に背中を押してやる。そう、ヴィヴィアンのためを思ったのであって……数ある色の中から真っ先にあの深紅を選んだ姿に、独占欲やら何やらをがっつり擽られただとか、そんな愚直な理由であるはずがなく。とにかく、相手にもう一度鏡の方へ向き直らせると、自分はカウンターの方へ寄り、奥の店主に声をかけ。「そこのスカーフのを、そのまま連れに着けさせていっても?」と尋ねれば、奥さんと言い合いつつのそのそ出てきた中年親父は、案の定色好い返事を返してくれた。「お熱いねえ」「そちらほどでは」、そんな雑談を交わしながら、その場ですぐに勘定を払おうとして──ふと、卓上の端に目を落とす。鍵のかかった小さな木箱、ガラスの嵌めこまれたそれの中には、この手の土産物屋にしては少しばかり高級な品が収まっている。そのうちのひとつに目を奪われたギデオンは果たして、儀狄の産地より遥か遠い東の島国の習わしを、聞き知ったことがあるのかどうか。随分長く試着を楽しませてもらったしな、とさほど考えずに決断すれば、「こちらもひとつ」と、布袋を一つ包ませ、それを手にヴィヴィアンの元へ戻る。髪を結い上げたいつも通りのその姿、けれども深い赤がぴょこぴょこしているのが新鮮で、自然と口元を弛ませれば。彼女とともに、店の夫婦にもう一度礼を伝えてから、陽射しの和らいだ表の通りへ。次のどこかへの道すがら、手に持ったサテンの小袋をさりげなく渡してみせる。口紐を解いて中を覗けば、ちょうどヴィヴィアンの瞳の色と同じ、明るい翡翠をあしらったシックなデザインの簪が、きらりと美しく光るだろう。)

途中、一回シニョンにもしてたろ。あれも良く似合ってたから……今度良かったら、それを使ってやってみてくれ。



  • No.557 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-02 12:44:32 




ありがとうございま──……海ウサギ。

 ( ギデオンからの褒め言葉に、嬉しそうに目を細めた表情が、次がれた単語にスンッと落ち着く。揶揄の中にも、その話しぶりからして、どうやら肯定的なニュアンスらしい。ということは何となく分かるのだが──海ウサギ、ああ、このスカーフが耳で……じゃあ私自身は生臭い魚か? と、どうも納得いかないのが複雑な乙女心である。しかしそんな不満も、頬を膨らませたヴィヴィアンに笑ったギデオンが、甘やかに触れてくればあっという間に霧散して。 )

んっ、……わか、りました……

 ( 目の前の髪飾りに集中し、すっかり油断仕切って無防備なところへ──好きだ、なんて。髪飾りに対しての評価だとは分かっていても、真っ直ぐに此方を射抜いていたアイスブルーに、どうしようもなく胸が高鳴る。大好きな恋人の優しさに、これまでの安心しきった様子はどこへやら。肩に触れた温かい手にもじもじと頬を染めたかと思うと──好きだ、すきだって……とぽーっと夢を見るような表情で鏡の中を見つめながら、相手の要望のままにお馴染みの尻尾を結い上げていく。そうして、ぼんやりとしていた娘が意識を取り戻したのは、戻ってきたギデオンがお会計を済ませていたことに気づいた瞬間で。最初こそ「私そんなつもりじゃ……払わせてください!」と、早速その赤い耳をパタパタと慌てさせていたものの。定期的に贈り物を受け取ってやらないと、品に不満があるのだと思い込み、もっと高価な物を送り付けてくる某大魔法使いを思い出せば、適度なタイミングで引き下がる代わりに、「ありがとうございます、大事にしますね!」と、頭上のそれに両手で触れながら、大袈裟に喜ぶことで落ち着かせたつもりだったというのに、どうやらギデオンの方が一枚上手だったらしい。
オレンジ色の陽が2人の影を長く伸ばす賑やかな通りで、差し出された袋を受け取ったヴィヴィアンは、東洋の慣習を知っていた訳では無い。しかし、生い立ち上肥えざるを得なかった審美眼で、その簪の価値を一目で見抜けば。──こんな高価なものを、そうひとこと言ってやろうとして、夕陽をバッグに満足気な目をした恋人に、ついつい毒気を抜かれてしまう。そうして仕方なそうに溜息を漏らし、ジトリとギデオンを見つめて今度こそ分かりやすく釘を刺す体で、男から女へ。ある意味、簪を贈るその意味への返答を無意識に返しながら、ギデオンの逞しい腕に抱きつき。おもむろに先程結んだばかりの尻尾をしゅるりと解いてしまうと、うっとりとした眼差しで簪を陽に透かしてから、器用にシニョンを作って見せて。 )

~~~ッ、…………。
……簪は激しい動きには向かないんですよ、
これを付けていられるような……お仕事だけじゃなくて、デートも、お休みも。ずっと一緒にいてくれなきゃ駄目ですからね。
…………ふふ。ありがとうございます、とっても綺麗……ね、


  • No.558 by ギデオン・ノース  2023-09-03 16:38:36 




──……、約束するとも。

(しっとりと希う声も、贈った簪をうっとりと気に入った様子も、それをすぐさま身につけてくれたことも。そのすべてが、文脈は曖昧なままでも、ギデオンの胸の内を深く深く満たしてくれるものだから。つくづくヴィヴィアンには、何を講じても敵わぬらしい、そう小さく笑おうとしたのだが。実際に返した声音は──真剣な面持ちをした男の、低く掠れたそれとなり。
いつもより大人びた髪形の恋人を熱っぽく見つめ、その前髪を優しく掻き分けてやったが最後。不意に細腕を抱き寄せたかと思うと、店々の隙間の路地裏へ、流れるように連れ込んでしまう。人通りのあるのどかな往来から、ほんの少し横に入っただけのその暗がりは、人目を忍ぶには充分だろう。よって、せっかくのシニョンを崩さぬよう、己の大きな両掌を、彼女の背と柳腰に力強く回しながら。胸の内の熱を伝えるように、普段よりもことさら深く激しく、互いの唇をたっぷりと、夢中で溶け合わせるのだった。)

(──さて、そうやってなんだかんだがっつりといちゃついていれば、あれほど見込んでいたデートの時間は、矢のように過ぎていくものだ。ようやく我に返り、「そろそろ歩き出さないと」と笑い合えば、また仲良く手を繋ぎ、懐かしの商店街をのんびり見て回ることにした。去年は結局、事件後の処理への協力で忙殺され、観光を楽しむ暇などろくにないままグランポートを発っている。故に、何の懸念も責任もなく、元気な体でぶらぶらするだけのことが、もう晴れやかに楽しくて。
釣り道具屋を通り過ぎれば、今まで釣りを楽しんだことはあるかどうかを話し合い。磯料理屋の看板の前でいちいちギデオンが立ち止まり、メニューに真剣に目を通せば、ヴィヴィアンがそれはそれは愉快そうに、ころころと笑い声をあげる。やがて老舗の酒店に辿り着けば、「キングストンに帰ったらどれで晩酌しようか」なんて話しながら、鮭とばやレモラのからすみ、蓑亀の肝の天日干しを買い込んで。「日に干した聖獣の肝は、体にとっても良いんですよ」──ヒーラーらしいコメントをくれたヴィヴィアンが、次の瞬間、魔法薬の材料を並べた店にぱあっと目を輝かせるものだから、くっくっと笑いつつ、お次はその店に立ち寄ろうか。オウムガイの粉末、ユウレイクラゲの毒液、メガロドンに茂った海藻を煮出して作った汁のボトル、数千年以上前の貝や骨が埋まっている海琥珀……どれもこれも素晴らしい品揃えだが、珍しい素材であればあるほど、当然値段は高くなる。財布を握ってうんうん唸るヴィヴィアンに、「この予算の中で好きなものを買うといい」と、敢えて金額を設定することで、逆に遠慮なく買い物ができる取り計らってみれば。彼女は最初こそ、「この簪までいただいてるのに!」と頑なに固辞していたものの。「良い素材が揃えば、俺のために作る魔法薬もそれだけ良いものになるんだろう?」と、ギデオンが甘えてみせれば。もの言いたげなジト目を寄越しつつ、結局そのアイデアには抗えないといった様子で、最後には嬉しそうに籠の中身を厳選していた。

そうして土産袋を手に提げ、海岸沿いのなだらかな帰路を、夕陽を眺めつつのんびり帰って。コテージについてすぐ、もう一度だけキスを惜しむと、「また明日」と別れを告げる。
──その後、ヴィヴィアンのほうはどうだったかわからないが。男部屋に帰還したギデオンのほうはといえば、ジャスパーから開口一番、「訓練合宿中に女連れで一日中ほっつき歩くたぁ、随分良いご身分だなあ??」と嫌味をかまされる羽目になり。……どうやら、本格的な救助訓練をしたり、借り物の船を動かしたりする日だったというのに、例のろくでなしコンビ(言うまでもなくマルセルとフェルディナンドだ)が、また随分やらかしたらしい。席を外してて悪かった、と土産……もとい賄賂の地ビールの瓶を投げ渡せば。「おまえのそういうところがムカつくんだよ!」と唾を飛ばして怒鳴りつつ、ちゃっかり氷結魔法で冷やしてごくごく飲み干すのだから、扱いやすくて助かる男である。そこにデレクやらレオンツィオやらもやってきて、あれやこれやと言い合っているうちに、いつの間にか音もなく現れて全員をビビらせたのは、無論我らがギルマスだ。
「……ノース。今日大目に見た理由は、賢い貴方ならわかっていますね?」。その有無を言わさぬ問いかけに、降参したように無言で頷く。春に遭った例の事件で、ヴィヴィアンが生死の淵をさ迷ってから約2ヵ月。彼女の予後が定かではないからと、未消化の有休を追加で詰め込んだり、自宅でできる書類仕事を優先的に回して貰ったりと、既に随分融通を利かせてくれていた。今回はその最後の羽休みで……この合宿が明けてしまえば、またしばらくの間、この御仁の意のままに動くことになるのだろう。つくづく感謝している上、この先のキャリアの希望も──ヴィヴィアンにはまだ話していないあの件だ──聞いてもらっているだけに、圧を拒めるはずもなく。「……土産です、」と、ジャスパーに渡したそれより随分高級な酒の瓶を、恭しく差し出すことにして。

そうしてまた、ベテラン戦士としての顔で仲間たちの元に戻り。夕食の段取りや明日以降の連絡事項を請け負った後、湯浴みを終えた後ですら、諸々の会議で忙しかったものだから。──弟分の青年、若い弓使いのアランが、連れもなくたったひとり。夜のプライベートビーチではなく、鬱蒼と茂る真っ黒な木立の方へ向かっていることに、ギデオンはついぞ気づかなかった。否、一度だけ、窓の向こうにその影を見かけはしたのだが、その時は何とも思わず見過ごしていた。
思えば、レイケルが着々と根を張っていたこのグランポートにて、かの国の息のかかった者が暗躍しない筈がない。だというのに、その時のギデオンも、ジャスパーも、ギルマスですら。身内の動きを怪しんで疑う者など、この場には誰ひとりとて存在せず。よって、大人しいそばかすの青年の姿は、誰にも見咎められることなく、一晩のあいだ闇の中へと消えていた。それが大きな過ちだったと知るのは……もう少し、後の話だ。)



(さて、翌日。今日は訓練最終日、そして最後の自由時間の日でもある。朝早くから海に入って救助訓練の仕上げを済ませた面々は、昼食がてらグランポートの商店街に出掛け、土産の買い込みや夕食の材料の買い出しを楽しんだ(今夜の晩餐は、ビーチでのバーベキューの予定だ)。ギデオンもヴィヴィアンも、ここの通りは昨夕のうちにふたりで楽しんでいたものだから、仲間のための案内や荷物番、といったサポート役を率先してこなし。そうしてほくほくで帰ってきた面々は、コテージで一休みした後、再び初日の水着に着替え、エメラルドグリーンの海へ大はしゃぎで繰り出した。

が、それは一部の例外を除いての話。珍しくにっこりと笑ったギルマスが、不意に何名かの名を挙げて。何かと思えば、訓練の補修を受けろと無情にも言い渡したのだ。
「おまえたち、今朝のあれを仕上げなどとは言わせません。仲間や友だちと一緒に買い物を楽しんだでしょう? 飴を先にやったのですから、もう一度だけ励みなさい。大丈夫、真剣に取り組んで合格点を取れば、皆のところへ戻る許可をすぐにでも出しますよ」──と。
訓練追加を命じられたのは、例のろくでなし組と、どうしても運動が不得意な事務方数名。また例外的な参加者として、ヴィヴィアンも「できれば流れを掴む程度に」と、参加を促されたらしい。彼女の場合は出来不出来ではなく、そもそも昨日丸一日訓練を休んでいて何も知りようがないのが理由である。……つまるところ、腐っても冒険者なはずのろくでなし組は、不得手だろうと多少は仕方ない一般人、もしくは訓練未受講の後輩と並べられてしまうほど、なんにも身につけちゃいなかったわけだ。
最初こそ魂が抜けたようにがっくり来ていたマルセルとフェルディナンドだが、ヴィヴィアンやエリザベスも同じ補修を受けるとなれば、その蘇りの鮮やかなこと。「ビビちゃん、俺が手取り足取り腰取り教えてやるよ」と無駄に色気たっぷりに抜かしたフェルディナンドは、直後に青い空から訳もなく雷が落ちて、無様に撃沈していたし。やけに凛々しい顔で天を突かんばかりに挙手したマルセルが、「俺! 人工呼吸下手だったんで! 一生懸命補修します!」と高らかに主張した後、「あっでも、昨日の人形はぁ、消防局に返しちゃったしぃ……」とエリザベスをチラチラ見始めるや否や。どこからともなく颯爽と現れたバルガスが、「良かったら俺が付き合いますよ」と、白い歯を見せて笑えば。マルセルはその笑顔を引き攣らせ、「いやっ、い、いいわ……」と、すごすご手を下ろしてしまった。後輩がせっかく申し出てくれたのに何が不満なのだろう、まったく不遜なことである。

そうして、指導側も含め十人程度。岩礁のそばにある穏やかなエリアで、溺れたふりをしたマルセルをフェルディナンドが救助するという、当人ら含め誰もが砂狐顔になる訓練中に──事件は起こった。不意にざざざざ、と不審な音がしたかと思えば。参加者たちの浮いている海面一帯が、突然どっぷんどっぷんと激しく踊りはじめたのだ。
「おわあ!?」「なんだなんだ!?」とあちこちから上がる悲鳴、岩礁から指導の声を飛ばしていたギデオンとジャスパーも思わず同時に立ち上がる。真っ先に飛び込んでいたバルガスは、幼馴染を助けようと力強く泳ぎ出すものの、波の力が強すぎてそちらに近づくこともできない。そうこうするうちに、補修組は皆海上でばらばらになり──ヴィヴィアンとエリザベスに至っては、随分沖まで流されてしまったようだ。「無理に泳ぐな、今助けに行く!」とヴィヴィアンに叫んでから、ギデオンもまた海に飛び込み、荒波を掻き分けてそちらに必死に向かおうとする。だが、他の面々を助けに行ったジャスパー含め、もう少しだけ岩の上から辺りを注意していれば、きっと見落とさなかっただろう。──ヴィヴィアンとエリザベスが流されてしまった方へ、不気味な黒い影が海中を突き進んでいることに。)



  • No.559 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-06 01:04:14 




プ、ポ、ェッ……!?

 ( 夢のような時間も過ぎ去って、それはまだ唇の触れ合った感触も残る、一人コテージの部屋へ戻ろうとした夜だった。とうとう合宿のあいだ毎晩ここで宴を開いてくれた山賊……もとい、頼りになって美しい先輩方に見つからないよう、そっと寝室へと上がる階段へ向かったつもりが、酔っ払っても冒険者である彼女達の気配に聡いことといったら。サッと背筋を伸ばし表情を取り繕うも一足遅く、フワフワと周囲に花を飛ばした、周囲が照れくさくなるほどの女の顔を見咎められれば、女社会とて追求の手の手厳しいことには変わらない。すわ、いったい訓練をサボった何シてたのかしらぁ。やだわ決まってるじゃない。数日前のアレはなんだったんだ──等々。ベテラン捜査官達の前に、居た堪れない針のむしろに耐えかねて、あっさり今日の全てを自供すれば。次の瞬間「──ははプロポーズじゃん」そんなこれまでのやり取りを、隣で聞くともなしに聞いていたカトリーヌの一言がトドメとなって。口の端から奇声を漏らして首まで真っ赤になったヴィヴィアンは、折角の合宿最後の夜を処理落ち、及び気絶という形で締めくくったのだった。 )

──よろしくお願いします!

 ( そうして迎えた最終日。──昨晩寝る前の記憶が少々思い出せないのが気になるが──今日も絶好の訓練日和である。昨日のデートはとっても楽しかったものの、1人だけ必要な知識が抜けているという状態は好ましくなく。後からギデオンに聞くつもりでいたところを、こうして実践で補習していただけるなんて有難い!──と、ギルマスの指示に満面の笑みで返したのはまさかの自分だけ。周囲の目が明らかに死んでいることに気がつけば、一瞬遅れてじんわりとした羞恥に小さく縮こまっていたものだから。哀れフェルディナンドは、ビビに相手してもらえるどころか、その存在すら気付かれぬまま、ギデオンの雷撃に熱い砂に沈み込むことになったのだった。

そうして始まった合宿最期の訓練中。突如起こった強い流れに押し流されながらも、初日と違って冷静に周囲を伺えたのは、ここ数日の訓練の賜物に違いない。急な波に身体を強ばらせ、真っ青な顔をしていたエリザベスを何とか宥めると、陸から聞こえたギデオンの叫びに小さく手を振って無事の合図を。──大丈夫、私達は慌てずにゆっくりギデオンさんを待てば良い。冒険者としては少々頼りない判断だが、冷静な状況分析もまた何より大切だ。しかし、「浮いて待て、だね」なんて、習ったばかりのことを和やかに確認し合いながら、波に揺られていた2人と、他の参加者達がいる陸側との間に大きな飛沫が上がったかと思うと。大きな水の壁が2人を覆い隠すかのように立ち上がり、その中からそれはそれは美しい馬が現れて。
──ケルピー……いや、エッへ・ウーシュカ……? ギデオンも初日に言っていた、立派な黒い毛並み、張り付いた海藻、こちらを見て嬉しそうに伸び縮みする体躯は、その特徴で間違いないはずだがしかし、水を操る能力はケルピーじゃ……と、どちらにせよ危険な魔物に、非戦闘員のリズを背後に庇うも。此方の警戒を気にも留めない魔物といったら、呑気に鼻の穴を膨らませながらその顔を此方に寄せてくる始末で。──まだ自分の正体がバレてないと思って媚びているのだろうか。そっと刺激せぬよう上半身を反らせば、やたら満足気な獣臭い鼻息を吹きかけられて、思わずギュッと目を瞑ってしまった瞬間。勢いよく巻き起こったこれまでとは違った種類の水流に翻弄掻き回されて、沈みそうになる頭を必死にあげた瞬間。その立派な鬣があったはずの位置。白い……ここ数日でよく見なれた形状のそれが張り付いてるのを確認した瞬間。ハッと己の胸元を見下ろした隙を突かれ、いつの間にか可憐なセーラーも貼り付けた黒馬は、実に腹の立つ嘶きを上げたかと思うと、あまりのことに呆然と顔を見合わせる娘を残して、意気揚々と水上を走り出して )

な、なんだったの……?


  • No.560 by ギデオン・ノース  2023-09-06 22:14:25 




(ヴィヴィアンとエリザベスを包み隠すかのような、縦にも横にも広い大波。それはすぐにも、真っ白な飛沫を立てて打ち砕けはしたのだが。高く低く荒れたままの海面により、はぐれてしまったふたりの姿は、依然としてこちらには見えず、救助に向かう男たちの胸を焦燥感でひりひりと焦がす。故に、必死の思いでようやく彼女らのそばに泳ぎ着いたとき、すぐには気づかなかったのだ。)

ヴィヴィアン、無事か!

(開口一番に相手の無事を訊ねれば、一旦周囲を振り返り、こちらに脅威が差し迫っていないかの確認を。──周辺の海上をご機嫌で走り回るのは、やはり例の海洋魔獣、エッヘ・ウーシュカの亜種らしい。トリアイナの言うとおり、人間にちょっかいを出すきらいはあるが、怪我を負わせるほどの害を与えてやろうという悪意までもはないようだ。そうはいっても気は抜けないので、まったく傍迷惑なやつだと、忌々し気に睨みつつ。ひとまず安堵の息を吐きながら振り返り、「とにかく浜に……」戻ろう、と言いかけた、そのときだ。)

…………!?
────わ、るい、っ……

(ただでさえ面積の少なかったそれを、邪悪にも剥ぎ取られた今。目の前の恋人の、縛めから解き放たれた肉感たっぷりの乳色の果実は、あまりに見事に美しい円形を描きながら、青海原にぷかぷかと、蠱惑的に浮かび揺れていた。動物的な反射として自然にそれを見つめてしまったギデオンは、次の瞬間わかりやすいほどぎこちなく動揺し。ばっと口元に手をやりながら、思い切り顔を逸らして。──いや、まさか、違う、大丈夫だ、己は何も見ていない。波が乱れているせいで一瞬淡い飾りまで見てしまっただとか、寧ろ見え隠れするチラリズムめいた様子のせいで余計に煽情的に感じただとか、散々紳士を装ってきた分、あまりに鮮烈に映ったそれを本能的に目に焼き付けてしまっただとか、まさかそんな、神に誓って。……だがしかし、かつて散々女を喰い飽きてきたはずのギデオンの横顔には。エメラルドグリーンの海に映え映えするほど、いつもの涼やかな表情には不似合いな紅が差していて。)



  • No.561 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-07 10:03:08 




ごめ、ごめんなさい、こちらこそ……

 ( 水着の上衣を盗まれたのを、頭ではきちんと理解していたはずだ。しかし冷静でいたようでいて、大波から開放され、初めて聞いたギデオンの声に深く安心すれば、ほっと油断して恋人兼相棒に腕を伸ばそうとしてしまい、物凄い勢いで顔を逸らしたギデオンに、ハッと豊かなそれを掻き抱いて。爽やかな南国の夏空の下、陸の仲間達や流されたエリザベス達とは離れていると言えど、拓けた海中であっという間に二人だけの世界が出来上がる。──もし見られたのが白く、だが微かに水着の跡を残す丸い双丘だけならば、ギデオンがここまで気まずそうにするはずがない。ということは──と、血液が集まってピンク色になる肌に、益々分かりやすく三角形の跡を分かりやすく浮かび上がらせれば。とにかくまずは気まずい思いをさせてしまったことへの謝罪を。相手は必死に此方を助けに来てくれただけであって、別にこの人に脱がされたわけでも、分かっていてわざと見に来た訳でもない。寧ろ盗まれたことを分かっていて無防備に手を広げた自分が明らかに悪いのだから──「──謝らないでくださいっ! それにギデオンさんなら大丈…………、ちが、……」だから、何故自分はこうも学習しないのか──言うに事欠いて何を言う気か、と口を噤むも。一応、この気まずい空気をどうにかしたかっただけなのだと弁明させて貰いたい。今度は、咄嗟に余計なことしか言わない口を塞ごうとして、ぷるん、と溢れそうになった胸を慌ててかきだけば、ズレた腕の位置が益々際どくなるばかりで。──自ら動けば動くほど悪化する事態に、どうしたものかと立ち尽くした瞬間だった。
改めて今、ビビは深い沖の方でも少しとび出た岩の足場を見つけ、そこに軽く体重を預けている状態だったのだが、ただの偶然かウーシュカの仕業か。これが逆にただ浮いているだけなら良かったものを、なまじ同じ場所に根を張ろうとしていたところへ大きな横波をくらい、一応まだ病み上がりの足元がずるりと滑ってしまったのだ。
──そうして起こったのは、見事なまでの半年前のリプレイ。ぐらりと揺れた上半身は、見事にギデオンの方へと吸い込まれ。身体を支えんと反射で出てしまった腕に、問題の駄肉は綺麗に放り出されて、ギデオンの──実はこの数日、あまりも美しさに直視を避けていた──腹筋の凹凸を掠めた瞬間。あくまで純粋な擽ったさに、んっ……と小さな吐息が漏れてしまい、カッと頭が沸騰する。本当に、どうしてこの人の前だとこうなのか──もうここから消えていなくなってしまいたい……。と、真っ赤になった顔を手で多いながらも、小さな声故に聞こえなかったかもしれないと一縷の望みにかければ。大きな瞳の羞恥の涙を堪えながら、頭上のギデオンを窺って。 )

…………今の。聞こ、ました……?


  • No.562 by ギデオン・ノース  2023-09-07 15:09:42 




(昨年のグランポートの海上でも、ギデオンの軽々しい謝罪をこうして怒られたことがあった。そう、ヴィヴィアンはいつだって誇り高く、思慮深い女性のはずなのだ。だというのに、いったい何をすれば、またそんな軽率極まりない一言が口から飛び出してしまうのか。反射的に鋭い目でそちらを睨みかけたギデオンは、しかし。海水に瑞々しく濡れ、細腕に柔く歪んだ巨桃をはたと見つめてしまうなり。再びぎゅんと、先ほどとは反対の方向へ、露骨に目を逸らす有様で。
──冷静な判断が遅れたのは、たぶん、おそらく、そのせいだ。不意にざあっと押し寄せる波、ヴィヴィアンの小さな悲鳴が上がったかと思えば、その体が傾ぐ気配を感じて。咄嗟に振り返ったギデオンが、同じ岩の上に乗りあげて相手を支えようとしたのも、そう、致し方のない話。──気づけば、いつぞやの冬と違って布一枚すら隔てていないすべらかな柔肉が、同じく素肌を晒しているギデオンの固い胴に、たゆんと無防備に押し当てられ。羞恥のせいでかえって起こってしまったらしい何かしらが、逆に思わせぶりなほど軽く擦りつけられた感触に──堪えきれずに漏れ出たらしい、持ち主の艶やかな、聞き逃せるはずもない吐息。相手を支えるべくその薄い肩を掴んでいたギデオンの掌は、一瞬不自然に固く強張り。そうして、思わず中空に目をやったまま、完全に思考停止状態で見事なフリーズを晒していれば。恥ずかしさに顔を覆い隠していた恋人が、きゅっと揃った白魚の指の下から、真っ赤な顔と潤んだ瞳で、おずおずと上目遣いに見上げてくるのだ。──耐えきれるわけが、ないだろう。)

──……いいや。
なんにも………聞いちゃいない…………

(苦し気に絞り出したのは、言葉の上こそ否定ではあるものの、どこをどう聞いてもその裏返しを意味しているのを隠しきれていない声音。眉間に皴を寄せて目を閉じる、苛立ちを耐え忍ぶようなその表情に至っては、もしや相手にも見覚えがあるのではなかろうか。──そこに突然、再び押し寄せた強い波が、戦士の体幹をぐらつかせてヴィヴィアンと密着させてくるとなれば、これはもう、何かしらの超法規的作為が働いていると恨むほかあるまい。「────ッ」と、声にならない呻き声をあげるなり、飛沫を立てて距離を取るものの、無論とうに手遅れで。ろくに相手の顔を見られず、ざばっと音を立てて大きな背中を向けてしまうと。骨ばった片手で顔を覆い隠しながら──こんな醜態時でも見目だけは優れているので、やたら様にはなっているのが滑稽だ──、絶望感に打ちひしがれた声で、聞き苦しい言い訳を。)

…………、言っただろう。
欲は……あるんだ……それなりに…………



  • No.563 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-08 15:09:53 




ギデオンさん、危ない……!

 ( 再度訪れた強い波に、今度はギデオンの身体が此方に傾く。物理的に手が塞がっている状態で、避けるも避けるも上手くいかずに。ぷちゅ、と太い鎖骨に濡れた唇が触れ、分厚い胸板に押し付けられて再度歪む柔肌に、しかし最早、それに注目する余裕さえなかったのは、華奢な腰骨に押し付けられた感触のせいだ。実際に触れ合っていたのは、ビビがその正体に気付くより余程短い約1秒にも満たないほんの一瞬。しかし、ギデオンの苦しそうな、見覚えのある表情に遅れて真実に気がつけば、今度はビビが硬直する番で。「~~~ッ」と、此方も声にならない悲鳴をあげながら、火照る顔に勢いよく海水を叩きつけ。うねった前髪からポタポタと水滴を零しながら、絶望に満ちたギデオンの声に、流石に申し訳なさが胃の底をつく。そもそも自分がこの人に応えられれば解決するものを──せめて今自分が出来ることを、と。許可を得るまでは触れないものの──項垂れた男の背後、お互いの体温が感じられる程の距離へそっと近寄り。相手を安心させるような掠れた低い声で。相手のありのままの現状を急かさず受け入れる発言──つまり、自分が恋人にされて嬉しかった対応で、とうとう愛しい恋人へ知らぬうちにトドメを刺しかけたのと。閑話休題。この状況の元凶たるエッへ・ウーシュカ。彼が、自分でその原因を作り出した癖をして、目当ての美女たちが他の男といちゃつき出したことへ不満抱いて、その雰囲気をぶち壊す下品な声で嘶いたのは、どちらが早かっただろうか。 )

──……ええ。辛い思いをさせてごめんなさい。
でも、私のためにって思ったら……嬉しくて。もっともっと大好きになっちゃいました。
えっと。その、まだ……最後まではちょっと怖いですけど、私に出来ることがあったら。教えてください、ギデオンさんのために頑張りたいんです……!


  • No.564 by ギデオン・ノース  2023-09-08 23:47:45 




(ギデオンにそっと話しかけるヴィヴィアンの声に滲むのは、嫌悪でも羞恥でもなく。こちらの身を案じるような、静かで優しい思いやり──とすら、とても呼べない代物だった。ギデオンは彼女に背中を向けたまま、途中までなら、じっと黙って聞いていたのだが。可愛らしい恋人の発言が、愚昧なほど頓珍漢な方向へすっ転び始めれば。正直そうなる展開を予感してはいたものの、それでも二、三度、びしりびしりと、その彫刻のように逞しい後姿を、あからさまに強張らせて。
自分のためにそうなったと思うと嬉しい? 俺のために頑張りたいから、自分にできることを教えてほしい? けれど最後は……肝心要の部分については、トラウマがあってまだ怖い? おまえは──おまえは、本当に、何ひとつ、わかっちゃいない……! 正直にぶちまければ、今すぐ彼女をどこかに連れ込んで、この煮えるような苛立ちを、胎の奥どころか骨の髄まで叩きつけてやりたいほどだ。そんな乱暴なわからせ方を選ばずとも、いい加減に学んでくれ、と本気で怒鳴りたくはあるのだが、しかしもちろん、本当にそうするつもりなどなかった。見ての通り、恋人のヴィヴィアンには、しっかりがっつり浅ましい欲を抱いてはいる。しかしそれ以上に、彼女の心からの信頼や安心こそ、ギデオン自身が最も欲してやまないものだ。一時の欲や怒りなんぞに呑まれたせいで、それをみすみす損なってなるものか。しかし、それを踏まえるならなおのこと、おまえの相手は聖人君子ではないのだと、そろそろ真面目に教えねばならないだろうか。しかし、それはまた後で……きちんとゆっくり話ができる状況になってから、落ち着いてするべきだろう。そう冷静に答えを出すと、盛大な溜息をひとつ。険しい眉間を強い指圧で揉みほぐしながら、こめかみにびきびきと浮かんでいた青筋を鎮め。「……、その話なんだが。とりあえず、まずは浜に戻って──」と、疲れた顔で相手を振り返った、その時だ。
語弊しかないタイミングで続きの言葉を切ったのは、この珍妙極まりない状況の原因こと……悪戯もののエッヘ・ウーシュカが、こちらに猛然と駆けてきたせいである。ブルヒン、ブルヒン、ブルヒヒヒンと、いやにうるさい嘶きを撒き散らしながらやってきた黒い馬は、まずはギデオンをじろりと一瞥。「ケッ」とでも言うような、いつぞやの齧歯類よろしくイラっと来る顔を向けてきやがったかと思うと、今度はあからさまに一変。ヴィヴィアンの方に向き直るなり、きゅるんと愛らしい、まるで従順な家畜の如き、白々しい表情を浮かべ。不意に長い首をふるったかと思うと、その口にはいつの間にやら、見覚えのある白い布切れを食んでいる有り様だ。ヴィヴィアンが気づきの声を上げるのと、全てを察したギデオンがその表情を完全に消し去ったのとは、ほとんど同時。相手がその細腕を伸ばして取ろうとしたとて、無駄に知能のある魔獣はその首を後ろにそらし、「そう簡単には返さないよぉ~~~ん!」とでも言うようなにんまり顔で、彼女を見下ろすことだろう──だがしかし。「あっ」とでもいうように、その目が丸く見開かれ、歯茎を向いた汚い笑顔ががちんと凍りついたのは。お目当ての可憐な娘の背後、沸々とどす黒いオーラを立ち昇らせる、凄まじい修羅に射竦められたからだ。「……ヴィヴィアン、」と、恐ろしく低い声で話しかけたその男は、自分の羽織っていたボタンのない白いシャツを、後ろから相手にそっとかけ。そのままざぶざぶと岩棚の上を歩きながら、今までにない戦士の背中を相手に見せることだろう。)

俺から離れて、浜に上がれ。
すぐに──こいつを──片付ける。



  • No.565 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-09 09:12:42 




……ッハイ!

 ( ──私も一緒に戦わせてください! そう口にしかけた懇願はしかし、相手の覚悟の決まった背中を前に短い快諾にしかなってくれなかった。後になってこの時のことを、その頼もしい背中に見蕩れていたとでも正直に言おうものなら、こっぴどく叱られたかもしれない。ともかく、愛しい恋人を映した瞳を、ハート型にとろん、と溶かしていたその時。それでもいい募ろうとしたビビにダメ押しをしたのは、ちょうどザブザブと波を掻き分けながら、こちらへと近づいてきて、「ごめん、ビビはリズを浜まで連れて行ってくれないか」と、ビビ同様サイズの合わないシャツを羽織らされたリズを差し出して来た、その赤い頬にくっきりと掌の跡をつけたバルガスだ。大きさと位置から見るに、リズのそれではなく自分で叩いたかのようなそれと、真っ赤に血走った白目は太陽のせいで誤魔化すには随分なそれだったが。ともかく、魔獣という脅威を目の前にして、一般人を安全に避難させるのも冒険者の立派な仕事だ。浜辺に戻りながら親友に話を聞けば、さもありなん……というしかない苦難がバルガスのことをも襲っていたらしい。「リズ、リズちゃん!」と声を張り上げる自分に気がついて──バル君! と甘えるエリザベスを、最初こそいつもの爽やかな笑顔で受け止めたバルガスだったが、可愛い幼馴染の上衣がないことに気がついた途端。それはそれは素晴らしい速さで自らの上着を被せて、何処までもスマートに浜へと戻ろうとした動じなさに、とうとうエリザベスがキレたらしい。──私怖い、だかなんだか。白々しいことを言いながら抱きついてやれば──あとは男女のちちくりあいなぞ、右から触るか左から触るか程度の違いで、ビビ達と取り立て語る程の違いは無い。「あれで反応しなかったらどうしようかと思いました」と、やたら満足気な親友に──自分も無意識にもっと酷いことをやってのけたことには気づかずに──うわぁ、と。お陰で見たことの無い目の色をしていた槍使いに同情を深めるばかり。慌てて砂浜へと向かわず、ゆったりと浜に平行に泳ぐ──沖に流された時の対処法を冷静に守りながら、段々と落ち着いてきたらしい親友に怪我がないか、痛むところはないかと念入りに確認をして、やっと陸に戻れた頃にはさて、男共の決着はどうなっていることだろうか。 )



  • No.566 by ギデオン・ノース  2023-09-09 17:03:13 




(エッヘ・ウーシュカという魔獣は、海の上ならば本来無敵だ。波間に沈まぬ不思議な蹄に、触れたが最後、決して離れられなくなってしまう恐怖の毛皮。魔法こそ使えずとも、一方的に近づいて絡めとった敵を海の底に引きずり込めば、あとは獲物が溺れ死ぬのを悠々と待ち詫びるだけ。暫くの後、赤黒く染まった海面に、ウーシュカの好まない犠牲者の肝臓だけがぷかりと浮かび上がってくる──本来そんな、悍ましい所業をしでかす怪物であるはずだ。
グランポートのウーシュカは、更にその上位種として生まれついた個体だった。ケルピーとの間の子たる彼は、普通のウーシュカには宿り得ない、水嵩を自由自在に操る力まで持っている。ただひとつ欠けているのは、有害魔獣には皆備わっているはずの、悪意に満ちた攻撃性だけ……いやまあ、あるにはあるのだけれども、人を取って喰おうという真に有害なそれではなく。せいぜいが、「色っぺえ姉ちゃんのいやんあはんを拝むぜぐへへ」程度の、実に低俗でくだらないそれなのだ。彼はとにかく美女に目がない。より言うならば、水着姿が大好物だ。故に、大胆な姿の彼女らが戯れに来てくれない寂しいビーチにはするまいと、他の魔獣を手あたり次第、勝手に蹴散らすほどである。ここらの魔獣を討伐しているトリアイナの連中も、彼がハイ・ウーシュカであると知りながら見逃してやっているのは、そういった事情によるもので。妙に人懐こい個体のようだし、まあ不埒な真似はいただけないけれども、放っておけばなんか勝手に働いてくれるからいいだろう、と。そんなわけでこのウーシュカは、わりと自由奔放に、のびのびと好き放題して生きてこられたのだ──今日までは。
今この瞬間、ウーシュカの眼前の波間に並んでいるのは、別に海上を走れやしない人間の雄がたった2匹。しかしその形相はさながら、片や修羅、片や羅刹。どちらも凄まじい怒りを立ち昇らせ、このウーシュカを、海帝リヴァイアサンが如き眼で睨み据えている有り様だ。「……バルガス、おまえ、魔法の腕は?」「ええ、たった今、覚醒したところです」──。無論、高知能とて人語を介さぬウーシュカに、男たちの会話の意味が正確にわかるはずもない。ただ、彼らは本気でこの自分を殺しにくる、ということだけが、はっきりと見て取れて。
一瞬の見つめ合いの後、派手な飛沫を上げてウーシュカが身を翻した。美しい黒毛の獣が、青海原を駆ける、駆ける。それはもう、伝説の駿馬グルファクシもかくやというほど、一陣の海風となって。だがその行く手に、掌にドラゴンの卵大の稲妻を掻き集めた壮年の雄のほうが、バチバチとそれを叩き込んだ。感電してひっくり返るウーシュカの太い胴体、そこめがけ。いったいどうやってか、海上から高く高く躍り上がった若いほうの雄が、魔法で錬成した氷の槍を大きく大きく振りかぶる。ウーシュカとて本当に死ぬとなれば必死だ、慌てて周囲の波を操り、圧倒的質量の水の盾で切り抜ける。忌まわしそうに叫ぶ若い雄、追い込めと叫びながら猛然と泳ぎ寄ってくる年嵩の雄。雷鳴が轟き、氷雪が荒れ狂い、大波がのたうち回った、その果てに──。「……おまえたち、いったい何をしているんです?」。雁字搦めに絡まり合った、馬一頭と男ふたりの目前に。小舟でようやく駆けつけたギルドマスターが、指鳴らしひとつで全ての現象を止ませながら、呆れた声を投げかけるのだった。)

(──かくして。ようやく浜辺に上がったギデオンとバルガスは、駆け寄ってきたそれぞれの女性に、奪い返した水着の上衣をしっかりと手渡した。代わりに優しくかけられたタオルで、濡れ髪を掻き込むその真横。しわしわの電気鼠のような顔をして浜に上がってきたのは、例のエッヘ・ウーシュカだ。頭をがっくり項垂れたまま、ギルマスからの静かな──誰もが居た堪れない気持ちになると評判の──説諭を喰らっている奴を見て。最初こそ、「ギデオンとバルガスが自分たちの女を巡って魔獣と決闘してるらしい」と面白がっていた連中も、そのけだものがマドンナたちの水着を盗んだと聞き知るなり、皆群がってやいのやいのと罵りはじめる。──その中からすっと進み出て皆を黙らせたのは、誰あろう、ダークオークも裸で逃げ出す恐怖の女山賊こと、カレトヴルッフ前代三人娘たち。「うちのビビとリズに──」「──不埒な真似を──」「──したんですってね?」。妖艶な大人美女たちに近寄られたことで、最初こそ性懲りもなく元気を取り戻したウーシュカだったが。彼女らと目を合わせるなり、ギデオンたちよりよほど恐ろしい敵に捕まったのだと悟ったらしい。その全身をがくがくと震わせながら、にこにこ顔のリッリが「ん?」を差し出す片手の上に。己を唯一支配できるもの、魔法で編まれた頭絡を差し出して……人間に対する完全服従を、自ら誓わされたのだった。)

(それから二時間ほど過ぎたころ。デレクとカトリーヌ主導によるスイカ割りを楽しんだ一同は(因みに、手からすっぽ抜けたこん棒がジャスパーの後頭部を見事強打する一幕があったものの、もはやお約束過ぎて誰も注目すらしてなかったとか)、いよいよ竈や網を持ち出し。普段より少し早い時間の夕食、豪勢なバーベキューで大いに盛り上がることとなった。大量の薪や食料を乗せた荷台は、もちろん例のウーシュカが嫌々曳いてきたものだ。「皆さん、どのお肉が欲しいですか?」と大皿片手に気を配って回るアリアに、先ほどからばくばくと焼肉を掻き込んでいるバルガスとギデオンだけが、「馬肉」「馬刺しをくれ」と、真横に控えるウーシュカ尻目に、息ぴったりに主張して。向かいにいるヴィヴィアンやエリザベスを破顔させたその後ろから、カレトヴルッフの招待したトリアイナの人々……その頭領たる海の男がやってきては、大笑いしながら馬の尻をバンバン叩き。「なアおめェ、食肉に潰されたくなきゃ、いい加減うちの馬になれよ。なあに、仕事を頑張ってくれんなら、ここ以外のビーチにも見回りに行かせてやっからよぉ!」──そう聞いた瞬間、みるみる生気を取り戻したウーシュカの、つぶらな瞳の輝きようよ。ブルヒヒィン! と汚らしい、喜びに満ちた嘶きよ。これからもこの愚馬は、港町の守り神として活躍することになるのだろう。今後金輪際、二度とグランポートには来るまいと、固く決意したギデオンである。)

(──そうして。五日間も続いたはずの訓練合宿は、あっという間に終わりを迎えた。片づけを済ませ、トリアイナの連中と別れを交わしたカレトヴルッフ一同は、昼のうちに荷造りを終えていた甲斐あって、すぐさまコテージを出発し。幌馬車に揺られること数時間……遥かキングストンに続く運河、その波止場へ辿り着くと、わいわいと押し合いへし合いしながら中型船に乗り込んで。真っ赤な夕陽に沈みゆくグランポートの海岸線に、いよいよ別れを告げたのだった。
川を遡上する関係で、帰りの船旅は二泊三日。この間もベテランたちは、今回の合宿のフィードバックやら、報告書の見合わせやらを行うのだが、合宿中に比べれば充分にゆとりがある。故に、ギルマスの新たな指示も聞きながら諸々の仕事を手早く片付けたギデオンは、すれ違ったアランと挨拶を交わし、デレクとカトリーヌを窘め(変顔を返された)。持ち込んでいる酒でも飲むかと入りかけた部屋で、何やら神妙に向き合っているレオンツィオとスヴェトラーナを目撃してすぐ踵を返し、結局何とはなしに甲板へと上がることにして。航路をだいぶ進んだこともあり、辺りには新緑の匂いが濃い。ここ数日はずっと潮風に吹かれていたが、やはり自分は森の人間なのだろう。樹の香りの方が、ずっと心が落ち着くようだ──そんなことを考えながら、デッキの柵に正面からもたれ、心地よい風に当たって。)



  • No.567 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-10 09:39:24 




 ( トランフォードの誇る華の王都、キングストンから南部を繋ぐ中型客船。その月明かり差し込む三等船室には、大河を遡上するペダルが水を漕ぐ低い音と、そのペダルを回す魔力が奏でる微かな煌めきが心地よく響いている。そこで書物を終えたヴィヴィアンは、ゆったりと窓辺に腰掛けて、ギデオンから貰った簪とスカーフを何度も何度も撫でては月明かりに照らし、ほう……と、うっとりした吐息を漏らしていたのだが。今晩は月が明るい、既に寝入っていたリズが眩しそうに寝返りを打ったのを見て、そっと静かにカーテンを締めると、一人静かに甲板へと上がることにしたのだった。
そうして、月明かりを反射して光る水面を何気なく眺めながら、良い場所を探して広い甲板をゆっくり一周しようとした時のこと。船尾から右舷の方へ曲がり視界が開けた途端、少し離れた柵にもたれ掛かる姿すら様になる相手を見つければ、思わずいつも通り飛びつこうとして、そよぐ髪の毛に一旦立ち止まったのは──ギデオンが似合う、と言ってくれた姿で会いたかった乙女心。新緑の風に広がっていた髪を捕まえ、赤いスカーフの髪留めの角度にこだわること30秒ほど。変な所がないか近くの窓でチェックしてから、再び跳ねるようにして駆け寄ると。今回ばかりは欄干の近く故、危なくないようしっかりと速度を殺して抱きつくと、柔らかく、しかし溢れんばかりと愛しさは伝わるように、背後からぎゅうぅ、と長く強く抱き締めて。 )

──……こんばんは、ギデオンさん。
こんな時間にどうされたんですか?


  • No.568 by ギデオン・ノース  2023-09-10 12:00:14 




(何やらご機嫌な軽い足取りが近づいてくる気配。おや、というようにそちらを軽く振り向きかけたところで、己に心底嬉しそうに飛びついてきたのは、無論恋人のヴィヴィアンだ。背後からぎゅうぎゅうと抱きしめてくる懐っこさに思わず苦笑し、彼女の腕の中で向き直ると、「おまえもまだ起きてたのか」とその前髪を掻き分けてやり。そのまなざしがふと、完璧に調整されたスカーフへと自然に移れば、相手の目論見通り、その目尻に愛しげな皴を無自覚に浮かべるのだから、相手にとってはさぞや遣り甲斐のあることだろう。背後の柵に背を預け、その疑似耳を指先で軽く弄びながら、穏やかな声音で返答を。)

ギルマスに言われたいろいろ書類をやっつけたんだが、もう皆寝入りだす時間だろう。たまにはのんびり夜風に当たってみようかと出てきたんだ。──まさか、おまえに会えると思ってなかった。



  • No.569 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-11 17:23:37 




 ( 前髪を梳く優しい指先と共に発されたのは、少し意外そうな口ぶりのそれ。皆と過ごしたグランポートが楽しすぎて、日常に帰るの最後の夜を眠って過ごすのが勿体なかった……なんて言ったら、子供のようだと呆れられてしまうだろうか。そう無言でただ小さく微笑み、私だって夜更かしできるんですよ、というふうに。けれども、どうしようもなく安心してしまう相手を目の前にして、少し眠そうな目を閉じ胸を張って見せれば。スカーフへと手が伸ばされる感覚に、何処か得意げな表情が益々誇らしげに綻んで、ギデオンに触れられていない方の耳がぴこりと元気よく揺れるだろう。 )

私も、会えると思ってなかったから嬉しいです。
髪飾り、本当にありがとうございました……そうだ、今お時間ありますか?

 ( そうして、ギデオンの穏やかな声音に、にっこりと人懐こい笑みを返し。触れられているのは擬似耳にも関わらず、相手の指に擽ったそうに小さく首を竦めれば。頭上のそれにはっと瞳を丸くして、「本当は家に帰ってから渡すつもりだったんですけど」と、腰に括りつけた袋から、小さな包みを相手に差し出すだろう。グランポートの海を思わせる、深い蒼色の包みの中身は、一見ただの白く美しい巻貝。一番最近増えたヴィヴィアンの宝物、今頭上で揺れる紅いスカーフと翡翠の簪のお礼を考えた際、今までの経験上、ギデオンが喜ぶものと言えば、美味しい物か、美味しい物か、美味しい物か──……。その大きな口を開いて嬉しそうに頬張る恋人は愛しい限りだが、簪の価値を思うと、お礼が食べ物では流石に……と思い悩んでいたその時。もう一つ目の前の相手に分かりやすく"喜んでもらえるモノ"の存在を思い出せば、勢いのままに用意してしまったのだが、果たして。一晩かけて探したグランポートの浜できっと一番美しい真っ白な貝殻、ビビの魔素を込められて、任意のタイミングでその魔素を解放できる作りになっているそれは。最終的には任意の魔法を誰でも使えるようにするのが目的の試作品だが、魔素の相性の良いギデオンならば、多少の回復とビビの気配を感じるには充分な代物だろう。そんな、自らで自らの価値を高く見積もるような贈り物に、説明しながらやはり恥ずかしくなって口を噤むと。その視線をギデオンから逸らして、暗い水面に投げかけてしまって、 )

職人街の……ほら、前に紹介してくださった──カイロのことを話したら、もっと魔法を色んな物に保管して持ち運べたらって話になったんですけど。ん……と、説明が難しいな……それはまだ試作品なので魔素が魔法になってくれないんです。
でもほら、ギデオンさんなら私の魔素だけでも……また明後日から忙しくなるんでしょう? 遠征中とか、少しでもギデオンさんが休めたらいいなって思ったの、


  • No.570 by ギデオン・ノース  2023-09-11 21:00:13 




? 存分にあるが……、

(はにかんだり、安心しきったり、眠たげになったり、誇らしげに微笑んだり。こちらを見上げる恋人の表情の、月明かりの中でさえくるくると色鮮やかなこと。いつまでも見飽きないそれに、ギデオンは酷く満ち足りたまなざしを投げかけていたのだが。目の前の彼女が何やらごそごそしはじめると、不思議そうに首を傾げ──その薄青い双眸が、すぐにもあどけなく見開かれて。
もたれていた背中を起こし、「…………」と黙ったまま。掌の上に取り出した真っ白な貝殻を、そっと撫でて確かめる。──ヴィヴィアンと過ごして1年。才も知識もずば抜けた彼女を見つめているうちに、いつしかギデオン自身まで、複雑な魔素の働きを読み解けるようになっていた。故にわかる、故に目を瞠る。この自然由来の魔導具は、一見すれば、単に魔素を込めただけのシンプルな造りのようでいて……その実、使い手がどんなに疲労していても望む効果を引き出せるよう、簡単に壊れぬよう、非常に高度な魔法陣が編み込まれているらしい。巻貝自体はグランポートで採集したものだろうから、このところのほんの数日で作り上げてみせたようだ。──最初こそ、そういった技術面のほうに感嘆していたものの。試しに今ここで、指先を動かす程度の魔素を込めてみればどうだ。ぽわりと優しく光った貝殻から、温かい感触が──何度も何度も馴染んできた、ヴィヴィアンの魔素が溢れてきて。身体が回復する分以上に、胸の内が思いがけぬほど深く深く満たされ。愛しげに目を細めたギデオンが、はにかむヴィヴィアンの頬に手を添えて振り向かせ。その大きな額に、瞼に、唇に、感謝の口づけを落としていったのは、もはや必然としか言いようがない。)

──これ以上ないよすがだ。
ありがとうな……大事に持っていくとも。

(ようやく礼を伝えたものの、余程嬉しかったのだろうか。相手に顔を寄せたまま、癒しの波動を放つ魔導具を、掌の内で何度も何度も転がしては。余裕たっぷりな表情、涼し気なすかし面、意地悪く揶揄う笑み──いつも浮かべているそれらは、全くの別人のものだったかと思うほど、ただただ純粋に目元や口元を綻ばせている有り様で。ふと瞼を閉じると、額をすりと擦り付け、空いたままの左手を、彼女の右手へ密に絡める。ちょうどこのとき、たまたま甲板に出てきたギルドの連中が、「シュガールが兎に甘えてやがる……」だとかなんとかぼやきながら即退散していったのだが、ヴィヴィアンに夢中なギデオンは、ろくに気づかないほどで。そうしてもう一度、高い鼻面を彼女のそれに擦りつけ、喜びようを再三伝えたかと思うと──次に開いた目は、何故か酷く残念そうに、繋いだ手の方に注がれる。……体内の魔素がきちんと循環しているということは、あの大怪我から回復したこれ以上ない証左であるから、別に否やはないのだが。自分だけが与えられてばかり、マーキングもし足りないとでも言いたげに、不服そうな面持ちだ。)

俺も、おまえに残していけるほどの魔力があれば良かったんだが。あのとき分けた分は、もうとっくに抜けたろうな……



  • No.571 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-12 21:07:37 



んっ、いえ…………。

 ( こんなに喜んでもらえるとは思っていなかった、と言えばそれは嘘になる。きっとこの人は自分のプレゼントを心から喜んでくれるから──帰ってきたらちゃんと使ったか確かめますから。ちゃんと休まないとダメですよ、なんて言い募って……と考えていた展開はしかし、そうはならなかった。これまで見たこともない愛らしい表情に、愛しそうに撫でる優しい指。ギデオンが喜んでくれて嬉しい筈なのに、この胸のもやつきは一体──私、自分で贈った物に嫉妬してる……? そう気がついた途端、たったそれしきの回復量で。私の方が癒してあげられるのに。褒められるのも、撫でられるのも、全部全部私の権利なのに。と、次々擡げるドロドロとした嫉妬心に──提案したその行為が、一部界隈でマニアックな其れとして知られている行為だなんて知りもしなかった。ギデオンがやっと貝殻から視線を外して、此方へと顔を擦り付けてくる仕草に、やっと少し溜飲を下げ。複雑に繋がれた掌を意識すると──あった、これだ、と。慣れない動きでそっと重ねたのはお互いの魔力弁。普段無意識で使っている其れは、少しでも意識を逸らすと直ぐにどこにいったか分からなくなりそうで。これを緊急時に、的確に狙って繋げられる相棒はやはり凄い。そうして、しっとりと紡いだお強請りに重ねるように、その魔力弁を吸いつかせてみるものの。上手く出来ているかよく分からずに、分厚い胸板に身体を預けると、弁の代わりにちうちうと、二、三度相手の唇へと吸い付いて )

……じゃあ。今度は交換、しましょ?
私もギデオンさんの、欲しい……ね、


  • No.572 by ギデオン・ノース  2023-09-13 13:40:40 




っ、……!?

(掌の内側を、甘く吸われるような感触。動揺に揺れるギデオンの瞳が、自然とヴィヴィアンの方を向く。しかしそこで目を伏せているのは、もはやいたいけな生娘を脱ぎ捨てた彼女だった。ほんの数日前、こちらのちょっとした素振りにも慄いていたくせに……ギデオンの魔力弁を拙くむしゃぶるその情態の、なんと淫りがましいこと。舞踏会の前、小屋での一夜、カレトヴルッフの医務室、聖バジリオの窓辺──今まで何度か、女らしい顔をした彼女を拝んできてはいるはずだが。ここまで芳醇な、魔性の色香を醸し出すヴィヴィアンなど、己は知らない……そう、ついに恋仲になった今。彼女の中の嫉妬の箍を無意識に外したことなど、朴念仁なギデオンは、まるで自覚してはいなかった。そんな戸惑ってばかりの顔が、ありありと隙だらけだったからだろう。柔くしなだれかかってきたヴィヴィアンに、やっぱり上手くできないから物足りないとでも言わんばかりに、いっそ厭らしいあどけなさで、甘ったるいキスを乞われれば。また無責任な煽り文句を──なんていつものお説教は、もはや脳裏によぎりもしない。──相手のお望み通り、いとも容易く、同じ深みへと心が堕ちて。)

……あの時は必死だったから。上手くできるかな……

(いつもの己らしくない、酷く砕けた、甘えたような口ぶりは。甘い快楽へ身を委ねゆく、無防備さの表れだろう。少しだけ顔を傾けて微笑みながら、大切な贈り物を脚衣の隠しにしまい込むと。下にやった手をそのまま、彼女の楚腰を這うように添え──あまつさえ、欲もあらわにさすりつつ。繋いだ左手の五指の先にも、脈打つように力を籠め、より掌同士を密着させては、己も吸い返そうとする。──けれども、互いの弁が壊れて孔が露出していたあの時とは、難易度が違うせいだろう。やはりギデオンも、上手く弁を合わせられずに、四苦八苦してしまう様子だ。目に見えぬ魔法器官のなかでも、魔力弁は魔髄とは違い、流動的な性質を持つ。特に訓練を積んでいるわけでもなければ、そもそも意識的に動かすことすら難しいはずのものだから、十数秒ほどはささやかに試行錯誤してうたけれども、結局は意識が散るのにもどかしくなり。上に下に組んでいた手を、もう一度熱く絡め直せば。甘えん坊な花唇に、たっぷりと応えを食ませて──結局ふたりして耽溺するのは、いつもそおりのそれだった。
故に、それは偶然だったのだ。青い月明かりの下、それでも宵闇の暗がりに囲まれているせいだろう、船が僅かに進行ミスを犯したらしい。がくん、と軽い揺れが起き、後ろによろめきかけたヴィヴィアンの身体を、唇を押し当てたまま力強く支えようとした……その時。もののはずみでぴったりと重なった魔力弁、そこから己の魔力がどろりと流れ込む感触。反対に、ヴィヴィアンの魔力もまた、こちらにとろりと溶け入ってきて。その既知のようでいて、ほとんど別物と言ってもいい、鮮烈な感覚に。一瞬「!?」と体を固め、糸を引きながら唇を離すと、蕩けていた顔を呆然と見合わせる。──今のは、一体。)




  • No.573 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-13 23:46:12 




……? ……ギデオンさん、可愛い

 ( あの時そうしてくれたから、現にこうして自分は生きているというのに、この行為に上手いも下手もあるのだろうか。ゆっくりと此方に向き直り、無防備に微笑む恋人を前にして、ただ分かるのは相手が愛おしくて堪らないということだけ。腰を摩る手に頬を赤くしてはにかめば正直、あの忌々しい貝殻から、この人の腕の中を取り戻せただけで随分と満足してしまったのだ。その証拠に、頼もしい胸板に空いた掌を添え──求められるがまま、許されるがまま、その下唇を吸い、夢中になって厚く熱い舌を食んでいれば、それが結局いつもと何ら変わらない触れ合いだと言うことなど微塵も気にならず。じわじわと上がる体温に瞳を閉じて、その体重を完全に相手に預けてしまおうとしたその時だった。古い機械が軋む音をたてながら、がくん、と揺れた足元に、一瞬何が起こったのか分からなかった。突如、胃の底がぶわりと熱くなったかと思うと、繋いだ手も、大きな手が滑る腰骨も、反対に此方から添えていた左手も、そして密に触れ合っていた唇も、相手と触れ合う全ての箇所が蕩ける程に気持ち良くて。パチパチとスパークする視界に、それまで精々湿った吐息を時折漏らすだけだったにも関わらず、まるで仔犬のような鼻にかかった声を漏らすと。切れて落ちた銀糸が胸元を濡らすのも気にせずに、ギデオンと顔を見合わせ。未だ先程の衝撃に呆然としたまま、こてん、と首を傾げる。そうして、酒に酔ったような表情で大好きなアイスブルーを見上げながら、ふにゃりと小さく微笑むと、強請るようにもう一度右手を握り直して。 )

……あ、は。気持ち良かった、ね……?


  • No.574 by ギデオン・ノース  2023-09-14 02:03:52 




(──ずっと後になってわかったことだが、この一種のアブノーマルプレイは、魔法適性が高い者ほど習得が早いらしい。ヴィヴィアンが小さな悦をすぐにも極められたのも、ギデオンの方はまだそこまでの快感に襲われなかったのも、つまるところそういうことだ。しかしながら、戸惑うギデオンが理性を取り戻していられたのは、結局はごく一瞬。不思議な快楽にふわふわ酩酊した恋人の、その表情、その仕草、その声音を向けられて、脳の奥が激しく焼け落ちない男などいるだろうか。元々、熱烈な睦み合いに溺れていた矢先なのだ……ギデオンの視線はわかりやすいほどに揺れ、その瞳孔が暗く広がり。我知らず喉が鳴り、言い様もなく体温が高まり、呼吸は浅く、早くなる。……今はまだ追いつけぬ身だというのに、それでも、ヴィヴィアン自身の媚態のせいで、彼女と同じくらいに興奮しているこのざまだ。それを己で宥めるべく、一度目を閉じ、静かに息を整えたのは。数日前の反省、同じ過ちを犯したりして彼女を怖がらせないため。──否、違う。本当のところは……この摩訶不思議で甘美な遊戯を、絶対にやめたくなかったからで。)

…………、

(もう一度、小さく唾を呑んでから。どこか眠たげにも見えるほど蕩けたまなざしを向け、ようやくのことで微笑み返すと。すぐにまた目を閉じながら、少し頭を屈めるようにして額を寄せ。ささやかな呼吸すら感じ取れるほどの距離で、静かに手と手を握り合う。今のギデオンは要するに、そうと知らずに──知ったところで同じだろうが──相手のお望み通りのまま、ただ目の前のヴィヴィアンに集中しきっている状態。掌に感覚を集め、己の魔力弁らしきものをどうにか制御下に置いてみせると、今度はそれを使い、彼女のものをもう一度探り当てようと試みる。……だが、やはり至難の業のようだ。怪我で動かなくなっていたあの時と違って、もうお互いの魔力弁がとっくに回復し、その流動性を取り戻しているせいだろう。何度かそれらしい感触が掠めたものの、上手く捕まえておけないようで。「こら、そんなに元気に逃げ回らないでくれ」なんて、相手もその気はないだろうに、笑んだ声で冗談を。そうして戯れ合いながら、それでもその手元だけは、あの時の陶然としたヴィヴィアンをもう一度呼び起こすべく、真剣に探し続けるのだ。その執念を厭らしく思われたとて、仕方がないことだろう。──結局それ自体が楽しくなって、飽きもせず長い間探り合っていた時のこと。不意にようやく巡り合った魔力弁が、もう一度上手く食み合う感触に。無言のまま見開いた目を、そっと相手と合わせると。その視線を艶っぽく伏せ、少し息を震わせながら、魔力を流し込みにかかる。──今度はギデオンも、ごく小さく声が出た。押し殺していたのに思わず漏れ出たような、無性音に近い声だったが。どろりと──溢れるように──己の魔力が直接恋人の中へ吐き出される感触に、今はまだ鈍い快感が、それでも鳩尾からじわじわと立ち上る。肉欲のそれと限りなく似ているが、あれとはまた違う──もっと深く、もっと熱く、もっと穏やかなそれのようだ。触れ合っている掌同士だけでなく、心臓が直接蕩けるような感触を覚えるのは、相手も同じことだろうか。「……ヴィヴィアン、」とわけもなく名を呼んだのは。己の味わう混乱交じりの快感を、自分にとって確かな存在を頼りに、まっすぐ受け止めたかったからで。)



  • No.575 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-15 13:43:47 




 ( この時、ビビが絆されていたのは、未知の快楽にだけではなく。あのギデオンが素直に自分に甘えてくれたこと。そして、それを自分も拒絶せずに応えられたことが、心底から嬉しくて堪らなかったのだ。それもお互いの魔素を交換する、いつも仕事でやっているそれと変わらない健全な行為が。ただそのやり方を変えただけのことが、こんなにも温かで満ち足りた気持ちになれるものだったのだと……今度、アリアにも教えてあげようかなぁ、なんて、頓珍漢なことを考えていたものだから。ギデオンの瞳がただ甘いものから、此方を捕食せんとするそれに変わりゆくことなど気づきもせずに──早く、早く、と。瞳を閉じた相手の事情など思い知らぬまま、無防備になった唇、頬、耳へと軽いキスを繰り返すと、繋いでいた右手をゆらゆらと無邪気に揺らして続きを強請り、 )

──逃げてないですけど、擽った、くて……ふふ、ギデオンさんこそ、ちゃんと捕まえてくださいよ、

 ( そうはいっても、慣れぬ行為に中々上手くはいかぬまま。ギデオンの意識の全てを、此方に捉えて離さぬ快感にうっとりと微笑み。時折、瞳を閉じている相手の顔のあちこちを悪戯に?ばんでは、相手の集中力を掻き乱して遊ぶこと暫く。不意に合った魔力弁に、「あっ」と期待の色がこれでもかと混じった吐息が漏れて、此方を射抜くアイスブルーが、色っぽく伏せられる光景に身体が震えた。──とろり、とろりと流れ込んでくる量を超えないように、繋いだ手に意識を集中させると、余計に感覚が鋭くなるようで。じわじわと溜まる快感に、表情に気を使ってる余裕もなくて。合わせた掌がズレないよう、そっと静かに抱きつくも。これで人心地つくどころか、触れ合う面積が増えたことで益々快感は増すばかり。頭は茹だってクラクラするし、布越しに触れ合う全ての部分と、それよりもずっと酷い熱が臓腑に溜まって、今にも全身溶け出しそうだ。じくじくともどかしく溜まる快感に、時折溜まりかねた腹や肩がぴくぴくと跳ねて、その度に漏れる吐息を堪えているつもりで、布越しの肩へ熱く吹き込んでいるのだからまるで意味が無い。とはいえ、初めての刺激にも段々と慣れて、ぎゅっと閉じていた瞳を、ゆっくりと持ち上げようとしたその時だった。──がくん、と。急に視界が揺れたかと思うと、繋いでいた手が大きくズレてしまい。ギデオンの胸の中、最初こそ何が起こったか自分で分からず、ただぼんやりといつもより早い呼吸を繰り返す。しかし、徐々に思考がクリアになれば、嫌でも理解はあとから着いてくるもので。まさか、腰を抜かしたのだと──いくら大好きな人の大好きな声でも、ただ相手に名前を呼ばれた、それだけで……。その瞬間、それまで何処かぼんやりしていた桃色の頬に、月明かりでも分かるほどカッと鮮烈な朱がさして、必死にギデオンにしがみつきながら、何が違うのか、混乱のあまり寧ろ全てを白状すると。その囁かれた方の耳を抑えながらへなへなと、力なくつかんでいた腕を離して。呆れられてやしないかと、おずおずとギデオンを見上げた視線は、どこか子供のようなあどけない不安が満ちていて、 )

──……あ、うそ……わたし腰抜かして……うそ、うそ! ちがうんです、
ギデオンさんが、急に耳元で呼ぶからっ……、


  • No.576 by ギデオン・ノース  2023-09-15 15:21:15 




(肩口に熱く吹き込まれる吐息が、少し和らいだかと思われたそのとき。ギデオンが思わずその名を口走るなり、かくん──と。折れるように、或いは跳ねるように、ヴィヴィアンの身体がわかりやすく反応し、それまで絡み合っていた魔力弁が呆気なくほどけてしまった。自然、目を閉じて快楽を追い求めていたギデオンも、まだ息の浅いまま、腕の中の恋人を無意識に抱きとめたまま、再びぼんやりと彼女を見つめ。──余裕がなくて気づかなかったが、今の数十秒ほどの間、相手はギデオン以上にたっぷり蕩けきっていたらしい。その余韻が未だ色濃い花のかんばせが、それでも今や羞恥の色に取って代わられ、明らかにおろおろと恥じ入っている様子である。妙な反応を示したことではなく、些細な何がしかに強く反応してしまったこと、そちらに混乱しているようだ。……その、純真無垢ゆえ大きくズレた、可笑しな慌てようを見て。ギデオン自身、相手に溶け入っていた気持ちよさに未だまだぼんやりした面差しのくせに。「……っふ、」と、いつもの自分を取り戻したの如く、顔をくしゃくしゃにして笑い始め。)

っく……“腰を抜かした”か……そうか、そうだろうな。くくっ……

(無論、呆れちゃいない。呆れちゃいないが──まったく、随分と可愛らしい表現をするものだ。「悪い、悪い」と白々しく謝りながら、不安げな様子が可愛かっただけだ、別に何もおかしくないさと、安心させるように言い聞かせて。……今のが何に等しいのか、今この場で教えてしまうのは、内心躊躇われた。あの怖がりなヴィヴィアンが、“これ”となれば、こんなにすんなりギデオンを受け入れてくれたのだ……少しの不安も抱かせたくない、この先も安心して身を委ね続けてほしい。故に、ほどほどで笑いの発作を収めると、まだ足腰に上手く力が入らないだろう相手を、しっかりと支え直し。余韻の残る左手で、相手の愛らしい額を二、三撫でてやりながら、酷く満ち足りたような声で、強請るような物言いを。)

なあ、今の……良かったな。
やり過ぎると体に毒かもわからないから、弁える必要はあるだろうが。
帰ってからも、また時間の取れる時にでも……もっとゆっくり、おまえと試したい。……いいか?



  • No.577 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-16 17:44:08 




じゃあ、笑わないでくださいよ……!

 ( ビビとて経験こそないが、今年で24になるいい年をした成人女性である。そういう行為の果てに起こるらしい現象のことは、知識としては持ち合わせていたものの。幸か不幸かビビの中で、このあたたかな"健全な行為"と、淫らな象徴であるソレは繋がらなかったらしい。その上、無意識ではあったが、その初めての経験の余韻も、あまりに突然のこと過ぎて。未だ快楽を拾うよりも混乱が勝って、楽しげに肩を揺らし出す恋人への怒りに霧散してしまい。ギデオンの『おかしくなんてない』という言葉にホッと表情を緩めながらも、じゅわりと潤んでいた瞳をキッと釣り上げたかと思えば、意地悪な彼の分厚い肩に柔らかな一撃を入れずにはいられないのだった。
そうして、暫くは唇を尖らせたまま、ぷくぷくとご立腹の様子で相手に甘え倒していたものの。ギデオンにされるがまま、大人しく抱え直され、大好きな掌に額を二、三撫でてもらえば。けろりと機嫌を治してしまって、自らもその腕を相手の腰に回すと──それは、例の如く、なんの悪気もない、優しい恋人に甘えただけの一言だった。ギデオンの甘い声に、最初はただ静かにこくりと頷いてみせてから。不意にもじもじと俯いたかと思うと、周囲に誰がいる訳でもないのに、相手の耳元に唇を寄せ。うふふ、と小さくはにかんでから、語尾にハートでもつきそうな、減量中のつまみ食いの様な呑気なテンションで告白をして、 )

私もしたい、です、けど…………ねえ、ギデオンさん。
人から魔素を貰うのって……こんなに気持ちいい、ものなの……?
私、弁えられなくなっちゃいそうだから、そしたらギデオンさんが止めてくださいね、


  • No.578 by ギデオン・ノース  2023-09-17 00:39:50 




──………

(本当に……本当に、相手はどこまで、無自覚に煽ってのけているのだろう。耳元にそれはそれは甘い囁きを吹き込まれたギデオンは、彼女の目に見えぬところで、一瞬途方もなく遠いまなざしを投げかけた。──だが、もうそろそろ、慣れっこだ。ヴィヴィアンは何度も何度も、こうしてギデオンを無自覚に煽る。それに己は、ぐちゃぐちゃに振り回されながらも、惚れた弱みで理性を利かせる。その一連の流れについては、もうお約束のようなものとして、親しみすら湧いているほどだ。これからも、彼女がそれに臨めるようになるその日まで、ふたりでずっとこれを繰り返すのだろう。しかし思えば、彼女のためにそう在るともと約束したのは、他ならぬギデオン自身。ならばこのもどかしさは、結局のところ、自業自得としか言いようがなく。
そう諦めをつけ、もとい、腹を括ってしまえば。目を閉じながらごく小さくため息を零し、顔を横に向けて。彼女の柔らかい頬に唇を軽く押し当て、ごく優しく、愛撫するように何度も滑らせる。そうして無言の承諾を済ませてから、静かに目を開け、相手と視線を絡ませると。頭を撫でていた掌を、相手の反対の頬に添え。その内心の欲望に不似合いなほど、穏やかに微笑んでみせて。)

……その代わり。
他の件では、いつかは止まってやらないぞ。

(そのあっさりと開き直った宣言は、ギデオンなりの反撃の狼煙、溜飲の下げ方のひとつだ。「他の件………?」、そう繰り返しながらこてんと小首を傾げたヴィヴィアンに、何でもないさ、と肩をすくめれば。不意にひょいと抱き上げ、数歩運んでいった先は、甲板に誂えられたベンチ、去年もふたりで腰掛けた場所。「ちょ、ちょっと! 誤魔化さないでくださいよ、いったい何の……」話、と食い下がろうとした唇は、さっさと塞いで黙らせてしまう。敏い彼女のことだ、何のことかは無意識に勘づいているのだろう。それ故理解を拒みながらも、確認せずにいられないのだ。
しかし、ベンチに腰掛け、ヴィヴィアンを膝に乗せたギデオンは。無垢で無自覚な娘のおいたを少し叱るような気持ちで、その唇の奥の奥まで、たっぷりと、飢餓感を込めて掻きまわした。緩急のリズムをつけながらも、息継ぎの暇は碌に与えてない。無論、単なる意趣返しであるだけでなく、悪だくみありきのことである。こちらのこなれた──ようやく少しだけ本気を出した──舌遣いの技も相俟って。案の定ヴィヴィアンは、ぽやん、と再び蕩けきった様子。あとあとになってこの直前のやりとりを思い出すかもしれないが、今この場で誤魔化せたなら、それでいい。そう満足げに小さく笑い、こちらの胸板にもたれかからせながら、よしよしと頭を撫でてやる。
そうして、月明かりのなかふと見つめ合い──「好きだよ、」と。大事な宝物にかけるような優しい声音で、もう一度、「おまえが好きだよ」と。繊細な話をキスで誤魔化す卑怯さには重々自覚があるけれども、ヴィヴィアンを心底大事に思っていること、それだけは再三念入りに伝えよう。その気持ちにたがえるような真似は決してしない、さっきの台詞とて、あくまでおまえがちゃんと平気になったらの話だ……そう言葉の裏で誓うように。──いつかのその日、ギデオンは心行くまで、ヴィヴィアンに甘え倒すつもりだ。だからそれまでの間だけは、せいぜい大人な紳士のふりを、彼女のために演じてみせよう。そのうち、ヴィヴィアンにもわかるときがくるだろう……晴れて恋人同士になった今、ギデオンの胸の内には、きっと彼女の想像以上に、大きく重たい感情が渦巻いていることを。ひた向きな思いも、邪で浅ましい欲も、今となっては、その全部が、世界中でヴィヴィアンだけに捧げるものだ。しかし今はまだ、知らなくていい。これから何年も……もしすれば、残りの人生すべてをかけて、相手に伝えていくのだから。)

……楽しかったな、訓練合宿。
そのうち、二、三日の休みを一緒にとれたら、今度はふたりで──どこへ行こうか。

(川のせせらぎ、森のざわめき、優しい月明かりに満ちた世界。その片隅でふたり仲良く、体温を溶かし合いながら。──1週間の賑やかな小旅行は、あっという間に幕引きを迎えた。
以前のギデオンにこの光景を教えたところで、そんな未来が来るなんて、きっと絶対に信じなかっただろう。そもそも自分の変貌ぶりに、そいつは誰か別人の話じゃないか、なんて、真顔で抜かしたに違いない。それくらい、当時のギデオンは、己がヴィヴィアンに寄せる想いにほとほと無自覚だったのだ。──そう、例えば、5カ月前も。)




──参ったな……

(偉大なるカダヴェル山脈より南。質朴剛健ながらも美しく、今は年明けの雪化粧が施された街キングストン。その中心部からほど近い場所に臥城を構えた、カレトヴルッフのギルドにて。早朝の明るい日差しが差し込むロビー、そこにはいつもより大荷物を抱えたむさくるしい連中ががやがやと賑わっている。しかしその奥、自身もしっかりと旅装を纏いながらも……なぜか物憂げに眉間の皴を深め。手に持った一本の鍵を難しい顔で睨んでいるのは、ベテラン戦士のギデオン・ノースだ。
──畜生、ミスった。こういう些事はきっちり済ませるはずの己が、すっかり失念しきっていたとは……。今日から始まる野営続きの探索クエスト、その主戦力として、ギデオンもまた、今朝いきなり駆り出されてしまったのだが。ギデオンの住んでいる単身者用集合住宅、その大家が体調を崩して入院しているのを、すっかり忘れきっていた。あの爺さんが今動けないということは、留守中のギデオンの家の様子を見てくれる者が、誰もいないということになる。それは困る……非常に困ったことになる。
遠征自体は1週間かそこらだから、別にシーツ干しだの掃除だのができないことを憂いているわけではない。──真冬の、特にこの年明け数ヶ月の時期は、暖を求めた悪性妖精が、ひとけのない家を狡猾に見定めて、勝手に上がり込み悪さをするのだ。おまけに確か……食糧棚に、肉や野菜を入れっぱなしだった。今日は午後には帰ると思って、昨夕路上で安売りされていたそれらを、買い込んでおいたせいだ。腐って蛆が湧くのも嫌だが、腐肉の放つ魔素につられて、厄介極まりない魔虫の類いを引き寄せるのは、もっと嫌な展開である。処理するのも面倒だし、家を傷めるようなことがあれば、爺さんに申し訳が立たない……修繕費だってかかる。とにかく、至急対処が必要だ──なのに、そのあてがないときた。
東広場発の馬車に乗るのが、今からたった十五分後。とてもじゃないが、自宅に戻って隣人に頼む暇はない。かといって、ギルドの誰かに留守中を頼むとなると……と見渡しながら、望みのなさにため息をつく。周りの連中はご覧の通り、ギデオンと一緒にクシャロ湖へ旅立つ奴らばかりだし。今日に限ってマリアは非番。そもそも彼女は苦労多きシングルマザーで、妖精除けのチェックをしてくれなどという大迷惑は頼めない。独身の友人連中はまだギルドに来ていないようだし、かといって、そこらの新人に私用を頼むのは駄目だ。己の肩書がなまじ少々特殊なばかりに、職権濫用だと問題になる。ほかに目につく人間といったら、昨夜よっぽど飲んだのか、掃除用バケツをほっかむって床に寝っ転がっているマルセルとフェルディナンドだけ。こいつらに鍵を預けるくらいなら、ヘカトンケイレスの方がマシだ。
「何かあれば、お隣か知り合いに留守を頼んでおくように」。大家の爺さんにも、そう事前に言われていたのに。それを忘れて咄嗟に遠征を引き受けた、その迂闊さのせいでこの窮状だ。いったいどうしたものか……と、声を出さずに呻きながら。カウンターに肘をつき。片手で頭を抱え込むその姿は、ほとほと困り果てているとった有り様で。)



  • No.579 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-17 12:50:22 




 ( 若い女の声にならない叫びが、夜の甲板にしっとりと響く。聞き捨てならない宣言への不満は、大きな口に食べられてしまって。熱い舌にグチャグチャに掻き回されると呼吸が出来ない……訳でもないのだが、声を出さない呼吸の仕方が分からない。必死に息を我慢して、我慢して──それでも、長いキスに耐えきれなくなって、何度も何度も、耳を塞ぎたくなるような声をあげさせられて。その内なんだか、頭の奥が痺れたかのようにぼんやりとしてしまって、いつの間にか収まっていた胸板と優しい掌に、すり……と顔を頭を擦りつけながら。耳も腰も、全身砕けて溶けだすような言葉に、ニコニコと相槌を打っていたものだから。ふと相手が零した質問に──どこへ行こうか……。海はもう行ったから、今度は緑が綺麗なところがいいかなぁ。秋になったら沢山美味しいものが取れるだろうし、きっとギデオンさんが喜ぶだろうな。それとも、もっと都会の街中で、今度は朝から一日中ショッピングデートが出来たら。今度は私がギデオンさんに似合う物を見つけてあげたい。でも、本当は私、今の家が1番好き……朝ゆっくり起きて、ギデオンさんの朝ご飯を食べて、人目を気にせず ずっとぎゅってして、好きなだけキスもしたいし、夕飯はギデオンさんのリクエストを聞くの。ううん、でも私ギデオンさんといられるなら結局何処でもいいなあ──なんて、脳内で考えたこと全て口から垂れ流しになっていたなんて気づきもせずに。もうこの人がいなかったら生きていけないかも、なんて。たった数ヶ月で弱くなってしまった己に苦笑して、それから数分後か数十分後か。先程誤魔化してくれた腹いせに、そろそろ船室に戻ろうと促す相手にしがみつき、抱っこで連れてってくれなきゃ戻らない、と駄々を捏ねたその結果。涼しい顔をしたギデオンに本当にやられかけたのを、慌てて飛び退くその瞬間まで、その心地よい温もりをひしと掴んで絶対に離さなかった。 )

──おはようございまーす! あっおはよう……ええ、新年おめでとうございます、

 ( そんなビビもまだもう少し強かったはずの年始、カレトヴルッフ。忙しい冒険者たちの中には、まだ新年あけまして初めて顔を合わせる連中もチラホラ混じる厳寒の季節。今の時期のメイン収穫物になる、熱で溶ける魔物の素材を駄目にしないよう、室内にしてはやや低めに温度設定されたギルドのロビーに、鮮烈な赤を靡かせて颯爽と入ってきた娘は、まずいつもの掲示板に向かおうとして、カウンターに愛しの相棒を見つけると。その華麗なターンに舞うマフラーの優雅な様に、その贈り主を知っていて尚、目を惹かれずにはいられない男達の多いこと。しかし、そんな男たちの淡い恋心など露知らず、冬でも元気一杯の娘は、今日も今日とて片思いを公言して幅からない相棒へと一目散に飛びついていく有様で、 )

おはようございます、ギデオンさん!
今日はもうご予定決まってますか? まだでしたら一緒に行きたいなあって……


  • No.580 by ギデオン・ノース  2023-09-17 15:58:37 




(それはまさに、清かに吹き渡る桃色の春風。若手ヒーラーの明るい声が飛び込んでくるなり、肌寒かったロビーの空気は、明らかにがらりと様変わりした。あれっ、今四月だっけ。いやいや、ついこないだ年が明けたばかりだろうよ。けどよぉ、なんだか急にぽかぽかとあったかく……なんだか辺りに花まで咲いて……。物々しい装備をした大柄な男たちは、その見てくれに似合わぬ寝言を、めいめいふわふわ口走る始末。瑞々しい挨拶を振りまくマドンナが、右に左に歩くたびに、がん首揃えて惚けるざまだ。しかし次の瞬間、男たちはその全員が全員、醜いオークのような顔でぎりぎり歯ぎしりをする羽目になった。──うら若いヒーラー娘が、ぱあっと嬉しそうな顔をして駆けだしていった先。その赤い首輪をつけた張本人のくせして、彼女を振り返りすらしていない、気障な野郎がいたからだ。)

……ん、ああ、おはよう。

(カウンターにもたれていたギデオンは、飛びつかれて初めて気がついたような様子で、相手の方を振り向いた。その気怠げな表情には、さしたる感動も窺えない──あのヴィヴィアンが親密に戯れかかっているというのに、なんと傲慢な態度だろう。しかし去年までと違い、たじろいだり疎んだりする様子もほとんど窺えないないことを、観察眼のある何人かは見抜いてしまったかもしれない。
そんな周囲の注目はまるで目に入らぬ様子のまま、「悪いが、俺はこれから数日がかりの遠征だ。急に頼まれた仕事でな……」と、両手を軽く広げながら、ギルドのロッカーから引っ張り出した遠征仕様の格好──いつもの皮鎧より、幾らか本格的な武装──を、相棒に披露してみせる。それから不安げに問い質したのは、今朝の自分の迂闊ぶりを反省していたがゆえのもの。以前聞いた相棒の仕事の状況を、今一度確かめるような口ぶりは、しかし。何か別の考えに至った様子で、最後まで続くことはなく。)

おまえの仕事に差し障りはなかった、よな?
たしか毎年この時期は、当日中の単発クエストを引き受けることが多い、って……話……



  • No.581 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-18 12:45:41 




──……その装備も格好良いですね、大好きです!!

 ( 「…………。」今日も今日とて一方的に意中の相手に抱きつく娘と、それを引き剥がすでもなく、涼しい顔で会話を続ける中年男。軽く腕を広げたギデオンと、今日もノルマ達成とばかりに腕を離して、やれやれと体勢を戻しつつあったビビとの間に、なんとも言えない間が流れた。その元凶である会話の流れをぶった切った告白から一転──だって、つい、格好良かったんだもん、と。咳払いしながら、相手の隣のカウンターに肘をついたビビは、一抱え程のサイズもある魔鳥の卵を抱えるジェスチャーをしてから、不安げな相手を力付けるように肩を竦めて、真っ直ぐなエメラルドグリーンで相手を射抜いて。この時、普段滅多に狼狽えない相棒の悩みの内容にまで、見当が着いていたわけでは全くない。しかし、春からふたつも季節が回って、相手が弱っている時の表情は、なんとなく分かるようになっていたから。何でも一人で抱え込もうとする癖のある相棒に、にっこりと有無を言わさぬ笑みを向ければ。何か困っていることはないか、ではなく、何をして欲しいか、という聞き方をしたのは、人間もまた、可能な限り弱みを隠そうとする動物であることを前提とした、喫緊の傷病者対応に追われる職業柄で。 )

じゃ、なくって……はい、差し障りないですよ、コカトリスの卵採集です!
昨日ドニーさんに聞いた時は、まだ空いてたみたいだったので、一緒に行けるかなって思ってたんですけど……それで、私は何をすれば良いですか?


  • No.582 by ギデオン・ノース  2023-09-19 13:07:56 




……話が早くて助かる。

(未だ躊躇う様子のあったギデオンの表情は、ヴィヴィアンの聡明な瞳と頼もしい台詞を前に、あっさりと霧散した。“いざというときは素直に相棒を頼る”、以前はなかったその思考回路が、ようやく身についたものらしい。グランポートからおよそ半年、彼女が根気強く飼い慣らしてきた成果である──などとは、当の本人は知る由もないが。「俺が遠征で離れる間、悪いが家の様子を見てほしいんだ」と、単刀直入な一言から切り出したのは、ごく簡易な説明で。)

いつもなら大家の爺さんが面倒を見てくれるんだが、今は内臓を悪くして入院中でな。古い建物だから、冬の時期は妖精除けが必要で……1週間も留守にしていれば、奴らに棲みつかれる恐れがある。ついでに言えば、生ものを置いてきたままにしたから、そいつらも処分してくれるとありがたい。傷んでなけりゃ好きに持っていってくれ。
だから今日と、それからの二、三日に一遍ほど、簡単な換気とチェックを……要は、自然にしていれば勝手に残る人の魔素を、代わりに残していってほしい。

(──去年契約書に書いたのとは違う住所に移ってるが、方向はお前の下宿と同じだ。おそらく歩きで二十分くらいか。クエストで遅くなりそうな日は無理をしなくていい、あくまで余裕のある時に──と。告げながらさらさらと、受付にあるペンとメモ用紙を借りて書き出したのは、なるほどここからそう遠くない現住所。大通りを挟んで南側、ちらほらと畑や掘っ立て小屋も混じる、地価の安いエリアの一角だ。ペンのキャップをかちりと戻し、メモ用紙を相手の方に滑らせると、卓上に置いていた古い合金製の鍵、これも相手の手元へと。それから指を二本立てたのは、少額ではあるものの、手伝い分の給料としては充分だろう金額で。)

報酬はきちんと後払いする──こっちのけじめだ。低級クエスト相当分の現金か、それが受け取りにくければ、おまえがよく仕入れるポーションの基礎材料の現物辺りで。
何事もなければ一週間後には帰るから、鍵はその時手渡しでもよし、受付のマリアやエリザベスに預けておくも良し。……こんなところでどうだ?



  • No.583 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-21 02:37:36 




なんだ、そんなこと……

 ( きょうび八面六臂の大活躍を見せる、ベテラン剣士ギデオン・ノースが、一体全体こんなに真剣な顔をして何事か……と身構えていたのが、その口から気まずそうに語られる内容の、なんと平和で所帯染みていること。思わず拍子抜けして、小さく吹き出しながら鍵を受け取れば。──そっか、秋頃に引越ししたって言ってたっけ、と。確かに通いやすくなった住所に目を通し。ふぅん、と色々浮かび上がる野望は取り敢えず置いておくにしても、今回、やけに素直に此方を頼ってくれた相棒に、少しは成長したかと思って満足気に微笑みかければ。報酬交渉を持ちかけて来た相手に前言撤回──そんなに私を頼りたくないか、と呆れたような、寂しげな視線をじとりと向けかけようとして。……此方の思いになど、微塵も気が付いていないのだろう。どこまでも生真面目な表情で指を立てている相棒に、ついつい怒れず苦笑してしまうのだから。結局──おぉい、とギルドの入口の方から聞こえてきたギデオンを呼ぶその声に、先に音を上げたのはビビの方で。その頑固な背中を押してやる振りをして、その無防備な耳の裏に、ちゃっかり悪戯な唇を落としてから、その背を軽く叩いて送り出したのが、約一週間前のことだった。 )

──ほぼ通り道なんだから気にしなくていいのに……ハイハイ、2本でも1本でも、薬草でも、ギデオンさんのお気持ちが楽になるなら幾らでも!
ほらほら、呼ばれてますよ……1週間後はお部屋で待ってますから、ギデオンさんに会いたいので!
遠征頑張ってくださいね!

 ( ──うーん、流石にやり過ぎかなあ。時刻は夕方、冬の弱気な太陽も沈みかけの午後5時を回った時刻。約1週間程前。この単身世帯用の簡素な部屋の主、ギデオン・ノースに此処の管理を任されて、最初は本当に妖精を追い払うだけのつもりだったのだ。ビビを信用して任せてくれたギデオンの信頼に応えるべく、本当に必要最低限以上の干渉は辞めようと。……それが、2回目にこの部屋を訪れた3日程前、2日前も部屋を訪れたばかりだというのに、虎視眈々と隙を付け狙う冬妖精の強い気配に──彼らは鉄と火の魔素を忌嫌う。それ故に、鉄の薬缶にたっぷりと水を入れ、寂しい暖炉に火を灯して沸かして追い出してやろうとした途端。この寒い時期にいつから使ってなかったのやら、もうもうと舞い上がった黒い煤に、汚れた古いマントルピースを拭ったのが最初だった。散らかるほど物のない寂しい部屋は、しかし建物自体が恐ろしく古いのだろう。天井を渡る梁には埃が溜まって、明り取りの窓ガラスは鈍く曇ってしまっている。薬缶の火を見守っている間、目に付いたそれ等をはたいて磨いたなら、次々と気になり出す汚れに、気がついたら翌日、折角の休日を返上して、何故か自主的に大掃除をしている始末だった。まあ、──鍵を渡されて、部屋を掃除するなんて、なんだか彼女みたいじゃない……? なんて、自己陶酔がなかったとはとても言えない訳だが。前の住人が喫煙者だったのだろう、黄色を通り越してオレンジ色にくすんでしまっている古ぼけた壁紙。立地上どうしても吹き込んでしまう休耕地の土は、それそのものが粘着質で、日照時間が短い関係で湿度が貯まりやすい部屋の床をベタつかせ、よく分からない古い汚れを巻き込んで真っ黒になっている。更に、それ等を磨きあげるために窓を明け放てば、サッシの汚れも気になってしまって……と。気がつけば、見違える程の真っ白な色を取り戻した壁紙の前、よく磨かれて周囲を反射する茶色い床の上、『目に付いたところだけ』とはとても言えない程綺麗になってしまった部屋の中で。それでも、机やら寝具やらプライベートなあたりは避けたつもりだが、今日帰ってくる予定の相棒への言い訳を考えること半日。そんな呆然としたビビの手元、こちらもすっかりピカピカになってしまった暖炉で、先程からコトコトと良い香りをさせているのは、手慰みに作った野菜のポトフだ。遠征前に精をつけるためと、手の込んだ豪華な料理が振る舞われがち。その上、いざ遠征が始まってしまえば、保存の効かない生野菜はほとんど食卓に上がらず、毎日毎日冷たく硬いパンと、保存食の塩辛い肉が何日も続くなんてこともザラ。ビビは遠征が終わると、まず真っ先に優しい味の野菜スープが飲みたくなるのだが、ギデオンはどうだろう。甘い越冬キャベツを大きく切って、近所の朝市で手に入れたローリエとタイムでじっくりコトコト、肉に味付け程度のチョリソーを使ったそれは、最悪呆れられてしまった時のご機嫌取りだ。そんな愛情やら、下心やら、大人の事情やら、とにかく色んな物を一緒くたに煮込んだ鍋の前で、(これも立て付けが悪く、開け閉めする度大きな音を立てていたところを、蝋を塗って滑りを良くした) 重い玄関扉が開く気配に、ゆっくりと振り返れば。無事帰ってきてくれた愛しい相棒の姿に、今この瞬間ばかりは、後ろめたかった筈の気持ちも吹きとんで。赤い花の刺繍が入ったエプロンで手を拭いて、そのよーく暖炉に炙られ温まった手で相手の手をとると、グツグツの鍋の煮立っている温かな暖炉の方へと引っ張っていこうとして。 )

……おかえりなさい、ギデオンさん。
お疲れ様でした、寒かったでしょう……こっち来て温まってくださいな。


  • No.584 by ギデオン・ノース  2023-09-22 14:26:31 




部屋でって、お前……

(ひとたびこちらの扱い方を心得た彼女は強い。ギデオンの提案をそのまますんなり受け入れながらも、隙を逃さぬ可憐な親愛表現やら、さりげなく織り交ぜるちゃっかりした意思表示やら。そのただでは聞かないしたたかぶりに、ギデオンが遅れて異論を唱えようとする頃には、ぽんぽんとあやすように──或いは有耶無耶にするようにして、温かく送り出される始末で。未だ何か言いたげな顔をして彼女を振り返るものの、さりとて、今朝はもう時間がないのも事実。結局ため息交じりに頷けば、軽く手を振って別れを告げながら歩きだすことにする。そうしてギルドのエントランスを潜り抜ければ、途端に北からの空っ風に吹かれるも──先ほど贈られた何かしらのおかげで、この季節の寒さをあまり感じずに済んでいることに。己に疎いギデオンは、ついぞ気づかないままだった。)

(さて、それから1週間後。受付のデスクの書類からふと視線を上げたマリアは、帰還したギデオンが我知らず浮かべていた疲労の濃い顔を見て、いつもなら向ける当たりの強さを引っ込めてくれたらしいのが、その表情から読み取れた。「……ヴィヴィアンの居場所を知らないか?」と尋ねれば、こちらの提出した書類に判を押してまだギデオンに戻しながら。「あなたがクエストに忙しくて忘れてるかもしれないって、伝言を預かってるわ。……『先に帰ってる』、だそうよ」と。どういうことかと問い質したそうにしつつも、あくまで事務的な返答にとどめる様子。そういえばそんな話だったな、と思い出しながら、軽く手を掲げるのみでマリアに別れを告げて立ち去る。時刻は16時を回った頃──もしや、随分待たせているのではないだろうか。しかしそれでも、諸々やることはやらねばならない。まずはしっかりと、高難易度クエストからの帰還後に義務付けられている魔法医の検診を済ませ。異常なしと太鼓判を押されれば、ギルドの二階のシャワー室で熱い湯を浴び(自宅にそんな贅沢な設備はないので、大概はここか街中の公衆浴場に行く習慣だ)。これでやっとさっぱり生き返れば、諸々の報告書を追加で書き上げ、或いは他人のそれに目を通し。ギルドマスターにも簡単な報告を上げて、これでようやくクエスト完了。持ち帰って読む書類や、1週間前にギルドに残した古い服を鞄に詰めると、(腹が減った……)なんて、呑気な考えに浸りながら。夕暮れのなか、途中幾つか買い物に寄りつつ、ようやく家路についたのだった。)

(──そうして、懐かしのというわけでもない自宅の、冷たいドアノブに手をかけたとき。(おや?)、とは思ったのだ。いつもならぐっと力を込めて押さなければならない扉が、何の手応えもなくするりと動いた。もしや部屋を間違えたか、なんて訝しんだ思考はしかし、室内からふわりと押し寄せてきた暖気、そして何やら非常に旨そうな匂いで、たちどころに吹き飛んでしまう。「……」と、思わず様子を窺うように、慎重に一歩立ち入ったギデオンの目前。はたしてぱたぱたと近づいてくるのは、愛らしいエプロン姿をした若い女性──1週間ぶりに顔を見る、相棒のヴィヴィアンだ。
この時点でさえ、ギデオンは軽く目を見開いて、全く見事なフリーズを晒してしまったわけなのだが。その温かく柔らかい手に捕まり、優しく促されるまま、家庭的な声に思考が麻痺しきるまま、室内を二、三歩歩けば。今度はそこで、再び呆然と、根が生えたように立ち尽くしてしまう。──家の中が、がらりと様変わりしていた。普段のギデオンがほとんどねぐら代わりにしか使っていない此処は、粗末なベッドと古い椅子、やや傾いたテーブルに、傷の入った低い棚がひとつふたつあるくらいで、あまり居つかないために埃も影も溜まりきっている、物寂しい場所だったはずだ。それがどうして──家具や私物といった類には、気遣いから手を付けられていないのだろうが。煤けきっていたマントルピースも、埃っぽかった天井の梁も、外を見通せぬほど曇っていた窓ガラスも、黒ずんでいた床も、皆ぴかぴかに磨き上げられている。薄汚れていた壁紙は真っ白だ、まさか張り替えたのだろうか。以前は馴染み過ぎて気づいちゃいなかった、かびくさく湿気た臭いもない──今更気づいたが、あれは暖炉が汚れていたせいだったらしい。それが今や、非常に清潔で爽やかな……居心地の良い、あたたかい住み家になっている。
自分が留守にしている間、どうしてここまで家が変わったのか。その答えに自然と行き着くなり、他にいるはずもない犯人をさっと振り返り、少しおっかない顔で、何事かを言おうと口を開きかけた……ものの。「……、」「…………、」と、肝心のお小言が、ろくに喉元から出てこないようだ。感謝すべきか、怒るべきか、呆れるべきか、激しく混乱しているらしい。おまけに先ほどから、真横の暖炉から漂ってくる胃をくすぐるような匂いで、ろくに集中しきれておらず、何ならちらちらとそちらを見てしまうほどで。結局、ギデオンにしては雄弁な百面相を無言でぐるぐると繰り広げるうちに、間の抜けたタイミングで腹の虫が鳴くものだから、がっくりときまり悪そうに片手で顔を覆い隠し。絞り出すように言いながら──周囲のあからさまな変化について、今はいったん保留するつもりらしい──まだ温かい紙袋を片手で突き出す。そうして、かしいだテーブルをベッド脇に引き寄せ、薄いシーツの上に腰を下ろしたのは。この家に椅子は一脚しかない、しかし独身女性の後輩を己のベッドに座らせるわけにいかない、そういった思考による頑とした構えのようで。)

…………夕食を……買ってきてある……
これと、そこので……飯にしよう……



  • No.585 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-22 22:34:19 



──……わあ、あったかい、
私これ切って来るので、ギデオンさんは手を洗って来てください。

 ( ギデオンから強奪……もとい、受け取ったコートをハンガーにかけてきたヴィヴィアンが、再度洗った手を拭きながら戻って来れば。ちょうど相手は、部屋の変化に気が付いたところらしい。みるみると険しくなっていく表情に──やっぱり良い気持ちはしないよね、と。気まずそうに肩を竦めて家主を見上げれば、怒ったような、困ったような……そして、いい匂いのする鍋が気になって仕方ないような。相手にしては随分と分かりやすい顔をしては、ついに──ぐう。と、可愛らしいお腹の音を上げた相棒に、うふふ……と思わず小さな笑みが零れた。一気に和らぐ部屋の空気に、しっとりと湯気をたてる紙袋を抱きしめて、ぱたぱと暖炉の下へ駆け寄れば。まだ温かいとはいえ、冬の外気に晒されてしまった中身を、今朝買ってきたパンと一緒に手早く炙り。そのうちに丁度温まったポトフを、ひとつは深いスープ皿と、もう一人分は足りない皿の代わりに、家主の許可を得てマグカップを代わりにすれば。胃の底を掻き立てる香りと共に、白い湯気をふわふわとたてるそれらを乗せるだけで、小さなテーブルはいっぱいになってしまい。仕方なく清潔な水をたっぷりと溜めた水差しは、引き寄せた棚に置くことにして、慣れた手つきでエプロンを外すと。それ以上、仕事上がりの相手を待たせぬよう慌てて席について、 )

お仕事お疲れ様でした、頂いちゃったお肉のお礼です。
お口に合えばいいんですけど……おかわり沢山ありますからいっぱい食べてくださいね。


  • No.586 by ギデオン・ノース  2023-09-23 00:01:18 




(相手に言われるまま、玄関傍の水場に向かい。水甕に貯められた水を柄杓ですくって、しっかりと手を洗う。しかしその間にも、ギデオンの顔は困惑気味に皴を描く有り様だ。──これまでの間、己のうら若い相棒とは、基本的に仕事の場でしか会ってこなかった。それが今やどうだ、こちらのごく個人的な生活に、するりと容易く入り込んでいるではないか。そりゃ、急に頼み込んだここ数日の助けを労おうと、彼女の分も温かい肉料理を持ち帰ったのはギデオンのほうではあるが、それにしたって……と。依然続く顰め面で振り返った先には、てきぱきと手際よく夕食の支度なんぞしている、やけに家庭的な面差しのヴィヴィアンの姿がある。多少るんるんと浮かれたそぶりはあるものの、それでもどちらかと言えば、地に足ついた振る舞いのように見える。ギデオンのために何かをするのは、如何にも当たり前と言わんばかりだ。あれは……良くない、非常に良くない。そうだ、何か、彼女にとっても、自分にとっても、今のこの状況を当たり前にやり過ごすのはひどく危険な予感がする。そう感じはしているくせに、実際のギデオンが何も言えないままでいるのは──きっとそう、辺りに漂うスープの香りのせい、それで間違いないだろう。ただでさえ胃が切々と空腹を訴えるものだから、先ほどから思考力という思考力を根こそぎ奪われているような気がする。何か隠し味として、そういう効能のある魔草でも入れたんじゃなかろうか。
そんな馬鹿なことを、クエスト帰りの疲れた頭で、半ば本気になって考えていたギデオンだが。結局、口を堅く引き結んだまま、何も言わずにベッドの端へ腰かける。すると、湯気の立つ食事を並べ、飲み物も手に取りやすい位置に調えてくれた相手が、慌ただしくギデオンの向かいの席に落ち着いて。彼女の口からさらりと告げられた健気な言葉に、まずは炙りたてのサンドイッチを手に取りながら一言。多少相手を小突きつつも、素直になれない謝意が滲んでいるような声音で。)

──お礼も何も、このポトフ。俺が帰る前から作ってたろう?
俺はそこまで頼んじゃいないぞ……いや、ありがたくいただくが。

(口先ではそう言いつつも、初めて供された正真正銘の手料理に、どこか気後れするところがあるらしい。ほかほかと湯気が立ち昇るのを眺めながら、俺が留守の間どうだった、何か異状はなかったか、どんな対処をしたんだなどと、他愛ない話題を捏ね、世界一無駄な痩せ我慢をひたすら決め込んでしまう始末。……が、そうしたらそうしたで、なんだかそんな会話の端々にすら、妙なきまり悪さを感じるようだ。がつがつと貪ったバゲットを呑み込むついでに、ん゙ん゙っ、と咳ばらいをしてそれを振り払えば。先ほどから不自然に放置していた熱々の汁物に、ようやくその目を向けながら、躊躇いがちに匙を取り。)

……、香草を使ってるな。
お前の手持ちから……違う? じゃあ、この近くで買ったのか。あの赤ら顔の親父さんのところか?



  • No.587 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-23 10:37:36 




ん? だって遠征後にお料理するの大変でしょう?

 ( ──ギデオンが何を言いたいのか分からない、とばかりに、小突かれた額を抑えたビビが小首を傾げる。嘘、本当は分かっていて、この図々しい彼女面が許される距離感が心地好くて、何処までなら許されるのか計っている卑怯な自分がいる。どうやら人の好意に慣れていない相手は、あからさまに好意を剥き出しにした行為を断る術は持ち合わせていないようで。しかし、感謝を感じさせる声とは裏腹に、いつまでたっても肝心のスープに手をつけようとしない意図はよく分からず、まずは自分から一口。──変なものは入っていませんよ、とでもいうふうに、たっぷり野菜が溶け込んで、もったりとした食感のそれをじっくりと堪能する。うん、我ながら中々良い出来だ。ハーブの爽やかな香りに、口当たりの良いじゃがいもの存在感、柔らかく、しかしシャキシャキとした食感の残るキャベツと玉ねぎは煮込み時間への拘りを感じさせ。胃袋に優しい淡い味付けは、ともすればぼんやりとした味になってしまいがちだが、一口大より少し小さくカットされたチョリソーが、野菜の邪魔をしない程度にスープ全体の味をピリッと締めている。赤ら顔の店主のすすめで買い求めた、素朴ながら複雑に、味の下支えをする香草達の存在は、ビビの好みと自己満足であって、美味しく食べてもらえれば気づかれなくとも良いのだが、口をつける前から気づいてくれた相手に目を輝かせて、それからすぐにパッと心配そうに口を抑えて、 )

そう、そうなんです!
ローリエとタイム、ギデオンさんすごい……あ、もしかして苦手でした?
あの店主さんに聞いたら、ギデオンさんも買っていったことがあるって仰ってたから、てっきり嫌いではないかと……


  • No.588 by ギデオン・ノース  2023-09-23 21:26:09 




いいや、寧ろ好きなほうだ……風味も香りも、大事だからな。

(あざとくとぼけ、ほくほく味わい、嬉しそうに目を輝かせ、不安げに上目遣いする。まったく、こちらに向ける相棒の顔ときたら……若者は皆やたら元気なものだが、こんなにも色鮮やかに表情を変えることなどあるだろうか。毒気を抜かれた、なんてわけではないが、ギデオンもまた、脱力させられたかのように顔のこわばりをほどいてしまい。安心させるように、ごくゆったりした声で返すと、いよいよその一口目を運ぶ。
具と汁を乗せていた匙を口に挟み、引き抜きながら下ろして──……沈黙。一瞬固まった後、口元や喉仏だけは微かに動くものの、ギデオン全体としては何故か微動だにしない。外はとうに真っ暗で、壁にかかった燭台の灯りがその横顔をちらちらと照らすのだが、薄青い双眸ときたら、何もない中空で、はたと長いこととどまっている。──かと思えば、不意にかすかに揺れ動き、眉根に困惑の皴が寄る。はては左手を口元に添え、何か難問でも考え込むような素振りで、卓上の深皿をまじまじと見つめはじめてしまって。
──去年の秋ごろ、ヴィヴィアンとはよく仕事の話で食事に行ったが、こんな珍妙な反応を示したことはもちろんない。……別に、味が悪くて眉を顰めたというのではないのだ。寧ろ相棒お手製のポトフは、そこらの飯屋には真似できないくらい、優しくもたしかな、滋味たっぷりの美味しさだった。ほんの少し歯で圧をかけただけで、まったりと割れるじゃがいもも。その歯応えや甘味が愉しい、金色の玉ねぎや越冬キャベツも。塩辛さと脂っ気がぎゅっと詰まったチョリソーや、それらを引き立てる繊細な香草、具材全部から滲みだしたエキス、コクを生み出す植物油……確かに旨い、すべての調和がたまらなく旨い。しかし、初めて食べるはずのこれに……妙な、強烈なデジャヴを覚えるのは、はたしてどういうわけだろう。言うまでもなく、ギデオンが彼女の手料理を食べるのは、去年の暮れにパンに塗ったあのチーズを除いて、今宵のこれが初めてのはず。それなのにこの……胸に来るような、鮮烈な懐かしさ。いったいこの感覚は何だ、己はいつ、どこでこの味を食べたのだ……?
その答えを探し求めるように、もうひと口、ふた口、三口と。無言のまま何度も何度も、時間をかけて味わい、噛み締め、じんわりと温かいそれを胃の中へ流し込む。そうしてすぐさま皿を空ければ──そう、味そのものにもしっかりがっつり嵌まっているのは、ここらで明らかに映るだろうか──依然押し黙ったまま席を立ち。炉の傍へ行って、広い背中を相手に向けながら黙々と追加をよそい、また席に戻り、ヴィヴィアンの前で再びじっくりと味わい尽くす。挙句、匙を置いてまで味の考察に延々没頭しはじめるわけだが、美人を前にそんな真似をする男など、おそらくそうそういやしない。結局、長いこと黙っていた口をようやく開いたかと思えば、飛び出てきたのはそのままな台詞。半ば独り言じみた口調で、作り手たる相手自身に。答えを求めようとして。)

……この味の秘訣は何だ。塩か? 塩が違うのか……
それともこのチョリソー、どこかの地方の名産品か……どこの肉屋が扱ってるやつだ。
火はそこの暖炉のだよな……それとも最初に火を通す時だけ、何か特別な魔法火を……?



  • No.589 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-24 16:16:38 




──……やだもう、ギデオンさんったら!

 ( ──もしかして、口に合わなかっただろうか。そう思わず此方が心配になる程、やけに神妙な顔でスープを味わっていたかと思えば、一体全体この相棒は何を言い出したのか。普段あれだけ冷静沈着なギデオンの表情に、くすくすと震え出した吐息が、次第に我慢できなくなって、とうとう明るい笑い声となってあははははっと高い天井にこだまする。別に特別な材料や工程など何一つ存在しない。チョリソーは下の肉屋で安くなっていたセール品だし、勿論最初から最後までこの部屋の暖炉で準備したもの。塩に至っては、先月ギルドで備蓄品の入れ替えで配っていたソレだ。それでも──そっか、そんなに美味しかったんだ、と。笑いすぎで滲む涙を拭きながら、はーっと深く息を漏らして。真剣な表情で問いかけてきた相棒に、その材料らの入手経路をあくまで誠実にネタバラシをすれば、ここまで反応されて嬉しくない作り手がいるものか。潤んでキラキラと輝く瞳をギデオンに向け、「笑っちゃってごめんなさい、ギデオンさんがあまりに可愛くて……褒めて貰えて嬉しいです、あの鍋全部ギデオンさんの分ですから、いっぱい食べてくださいね」と、目が覚めるほど格好よくて、その上 可愛らしい相棒をうっとりと眺めれば、 )

……あのね、世界で一番大好きな人に食べてもらえるから、たっっっぷり込めた愛情のおかげかも。

 ( なんて、ありがちな台詞を吐いた癖をして。すぐさまその案外現実的な思考で、キャベツのこの切り方が拘りなんだとか、隠し味を入れるタイミングはだとか、真剣な表情でレシピを語ったり、一緒に食べた食器を洗ったりしていれば。楽しい時間は夢のように過ぎ去って、そろそろお暇するべき時間がやってくるだろう。 )

嘘、もうこんな時間……!?
ごめんなさいこんな遅くまで……それじゃあ、ギデオンさんはしっかり休んでくださいね、


  • No.590 by ギデオン・ノース  2023-09-24 22:46:07 




そんなに笑うことか……

(笑い転げるヴィヴィアンを前に、如何にも憮然としてみせるものの。まったく本気の口ぶりではないのは、その目が依然として、ヴィヴィアンの手料理のほうに注がれているからだろう。ギデオンとしては、このポトフの謎が本気で気になって仕方ないのだ。にもかかわらず、なんてことない普通のそれだと説明されるものだから、ますます真剣に眉を顰め。「本当か……?」「ギルドの塩? 俺もよく貰うが、こんなに上手く素材の味を引き出せる代物じゃなかったはずだ」「おまえの指から何か魔素のスパイスでも出てたんだろう。やり方を教えてくれ」なんて。相手の腕前に感嘆しているからこそ、まったく信じられない様子で、真顔のまま冗談すら飛ばす始末。
そんな訝し気なギデオンに、お腹を抱えていたヴィヴィアンが、ふと幸せそうな目を向け──また、初めて聞くはずなのに、どこか懐かしい台詞を寄越すのだ。その途端、ほんの一瞬ではあるが、ギデオンの全てが静止した。薄花色の瞳だけが、小さく、あどけなく揺れて。突然三十五年前に──外が吹雪いている家の中で、冬野菜を刻む母に纏わりついていたあの幼い頃に、心だけが引き戻される。……そのほんの少しの間を挟んだのち、暗い窓の方へ静かにそらした横顔を、ふっと、酷く穏やかに緩めて。「……そんなものか、」と、ようやく納得したように呟く。そうか、己への愛情の味か。──道理で、ずっとずっと、自分じゃ再現できなかったわけだ。
そのやりとりのせいだろう。そこからの時間、ヴィヴィアンとの他愛ない時間を、ギデオンはごく素直に味わった。水場で隣り合って洗い物をしながら、「なんだか新婚さんみたい」なんてはにかまれたときにも、「馬鹿言え」と嘆息するものの、いつものようにきっちり否定するほどの真似はしない。ただでさえ旨いのに、あんな秘密まで隠し持っていた料理を出されて、丸くならない人間などいないだろう。少なくとも今夜ばかりは、そういちいち目くじらを立てないと決めたのだ。
──そう、今宵の晩餐に、ひどくしみじみとした恩を感じていたからこそ。そのままひとりで帰ろうとするヴィヴィアンに、むっとしたような顔を向け。「馬鹿言え、こんな時間にひとりで帰すわけがあるか」と、さも当たり前のように、自分も外套に袖を通した。のんびり話して過ごしていたから、今はとうに19時過ぎ……店々が明かりを消し、辺りの人通りが少なくなって、危険が増していく時間帯だ。だからこそ、ギデオン自身もしっかりコートの襟を整え、先ほど返してもらった鍵を人差し指に引っ掛けると。玄関扉を先に開け、相棒のほうを振り返りながら、煽るように首を傾げて。)

ほら、行くぞ。
それとも──道すがら、明日からのクエストに誘う話をされちゃ困るっていうんなら、ここで見送るしかないが。



  • No.591 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-25 11:06:27 




下宿ここから近いですし大丈夫ですよ?
ギデオンさんお疲れでしょ……

 ( 朝起きられないビビが選んだ下宿先は、キングストンでも中心地に程近い、カレトヴルッフから徒歩3分の超好立地。したがって、そこから20分程度のこの場所もまた、少し寂れてはいるものの、少し行けば明るい大通りに出られる立地で。真っ白なバロメッツの外套を羽織りながら、過保護なギデオンを振り返ったビビはと言えば。寧ろこの一週間、好きに彼女面を楽しんで、簡単な食事をここまで喜んで貰って、暖かな時間に感謝こそすれ、ギデオンの深い感謝など知る由もない。まだ19時という社会一般的には遅くない時間も相まって、最初は相手の申し出を断る気でいたものの、お気に入りの赤いマフラーを鼻先まで覆うように巻き終わる頃になって。ギデオンから続けられた魅力的な提案に、精神的にも物理的にも飛びつかないでいられるわけがなく。相手も冒険者でなければ受け止められない程勢いよくその腕に飛びついたかと思えば、キラキラと輝く瞳をギデオンに向け、太い腕を抱きしめたまま両脚を交互にぴこぴこと跳ねさせて、 )

──困らないです!
やったあ! ギデオンさんとお仕事すっごく嬉しいです! 
ねえねえ、どこ行くんですか? 何するんですか?


  • No.592 by ギデオン・ノース  2023-09-25 15:51:11 




落ちっ……落ち着け、話してやるから。

(一直前に飛び込んできた獰猛な栗毛の兎に、呆れたような、参ったような、宥めるような声をあげ。相棒の薄い肩を軽く掴み、やんわりと引き剥がすと、揃って戸外に出るよう促す。そうしてしっかり鍵を回して施錠すれば、ふたりで靴音を鳴らしながら螺旋階段を降り、ひび割れたアーチを潜ってアパートの外へと。北の大通りへ続く街路には、点灯夫のつけていった魔法灯がぽつぽつと揺れていて、真っ暗な道路に積もった薄い雪を灰色に照らし出している。着込んでいればさほど寒くないが、吐く息は見事に真っ白だ。)

去年の暮れに、ライヒェレンチの大規模討伐に行っただろう。あれで魔法巨人どもを一掃したはいいが、山奥に引っ込んでた魔獣どもが、また人里に出るようになったらしい……要は、あのときの後片付けだな。
パンチャ山の麓の農村地帯へ、四隊駆り出してのトロイト狩り、メンバーは総勢二十人。上からの指令で、今回のヒーラー役には元々アリアが抜擢されてる……だが、あいつはほら。内気なところがあるだろう?

(そうして道すがら話すのは、今回のクエストの詳細。キングストン北部郊外にある“おなか山”は、いずれ王都に出荷される新鮮な野菜を育ててくれる、豊かな土壌を蓄えた場所である。それゆえ、魔獣にとっても住みよい土地で、ただでさえ普段から小物魔獣の駆除が絶えない。今回はそこに、非常に狂暴な上にずるがしこい、魔猪の一家まで棲みついて、冬野菜の畑を荒らし回っているそうだ。当然農村の手に負えず、現地のクエスト斡旋官より、王都のギルドへ要請が出された。そんな大事に依頼に、何故急にヴィヴィアンを誘うことができたかと言えば──ギデオンが総隊長であり、人材育成を重視しているからだ。
上は最近、ヴィヴィアンに続く若手ヒーラーの育成にも、しっかり力を入れたいらしい。それでアリアに白羽の矢が立ったのだが、ギデオンの見立てによれば、まだ彼女には少しばかり荷が重い。元々きちんと優秀なのだが、それに見合った自信がまだ伴っておらず、場や人間関係に気圧されがちなところがある。野営の経験も、見習い時代の訓練を除けば、今回が初めてだろう。そんな新人を突然本格的な狩りに放り込んでも、下手をすれば、自信喪失を招きかねない……そういう若手を何度か見てきた。だから、彼女の負担を半減しつつ、隙を見て立ち振る舞い方を教えてやれる先輩を、投入しておきたいのである。数ブロックほど歩きながら、隣の相棒をふと見遣ったその目には、信頼の色がありありと浮かんでいて。)

おまえにとっても、後輩を育てる経験を積んでおくのは、そう悪くない話かと思うんだが。どうだ、引き受けてくれるか?



  • No.593 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-26 01:00:48 




…………、

 ( 冬の夜中の冷たい路面に、二人分の雪を踏む足音が静かに響く。ひとつは一歩一歩、ゆっくりと地面を踏み締める堅実なそれ。もうひとつはそれに比べて、どこか少し浮かれたような、どうしても疼く衝動を抑えきれないといったように弾む、不規則なそれ。──サク、サクサクッ、シャッと、時折もうひとつの足音を振り返りながら進むその音は、しかしギデオンの口から放たれた若いヒーラーへの評価にピタリと止まった。
忘れるはずもない、昨年の暮れ、ライヒェレンチの討伐作戦、その余波で里に降りてくるようになった魔獣の後片付けと。実に冒険者らしく、ビビの得意な"分かりやすい"依頼。その上、冒険者としても尊敬して止まない大先輩であるギデオンと一緒になんて、これ以上なく魅力的な仕事ではあるのだが──ビビが聞き逃せなかったのは、その尊敬する相棒の口から零れた、可愛い後輩のその名前で。──確かにアリアは内気だけれど、与えられた仕事はしっかりこなす娘だ。誰より真面目で繊細で、対峙する全ての者になんの圧も与えないあのたおやかさは、ビビが怪我人として弱っている時に、救護してくれるヒーラーを選べるなら、絶対に彼女が良いと胸を張って言える自慢の後輩だ。確かにビビにはヒーラーとして、その莫大な魔力という得難い才能への自負はあるものの。一人一人の病状を真剣に見つめ、そっと患部に手を添える、あの独特の寄り添われているという心強い実感。可能な限り素早くも、これ以上なく丁寧に治療されていると感じられる独特の空気は、ビビには無い彼女の強い武器だ。ヒーラーとして一番大事なことを忘れない彼女は、どこでだって、絶対に、活躍するだろう。それをあの一見した、弱気そうな雰囲気だけで侮られては堪らない、と。その生来の負けん気だけでギデオンに反論しようとして。しかし、その気の強そうなエメラルドグリーンが、相手の真意を探るようにじっと輝いたのは──ギデオンさんがそんな短絡的な判断を下すわけが無い、と。相手のこともまた心から信じているからで。
本人が短い期間でのし上がった、なまじ優秀でメンタルの強いヒーラー故に気づけない。これ迄は自分が育てられる立場で、偶に後輩の面倒を見ても、ごくごく限定的で具体的な作業についてだけ。ビビに欠けているのは、その場の仕事ぶりだけでは無い、その後のメンタルと成長性という俯瞰的な視点で。それを──ああ、こういう時に相手の意図が読み取れないのは、まだまだ自分が未熟な証だと、サクサクと規則正しい足音を再開しながらも。困ったように、悔しそうに、白い息を吐く口元をもにょもにょとさせると、新たに自分なら出来ると信頼され、求められている何かがあると勘づいて。本当は可愛い後輩の良いところを、これでもかと語ってやりたい熱を、キラキラと閉じ込めた瞳をじいっとギデオンに向け、 )

勿論、ですけど……。
アリアは、私が居なくてもきっと……絶対! 良い仕事をしますよ……?
うぅ……むん、その、私は何をすれば良いんでしょうか……


  • No.594 by ギデオン・ノース  2023-09-26 11:18:23 




(ギデオンの期待に反して、先往く歩みをぴたりと止めたヴィヴィアンは、すぐには答えを返さなかった。こちらも自ずと立ち止まり、夜燈に浮かびあがる相手の顔を、白い息を零しながらごく静かに見つめてみる。聖夜に贈った赤いマフラーの上──先ほどまで無垢に笑んでいた相棒の表情は、不服の色に曇っている。けれどそこに、迷いながらも考えを深める気配までもが立ち昇り。やがて絞り出された声、こちらをまっすぐに見上げてきたエメラルドの強い輝きに、なるほど、と心情を察した。──やはり、この人選に間違いはない。後輩の能力をまっすぐ信じてやれる一方、上の真意を汲み取ろうと分析できる聡明さ。己の相棒ヴィヴィアンは、本人自身の能力も勿論見事だが。後続の若手にとって、この上なく善い指導者となるだろう。)

……ああ、アリアは優秀だ。優秀だからこそ、本来の力を遺憾なく発揮できるよう、背中を押してやってほしい。
おまえは大抵、どこの現場でも気後れなく動けるだろう? それは本来、誰でもできることじゃない。……逆に言えば、そう難しくない、簡単にできることだって、やり方を見せてやればいい。
場所なり人数なり、クエストの重要度なりが変わろうと、ヒーラーの果たす仕事は、ある意味どこでも同じだろう。その心構えを……要は、一見どんなイレギュラーな状況だろうと、いつもと変わらない仕事をすればいいだけだってことを、あいつに示してやってくれ。

(──無論これは、少し乱暴な言い方をしている。仲間や市民の命が懸るからこそ、ヒーラーは全職務の中で、最も繊細な立ち回りを求められる立場といっても過言ではない。だが、己の言わんとすることは、きっと相棒にも伝わるだろうか。アリアの細やかさは、経験の浅いうちこそ仇にもなるが、ひとたび自信さえつけば、いつどこでも、あの丁寧な仕事ぶりを発揮できるという強みにもなる。そのきっかけを、彼女が尊敬している先輩の頼もしい背中をもって、示してほしいだけなのだと。
話しながら歩くうちに、大通りに着いたようだ。今までの道より更に明るい街灯に煌々と照らされるなか、右に左に、大型の馬車たちが忙しなく行き交っている光景が飛び込んできた。それが途切れるタイミングで、重々安全を確認しながら──夜の街道は、人が撥ねられる事故も珍しくはない──相手と共に渡りきると。もうすぐそこは、相棒の下宿。たしか、お隣には役者の女性が住んでいるんだったかと、少しばかり雑談も交えて。)



  • No.595 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-27 01:14:22 




っ……はい! ありがとうございます、お任せ下さい!

 ( ──ほらやっぱり! ギデオンさんは全部わかっていてああ言ったんだ。そう先程まで曇りきっていたヴィヴィアンの表情に、満面の笑みが広がる。アリア直属の先輩である自分はともかく、もし自分がギデオンの立場だったとして、一ヒーラーであるアリアの実力・性格そのどちらをも把握し配慮するなんてことが可能だろうか。恋愛感情を抜きにしても、こんなに尊敬する相手に、自分ならと見込まれて嬉しくないわけが無い。赤いマフラーの揺れる胸元を強く叩いて、白い吐息と共に誇らしげな顔を上げれば、目の前には明るい大通りが迫っていた。──そうなんですよ、すっっっごい美人なの。今度東広場前の劇場で役が貰えたらしくって、お休みだったらギデオンさんも見に行きませんか……等々と、振られた雑談に相槌を打ちながら、残り短い冬の家路を堪能すれば。秋の夕方にもそこで別れた門の前で、今度は素直に相手を解放したのは、まだ新しいかの聖夜の記憶が、ビビに余裕を齎してくれているからだろうか。その別れ際、するりとさりげなく大好きな温かい手に指を絡めて、明日の予定を確認すれば。──それじゃあ、おやすみなさい。そう上目遣いに揺れる瞳には、当たり前のようにギデオンだけが映っているのだった。 )

 ( そうして訪れた翌日早朝。ビビとギデオンを含む討伐班一行は、予定時刻にギルドを出立。このまま予定通り行けば、約一時間半程は馬車に揺られる予定である。
そんな大男犇めくお世辞にも居心地良いとはいえない荷台で、昨晩ギデオンから与えられた使命に燃え。相棒の言う通り、既に紙のような顔色をしているアリアの手を握ったビビと肩を触れ合わせているのは、左側にはその後輩アリアと──その反対側で長い足を組む美貌の魔剣士、カーティス・パーカー。アリアと同期でもあるこの青年は、年の程はビビの1つ上。共に遅れて冒険者を目指した者同士、この浅黒い肌に2つならんだ涙ボクロが色っぽい青年とは、何かと通じ合う機会が多く。シルクタウンでギデオンに惚れる前のビビと、噂になること複数回。しかし、実際はその治療費のために、冒険者を志すきっかけとなった、花も恥じらう可憐な病床の婚約者がいるという案外照れ屋でロマンチストな格好付け男と。その気軽な男に便乗してであれば、憧れのマドンナに声をかけられることに燥ぐ青年たち。──今日はアンタ眠そうじゃないのな、だとか。へえ、ビビさん朝苦手なんですか、僕水筒に珈琲持ってきてるので良かったら、だとか。未だ作戦共有の始まらぬ車内は、今日も今日とて賑やかな冒険者たちの声で溢れていて。 )


  • No.596 by ギデオン・ノース  2023-09-27 15:34:11 




(ほぼ全員が成人という構成、おまけにこの遠征はあくまで仕事。にもかかわらず、陽気大国トランフォードの冒険者たちの様子ときたら、楽しい遠足に浮かれ騒ぐ五歳の子どもとそう変わりない。馬車の上座──仕切り板による背もたれもどきと、煎餅のようなクッションが一応誂えられた席──に、同格の戦士と共におさまっているギデオンは、最初こそごくゆったりと、談笑などしていたのだが。背後の席がやいやいと賑わいだせば、仕切り板に片腕をもたれる形で振り返り。──こらおまえ、ここで飲み物を出すんじゃない、どうせ零すのがおちだろうが……云々。おいそこ、なんで臭いの強い軽食なんか持ってきた? 周りのことを考えろ、だいたい戦士は身体が資本なんだから、朝飯はちゃんと食ってこい……かんぬん。こんな調子で、呆れた声音でのお小言を投げかけつづける有り様で。
しかしそもそもの発端は、その当のギデオンが、ギルド随一のマドンナを急遽引っ張り込んだことだ。注意された青年たちも、一応ちゃんと返事するものの、その締まりのない顔をヴィヴィアンに戻しては、また嬉しそうにあれこれ構い始める始末。隣にいるカーティスが、時折彼女に助け舟を出してくれるから良いものの、あれでは逆に、意中の相手を困らせるだけだろうに……。ヴィヴィアンにちらっと、(道中は我慢してくれ)、というような視線を送っておくと、やれやれ顔でまた前方に向き直る。そうして、「あいつら元気だな……」と、気怠げな声でぼやけば。隣の上級戦士、魔槌使いのヨルゴスもまた、「若いからねえ……」と、苦笑いせずにいられないようだった。)

(ベテランたちのそんな雰囲気も、いよいよ馬車が麓に着けば、がらりと反転することになる。すなわち、先ほどまでは柔和な顔でにこにこ見守っていたヨルゴスのほうが、急にその顔を厳めしく変え。「へらへらするなジャリども! ここはもう現場だ!!」「しゃんとケツの穴締めあげろ!!!」などと、至極乱暴に発破をかけ。それにびっくりした若者たちを、道中はあんなに小うるさかったギデオンが、穏やかな声でフォローしながらとりまとめる、という具合である。──現場入りしている間だけ性格が豹変する、というのは、熟練冒険者によくいるタイプで、ヨルゴスもまさにそうだ。しかし今回は、思慮深い彼とよくよく示し合わせたうえで、それぞれが飴と鞭を担うことになっていた。ヨルゴスの場合、危機感のない若手を教育するためにやるからいいが、中には自覚も自制もないまま、必要以上に若手をしごいて虐め抜くベテランもいる。そんな人間に出くわしても潰されないために、今ここで慣らしておこう、というわけだ。
しかし、本質的には茶番といえど、演じるヨルゴスが凄まじく本気なだけあって、若手たちはそのほとんどがすっかり震え上がったらしい。青年連中のそれぞれに必要な雑務を与えれば、カーティスのような場慣れした戦士以外、皆ヨルゴスから逃げるようにして散り散りになった。ヒーラーには村の竈を借りて燻し玉を作ってもらうのだが、アリアに至っては、元々緊張していただけに、ヨルゴスにひと睨みされただけで倒れそうなほどである。相棒がそれについて、少しでも問いかけるような視線を寄越してくれば、ギデオンもまたまなざしで返すだろう。──この一見パワハラじみた状況は、敢えて意図しているもので。昨夜相棒に依頼した話は、本格的な討伐が始まってからになるだろう、と。)

(──はてさて、今回のクエストは、目下計画通りに進行している。午前中に村に着いたら、皆で昼食を取りながら、村長や斡旋官への聞き込みを。今度はその手がかりを元に、実際に自分たちでも山野を駆け巡りながら、更に情報を掻き集める。この情報というのは、辺りの魔獣の足跡であったり、下生えが踏み荒らされた形跡だったり、低木の枝が折れた跡だったり、生物由来の魔素が吹き溜まりになっている場所だったりする。パーティーリーダーによって行動指針は大きく違うが、少なくともギデオンのパーティーは、入念な下準備を施してからの、着実な詰将棋を理想としていて、まずはこういった現場情報を掻き集めるのが大前提だ。慣れないうちはなかなか見落としがちでもあるので、今回のような実際の現場を通じて、適宜指導も挟んでいく。
そうこうするうちに、問題の魔猪・トロイトは、おそらく今この辺りに潜伏しているだろうというのが、おおよその精度で絞られてくる。すると今度は、熟練の罠師たちが、専門の魔導具を使ってあちこちに潜り罠をしかけ、殺意の高い結界を作る。罠にかかってくれるなら上々……警戒して避けるだけの知能があるにしろ、今度はそれを逆手にとって、こちらの思わしい場所に誘導してしまえばいい。日の高いうちに見繕った幾つかの谷や窪地を、追い込み場所の候補とした。こういった場所にもまた、適宜罠を植え込んでもらう。精度の高い仕事というのはしっかり時間がかかるもので、これを監督するうちに、あっという間に日が暮れる。
魔獣トロイトも馬鹿ではない。この日、大勢の嗅ぎ慣れぬ人間が山に立ち入り、あれこれ不穏に動き回っていたのを、きちんと察知しているだろう。だからといって、じっと息を潜めてやり過ごす長期戦に持ち込まれぬよう、今回は余分な馬車を駆り出し、ギルドのカヴァス犬も連れてきていた。この魔犬は、テイマーにのみ見える魔法の足跡を残す能力があり、先んじて獲物を追い立ててくれる優秀な狩人だ。明日の朝、この猟犬たちを各ポイントで解き放ち、トロイトども焚きつけさせる。そうして、罠の囲いの中で逃げ惑わせ、疲弊させながら、指定の場所におびきだし、そこで一斉に屠りにかかる。計画通りにいくならば、そういう手筈になっている。明日一日、多少伸びても明後日までに、しっかり片が付くだろう。)

(──さて。入念な準備、しっかりした休息をとったのち、翌朝。朝日が山の稜線を燃え上がらせはじめた頃には、カレトヴルッフの冒険者たちも、皆しっかりと武装した姿で、広場にがやがや集まり始めていた。その中にあって、ギデオンも。軽い皮鎧ではない、重量のある魔獣と対峙するときのためのいかつい金属鎧を身に纏い、あちこちの手配の最終確認を終えたところ。あとは全員が揃ってから、隊の割り振りをして出発だな……と、考えていたその時。ふと、テイマーたちの仕方なさそうに笑う声を耳にして、そちらを振り返ってみれば。わふわふと、やたら懐っこい吠え声を上げながら、カヴァス犬たちが尻尾を振りたくっている先。ヒーラー衣装を纏った相手が来ていることに気がつくなり、ごく当たり前のように、そちらへと歩んでいって。)

──おはよう。
昨日はあいつらが、夕飯時にもおまえに絡んでいたみたいだが……どうだ、ちゃんと休めたか?



  • No.597 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-28 09:34:33 




ん? ヨルゴスさんのこと?

 ( ──ねえ、ビビちゃんは怖くないの……? 優秀だが内気なヒーラーであるアリアが、そうおずおずとビビに尋ねてきたのは、初日の昼間。仲間との昼食を終えて、子供たちが大男に怯えると悪いから──と、孤児院も兼ねた教会への聞き込みに、ビビとアリアの2人だけが派遣された時の事だった。ビビも昔から子供から好かれることにおいては、そこそこ自信があったのだが、この後輩と比べて見ればどうだ。その生来の面倒見の良さから、常時複数人の子供たちに取り合われ、全身もみくちゃにされていた彼女は、此方のあっけらかんとした言い草にサッと顔色を変え焦り出す。「そ、そうじゃなくて……作戦の方っ……!」と珍しく声を張り上げる後輩をチラリと見やって、「私達は後衛も後衛だし、滅多に危険なことなんかないよ」というヴィヴィアンに、「自分のこと、じゃなくって……」と、此方が言うまでもなく自分の責任の重さをわかっているアリアだから、ついつい可愛くって意地悪もしてしまうのだ。そうして、表情を曇らせる後輩に──ごめんごめん、と嘆息をして。「怖がっても出来ることは変わらないからね」と、これは意地悪ではない本気の答えだったのだが、その不安そうな表情を見るに、どうやら肝心の後輩には刺さらなかったらしい。さてどうしたものか──ギデオンさんはこういう時どうするだろう、と無意識にその薄青い空を仰げば、丁度駆けつけてくれた神父に、一旦会話を中断せざるを得なかった。 )

──やっ、ちょっと、アンタたち……お仕事前なんだからそっちに体力取っときなって、ねっ、

 ( 彼らが現れた途端、ムッと湧き上がる独特の匂いに、タカタッ……タカタッ……とリズミカルに響く明らかに振り切れないとわかる逞しい健脚。へっへっへっへっ、と繰り返される生暖かい吐息だけならまだしも。何故かこの連中はビビを見つけた途端、一目散に此方へとかけてきて、その赤くて長い舌をべろべろとだらしなく指し向けてくるのだから、正直、ビビにとっては慣れた仕事よりも余程こちらの方が恐ろしい。とはいえ、これでも共に仕事を頑張ってくれる仲間達だ。個人的な苦手で彼らのやる気を削ぐことは避けたいし、テイマー曰く、向こうはビビのことを純粋に慕ってくれているらしい。いつか動物好きの同僚が──これが美しいんだ、と。──ビビにとっては信じ難いことに──もっさりと顔を押し付けて吸いこんでいた、ぬめぬめとした毛並みを光らせて、ビビの周囲をびょんこびょんこと飛び回る獣達に杖を抱きしめ、何とか宥めようと声をかけてみること暫く。完全に逆効果とばかりにテンションを上げ続け、前から後ろから、しゃがめ、撫でろ、舐めさせろとばかりに、ローブを引っ張ってくる連中をかき分け、此方へと向かってきてくれた相棒に、思わずうるっと涙腺が緩んだ。
そうして、元気なカヴァス犬から、サッとギデオンの陰へと飛び込めば。自ら盾にしておいて、その分厚い肩から顔を出し、ふしゃーっと威嚇する姿の迫力のないこと。当然、カヴァス犬の方も反省するどころか、遊んでもらえるものと勘違いして、元々高かったテンションを益々あげるばかり。ギデオンの影にいるビビを狙って、今にも飛びつかんとジリジリ距離を計っている光景は、傍から見れば微笑ましい限りだが、その広い背中をぎゅっと掴まれたギデオンには、その小さな震えが伝わっているだろうか。 )

はっ……はい、お陰様で、ひっ、コラ! アンタ達、ギデオンさんまで舐めるんじゃないの……!


  • No.598 by ギデオン・ノース  2023-09-28 12:24:20 



おお……どうした……?

(救世主が来てくれたと言わんばかりの縋るようなまなざしに、ギデオンを盾にしての、やけに滑稽で愛くるしい威嚇。そちらを肩越しに振り返り、穏やかに落とした声には、困惑と笑みの気配が滲む。しかし、普段は気の強い相棒がぷるぷる震えていることを鎧の隙間から感じ取れば、必死な事情を察せようか。これまた意外そうに吹き出しつつも、寄ってたかっているカヴァス犬たちの注目を集めるようにして、己のがっしりした体躯をしゃがませ。ぎでおん! ぎでおんだ! と一斉に鼻面を寄せる獣たち、そのやや皮余りした首周りを、よしよしと揉みほぐしてやる。──このカヴァス犬たちとて、“ベテラン冒険者”の一んだ。いざ仕事に入ればきりりと引き締まるのをギデオンは知っているのだが、オフのときはどうにもこれである。主人であるテイマー以外の人間にも撫でてもらえないとなると、如何にも哀れっぽくくんくん鼻を鳴らすのだ──犬好きの人間はそれに弱い。「ん? どうだ、ここがいいのか」「おまえら、職業犬なんだから……こんなに懐っこいようじゃ駄目だぞ」なんて。柔らかな声をかけながら、そうしてひととおりあやして満足させれば、リードを握っていたテイマーたちに目配せして、ようやく彼らを引き上げさせる。そうしてゆっくり立ち上がりながら、笑んだ目で相棒を振り返る。これから大掛かりな討伐作戦だというのに、朝から随分可笑しな光景を見たものだ。)

意外だな、おまえが犬も苦手だったとは。
ああいう家畜動物の扱いも得意かと……


  • No.599 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-29 14:00:35 




 ( ギデオンの登場に、助かった……と、深い安堵に包まれたのは最初だけ。カヴァス犬から隠れるように、硬い鎧に額を押し付け、ギデオンがしゃがみこむままに従ったその背後。己の相棒が犬にかけてやるその爽やかで優しい声色と、振動となって伝わってくる暖かな触れ合いに、顔を埋めたビビの機嫌は急降下していく。生憎、顔を上げられないので推測になるが、ビビの大好きな優しい視線と、温かい掌、それが先程の犬風情に盗られているのが堪らなくって。ムカムカと湧き上がる苛立ちと、耳元で震える生暖かい吐息への恐怖を、ぐりぐりとその頼もしい背中に押し付ける。そうしてギデオンがようやく立ち上がる頃には、ぐしゃぐしゃになってしまった前髪もそのまま、楽しげな相棒とは裏腹に、この娘にしては珍しく、無愛想に不満や憤りを顕にした表情を浮かべて、おもむろにギデオンの両手をとり。そうして大いに可愛くない態度でぶすくれたまま、ポケットからハンカチを取り出したかと思うと。先程までカヴァス犬と戯れていたギデオンの掌をゴシゴシと拭って、そのまま自らの頭上に導き。ビビの奇行にギデオンが困惑の表情を浮かべるならば、自らぐりぐりとその手に頭を擦り付けるだろう。 )

犬"も"ってなんですか……別に、仕事中はちゃんと連携するんだからいいでしょ。
…………、あの子たちだけ狡い、私だってギデオンさんに撫でられたいけど、いつも我慢してるのに。


  • No.600 by ギデオン・ノース  2023-09-29 16:48:38 




狡いって……おまえ、犬に妬くこたないだろう……

(じとっと見上げる不機嫌な目に、わかりやすい膨れっ面。呑気に笑んでいたギデオンは、それらにぶちあたるなりはたと止まり、薄青い目を瞬かせた。その酷く間抜けで鈍ちんな隙を逃がすようなヴィヴィアンではない。こちらの両手を攫ったかと思えば、先ほどの戯れの痕を徹底的に拭い去り──挙句その手を、彼女自身の頭の上に導いては、撫でろ撫でろと押し付けてくる有り様で。ようやくその心中を察したギデオンも、しかしすぐには応えずに、呆れたような、参ったような、力ない呟きを落とすのみだ。
──このうら若いヒーラーが、去年の晩春以来ずっと、やたらと己を慕ってくれているのは知っている。しかしそれにしたって……いくら歳の差があるとはいえど、お互い立派な成人同士だ。普通に人目もあるのだし、子ども扱いするような真似は如何なものか。第一、相棒関係というのは、こんな形で互いを構うようなものでもないのではないか。傍目にはかなり珍妙に映ると思われるのだが……。
しかし、そんな躊躇いの間も、不満げなヴィヴィアンに再度催促されようものなら、打ち切らないわけにはいかない。賑わう周囲をちらと憚ってから、小さな嘆息をひとつ。ようやく根負けしたらしく、ごく緩やかな手つきで、彼女の乱れた旋毛や前髪を、整えるように撫でつけはじめる。仮にそれに、違う、ちゃんと撫でて! とアピールされたならば。或いは、まだまだ不服そうな面持ちを寄越されたならば。また一瞬躊躇してから、前方から後方へ、ようやくゆったりと掌を滑らせてやるだろう。それからごく自然な流れで、籠手の内側の柔らかい革を使い、相手のすべらかな頬まで撫でて……そのかんばせを上向かせ、静かにじっと見下すこと数秒。──はた、と我に返るなり。「……これでいいか、」と、相手の薄い肩を軽く叩きながら、妙に固い表情を逸らして。)



  • No.601 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-09-30 12:15:35 




……ギデオンさんが、妬いてもいいって言ったんじゃないですか。

 ( ビビの頭上で、大きな手がそろりと動く気配に、撫でやすいよう小さく俯き瞳を閉じて、温かな触れ合いをおっとりと待つ。しかし与えられた触れ合いのその浅さに、……?、? と寂しそうな、期待するような視線をギデオンにチラチラと向ければ。頑なな相手の言い草に──確かに相手もまさか、犬が仇になるなど思ってもいなかっただろうが──かの聖夜のやり取りを思い出して、そのエメラルドの瞳が傷ついたように微かに揺れる。そうして、柔らかい革の感触に頬擦りをしながら、健気にギデオンを見上げること暫く。一体ギデオンが何を躊躇っているのか、それこそ先程カヴァス犬にしたような、なんの色気もない健全な触れ合いを求めていたビビには、相手の意図が読めずに、「……ありがとうございます、」と小さく頭を下げながらも、その瞳にありありと──人前だから? と、視線だけで問うてくる姿は、彼女に分かりやすい大きな耳と尻尾があったのならば、しょんぼりと垂れていることが容易に想像出来る有様で。それでも、この半年以上袖にされ続けてきた、恋する乙女のタフさはベヒモスの皮革の如し。そろそろ作戦が始まる気配に、すぐさま垂れていた頭をぴこりと上げて、「ね、じゃあ今度……2人きりの時にご褒美くださいね」なんて、肩に置かれた手を挟むようにして、可愛らしく小首を傾げれば。それじゃあ、気をつけてくださいねえ──と、大きく手を振りながら持ち場に駆け出していって。 )

 ( さて、作戦決行間際。鼻の良いトロイト達に居場所を嗅ぎつかれぬよう、昨日ビビとアリアが作った特製匂い消しを振りまいて、それぞれの持ち場に潜むこと四半時──ねえ、どうしよう、仕事前に甘えすぎてギデオンさんに呆れられちゃったかも……。と、悶えている先輩を目の前にして、ぽかんと空いた口が塞がらないといった表情をしているアリアに、「帰ったら慰めてぇ、前行きたいって言ってたお店奢るから~」と、畳み掛けるビビがいる。確かに今回の作戦は大規模だが、まるで世紀の大仕事をするかのような深刻な顔をしている後輩に、あくまでこれは、なんでもない日常的な仕事と変わらないのだと。意識的にヘラヘラと緊張感のない様を演じている訳だが、これが意外と効果覿面。昨晩より少し顔色の良くなった後輩に、安堵する気持ちが一番大きいことには大きいのだが……。我ながら少しやりすぎかと思った演技を、すんなりと受け入れる後輩に──もしかして、ギデオンさん関係の時って、私いつもこんな感じに見えてる……? と一抹の不安を覚えたのはまた別の話だ。
さて、流石にピリピリしてきた戦士達の緊張感が必要以上にアリアに伝わらぬよう、ビビにしては厳かな態度でアリアに薬品の数と場所、使用用途を確認させる。──怖がっても出来ることは変わらない。けれど、驚異に対して正しい恐れを持つこともまた、冒険者には大切な事だ。そして、その恐怖を克服できるのは、念入りな事前準備だけだとビビは思っている。「やっぱりちょっと作りすぎたよね」なんて、作戦中に不足する心配はないのだと、できることは全てやったと、何度も何度も繰り返しアリアに刷り込みながら。世界一格好いい声で発されるだろう号令を、今か今かと待ち構えて。 )


  • No.602 by ギデオン・ノース  2023-09-30 16:51:01 




(あの夜のことを持ち出されれば、ぐっと言葉に詰まるほかない。ついでに言えば、それが相手のものであるなら、傷ついたようなまなざしにも、しょんぼりと項垂れた様子にも、己はすこぶる弱いのだ。──故に少々甘くすれば、自ら何やらやらかしかけて、それに内心狼狽したのを気取られるまいと自制して。そんなこんなの有り様だったから、しゃきっと気持ちを切り替えた相手が、甘ったるい約束をちゃっかり取り付けてしまおうと、言い返す言葉など何ひとつ上手く出てこないまま。結局、ぱたぱたと駆けていく白布の背中をただ見送るのみとなり──ひとり眉間を揉みながら、盛大なため息をひとつ。ずっとあの小悪魔にやられっぱなしだ、そろそろどうにかできないものか。
そんなギデオンに、「贅沢な悩みだねえ、総隊長殿?」と、こちらの胸の内を見透かしたような、笑み交じりの渋い声がかかる。ぎくりと振り返った先、にやにや笑いを浮かべていたのは、魔槌を担いだヨルゴスだ──いったいいつから見ていたのだろう。「若い娘にああも言い寄られるたあ、あんたも隅におけねえなあ。しかも春からずっとだろう? 何なら今夜はふたりっきりで、雌豚鍋でも囲んじゃどうだい」。食への関心が常人より高いギデオンは、無論その古い郷土料理を知っている。雌豚鍋……発情しやすさで知られる雌トロイトの肉を、精力増強の作用がある山菜等と煮込んだものだ。部屋に充満する煙は、男女をただならぬ昂ぶりに陥らせるとか、別にそうでもないだとか。「冗談じゃない」と即座に吐き捨て、気怠げに小言をかましながら、共に広場の中央へ。若い衆の面前に揃い踏みしたその時には既に、威厳あるベテランの顔を、ふたりともしれっと取り繕ってみせるのだから、やはり息が合うのだろう。
そうしてまずは部隊の編制。整列した仲間たちを見渡し、ヴィヴィアンに目を留めると、相手にだけわかる程度に小さく頷きかけてから、作戦前最後の声掛けを。朝陽がいよいよ降り注ぐなか、冒険者たちが士気を高め合う様子は、それを見ていた村人たちをも感化させたようだ。朝っぱらから盛大な声援を受けながら、いよいよ山野へ総勢繰り出し──それから、早くも一時間が経過した。)

(ヒーラーのふたりも潜伏している、谷の上の第四拠点。そこで“その時”を待ち構えていたギデオンは、いよいよその耳に、森の樹々が薙ぎ倒される物騒な物音と、第一・第二部隊のカヴァス犬たちが吠え立てる声を聞きつけた。距離にして数百メートル、こちらの谷間へ正しく雪崩れ込んでいる様子だ。さらにたった今、頭上の空の北側──ヨルゴスたちのいる方角から、魔法の狼煙が打ち上がった。その色は赤……“万事順調”。つまりここ、第四部隊も、作戦通りの動きを展開して問題ないとのお達しである。
「目標四十五度、俯角三十度に備え!」。その号令を発した途端、隊の全員に臨戦態勢の緊張がびりびり走り、それぞれの武器が物々しく構えられる。ギデオン自身もまた、愛用の魔剣の柄を握り直し、眼下を睨みつけること数十秒。いよいよ谷の切れ端に、牛ほどの大きさもある瓜坊数頭が飛び込んできた。そしてその後、太い大木を二、三本叩き折りながら続いたのは、とてつもなく巨大な赤毛の猪。村人たちの目撃情報通り、銀毛、つまり上位種のトロイトではない。ならばこの戦いは余裕だ。そう冷静に確信すると、いよいよ腹に力を込めて──)

──射撃部隊、射ち方はじめ!

(──そう、太い声で指示を飛ばすが早いか。ざっと身を起こした弓使い数名、その逞しい腕に引き絞られた石弓から、麻痺毒を塗り込んだ矢が一斉に放たれる。鋭く尖った矢じりの先は、凄まじい勢いで空を切り裂き、地上の子猪たちの胴をどすどすと突き破った。小柄な一頭に至っては、射られた衝撃でどっとひっくり返り、四肢をばたばたと暴れさせて哀れっぽく悶えはじめた。
途端、自身も一目散に駆けていたはずの親トロイトが立ち止まり。赤く血走った物凄い目で、こちらをぎろりと見上げてきた──やはり気づかれた! 「散開! カーティス、セオドアはヒーラーを援護!」言うが早いか、他の若手戦士たちと共に飛び出し、怒れる魔獣を引きつける囮役にかかる。猛然と突進してきた親トロイトは、その巨躯に飽かせた圧倒的重量で、己にとっては棒切れにも満たぬ人間どもを吹っ飛ばすつもりだろう。或いは、例え掠めただけでも、その背面の毛皮にたっぷり含んである毒で、こちらを弱らせにかかるつもりだ。
──が、それはこちらもお見通し。ふたりの青年冒険者が、ヒーラーをさっと庇って退避した、その一瞬。予め罠師が仕込んでおいた爆発罠、しかもヒーラーによる臭い消しまで施されたそれを、親トロイトは見事ど真ん中で踏み抜いた。途端にドンッと跳ね上がり、今登ってきた谷の斜面をごろごろ転がり落ちる巨体。それでも谷底にぶつかれば、そこですぐさま態勢を立て直す頑丈ぶりが恐ろしいだが、今の数秒で時間稼ぎは充分果たせた。体を起こす際の一瞬の硬直状態、そのありありとした隙を逃さずに。谷の斜面の反対側、完全に息を潜めていた第三部隊が、一斉に矢の雨を降らせ、親トロイトの左半身を針の山にしてみせる。
その攻撃がやんだ瞬間、ギデオンら囮役もまた、谷の下、トロイトたちが進行していた方向に躍り出て。各々の武器をこれ見よがしに構えてみせるが、激しく息を震わせる親トロイトは、流石に無謀に飛び込んでこない。やはり知恵の回る魔獣だ──同じ手を二度喰らうものかと、罠を警戒しているのだろう。いずれにせよ、トロイトたちの視線は一挙に手繰り寄せることができた。谷の上の安全は、再び確保できただろう──ヒーラーたちは安心して、後援に回れるはずだ。
手負いの魔獣どもを睨んだまま、片手をさっと振り。追いついてきたカヴァス犬たちを、皆谷の上に避難させる。彼らの仕事はここまでだ、ここから先の仕上げでは猟犬たちをも巻き込みかねない。そうして、じりじりと距離を測ること数秒。後ろから第一、第二部隊の冒険者たちが合流したのが、トロイトたちに決死の覚悟を決めさせたらしい。どっと、斜面を使って迂回する形で親トロイトが駆けだしたのと、「──迎え撃て!」とギデオンが叫んだのが同時。全部隊の冒険者たちが、皆一斉に打ち合わせ通りの展開を見せ。その中でギデオンもまた、重い鎧を纏った身で稲妻のように駆けだすと、親トロイトの腹の下に滑り込み、その四肢の腱に刃を走らせた。当然どれも石のように固いが、がくん、と脚の一本を折らせるのに成功する。親トロイトが怒りの呻き声を絞り出し、それを聞いた途端、矢に痺れていた数頭の子トロイトが、ゆらゆらと立ち上がった。群れる魔獣によくある本能だ──親や子といった仲間の危機を感じると、死の淵からでも甦る。さっきひっくり返った一頭、すっかり痺れている二頭を除けば、三頭の子トロイトが戦闘態勢に入ったわけで(姿の見えない一頭は、この谷に来るまでにどこかで仕留められたのだろう)。全部で四頭の怒れる魔猪を、相手どらなくてはいけない。
無論、正面からぶつかるのでは、重量のない人間に勝ち目はない。かといって、矢の雨で安全圏から弱らせようにも、相手の数が多いので、ああして射手に突進され、こちらに被害が出てしまう。故に、ギデオンの講じた作戦は、まず最初に遠距離攻撃で相手の勢力を削いでから、余力のあるトロイトの腱を接近戦で攻撃。ヒーラーの後援を得つつ、その脚力を奪ってしまえば、動けぬ彼らをもう一度蜂の巣にし、着実に仕留めよう……という寸法だ。先ほどのような爆発罠でも脚を負傷させられるが、トロイトは賢いから、やはり接近して戦う者が上手く誘導しなくてはならない。──つまり、戦士の仕事はここが正念場。そしてそれは、ヒーラーの援護によって十二分に果たされるから、彼女たちふたりにとっても、今が気合の入れ時だ。十人の男たちが皆死力を尽くして魔獣を打ちのめす、その騒乱の真っ只中で。状況を素早く確かめたギデオンが一言、作戦通りに要請を飛ばして。)

──ヒーラー、散布始め!



  • No.603 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-02 01:54:50 




……ッ、……、

 ( 地面を震わすような、激しい猪達の足音に混じって、己の惨めったらしい不規則な呼吸が耳につく。カーティスらの援護を受け、必死に獣道を駆け上がりながらも。時折、香りの強い物や有毒の薬草を見つけては燃やし、万一トロイト達に気づかれても追い縋られないよう、自分たちの匂いを誤魔化しておく。そうして、鬱蒼と茂る木々の間から、要救助者はいないか、トロイト達の頭数、アリアの顔色からその余力も見極めれば。幸いここまでは全て計画通り、大きな齟齬もなく進行している作戦に、ほっと胸を撫で下ろしかけたその時だった──「伏せて!!」と爽やかな渓谷を切り裂いたセオドアの怒号。瞬間、ビビ達の行く手を遮り、バキバキと太い枝葉をなぎ倒しながら、猛然と此方へ駆け来る7匹目の子トロイトに、セオドアが咄嗟に張った魔法障壁ごと吹き飛ばされ。それを見た同期組が、ビビの隣で鯉口を切る気配に、「倒そうとしない! 崖下に落とすよ!」と指示を飛ばせば。杖を抜いたビビが谷底のギデオンに向け、白い花火を数発打ち上げる間に。厳かな詠唱を終えたアリアの杖が光り、向こうもまた魔法障壁の反動に吹き飛ばされていた幼獣の着地地点へ、鋭い大岩がドスドスッと突き上がれば。その巨体が微かに傾ぐ隙を見逃すカーティスでは無い。その恵まれた体躯を低くし、一直線に山道を駈けたかと思うと、その崖側の軸足を掬う代わりに、自身も険しい斜面を滑り落ちながら「ビビ!」と託された希望を繋がなくて何が冒険者か。──虚仮威しのフラッシュでは意味が無い。ファイヤーボールでは威力が足りない。大型魔獣とは決して相性の良くない手数をひっくり返して、腰の薬草に手をかければ──嗚呼、勿体ない……!! と思わず漏らしたのはヒーラー娘のどちらだったか。カーティスの一撃にぐらりとバランスを崩した魔獣目掛けて、大きく振りかぶったビビが投げつけたのは、粉末状のモーリュが詰まった小瓶と小さな火種。g単価並の冒険者の日給を超える高級薬草が引き起こす"ただの粉塵爆発"に、滲みそうになる涙をグッと堪えて、谷底を確認すれば。華麗な連携に吹き飛ばされた巨体は哀れ、親の嘶きに奮い立った兄弟のその一匹を押し潰して動かなくなったところだった。
そうして、周囲一帯を見渡せる高所に立つヒーラーと、地面で魔獣と相対する戦士。奇しくもギデオンととビビが初めて共闘した際と同じ構えで、相棒の要請を捉えれば。深手の戦士2人をアリアに任せて、半日かけて作った燻し玉に片っ端から火をつけ、風向きを谷下に集める。そうして、煙の逃げ場がない谷底で、もうもうと烟る煙幕は魔獣の鼻をも犯しその行動を大きく制限するだろうが、人類の視界を塞ぐ程のものでは無い。シルクタウンの時と似ているようでいて、あまりに広いフィールドのその谷底に、燻し玉の煙を制御するだけでダラダラと汗が流れるが、──ギデオンさんならやってくれるに違いない。その信頼を込めて、2人で操るはずだった煙幕を見事1人で制御してみせれば、果たしてトロイトと冒険者、どちらに軍配が上がるだろうか。 )


  • No.604 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-02 01:55:07 




……ッ、……、

 ( 地面を震わすような、激しい猪達の足音に混じって、己の惨めったらしい不規則な呼吸が耳につく。カーティスらの援護を受け、必死に獣道を駆け上がりながらも。時折、香りの強い物や有毒の薬草を見つけては燃やし、万一トロイト達に気づかれても追い縋られないよう、自分たちの匂いを誤魔化しておく。そうして、鬱蒼と茂る木々の間から、要救助者はいないか、トロイト達の頭数、アリアの顔色からその余力も見極めれば。幸いここまでは全て計画通り、大きな齟齬もなく進行している作戦に、ほっと胸を撫で下ろしかけたその時だった──「伏せて!!」と爽やかな渓谷を切り裂いたセオドアの怒号。瞬間、ビビ達の行く手を遮り、バキバキと太い枝葉をなぎ倒しながら、猛然と此方へ駆け来る7匹目の子トロイトに、セオドアが咄嗟に張った魔法障壁ごと吹き飛ばされ。それを見た同期組が、ビビの隣で鯉口を切る気配に、「倒そうとしない! 崖下に落とすよ!」と指示を飛ばせば。杖を抜いたビビが谷底のギデオンに向け、白い花火を数発打ち上げる間に。厳かな詠唱を終えたアリアの杖が光り、向こうもまた魔法障壁の反動に吹き飛ばされていた幼獣の着地地点へ、鋭い大岩がドスドスッと突き上がれば。その巨体が微かに傾ぐ隙を見逃すカーティスでは無い。その恵まれた体躯を低くし、一直線に山道を駈けたかと思うと、その崖側の軸足を掬う代わりに、自身も険しい斜面を滑り落ちながら「ビビ!」と託された希望を繋がなくて何が冒険者か。──虚仮威しのフラッシュでは意味が無い。ファイヤーボールでは威力が足りない。大型魔獣とは決して相性の良くない手数をひっくり返して、腰の薬草に手をかければ──嗚呼、勿体ない……!! と思わず漏らしたのはヒーラー娘のどちらだったか。カーティスの一撃にぐらりとバランスを崩した魔獣目掛けて、大きく振りかぶったビビが投げつけたのは、粉末状のモーリュが詰まった小瓶と小さな火種。g単価並の冒険者の日給を超える高級薬草が引き起こす"ただの粉塵爆発"に、滲みそうになる涙をグッと堪えて、谷底を確認すれば。華麗な連携に吹き飛ばされた巨体は哀れ、親の嘶きに奮い立った兄弟のその一匹を押し潰して動かなくなったところだった。
そうして、周囲一帯を見渡せる高所に立つヒーラーと、地面で魔獣と相対する戦士。奇しくもギデオンととビビが初めて共闘した際と同じ構えで、相棒の要請を捉えれば。深手の戦士2人をアリアに任せて、半日かけて作った燻し玉に片っ端から火をつけ、風向きを谷下に集める。そうして、煙の逃げ場がない谷底で、もうもうと烟る煙幕は魔獣の鼻をも犯しその行動を大きく制限するだろうが、人類の視界を塞ぐ程のものでは無い。シルクタウンの時と似ているようでいて、あまりに広いフィールドのその谷底に、燻し玉の煙を制御するだけでダラダラと汗が流れるが、──ギデオンさんならやってくれるに違いない。その信頼を込めて、2人で操るはずだった煙幕を見事1人で制御してみせれば、果たしてトロイトと冒険者、どちらに軍配が上がるだろうか。 )


  • No.605 by ギデオン・ノース  2023-10-02 17:24:37 




(一発目に弾けたのは、伝達開始を知らせる高らかな破裂音。それが己には何故か、『──ギデオンさん!』と呼ぶ声に聞こえ、反射的に振り仰いだ。地上の血生臭さなどつゆ知らぬ、爽やかな冬の青空。そこによく映える、真っ白な信号花火が、パン、パパパン、と明瞭に鳴る──“ら・っ・か・ちゅ・う・い”!
急ぎながらも正しいリズムで打ち上げてくれたおかげで、向こうで異状が起きたことを把握しつつ、そちらで対応が取れていることまで察せたから、こちらのためだけの最速判断を下すのに躊躇はなかった。「総員!」──若手のひとりに襲い掛かった親トロイト、その足元を魔剣のひと薙ぎで打ち払って牽制してから、谷全体を振り返り──「各自、南北へ退避!」。無論、中堅以上の戦士ならば、ギデオンがこうしてわざわざ再共有するまでもない。しかし、今戦っている多くの若者は、強い魔獣と対峙しながら想定外の信号にまで気を配る余裕など、まだまだ身につけていないに等しい。故に、相棒のくれた情報を確実に行き渡らせるのは、信じて託された己の使命だ。
はたして、谷の随所で激戦を繰り広げていた冒険者たちも。辺りを駆けるギデオンが、差し迫った表情で「退避!」「南北へ散れ!」と呼びかけ続けたものだから。はっと冷静に動きを止め、敵を依然注視しながらも、谷の両端に散開した。
そのタイミングを、完璧に読んだのだろうか。ひとりの若手戦士、ヒーラーの護衛に回っていた筈のカーティスが、必死に体勢を立て直しながら滑り落ちてきた、その頭上。崖の外れでものすごい爆発が轟いたかと思うと、派手な土煙と共にひとつの巨体が吹っ飛んでくる。それを決して逃さずに、「最高だ!!」と叫んだのは、傍で構え続けていた熟練魔槌使いヨルゴス。韋駄天のように駆けたかと思うと、別の戦士に突っ込もうと蹄を打ち鳴らしていた敵の一頭──最も頑丈で手を焼く子トロイト──のこめかみに、強力な打撃を撃ち込んで。谷の後方へ勢いよく吹っ飛ばされる巨体、その着地地点はもちろん、崖から飛んできた兄弟が落ちていくまさにその場所。どしゃっと潰れる嫌な音が響き、辺りの地面にむごたらしい赤がぶちまけられる。
しかしギデオンの目は、それを一瞬確認しただけで、すぐに上空へと吸い寄せられた。煙が次第に薄れると、その高い崖の一点に、ひとりのヒーラー娘の姿がはっきり見えてきたからだ。純白のローブと栗毛の髪をはためかせ、ぐっと険しくも凛々しい目で、こちらを見下ろすヴィヴィアン・パチオ。その雄姿はギデオンだけでなく、谷底にいる戦士皆の目に、強烈に焼き付いた。
──しかし、まだ戦いは終わっていない。コンマ数秒の静寂から真っ先に我を取り戻すと、彼女やヨルゴスを労う間も惜しみ、周囲に、そして崖上のヴィヴィアンに、毅然とした声で指示を飛ばし。相棒もまた、最速の動きをもって、最後の追い込みを調えてくれる──作戦どおり、谷に煙幕が充満する。いよいよ、この作戦の総仕上げだ。)

第二! 左翼展開、威嚇用意!
第三! 目標10時、右左方用意!

(ヴィヴィアンとアリアが作ってくれた燻し玉の煙幕は、嗅覚を奪うのみで、呼吸や視界には支障をきたさぬ優れもの。しかし、視力の悪いトロイトにとっては、最悪極まりない妨害工作だ。血塗れの子トロイト二頭を従え、自身も平らな鼻面から夥しい量の血を噴きだしている親トロイトは、ぶっぶっと息を吐きながら、忌々し気に頭を揺らめかせ、こちらに攻めあぐねている様子。左眼の瞼の上を深く斬っておいたので、そちら側の視界はもう、完全に塞がっていることだろう。加えて、討伐作戦の序盤で第三部隊が撃ち込んだ矢が、左半身を痛め続けているとなれば。奴は今、死角になっている左からの攻撃を、神経質に警戒しているはず。ギデオンはそこに勝機を見ていた──着実に、最小限の被害で奴を仕留めきるために、全ての手駒を活かすのみだ。)

第四、第二を助攻! 目標のサイドを排除しろ!
第一、主攻構え! ──攻撃、始め!!

(作戦通りの陣形を展開した冒険者たちは、三頭の魔猪たちに一斉に迫りかかった。ギデオンらが迂回混じりに距離を詰める隙を稼ぐべく、第二部隊が陽動を展開。その音に敏感に反応した親トロイトをいち早く庇おうと、子ども二頭がそちらに突っ込み──ギデオンの指示どおり、強力な魔法を己の弓にためていた少数精鋭の第四部隊が、先ほどとは比べ物にならないほど強力な矢を発射する。案の定、子トロイトはその頸椎を射抜かれ、あまりの勢いに首がくるくると飛んでいく。
頭部のない残りの身体が、崖に激しく叩きつけられ、ずるずると崩れ落ちる──その無残な光景を、残る右目で見届けたのか。ごおおお、ともはや地響きじみた唸りを上げたのは、大ボスである親トロイトだ。もはや臭いでの索敵を投げ捨てたのか、冒険者たちを手当たり次第に蹴散らそうと、むやみやたらに暴れ狂いはじめた。ここにきて、その脅威度が更に数段階上がったのだ。
魔獣の死力は凄まじく、奴に接近していた何人かの若手が、いとも呆気なく撥ね飛ばされた。しかし、第二部隊の魔法使いたち、もしくは崖上のヒーラーや魔法戦士が、すかさずカバーの魔法を投げかけてやったおかげで、崖に身体を打ち付けての致命傷には至らない。起き上がるなり自力で退避できたのは、ヴィヴィアンの巧みな煙幕操作のおかげで、トロイトがろくに追い討ちをかけられないためだろう。それでも元気のある者は、ほんの少し息を整えただけですぐに飛び出し、再び戦況に加勢していく。
一方、すべての攻撃を躱し続けるギデオンとヨルゴスは。魔獣に巧みに接近し、己の魔剣、己の魔槌を、その巨躯に幾度も叩き込んでいた。後援として潜んでいた罠師たちもまた、揺らめく煙幕に紛れるようにして、ほんの小さな足止め程度の罠を何発も新たに植え込み、トロイトの動線をさりげなく操作する。冒険者たちの連携は盤石だ──それでもトロイトは、道連れを増やすことを諦めない。
たった今、トロイトの巨大な牙の切っ先が鎧を掠め、ばりばりと金属が引き裂かれていく嫌な音が響き渡った。被害を受けたのは、最前線にいたギデオン及びヨルゴス。しかし咄嗟の回避力に年季が入っていることもあり、その傷はさほど深くない。一切怯みを見せることなく、トロイトの肩、及び後ろ脚をずたずたにして、同時に後方へ飛び退る。ここまでくれば、自分たち特攻隊の仕事はもう充分と言っていい。「総員、撤退!」と一声命じれば、他の冒険者たちが一斉に戦場を離れていく。
──それに応えるようにして、「第三、構えました!!」と爽やかな声で叫んだのは、安全地帯に引き上げられていた筈のカーティスだろうか。信頼のおける相手ゆえ、そちらを見もしなかったギデオンは、己の魔剣を正面に構え、バチバチと魔素をため込みはじめた。お得意の雷魔法──今日ずっと使わなかったのは、この最後の一撃のためだ。普段よりもその閃光が激しかったのは、激しい闘気によるものか、それとも崖上に控えている相棒に支援魔法をかけられてか。
いずれにせよ、煙幕を薙ぎ払うようにして射出された雷撃は、こちらを圧し潰そうと突進してきたトロイトの勢いを、中間地点で相殺しきり、その場で激しくもんどりうたせた。──そして、「総隊長の雷魔法」という合図を今か今かと待ちながら、その石弓に自分の魔力を込めきっていた、第三部隊の大勢が。第四部隊のそれよりさらに強力な、必殺の弓矢の雨を、ここぞとばかりに解き放つ。
痺れて動けぬトロイトは、死んだその子らと同様に、どすどすと貫かれはじめた。立ち上がろうにも、矢、矢、矢。ここまでくると、剣や槌といった近接武器を使う特攻部隊の面々は、その壮絶な死にざまをじっと見届けてやるしかない。何度も何度も立ち上がろうと藻掻き続ける大猪は、最後に一度、血の塊を吐き出しながらギデオンを睨みつけて。──その血走った右目が、ぐるんと上を向き。どうっと倒れて、谷を激しく震わせた。)

(──数秒の沈黙の後、荒い息を整えながら、「ヨルゴス」と隣に呼びかける。ベテラン仲間はそれだけで、隊の前では見せられないギデオンの魔法疲労を感じ取ったらしく、代わりに進み出てくれた。「──おまえら、まだ気ぃ抜くな! まだ敵は死んでないぞ!」。煙幕が薄れゆく中、よく響き渡る怒鳴り声は、迂闊な勝利に浮かれぬよう、仲間たちの気をしっかり引き締めるためのもので。
ヨルゴスが適当な者を呼び集めると、そのなかのひとり、若い槍使いが、強張った面もちで親トロイトの死体に近づいた。敵はほぼ確実に事切れただろうだが、念には念を入れろ、というのが冒険者の鉄則。この頃にはギデオンも静かに息を整えたので、後輩の傍まで歩いて行き、周囲の仲間と共に万一に備えながら、しっかりと立ち合いを担う。
ヨルゴスの指導の下、若い槍使いはトロイトの後頭部に槍の穂先を突き立てると、ずぶずぶと沈めていって──「あっ、これですか」「そうだ、そいつだ」。初めてでは穴を見つけるのは難しいだろうに、しっかりと手応えを得たらしい、額に脂汗を浮かせながら、その槍を激しく動かす。魔獣の頭蓋骨の中身を、念入りにかき混ぜているのだ。王都の市民がこれを見ると、酷くグロテスクな所業だと恐れをなすのだが、なまじ強い魔獣ともなると、ここまでしなければ死なないことも多い。これをぬかって返り討ちにされた事例も、冒険者史上数多く存在する。故に、トロイトのような特定魔獣を狩るときは、最後に必ずこの処理をする決まりなのだ。
そうしてようやく、「もういいぞ」とベテラン戦士双方に言われ、獲物をしっかり引き抜いた青年は。その赤い穂先を高く掲げ、興奮で頬を紅潮させながら、「──ブランドン・ベイツ、対象の死亡を確認しました!」と声高らかに宣言した。その瞬間、谷中がわっと湧き、むさ苦しい凱歌があちこちで立ち昇って、血だらけ土だらけの冒険者たちが、ごろごろと無邪気に抱き合う。何度経験していようと、大掛かりな討伐を果たした時の達成感というものは、冒険者皆が熱狂する、最高の瞬間だ。ギデオンもそれは決して例外でなく、崖の上の相棒をふと振り返ると、満足気な笑みをふっと浮かべるのだった。)



(──さて、現場にいる間だけは、泣く子も黙る鬼になるのがヨルゴスだ。
「静まれジャリども! ここからがこのクエストの本番だぞ!」と相変わらず怒鳴る彼に、縮み上がる若手たち。その様を面白おかしく眺めるのも一興だが、総隊長のギデオンには懸念事項が山ほどある。現場処理の指揮を一旦ヨルゴスに任せることにして、まずは作戦中異状があった後衛の確認へ。激戦明けのはずの身体で崖を軽快に駆け上り、がさがさと茂みを掻き分けること数歩。真っ先に顔を合わせた相棒に。開口一番、先ほどの偉業を褒めてやるよりも前に、まずは責任者としての真摯な確認を投げかけて。)

──……、負傷者は何人、どの程度だ。アリアは無事か?



  • No.606 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-03 21:20:03 




 ( 谷上まで届く程の振動と共に、今回の首領・親トロイトが、どうと音をたて倒れ臥す。確実な生死を確認するまで、戦士たちの緊張は変わらない(べきだ)が。もう既にこの瞬間から、ヒーラー達の新たな戦場は始まっている。煙幕の操作にかかりきりだったビビの背後で、初めての大型クエストにも関わらず、深手を負ったセオドアを診ながら、同時進行で壮絶な前線に滑り落ちたカーティスを拾い上げる大立ち回りを、冷静にこなしてくれたアリア。そんな二人の状態が安定したことを確認して、崖の先に立つ此方へと指示を仰ぎに来た後輩と、努めて明るい雰囲気で負傷者を数えながら、今後の方針を話し合う。とはいえ、作戦中の事だけではなく、その後に負傷者を治療するためのスペースや、必要な物資の調達先等、必要な確認は事前に済ませており。流石のギデオン指示下、この負傷者数ならば、事前の計画通りにこなしてなんら問題なさそうだ。そう手早く医療部の方針をまとめれば、あとは早々に総隊長から権限を移行して、速やかに負傷者の治療を始めたいところ。後衛の撤収はアリアに任せて、自身は先程登ってきた獣道を滑り降りようとしたところで、ちょうどギデオンと出会して。 )

現状確認できている範囲で、重篤な負傷者はナシ。速やかな手当がいる対象は9,10名程。
ヒーラーに被害は出なかったので、予定通り休耕地にテントで負傷者の救護にあたります。
他に小さくても怪我をした人がいたら、力尽くでもなんでも寄越してもらって……それから、誰でも良いので、動ける人を2人ほど貸してください。

 ( 総隊長の問を受け、先程アリアと確認した所見をスラスラと述べるヴィヴィアンは、急場でこなした一人での煙幕操作に、前髪は汗で潰れて、白い頬は微かに上気している。そうでなくとも、鬱蒼と茂った獣道を駆け上がった関係で、白い装束はあちこち汚れて、全身鉤裂きや小さな擦り傷だらけ。しかし、それらをものともせずに、この場の医療部責任者として、真っ直ぐにギデオンを射抜くエメラルドには、作戦前のような甘えは見られずに。谷を引き上げる準備のため、一旦相手と別れるその間際、さりげなく相手の腕に触れたかと思うと──トロイトの抓を受けていた相棒に。「お疲れ様です」と短い一言で施した回復魔法が、ビビにとってはあるまじき精一杯の公私混同だった。
さて、纏まったスペースの取れない渓谷の代わりに、昨日ビビが確保した休耕地は、ここから山道を徒歩で20分程のところにある。とはいえ、医療従事者にとっての"重傷者"とは、早急に最新医療に繋げなければ、数時間先が分からない者たちを指す言葉であり。従って重傷者はゼロ……と言っても、今この瞬間も脂汗を浮かべて、痛みに喘ぐ負傷者達が歩ける距離ではとてもない。それ故に──パンパン! と手を叩いて、歓喜に湧く冒険者たちの視線を取り集め、負傷者を背負って山を下れる体力の残っていそうな者を数名割り振れば、ビビを目の前にした男どものそれはそれは素直なこと。元気だけが取り柄の連中を、ベテラン顔負けの速度で取りまとめ。何処から話が漏れたのやら。この後の救護活動で二人、誰がヒーラー助っ人をするかで勝手に紛糾したり、それが収まると、今度は助っ人枠から漏れた連中が、自分の身体に優しく手当をしてもらえるような負傷がないか、お互い探しあったりと。よく言えばこんな時まで健康的に、忖度を抜きにすれば品もなく、ニヤつきながら山を下る珍妙な一行を先導しながら山を下った。
そうして辿り着いた休耕地には、既に大きなテントが既に3棟。主導するのはヒーラーと言えど、大型クエスト後の救護活動は、基本的には総力戦になる。ヒーラーが負傷者の治療に当たるテントの一方で、無限に必要になる熱湯をグラグラと沸かし続け、備品の消毒等を繰り返す体力班に、その間に使う薬や物資、労働力の調整をする、頭脳労働班用のテントがそれぞれ。まずはその負傷者用のテントを開けて、その傷に響かないよう慎重に負傷者達を寝かせると、治療に当たる前に手を洗いに顔を出せば。下山中、勝手に助っ人の座を勝ち取った青年達が、テントから顔を出したビビが、助っ人を呼ぶのをソワソワと待ち構えているところで。 )

それじゃあ、誰か救護テントの方を手伝っていただける方──……


  • No.607 by ギデオン・ノース  2023-10-04 20:52:00 




(各種の数字、今後の計画、そちらの現場に必要なもの。相手が寄越した情報は、いずれも過不足なく明瞭で、全く申し分がない。おまけにさらりと、ほんの一瞬の触れ合いだけでギデオンの傷を癒すのだから、つくづく優秀なヒーラーである(ギデオンもギデオンで、彼女の魔素をいともあっさりと取り込むほどに、この半年間の相棒関係で馴染んでいたこともあるが)。とはいえ、今は状況対応が最優先。真剣な顔で「すぐに向かわせる」と返すと、踵を返し、今来た崖道をすぐさま戻る。後衛の面々について、もはや己が直接確かめるべくもないと踏んでいた──ヴィヴィアンもアリアも、職務を立派に果たしている。ならば己も、今の一分一秒を惜しんで、総隊長としての仕事を着実に果たすだけだ。)

……だからおまえら、そんなに飢えるくらいなら、普段から女遊びをしておけって言ってんだ。
ほら、ぼさっとしてないでさっさと手伝え。

(さて、あれから半刻ほど過ぎた頃。最優先の確認作業をすべて終えたギデオンは、ヨルゴスと適宜相談しながら、浮かれている若手たちにあれこれ指示を飛ばし。時折、うんざりしたように投げやりな発破をかけている有り様だった。
魔獣討伐という仕事は、敵を倒せば終わり! と言えるほど単純明快なものではない。子ども向けのおとぎ話であれば、何か希少なアイテムでも落として綺麗になくなるところだが、生憎ここは現実世界。死体の解体、有用物の採取・加工、不要物の処分、荒れた現場の清掃、二次被害の防止措置、などなど。討伐を終えた後にこそ、多くの仕事が待ち受けている。特に死体の解体作業は、病魔の発生や他の魔獣の誘引を避けるため、最速で着手すべきものだ。だからできれば、戦い終えた全員を投入したいところなのだが……もちろん、決してそうもいかない。元々今回は、昨今ギルド上層部が悩んでいる人件費対策により、本来よりもかなり少人数でのパーティー編成である(戦士二十人近くに対し、元の計画ではヒーラーがたったひとりしか配置されなかったのが良い例だ)。つまり、討伐での負傷者が出れば出るほど、その後の現場処理に回す人手がどんどん足りなくなってしまう。ここのところは、ギデオンの綿密な作戦が功を奏して、これでも本来の半分ほどのダメージに抑えることができたのだが、それでもやはり、苦しいものは苦しい、足りないものは足りない。かといって、医療部による衛生処理を軽んじれば、そちらの方がよほど長期的な悪影響をもたらし得る。とにかく、もうこの状況は仕方がない。今動ける人間が最大限の仕事を果たせるよう、常に現場を睨みながら、適宜割り振りを尽くすしかない──そう腹を括って、あちこち駆けずり回っているというのに、だ。
ギデオンやヴィヴィアンの悩む、人手不足などつゆ知らず。戦闘後の高揚感──冒険者用語でいうバトル・ハイ──に浮かれている連中は、皆が皆、ヒーラーのテントの周りにぞろぞろとたむろする有り様だ。このバトル・ハイは、気分が異常に高まる代わりに、思考力がとんでもなく落ちる、要は馬鹿になる。特に魅力的な異性を見ると、花の蜜に誘われる虫のようにふらふらついて回ったり、或いは全力で口説きにかかったりするのだ。「ビビは能力面でいやあ間違いなく必要だったが、それはそうと、こういう時にゃなあ……最大の人選ミスだわなあ」とは、水を飲んでひと息ついたヨルゴスの言。彼は谷での現場処理の監督をする傍ら、たびたびこちらに人手を借りに来るのだが。普段はよく効く鬼教官の怒鳴り声も、今の青年たちにかかれば、マドンナヒーラー・マジックによってぷよんぷよんと跳ね返せてしまうらしい──鬼教官の肩書が泣くわけだ。「二十年前の誰かさんみたいだな」とギデオンが皮肉を叩けば、魔槌使いは気まずそうに、「仲間の女にゃ手を出さなかったぞ……」と言い訳を。奴には連れ添って二十年になる妻がいるが、つまるところその馴れ初めは──という話はさておき。とにかくこういったわけで、ギデオンはヨルゴスとのぼやき合いもそこそこに、若手たちの統制に手を焼いている最中だった。ここまで来たら仕方ないかと、とっておきの切り札、昔行きつけだった娼館の名前を出す。あのがめついやり手婆に、「昔大恩を売ってやったろう」「新しい金蔓を寄越しな!」と、散々せっつかれていた事情もあるのであり、決して今も通っているわけではない。──が、花街で遊んだことのあるらしい何人かが、ギデオンの口にした嬢の名前を聞くなり、(え、マジ!?)というようにぱっと振り返ったのと、後ろのテントから思いがけずヴィヴィアンが顔を出し、他の連中がその面をだらししなく蕩けさせたのとが、ほとんど同時。ふと振り返ったギデオンも、この半年親しくしている若い娘と鉢合わせるなり、ぴた──と、それはもうものの見事に凍りついて。)

いちばん捌ききった奴には、一回くらい『サテュリオン』の女に口利きしてやってもいいぞ。ほら、アドリアーナに会いたい──奴、は──……



  • No.608 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-05 12:33:50 




──…………?

 ( ビビがテントから顔を出した途端、それまでガヤガヤと煩かった周囲が一気にしんと静まり返る。え、なに……? と怪訝に眉をひそめてぐるりと周りを見渡してみれば。あからさまに泳ぐ瞳を隠せない者、その一方で、だらし無く期待に緩む表情で固まる者、または何かがおかしくって堪らないといった様子で口元を押さえる者。反応様々に、皆一様に此方を見つめてくる奇妙な光景も、しかし、ビビにとっては見慣れたものだ。自身の容姿が彼等にとって好ましいもので、好ましい異性には見せたくない姿がある、という男の自尊心に触れない賢さは、幼少期のみぎりからとっくに身についている。何を話していたかは聞こえなかったものの、これまでの経験上、どうせ大した話はしていないのだ。文字通り蚊帳の外な状況に、はあ……と漏らしたため息は、次に発する声への前準備でしか無かったのだが、後ろめたいことのある連中にはどう映ったろうか。ピシリと硬化する大男達を再度見回し、再び口を開きかけたその時。背後からふわりと耳を塞がれ、「そういう話は場所を選んだ方が良いんじゃないか、レディの耳が腐ったらことだ」と、辛うじて聞こえる気障ったらしい台詞は、中で寝ていたはずのカーティスだ。一体何をしに出てきたのか、痛みに上がる呼吸と、熱を持った掌が痛々しくて。脚を引きずる相手をしっかりと支えてやれば──この居た堪れない空気も、ギデオンさんならピシッと纏めあげてくれるに違いない。そう誰がこの空気の元凶かも知らずに、真っ直ぐな瞳で大好きな相棒を見上げると、仕方の無い色男の汗を拭ってやってから、信頼に満ちた声をギデオンにかけ。 )

カーティス、無理したら駄目よ。
──ギデオンさん、私カーティスを寝かせてくるので、人選お願いしても良いですか?


  • No.609 by ギデオン・ノース  2023-10-07 02:08:55 




──……了解。

(いつもと変わらぬ表情を向けてくれた明るい相棒に、こちらもごくごくいつも通り、落ち着き払った声を返す。……しかし、彼女がカーティスを優しく支えながらテントの中に消えていく姿を見送る、その無言の視線はどうだ。まずい部分は聞かれていなかったらしいと理解しての、浅ましい安堵やら。同期の男にやけに近しく接していた様子への、何やらひりついた思案やら。その場に佇んだまま沈黙している横顔は、傍目にはいっそ雄弁に見えたかもしれない。
現に周囲の、ギルドきってのマドンナにだらしない野郎どもときたら。巧みな目配せを交わしたかと思えば、すっと数人が進み出て、「ギデオンさん、あいつ、あのカーティスの野郎、俺許せねえですよ」「ビビちゃんに悪いことしないか、俺らがちゃんと見張っておきますんで!」なんて、真面目腐った顔で申し出る連携ぶりだ。しかしギデオンの方も当然、自分の個人的な心の揺らぎに、この莫迦な若造たちを付け入らせるはずもない。ゆっくり振り向いた青い双眸は、普段は湖のように穏やかなはずが、ルーン海の底より厳しく冷え込んで。「……お前ら。五体満足なら、全員バラシに回れるな?」と、有無を言わさぬ低い声で命令を。途端に、若者たちが顔に貼り付けた凛々しい笑みは、皆一様に激しく引き攣って崩れ去るのだった。)

(──さて、何やら虫の居所が悪い指揮官に圧をかけられたとあれば、さしもの色惚け連中も、皆ひいひい言いながら谷間の方へ走っていった。倒したトロイトは全部で8頭、総重量は優に20トンにものぼる。数時間は帰ってこられないだろうが、働き盛りの若者にとってはさぞや嬉しいことだろう。
人手を欲する医療部には、それまで魔獣討伐後の喫緊の処理にあたってくれていた罠師数名を回すことにした。死亡直後の魔獣の臭いは、長く吸うと身体に悪い。だから現場の交代がてら少し休ませてやろう、という気遣いなのだが、しかし実のところ、罠師という特殊な人種の性格傾向を見込んでの人選でもある。──専門家気質な彼らは、良くも悪くも人間に興味がない。否、人を驚かせて楽しむタイプもいるにはいるが、それは本質的に、己の悪戯……要は“罠”が、狙い通りの効果をもたらしたことを喜んでいる。道行く美女には振り返らない癖して、奇想天外な術式で書かれた罠型魔法陣には、どことは言わずおったてる変人までいるくらいだ。故にある種の状況において、ほぼ確実に間違いを起こさない。そういう意味で、彼らを信頼することにしたのだ。
──そう、これは別に、多忙な医療従事者たちにいちいち見惚れず、きちんと真面目に手伝ってくそうな人選をしただけのこと。面倒なガキどもを皆一緒くたに相棒から遠ざけたかった、だとか。他の者をテントに出入りさせることで、少しでも相棒とカーティスがふたりきりになる確率を下げようとしただとか。そんな愚かな他意など、決してありやしないのだ。)

────……、

(それから更に一晩が過ぎた。休耕地に追加の野営を構えて泊まり込んだ冒険者たちは、翌日も解体やら清掃やらの仕事にひたすら追われ続け。ようやく原状復帰したのは、冬の弱い太陽が天高く昇るころ。村に借りた幾つもの荷台を馬に曳かせ、一同が皆揃って凱旋すると、村人たちはそれはもう大喜び。事前の約定どおり、トロイトから獲れた肉──痺れ毒を用いたため、結局可食部全体の一割にも満たなかったが──の半分を贈呈すれば、これまた大変な、気でもちがったかと思うほど大騒ぎとなって。ギデオンの制止もむなしく、「今宵は宴じゃ!」「祭りじゃ!」「ぱーちーじゃ!」と、村をあげての宴会準備がとうとう始まってしまった。それからも再三固辞してみたものの、最終的には、「これは厚意に甘えようか」とヨルゴスと話し合い。結局、もう一晩の延泊を決め、若者たちに自由時間を与えてやる。各地の依頼者との交流は、この先数十年の冒険者人生に大きく影響することを、ギデオンたちはその経験で知っていた。この二日間頑張った褒美がてら、当人たちはそうと思っていない勉強を、たっぷりさせてやることにしようか。
──そうして、若者たちが待ちに待った祝宴会は、案の定大盛り上がり。昨晩まで怪我で呻いていた連中も、今や村人と肩を組み、酔いどれながら歌っている有り様で。冒険者といい村人といい、トランフォード人というのは、つくづく元気で陽気なものだ。そんな賑やかな輪の外、ギデオンはと言えば、広場の中央のそれより小さな、こじんまりした焚火の傍で、日中に仲間たちが書き上げた報告書に相変わらず目を通している。自分はああして騒ぐたちではない、仲間たちの楽しそうな様子を見聞きしている方が好きだ。何より、カレトヴルッフに帰ってから別途ギルマスに上げる報告を、考えておかねばならない──のだが。いったい全体、こんなこじんまりした村のどこに、そんな代物が眠っていたのか。お偉いさんにゃ特別に、と村長直々に異国の杯を注いでくれたのだが、その強い酒精がじわじわ回ってきたらしい。後輩たちの手前、最低限は気を引き締められるものの、この思考の鈍りようじゃ、今夜はあの方の耳に入れられるような話をろくに纏められなさそうだ……と、書類から顔を上げて断念すると。背を預けていた古井戸に更にもたれ、冬の澄んだ夜空を見上げる。広場中央の大火から舞い上がる火の粉が、ちらちらと赤く揺れながら、天の川に溶け込んでいく……その様子を眺めるうちに、また一段階頭が鈍って。少し眠気を取ろうかと、少しの間瞼を閉ざし。)

…………



  • No.610 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-08 12:47:20 




 ( ギデオンの苦悩と、外の喧騒など露知らず。急拵えの簡易ベッドにカーティスを寝かせてやれば、「──……待て、待ってくれ。渓谷の、俺が……滑り落ちた途中の、木の幹に。デカい爪痕があったんだ……。ありゃトレントじゃねえ、ノースさんに……」と成程。この青年は自らが見た責任を果たすべく、満身創痍の身体を引きずり出てきたというわけか。しかし、この作戦で彼の言う爪痕の主が現れなかった以上、それはビビ達がギルドに帰った後、然るべき装備の調査隊が入るべき案件だ。今はただ「……わかった。ギデオンさんには私から伝えておくから安心して」と、宥めるようにその額の汗を拭ってやれば──その責任感だけで意識を保っていたのだろう。少しだけ安心した表情で、気丈な後輩が瞳を閉ざし、その呼吸が深くなるのを確認すれば、そっとその場を離れるのだった。
そうして、計画通りアリアと各々1人ずつ、ギデオンが割り振ってくれた罠師を連れて。人手不足故の慌ただしさはありつつも、少ない資源を効率的に、かつ速やかに痛みに喘ぐ怪我人達の治療を済ませていけば。痛々しい呻きで揺れていたテントに、次第に穏やかな寝息が響き始める。しかし、もしその過程を俯瞰的に眺めることが出来たならば、アリアが担当した5人側と、ビビが担当した4人側で、そのヒーラー達を取り巻く空気が、全く違う色を放っていたことに気がつけただろう。そもそも冒険者という輩は、この仕事に着くまで軽い病気にもかかった事がないような連中が殆ど、そのうえ見栄っ張りで強がりという救えない性格を持ってすれば。まずその治療必須の大怪我を、可能な限り隠し通そうとして、それが出来ないとなると、今度はこんな怪我たいしたことないと、なんとしても治療から逃げ回ろうと足掻く始末。そんな傍迷惑な野郎共をどうするかと云うのは、ヒーラーによって大きく変わるところで。魔獣討伐も終わったというのに、魔獣より元気な怪我人共とプロレスを繰り返し、最終的には魔力に任せて、連中を昏睡紛いの眠りに突き落とすビビに対して、アリアサイドの穏やかなこと。人一倍大きな成りをして、注射や見た事のない医療道具に震え上がる冒険者達を宥めつつ、一生懸命丁寧に手当をしては、「ね、痛くなかったでしょ?」と、普段おどおどと気弱に見える娘が、自分のために微笑んでくれる姿に、一度アリアの手当を受けた連中は、次回からも素直に治療に応じるようになるとの評判さえある程だ。しかもアリアが凄いのは、それを──雑務処理や、他に軽傷の連中の手当も引き受けていたとはいえ──4人しか診ていないビビと、大して変わらない速度でこなしていく出際の良さで。そうして、優秀な後輩のお陰で、負傷者の治療は速やかに進み。一方の解体作業の方はと言えば、なにやら此方もとてもスムーズに片付いたらしいというのに。約数名、最後のキヨメに呼ばれたビビを見て、サッと顔色を変え、キョロキョロと不審に周囲を見渡していたのは何事だったのだろうか。 )

 ( ──あら、珍しい。暖かく揺れる焚き火を頬に写して、睫毛の長い瞼を閉ざした相棒を見つけたのは、予定外の宴も大いに盛り上がって来た、まだそう遅くない時刻のこと。お茶目な村長の隣について、今後の対策やら、村の来歴やら、ご主人との馴れ初めやら、どんどん逸れていく話に花を咲かせることしばらく。赤ワインの瓶が開けられた気配に、そっとさり気なく席を外して、自分でも無意識に探していたのは愛しい相棒の姿。懸命に探すまでもなく、相手の好みそうな場所を探せば、すぐ様見つかったギデオンはしかし、その大好きな青い瞳をビビに向けてはくれずに。──この数日、ヨルゴスと2人、大所帯を抱えて、ついに凶暴な魔獣を討伐したのだ。疲れきって、今は気が緩むのも当然の相手の姿に。いくら焚き火の隣といえど、この寒空に無防備な様が気にかかって。一度冒険者達の荷物が纏めて置いてある方へと歩みを変えると、旅慣れした荷物の中から薄い毛布を取り出し、ゆらゆらと揺れる焚き火で温める。そうして、宴の喧騒も遠く、信頼する相棒と2人、パチパチと爆ぜる火の音に、自身もまったりと降りてくる瞼を感じ取りながら、ふわりと大きな欠伸をひとつして。──いつかの夜のように。座る相手のピッタリ隣に腰掛けながら、相手の逞しい膝に暖かい毛布をかけてやれば、"お疲れ様です"と、口の中で囁くように労って、その頬が冷えていないか、酒精と眠気でやけに温まった、人差し指から小指までの指の甲でそっと触れて。 )


  • No.611 by ギデオン・ノース  2023-10-08 14:07:35 




…………

(一緒に呑み交わしていた村長たちには、仕事の都合で途中から少し席を外す、そちらは気兼ねなく楽しんでいてくれ、と事前に伝えてあった。そのおかげで誰に見咎められることもなく、ほんの少し目を休める程度のつもりが、結局とろとろと無防備に微睡んでいたらしい。
しかし、ふと頬に触れた、こちらを労わる優しい感触に。炎に照らされた睫毛が震え、薄青い目がゆっくりと開く。そうして微かに身じろぎし、すぐ隣をのっそりと見たその表情は、未だぼんやりと、眠たそうに曖昧なまま。数秒後、ようやく相手が誰だかっわかってきたのだろう。その唇の端に、安堵の窺える仄かな笑みが、ふわりと緩慢に浮かび上がって。)

……おまえか。

(掠れた小声で呟いたのは、たったそれだけ。今置かれているこの状況は、仮にもパーティーの長であるベテラン戦士が、人目を忍び、若手のマドンナヒーラーと毛布を共にして寛いでいる──という、平時ならば眉を顰めてはねのける状況であるはずだ。しかし酔いの回った今宵は、どうやらそこまで考えが及ばぬらしい。それ以上は特に何を言うでもなく、相手が何事かを言えば一言二言返しながら、またぼんやりと前を向いて。すぐ隣の娘の体温にぬくまりながら、パチパチと爆ぜる焚火を、穏やかな横顔で眺める。
視線をほんの少しずらし、向こうの広場の方を見てみれば。赤々と燃え盛る炎の周りでは、冒険者と村人たちが輪になって踊りはじめていた。囃子と共に軽快な音楽が鳴り響いているのは、きっと器用な誰かが、トロイトの骨の余りで、笛やらクラベスやらを作ってみせたのだろう。村人たちも家々から太鼓やマンドリンを持ち出し、即興の狂想曲を楽しそうに奏でている。顔の良い奴は村娘たちにくすくすと戯れられ、そうでない者は、同じくあぶれてしまった村の男たちと共に、悪鬼のように凄惨極まりない面で、ド迫力の打楽器を叩きはじめ。がらりと転調した雰囲気、その真ん中に意気揚々と躍り出たのは、昨夜ヴィヴィアンに昏睡させられていた、体はでかいのに注射器は怖い、可笑しな槍使いたちだ。去年の夏、建国祭でも披露していた戦士舞踊を舞い始めれば、広場はまた大盛り上がり。すっかり元気になった連中、そのぶどう酒を呷りあう楽しそうな様子を眺めて、ギデオンもまた、満足気にふっと微笑むと。その細めた目を隣に向け、少し意地悪く揶揄って。)

あっちに混ざらなくていいのか。
それか──あれから逃げだしてきたってわけなら、このまま隠れ蓑になってやるが。



  • No.612 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-09 11:57:44 




……起こしちゃってごめんなさい。

 ( 実を言うとここ最近の、ギデオンの少しよそよそしい態度に不安を覚えなかったと言うと嘘になる。あの聖なる夜に与えられた温もりと約束は、夢だったのではないかと思うほど。隙間風が吹き込む距離感に、強請っても少し早く離れていく手──やっぱり醜い嫉妬心なぞ見せなければ良かった、とは決して思いたくないが……。ギデオンが浮かべた笑顔に、深い安堵を覚えたのは此方もまた同じ。眠そうな掠れ声に、此方も囁くような声で謝罪して、少しかさついた頬を少し撫でてからそっと手を離すと。代わりに──ぽす、と筋肉のついた肩に頭を預けて、ギデオンが視線を向ける宴を、ビビもまた夢を見るような眼差しでうっとりと眺める。
そうして、相手から発されたお馴染みの意地悪に、普段だったら憤慨したか。若しくは、それを逆手にとって──隠れ蓑じゃなくて、私がギデオンさんといたいからいたのだと、真正面から迫ったかもしれない。しかし、不安に弱った心にはそんな狡い提案さえも魅力的で。「うん、隠してください」と、肩が触れ合っている方の手をとり、戯れにその筋を弄んだり、両手でぎゅっと包み込むも。すぐ様そんな己が恥ずかしくなって、態とらしく声を上げると、もしそのまま促されれば、昼間カーティスから聞いた顛末を詳細に語るだろう。 )

──……あ、そうだ!
ギデオンさん、カーティスから聞いたんですけど……


  • No.613 by ギデオン・ノース  2023-10-09 13:17:34 




──なあ、あいつとは、

(ギデオンはその瞬間まで、ふわふわと心地よかったのだ。ヴィヴィアンのらしくない、どこかしおらしく感じられる様子を、最初は「……?」と、訳も知らずのうのうと、不思議に思いはしていたものの。こちらにしっとりともたれかかっている彼女が、徐にギデオンの手を弄び始めたのを見て──ああ、いつもの相棒だ。これがいい、俺はこれがいい、と、何ら抗わず身を委ねていた。強い魔獣を仲間たちと屠り、喜びに沸く市民と熱い食事を一緒に囲み、酒を飲んで、皆が愉しそうに騒いで。それをのんびり眺めながら、相棒とふたり、なんてことのないささやかな時間を楽しむ……今の己に、これ以上恵まれた人生などあるだろうか。そんな満ち足りた心境だったから、“こちらは応えないが、相手を拒むこともしない”という、いつぞやの花火の夜の約束よろしく。理性の利いている普段なら身を引くだろう触れ合いを、与えられるまま堪能していた──その矢先に、急に心が冷えたのだ。
カーティス・パーカー。あの爽やかな、男から見ても魅力的な後輩戦士の名を、よりによってヴィヴィアンの口から親し気に聞かされた途端。とろりと凪いでいたギデオンの双眸は、すうっと不穏に焦点を取り戻し。目の前の焚火を見遣りながら、思わず反射的に口走ったのは、相手を促すどころか、あからさまに遮っての問いかけ。これも普段ならば決してしない真似だろうに、酔いと動揺で頭の鈍っている今は、その浅慮を全く自覚していないらしい。大して考えていなかったのだろう、続きの言葉を捻りだすのに、一瞬「……」と沈黙を挟んでから。触れられた手を振りほどくことはできぬまま、それでも顔だけは、ふいと僅かに他方にそらし。少し低く落とした、どこか親しみの失せた声で、言い訳じみた言葉まで重ね。)

あいつとは、仲がいいのか。
……テントでの様子を見て気になっただけだ。個人間の繋がりは、隊の編制をする側としては、掴んでおきたいところだろう。……




  • No.614 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-10 14:33:30 




──……ギデオンさん。お顔、見たいです。

 ( まさか遮られるとは思っていなかった発言に、当初、ビビのエメラルドグリーンの瞳は、真剣に驚いた様子でまん丸に見開かれる。慌てて口を噤みながら、次に考えたのは、カーティスが何らかの不正や間諜を犯している信用に足らない人物である可能性。そんな風にギデオンのたった一言で、親交深い相手でさえ、迷いなく疑いの目を向けられる程、ギデオンのことは深く、第一に信頼し尊重しているうえに、──そもそもビビがカーティスと気軽に付き合えるのは、彼には大切に愛してやまない婚約者がいるからだ。ということは、ギデオンだって知っているだろうに。──未だ記憶も新しい。"誰にも盗られてくれるな"と、そう言ってくれた愛しい人が連ねる言い訳に、相手の態度の原因が、もっと私的なそれに聞こえるのはビビの自惚れだろうか。
そっと相手から手を離して、自身の獲物へ手を伸ばし、ビビがふわりと腕を振るうと。宴と二人の間に枝をもたげていた枯れ木に葉が茂って、宴からの視線を上手く遮ってくれる。そうして、真摯なお強請りに相手が此方を見ようと、見なかろうと。硬い太腿に添えた手に体重を寄せ、その唇で相手の頬を奪うと。「あの、勘違いだったらごめんなさい」と、膝立ちになって相手の頭へ腕を回せば。「確かに、カーティスとは友達ですけど、私が好きなのはギデオンさんだけです」と、あくまで誠実に答えながら、その透き通った金髪をサリサリと梳き。それから暫く、"応えられなくとも、拒まれない"ならば、金色の頭を撫でながら、「好き」「大好き」「愛してます」と、足りていなかったらしい愛情を、これでもかと時折キスにして注ぎ込み。ゆっくりと腰を下ろしながら、その薄青い瞳をうっとりと覗きこめば、おもむろに髪紐を解いたことで、ホワイトムスクのような清潔で甘い香りがふわりと周囲に広がって、 )

…………ね、昼に言ったご褒美、今、くれませんか。
最近、あんまり撫でて下さらないから、寂しいです……


  • No.615 by ギデオン・ノース  2023-10-10 22:59:34 




(向こうの方の楽し気な賑わいとは反対に、辺りに降りるしばしの沈黙。ついで、相手の手が静かに引かれていくものだから、どこへとなく落としていたギデオンの視線は、ぴたりと強張るように固まった。──しかし次いで、何やら魔法の煌めく気配に、植物らしきものがざわざわと茂る音。……ヴィヴィアンはいったい何を、そう内心戸惑い、気になるものの、どこか意固地さを孕んだままの視線は、まだ一点に落とされたまま。相手が質問に答えずに、そっと強請ってきた声にも、やはり素直に応えられない。己の有り様を見透かされているのが、薄々わかってしまうからだ──どんな面をして見ればいい。
そんな聞き分けの悪い子どもを、ゆったりとあやすように。ヴィヴィアンはその温かい体を寄せてきて、こちらの頬にそっと口づけを落とした。そこまでされてようやく、大いに狼狽する双眸を、相棒のそれに合わせてみれば。今やギデオンの膝の間で向き合っている彼女は、こちらを覗き込みながら、ただまっすぐな誠意の言葉を。果ては、こちらの頭を柔く擽りながら、何度も頬や額にキスを落として、愛の告白を繰り返す。──不自然に閉ざされていたギデオンの胸中が、余計な力の抜け落ちるように、急速にほどけていく。どこか暗く、刺々しく翳っていた顔つきにも、穏やかな弛みがゆっくりと取り戻されて。その目にも、どこか心地よい敗北感が、温かく蕩け込んでくる。)

…………。

(極めつけは、お馴染みのポニーテールを解いた瞬間、密かに馴染みある香りがふわりと押し寄せてきたことだった。密かに好んでいた“彼女の匂い”が、鼻腔から肺の中まで潜り込んできた途端。そのあまりに単純明快な、真正面からの物理的な征服に、元々疲労と酒で弱っていたギデオンの牙城は、いとも呆気なく陥落し。……無言を保ったまま、ずり落ちていた毛布を片手で拾うと。もう片方の手で彼女の背を軽く押し、自分の胸の内に抱き込んで。そうして、彼女と自分の両方をすっぽりと覆うように、薄い毛布を掛け直す。腕の中のヴィヴィアンには、今の己の顔は見せない──これ以上見せてやらない。思考は未だ薄ぼんやりとしているものの、道理の通らぬ嫉妬に気づかれてしまったことを、酷く恥ずかしく思う気持ちはあるのだ。故に、締め付けのない艶やかな栗毛を、大きな掌でゆったりと撫でてやりながら、上辺ばかりの言い訳を諦め悪く繰り返す。──先ほど、彼女が酒の席から逃げてきたことを、ギデオン自ら言及していたし。そもそも彼女が、酒精で記憶を飛ばすことはないたちであることも知っている。彼女の好意を承知している身で、この“ご褒美”をなかったことにしてくれだなんて、酷く身勝手で薄情極まりない言い草だということも、痛いほど自覚している。だが、こうして建前を並べ立てるのでもなければ……己の方が、素直に彼女に甘えられない。)

……明日には、忘れろ。
俺もお前も、今こんな風にしてるのは……酔いが……回っているせいだ。
いつもみたいに撫でるのは、またしてやるから。
だから、今夜のこれは……特別だ。




  • No.616 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-11 12:37:22 




……はい。明日には……全部、忘れてます。

 ( 髪を解いたのは、ただ撫でてもらいやすいようにした私利私欲。暖かな胸に顔を埋めて、うふ、と小さく微笑んだ娘は、自分の行為が男を陥落させたなど露知らず。気持ち良さそうに瞼を閉じて、相手の要望にしっとりと頷きながら、自らも背中に回した腕に力を込める。そうして、──酔いが回っている、か。なんて、村長と相手との間でされたやり取りなど知らぬビビには、ただそれだけギデオンが疲れ果てているように感じられて。こんな言い訳をしてまで、自分に甘える選択肢を選んでくれた相棒を、とことん甘やかしてやりたい本能にも近い気持ちが湧き上がる。
最初は回していた手でとんとんと、「お疲れ様です、今日もとっても格好良かったです」と広く逞しい背中を撫で擦り。次第にギデオンの腕の中、ゆっくりと体勢を立て直すと、顔を見られたくなさそうな相手を暴くことはせずに、その形の良い頭をゆっくりと抱えこんでしまう。そうして、胸元かギデオンが逸らせば肩口かに乗せられた頭をふわふわと撫でながらも、己を撫でる大きい手が止まれば、不満げに身を捩って強請るのは、あくまでビビが甘えているという体を崩さないため──……否、ギデオンをこうしていることで、こうもドクドクと湧き上がる本能的な庇護欲、母性を満たされている時点で、やはり甘えさせて貰ってるのはビビの方なのだろう。透明なそれが入り交じる金髪を梳いては、たまに襟足を擽ったり、サラサラとした中に暖かい軟骨を見つければ、その愛しい耳を柔らかくなぞる。──嗚呼、私今絶対だらしない顔をしてる。そう最早、顔を見せられないのはどちらの方か。かき上げた生え際にもう一度唇を落として、最近の寂しさを埋めるようにぎゅうっと身体を押し付けると。えへ、と小さく笑ってから、幸せそうに喉を鳴らして、 )

ギデオンさんの体温……暖かくて子供みたいですね、可愛い。


  • No.617 by ギデオン・ノース  2023-10-11 23:25:59 




……うるさい、

(相手に抱かれ、撫でられながら、こちらもまた彼女の頭を撫で返す──という、双方の愛情表現の、なかなかの渋滞ぶりに。ギデオンのただでさえ回らぬ頭は、ものの見事に混乱しきり、結局相手にねだられるまま、片掌を不器用に動かし続けていたのだが。愛しくて仕方がない、そんな響きを孕む相手の言葉に、優しく耳朶を打たれるや否や。途端にこの状況がこそばゆくなったのか、思わず相手の頭に爪を立て、ざり、と痛くない程度に抗議を。そのまま、相手のふわふわの栗毛を、腹立たしげにぐしゃぐしゃと掻き乱しつつ。相手の肩口に顔を埋めた状態で、言葉の上でも──しかし弱々しくくぐもった声音で──ふてくされる有り様で。
今の己は、四十路に入った大の男だ。それがこうして、“まだ”恋人ではないはずの、十六も下の若い娘に、こんなにあからさまに甘やかされ。体温が上がっているのもバレてしまっている上に、可愛いとまで形容される──こんな恥ずかしい体たらくをして、どうして平気でいられよう。そんな風に思う癖して、しかし彼女を離せもしない、いったいどういう了見か。甘い現状に気まずくてならず、腹いせに相手の髪を、撫で下ろすように弄ぶ。そうして、ふと得た気づきに面を上げ。真横の髪に鼻梁を向けて……相手からは見えないだろうが、熱に淀んだ目を、ぼんやりとさ迷わせる。そうだ、この香りのせいだ。すぐそばからずっとふわふわと漂っている、清潔で甘やかなこの匂い。──ヴィヴィアンの匂い。
たしか、ちょうど二ヶ月ほど前。合同捜査で一緒に働くことになった昔の女が、不愉快な工作をけしかけてきたことがあった。職業柄、情報収集能力に優れているその女は、相棒の使っている洗髪料をぴたりと嗅ぎ当ててしまったらしく。次にギデオンが会った時、“この香りが好きなんでしょ?”と言わんばかりに、あからさまに振りまいてきたのである。今までの半生、女に色仕掛けをされた経験はそれなりにあるが、たかがハニートラップであれほど気分を害されたこともない。何せ当時のギデオンは、ちょうど相棒との関係が拗れまくっていた頃で。鼻先に届く馴染みある香りに、一瞬、実際に反応してしまい。──けれど、その後に届くラストノート、女自身の肌の匂いと入り混じってできる香りが、明らかに別の、あざとく品のない代物だったから、余計に胸をかき乱された。これは違う、あれとは比べ物にならない、と。相棒の甘く優しいそれを思い起こしては──彼女は今、エドワードやニールといった、同じ年頃の青年たちと一緒に過ごしているところなのだと。このところずっと忘れようとしていた事実まで思い出し、ますます機嫌を悪くしていた。……そうだ、あのとき。例の小屋で、相手を一晩中抱きしめるなんて蛮行に及んだのは、相手の香りが恋しかったからだ。今の自分が、相手から離れられないのだって、似たような道理だ。この7週間、ろくに休んでいない。遠征に次ぐ遠征で、合間も単発に駆り出される日々。年が明けて以来、ゆったりと寛いで夕餉を楽しめたのは、せいぜいが二、三日。歳もあって堪えつつある身体に、とにかく癒しが欲しかった。自分を安らがせてくれるものが──相棒が、たまらなく。)

……、

(しばらくの間、相手の顔の真横で、静かな呼吸を繰り返していたものの。最後のそれが深まったかと思えば、不意に相手の背中を両腕でかき抱き、逃がすまいというようにがっちりと捕えつつ。その華奢な首筋に顔を吸い寄せ、深く深く埋めて。──普段から胸元を寛げているためだろう、彼女の来ている白いシャツのスタンドカラーは、ほとんど防波堤を為さない。鼻先か、ともすれば唇まで相手の素肌に触れさせるという、普段からは考えられない蛮行に出ながらも。香りと温もりを得られればそれでいいのか、必要以上にまさぐるでもなく、そのままじっと、胸元を安らかに上下させ。相手がどうにか逃げ出すか、邪魔が入るかしなければ、その呼吸は少しずつ、眠たげな、よりゆっくりしたものへと凪いでいくことだろう。)



  • No.618 by ギデオン・ノース  2023-10-11 23:34:31 




※些事ですが訂正を。7週間は盛大な計算ミスで、実際はおそらく5週間程かと思います。失礼いたしました……!



  • No.619 by ギデオン・ノース  2023-10-11 23:51:49 




……うるさい、

(相手に抱かれ、撫でられながら、こちらもまた彼女の頭を撫で返す──という、双方の愛情表現の、なかなかの渋滞ぶりに。ギデオンのただでさえ回らぬ頭は、ものの見事に混乱しきり、結局相手にねだられるまま、片掌を不器用に動かし続けていたのだが。愛しくて仕方がない、そんな響きを孕む相手の言葉に、優しく耳朶を打たれるや否や。途端にこの状況がこそばゆくなったのか、思わず相手の頭に爪を立て、ざり、と痛くない程度に抗議を。そのまま、相手のふわふわの栗毛を、腹立たしげにぐしゃぐしゃと掻き乱しつつ。相手の肩口に顔を埋めた状態で、言葉の上でも──しかし弱々しくくぐもった声音で──ふてくされる有り様で。
己はもう、四十路手前の大の男だ。それがこうして、“まだ”恋人ではないはずの、十六も下の若い娘に、こんなにあからさまに甘やかされ。体温が上がっているのもバレてしまっている上に、可愛いとまで形容される──こんな恥ずかしい体たらくをして、どうして平気でいられよう。そんな風に思う癖して、しかし彼女を離せもしない、いったいどういう了見か。甘い現状に気まずくてならず、腹いせに相手の髪を、撫で下ろすように弄ぶ。そうして、ふと得た気づきに面を上げ。真横の髪に鼻梁を向けて……相手からは見えないだろうが、熱に淀んだ目を、ぼんやりとさ迷わせる。そうだ、この香りのせいだ。すぐそばからずっとふわふわと漂っている、清潔で甘やかなこの匂い。──ヴィヴィアンの匂い。
たしか、ちょうど二ヶ月ほど前。合同捜査で一緒に働くことになった昔の女が、不愉快な工作をけしかけてきたことがあった。職業柄、情報収集能力に優れているその女は、相棒の使っている洗髪料をぴたりと嗅ぎ当ててしまったらしく。次にギデオンが会った時、“この香りが好きなんでしょ?”と言わんばかりに、あからさまに振りまいてきたのである。今までの半生、女に色仕掛けをされた経験はそれなりにあるが、たかがハニートラップであれほど気分を害されたこともない。何せ当時のギデオンは、ちょうど相棒との関係が拗れまくっていた頃で。鼻先に届く馴染みある香りに、一瞬、実際に反応してしまい。──けれど、その後に届くラストノート、女自身の肌の匂いと入り混じってできる香りが、明らかに別の、あざとく品のない代物だったから、余計に胸をかき乱された。これは違う、あれとは比べ物にならない、と。相棒の甘く優しいそれを思い起こしては──彼女は今、エドワードやニールといった、同じ年頃の青年たちと一緒に過ごしているところなのだと。このところずっと忘れようとしていた事実まで思い出し、ますます機嫌を悪くしていた。……そうだ、あのとき。例の小屋で、相手を一晩中抱きしめるなんて蛮行に及んだのは、相手の香りが恋しかったからだ。今の自分が、相手から離れられないのだって、似たような道理だ。この5週間、ろくに休んでいない。遠征に次ぐ遠征で、合間も単発に駆り出される日々。年が明けて以来、ゆったりと寛いで夕餉を楽しめたのは、せいぜいが二、三日。歳もあって堪えつつある身体に、とにかく癒しが欲しかった。自分を安らがせてくれるものが──相棒が、たまらなく。)

……、

(しばらくの間、相手の顔の真横で、静かな呼吸を繰り返していたものの。最後のそれが深まったかと思えば、不意に相手の背中を両腕でかき抱き、逃がすまいというようにがっちりと捕えつつ。その華奢な首筋に顔を吸い寄せ、深く深く埋めて。──普段から胸元を寛げているためだろう、彼女の来ている白いシャツのスタンドカラーは、ほとんど防波堤を為さない。鼻先か、ともすれば唇まで相手の素肌に触れさせるという、普段からは考えられない蛮行に出ながらも。香りと温もりを得られればそれでいいのか、必要以上にまさぐるでもなく、そのままじっと、胸元を安らかに上下させ。相手がどうにか逃げ出すか、邪魔が入るかしなければ、その呼吸は少しずつ、眠たげな、よりゆっくりしたものへと凪いでいくことだろう。)




  • No.620 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-13 00:50:18 




ぁ……ひゃっ、ギデオンさん……!?

 ( 人体の急所でありながら、擽られると特別弱い、首筋の柔らかい部分に、ギデオンの高い鼻が当たり、少しかさついた唇が触れる感覚に、それまで爪を立てられようが、髪をぐしゃぐしゃに掻き回されようが、無邪気にきゃあきゃあと喜んでいた娘の身体が、ぴくりと跳ねる。季節は真冬、そしてあれから一度、村民の好意でシャワーを浴びたとはいえ、それも既に数時間前のこと。生暖かい吐息がぬるりと当たる感覚に、「やぁ……かがなッ」とそこまで漏らして、"嗅がないで"という単語の持つ艶めかしさに怖気付くと、先程までの余裕は跡形もなく吹きとび。先程のギデオンより余程のぼせ上がり、真っ赤になって瞼を伏せ、いじらしく恥じ入る娘が残るのみ。遅れて、がっちり固められた腕から逃げ出そうとしても、首筋をなぞるギデオンの吐息に力が抜けてままならず。この場から逃げ出したくなる本能とは別に、こうして甘えてくれたギデオンを受け止めたい理性がまた、余計に混乱を助長するようで。時折、たまらぬこそばゆさに反応しかけて、その都度ぐっと堪えながら、ぼんやりと熱に浮かされた瞳で、その金色の頭をふわふわと撫でること暫く。
──ギデオンの呼吸が深いものとなって、どれくらいの時間がたっただろうか。それはギデオンが自然と理性を取り戻した数分後のことだったか、それとも、とうとう宴も終わってしまった頃合だったか。思わぬ距離感に混乱しきって思考を手放し、腕の中の相棒をひたすらに柔らかく撫で続けていた娘は、その太い腕が緩んだ隙を逃さず、まるで尾を踏まれや猫のように跳び上がると。普段はその尻尾を悠々とたなびかせている深紅のマフラーを、己の肩から耳元にかけ、ぐるぐると勢いよく巻き付け、体育座りの要領で勢い良く顔をうずめる。そうして、「……ッ、」と声にならない悲鳴を、自身の膝に吸い込ませてから、そのマフラーに負けず劣らず赤い顔をおずおずと上げると、潤んだ瞳をギデオンに向け。その分厚い胸板に向けて、力のない拳をぽこんぽこんと振り下ろしたかと思うと。ゆるゆると下ろした拳を開いて頬を覆い、真面目な顔で全く説得力のない釘を刺し )

──……くび、弱いからだめ、です!
そ、れに…………かっ、嗅……ぐのも駄目!
こんなの……もう、ほんとにお疲れの時だけですからね……、


  • No.621 by ギデオン・ノース  2023-10-13 11:56:21 





(長く続く穏やかな微睡みに、ギデオンの頑なな檻がごく自然と緩んだ、そのとき。腕の中にいた温もりがびゃっと身を引いていく気配に、ようやくぴくりと目を覚まし、ぼんやりとそちらを見遣る。──目の前には、真っ赤な顔を埋めている、馴染みのうら若いヒーラー娘。そのすらりと長い脚を縮こめ、もうこれ以上は駄目ですと言わんばかりに、ギデオンの贈ったあの赤いマフラーでがっちりと防御を固めて。次いで向けられた涙目やら、全く痛くない反撃やら……酷く恥ずかしがりながらも、こちらへの甘さを決して捨てきれていない台詞やら。いじらしいにも程がある有り様に、まだ少し夢うつつの状態にあったギデオンの顔は、やがてふっと緩く笑み。)

……それなら、また近いうちに許してくれそうだな。

(なんて、これは流石に冗談だ──ほとんどは。身振り口振りでもそうちゃんと説明すると、暫く固まっていた体をほぐすべく身じろぎし、片膝を立てる形で、古井戸に背中を預けながらゆっくりと座り直す。まだ酩酊が残ったままだが、先ほどよりは多少の理性を取り戻したのか、もう相手を拘束する意図はないようだ。頭上の冷たく澄んだ星空を見上げ、白い息を幾らか吐いて。次に広場の方を見ようとすれば、季節に似合わず青々と茂った枝に、「?」とわかりやすく疑問符を(本当に何も覚えちゃいないらしい)。身体を傾け、隙間から奥を窺えば、どうやら村の広場の方も、お開きとなりつつある様子だ。焚火の始末をしたり、酔い潰れた冒険者や村人を介抱したりする光景が見え、その中であの酒の強い村長だけが、相変わらずヨルゴスと何やら盛り上がっていた。アイツ含め、うちの連中に関しては、昨夜泊まった村の公民館に放り込むことになるだろう。無論、そんな雑対応はあくまで男に限った話。パーティーの紅二点であるヴィヴィアンとアリアは、村人の家の一軒に泊まることになっている。そうか、それを想うと、そろそろ相手を帰してやらないとな……とまで考えて、ふと思い出し。正面の相手に向き直ると、マフラーに巻き込まれて撓んだ栗毛に手を伸ばし。何とはなしにひと房出して弄びながら、穏やかなまなざしを投げて。)

……そういや、今回のアリア。お前のサポートがあったにしろ、随分活躍してたみたいだな。俺も正直、あそこまで立派に動いてくれると思ってなかった。
上には改めて、評価を上方修正するように伝えるつもりだ……これからますますしごかれるだろうが、あいつならやっていけるだろう。



  • No.622 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-14 14:05:24 




…………、

 ( ギデオンの人を食ったような冗談にビビの心を過ぎったのは、揶揄われたことへの憤りではなく、こんな"ほんとにお疲れの時"が、またすぐに訪れるような生活をしている相手への深い心配。──冗談、とこちらに表してくる相棒の一方で、我ながらどうしようも無い甘さを自覚してしまえば。そっと甘い感触の残る首元を抑えながら、案外相手の言う通り、またすぐにでもチョロく受け入れるだろう己の未来を察知しては、気まずい思いで首を縮め。──だって。ギデオンさんに無理して欲しくないし、私で元気になってくれるなら嬉しいし……と、既に絆されきって手遅れの思考に頭を抱えて、ぷるぷると葛藤していた塊は、しかし。相手の瞳に理性が取り戻され、更に自分が可愛がっている後輩が褒められるのを耳にした途端。ぴこりと頭が持ち上がり、えへえへと嬉しそうにほぐれ解凍されていくのだから、いじめ甲斐のないことこの上ない。 )

……そうでしょう、そうでしょう! アリアってとってもすごいの!
私も真似したことあるんですけど、全ッ然効果ないかすっごく時間がかかるんですよ。でも、アリアが言うとみーんなすぐ言うこと聞くんです!
……ちょっと悔しいけど、皆の役に立ちたいって子だから、あの子の活躍する場面が増えるなら私も嬉しいです!

 ( そうして、ギデオンの隣。後輩のことで何故か自分が誇らしげなヴィヴィアンは、相棒に寄り添うように井戸に寄りかかり、ぐっと伸びをしてから元気よく跳ね上がるように立ち上がると。今日も今日とて変わらぬ満面の笑みでギデオンを振り返り、「そろそろ行きましょうか」と手を差し出す。そうして、結局カーティスの報告を上げたのは、約束の民家への家路の途中。誰からの報告かは濁したものの、ちゃんと伝わっているに違いない。あの巨大なトロイトより、更に大型の存在を前にして、さて相手は魔獣かただの野生動物か。あれこれと可能性を挙げ連ねていれば、ビビ達を泊めてくれる約束の民家の門はすぐにでも見えてくるだろう。 )

──っと、送ってくださってありがとうございました。
……久しぶりにお仕事ご一緒できて嬉しかったです。
今年もよろしくお願いいたします……なんて、まだ明日無事にギルドに帰るまでが依頼、ですよね?


  • No.623 by ギデオン・ノース  2023-10-16 03:28:52 




(後輩ヒーラーを褒められるなり、ぱあっと輝くヴィヴィアンの顔、そのにこにことご機嫌なこと。ギデオンも思わず苦笑し、立ち上がって促されるままゆったりと歩き出す。その横顔は、気づけば随分と──少し前の一幕が嘘のように──寛いでいるのだった。
そうして道すがら、相手の真面目な報告に耳を傾けているうちに。冬の肌寒さが酒精を和らげてくれたのか、「そうか」「それで?」と相槌を打つ様子は、いつもの冷静沈着なギデオンにすっかり戻り切ったと言える。……しかし同時に、少しばかり、(……?)と首を捻っていた。素面に戻ったことで、何か違和感のようなものがぼんやりと沸いている──さっきまで、何か……とんでもないことをしていたような。歩きながら視線をさ迷わせ、眉をうっすら顰めては、記憶の糸を手繰り寄せようと試みるものの。適当な言い訳をつけて、酔い醒ましに宴を抜け出した、そこまでは覚えているのに……その後、おそらくこの小一時間ほどについては、靄がかかったようにほとんど思い出せずにいる。まあ、いつからか一緒にいた相棒の様子を見るに、別段いつも通りに振る舞えていたのだろう。そう安易に結論付けると、暫し黙っていたことを、「悪い、何でもない」と手を振って軽く詫び。辿り着いた民家の前、相手に向き直った時には再び、いつものベテラン戦士然とした面持ちになっていて。)

ああ、こちらこそ宜しく頼む。
ただ……実のところ、俺はもう少しここに居残ろうかと思っててな。さっきの爪痕の話、おそらく冬ごもりに失敗した大型魔獣の類いだろう。そういう個体は気が立ってるから、初動が遅れると厄介だ。
……いや、おまえや他の奴らはいい、ヨルゴスと一緒にまっすぐギルドに帰ってくれ。必要以上に動かすと、それはそれで上に怒られることになるんだ。
俺と斡旋官での調査がある程度纏まったら、そこで初めてクエスト化して、もうひと狩り片付けることになるだろうな。……そうだな、ああ、二、三日は見込む。だから、悪いんだが──

(そうして懐から取り出したのは、錫のリングに連なった鍵束。そのうちひとつは、相手も見覚えがあるだろう、己の自宅の鍵なのだが。どうやら今回は、ギルドの私書箱、ラドニア銀行の貸金庫など、他の諸々の鍵も一緒に預けてしまうつもりらしい──相手のことを信用しているから、大雑把でいいと踏んでいるのだ。ちゃり、と軽く鳴らしたそれを相手の掌の上に渡すと、澄んだ青い瞳で見つめ、ごく緩く首を傾げる。……どうやら、記憶は綺麗に飛んでいようと、素直に頼る考えもきちんと残っているらしい。)

手の空いたときに、また家の様子を見てくれると助かる。掃除や食事はいい……いや、掃除に関しては、妖精どもを寄せ付けない程度にしてくれたら正直助かるが。とにかく、この前ほど頑張らなくていい、感謝はしてるがもう充分だ。
二週連続頼むわけだから、報酬は弾む。そうだな、お前のよく使う薬草粉を、向こうひと月分……とかで足りるか?



  • No.624 by ギデオン・ノース  2023-10-16 03:28:52 




(後輩ヒーラーを褒められるなり、ぱあっと輝くヴィヴィアンの顔、そのにこにことご機嫌なこと。ギデオンも思わず苦笑し、立ち上がって促されるままゆったりと歩き出す。その横顔は、気づけば随分と──少し前の一幕が嘘のように──寛いでいるのだった。
そうして道すがら、相手の真面目な報告に耳を傾けているうちに。冬の肌寒さが酒精を和らげてくれたのか、「そうか」「それで?」と相槌を打つ様子は、いつもの冷静沈着なギデオンにすっかり戻り切ったと言える。……しかし同時に、少しばかり、(……?)と首を捻っていた。素面に戻ったことで、何か違和感のようなものがぼんやりと沸いている──さっきまで、何か……とんでもないことをしていたような。歩きながら視線をさ迷わせ、眉をうっすら顰めては、記憶の糸を手繰り寄せようと試みるものの。適当な言い訳をつけて、酔い醒ましに宴を抜け出した、そこまでは覚えているのに……その後、おそらくこの小一時間ほどについては、靄がかかったようにほとんど思い出せずにいる。まあ、いつからか一緒にいた相棒の様子を見るに、別段いつも通りに振る舞えていたのだろう。そう安易に結論付けると、暫し黙っていたことを、「悪い、何でもない」と手を振って軽く詫び。辿り着いた民家の前、相手に向き直った時には再び、いつものベテラン戦士然とした面持ちになっていて。)

ああ、こちらこそ宜しく頼む。
ただ……実のところ、俺はもう少しここに居残ろうかと思っててな。さっきの爪痕の話、おそらく冬ごもりに失敗した大型魔獣の類いだろう。そういう個体は気が立ってるから、初動が遅れると厄介だ。
……いや、おまえや他の奴らはいい、ヨルゴスと一緒にまっすぐギルドに帰ってくれ。必要以上に動かすと、それはそれで上に怒られることになるんだ。
俺と斡旋官での調査がある程度纏まったら、そこで初めてクエスト化して、もうひと狩り片付けることになるだろうな。……そうだな、ああ、二、三日は見込む。だから、悪いんだが──

(そうして懐から取り出したのは、錫のリングに連なった鍵束。そのうちひとつは、相手も見覚えがあるだろう、己の自宅の鍵なのだが。どうやら今回は、ギルドの私書箱、ラドニア銀行の貸金庫など、他の諸々の鍵も一緒に預けてしまうつもりらしい──相手のことを信用しているから、大雑把でいいと踏んでいるのだ。ちゃり、と軽く鳴らしたそれを相手の掌の上に渡すと、澄んだ青い瞳で見つめ、ごく緩く首を傾げる。……どうやら、記憶は綺麗に飛んでいようと、素直に頼る考えもきちんと残っているらしい。)

手の空いたときに、また家の様子を見てくれると助かる。掃除や食事はいい……いや、掃除に関しては、妖精どもを寄せ付けない程度にしてくれたら正直助かるが。とにかく、この前ほど頑張らなくていい、感謝はしてるがもう充分だ。
二週連続頼むわけだから、報酬は弾む。そうだな、お前のよく使う薬草粉を、向こうひと月分……とかで足りるか?



  • No.625 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-16 12:52:39 




ですから…………いえ、そしたらヤドリギの蔓を1mほど、あったらで大丈夫ですから。お仕事、頑張ってくださいね。

 ( ですから、そんなこと気にしなくっていいんです。それよりご無理はなさらないでくださいね──と、心の中を洗いざらい吐き出せたらどれだけ良いだろう。物分りの良い振りをした口振りとは裏腹に、愚直なまでの心配を隠しきれない表情で、ずしりと重みのある鍵束を受け取れば。当の本人が、報酬を支払わない方が気がかりだと云うのだから仕方ない。渋々と口にした薬草は、先の仕事中、渓谷の木々にこれでもかと巻きついていた、この後も調査に戻るならば、難なく手に入るだろうそれを。──よく使うもの、と言われただけで、入手難易度は指定されていないのだから、これくらいの忖度は許されるだろう。
そうして、託された信頼を大切そうにしまい込んだ別れ際、相手が記憶を失っているなど露知らず。すっかり見慣れた頼もしい色を取り戻してしまった頬に手を伸ばすと。ちょうど迎えに出てきてくれた村民に促され、重厚な木の扉をくぐるその寸前。未だ相棒が此方を見送っているだろうことを疑わない様でくるりと後ろを振り返れば、先程ギデオンに伸ばした掌にそっと口付けを落として。その溢れんばかりの愛情を、満面の笑みで最愛の人へと放り投げる。
──はたして数日後か、数週間後か。その半年以上懲りない深い愛情は、件の爪痕の件を処理して、やっと帰りついた男の疲弊を。明るく暖かな部屋の光景と、一応は自宅から持ち込んだ鍋に入った、地味豊かなクラムチャウダーの香り、そして少し悪戯っぽい小さな笑い声となって取り巻くだろう。 )

──おかえりなさい、お疲れ様でした!
…………お夕飯、自分のを作りすぎちゃった分は仕方ないですよね?
コマッタナー、腐る前に食べてくださる方がいたら嬉しいんですけど。

  • No.626 by ギデオン・ノース  2023-10-17 00:27:05 




(その日最後に見たヴィヴィアンの姿は、まさに祝福の乙女そのもの。三段階で重ね掛けしたたっぷりの愛らしさに、手練れと名高いはずの戦士は、いとも呆気なく挙動不審に陥った。──しかし、ヴィヴィアンの凶悪な小悪魔っぷりに気を取られてばかりだったが。本当は、ふたりのやりとりをその場で見ていた村人の中年女性が、(あらあらあら!)とほっぺに手を添え、大いににこにこしていたことこそ、警戒するべきだったのだ。
何せ翌日以降、ギデオンは村中から、やけにわくわくきらきらした目を向けられることになってしまった。“魔剣使いの隊長と、マドンナヒーラーの恋物語”……そんな噂映えする話が、火の手より早く広まっていたせいである。出処は言うまでもない、そして後のことはむべなるかな。独身三十路の斡旋官には、グールのようにじっとりした目で一日中僻まれるわ。高ランクの魔獣とあって大隊を連れてきたホセに、腹の底から大笑いされ、何なら追加のあれやこれやを村人たちにぶちまけられるわ。挙句、目を爛々と輝かせる村長に、「呑もうじゃないか!」と追い回されて、せっかくの珍酒を──また記憶を失くしたらと思うととてもその気になれやせずに──辞退する羽目になるわ。甘い祝福の代償として、大型魔獣と戦うより余程大変な目に遭ったのだが、それはまた別の話。)

(さて、それから数日後。ギデオンが1週間ぶりに帰ると、王都はそのあちこちが、色とりどりの美しい蝋燭で飾られるようになっていた。──光のミサ、聖燭祭の日の装いである。
この日はどこもかしこも、冬の終わりと春の訪れを、それぞれの形で祈ることに忙しい。各家庭では、去年のクリスマスに使ったものを焚き上げるのが一般的だ。農村では豊穣の祈祷を舞い、魔法を込めて田畑を耕す。街中には炊き出しの屋台が並んで、きび粥と焼きソーセージが貧民にまで振る舞われる。太陽のクレープや色鮮やかな占い蝋燭は、若い世代に大人気の品だ。しかし、どこより多忙を極めるのは、ロウェバ正教の教会だろう。信徒のための祝別式やら、赤ん坊の洗礼式やら、厳かなミサやらが、たった一日に詰まっている。故に、道々で通り過ぎる教会は、普段の数倍ほどごった返し、シスターたちがくるくると独楽鼠のように働いていた。
しかし、ギデオンにとってのこの日は、実用的な意味でとてもありがたいタイミングだった。無論、美味いものを安く食べられるから、というのもあるが……それより何より、ギルドから特別手当が支給されるからである。ボーナス制度は、少なくともトランフォード王国においては6月・12月の夏冬二回が基本だが、冒険者業界には少々特例が存在していた。誰もが休みたいために人手不足となる季節、例えばクリスマスから年末年始。そこで規定以上に、要はみっちりクエストをこなせば、「よく働いてくれたね」ということで、余分な給金と少しの休暇を追加で恵んでもらえるわけである。そのタイミングは往々にして古い慣習に由来しており、聖燭祭の日というのも、古代ガリニアの奉公人の給料日だったからとか。とにかくこの制度のおかげで、毎月ある場所へ大金を支払っているギデオンでも、少しは懐を温めることができた。元々財布の紐は固いし、銀行での積み立てもきっちり行っているのだが、それでも払えども払えども終わりのない生活に、日々ストレスを感じないわけがない。──だからたまには、贅沢を楽しむことにしようか、と。そんな気分になったのは、しかし実のところ。喜ぶ顔を見たいだれかのことを、無意識に思い浮かべていたせいだろう。)

(──ところが、だ。その本人、ヴィヴィアンに、ようやく再会できたというのに。彼女を見下すギデオンの顔は、物言いたげに固くなっていた。他でもない原因は、二人の間でほかほかと湯気を立てる、如何にも美味そうな白い鍋。この優しくも独特な香り、今度は新しくシーフードで攻めてきたらしい。ちゃんとああ言ったのに、おまえはまたそうやって、見え透いた嘘までついて──と。呆れ果てるのは目つきまでにとどめれば、はあ、と小さなため息をひとつ。正直、「鍵? 預かってないわよ」とマリアに言われた時点で、なんとなく予想はついていたのもある。──故に、先手を打ってあるのだ。)

作り過ぎたってったって、最初からそのつもりだったろう……
……まあ、料理に罪はない。皿を出してくれ、夕飯にしよう。

(そうして案外すんなり受け入れながら、フェンリルのファーコートを脱ぎ、壁の突起にかけに行く。戦士装束は業者に預けてきたのだろう、あらわになったのは珍しい黒セーターの装いで。窓の外で降り始めた粉雪をちらと見遣ると、持って帰ってきた買い物袋を、どさりと机上に置いておく。中身はソーセージやクレープなど、今日の祝祭で出ていたものだ──相手も食べたかもしれないが、少し良いのを見繕ってきたので、それで手打ちにして貰おう。次いで、己の鞄から何か取り出し、棚の上に並べだす。ひとつは麻で縛ったヤドリギ、ひとつは何やら小さな小瓶。ヒーラー職である相手には、その中身がすぐにでもわかるだろうか。敢えて自分からは触れないまま、土産は以上とばかりに水場へ向かうと、氷のように冷たい水で両手をしっかり洗いつつ、背中越しに語りかけ。)

……風邪の噂で、例のトロイトを倒す時に随分奮発したと聞いてな。
ヒーラー手製の栄養食を賄ってもらうんだ、お代にはまだ足りないだろうが……受け取っておいてくれ。




  • No.627 by ギデオン・ノース  2023-10-17 00:40:16 


※推敲洩れにつき、細部を微修正いたします/



(その日最後に見たヴィヴィアンの姿は、まさに祝福の乙女そのもの。三段階で重ね掛けしたたっぷりの愛らしさに、手練れと名高いはずの戦士は、いとも呆気なく挙動不審に陥った。──しかし、ヴィヴィアンの凶悪な小悪魔っぷりに気を取られてばかりだったが。本当は、ふたりのやりとりをその場で見ていた村人の中年女性が、(あらあらあら!)とほっぺに手を添え、大いににこにこしていたことこそ、警戒するべきだったのだ。
何せ翌日以降、ギデオンは村中から、やけにわくわくきらきらした目を向けられることになってしまった。“魔剣使いの隊長と、マドンナヒーラーの恋物語”……そんな噂映えする話が、火の手より早く広まっていたせいである。出処は言うまでもない、そして後のことはむべなるかな。独身三十路の斡旋官には、グールのようにじっとりした目で一日中僻まれるわ。高ランクの魔獣とあって大隊を連れてきたホセに、腹の底から大笑いされ、何なら追加のあれやこれやを村人たちにぶちまけられるわ。挙句、目を爛々と輝かせる村長に、「呑もうじゃないか!」と追い回されて、せっかくの珍酒を──また記憶を失くしたらと思うととてもその気になれやせずに──辞退する羽目になるわ。甘い祝福の代償として、大型魔獣と戦うより余程大変な目に遭ったのだが、それはまた別の話。)

(さて、それから数日後。ギデオンが1週間ぶりに帰ると、王都はそのあちこちが、色とりどりの美しい蝋燭で飾られるようになっていた。──光のミサ、聖燭祭の日の装いである。
この日はどこもかしこも、冬の終わりと春の訪れを、それぞれの形で祈ることに忙しい。各家庭では、去年のクリスマスに使ったものを焚き上げるのが一般的だ。農村では豊穣の祈祷を舞い、魔法を込めて田畑を耕す。街中には炊き出しの屋台が並んで、きび粥と焼きソーセージが貧民にまで振る舞われる。太陽のクレープや色鮮やかな占い蝋燭は、若い世代に大人気の品だ。しかし、どこより多忙を極めるのは、ロウェバ正教の教会だろう。信徒のための祝別式やら、赤ん坊の洗礼式やら、厳かなミサやらが、たった一日に詰まっている。故に、道々で通り過ぎる教会は、普段の数倍ほどごった返し、シスターたちがくるくると独楽鼠のように働いていた。
しかし、ギデオンにとってのこの日は、実用的な意味でとてもありがたい祝日だった。無論、美味いものを安く食べられるから、というのもあるが……それより何より、ギルドから特別手当が支給されるからである。ボーナス制度は、少なくともトランフォード王国においては6月・12月の夏冬二回が基本だが、冒険者業界には少々特例が存在していた。誰もが休みたいために人手不足となる季節、例えばクリスマスから年末年始。そこで規定以上に、要はみっちりクエストをこなせば、「よく働いてくれたね」ということで、余分な給金と少しの休暇を追加で恵んでもらえるわけだ。そのタイミングは往々にして古い慣習に由来しており、聖燭祭が選ばれているのも、古代ガリニアの奉公人の給料日だったからとか。とにかくこの制度のおかげで、毎月ある場所へ大金を支払っているギデオンでも、少しは懐を温めることができた。元々財布の紐は固いし、銀行での積み立てもきっちり行っているのだが、それでも払えども払えども終わりのない生活に、日々ストレスを感じないわけがない。──だからたまには、贅沢を楽しむことにしようか、と。そんな気分になったのは、しかし実のところ。喜ぶ顔を見たいだれかのことを、無意識に思い浮かべていたせいだろう。)

(──ところが、だ。その本人、ヴィヴィアンに、ようやく再会できたというのに。彼女を見下すギデオンの顔は、物言いたげに固くなっていた。他でもない原因は、二人の間でほかほかと湯気を立てる、如何にも美味そうな白い鍋。この優しくも独特な香り、今度は新しくシーフードで攻めてきたらしい。ちゃんとああ言ったのに、おまえはまたそうやって、見え透いた嘘までついて──と。呆れ果てるのは目つきまでにとどめれば、はあ、と小さなため息をひとつ。正直、「鍵? 預かってないわよ」とマリアに言われた時点で、なんとなく予想はついていた。──故に、先手を打ってあるのだ。)

作り過ぎたってったって、最初からそのつもりだったろう……
……まあ、料理に罪はない。皿を出してくれ、夕飯にしよう。

(そうして案外すんなり受け入れながら、フェンリルのファーコートを脱ぎ、壁の突起にかけに行く。戦士装束は業者に預けてきたのだろう、あらわになったのは珍しい黒セーターの装いで。窓の外で降り始めた粉雪をちらと見遣ると、持って帰ってきた買い物袋を、どさりと机上に置いておく。中身はソーセージやクレープなど、今日の祝祭で出ていたものだ──相手も食べたかもしれないが、少し良いのを見繕ってきたので、それで手打ちにして貰おう。次いで、己の鞄から何か取り出し、棚の上に並べだす。ひとつは麻で縛ったヤドリギ、ひとつは何やら小さな小瓶。ヒーラー職である相手には、その中身がすぐにでもわかるだろうか。土産は以上とばかりに水場へ向かうと、氷のように冷たい水で両手をしっかり洗いつつ、背中越しに語りかけ。)

……風邪の噂で、例のトロイトを倒す時に随分奮発したと聞いてな。
ヒーラー手製の栄養食を賄ってもらうんだ、お代にはまだ足りないだろうが……受け取っておいてくれ。



  • No.628 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-19 18:25:12 




えー?なんのことか分からないデスー…………、っ!?

 ( やけに素直に引き下がったギデオンに、ビビもまたエプロンを外しながら、好奇心溢れる笑顔でお土産を確かめようとしたその瞬間。──ドスッ、と。情け容赦一切なく、手を洗う相棒の背中へ飛びついた娘の鋭さといったら、先日対峙した親……とまではいかずとも、子トロイトくらいの勢いはあったかもしれない。なんで、どうしてこれがここに……と。じわじわ追いついてくる理解に、こんな高価なものを……、という多大な遠慮だけではなく、どうしようもない歓喜が湧き上がってくるのもまた事実で。 )

──……足りないだなんて。これじゃ、毎晩作りに来ても間に合わないですよ……

 ( ──……そうだ、「いっしょに、くらします……?」と。当時はこんな、私利私欲に溢れた提案はしていなかったはずだ。そんな正しく"寝言"が、むにゃむにゃと朝の空気に溶け込んだ、あれからおおよそ半年後──キングストンサリーチェ区、ラメット通り8番地。
ギデオンとビビが共に暮らし始めた、心地よい我が家のその二人の寝室に、──カラン、カラン……と響くのは、キングストン市民に朝を告げる鐘の音だ。天気は夏の始まりを告げるような鮮やかな快晴。眩しい朝日をたっぷり取り込む大きな窓辺からは、清々しい朝の空気が吹きこんで。普段からビビと仲の良いカラドリウスが、可愛らしく朝の訪れを歌っている。
そんな気持ちの良い朝の一幕に、それはもう全くもって不似合いな、険しい表情をしているヴィヴィアンはといえば。ベッドの上で、それまで自由に伸ばしきっていた四肢を億劫そうに丸めて、先日夏用に変えたばかりのブランケットを緩慢な動きで頭から被ったかと思うと、そのままぴくりとも動かなくなる。そうして、周囲が呼吸が辛くはないのだろうかと不安になる出で立ちのまま、再度すやすやと健やかな寝息を立て始めるだろう。 )


  • No.629 by ギデオン・ノース  2023-10-20 15:57:39 




がふッ、

(背後から突進してきた獰猛な娘の勢いに、思わず噎せこんで壁に手を突く。そのまま盛大に面食らっていたものの、どうやら後頭部をぐりぐり押し付けてくる様子からして、相棒は感極まっているらしい。細腕の中で振り返り、仕方なく頭を撫でると、こちらを見上げてきたかんばせには、戸惑い、遠慮、喜び、愛しさ──様々な無垢の感情が、これでもかというほど詰まっていて。思いがけず満たされるのを感じ、ギデオンも喉を鳴らしながら、乱れた栗毛を整えてやる。そうだ、この顔が見たかった。自分のために何か買うより、こうして相棒を喜ばせるほうが、たまのボーナスの使い道もよっぽど有意義だ。)

……そんなことはしなくていいから、また時々、家の世話を頼まれてくれ。
大家の爺さん、どうも入院が長引きそうでな。クエストに出られないのは困るから、おまえがこうして引き受けてくれて、正直とても助かってる。ありがとうな。……

(そう穏やかに呟いて、二言三言会話してから。「せっかくの料理が冷める前にいただこう」と、彼女と共に食卓につく。そうして、暖炉の火や窓の雪を眺めながら、またふたり、穏やかな夕食のひとときを楽しんで。)


(それから月日が流れ、春になり、あの事件を生き延びて──更に夏。キングストンサリーチェ区、ラメット通り8番地。
ベテラン戦士の朝は早い。夜明け前に目を覚まし、薄暗がりの中、まずは少しだけ隣の恋人を眺めて過ごす。すよすよと寝息を立てる横顔は、何より心安らぐものだ。柔らかな栗毛にそっと唇を落とすと、ひとり静かにベッドを抜け出す。階下に降りて、フルーツやシリアルなどの軽い朝食、それから身支度──ここまでで15分。扉をしっかり施錠し、徒歩数分の公園に辿り着いたら、準備運動に15分、次のメニューに1時間かける。ワークアウトの内容は、日によって、或いは体調次第で変える習慣だ。そこらに備え付けられた共用器具を使っての、懸垂や重量挙げといった筋トレか……持ってきた重いウェアを纏い、背中に土嚢を、腰に魔剣を吊り下げ、サリーチェ一帯を走り込むか。いずれにせよ、最後には必ず魔剣の素振り、これをみっちり1時間やり込む。その基礎には、四半世紀以上経った今でも、恩師シェリーの教えを忘れずに取り込んでいる。そうしてクールダウンがてら、朝市の方へ遠回りして我が家に帰り。シャワーを浴びて汗を流したら、ここでようやく、恋人を起こしに行く時間だ。
とはいえ、ヴィヴィアンは寝起きが悪い。応答を得られたとて、険しい顔でいやいやとぐずることが多々。この日もそうだったので、仕方なく笑いながら撫で、先にカーテンと窓を開けておく。明るい日差しと爽やかな空気がたっぷりと寝室を満たせば、じきに自然と目覚めるだろう。
もう少し寝かせておく間に、再び1階に降り、ふたり分の朝食の調理へと取り掛かろうか。市場で買ってきた朝獲れ野菜を軽く切ってボウルに入れ、オリーブオイルと塩を揉み込み、ヴィヴィアン作り置きの茹で鳥やゆで卵も和え、食べ応えのあるサラダに。油を敷いたフライパンには、卵を二つ、ベーコンを5枚乗せて、魔導コンロの弱火にかけ、ジュウジュウと焼きつける。その間、パン切りナイフでパンを切り出し、フルーツジャムをたっぷり塗って、真っ白な皿に並べよう。棚からカップをふたつ取り出したら、買い置きの穀物とヨーグルトをよそい、仕上げに蜂蜜を回しかける。揃いのグラスには冷たい牛乳、片方にはギルド支給の大豆粉を溶かすのを忘れない。ここでようやく、目玉焼きと焼きベーコンを作っていたコンロの火を止め、蓋をして中身を蒸らす。栄養満点な朝食の完成だ──しかし。いつもならこの頃には、ギデオンの立てる様々な物音を聞きつけたヴィヴィアンが、上からぽやぽや降りてくるはず。ところが今朝は、まだ随分お眠なのか、ギデオンが階段を見上げても、一向にその気配がない。昨晩は遅くまで、例のあれを──手を繋ぐだけのいかがわしい戯れを──楽しんでいたからだろう。しかし、今朝はふたりとも出勤日だ……キングストンじゅうに響き渡る、爽やかな朝の鐘も鳴った。そろそろ起こしてやらなければ。)

(再び二階の寝室に上がり、寝室を確かめてみると。広々としたベッドの上には、こんもりしたブランケットの山が生じていた。あれは疑いようもなく、愛しい恋人の寝姿だ。ドアの木枠に軽くもたれ、一度笑み交じりに「ヴィヴィアン、」と優しく呼んでみたものの。案の定、奇妙な布の山はぴくりとも動かない。ゆったりと傍に歩いていき、ぎしり、とベッドの端に腰掛ける。するとチュリリリ、と賑やかな声が。そちらを見遣ってみれば、先ほど大きく開けた窓の枠に、“いつもの”雄のカラドリウスがとまっていた。忙しなく頭を動かしながら、ギデオンとヴィヴィアンを交互に見つめ、ぴょんぴょんと窓辺を跳ね、こてんと不思議そうに首を傾げて──その様子はいかにも、“あの子、まだ起きないの?”“もう起きる時間じゃないの?”と言わんばかり。彼女手ずから餌を貰い、すっかり懐いたこの聖鳥も、ヴィヴィアンの目覚めを今か今かと待ち詫びているらしい。緑豊かなサリーチェでは食べるものに困らぬだろうに、毎朝欠かさず、彼女に甘えにやってくるのだ。
小鳥に向けて、「寝坊助だよな」と困ったように笑ってみせると。今度こそ恋人に向き直り、その肩のあたりに手を置く。そうして軽く揺り動かしながら、「ヴィヴィアン、」ともう一度、柔らかな声を落として。)

……ヴィヴィアン、朝だ。
今朝は一緒に出勤するんだろ? 支度もあるんだし、そろそろ食事を摂らないと。



  • No.630 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-22 03:31:24 




んー…………、

 ( 深く落ちた意識の頭上、分厚い幕の向こうから、愛しい人の声が聞こえる。初夏の青い風が頬を撫で、薄いブランケットを透過した朝日が眩しくて。心地よい眠りから引きずり上げられる感覚に、枕へと顔を埋めて抵抗するも。"一緒に出勤"という甘い誘いをかけられてしまえば、渋々とはいえ、たちまちに意識を浮上させてしまうのだから、御し易いことこの上ない。そうして、「……ん、いっしょ、いく」と、未だ殆ど開かぬ目元を擦りながらも、緩慢な動きで上半身を持ち上げ起こせば。肌触りの良いネグリジェが、その優美な曲線をなぞるように、さらりと滑って内腿に溜まる。そうして、真っ白なシーツにぺたりと尻をつき、未だ夢の中のような深い呼吸を繰り返すこと数秒間。
──よほど深い眠りに落ちていたのだろう。段々と覚醒しゆく感覚に、昨晩、意識を失う直前まで唇を吸われていたのが、ごくごく鮮明に思い出されて。未だ甘く痺れているような気がする唇に手を伸ばし、何も塗っていない桃色の花弁を、ふに、と柔らかく押し潰せば。ギデオンの中に己の魔素が流れていることを確認しては、くすくすと小さくはにかみながら、ぽやんと蕩けた瞳をギデオンに向け、 )

おはよう、ございます。
……昨日、いっぱいキスしてもらった、から……まだ感触が残ってるみたいなの……嬉しい、


  • No.631 by ギデオン・ノース  2023-10-22 17:25:26 




────……、朝っぱらから……随分な攻撃だな。

(寝起きほやほやの相手の発言に、唸るような呻き声を漏らしたかと思えば。ため息交じりに言いながら、太い腕を回しかけ、問答無用で抱き込んで、そのまま一緒にどさりと背面へ倒れ込む。──あどけない物言いに、しどけない寝間着姿に、今の色っぽい仕草と表情。おまけにあんな台詞まで吐かれて、頭にがつんと喰らわない男などいるだろうか。今のギデオンはまだ、薬を──冒険者が本来クエスト時に用いる抑制剤を──服用しているからいいが、うっかり薬を切らした時にこんな一撃を喰らってはたまらない、と。朝の爽やかな明るさに不似合いな、いっそ毒々しいほどの純真無垢を、横向きにぎゅうぎゅうと抱きしめることで叱りつけ。旋毛に何度も唇を押し当て、背中をまさぐるようにさすり、こちらなりの反撃を。気が済むまでそうしてから、緩めた腕の中の相手を覗き込めば、優しい声音でようやく「おはよう」と。結局、唇の端にどうしても微笑が乗ってしまうあたり、自分はどこまでも恋人に甘いようだ。)

……なあ。今日は基本、報告書をまとめたり、幾つか決裁を回したりするくらいで……何事もなければ内勤なんだ。
久々におまえの夕飯を食べたいんだが……何なら強請れる?



  • No.632 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-23 20:06:26 




ひゃっ……!

 ( 思わず回し掛けられた腕に、すり、と頬を微かに寄せようとして、なすすべもなく逞しい腕の中に抱き込まれてしまえば。これがせめていつも通りならば、旋毛に触れる感触と、己の発言の意味深さに気づいて、真っ赤になって暴れ出しただろうに。未だ寝惚けた娘は、ただ与えられた温もりに、えへへぇ、と嬉しそうに抱き締め返してくる始末。逞しい腕が緩んで、やっと見えた大好きな顔にも、とろんと蕩けきった笑顔を向けるそんな体たらくの癖をして。──可愛いなあ、と。朝ごはんの前から夕飯の話をしている恋人への愛しさに、くすくすと口元を抑えて、その薄い頬へと手を伸ばせば、 )

きょうは……昨日の残りのお肉をマリネにしようかと思ってたんですけど、赤ワインがあるのでローストビーフにしてもいいですし……
ガーリックもそろそろ使い切っちゃいたいので、ステーキでも……ただステーキにはちょっと心許ないので、折角ソース作るならオムレツも作りましょうか──……あ、ギデオンさん。卵っていくつ残ってました……?

 ( と、そこまで。段々と冴えてくる思考と同時に口を働かせたところで、はっと大きく目を見開けば。「朝ごはん! できたから呼んでくれたんですよね?」ギデオンがビビの料理を褒めてくれるように、ビビもまたギデオンのシンプルな素材の一番美味しいタイミングを逃さない料理が大好きなのだ。──冷めちゃったら勿体ない! と、相手の腕の中から跳ね上がろうとして、その腕から解放されれば。慌てて階段を下ろうとしてから一瞬引き返し、ギデオンと共に朝を告げてくれたカラドリウスへ、瑞々しい苺を咥えさせ。元気よく広がった巻き毛を揺らしながら、いつも通りの満面の笑みでギデオンの元へと飛んでくるだろう。 )

毎朝ありがとうございます! ギデオンさんの朝ごはん大好き──……あ、もちろんギデオンさんのことも大好きです!


  • No.633 by ギデオン・ノース  2023-10-24 09:07:59 




(こちらに優しく触れながら、ごく穏やかなゆったりした声音で、あれがいいかな、これがいいかな……と、今夜のご馳走の候補を幾つも挙げていく。毎度時間にして数秒ほどではあるけれども、愛しい恋人のその姿が、ギデオンはたまらなく好きで。こちらも自然と目元を和らげ、形の良い頭を撫で返しながら、耳を傾けていたところ、しかし。はっと、ついに完全に目覚めた彼女が跳ね起き、ベッドから飛び出していけば、目を瞬いて半身を起こす。そうしてぱたぱた、ぱたぱたと、元気に駆け回る恋人を、じっと青い目で眺めていると。また思い出したように己の方へ飛び込んできた温もりを受け止め、その犬のような溌溂ぶりに、思わず笑い声をあげて。まだきりっと結い上げられていない、無邪気さをたっぷり含んだふわふわの栗毛の頭を、くしゃくしゃに撫でてやるだろう。)

──っくく、ああ、知ってるとも。俺もだよ。
さあ、下に降りて食べよう。今日は天気もいい……のんびり歩くにはもってこいだ。

(そうしてふたり、今日一日の仕事の話をあれこれ楽しく共有しながら、新鮮な朝餉を済ませれば。諸々の片付けに身支度、そしてしっかり戸締りをして、手を繋いだまま歩き出す。先ほど話題にしたとおり、今朝は気持ち良いほどの快晴。街路樹の並ぶラメット通りは、豊かな緑が目に優しく、吸い込む大気もごく爽やかだ。この2ケ月ですっかり並んだ通勤路を、あの家の窓が好きだ、あそこのドアノッカー素敵ですよね、なんて話しながら進んでいけば。花壇に水をやっていた老婦人が、「相変わらず仲良しだこと」とじょうろ片手にくすくす笑い。学校へと我先に駆けだしていた子どもたちが、曲がり角でききっと立ち止まって、元気いっぱいの挨拶を。“きんじょのきれいなヒーラーおねえさん”に、きらきらと目を輝かせる様は、見ていて非常に微笑ましいものだ。古魔導具屋の旦那が重い荷物を持ち上げようとしていたので、ギデオンがすっと手伝えば、旦那は「ありがとよ!」と朗らかに笑い、次いでやはり、ヴィヴィアンを見るなりにへらと相好を崩すだろうか。「治安の良い街とは知っているが……うっかり盗られないようにしないと」などとm冗談交じりに抜かしては。繋いだ手で恋人を軽く引き寄せ、再び旋毛にキスを落とす。これでも実はそれなりに人目を気にするギデオンだが、ラメット通りは例外らしい──近隣住民とは良い関係を築いている。互いの生活をそれとなく知っているので、もはや隠し立てする必要はないと開き直っているようだ。
そうして石畳の道を、時折大きな街道を渡りながら、王都の中心部まで歩いていき。いよいよギルド本舎が見え出した辺りで、しかし何やら異変を聞きつけ、ヴィヴィアンとふたり、はたと顔を見合わせた。誰だか知らないが、男が喚いているようだ……音の方向からして、まさに自分たちの勤める建物の中でだろうか。料金を踏み倒しに来た、たちの悪い依頼者か何かか? カレトヴルッフは国内最高峰ギルドと謳われるだけあって、例年高い顧客満足度を誇るが、悪質なクレーマーが全くつかないわけではない。今日のもまたそういった手合いだろうか、随分長く騒いでいるようだ。今ごろ出勤している筈のマリアなりカーティスなりがまだ収められていない辺り、かなり厄介な奴らしいな……などと言い交わしながら、いざエントランスを潜り抜けてみると。そこで目にした目を疑う光景に、ヴィヴィアンと手を繋いだまま、思わず呆気に取られて立ち尽くしてしまうだろう。)

────……!?



  • No.634 by ギデオン・ノース  2023-10-24 09:35:15 




(こちらに優しく触れながら、ごく穏やかなゆったりした声音で、あれがいいかな、これがいいかな……と、今夜のご馳走の候補を幾つも挙げていく。毎度時間にして数秒ほどではあるけれども、愛しい恋人のその姿が、ギデオンはたまらなく好きで。こちらも自然と目元を和らげ、形の良い頭を撫で返しながら、耳を傾けていたところ、しかし。はっと、ついに完全に目覚めた彼女が跳ね起き、ベッドから飛び出していけば、目を瞬いて半身を起こす。そうしてぱたぱた、ぱたぱたと、元気に駆け回る恋人を、じっと青い目で眺めていると。また思い出したように己の方へ飛び込んできた温もりを受け止め、その犬のような溌溂ぶりに、思わず笑い声をあげて。まだきりっと結い上げられていない、無邪気さをたっぷり含んだふわふわの栗毛の頭を、くしゃくしゃに撫でてやるだろう。)

──っくく、ああ、知ってるとも。俺もだよ。
さあ、下に降りて食べよう。今日は天気もいい……のんびり歩くにはもってこいだ。

(そうしてふたり、今日一日の仕事の話をあれこれ楽しく共有しながら、新鮮な朝餉を済ませれば。諸々の片付けに身支度、そしてしっかり戸締りをして、手を繋いだまま歩き出す。先ほど話題にしたとおり、今朝は気持ち良いほどの快晴。街路樹の並ぶラメット通りは、豊かな緑が目に優しく、吸い込む大気もごく爽やかだ。この2ケ月ですっかり馴染んだ通勤路を、あの家の窓が好きだ、あそこのドアノッカー素敵ですよね、なんて話しながら進んでいけば。花壇に水をやっていた老婦人が、「相変わらず仲良しだこと」とじょうろ片手にくすくす笑い。学校へと我先に駆けだしていた子どもたちが、曲がり角でききっと立ち止まって、元気いっぱいの挨拶を。“きんじょのきれいなヒーラーおねえさん”に、きらきらと目を輝かせる様は、見ていて非常に微笑ましいものだ。古魔導具屋の旦那が重い荷物を持ち上げようとしていたので、ギデオンがすっと手伝えば、旦那は「ありがとよ!」と朗らかに笑い、次いでやはり、ヴィヴィアンを見るなりにへらと相好を崩すだろうか。「治安の良い街とは知っているが……うっかり盗られないようにしないと」などと冗談交じりに抜かしては。繋いだ手で恋人を軽く引き寄せ、再び旋毛にキスを落とす。これでも実はそれなりに人目を気にするギデオンだが、ラメット通りは例外らしい──近隣住民とは良い関係を築いている。互いの生活をそれとなく知っているので、もはや隠し立てする必要はないと開き直っているようだ。
そうして石畳の道を、時折大きな街道を渡りながら、王都の中心部まで歩いていき。いよいよギルド本舎が見え出した辺りで、しかし何やら異変を聞きつけ、ヴィヴィアンとふたり、はたと顔を見合わせる。誰だか知らないが、男が喚いているようだ……音の方向からして、まさに自分たちの勤める建物の中でだろうか。料金を踏み倒しに来た、たちの悪い依頼者か何かか? カレトヴルッフは国内最高峰ギルドと謳われるだけあって、例年高い顧客満足度を誇るが、悪質なクレーマーが全くつかないわけではない。今日のもまたそういった手合いだろうか、随分長く騒いでいるようだ。今ごろ出勤している筈のマリアなりカーティスなりがまだ収められていないところを見るに、かなり厄介な奴らしいな……などと言い交わしながら、いざエントランスを潜り抜けてみると。そこで目にしたまさかの光景に、ヴィヴィアンと手を繋いだまま、思わず呆気に取られて立ち尽くしてしまうだろう。)

────……!?



  • No.635 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-26 23:55:10 




──ん、なあに?

 ( 愛しい恋人の言った通り、今日のラメット地区は非常に気持ちの良い朝で。サラサラと音を立て流れる水路沿いを、涼し気な木漏れ日を潜り抜け。──おはようございます、いい朝ですねと、ご近所さん達への挨拶をにこやかに返しながら歩くことしばらく。隣の恋人からふいに引かれた腕に、背後から人でも来てただろうかと、無防備に振り返れば。真正面から至近距離で食らってしまった台詞の甘さといったら。普段ビビの迂闊を叱りつけてくるギデオンだが、その本人だって2ヶ月前のあの病室での時間から、その蕩けてしまいそうな甘い言葉で、何度ビビを苦しめたことか。思わず何も返せずに、ぽぽぽっと頬を染めた若い娘にも、周囲の視線はあたたかく。そのご近所さんのご好意に甘えて、小さく手を引き返すと、相手の耳に顔を寄せる振りをして、その愛しい耳朶に唇を落としてやる。そんな、バカップルもいいところな小競り合いを繰り返していた報いだろうか。 )

 ( ──その瞬間、ビビが感じたのは確かに強い"殺気"だった。
未だ路上にいた時分、尋常でない怒号に、頼もしい相棒と顔を見合せ、ロビーに続く扉を足早に潜れば。奥の来客用ソファの周辺には、入口から見えるだけで3名もの若手冒険者が倒れ伏し。その周辺で揉めているのは……あれは、ギルドのベテラン勢と──……「パパ!?」と、半ば叫ぶようなビビの声に振り返ったのは、顎くらいの長さで金髪を切りそろえた、20代半ばから後半ほどに見える青年。──パパ!? と、別の意味で驚いたような視線を向けてくる若手勢はともかくとして。"パパ"と呼ばれた青年──改め、五十路もとうに迎えた大魔法使いギルバート・パチオは、ビビの声にぱっと此方を振り返ったかと思うと。その突飛な行動を制限しようとしたかつての同僚を振り払い、真っ直ぐに娘の方へと駆けてくる。そうして、「ビビちゃん、怪我は!? 危篤って……!?」と、一応隣に見えているはずのギデオンになど目もくれず、娘の華奢な両肩に手をかけて、その無事を確認しようとしたその時だった。
ビビの前では形無しだが、一応これでも世紀の大魔法使いと名を馳せたギルバートである。娘の身体中にベッタリと染み付いて、誤魔化しが効かない程の色を放っている魔素を見落とすわけがあるだろうか。長く豊かな睫毛に縁取られた灰青の瞳を、漠然と見開いた父親に対し、少し恥ずかしそうにはにかむ娘の温度差ときたら。今更、娘の片手が何かに繋がっていることに気がついた父親が、その繋げられた"その先"の男。ギデオン・ノースにもまた、愛しい娘の魔素がたっぷりと移っていることに気がついたのが一巻の終わり。──その瞬間。部屋の温度が一気に下がったかと思うと、ロビーの手前で大人しく寛いでいた猟犬たちが、歯茎を剥いて唸りだし、一定以上の実力を持つ冒険者たちの顔色ががらりと変わる。その中心で、深い疲労と激しい怒りに我を忘れた大魔法使いの、俯いて影になった顔の中。やたら目だけがギラギラと輝いて、なにやらブツブツ呪詛を吐き始める形相は、それが殆ど娘と同じパーツで構成されているなど俄には信じられぬ有様だ。周囲の視線も気にせずに、大の男が嗚咽する醜態は、その容姿も相まって謎の見応えを感じさせ──パパやめて! 子供は黙っていなさい! と、そこだけ聞き取ればありがちな親子喧嘩も。その瞬間、周囲の木材に石材、ランプの火……そしてその場の空気に至るまで、金属以外の全てがギルバートの味方をするかのように、メキメキと変形しゆく騒動に、先程のベテラン達や、未だ奥の部屋にいた幹部達も飛び出てくる大騒動となって。
結局、後になって話を聞いてみれば。ギルバートは当初、明らかに焦燥しきってはいたものの、必要書類を持って大人しくカウンターを訪れていたらしい。事情が事情なのだから、最初から顔見知りの幹部に話を通せば良いものを。己がマスター代理時代に作った規則に則って、冒険者の親族としてその情報開示を大人しく待つあたりが真面目というか、不器用というか。しかし、そこへ顔の良い兄ちゃんと見て絡みにかかったのが、最初に倒れていた問題児達らしく。よせば良いものを、相手に恥をかかせるつもりで、おっとうっかりぃ──なんて、硬い装備を身につけた肩をぶつけにかかり、みるも惨めに弾き返され派手にすっ転べば、そこに降りかかるのが、ベテラン勢にはおなじみの、ギルバートが他人に向けるゴミを見るような視線である。どうやらビビ達が最初に聞いた怒号は問題児たちの方であったらしく、飛びかかって来ようとする男共を、魔法で床に叩きつけ。すわ何事かと飛び出たベテラン達の胃痛の程たるや。元より性格が終わっていると評されて久しい、その上最悪に気が立っている瞬間である。事情を説明するその間にも、"わざと"問題児たちの意識を留めたまま、起き上がれぬよう床に押し付け辱めていた、というのが、ビビ達が最初に見た光景の真相であるらしい。
とはいえ、愛しい娘と手を繋ぎ、明らかに深い関わりを持っている四十路の男を目の前にして。周りに迷惑だからせめて外で、というビビの懇願も袖にして。そのビビには半分ほども理解出来得ぬ罵詈雑言を、ギデオンに浴びせかけた挙句。周囲を巻き込んでの暴挙の果てに、「ビビちゃんは騙されてるんだ。今すぐこの色情魔を──」と、娘の腕まで振り払った瞬間。とうとうビビの頭の中で何かが壊れる音がした。「……うるさい、もう黙ってよ」と、冷たく響いた声にギルバートの動きがビクリと止まり。「何も知らない癖に」「色情魔はどっちよ」と、普段温和な娘のものとは思えぬ声音に、ギルバートどころか、娘がいる父親達の表情が青ざめていく。「……ビ、ビビちゃ」と伸ばされたギルバートの腕は無惨にも叩き落とされ、「触らないで。あちこちにベタベタ跡つけて気持ち悪いのよ」と、その一撃だけで、世紀の大魔法使いにとって二度と立ち上がれぬダメージだというのに、ビビの追撃は止まらない。ぶるぶると震える父親を鼻で笑い、見せつけるように、恋人の腕をとった娘の吐き捨てるような言葉がトドメとなって。ここ数日、ろくに眠れていなかった大魔法使いは、冷たい床に撃沈したのだった。 ) 

都合の良い時だけ、いまさら父親面しないでよ。
さようなら! 私はギデオンさんがいればいいもの。


  • No.636 by ギデオン・ノース  2023-10-27 14:53:21 




……どうも、先代。お久しぶりです──

(朝からたっぷりいちゃつきながら出勤したふたりを、唖然と立ち尽くさせたのは。──長らく行方の知れなかったヴィヴィアンの父、ギルバート・パチオその人だった。ギデオンが最後に見かけたのは20年近く前だというのに、どういうわけかその姿は、当時そのままの若々しさだ。無様に這いつくばるギルドの若造どもを、冷ややかに見くだす顔つきも、まるで現役時代からそのまま持ってきたかのようである。周囲はただ慄くばかりで、ギルバートの狼藉を誰も止められずにいるらしい。
とはいえ、ギデオンの立ち直りは比較的早かった。信じられないものを見る目を寄越してきたギルバートに対し、さっと社交用の、涼やかな仮面を取り繕って。いきなり、しかも全く予期せぬタイミングになったとはいえ、一応“相手方”の親に挨拶する機会となったわけだ、きちんとこなしておくべきだろう──と、しれっとした態度で告げる。しかしその片手ときたら、未だヴィヴィアンと繋いだまま。別段何もおかしなところはありませんよとばかりに、堂々と開き直っている始末だ。
──当然、ギルバートの逆鱗に触れぬわけがない。天文学的に膨大な魔力が、限界を超えて高まりに高まり、あわや大惨事か、というところで。奥の部屋からすっ飛んできた現ギルマスが、どうにか彼を宥めすかし、諫めてくれたからいいものの。こちらを激しく睨めつけたままの大魔法使いは、ならば今度は口先で、とばかりに、ギデオンに激しく息巻く。「失礼。“私”の記憶が正しければ、ギデオン、貴様はとうに四十も超えているのではなかったか?」「何故そのような老いぼれが。“私”の娘の手をとっている?」「この不埒者が。恥も常識も母親の胎に忘れてきたかね。ならば今すぐその手を離し、見習い時代からやり直すといい。“私”がじきじきに、骨の髄から叩き直してやる」「──ああ、だから! いいからさっさと、僕の娘から手を離せと言っているんだ!」
しかし当のギデオンはと言えば、ああ、懐かしいなあ、くらいの呑気な感慨に浸っていた。威嚇のためだろう“代理”時代の口調から、だんだんと素の口調になっていくのも、微笑ましさを感じさせる。他人が言うならば地雷だろう発言も、ギルバートだけは例外だ。何せかの20年前、ギデオンは彼の素の姿をばっちり目撃していた。幼い愛娘ヴィヴィアンを前に、だらしなく目尻を垂らし、目に入れても痛くないと言わんばかりにでれでれに可愛がっていた、愛情深いあの横顔。あれを見ていれば、こうして鋭く噛みつかれたところで、まあそうなるよなあ、くらいのものだ。まだうら若い二十代の娘が、四十の男と懇ろにしていると知れば、心配するのは親として当然。ギルバートのこの反応は、何ら間違ってはいない。
──だが、仮に。生きているか死んでいるかもまるで知らない人間なので、あり得ない話ではあるが。仮にギデオンの父親が、交際相手のヴィヴィアンをこのように貶しつけたら、ギデオンはきっと黙っちゃいない。それはヴィヴィアンも同じこと──つまり、たった今、目の前で。真横のギデオンも目を瞠るほどに、娘は父親を突き放したのだ。冷たく、刺々しく、普段の温厚さや人当たりの良さが、まるで全くの別人かのように。哀れギルバートは、強いショックと極度の疲労で気を失い。ギルマスが命じるまでもなく、慌てて周囲のベテランが介抱しに駆けつけた。その間もヴィヴィアンは、ギデオンの腕に取りついたまま、それを冷ややかに見くだすのみだ──奇しくも、最初に見たギルバートそっくりの顔つきである。己の愛しい恋人は、建国祭しかり、本気で怒ると非常に恐ろしくなることを、ギデオンは知っている。だがこの豹変は、あの時の比ではない……庇われたはずのギデオンが狼狽えるほどに苛烈だ。いったいこれはどういうわけか、とギデオンが目を瞬いていると。騒ぎを聞きつけたのだろう、医務室からようやくドクターが駆けつけた。彼はまず倒れているギルバートを見、次にギデオンとヴィヴィアンを見、両者を二度見三度見し。そうして、しわくちゃの手で頭を抱え、深々とため息をついて。「お前ら全員、なーにやっとるんだ……」と、まだ何も手をつけぬうちから、疲れ切った声を絞り出すのだった。)

(──それから小一時間後。カレトヴルッフのギルドロビーは平常運転を取り戻したが、ギデオンとヴィヴィアンはその中にいなかった。ギルバート・パチオの突然の帰還を受け、その応対を優先するよう命じられたのだ。ヴィヴィアンは嫌がったが、「必要な情報共有を済ませておかないと、あの男、ゴネますよ」とギルマスに言われれば、渋々といった様子で従うことにしたらしい。どうやら本当に、父親との関わりを最小限に済ませたいようである。ギデオンの見立てでは、何もさっきの一幕だけでこうはならない気がするのだが。パチオ父娘の間には、いったい何があったのだろうか。
とにかく、そういった事情によって。ギルドの応接室には今、重苦しい雰囲気が立ち込めていた。ギデオンとヴィヴィアンが並んで座る向かいの席には、相変わらずこちらを睨みつけてくるギルバートと、それを横から諫めに諫める現ギルマス。また倒れられてはかなわない、と後ろに控えるドクターに、記録係として呼び出され、白い目を向けてくるマリア。壁際にもたれているのは、ヨルゴスをはじめとした数人の戦士や魔法使い、いずれも手練れのベテランだ。全員がギルバートの知己であり、いざというときに彼を取り押さえる役目なのだが、あのにやけ面はどちらかというと、面白そうな状況を確かめに来た野次馬だろう。その他、ギルドの重鎮も複数名、周囲のソファーにずらりと腰掛け、威厳ある態度でじっと座している。これから重大な作戦会議でも始めるかのようだが、もちろんそういうわけではない。面子と空気が異常なだけだ。
さてまずは、ヴィヴィアンが危篤に至った経緯の説明、及び今の体調の共有がなされた。ギデオンと臨んだフェンリル狩りの最中に悪魔に襲われ、その身体を苗床にされた──と聞いて。真向いのギルバートは、早速頭に血をのぼらせ、素早く立ち上がったのだが。ヴィヴィアンが一言「パパ」と言えば、それだけでびくりと震え、またすごすごと着席したのだから、先ほどのやりとりが余程堪えたものらしい。──そうして、全身の魔力弁の破壊、という重傷を負った後、聖バジリオに3週間ほど入院したことを説明する。危篤だったのは最初の数日間のみで、その後はひたすら回復とリハビリに努め、その甲斐あって無事退院。キングストンに戻った後は、こちらのドクターがカルテを引き継ぎ、慎重に経過観察中。本格的なクエストには未だドクターストップがかかっているものの、訓練合宿に参加できる程度には回復したし、比較的に負担の少ない仕事にも、段階的に復帰している。後遺症も今のところ見当たらないので、予後は至って順調。遅くとも秋までには、医師として完治を言い渡せるだろう、という言葉が、ドクターより言い添えられた。要は、ヴィヴィアンの危篤の話は、今や解決済みなのである。
反対にギルマスが知りたがったのは、ギルバートの帰還の経緯だ。ギルバートはひとり娘ヴィヴィアンを溺愛している。それが何故、2ヵ月近くもかかってから帰ってくることになったのか。──次のギルバートの言葉は、一同を驚かせた。彼が手紙を受け取ったのは、なんとわずか1週間前のことだそうだ。当時のギルバートは、遥か北西にあるガリニア帝国の魔導学院に誘致されていた。ギルドもそれを知っていて、そこに手紙を出したはずである。しかしギルバートはその時、ガリニアの学院の命令で、遥か極北のルーンにまで、フィールドワークに出てしまっていた。数週間ほどでまたガリニアに戻るはずが、現地の精霊に気に入られ、戻るのに散々苦労したという(ヴィヴィアンの言った「あちこちにベタベタ痕つけて」とは、その精霊が施した“妖精のキスマーク”なるものらしい。道理でギデオンには見えないわけだ)。そうしてどうにか帰還すると、今度は学院の様子がおかしい。ギルバートの私書箱のものを勝手にどこかへやったと宣い、探せと言ってもはぐらかす。痺れをきらしたギルバートが、魔法を駆使してとうとう探し出すと、そのなかにはカレトヴルッフからの手紙、しかも開封の痕があるものが。赤字で「緊急」と書かれた封筒をしているのだから、学院はすぐにギルバートを呼び戻すべきだろうに、彼らはそれを怠り、あまつさえ勝手に中身を盗み見たわけだ。「あの連中、僕に研究を中止してほしくなかったんだ。自国の利益のためだけに、僕の娘の危機を知らせず、手紙の隠蔽まで図っていたんだよ。許しがたいことだ」と、ギルバートは忌々し気に吐き捨てた。「馬鹿なことを。国際法に触れるのを恐れて、燃やす勇気もなかった癖に。見ろ、連中が長らくのらりくらりしたせいで、こんなに帰りが遅くなった。誰があそこに勤めるものか。僕は二度と戻る気はない」──。
口で言えば簡単だが、実際はそうもいかない。ギルバートは小国であれば国賓として迎えられるほどの、世界的な大魔法使いだ。心情は察して余りあるものの、向こうでの研究を投げ捨ててきたままとなると、最悪国際問題である。至急優先すべきは、まずギルバートの身辺整理だろうという話になった。とにかく、こっちの魔導学院に戻ってもらい、そこを介して正式に辞職する手続きが必要だ。しかしその前にと、ドクターが口を挟んだ。まずはしっかり休養しろ、下手すりゃお前さん死ぬぞ、と。大陸の最果て・ルーンから、遥か南のトランフォードまで、その距離は実に千里以上。それをたった1週間で戻ってくるというのは、到底人間のなせる業ではない。精霊の加護によって見た目が老いないというギルバートだが、その身体には相当無理が来ているはずだ。故にまずは、ギルドが宿を手配して、しばらくそこに滞在してもらう。そうして体調が戻り次第、そこから魔導学院に出向き、諸々必要な手続きを処理する──そういう話にまとまった。
それで終われば平和だが、そうはいかないからこの面子である。最後に再び、ギデオンとヴィヴィアンの関係について触れる段になったとき、周囲が固く見守る中、ギデオンは居住まいを正し、真剣な顔で切り出した。二ヶ月ほど前から、娘さんとお付き合いしております。彼女の予後を見守るために、今はサリーチェの家で同棲もしています、と。──そこからはもう、大変だった。再び怒髪天を突いたギルバートと、業を煮やしたヴィヴィアンの、火花を散らしての親子喧嘩だ。先ほどはヴィヴィアンの冷ややかさに怯みきっていたでいたギルバートも、可愛い娘が不埒な男と同棲までしていると聞けば、断固として譲らないことに決めたらしい。しかも彼は、ギデオンの若い頃を知っている。不特定多数の若い女と、散々遊んでいた時代──言い逃れようのない遊び人だった時代をだ。「ビビちゃんはこいつに弄ばれてるんだ!!」「ずっと傍にいなかったくせに、知ったような口きかないでよ!!」。結局最後には、ギルバートかヴィヴィアンのどちらかが部屋を飛び出してしまったことで、この会合は打ち切りとなった。いつもは決して動じないギルマスが、後ろのドクターと全く同じ様子で、頭を抱え込んでいる。無論、娘のいる重鎮たちが、当のギルバートより余程酷く胃を痛めて呻いていたのは、言うまでもない話だ。)

(──その日の夕方。例の会合の後、一旦自分の仕事に戻ったギデオンは、ギルドの医務室に足を運んでいた。ヴィヴィアンはこのところ、ドクターの手伝いという形でヒーラーの仕事に復帰し、調薬作業を任されている。何事もなければそこで作業しているはずで、しかしそろそろ引き上げ時だ。もう夕方の17時、シフトのひとつの区切りである。ギデオン自身も、本来ならもっと捌かねばならぬ筈の書類を、「俺らがやるから」と幹部たちに取り上げられ、部屋を追い出された後だった。仕事はいいから、それよりまずは、ビビちゃんの様子を見てやってくれ。あれは相当来てるだろ、おまえが話を聞いてやれよ──と。普段は散々、ようやく彼女と付き合い始めたギデオンのことをからかってくる連中だが、今日のところは純粋な気遣いらしい。ならば素直に甘えよう、ということで、退勤の誘いをかけに来たのである。医務室の扉をノックし、軽く声をかけてから、慣れた様子で中に入ると。ドクターに軽く頭を下げてから、「お疲れ」と、相手の方に向き直って。)

こっちの仕事が片付いたから、少し早いが迎えに来た。
まだ少しかかりそうなら、適当に暇をつぶすが……



  • No.637 by ギデオン・ノース  2023-10-27 15:57:12 


※ギルバートの帰国の経緯のみ、若干修正しております。



……どうも、先代。お久しぶりです──

(朝からたっぷりいちゃつきながら出勤したふたりを、唖然と立ち尽くさせたのは。──長らく行方の知れなかったヴィヴィアンの父、ギルバート・パチオその人だった。ギデオンが最後に見かけたのは20年近く前だというのに、どういうわけかその姿は、当時そのままの若々しさだ。無様に這いつくばるギルドの若造どもを、冷ややかに見くだす顔つきも、まるで現役時代からそのまま持ってきたかのようである。周囲はただ慄くばかりで、ギルバートの狼藉を誰も止められずにいるらしい。
とはいえ、ギデオンの立ち直りは比較的早かった。信じられないものを見る目を寄越してきたギルバートに対し、さっと社交用の、涼やかな仮面を取り繕って。いきなり、しかも全く予期せぬタイミングになったとはいえ、一応“相手方”の親に挨拶する機会となったわけだ、きちんとこなしておくべきだろう──と、しれっとした態度で告げる。しかしその片手ときたら、未だヴィヴィアンと繋いだまま。別段何もおかしなところはありませんよとばかりに、堂々と開き直っている始末だ。
──当然、ギルバートの逆鱗に触れぬわけがない。天文学的に膨大な魔力が、限界を超えて高まりに高まり、あわや大惨事か、というところで。奥の部屋からすっ飛んできた現ギルマスが、どうにか彼を宥めすかし、諫めてくれたからいいものの。こちらを激しく睨めつけたままの大魔法使いは、ならば今度は口先で、とばかりに、ギデオンに激しく息巻く。「失礼。“私”の記憶が正しければ、ギデオン、貴様はとうに四十も超えているのではなかったか?」「何故そのような老いぼれが。“私”の娘の手をとっている?」「この不埒者が。恥も常識も母親の胎に忘れてきたかね。ならば今すぐその手を離し、見習い時代からやり直すといい。“私”がじきじきに、骨の髄から叩き直してやる」「──ああ、だから! いいからさっさと、僕の娘から手を離せと言っているんだ!」
しかし当のギデオンはと言えば、ああ、懐かしいなあ、くらいの呑気な感慨に浸っていた。威嚇のためだろう“代理”時代の口調から、だんだんと素の口調になっていくのも、微笑ましさを感じさせる。他人が言うならば地雷だろう発言も、ギルバートだけは例外だ。何せかの20年前、ギデオンは彼の素の姿をばっちり目撃していた。幼い愛娘ヴィヴィアンを前に、だらしなく目尻を垂らし、目に入れても痛くないと言わんばかりにでれでれに可愛がっていた、愛情深いあの横顔。あれを見ていれば、こうして鋭く噛みつかれたところで、まあそうなるよなあ、くらいのものだ。まだうら若い二十代の娘が、四十の男と懇ろにしていると知れば、心配するのは親として当然。ギルバートのこの反応は、何ら間違ってはいない。
──だが、仮に。生きているか死んでいるかもまるで知らない人間なので、あり得ない話ではあるが。仮にギデオンの父親が、交際相手のヴィヴィアンをこのように貶しつけたら、ギデオンはきっと黙っちゃいない。それはヴィヴィアンも同じこと──つまり、たった今、目の前で。真横のギデオンも目を瞠るほどに、娘は父親を突き放したのだ。冷たく、刺々しく、普段の温厚さや人当たりの良さが、まるで全くの別人かのように。哀れギルバートは、強いショックと極度の疲労で気を失い。ギルマスが命じるまでもなく、慌てて周囲のベテランが介抱しに駆けつけた。その間もヴィヴィアンは、ギデオンの腕に取りついたまま、それを冷ややかに見くだすのみだ──奇しくも、最初に見たギルバートそっくりの顔つきである。己の愛しい恋人は、建国祭しかり、本気で怒ると非常に恐ろしくなることを、ギデオンは知っている。だがこの豹変は、あの時の比ではない……庇われたはずのギデオンが狼狽えるほどに苛烈だ。いったいこれはどういうわけか、とギデオンが目を瞬いていると。騒ぎを聞きつけたのだろう、医務室からようやくドクターが駆けつけた。彼はまず倒れているギルバートを見、次にギデオンとヴィヴィアンを見、両者を二度見三度見し。そうして、しわくちゃの手で頭を抱え、深々とため息をついて。「お前ら全員、なーにやっとるんだ……」と、まだ何も手をつけぬうちから、疲れ切った声を絞り出すのだった。)

(──それから小一時間後。カレトヴルッフのギルドロビーは平常運転を取り戻したが、ギデオンとヴィヴィアンはその中にいなかった。ギルバート・パチオの突然の帰還を受け、その応対を優先するよう命じられたのだ。ヴィヴィアンは嫌がったが、「必要な情報共有を済ませておかないと、あの男、ゴネますよ」とギルマスに言われれば、渋々といった様子で従うことにしたらしい。どうやら本当に、父親との関わりを最小限に済ませたいようである。ギデオンの見立てでは、何もさっきの一幕だけでこうはならない気がするのだが。パチオ父娘の間には、いったい何があったのだろうか。
とにかく、そういった事情によって。ギルドの応接室には今、重苦しい雰囲気が立ち込めていた。ギデオンとヴィヴィアンが並んで座る向かいの席には、相変わらずこちらを睨みつけてくるギルバートと、それを横から諫めに諫める現ギルマス。また倒れられてはかなわない、と後ろに控えるドクターに、記録係として呼び出され、白い目を向けてくるマリア。壁際にもたれているのは、ヨルゴスをはじめとした数人の戦士や魔法使い、いずれも手練れのベテランだ。全員がギルバートの知己であり、いざというときに彼を取り押さえる役目なのだが、あのにやけ面はどちらかというと、面白そうな状況を確かめに来た野次馬だろう。その他、ギルドの重鎮も複数名、周囲のソファーにずらりと腰掛け、威厳ある態度でじっと座している。これから重大な作戦会議でも始めるかのようだが、もちろんそういうわけではない。面子と空気が異常なだけだ。
さてまずは、ヴィヴィアンが危篤に至った経緯の説明、及び今の体調の共有がなされた。ギデオンと臨んだフェンリル狩りの最中に悪魔に襲われ、その身体を苗床にされた──と聞いて。真向いのギルバートは、早速頭に血をのぼらせ、素早く立ち上がったのだが。ヴィヴィアンが一言「パパ」と言えば、それだけでびくりと震え、またすごすごと着席したのだから、先ほどのやりとりが余程堪えたものらしい。──そうして、全身の魔力弁の破壊、という重傷を負った後、聖バジリオに3週間ほど入院したことを説明する。危篤だったのは最初の数日間のみで、その後はひたすら回復とリハビリに努め、その甲斐あって無事退院。キングストンに戻った後は、こちらのドクターがカルテを引き継ぎ、慎重に経過観察中。本格的なクエストには未だドクターストップがかかっているものの、訓練合宿に参加できる程度には回復したし、比較的に負担の少ない仕事にも、段階的に復帰している。後遺症も今のところ見当たらないので、予後は至って順調。遅くとも秋までには、医師として完治を言い渡せるだろう、という言葉が、ドクターより言い添えられた。要は、ヴィヴィアンの危篤の話は、今や解決済みなのである。
反対にギルマスが知りたがったのは、ギルバートの帰還の経緯だ。ギルバートはひとり娘ヴィヴィアンを溺愛している。それが何故、2ヵ月近くもかかってから帰ってくることになったのか。──次のギルバートの言葉は、一同を驚かせた。彼が手紙を受け取ったのは、なんとわずか1週間前のことだそうだ。ギルバートはトランフォードの魔導学院に雇われている教授だが、ここ数年前は、遥か北西にあるガリニア帝国の魔導学院にも誘致され、トランフォードの学院からそちらに出向する形をとっていた。ギルドもそれを知っていて、学院の私書箱宛に手紙を出したはずである。しかし当時のギルバートは、ガリニアの学院の命令で、遥か極北のルーンにまでフィールドワークに出掛けていた。数週間ほどすればまたガリニアに戻るはずが、現地の精霊に気に入られ、なかなか戻れなかったらしい(ヴィヴィアンの言った「あちこちにベタベタ痕つけて」とは、その精霊が施した“妖精のキスマーク”なるものだという。道理でギデオンには見えないわけだ)。そうこうするうちに、学院の雇っている犬橇隊が補給物資を届けに来たが、そのひとりがどういうわけか、こんなところに来るはずもない知人。義理堅い性格の彼が渡してきたのは、なんとカレトヴルッフからの手紙、しかも赤字で「緊急」と書かれた封筒に入ったものだ。本来ガリニアの学院は、これを大至急ギルバートに届けるべきであったのに、それを怠っていたらしい。それに気づいた知人が、どうにか手紙を持ち出して、ギルバートを必死に捕まえに来たのである。「学院の連中は、僕に研究を中止してほしくなかったんだ。自国の利益のためだけに、僕の娘の危機を知らせず、隠し通そうとしらを切っていた。許しがたいことだ」と、ギルバートは忌々し気に吐き捨てた。「馬鹿なことを。国際法に触れるのを恐れて、燃やす勇気もなかった癖に。見ろ、連中が長らくのらりくらりしたせいで、こんなに帰りが遅くなった。誰があそこに勤めるものか。僕は二度と戻る気はない」──。
口で言えば簡単だが、実際はそうもいかない。ギルバートは小国であれば国賓として迎えられるほどの、世界的な大魔法使いだ。心情は察して余りあるものの、向こうでの研究を投げ捨ててきたままとなると、最悪国際問題である。至急優先すべきは、まずギルバートの身辺整理だろうという話になった。とにかく、こっちの魔導学院に戻ってもらい、そこを介して正式に辞職する手続きが必要だ。しかしその前にと、ドクターが口を挟んだ。まずはしっかり休養しろ、下手すりゃお前さん死ぬぞ、と。大陸の最果て・ルーンから、遥か南のトランフォードまで、その距離は実に千里以上。それをたった1週間で戻ってくるというのは、到底人間のなせる業ではない。精霊の加護によって見た目が老いないというギルバートだが、その身体には相当無理が来ているはずだ。故にまずは、ギルドが宿を手配して、しばらくそこに滞在してもらう。そうして体調が戻り次第、そこから魔導学院に出向き、諸々必要な手続きを処理する──そういう話にまとまった。
それで終われば平和だが、そうはいかないからこの面子である。最後に再び、ギデオンとヴィヴィアンの関係について触れる段になったとき、周囲が固く見守る中、ギデオンは居住まいを正し、真剣な顔で切り出した。二ヶ月ほど前から、娘さんとお付き合いしております。彼女の予後を見守るために、今はサリーチェの家で同棲もしています、と。──そこからはもう、大変だった。再び怒髪天を突いたギルバートと、業を煮やしたヴィヴィアンの、火花を散らしての親子喧嘩だ。先ほどはヴィヴィアンの冷ややかさに怯みきっていたでいたギルバートも、可愛い娘が不埒な男と同棲までしていると聞けば、断固として譲らないことに決めたらしい。しかも彼は、ギデオンの若い頃を知っている。不特定多数の若い女と、散々遊んでいた時代──言い逃れようのない遊び人だった時代をだ。「ビビちゃんはこいつに弄ばれてるんだ!!」「ずっと傍にいなかったくせに、知ったような口きかないでよ!!」。結局最後には、ギルバートかヴィヴィアンのどちらかが部屋を飛び出してしまったことで、この会合は打ち切りとなった。いつもは決して動じないギルマスが、後ろのドクターと全く同じ様子で、頭を抱え込んでいる。無論、娘のいる重鎮たちが、当のギルバートより余程酷く胃を痛めて呻いていたのは、言うまでもない話だ。)

(──その日の夕方。例の会合の後、一旦自分の仕事に戻ったギデオンは、ギルドの医務室に足を運んでいた。ヴィヴィアンはこのところ、ドクターの手伝いという形でヒーラーの仕事に復帰し、調薬作業を任されている。何事もなければそこで作業しているはずで、しかしそろそろ引き上げ時だ。もう夕方の17時、シフトのひとつの区切りである。ギデオン自身も、本来ならもっと捌かねばならぬ筈の書類を、「俺らがやるから」と幹部たちに取り上げられ、部屋を追い出された後だった。仕事はいいから、それよりまずは、ビビちゃんの様子を見てやってくれ。あれは相当来てるだろ、おまえが話を聞いてやれよ──と。普段は散々、ようやく彼女と付き合い始めたギデオンのことをからかってくる連中だが、今日のところは純粋な気遣いらしい。ならば素直に甘えよう、ということで、退勤の誘いをかけに来たのである。医務室の扉をノックし、軽く声をかけてから、慣れた様子で中に入ると。ドクターに軽く頭を下げてから、「お疲れ」と、相手の方に向き直って。)

こっちの仕事が片付いたから、少し早いが迎えに来た。
まだ少しかかりそうなら、適当に暇をつぶすが……



  • No.638 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-29 02:41:26 




 ( 医務室で丸まっていた娘の頭上に降ってきたのは、「おい、今日は棚卸しなんだ。キリキリ働いて貰わにゃ困るぞ」と、平静を保ったこの部屋の主である魔法医の声。棚卸しなんて昨夕は一切言っていなかったにも関わらず、今朝の一件を受け、急遽用意してくれたのだろう。薬品一覧のインクを乾かしながら入ってきたドクターは、応接室を飛び出したシーツお化けを優しく慰めてはくれない代わりに、その小さく覗いた赤い目にも言及しない。そんな暖かくも心地よい距離感に「おじさまがパパだったら良かったのに……」と嘯いたのは、完全にただの甘えだったが。「止さんか、わしゃまだ命が惜しいんだ」と本気で嫌そうに首を振る姿がおかしくて。1g単位で発生する数字の処理に忙殺されていると、余計なことを考えずに済むのがありがたかった。 )

あ……お疲れ様です、えっと……

 ( そうして無心で薬品の残量を数え続けること数時間。小さな怪我は無数にあれど、酷い怪我人は誰も出ず、あれ以降いやに平和な一日が過ぎようとしている。厳かなノックとともに現れたギデオンに、まだしばらくはかかりそうだと断りを入れようとして──「……その棚が終わったら帰っていいぞ」と。わざと此方を振り返らない背中に、しばらく言葉を失って言い返すことができないほど、己は疲れきっていたらしい。不器用ながら優しいドクターのおかげで、半日ごく心穏やかに過ごしたつもりでいたのだが──やはり無意識に気を張っていたのだろう。普段であれば、さては残業代を独り占めするつもりですね、とかなんとか。最後まで残ってその仕事を終わらせるのだが、今日はその気遣いに素直に甘えさせてもらえば。「お疲れ様です、お先に失礼します!」と、頭を下げる勢いでさえ、この特にビビの変化へ聡い2人の前ではただただ虚しいだけだった。
恋人と並ぶ帰り際、ごく自然に腕を絡めた内心。いつもならギデオンへの愛しさと、今日の夕飯のメニューで埋まっている思考も。『どう考えたって釣り合わんだろう』そう昼間に何度も繰り返された声が、何度も何度も思い起こされれば。相手の腕に額をつけるようにして小さく項垂れ、まずは自分の身内の暴挙に対する謝罪を。)

──ギデオンさん、朝は……うちの父がすみませんでした。
私といるの……嫌になったり、してないですか?

  • No.639 by ギデオン・ノース  2023-10-30 14:53:33 




──……してないよ。
するわけがないだろう?

(決してこちらを振り返らずにいてくれるドクターの背に、ギデオンももう一度頭を下げ、ふたりで帰路についてしばらく。きゅっと身を寄せてきた恋人が、小さな声でぽつりと漏らした声を聞けば、思わず歩みを止めて、きょとんとした顔つきを。嫌になる? 俺が? ヴィヴィアンといることが……? まったく予想だにしていなかった、というように、その薄青い目を瞬いていたものの。相手の表情からその心情を察するに至れば、目元をふっと和らげて。一言簡潔に告げながら、ごく軽く肩を抱き、己の薄い唇をまろい額に押し当てる。それから距離を戻すと、もう一度言い聞かせつつ、小さな頭を優しく撫でて。相手のことを穏やかに見つめ、自分の言葉が届いたのをしっかりと確かめてから。またゆっくりと、歩調を合わせて歩き出すだろう。)

……親父さんについても、俺は何とも思っちゃいない。
口ぶりこそ過激な人だが、あの人はただ……おまえのことを本気で心配しているだけだ。ましてや、長い旅路で疲れ果てていただろうし、冷静じゃいられなかったろうさ。
落ち着いたらまた、ゆっくり挨拶しに行きたいと思ってる。……大事なことだろう?

(──この和やかな口ぶりから、ヴィヴィアンにも伝わるだろうか。どれほど罵られようと、ギデオンがギルバートを嫌うことなど有り得ないと。
確かに少年時代は、初恋の恩師シェリーを横から掻っ攫っていく(ように感じた)あの男に、煮えるような激情を抱くことはあった。……けれどそれも、幸せそうに笑うシェリーを見れば、悔しいことに、自ずと薄れていったのだ。あんなに自然な顔をするシェリーを、ギデオンは見たことがなかった。彼女はいつも豪快に笑うが……そこには時たま、翳りが差す。それこそ自分が惹かれはじめたきっかけではあったけれど、彼女に幸せであってほしいという想いだって本物で、自分がそうしてやりたいと思ったことが、己の初恋の始まりで。──けれど、彼女の抱える何かしらを吹き飛ばしたのは、ギデオンではなく、あの捻くれ者の男だった。普段の皮肉っぽさに似合わぬ、熱烈でまっすぐな口説き文句を幾度も贈るギルバートを見て。……この男なら仕方あるまいと、ギデオンは静かに身を引いた。当時の自分には、男として勝負に出るには、何もかも足りていなかったし。何よりシェリーの翳りが、少しずつ少しずつほどけていくのを目の当たりにすれば、それを掻き乱したくないとも思った。事実シェリーは、あの男の妻になってから、輝かんばかりに幸せになって──それも、ほんの一瞬で、唐突に終わってしまったけれど。20年前のあの日、愛娘ヴィヴィアンをめいっぱい愛でるギルバートを見て、己の過去の決断は、やはり間違っていなかったとギデオンは確信した。シェリーはすぐに世を去ってしまったが、それでもギルバートは、自分が認めるに足る男だったのだと。シェリーを、シェリーの大事な忘れ形見を、心から愛し抜いていると。
──だからこそ、わからないのだ。今朝の、当のヴィヴィアンが、あそこまで苛烈にギルバートを拒絶した理由が。可愛い恋人は、去年の春からずっと己を熱烈に好いてくれているが……それにしたって、ギデオンに対する侮辱、それだけであれほど強い反応を示すものではないだろう。ギデオンとて、パチオ家の事情を添う詳しく知っているわけではないから……この父娘の間には、きっと何か、問題があるのだ。ギデオンはそれを知りたかった。恋人であるヴィヴィアンの力になるためにも。──あの男にシェリーを預けた、少年の頃の自分のためにも。
ふと周囲を軽く見渡す。夏は日没が遅いので、まだ街灯もついちゃいないが、辺りは既に仕事終わりの人々がごった返している。この辺りが特に賑やかなのは、カフェやらパン屋やら、それらを合わせたより遥かに多い、スタンド型の屋台やら……とにかく、手軽に食事を楽しめる店々が豊富だからだ。それこそ、サリーチェのような落ち着いた住宅街に居を持つ人々が、手軽に夕餉を済ませていくエリア、それがこの商店街なのである。そのことを思いだすと、ラメット通りに続くいつもの道に入る前に、賑やかな横道の方にくいと頭を傾げ。気分転換に軽いデートをしようと、恋人を誘ってみて。)

……なあ。朝はああ言ったが……俺もお前も、今日は正直、いつも通りって気分じゃないだろう。
せっかく便利な場所に住んでるんだ。何か美味そうなのを買って帰って、一緒にゆっくり過ごすほうに時間を割かないか。



  • No.640 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-10-31 00:45:14 




んっ……ありがとうございます、そうしましょうか。

 ( 普段、自分の手料理を心から喜んでくれるギデオンに夕食を振る舞う時間は、ビビにとっても幸福で、実に満たされる時間ではあるのだが、精神的に疲れきったところへ、今日ばかりは相手の提案はありがたく。しかもそれを、ビビだけに判断を仰ぐのではなく、"俺も"と一緒に責任をもってくれる、そういうさり気ない気遣いをしてくれるところが好きなのだ。そもそも、"一緒にいるのが嫌になった"なんてギデオンが言うわけが無いというのに、我ながら弱りきって面倒臭い質問をちゃんと返してくれるところも。ビビは一言も父を庇っていないというのに、此方の内心をしっかりと見抜いて。理不尽なことで侮辱されたギデオンには、その権利があるというのに──ビビの大好きな人を絶対に悪く言わない。その上で己との未来にしっかりと言及してくれるところも。その全てがビビにとって都合が良くて、甘くて、ともすれば頼りきってしまいたくなりそうで。暖かい触れ合いに潤みそうになる涙腺を──嗚呼、いけない、と。大好きなこの人に、ちゃんと"釣り合う大人"ならなければと。これまで周囲に、ギデオン本人に、何度も何度も諌められて尚、"この気持ちに年の差なんて"と意に介さなかった忠告を、ギルバートに言われた途端、強く意識してしまっているのは無自覚だった。)

 ( 大振りなブロッコリーにプリプリのエビ、卵をたっぷり使ったポテトサラダに、シャリアピンソースが馨しい、薄切りローストビーフをたっぷりはさんだホットサンド。それから、薄くスライスした玉ねぎが溢れんばかりのコブサラダ……周囲の客層を鑑みてか、少し割高なそれらを買い込めば。気の利く恋人は、狭いイートインエリアの空席を探してくれようとするかもしれないが、ビビが「おうちで食べたい……」と首を振れば。再び二人、閑静な住宅街を並んで歩き、居心地の良い我が家見えてくる頃には、気分転換の甲斐あって、俯きがちだった顔にも、うふふ、と僅かながら笑顔が帰って来たようで。当たり前のように、ギデオンとの将来を描いてみせるも。それを良しとしない父のことを思い出すと、また直ぐに力なく瞼を伏せてしまい、 )

──なんか、こういうの……いいですね。
おじいちゃんとおばあちゃんになっても、お外でデートとか出来たら素敵ですよね……、


  • No.641 by ギデオン・ノース  2023-10-31 12:20:38 




……なら、今のうちに良い散歩ルートを探しておこう。
足腰をしっかりさせておくためには、毎日出掛ける必要があるだろうからな……5、6個は見繕いたいところだ。

(おどけたように片眉を上げ、意欲を示してみせながらも、その声音には(おや)という響きが少なからず入り混じる。──己の恋人、ヴィヴィアンは、普段は明るく元気溌溂な女性だ。それでも時には、建国祭で、マーゴ食堂で、冬の宿で、春の医務室で……力なく落ち込むところも、見たことがないわけではない。けれども、今のこの萎れようは、そのどれらとも違って見えた。随分感傷的になっているようだ……今朝のギルバートとのやりとりが、余程堪えているのだろうか。ならば、それに寄り添ってこそ恋人だろうと、胸の内で密かに決意を固めておく。綺麗ごとを抜かしているが、所詮正体は下心。──これを機に、より自分を頼るようになってくれれば、それに勝ることはない。
鍵を回し、玄関扉を開け、リビングに荷物を置く。今日は少し晩酌もしようか、と話し、ならば先に軽くシャワーを済ませておこうかと、順に浴室に行くことに決め。先にヴィヴィアンに浴びさせる間、買ってきた夕食を新しく家の皿によそい、ソファーの前のローテーブルに並べておく。ちゃんと夕食をとるときはダイニングテーブルにつく習慣だが、今夜のような場合は、隣にならんでくっつきながら飯をつつくのが良いだろう。
自分個人の私物をおさめている棚から幾つか酒瓶を持ち出し、それとは別に、氷室に入れてある果実水の小瓶なども適当に取り出す。ヴィヴィアンは酒に強いほうではないから、自分と同じ杯を渡しては駄目だろう。度数が低めで、尚且つ飲みやすいものとなると……と。顎に手を当てて暫し思案したかと思えば、ヴィヴィアンが以前、赤いトッピングの乗った洋梨のムースを作ってくれたのを思い出し、キッチンの棚をも探る。──そうして、軽く手に取った銀色のシェイカーに、ピンクのリキュール、オレンジ色や黄色のジュース、真っ赤なシロップ、最後に砕いた氷を入れ。軽くシェイクし、ショートグラスに注ぎ入れたのは、所謂ピーチ・ブロッサム。いつだったか、酒場のバーテンダーが作っていたときの見よう見真似のカクテルだ。他にもいろいろ思い出したから、強請られれば作れるようにと、思い思いの酒や果実水、カットフルーツの類いを、取り出しやすい場所にストックしておいたところで。ちょうど彼女も、湯浴みを終えてきたらしい。ほかほかしているその姿に、思わず表情を緩めながら。濡れた旋毛にキスを落とすと、その片手に冷たいグラスを渡す。そうして耳元に囁いてから、自分もすぐに浴室へ向かって。)

食前酒だ。先にゆっくりしててくれ……5分で浴びてくる。



  • No.642 by 匿名  2023-10-31 12:52:42 


※毎度お手数をお掛けします、細部に拘って一部分のみ変更しております。



……なら、今のうちに良い散歩ルートを探しておこう。
足腰をしっかりさせておくためには、毎日出掛ける必要があるだろうからな……5、6個は見繕いたいところだ。

(おどけたように片眉を上げ、意欲を示してみせながらも、その声音には(おや)という響きが少なからず入り混じる。──己の恋人、ヴィヴィアンは、普段は明るく元気溌溂な女性だ。それでも時には、建国祭で、マーゴ食堂で、冬の宿で、春の医務室で……力なく落ち込むところも、見たことがないわけではない。けれども、今のこの萎れようは、そのどれらとも違って見えた。随分感傷的になっているようだ……今朝のギルバートとのやりとりが、余程堪えているのだろうか。ならば、それに寄り添ってこそ恋人だろうと、胸の内で密かに決意を固めておく。綺麗ごとを抜かしているが、所詮正体は下心。──これを機に、より自分を頼るようになってくれれば、それに勝ることはない。
鍵を回し、玄関扉を開け、リビングに荷物を置く。今日は少し晩酌もしようか、と話し、ならば先に軽くシャワーを済ませておこうかと、順に浴室に行くことに決め。先にヴィヴィアンに浴びさせる間、買ってきた夕食を新しく家の皿によそい、ソファーの前のローテーブルに並べておく。ちゃんと夕食をとるときはダイニングテーブルにつく習慣だが、今夜のような場合は、隣にならんでくっつきながら飯をつつくのが良いだろう。
自分個人の私物をおさめている棚から幾つか酒瓶を持ち出し、それとは別に、氷室に入れてある果実水の小瓶なども適当に取り出す。ヴィヴィアンは酒に強いほうではないから、自分と同じ杯を渡しては駄目だろう。度数が低めで、尚且つ飲みやすいものとなると……と。顎に手を当てて暫し思案したかと思えば、グラスを手に取り、掌の上で軽く冷やす。魔力に乏しいギデオンだが、複数の属性の魔素を微調整することだけは得意で、こういった小技はいろいろと身につけていた。そうしてしっかり冷たくなったグラスに、ダークレッドのカシスリキュールと砕いた氷を入れ。次いで、氷に当たらぬよう気を遣いながら、金色のシャンパンを注ぎ。ゆったりとステアすることですぐにも完成させたのは、すっきりした透明な赤が美しい、所謂キール・ロワイヤル。いつだったか、酒場のバーテンダーが作っていたときの見よう見真似のカクテルだ。他にもいろいろ思い出したから、強請られれば作れるようにと、思い思いの酒や果実水、カットフルーツの類いを、取り出しやすい場所にストックしておいたところで。ちょうど彼女も、湯浴みを終えてきたらしい。ほかほかしているその姿に、思わず表情を緩めながら。濡れた旋毛にキスを落とすと、その片手に冷たいグラスを渡す。そうして耳元に囁いてから、自分もすぐに浴室へ向かって。)

食前酒だ。先にゆっくりしててくれ……5分で浴びてくる。



  • No.643 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-01 10:39:14 




っ……ちゃ、んと、温まってきてください、

 ( おもむろに落とされた唇と、耳元へ吹き込まれた低い声に、ぴくりと背筋が微かに震え、相手を諌める声が切なく詰まる。浴室へと向かうギデオンの背後で、薄手のネグリジェの胸元の合わせをかき寄せ、ゆるゆるとソファへと沈み込めば。火照った体に冷たいカクテルが心地よく、入浴後の乾ききった空きっ腹に、いつもよりずっと酒精がよくまわる。シャワーを浴びてる時からずっと──馬鹿なことを考えている自覚はある。行為だけ真似たところで大人になれるわけでも、問題が解決するわけでもない。それでも……名実共に貴方のものにして、手遅れにして欲しいのだと頼んだら、優しい恋人は応えてくれるだろうか。──なんて、今までずっと怯えて先延ばしにしてきたのは自分だろうに、いざ疑われれば証が欲しいだなんて、あまりに自分勝手がすぎるだろう。投げやりな思考はしまい込み、ギデオンが出てくるまでにいつも通りに戻らなければ。そう立ち上がった瞬間、ネグリジェの下で肌に滑る頼りない違和感は、ビビが下宿を出る際に、隣の女優志望から貰ったそれが原因だ。成程、装飾性に全振りしたそれは、補正機能という意味での実用性には劣るに違いない。肝心な部分の締め付けは足らずに、その代わり華奢な装飾があちこち触れて擽ったいそれを、馬鹿なことを考えた報いに違いだと力なく笑って。そうだ、なにかつまめるものでも──と、あっさり思考を切り替えてしまったものだから、その問題の下着の存在感は、うっかり本当に思考の彼方へと葬り去られてしまったのだった。
八百屋の主人からもらった真っ赤でつるりとしたトマト。何やら珍しい品種なのだと、自慢げな彼にオマケで貰って持て余していたそれに、取っておきのブッラータを添えて、透き通ったオリーブオイルに、胡椒を少々。それから、トマトの代わりに桃を割って、塩気のある生ハムを加えたもうひと皿を準備し始めたところで、背後から浴室の扉が開く音がして。中から出てきたらしい恋人を振り返らずに、僅かに上がった温度で確認すると、早く準備を終えてしまおうと、床下収納を探るべく前屈みとなって。 )

あっおかえりなさい、もうすぐなのでちょっと待っててくださいね………


  • No.644 by ギデオン・ノース  2023-11-01 13:57:22 




ん、わかっ──……………………、…………、………………………………、

(さてはて。無駄に女慣れした態度と、妙なところで鈍い性格を併せ持つギデオンは、先ほどのやりとりのろくでもない艶めかしさに、それはもう無自覚であった。──だが、そんなさしもの大間抜けでも。髪にタオルを掻き込みながらほかほか戻ってきた矢先、この光景をでんと突きつけられてしまえば。流石にがつんと目を覚まし、思わず声も失って立ち尽くすというものだ。
見事に固まるギデオンの眼前、そのうら若い恋人ははたして如何様か。──ごく普通に身を屈め、ごく軽く……まろい尻を突き出している格好である。真顔に陥るギデオンの頭の片隅、かろうじて冷静な部分は、……いや、あれは床下の乾物か何かを取り出しているんだろう、と自動で分析するのだが。しかしいかんせん、丈の短い薄手のネグリジェと、本人の長くしなやかなスタイルが合わさって、悪魔的なコンビネーションを奏でているものだから。──まさに据え膳、そうとしか捉えようがない。どうにか平常心になろうとするも、それでもどうしても視線を逸らせず、吸い込まれるのは……先ほどからちらちらと見え隠れしている、清廉な彼女らしからぬ煽情的なランジェリーのせいだ。ところどころに小さな真珠のあしらわれた、ほとんど紐と言ってもよいそれは、明らかに実用性以外の目的で編まれた品に違いない。そう──男の欲を、掻き立てるためだけに。
なら。これは……誘って……いるのか? と。抑制剤がまだ効いているはずなのに……否、効いているからこそ、我を忘れて貪りつかずに済んでいるのだろうが……酷く都合の良い方へ、己の愚考を傾けかけては。いや、いやいやと。険しい顔を片手で覆い、力強く目を瞑って、(馬鹿なことを)と振り払う。そんなわけがない、思い出せ、今までだってこういうことは散々あったはずだ。多分これは何かの偶然の連鎖のせいであって、ヴィヴィアン自身はきっとそのつもりなどない。彼女は純真だ──グランポートのあの浜辺でも、ほんの少し戯れに揺すり上げただけで、心底震え上がっていたではないか。あんな初心な生娘が、突然その気になって、こんな露骨な色仕掛けをけしかけてくるわけがあるまい。第一、己の可愛い恋人は、父親とのあの一件で、今日はすこぶる弱っている。その矢先に、まかり間違ってもこの俺が……支えになるべき存在が、新たな問題で彼女を圧迫して良いわけがないだろう。ギデオン・ノース、おまえのほうが良い歳した大人なんだ。冷静になれ、余裕を持て──と。まさか相手も同様の痩せ我慢をしているとはつゆ知らず、どうにか己を宥めつけると。「……待ってる、」とようやく告げながら、相手にくるりと背を向けて、先にソファーに腰を下ろす。そうして小さくため息をつき、ぐったりと背をもたれながら栓を抜いたのは、先ほどのカクテルを作るときに封を切ったシャンパンのボトル。ギデオン自身はこれじゃ酔えないが、冷たいスパークリングを喉に流し込めば、もう少し頭を冷やせるはずだ。とくとく、とワイングラスにそれを注ぎ切ったところで、ようやく戻ってきた相手を振り返り、「美味そうだな」と微笑みかける。──多分、おそらく、いつもどおりの落ち着いた自分を振る舞えているはずだ。)



  • No.645 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-01 23:16:13 




簡単なものですけど、桃の方はおかわりありますからね。

 ( 相手の苦悩など露知らず。盛り付け終わった皿と共にソファの方を振り返れば、向こうもほこほこと衛生的になった姿に、雪色の眦をほっと緩ませ、微笑む相手の隣へ腰掛ける。そうして見上げた恋人の顔が、いつにも増して頼もしくうつって、その分厚い肩に甘えるように頭を預ければ。ビビの空いたグラスに気がついて、新たにステアしてくれる手元の色っぽいこと。もじ……と、やけに座り辛い位置に装飾の来るランジェリーに、さりげなく姿勢を直してグラスを受け取れば、食前の乾杯を楽しんで。
流石、一応高級住宅地であるサリーチェでやっていけていけているだけあると言うべきか。内心の懸念を逸らすつもりでかぶりついたスナックは、その手軽さとは裏腹に、ピリッとしたソースが香る素晴らしい出来だった。思わず隣の恋人と顔を合わせ、目を輝かせれば。ローストビーフの焼き加減や、ソースの隠し味について真面目に議論すること暫く。──毎晩ビビの手料理を楽しみにしてくれているギデオンが、態々こうして時間を作ってくれたのだ。そうでなくとも、本来ギデオンは関わらなくていいはずのパチオ家の問題に、此方が手動で動かなければ不誠実というものだろう。
しかし、信頼する相棒に対してこうも口にするのを躊躇うのは、ビビ自身がこの事態の解決方法を思いついてないからだ。……分かっている、分かっているのだ。なんにせよ、とち狂って駆け落ちでもしない限りは、あの頑固な父親と再び向き合わなければならないことを。しかし、優しいギデオンはああいってくれたが、再び二人を引き合わせて、ギデオンが悪く言われるのはビビが辛抱たまらない。それに、烈火のごとく怒り狂っている父を相手に──否。自分のためにあんなになってまで、とんで帰って来てくれた人を相手に、あんなに酷いことを言ってのけて、今更どんな顔をして会えばいいと言うのだ。なにか……特別に連絡が無いことから察するに、ギルバートの容態に悪化の兆しはないのだろうが、あの父親が大人しく休めているのだろうか。あまり好きじゃないキングストンでひとり、きっと寂しい夜を過ごしているだろうに。こうして最愛の恋人の隣、大好きな我が家で過ごしている己はなんて非道なことか。──そう、何度も何度も口を開きかけては口を噤むか、違う話題を引っ張り出すか。いい加減、不自然なことは己も分かっていて、未だ覚悟が決まらずに。このまま心中を口に出せば、まとまっていない思考でギデオンに迷惑をかけることを分かっていて、一歩踏み出せないままでいる。そうして、買ってきた軽食も一段落ついて、ギデオンの作ってくれた香りの良い酒を舐めては、空いた手で相手の大きな手を弄べば臆病にも、持て余した口から滑り出るのは、余程言い慣れたらしい愛の言葉で、 )

…………あのね、……。その…………、
ギデオンさん……好き。じゃなくって……いえ、好きですけど、世界一愛してますけど、その、んー……


  • No.646 by ギデオン・ノース  2023-11-02 11:05:42 




(ちょっとした美酒に、初めて食べるテイクアウト料理、色とりどりの自家製のつまみ。そして何より、触れ合うほどの距離感で、可愛い恋人と隣り合いながら。あれも美味い、これも美味い、こいつはこの隠し味が最高だ、この食材はいったいどこで──などなど。仲良く楽しく盛り上がっては、のんびりと舌鼓を打つこと。夏の宵の過ごし方として、はたしてこれ以上最高の贅沢があるだろうか。
そうして、ある程度腹もくちくなったところで。ギデオンが己の酒杯を揺らしていると、ヴィヴィアンが何やら雰囲気を変え始めた。カクテルで口を湿らせるも、もじもじと口ごもり、視線をさ迷わせ……はては手慰みに、こちらの手と戯れて。そっと静かに見守っていれば、恋人はようやく言葉を切り出し──けれどそれは、もにょもにょと落ちつかなげに、困ったように萎んでしまう。「自分が今言うべき言葉はこれではないのに」という自覚が、ありありと滲んで聞こえる。その真剣な表情からしても、今宵の本題にいよいよ踏み込もうとしているのに、どうすればいいかわからないのだろう。
しかし、それでとりあえず口にしたのが、いつもの愛の言葉とくるのだ。そのあまりにもないじらしさに、思わず目尻に皴を寄せて控えめに苦笑すると。不意に前方に上体を傾け、ローテーブルの皿に乗っている桃のひとつを、ピックで刺して拾い上げる。それをそのまま、相手の方に運んでいったかと思えば。無言で(あ)と口を開け、相手に真似をするよう促し。可愛らしい唇に、そっと甘い果実を食ませ──ナチュラルな「あーん」を成功させれば、満足気に目元を緩める。あの浜辺で強請られてそうして以来、ヴィヴィアンに餌付けするのが、密かな性癖になっているようだ。ピックを卓上に戻すと、繋いでいた手を緩く解いては、ソファーの背もたれ越しに相手の肩へ回し。そうしてより密着し、相手の方に頭を傾け、心地よさそうに呼吸を深めつつ。相手がもきゅもきゅと甘い果肉を食んでいる間に、穏やかな声で語りかける。何せ今宵は、充分に時間があるのだ……ゆっくり解きほぐしていこう。言葉通りの、“いちばん”の懸念事項はすぐには切り出しにくいだろうが、それでも一度滑り出せれば、やがて言いやすくなるはずだ、と。もう片方の手を持ってきて、相手と再び手を絡めては、その手の甲を指の腹で撫でさすり。)

おまえのなかで、俺への迷惑だとか、何とか……とにかく、俺にまつわる心配をしているなら、そいつは後回しでいい。俺はほら、見ての通り、今充分幸せでな。取り越し苦労には及ばない。
それよりもおまえ自身だ……きっと親父さんのことで、いろいろと不安があるだろう? 力になりたいんだ。今、何がいちばん気がかりか教えてほしい。何が怖い……?



  • No.647 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-04 00:47:38 




……、……っ、

 ( 本人に直接言ったことは無いのだが、ビビはギデオンが食事を頬張る瞬間の大きな口がたまらなく好きだ。目を見張るほどの肉の塊や、瑞々しく色鮮やかな丸ごと果実、ビビであれば複数回に分けないといけないようなそれらが、一口で吸い込まれていく心地良さ。造り手として嬉しい程の勢いに、ついつい素材を大きく切ってしまいがちな最近。今回の桃もそのまま差し出されては、相手からのあーんを逃せるはずも無く。小さな顎を動かして、必死に咀嚼しているその隙に、実に親密な雰囲気で金の頭を寄せられてしまえば。その可愛い旋毛に唇を寄せ、陶然とした表情で短い髪をサラリと梳くと。
──何が一番怖いかなんて、そんなのあまりに簡単な事だ。 )

──ギデオンさんと、一緒にいられなくなるのが怖い。
……から、パパと、父と話さなくちゃいけないのに、私いっぱい酷いこと……でも、ギデオンさんに酷いこと言うから……パパが先に怒ったからぁ……ッ、

  ( そんな考えるまでもない質問の答えは、先程目の前の恋人が力強く否定してくれたばかり。しかし、ギデオンがなんと言おうと、どうしようもなく頼りベタな娘が、ちゃんと次の答えを絞り出すための潤滑油とはなってくれたようで。絡められた指をぎゅっと握り直して、年上の恋人の手のひらの上。最初はぽつり、ぽつりと漏らしていた弱音が、液体となって下瞼の縁を勢いよく乗り越えると。濡れた顔を見せたくなくて、ソファの上に小さな足の親指を合わせて縮こまり、その膝の上に目元を伏せる。そうして、己から上がった幼い子供のような泣き声に、はっと慌てて口を噤むも。流れ出ようとした感情を堰き止めて、脳裏に蘇ったのは、昼間の父ギルバートの険しい表情で。初めて見た父の怒りの表情に、再度悲しみとも不安ともつかない混乱が胸をしめ、ううぅ~ッと再び拙い嗚咽が漏れる。そうして、最後にぽつり。未だ諦めの悪い理性が気道を締めて、引きつったような、無理に冷静ぶった声を出させるも。その結果が一番頼りなく、子供じみた弱音なのだから、ギデオンが知りたがった"いちばん"が何か、わかりやすいことこの上なく、 )

…………パパ、私のこと、嫌いになっちゃったのかな……だから、怒ったりするの……?


  • No.648 by ギデオン・ノース  2023-11-04 13:21:22 




……今まで、何かしらで親父さんに怒られたことは?

(ひっく、ひっくと、顔を突っ伏したまま震えている華奢な肩に、大きな掌をそっと添える。そうして軽く撫でさすりつつ、真横から穏やかに尋ね。相手が否と答えれば、「そうか……」と仕方なさそうに微笑む。そうして、静かに正面を向き、敢えて視線を外したまま。震える身体をこちらに傾がせ、もたれかからせて、またよしよしと慰めはじめることだろう。
なるほど、自分は思い違いをしていたようだ。パチオ家の親子関係は、てっきり過去の何かしらが原因で冷えているのかと想像していた。だが実態はどうだ。今ここにいるヴィヴィアンの様子はどうだ。──こんなに幼気に泣き咽ぶくらい、父親のことが好きで好きで仕方ないのだ。だからあのような、高圧的な振る舞いに、混乱してしまったのだろう。だから反射的に、跳ね返そうとしてしまったのだろう。それでも本音ではギルバートを慕っているから、こうして不安や罪悪感に押し潰されそうになっているのだ。そのような洞察を得れば、相手のあまりのいじらしさに、愛しさの滲んだ笑みを浮かべ。何なら、ギルバートに少し妬けてもしまうのだが。それよりまずは、彼女の不安を取り払ってやらなければ、と。肩に回していた掌を下に滑らせ、彼女の太ももをぽんぽんと軽く叩きながら、自分の声を落とし込んで。)

怒るのは、嫌いだからじゃない。寧ろおまえのことが、今でも大事で大事で仕方ないからだよ。
考えてもみろ……可愛い可愛い娘が、ある日突然、どこぞの馬の骨にこうして囲い込まれてるんだ。親父さんにしてみたら、きっと青天の霹靂だったんだろう。だから躍起になって取り返そうとして……ちょっとやり過ぎた、それだけのことなんだよ。
なあ、賭けてもいい。今ごろは親父さんもきっと、おまえに強く言い過ぎたって、おまえそっくりに落ち込んでるはずだ。……そう思うと、な? 仲良しの親子だろ。

(おどけたような声音、からかうような声音。それらを駆使して軽い調子を作りながらも、あくまで本質は真剣に、ふたりの有り様をそう説明し。可哀想に丸まった背中をゆったりと撫で擦り、時には顔を寄せて伏せた頭にキスを落としては、相手が落ち着くのを待って。)



  • No.649 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-06 02:18:59 




そうかな……そうかも、

 ( これまで何度他人から、"お父様と仲がよろしいのね"と微笑まれようと、拭いきれない罪悪感に肯定できず、ただただ小さく笑って誤魔化してきたヴィヴィアンだったが、同じ言葉でもギデオンから言われるだけで、こんなにも簡単に救われてしまうのだから不思議でならない。頼れる恋人の明るい声に、涙で濡れていた頬を染め、えへへ、と眉を下げて頷けば。「……でも、ギデオンさんは馬の骨じゃないもん」と、おもむろにソファから立ち上がり、当たり前のような態度で長い間におさまり直す姿は、己が愛されていると信じて疑わない……要はいつも通りの姿を取り戻したかのように見えたのだが。「私の相棒で、恋人で、すっごく大切で大好きな人だって、パパにもわかって欲しいの……」なんて、今更何を嫉妬することがあるだろうか。恋人の逞しい腕の中、無防備に微笑む娘が、その人の隣で生きていきたいと願う人間の座は、とっくにギデオンのもので。 )

……私、頑張るから。次のお休みの日、ギデオンさんもついてきてくれる?

 ( そう珍しく弱気な姿を見せるのも、相手が他ならぬギデオンだから──……には違いないのだが。いよいよしっかりと回り始めた酒精に、一度しっかりと泣いてしまった開放感。そして耳元で囁かれたビビにとって都合の良すぎる甘い甘い赦しの囁き、それら全てがビビの理性を曇らせて、その頑なな思考をとろりと溶かしすぎてしまったらしい。
先程の弱音にも、頭上から肯定の声が振ってくれば。じんわりと広がる安堵に幸せそうに微笑んで。首を伸ばして上を向き、餌を要求する雛鳥のように相手の唇をねだったまでは良いが──滑らかで白い喉元を通り過ぎ、合わせの甘いネグリジェから、妖艶に飾り立てられた豊かな胸元を覗かせたのは完全にただの迂闊。
その上、この時のビビはギデオンの力強い後押しを受け、再度あの父親と対峙する覚悟を決めいた。つまり、あの険しい表情を思い出せば、どうしようもない不安感に苛まれるのは避けられない。──年の差を考えろ。釣り合わない。なにか血の迷いだ。そうこの一年のあいだ何度も周囲に、なんなら当の本人からさえ指摘され続け、しかし全く気に留めなかったそれらの言葉が、父ギルバートの声で繰り返されると、どうにも心に深く突き刺さって抜けず。混乱しきった脳内に、先程諦めたはずの身勝手で恥知らずな"欲求が"復活し思考を占拠し始める。
しかし、恋人の手ずから形無しに蕩けさせられてしまった思考とは裏腹に、過去のトラウマが残る身体は、カタカタと小さく震え出し。そんな理性と本能が相反し、ぐちゃぐちゃに混乱しきって目も当てられない、普段のビビであれば絶対に表さないだろう感情の発露と共に、震える指で相手の指を絡め取れば。はくはくと浅い呼吸を繰り返しながら、とろりと濁った視線を上げて、蚊の鳴くような声でささやきながら、しゅるりと背中の紐へと手をかけて、 )

──……それで、その、お願いが……あって。
本当に………………私が何を言っても、迷惑に思ったり、軽蔑したり……しない?



  • No.650 by ギデオン・ノース  2023-11-06 13:34:52 




もちろんだとも。ふたりで一緒に見舞いに行こう……

(“定位置”にすっぽり収まり、しっとり甘えてくる恋人に、喉を鳴らして微笑んで。少しでも元気を取り戻してくれたことへの安心感を伝えるように、強請られるまま唇を食む──そこまでは、まだ良かったのだ。
けれども、自然と顔を離し、閉ざしていた双眸をゆっくりと開けた瞬間。それまで大人の余裕をたっぷりと湛えていたギデオンの表情は、がちん、と間抜けに固まった。今になって気がついたようだ。己の胸元で、色っぽく目を伏せるヴィヴィアン。彼女を真上から見下せば、そこには酷く……本当に酷く淫靡な光景が……広がっていることに。
思わずそれとなく、非常にそれとなく顔を逸らし。片手の拳を口許にやり、視線を虚空にさ迷わせながら、余計な下心を鎮めようと試みる。男をそそる蠱惑的な女体など、昔散々見飽きたはずだ。ヴィヴィアンのそれが全くの別枠なのは、それはそうだが……だとしても今更何を、何もこんなタイミングで、女を知らなかった十代の頃の感性に戻るような大馬鹿者はないだろう。そんなギデオンの自制もむなしく、肝心要のヴィヴィアン本人が、更なる追い討ちへと及びだす。何やら小さく震えながら、それでもギデオンと指を絡め。何か一生懸命に、言葉を切り出そうとして──か細くも、どこか甘やかな期待の響きを孕んだ声が、ギデオンに問いかける。その異状に思わず顔をそちらへ戻し、動揺甚だしい表情のまま、「ヴィヴィアン……?」と呟けば。──しゅるり、と。やけにはっきりと聞こえた衣擦れの音とともに、ヴェールのようなネグリジェが、中途半端にずり落ちて。ヴィヴィアンの両肩のすべらかな肌が、目に毒なほどあらわになる。
ここまでされれば、流石のギデオンも気づかないわけがない。上気した頬。潤んだ瞳。自ら脱ぐ夜着。彼女が何を求めているのか、“お願い”されるより先に、全身が感じ取ってしまった。……呼吸を忘れる。喉が渇く。普段は冷静な青い瞳は、もうヴィヴィアンから逸らせない。蛹を脱ぎ捨てて蝶になりたがっている娘に、どうして釘付けにならずにいられよう。未だ何も答えられぬまま、ただただ無言で彼女を見つめる、ギデオンの胸の内。未だ稼働する理性が、冷静な声で鋭く囁く。──やめておけ、彼女はまだ怯えているだろう。ふたりとも望んでいながら、そう上手く事が運ばずに、辛い思いをするだけだ。しかし本能もまた、別の思慮深さを込めて囁く。この臆病者。目の前の彼女は今、トラウマを拭い去れないままであっても、自分を求めてくれているじゃないか。自分が応えれば、彼女の望みを叶えてやれる、患う不安を癒してやれる。何を躊躇う必要がある? ……)

………………

(そうした、刹那の逡巡の末。ギデオンは一度目を伏せ、そしてもう一度、ヴィヴィアンと視線を合わせた。この時にはもう、いつもの落ち着いた表情を取り戻し、仄かな微笑みさえ浮かべていて。「……しないよ、」と。ゆったりした声で返しながら、絡めていない方の手を彼女の頬に添え、そっと撫でる。彼女の選択が、滅多にない出来事に直面している不安感や、判断力を鈍らせるアルコールのせいだとしても。一歩先へ踏み出したい、というのも、きっとかねてからの望みだ。ならば、彼女の欲しいだけ……今できるところまで、付き合おうと。腹を決めたが故の、静かな、けれど熱を帯びた声で、そっと“お願い”を促して。)

……それで。俺に、何をしてほしい?



  • No.651 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-08 01:14:50 




………………ッ、

 ( ギデオンの穏やかな肯定に覚えたのは、安堵などとは似ても似つかぬ。もはや後戻り出来ぬ(と信じきった)不安と、寧ろ絶望にも近い悍ましい何か。頬を滑る普段は大好きでたまらない温もりも、どこか少し冷たいような、ゴブリンの皮で作った手袋でも被せたような。得体の知れない感触に思えてしまって、頬擦りどころかびくりと小さく固まれば。
しかし、その違和感がこの身体を暴いたならば、それこそビビが望んだ通り。きっと私はこの夜のことを──己が相手のものであることを。きっと忘れずに済むだろう。
そんな自傷に近い確信と、ほぼ同時に促された"お願い"に、いよいよ青ざめた顔へと、精一杯の笑みを浮かべて。相手の逞しい腕の中、たっぷりと焦らすようにして恋人の方へと向き直ると、その片方の膝を跨ぐようにして体重を預ける。そうして、覚えた座り心地の異常な悪さに、やっとその扇情的なランジェリーの装飾の意図に気がつけば。かあっと上がった体温も、この時ばかりは良い方向へと作用したらしい。初めは、悪趣味な飾りへの嘲笑だった吐息が、吐いた分を吸ってと繰り返しているうちに、この場にとても相応しい、しっとりとしたそれへと染まっていく。──……まずはその気にさせろ、と。……と、何気なく思い出したそのフレーズは、いつかグランポートの夜に聞きかじった、ろくでもない女山賊共の講義の一部だ。
そのありがたいご高説に従うではないが、これまで幾度触れてきたか分からぬ唇に吸い付くと。普段は翻弄されるままの動きを、純粋に己が好きだった、気持ちよかった方法を、必死に真似て再現し。そうしているうち、もとより不安定な膝の上、慣れぬ動きに滑り落ちそうになれば、相手の首に腕を回したその瞬間。二人の間でぱさりと薄い布が落ちる音が、激しい水音の間にやけにはっきりと耳についた。
それからたっぷり数十秒後。──やっと汚れた口元を離して、無言で見つめ合うこと数秒間。繋がっていた銀糸がぽたりと胸を直に濡らす感覚に身をよじると。相手の方に倒していた上半身をゆっくりと起こしながら。此方は熱というよりは、純粋な羞恥を感じさせる口振りで、促された願いについて答えて、 )

──……私が誰の、ものなのか。消えない証拠が欲しいんです。
何があっても、……絶対に、忘れられないように。
………………ギデオンさんの手で。パパがぜったい、しないこと。教えて、ください……


  • No.652 by ギデオン・ノース  2023-11-08 15:20:27 




──………………、

(その文脈を咥内でじかに味わい、胸の内も頭の奥も熱く爛れていた矢先。耳に届いたのはあまりもの殺し文句で、思わずくらくらと目眩さえ覚えた。──今のが本当に、純真無垢な娘の口から捧げられた台詞だろうか? しかし理性はもちろん、ヴィヴィアンが決して魔性の女などではないことを知っている。いつのまにか彼女の華奢な背を這いまわしていた、己の両掌の下。うら若い恋人の躰は、固く小さく強張って震え、まるでエレンスゲの前に差し出された生け贄の乙女のようだ。……未だ、怖いのだろう。以前語った、昔の恋人との一件が、今なお深く刻み込まれているのだろう。しかしその一方で、“パパが絶対にしないこと”……ギルバートが認めないような深い交わりを、ギデオンとしたいのだ。そのばらばらになりそうな、いじらしい心ごと。手つきを穏やかなそれに変え、そっと彼女を抱きしめる。そうしてまずは、怖がりな娘の頭や背中を、あやすようによしよしと撫で。いつもの“安心できる恋人”の声で──情欲は一度押し込めて──、柔らかな耳朶にそっと囁き。)

……任せろ、忘れられなくしてやる。
でも、そうだな……こういう行為は、信頼や安心感があってこそ楽しいものだ。
だからまずは、おまえの緊張が少し抜けるまで、こうして触れ合うのに慣れよう。……なあ、上だけ脱いでもいいか?

(──おそらく、この情景を傍から見る者があったなら。歳の差があるとはいえ、共に成熟した男女同士。その事の始めが本当にこれなのかと、酷く呆れたことだろう。だがここは、自分たちふたりの我が家。他に人目はなく、大切なのは互いだけ、何を気にする必要もない。恋人の許可を得れば、ごくさりげなく身じろぎしながら、いつものワインレッドのシャツを寛げ。やがては肌着ごと脱ぎ捨ててしまうと、まずはただ、相手と静かに抱き合うのを堪能しはじめる。完全な素肌同士ではないとはいえ、いつもより肌の面積が広いのは確かだ。ヴィヴィアンの体温がじかに伝わるのがギデオンには心地良いが、きっと彼女には、これもまだ刺激的な部類だろう。故に焦らず、急がず。膝の上の彼女をあやすように抱きしめ、とくとくと鳴る心臓同士を近づける。互いの呼吸を同じリズムに近づければ、少しはこの多幸感を分け与えられるだろうか。ヴィヴィアンの様子を見ながら、時折耳や頬にごく軽い口づけを施し、「ここにいるのは俺だよ」「大丈夫だ」「おまえの怖いことはしない。ちゃんとゆっくり、確かめながらやるから……」等々、囁くこと十数分。ようやく強張りが弛んだのを感じて、思わず嬉しそうに微笑めば。今度はまた少しずつ、相手の知識の確認に入る。いつぞやの連れ込み宿で、アイリーンのあのマシンガントークに相槌を打てていたくらいだ……歳相応に物事を知ってはいるだろう。それでも、無駄に経験豊富な自分と、実践面はほぼまっさらだろう彼女で、おそらく常識の範囲が異なる。故にこれは揶揄いではなく、あくまで大事な話なのだと。そんな言葉が白々しく聞こえるほど、楽しそうな声であれこれと会話を繰り広げ。「……そういえば。自分で無柳を慰めたことは?」。酔っ払いにするには聊か迂遠なこの質問も、魔導学院出身で教養のある彼女ならば、と投げかけた者。──別に、本当に大事な確認であって。彼女を虐めるつもりなど、ちっとも、これっぽっちもないのだ。)



  • No.653 by ギデオン・ノース  2023-11-08 15:25:56 





──………………、

(その文脈を咥内でじかに味わい、胸の内も頭の奥も熱く爛れていた矢先。耳に届いたのはあまりもの殺し文句で、思わずくらくらと目眩さえ覚えた。──今のが本当に、純真無垢な娘の口から捧げられた台詞だろうか? しかし理性はもちろん、ヴィヴィアンが決して魔性の女などではないことを知っている。いつのまにか彼女の華奢な背を這いまわしていた、己の両掌の下。うら若い恋人の躰は、固く小さく強張って震え、まるでエレンスゲの前に差し出された生け贄の乙女のようだ。……未だ、怖いのだろう。以前も何度か言っていた、昔の恋人との一件が、今なお深く刻み込まれているのだろう。しかしその一方で、“パパが絶対にしないこと”……ギルバートが認めないような深い交わりを、ギデオンとしたいというのも事実なのだ。そのばらばらになりそうな、いじらしい心ごと。手つきを穏やかなそれに変え、そっと彼女を抱きしめる。そうしてまずは、怖がりな娘の頭や背中を、あやすようによしよしと撫で。いつもの“安心できる恋人”の声で──情欲は一度押し込めて──、柔らかな耳朶にそっと囁き。)

……任せろ、忘れられなくしてやる。
でも、そうだな……こういう行為は、信頼や安心感があってこそ楽しいものだ。
だからまずは、おまえの緊張が少し抜けるまで、こうして触れ合うのに慣れよう。……なあ、上だけ脱いでもいいか?

(──おそらく、この情景を傍から見る者があったなら。歳の差があるとはいえ、共に成熟した男女同士。その事の始めが本当にこれなのかと、酷く呆れたことだろう。だがここは、自分たちふたりの我が家。他に人目はなく、大切なのは互いだけ、何を気にする必要もない。恋人の許可を得れば、ごくさりげなく身じろぎしながら、いつものワインレッドのシャツを寛げ。やがては肌着ごと脱ぎ捨ててしまうと、まずはただ、相手と静かに抱き合うのを堪能しはじめる。完全な素肌同士ではないとはいえ、いつもより肌の面積が広いのは確かだ。ヴィヴィアンの体温がじかに伝わるのがギデオンには心地良いが、きっと彼女には、これもまだ刺激的な部類だろう。故に焦らず、急がず。膝の上の彼女をあやすように抱きしめ、とくとくと鳴る心臓同士を近づける。互いの呼吸を同じリズムに近づければ、少しはこの多幸感を分け与えられるだろうか。ヴィヴィアンの様子を見ながら、時折耳や頬にごく軽い口づけを施し、「ここにいるのは俺だよ」「大丈夫だ」「おまえの怖いことはしない。ちゃんとゆっくり、確かめながらやるから……」等々、穏やかな声で囁くこと十数分。ようやく強張りが弛んだのを感じて、思わず嬉しそうに微笑めば。今度はまた少しずつ、相手の知識の確認に入る。いつぞやの連れ込み宿で、アイリーンのあのマシンガントークに相槌を打てていたくらいだ……歳相応に物事を知ってはいるだろう。それでも、無駄に経験豊富な自分と、実践面はほぼまっさらだろう彼女で、おそらく常識の範囲が異なる。故にこれは揶揄いではなく、あくまで大事な話なのだと。そんな言葉が白々しく聞こえるほど、楽しそうな声であれこれと会話を繰り広げ。「……そういえば。自分で無聊を慰めたことは?」。酔っ払いにするには聊か迂遠なこの質問も、魔導学院出身で教養のある彼女ならば、と投げかけたもの。──別に、本当に大事な確認であって。彼女を虐めるつもりなど、ちっとも、これっぽっちもないのだ。)



  • No.654 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-09 12:59:48 




 ( "いつも"の優しい声音でかけられた、心強く頼もしい約束に、それまで強ばっていた娘の眼差しが、ゆるりとほのかに和らいだ。とはいえ、こうして少しでも身体から力が抜けたのはほんの一瞬で。ギデオンの請求に押し黙って小さく頷けば、無骨な手が釦を外していく慣れた手つきに、肌着から首を抜く生々しい動き。それら全てから目を離せずに、とうとう素肌のギデオンと目が合うと。この時初めて己が見蕩れていたことに気がついて、その認めがたいはしたなさに、バッと勢い良く顔を逸らしたかと思うと、再び恥ずかしそうに縮み上がってしまう。果たしてギデオンの腕の中、素肌に伝わってくる素肌の感触は、良くも悪くもあまりに刺激的で。相手の耳元ではふはふと、緊張で上がってしまった呼吸を震わせることしばらく。──確かに、最初からギデオンはそう宣言してくれていたのだが。ビビにとっては、これ以上ない食べ頃を差し出したつもりにも関わらず。その姿を前に顔色を帰るどころか、いつも以上に穏やかに、大好きな優しい声でビビが安心するようにと努めてくれる恋人に──ギデオンさんは本当に、私の嫌がることはしないでくれる。ちゃんと私を見てくれるんだ。そうやっと実感が追いついて、強ばっていた身体から徐々に力が抜けていく。その頃には荒ぶっていた心臓もいつの間にか、トクトクと心地よいリズムを穏やかに刻んで。愛しい恋人がくれた口付けを控えめに、けれど少しずつ返せるようになってくる。そうして、相手の肩に頬を寄せ、いつもより少し濃い相手の香りに耽溺していたその時だった。ふと頭上から上がった、穏やかな吐息に顔をあげれば、そのあまりにも純粋で嬉しそうな微笑みに、改めて自分がいかに大切にされているかを思い知り。嬉しいようなむず痒いような、温もりに満ちた多幸感に此方も小さく微笑み返すと、「ありがとう、ギデオンさん……」と、相手からすれば牛歩もいいところだろう此方に合わせてくれた感謝に、今夜二度目となる唇への、今度は甘く触れるだけの口付けを。
──さて、そんな感謝は今すぐに撤回すべきだろうか。流石に未だ安心しきってとはいかないものの、ある程度の落ち着きを持ってギデオンとの愛情表現を楽しんでいれば。徐ろに投げかけられた質問に、最初は一瞬きょとりと首を傾げかけ、「ぶりょ……?、!」と、一拍遅れてその意味に気がつき目を見張る。その無駄に迂遠な言い回しで、あくまで自分は真剣なのだと主張している男の、その明らかに楽しげな視線が憎らしく。──自分で? 自分でって……! と、相手の腕という檻の中、顔を真っ赤にして何も言えず。あー、とかうぅ~、だとか、もじもじ俯いている時点で察して欲しいのだが。楽しげな恋人は此方を見下ろすばかりで、一向に助け舟を寄越す気配がない。とはいえ、ここで強く反発すれば、寧ろ無防備な状態で是認するのと同義で。仕方なくギデオンの膝に手をついて、身体ごと少し前に近づいて、ギデオンの耳元に顔を寄せると、周囲に誰がいる訳でもないのに囁くような声で告げたのは、なんとなく大きな声で答えるのがはばかられたからで。 )

──……いっかい、だけ。
この前、がんばるって、約束したから……でも、よく分からなくって、その……


  • No.655 by ギデオン・ノース  2023-11-09 15:43:18 




っくく、そうか……よく分からなかったか。クク……ッ、

(己の恋人は、いったいどこまでいじらしいのだろう。そんな馬鹿丸出しの思考を本気で抱いてしまうほど、今のギデオンはある意味打ちのめされていた。思わず鳴らした笑い声にも、揶揄うような鸚鵡返しにも、しみじみとした幸せの響きが滲み。「ああ、悪い。怒らないでくれ……」なんて、ご機嫌とりの軽いキスにさえ、つい甘ったるさが乗ってしまう。
不慣れなのだろうことは、もちろんある程度予測していた。だが、まさか。初めて及んだのがついこの間で、その動機すら、いつかギデオンに捧げたいから……ふたりの将来のためにそう約束したから……そんな健気で可愛らしいものだとは,さすがに思いもよらない。当然だろう、己の腕の中の娘は、ただでさえ、“その先”を意識して抱き合うだけでも怯えるほど初心なのだ。だというのに、こちらの露知らぬうちに、そんな努力をしてくれていた、などと。それもふたりきりの家だというのに、恥ずかしくてたまらないというように、こしょこしょと耳打ちされて。これだけの爆弾を喰らい、どうして愛おしく思わずにいられよう。
とはいえ、これ以上相手を笑うのは可哀想だ。何より、不慣れなら不慣れで、現実的にどう進めるかをあれこれ考えなくてはならない。故に笑みを落ち着けると、一度膝上の相手をごく緩やかに抱き直し。幼気なまろみのある額にかかった前髪を、そっと目許からよけてやり。「それならまずは、そこで悦くなるのを覚えるところからだな」なんて、涼しい顔であけっぴろげな発言を。
そこから始まったひとときは、まだまだ相手を健全に抱き上げたままの、相も変わらぬ雑談だ。流石にギデオンも鬼ではない……具体的な事を匂わせた途端また身を固くしてしまった娘相手に、それでも即座に手をつけるほど、無様にがっついたりはしない。今夜の観察で、相手が何かと身を固くするのは、トラウマのせいだけでもないことを察していた。純潔な乙女だからこその、未知に対する本能的な恐怖──それも多分にあるのだろう。それを性急に取り払おうとするのではなく。真っ赤な顔で悶える恋人を至近距離で堪能しながら、艶っぽい話題に興じる……これだってなかなかに、趣があって愉しいものだ。
とはいえ、単なる趣味にとどまりもしない。ヴィヴィアンの怖がりな身体を素直にするには、一見遠回りなようだが、精神的なあれこれから取り払うのが最善手だ。その考えから、まずはあれこれと、相手が苦手に思うことを探り出して。そのどれもに、「実はそれはこういうことだ」「そいつについては、こう考えてみないか?」などと、ギデオンなりの新しい視点を丁寧に植え付けていく。
──吊るした円柱を思い浮かべればわかり易いだろう。上から光を当てたとき、それは円形の影を落とす。だが、横から光を当ててみれば、壁に移る影は長方形を描くはずだ。それと全く同じである。一つの物事を見る時、それは必ず、同時に複数の形をしている。どれかひとつの形が、唯一絶対の正解というわけではない。円柱の影は真円だと思う人もいるし、長方形だと見る人もいる。どこから……どの視点から……どの境地からそれを眺めるか。それだけの違いなのだ。
ギデオン・ノースという人材は、この考え方を、普段は仕事で活用している。討伐作戦、中間管理職、内務調査、密偵活動。どんな職務においても、多角的に物事を見て、今回の目的のためにはどの解釈が適切か、それぞれの解釈にどんな利点と欠点があるか、熟慮する才を持っている。故に上層部からは、頭の切れる冒険者、というありがたい評価をいただいているのだが。──まさかお偉方一同も、ギデオンがその能力を、若い恋人との睦みごとにがっつり応用するなどとは……流石に夢にも思うまい。)

……つまり、そんな風になるのは、相手のことを受け入れるためだ。相手の男のことが好きだと、身体が勝手にそうなるんだよ。人体の不思議だな。
だから、焦らなくていい。お前の身体が目覚めるまで……こうして楽しくじゃれ合ってるのも悪くない。……

(──そうして。未だ潔癖な乙女であるヴィヴィアンが、はしたない、浅ましい、不純だと感じてしまう諸々。そのどれもに、魔法学やら人体科学やら、そういった(無駄に)学術的な視点や、恋仲ならではの甘い感情を交えての、ギデオン独自の解釈を述べ、織り込み、塗り替えていく。一見その会話は、酷く下らない猥談でしかないだろうが。それでヴィヴィアンの視野を多少広げられるなら、充分に価値があるはずだ。頻繁に交える冗談や、わざと相手を煽るような白々しい台詞だって、きっと彼女の緊張を解くのに一役買っているだろう。また、会話の折にふとさり気なくあちこち触れて、艶やかな戯れにも少しずつ慣れさせる。状況をよく調べ、分析し、工夫を仕込んでいき、手堅くも大胆に事を運ぶ──クエストに挑むときと同じ、ギデオンの得意な戦法だ。
こうしてじっくり話し込んでいたものだから。ふと気づくと、既にかなり夜遅くなっていた。鈴虫の鳴く窓の外を、恋人共に何とはなしに眺めた後。まだ同時に無言で見つめ合い、どちらからともなくキスをすると、ふと右手をテーブルに翳す。器用に施したその細工は、本来なら野営時に使う、食事の痕跡を一時保存する無属性魔法。要は暗に、洗い物や片付けはいったん後回しにしよう、という意思表示だ。りいりい、と涼やかな音が夜のしじまを満たすなか。相手を穏やかな、けれども少し熱を取り戻した双眸で見つめ。その頬に手を添えて、相手の余裕の確認を。)

…………。
……そろそろ、寝室に移ってみるか。



  • No.656 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-10 16:52:57 




ギ……ギデオンさんが聞くから、答えたのにぃ……!

 ( 恋人の意地悪な物言いに、握った拳を振り上げて、ひんひんと真っ赤な顔で抗議していたヴィヴィアンだったが。その当の本人から宥めるように唇を落とされて、気持ちよさそうに目を細めると、紳士的な捕食者の腕の中、ぽやりと幸せそうに微笑んで。
──……ビビの所属していた魔導学院は、その研究部こそ学術的な権威だが。高等部以下の、特に中等部までの学び舎は、幼少期から学院へ通えるような、良家の子女のための社会教育に近い傾向がある。故に──ビビの恩師は、「知識も身を守る術だというのに」と嘆いていたが──少なくともビビの在学時代の女子生徒には、所謂"堕落に繋がる情報"とは切り離された、"良き妻、良き母"になるための教育が施されていた経緯がある。とはいえ、この奔放なトランフォードで、知的好奇心あふれる若く優秀な生徒たちは、それぞれ自由に大人への切符を勝ち取っていくわけだが。根が素直で真面目なビビの心に、貞淑であれという呪いは強く刻み込まれて、それが17の夏、最悪な形で決定打を押しことになる。
そうして、ギデオンの直截な言い回しに、再度カチンと固まったヴィヴィアンだったが。頭脳派であるギデオンの、内容に似合わぬ理論的な言い回しは、皮肉にも学生だった彼女には素直に受け入れやすいもので。これまではしたない、だらしないと恥じてきた行為や現象が、医療人として真面目な知識に繋がると。ビビの中で忌避されて、意識的に興味を向けないようにしていた質問が次々湧いて溢れ出る。時折、"好きな人"だとか、"赤ん坊"だとか、普段ギデオンの声では聞きなれぬ優しい単語に、どぎまぎとしながらも。真面目なものから、馬鹿らしい流言飛語の類まで、ひとつひとつ丁寧に説明してくれるギデオンに心を許しきり、その健全なんだかどうか分からぬ講義を終えれば。──そうか、あれもこれも、全ては動物として、子をうみ育てるため身体の自然な反応で。それなら、私の身体もいつか、絶対にギデオンさんを受け入れる準備を終わらせてくれるんだ。そう思えた途端、温かく神聖な気持ちで満たされる。そうして、食卓に魔法をかけるギデオンの脇で、何気なく己の腹を見下ろしたまま、続けられた質問にこくりと小さく頷けば。跨っていた腰を上げながら、その柔らかい下腹部を愛しげに撫でて、 )

………はい、お願いします。
あの、もし──ギデオンさんは、赤ちゃんが出来たら、嬉しいですか……?


  • No.657 by ギデオン・ノース  2023-11-11 02:22:40 




────……、

(その穏やかな問いかけの意味を、すぐには理解しきれぬまま。思わず声を失ったギデオンは、彼女の頬に添えていた手をゆるりと下ろし、ただまじまじと相手を見つめた。目の前のヴィヴィアンは、聖母のような慈愛をたたえて、今何と言ったのか。子どもができたら嬉しいか……だと? 頭の中でそう反芻し、ようやく噛み砕いた途端。ギデオンの青い双眸は、激しく波打つ水面にも似た、深い輝きを帯びはじめ。薄く口を開くものの、そうにも喉が詰まるらしく、視線ばかりが揺れ動く。困ったような表情になるのは、何もヴィヴィアンのせいではない。胸に沸き起こる感激の嵐を、持て余しているだけなのだ。
それでも、結局のところ。「……嬉しいよ、」と。気づけば、口が勝手にそう答えていた。少し震える手を、再び彼女の頬に這わせ。指の腹でそっと目許を撫でながら、ギデオン自身もどこか堪えかねたように目を細めて、もう一度。「嬉しいよ。きっと、この世でいちばん……何よりも嬉しいことだ」と。目を閉じ、項垂れながら頭を寄せて、その思いの深さを彼女に伝えようとする。だが、すぐに物足りなく感じたらしい。太い腕を蜂腰に回し、やや痛いほどに抱きすくめ、その無言の仕草で叫ぶ。好きだ。ヴィヴィアンが、死ぬほど好きだ。
──……齢九つになるかならないかで孤児院に入ったギデオンは、上流階級の生活を知らない。故に、良家の子女が受ける徹底した淑女教育……魔導学院も施すそれを、知識として知ってはいても、目の前の恋人と結びつけるには至らない。だからこそ、より深く突き刺さったのだ。妻になること、母になることを、ヴィヴィアンが強く強く望んでくれているように見えて(あながち間違いでもなかろうが)。閨事を未だ怖がるような娘が、それを経なくては手に入らない筈のものを、ギデオンのためであれば叶えてくれるかもしれないと知って。
青年時代のギデオンは、家庭を持つことにそう積極的ではなかったはずだ。寧ろ自分は父親に向かないだろうと考え、そういった幸福を望むような女性たちとは、自ら距離を置いていた。よって自然に、自分と同類の……暇を快楽で塗り潰したい女たちと、散々遊んでいたわけだが。──今はもう、あの頃とは違う。己の腕の中には、残りの人生を共に過ごしたいと願う、たったひとりの女性がいて。彼女も自分に、子どもができたら嬉しいか、などと、彼女自身の人生にとっても大きなことを問うてくれる。それにどれほど心を動かされることだろう。つくづく自分の人生は、ヴィヴィアンに変えられたのだ。得られないはずの……得ようと思ってもみなかった幸福への道を、こうして与えられている。)

…………。
……現実的な話をすると、“絶対に欲しい”とまではいかないんだ。子どもを身籠れば、俺もしっかり支えるにしたって……どうしてもおまえの負担が大きくなるだろ。
お互い、冒険者としての自分のキャリアもある。だから別に、急いじゃいない。
だが、そう言ってくれたこと自体が……俺は、たまらなく嬉しいよ。

(彼女を抱きしめ、顔を伏せたまま。ようやく気分が落ち着いたらしく、ごくゆったりと補足を行い。それから顔を上げ、少しきまり悪そうに微笑んだのは……この歳になってこの種の感動を知り、圧倒されていたことに対して、どうやら気恥ずかしさを覚えているのだろう。軽く頭を振り、目にかかっていた前髪を払うと。今しがたの素の反応を忘れさせようとするかのように、今度は悪い大人の顔を繕い。不意にヴィヴィアンを掬い、正面からすっくと抱き上げたかと思えば。如何にも頼み込む振りに興じながら、長い脚を捌いてソファー裏に回り、そのまま寝室への階段を登り始め。)

──それに。俺は歳が歳だから、いざ望んでも、そう簡単にできない可能性がある。
となると、何度でも実践することになるし……そのための練習も重ねないとな。悪いが、少し付き合ってくれ。



  • No.658 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-11 10:47:22 




……良かった、私もうれしいです、

 ( きつく抱きしめられた腕の中、えへへっ……と甘く喉を震わせると、硬い筋肉の外皮に頬擦りをして、その愛しい気持ちを存分に表す。──そっか、キャリアとかも考えなくちゃ駄目だよね、と。産む当人であるはずのビビより、よっぽど具体的な未来を描いてくれた恋人に、うっとりと目を細めれば。ビビも良い歳をした大人だ。こんなにも好きで好きで堪らないというのに、それだけではままならぬ現実を受け入れはするが、第一声。大人らしい冷静さを取り戻す前のギデオンが、"嬉しい"と、そうはっきり強く抱き締めてくれたことを生涯忘れることは無いだろう。──ギデオンさんも望んでくれる。ただそれだけの確信で、今回のことも、これからどんな困難が振りかかろうと、それだけで自分はどこまでだって真っ直ぐに走っていけるに違いない。
そうして、図らずも父親と対峙するための拠り所を先んじて手にしてしまい、半日以上もビビを取り巻いていた重い不安が取り除かれてしまえば。再度顔を合わせた恋人の顔に浮かぶ表情は、確かに照れ隠しも大いにあったのだろうが。わざと意地の悪い表情を浮かべる恋人の、その可愛らしさにくすくすと声をたて笑う娘の運命はいかばかりか。頼もしい腕に運ばれる間、その太い首へと腕を回し、相手の手があかない事をいいことに、額、目元、鼻先、そして唇へと甘い唇を落として戯れ。魔法のランプの温かな光が照らし出す、居心地のよい寝室の中心に置かれた大きなベッド。その沈み込むように柔らかいシーツの上にそっと下ろされて、やっと。この状況を思い出したかのように、再度少し身体を強ばらせると、口元に手を寄せるのは不安の表れで。ぺたりとその丸い臀部をベッドにつけたまま、頭上に伸びる大きな影目に入らぬように顔を逸らすと、ぷるぷると掻き消えてしまいそうな声で懇願し、 )

……あの、ぅぇ……上から見下ろされると、怖い……かも。ごめんなさ……



  • No.659 by ギデオン・ノース  2023-11-11 14:11:53 




(悪戯な恋人を、シーツの海にそっと下ろし。こちらもお返しに、いよいよたっぷりと啄もうとした──そのときだ。ぎしり、と寝台を軋ませながら。ギデオン自身はごく軽く、何てことのない感じで寄ろうとしただけったのだが。ギデオンの視界の下、再び身を固くしたヴィヴィアンの、顔を退けて声を震わせるその様子を見れば、はたと制止して。……静かな驚愕に染まった目を、やがてはふっと優しく和らげ。)

わかった。おまえが謝る必要はないよ、教えてくれてありがとうな。
……これなら、怖くないか?

(浮いていた腰を、ベッドの端に落ち着け。「大丈夫だよ」とあやすように頭を撫でてから、自分もゆっくりと──彼女の様子を見ながら、決して怯ませないように──寝台に乗り上げ。柔らかなデュベを手繰り寄せれば、盛り上げた空洞の中に恋人を誘い込む。きっとこれならいつも通り……ふたりで寝入るときと、そう変わらない距離感のはずだ。そうして恋人が、おずおずとか、安心したようにか、いずれにせよギデオンの隣に潜り込んでくれば。喉を鳴らしながら横向きにそっと抱きしめて、まずは温もりを分け与える時間を。いつものそれと同じようでいて、夜着を隔てないじかな触れ合いは、またトラウマを思い出してしまった彼女に、どのように働くだろう。その甘い石鹸の香りがする旋毛や、いつまでも触っていたくなるような柔らかな耳朶に、今はまだ色気を含まぬ、優しい唇を何度か触れて、“ここにいるのは俺だよ”“お前の嫌なことはしない”と、再三の意思表示を。相手の全身をゆったりと、宥めるように撫でてやり……そうして、昔の恐怖に絡めとられてしまった彼女を取り戻そうとすることしばし。ルームランプの陰になった、穏やかな暗がりの中。ふと恋人と目を合わせると、気づかわしげな声で尋ねて。)

辛い思いはさせたくないから、きつかったらいいんだが。
……ほかに、どんなことが怖い? おまえに思い出させないために……知れる範囲で、知りたくてな。



  • No.660 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-12 18:00:37 




怖い、こと……

 ( 心地よい重みのある腕の中、直に触れ合う肌が温かくて、トクトクと響く心臓の音に目を閉じると、眉間に皺を寄せ寄せながら、信用出来る温もりにゆっくりと体重を預けていく。──大丈夫、ギデオンさんは、私の嫌がることは絶対にしない。そう相手の言葉を反芻していれば、気遣わしげに此方を覗き込んできた碧と目が合って、ただそれだけでほっと力が抜けいく。
そうして続けられた質問に、あの暑かった夏の夕刻。大好きだったはずの鳶色は、とうとう一度も此方を見無かったことを思い出す。それは、高等部2年生なる直前の夏休みで。それまでの複数回の失敗を経て、二人の間には良くない焦燥感が漂っていた。半ば義務のようなキスをして、少年の手がビビの肩にかけられる。硬いスプリングの感触を背中に感じ、見上げた少年の影が──やたら大きく、恐ろしいものに見えてしまって。現実と過去、どちらのビビの呼吸もはっはっはっ……と荒く不規則に上がり出す。そんな娘を目の前にして、これまでの少年だったなら、『今日はやめておこうか』と手を引きビビを座らせて、ごくごく自然に話題を切り替えてくれていたはずなのに。その日はなにか苦しげに逡巡したかと思うと、ビビのブラウスに手をかけて──……それがわざとだったかは分からない。ビビが驚いて身体を捩った拍子に、『いい色だね、よく似合ってる』と、いつか彼が褒めてくれたブラウスが、嫌な音をたてて無惨にも千切れ飛ぶ。ビビが呆然としても、最早その手が止まってくれることはなく、一瞬遅れて起き上がろうとするも、それを抑え込むように体重をかけられて身動きが取れない。そこまで記憶をなぞった途端、ぶわりと当時の恐怖が蘇り、ガタガタと身体が震えだし。優しい恋人に"きつかったらいい"と、気遣って貰ったにも関わらず、芋づる式に素の感情が引きずり出されてしまう。思わずギデオンに縋りつこうとして、掴む布がない状況に、えぐえぐと酷い嗚咽を漏らしながら、辛うじて引っかかった鎖骨に震える指をかけると、わあっと子供のように泣きじゃくり、 )

──……おと、布が裂ける音が、怖いです。
ぐっ、て、……重いの、おなかに乗られるのも、こわい。
ここ……っ、手首をすごい力で、私……痛くて、怖くて……!! 何度もやだって、やめてって言ったのに、でも止まってくれな、くて……

 ( 一体全体、本当にどうしてしまったというのだろう。いくら父親の件があったとはいえ、ギデオンの一言でいとも簡単に引きずり出されてしまう感情に、我ながら困惑が隠せない。年上の恋人に宥められたかどうかして、その大号泣が治まったその後も。まるで感情の堰が壊れてしまったかのような心細い感覚に、冷たくなったしまった鼻を相手の首筋に押し付ける。この先、この人の前で負の感情を抑えられなくなってしまったらどうしよう。早速、そんな心配が的中するかのように、自分がぶち壊してしまった空気に、今日はもう触れて貰えないんじゃないか、という不安が顔を出し、未だ濡れている顔をおずおずと上げると。その薄い唇へと唇を寄せ、「ギデオンさん」と甘えたように鼻を鳴らす。そうして、形の良い眉を八の字に歪め、語弊……でこそもうないが、直接的な表現を避けた故に、己の言葉が余計にみだらな響きを持ったことには無意識で、 )

…………ごめんなさい、私、今日おかしくて……もう触ってもらえないですか……?


  • No.661 by ギデオン・ノース  2023-11-12 23:22:41 




…………

(泣きじゃくる相手を胸に抱き、優しく撫でてやりながら。(……やり方を間違えたな)と、静かな後悔に目を伏せる。思い出させたくないと言いつつ、それを予防したい己の都合で、悲惨な当時をなぞらせた。その結果がこの痛ましい涙だ。ヴィヴィアンの持つ記憶は、彼女自身にしか辿れない……過去のものにしたはずの恐怖に、またも独りで立ち向かうに等しい。そんな真似をさせるべきではなかった──己の浅慮による失態だ。今更過ぎる苛立ちに、苦い顔を噛み殺す。
……しかし、実のところ。今ここで吐き出してくれてよかった、などと酷なことを考えて、ほっとした表情を浮かべてしまうのもまた事実。見ての通り、ヴィヴィアンの心の傷は深い。きっとこの先何度でも、昔のことを思い出して震える彼女を、こうして慰めるだろう。それを踏まえれば、こうして一度感情の蓋を取り払えたのは、小さな第一歩かもしれない。本当に憂慮なのだが、ヴィヴィアンはどうも、“ギデオンに嫌われるのではないか”などと考えて、自分の何かしら暗い部分を隠したがる傾向がある。どうかその思い込みに陥ることなく、嫌だったこと、怖かったこと……当時の相手に理解してほしかったこと、それらをこうして吐き出せるなら。それを見守り、聞き届ける立場に、己は喜んでなってみせよう。元より一度ならず、数えきれないほどヴィヴィアンに救われた身だ。寧ろこれくらいさせてくれねば、碌に恩返しが叶わない。撫でて、キスして、抱きしめて。そうすることで彼女が落ち着き、少しでも心が軽くなるのなら。己の胸を、幾らでも貸そう。支える掌があることを、縋る相手がいることを、こうして優しく撫でることで、何度でも思い出させよう。)

(……そうして。十数分か、それ以上か。ようやくヴィヴィアンの嗚咽が止み、ギデオンの肩口ですんすん鼻を鳴らすだけになった頃。相手の身じろぎする気配に、ギデオンも撫でていた手をふと止めて、そっとそちらを見下してみる。こちらを見上げるヴィヴィアンの顔──薄いそばかすの散った目元はびしょびしょに濡れており、鼻の頭は真っ赤っか。おまけに不安げな表情をしていて、見るだに痛ましい、のだが。こんな顔をしていても、いじらしくって可愛いな……などと、ろくでもないことを考える辺り。良心の在り処というものを、己はそろそろ真面目に探すべきかもしれない。そんなことを思いながら、寄せられた唇にこちらもちゅ、と軽く返し。少し掠れた声に名を呼ばれれば、なんだ、というように軽く首を傾げる。──だが次の瞬間、その青い目が虚を突かれたようにぱちくりしたかと思うと。思わず、といった様子で、喉を震わせるように吹き出し。)

……、もう、って。いいのか?
──触って、ほしいのか。

(──けれども二度目は、少し低くした艶やかな声で、相手の欲を確かめるような囁きを。このくらいなら、ヴィヴィアンを怖がらせはしないだろうか。泣き腫らしたことで未だ熱いほっぺたに手を添え、額と額をこつんと合わせる。吐息が触れ合うような距離。とはいえ、心は己の欲望ではなく、ヴィヴィアンの方にあることを、指の腹で目元を撫でるいつもの仕草で伝えようと。)

…………。なあ、ヴィヴィアン。セックスは義務じゃない。だから、おまえのなかに焦りがあるなら……それは忘れてしまっていい。
そういうことをしなくたって、俺はおまえとずっといたいし。そういうことをしなくたって、親父さんにもいつか認められるだろう。
──でも、俺はほら、“それなりに”欲があるから。おまえも望んでくれていて、無理をさせるわけじゃないってんなら。…………

(続きの言葉を濁したところで、いっそ雄弁なだけだろう。相手を見つめるその顔には今、どこか年頃の少年じみた、明るい面差しすら混じっていて。ここに来るときも彼女にくすくす笑われたように、素のギデオンは結構こうだ──歳を重ねて落ち着いたようでいて、若気が大いに残ったままだ。その相手が最愛の女性となれば、そういう欲は尚更起こる。とはいえ、それでも“待て”はできると、大人の方の目つきで語り。相手の髪をひと房掬い、長い指で弄びながら、緑の瞳を覗き込んで。)



  • No.662 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-14 01:28:41 




忘れられなくしてくれるって……やくそく、したもん……

 ( ……そんなに、何度も確認される程、己は信じ難い願いをしたろうか。思わずといった調子で目を見開いた恋人に、かっと顔を火照らせて、その固い胸板へと視線を埋めると。もし否定された時用に、言い募ろうと準備していたフレーズも、ごにょごにょと自信なさげに窄んでいく。
確かに、焦る気持ちがないわけじゃない。しかし、ビビが恐れているのは、もはや過去となった悍ましい幻影で。目の前のギデオンは、──ビビが嫌がることは絶対にしないと誓ってくれた。その上、今もこうして、ビビを最優先にしてくれる恋人の深い愛情に。頭上から降りかかる声にも、無邪気な期待が混ざるのを感じ取ってしまえば、これ以上応えずになどいられるだろうか──……と。口を一文字に引き結び、再び頑なな瞳をあげたその時だった。
こちらの毛先を弄ぶ、子供のような無邪気な触れ合い。しかし、その此方を覗き込む表情が、想像するよりずっと大人で、こちらを気遣う暖かいものだと気づいた瞬間。ふっと全身にこもっていた力が緩む。そうして、「……ごめんなさい、ちょっと……無理してたかもしれないです、」と。ついさっきまで張り詰めていた表情を、ふにゃんと崩し。安心しきった様子でギデオンの胸に頭を擦りつければ。──普段、寝る時にそうするように──自分よりずっと大きな掌を握りしめると。切ない掠れ声で囁きながら、握った手をそっと白い腹に導いて、 )

──……だから今晩は、今晩からは、
いつか、のときのために、"練習"させてください……


  • No.663 by ギデオン・ノース  2023-11-15 05:51:03 




──……。
……ゆっくり、進めていこうな。

(温かく握り込まれた掌が、そっとそこへ──彼女が愛おしげに撫でた、神聖な場所へ──寄り添うように宛がわれ。一瞬呼吸を忘れたギデオンのまなざしに、ヴィヴィアンの熱がふっと移る。“無理をしていたかも”と大人しく認めた彼女に安堵して、“やっぱり今夜はこのまま眠ろう”、そう促すつもりでいたというのに。こんなにもいじらしく、こんなにも控えめに、それでもギデオンを渇望する……そんな小声を聞いてしまえば。さすがにおうこれ以上は、ギデオンのほうこそ無理をしていられない。
瞼を閉じ、その甘い栗毛に顔を埋め。穏やかな声で返しながら、絡めた相手の掌越しに、すべらかな腹をふわりと撫でる。薄青い目を静かに開け、もう一度相手の視線を絡めとれば。互いの目つきは、ぼんやりと甘い。呼吸も自然と溶け込んで……おそらく鼓動すら、同じ速さでトクトクと打っているのだろう。最早言葉で語らずとも、互いの意志は充分に伝わった。どちらからともなく顔を近づけ、互いの唇を溶け合わせる。絡めたままの掌が、ひそやかに、しめらかに動く。ベッドを覆う白布が、幾筋もの皴を描きだす。
──……最愛の不慣れな娘にゆっくりと手ほどきするのは、ギデオンの想像以上に満ち足りた時間だった。最初のうちこそヴィヴィアンも、まだ恥じらいを捨てきれずに、身を捩って逃げがちだったが。「……ずっと気になっていたんだが、このランジェリーはどうしたんだ?」なんて、白々しいほど明るい声で尋ねたり。猛抗議を喰らってしまえば、くっくっと笑いながらも、ご機嫌とりに抱きしめたり。そうして楽しく戯れながら、合間に妖しい愛情表現を差し挟んでいるうちに。……いつしか互いの顔も吐息も、夜の褥によく似合う、艶やかな色を帯びはじめる。
膨らんだ半月が窓の外へ出て行くまでに、彼女に数回ほど夢を見せた。初心な恋人は少し前まで、自分の身に起きた変化を俄かには信じられず、パニックにすら陥っていたはずだ。それを思えばかなりの進歩で、本当ならこのまま、もう少し踏み込みたいところだが。──今日は、朝からいろいろあった。夜の話では二回も泣いて、体力も削れているだろう。これ以上深く追い求めたところで、キャパオーバーを押し付けてしまうだけとなる可能性が高い。そう引き際を弁えて、息の荒い彼女に顔を寄せる。汗の浮いたまろい額に、労わりのキスを贈りたかった。
このとき初めて、己の息も僅かながら浅いのを自覚し、自嘲気味に苦笑する。……これでもそれなりに、理性を保てていたはずだ。抑制剤を服用しているおかげで、我を忘れてしまうことなく、ただただ奉仕に徹していられた。……だが、もし薬を飲まなければ。もしもこの、薄い膜を張ったような感覚なしに、恋人の姿を直視すれば。そう思うと、やはり末恐ろしいものがある……つくづく自分を野放しにできない。無論、いつかはただありのまま、彼女と睦み合いたいのが本音だ。だが今はまだ、その時ではない。ヴィヴィアンには慣れが必要で、慣れにはどうしても時間がかかる。先を急ぎがちな彼女本人にも、そこのところはわかってもらわなければなるまい。ギデオンはヴィヴィアンが大事だ──決して、事を急いての過ちは犯したくない。
──けれど。今夜自分は、「忘れられなくしてやる」と……消えない証拠をくれてやると、愛しい恋人に約束したのだ。捧げられるままに純潔を摘み取ることは叶わずとも、せめて何か、代わりの何かはないだろうか。そう考えてふと、ヴィヴィアンの白い肌に目を走らせる。今夜のギデオンはそこに何度か唇を寄せていて……それでふと、思いついたのだ。「ヴィヴィアン、」と、まだ存外湿り気の残っていた声で、そっと恋人の名前を呼ぶ。「……キスマークは、知ってるよな」と。その単語を口にして初めて、今からしようとしていることの、あまりもの年甲斐のなさに、多少の恥を覚えたらしい。とはいえ、拭いきれぬ欲を孕んだ声音で。相手の耳に唇を寄せると、薄い腹に手を乗せながら、そっと相手に伺いを立てて。)

……今夜はまだ、ここまでしかできないが。約束通りに……おまえに、痕を残したい。二、三日か、長くても1週間ほどで消えるものだが……俺たちの関係の、証になるようなものだ。
少し、痛むが……耐えてくれるか。



  • No.664 by ギデオン・ノース  2023-11-15 06:05:39 


※毎度お手数をお掛けします、随所を微修正しております。



──……。
……ゆっくり、進めていこうな。

(温かく握り込まれた掌が、そっとそこへ──彼女が愛おしげに撫でた、神聖な場所へ──寄り添うように宛がわれ。一瞬呼吸を忘れたギデオンのまなざしに、ヴィヴィアンの熱がふっと移る。“無理をしていたかも”と大人しく認めた彼女に安堵して、“やっぱり今夜はこのまま眠ろう”、そう促すつもりでいたというのに。こんなにもいじらしく、こんなにも控えめに、それでもギデオンを渇望する……そんな小声を聞いてしまえば。さすがにもうこれ以上は、ギデオンのほうこそ無理をしていられない。
瞼を閉じ、その甘い栗毛に顔を埋め。穏やかな声で返しながら、絡めた相手の掌越しに、すべらかな腹をふわりと撫でる。薄青い目を静かに開け、もう一度相手の視線を絡めとれば。互いの目つきは、ぼんやりと甘い。呼吸も自然と溶け込んで……おそらく鼓動すら、同じ速さでトクトクと打っているのだろう。最早言葉で語らずとも、互いの意志は充分に伝わった。どちらからともなく顔を近づけ、互いの唇を溶け合わせる。絡めたままの掌が、ひそやかに、しめやかに動く。ベッドを覆う白布が、幾筋もの皴を描きだす。
──……最愛の不慣れな娘にゆっくりと手ほどきするのは、ギデオンの想像以上に満ち足りた時間だった。最初のうちこそヴィヴィアンも、まだ恥じらいを捨てきれずに、身を捩って逃げがちだったが。「……ずっと気になっていたんだが、このランジェリーはどうしたんだ?」なんて、白々しいほど明るい声で尋ねたり。猛抗議を喰らってしまえば、くっくっと笑いながらも、ご機嫌とりに抱きしめたり。そうして楽しく戯れながら、合間に妖しい愛情表現を差し挟んでいるうちに。……いつしか互いの顔も吐息も、夜の褥によく似合う、艶やかな色を帯びはじめる。
膨らんだ半月が窓の外へ出て行くまでに、彼女に数回ほど夢を見せた。初心な恋人は少し前まで、自分の身に起きた変化を俄かには信じられず、パニックに陥ってすらいたはずだ。それを思えばかなりの進歩で、本当ならこのまま、もう少し踏み込みたいところだが。──今日は、朝からいろいろあった。夜の話では二回も泣いて、体力も削れているだろう。これ以上深く追い求めたところで、キャパオーバーを押し付けてしまうだけとなる可能性が高い。そう引き際を弁えて、息の荒い彼女に顔を寄せる。汗の浮いたまろい額に、労わりのキスを贈りたかった。
このとき初めて、己の息も僅かながら浅いのを自覚し、自嘲気味に苦笑する。……これでもそれなりに、理性を保てていたはずだ。抑制剤を服用しているおかげで、我を忘れてしまうことなく、ただただ奉仕に徹していられた。……だが、もし薬を飲まなければ。もしもこの、薄い膜を張ったような感覚なしに、恋人の姿を直視すれば。そう思うと、やはり末恐ろしいものがある……つくづく自分を野放しにできない。無論、いつかはただありのまま、彼女と睦み合いたいのが本音だ。だが今はまだ、その時ではない。ヴィヴィアンには慣れが必要で、慣れにはどうしても時間がかかる。先を急ぎがちな彼女本人にも、そこのところはわかってもらわなければなるまい。ギデオンはヴィヴィアンが大事だ──決して、事を急いての過ちは犯したくない。
……けれど。今夜自分は、「忘れられなくしてやる」と……消えない証拠をくれてやると、愛しい恋人に約束したのだ。捧げられるままに純潔を摘み取ることは叶わずとも、せめて何か、代わりの何かはないだろうか。そう考えてふと、ヴィヴィアンの白い肌に目を走らせる。今夜のギデオンはそこに何度か唇を寄せていて……それでふと、思いついたのだ。「ヴィヴィアン、」と、まだ存外湿り気の残っていた声で、そっと恋人の名前を呼ぶ。「……キスマークは、知ってるよな」と。その単語を口にして初めて、今からしようとしていることの、あまりもの年甲斐のなさに、多少の恥を覚えたらしい。とはいえ、拭いきれぬ欲を孕んだ声音で。相手の耳に唇を寄せると、薄い腹に手を乗せながら、そっと相手に伺いを立てて。)

……今夜はまだ、ここまでしかしてやれないが。約束通り……おまえに痕を残したい。
二、三日か、長くても1週間ほどで消えるだろう。それでもきっと……俺たちの関係の、証になるようなものだ。
少し、痛むが……耐えてくれるか。



  • No.665 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-16 00:36:12 




~~ッ、もう絶対着ませんから……!

 ( 最初に告げられた言葉の通り、優しい年上の恋人は、まるで繊細なラッピングを破かず解いていくかのように、乙女の身体をゆっくりゆっくりと拓いていった。時折、戯れに与えられる意地悪さえも、その言葉に恥入って、普段通りにじゃれあっていたそのうちに。いつの間にか、先程まで抵抗のあった位置へ手が伸びるのを、自然と許してしまう魔法のようだ。
声の出し方、手の置く場所、それら全ての作法を相手によって教えられ。初めて上らされた頂きも、その頂点で此方を優しく抱き締めてくれたギデオンに、甘く甘く褒められながら、余韻の最中ゆっくりと地上に下ろされて、蕩けきった身体は一度でそれを覚え込む。その上更に、それを待ち構えていたかのように、覚えの良さをも愛でる触れ合い音声に──……元来、この相棒に褒められることが、好きで好きで堪らない脳髄さえも、あれ程恐怖に繋がっていたシナプスを、次々と都合よく書き換えていく。そうして、──好き、大好き。と、一方的な奉仕に報いることも叶わずに、うわ言のように呟きながら、何度目も分からぬ恍惚からやっと下りてきた時だった。
ギデオンの熱い薄青が細められ、柔らかな唇が額に触れる。その美しいかんばせに、自嘲的な色が浮かぶのが何故か途方もなく悲しくて。「……ギデオンさん?」と、此方を見つめる顔を両手でそっと包み込めば、端的な質問をしてきた恋人の様子がいよいよおかしく感じられ。その様子をよく見ようと、起き上がりかけた時だった。湿ったシーツに手をついて、ちょうど力を込めた腹筋に、大きな掌がずしりと乗って、熱っぽいギデオンの声が甘ったるく鼓膜を揺らす。その瞬間、──きゅん、きゅんっ、と。明らかにあらぬところから湧いた"ときめき"が、口を通すよりその前に、直接触れている手へと答えてしまえば。身体中を桃色に染め、空いた手で顔を隠してしまって、 )

──ッ!? ………………くだ、さい、ッほしいの、


  • No.666 by ギデオン・ノース  2023-11-16 13:03:21 




っく、くくっ……わかった、たっぷりしてやる。

(ああ、駄目だ。この手の遊戯に熟れた身して、本来はもっと色っぽく、悠然と構えてやるつもりでいたのに。それがヴィヴィアン相手となると、結局いつもこうだ……幸せな笑い声を、事あるごとにあげてしまう。しかし今回も今回で、どうしようもない不可抗力だろう。まだ一度も直接触れていないにも拘わらず、そこが切なげに収縮し。それに自分でも気がついて全身をぼっと染め上げるも、すっかり素直さを覚えた口は、ギデオンをまっすぐに求める。そんないじらしい娘のことを、どうして愛しく思わずにいられようか。
思わず力の抜けるような、不思議で優しい充足感に、目尻をくしゃくしゃにして微笑むと。寝台にねそべったまま身悶える恋人に、低い声でしっとりと囁き返し……求められるまま証を刻む。今のこの位置関係であれば、彼女の視界に映りながら覆い被さるわけではないから、怖がらせずに済むのだと学んでいる。ここからいずれは少しずつ、普通のそれにも慣れさせたいところだ……などと、ろくでもない野望まで抱く。何せヴィヴィアンは、こんなにも素直で、呑み込みの早い娘なのだ。きっといつかは、互いの心の望むままに求め合える日が来るだろう。その時まで──今は、まだ。綻びはじめた小さな蕾を、大事に愛でてやるだけだ。)

……なあ、ヴィヴィアン。

(──そうして。薄赤い痕をつけたことで満足したギデオンは今、相手の小さな頭の下に、己の太い腕を回しかけていた。所謂腕枕の状態である。なまじ鍛えている以上、単にそのまま差し込むだけでは、ヴィヴィアンの首の角度が大変なことになるのだが。彼女の下に薄い枕を挟み込み、細かく微調整したことで、あっさり解決したようだ。実のところ、この辺りの手際の良さは、ギデオン自身の過去の経験によるものなのだが……まあ、馬鹿正直に話す必要もあるまい。そんなわけで、彼女の横髪だったり、後れ毛だったり、至る所の柔らかな栗毛を、もう片方の手でなんとはなしに弄びながら。酷く満足気な声で、相手にそっと語りかけ。)

なんだかんだ……すごく、よかったな。
次にするのは、この印が消えた頃にしようか。



  • No.667 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-16 22:02:24 




……ん、よかった、けど、

 ( 白い肌に小さく飛んだ赤い星。そこから広がる甘い痺れに、やっとこの人のものになれた気がして。硬いギデオンの腕の中、頭上から降りかかった優しい声へ。うっとり星を撫ぜていた手を、相手の腰にとそっと回すと。その指先に触れた布の感触と、続けられたギデオンの言葉に、未だ少し赤い頬をきょとりと傾げる。
──よかったかどうかと聞かれれば、それは間違いなくよかったに違いない。初めて覚えた感覚は、思い出すだに甘美で快く、ギデオンがしてくれた約束通り、嫌な思いなど少したりともしなかった。しかし、それは大好きな男の手ずから、触れられていたヴィヴィアンにとってはそうだが。未だこうして下履さえも残している男が、"よかった"と思える意味がわからず。今更、自分ばかりが愛でられていた事を自覚して、ぽやぽやとのぼせきっていた顔をしょんぼりと凹ませると。──それでもギデオンの励ましは、しっかりと作用したのだろう。慣れぬ刺激に身体の方は、流石にぐったりと限界を迎えているものの。ベッドに入る前と比べ、随分と余裕の出た表情を恥ずかしそうに赤らめて、むん、と強気に唇を引き結んで見せたかと思えば。顔の横で作った拳に、豊かな胸元が柔らかく形を変えるのも気づかずに、夜のベッドの上には余程似合わぬ爽やかさで、至近距離から意志の強そうなエメラルドグリーンを煌めかせて、 )

私ばっかり気持ちよくなっちゃってごめんなさい……
……"次"は私にも頑張らせてくださいね、フリーダさん達に色々教えてもらったんです!


  • No.668 by ギデオン・ノース  2023-11-17 03:16:48 




──おま、お前……何を……あいつらに教わった……??

(“謝る必要なんかない”と、余裕たっぷりに囁きかけたその瞬間。魅惑のポーズをとる恋人の、その恐ろしいたった一言で……ギデオンは見事、恐怖のどん底に陥った。フ、フリ、フリーダ……よりによって、あの山賊どもから……? と。思わずふらりと、既に横になっているのに倒れそうな顔をする。
無理からぬ話ではある。ギデオンたち男性冒険者というのは、野郎だけで寄り集まるなり、くだらない猥談で花を咲かせる生き物なのだが。かの女山賊どもが繰り広げるダーティートーク、あれの強烈なえげつなさに比べれば、本当に赤子同然もいいところだ。「女というのは、あんなに恐ろしい生きものですか……」と、悠久の時を生きてきたはずのギルマスですら、ドン引きしていたほどである。……そんな怪物どもに、俺の恋人が、ヴィヴィアンが、と。最初に脳内を占拠したのは、これからの教育を憂う、遺憾極まりない懸念。しかし次第にふつふつと、“手つかずの無垢を先に穢された”などという、幼い嫉妬が沸き起こる。もっとも、相手が歳相応の知識を有していることは既にわかっていたはずだが、それとこれとは別問題だ。何せギデオンは、彼女らの“色々”がどれほどえぐいか知っている。しかし本来、ヴィヴィアンにその話をして恥じらう様を楽しむのは、この自分であったはずだ。
様々な感情の綯い交ぜになった声で、問いを投げかけたかと思えば。はたしてその答えが、ギデオンの想定内であったにせよ、なかったにせよ。“恋人のそういった知識にあいつらが影響している”という部分が、やはりどうしても許せないと思ったらしく。不意に体を軽く起こし、ヴィヴィアンの片手をぎゅうっと大きく握り込むと。その首に吸い付きながら、掌の内に意識を集め──お前が欲しい、今すぐほしい、と無言で強請るのは魔力弁。一度情事を引き上げたはずが、どうやら延長戦をおっぱじめる気満々のご様子で。相手に何かしら言われれば、「“次”は頑張ってくれるんだろう……?」と、どこか少しだけむくれたような、しかし開き直っても聞こえる、低く妖しい囁きを。)




  • No.669 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-18 09:37:50 




へっ……!? なに、何って……

 ( 実のところはというと、頼もしい先輩方に仕込まれたのは、聞けば拍子抜けするような、女が男に捧げられる奉仕の基礎の基礎。しかし、年季の入った大人にとっては児戯の如き戯れも、生粋の純粋培養乙女にとっては非常に難易度の高い質問で。何か怖いものを見たような、気の遠い表情をする恋人を安心させてあげたい気持ちと、酷い羞恥の板挟みになり、かっかと頬を染めながら、小さく小さく縮こまると。──ええい、と。相手の耳元に顔を寄せ、例え掻き消えそうな声だとしても、必死の勇気を振り絞ったというのに。それを耳にした恋人の反応はどうだ。怒るでも安心するでも何かしらの反応もなく、おもむろに姿勢を持ち上げたかと思うと、ぷるぷると握りこまれた小さな拳をわり開かれて。「……ギデオンさん?」と、振り仰ごうとする首元へ、金色の頭が潜り込む。 )

ひっ……あっ、ギデオンさ、これ……!!

 ( 弱いところに吸いつかれ、擽ったさに身体を捩れば。わり開かれた掌に走る感覚に、はっと潤んだ瞳を見開く。先程同じ男に愛でられた、痺れるほどに甘い感覚。初めて覚えたはずのそれを、しかしビビの身体はどこか覚えがあるかの如く、不慣れながらに飲みこんでいた。その既視感にやっとのことで気が付いて、──まさかと、答えを知っているであろう恋人の側頭をぺたぺた叩くも。首元を震わすむくれた声音が既に答えだ。魔素を直接やり取りすれば、それもうはっきりべったりと、"見える"者には丸わかりの跡がつく。──じゃあ……、パパにも、おじ様にも……!! と、気の遠くなるような羞恥に、今度はこちらが目眩を覚える番で。
しかし、不遜な恋人を叱ろうと、一度身体を離しかけた瞬間だった。ちゅう、と吸いつかれた感覚に、ぶわりと全身が総毛立ち、魔法弁がひとりでに開く感覚が襲う。否、魔法弁は勝手に開いたりなどしない。その快感を知って己が堪らず開いたのだと突きつけられて。身体どころか、自分の意思もままならぬ混乱に、白い足の指先で既に荒れたシーツを更に乱すと。己の浅ましさを認められずに、栗色の頭をいやいやと振るその間にも、求めることに慣れきった弁は、早く早くと続きをねだる有様で。じゃあ止めるかと問われれば、真っ赤な顔をゆっくりと横に振るだろう。 )

ちが、ちがう……!
……私、おこってるんですから! こんな、知らなかったのに……!!


  • No.670 by ギデオン・ノース  2023-11-18 15:07:31 




ん……、…………、

(ギデオンの横髪辺りをぺしぺしと咎めてみせる、いとも力ない手つき。しかしそれすら、情欲にますます火を注ぐ燃料なのだということを、相手はわかっているのだろうか。鼻腔を満たす石鹸の香り、不規則に跳ねる柔らかな肢体。這いまわる唇の下、ぶわりと上がる体温や、今はまだ貞淑に……でもどこか堪えるように……ぴくぴくしながら閉ざされている、魔力弁の感触さえ。己をどろどろに蕩かしてしまう、甘い甘い媚薬に他ならない。体中がぼんやりと痺れるような感覚に、酷く満足気に息を吸いこみ、震わせながらまた吐き出す。それだけでさらに慄く相手には悪いようだが、こちらはまさに夢心地だ。
──ギデオンは、未だ知らない。魔力弁を介した直接の魔素交換が、見る者が見てしまえば、どんなに鮮烈な痕を残すか。物体の魔素は幾らか読めるようになったところで、それよりもっと複雑な構造をした人体については、プロの魔法学者や医療従事者と同じ見方ができないのだ。故にその視覚的な影響については、一応無罪と言えなくもないのだが。この行為に伴う、摩訶不思議で……強烈な快感。それがいったい何に似ているかについては、寧ろ知り尽くしていただろう。
ヴィヴィアンとの戯れに暫く溺れていたものの、腕の中から抜け出そうとする動きを察知した瞬間。“嫌だ”“取り上げないでくれ”と。恋人繋ぎをした五指の先に力を籠め、己の掌をぎゅむぎゅむと押し付けた──そのリズム、抑揚。それがどこか、先ほどの遊戯のそれと似通っていたせいだろうか。ギデオンのそれが上手く吸いつき、抗えずにほろりとほどけた、彼女の器官の素直さに。一瞬はたと静止して、身じろぎしながら身を起こし、相手を見下ろす。困ったようにこちらを見上げるのは、一対のエメラルド。しかしその瞳は、混乱に潤みきっていて──思わず、その豊かな胸元に顔を突っ伏す。何を始めたかと思えば、逞しい両肩をぷるぷると震わせているのだ。途端に上がる悲鳴じみた言い訳、これがなんとまあ、彼女はこちらを退かせるつもりだったのかもしれないが、完全なる逆効果で。とうとう耐えきれずに声を上げて笑いだし、腕枕にしていた方の手を引き抜くと。またもぺしぺし叩いてくる手首をごく優しく奪い、下ろさせ。自分の手はまた枕元に戻してきて、相手の頭を撫でてやるのに使いながら。笑みの引ききらぬ悪い顔で、半月越しの今更な自白を。)

知らなかった、か……っくく、そうだよな。
覚えてるか? あの時、お前は“腰を抜かした”なんて言ってたんだ。
もうどれだけおかしくて……可愛くてたまらなかったか。黙ってるのには、ああ、本当に苦労した……

(憤激している可愛い恋人を、そうして意地悪く、笑いの発作の揺り戻しに耐えながら揶揄っては。相手の反抗なり何なりの勢いを、今も絶えず掌中を責め立てる欲張りな感触で、瞬く間に削ぎ落してしまう。──魔力弁が目に見えないのは、肉体上には存在しない特殊器官であるからだ。そんなにも繊細で摩訶不思議な、普通触れ合わない場所を、こうして自分の意志で動かし……相手のそれに食みつかせ、あまつさえ魔素を流し込む。これがどれほど楽しく、満たされる行為であることだろう。最初は余裕たっぷりに優位を楽しんでいたギデオンも、また息が上がり始めると、「なあ、ちゃんと……引き返せるうちに、確認したい。もし本当に嫌なら……」と、思い出したように尋ねるものの。林檎のように真っ赤な顔をした恋人は、弱々しく否と答えるのだから、もうたまらない。無言で唇を奪い、心置きなく彼女の中へ溺れ込んでいく。
──唇が痺れてしまえば、魔力弁に。魔力弁が力尽きれば、再び唇に。そうして飽きずに高め合ううちに、身体じゅうがどんどんと火のように熱くなる。あの月夜の船上や、昨夜過ごしたひとときとは違い、今日はふたりを隔てる物が少ない。そのせいで、彼女より魔法の素養が低いギデオンですら、半月前の彼女と同じ境地に近づけているようだ。パチパチと頭の奥で鳴り続けてやまない火花、それすらも心地好く。もう数時間も、先ほどのそれと似て非なる快楽を、今度はギデオンも一緒に追い求めていた時だった。
彼女をもっと昇り詰めさせたい、という欲望が沸き起こり、ふとあの夜の出来事をもう一度思い出す。あの時の彼女は、まだ睦事を知らぬ身だった……なのにどうして、“腰を抜かした”か。その解に辿り着いた理性は、「あとで散々怒られることになるぞ」と囁きもしたのだが。思いついたら止まれない──試さずにいられない。既に息の荒い彼女を、ますますぴったりと抱き寄せると。密に絡めあった掌中、すっかりほぐれた魔力弁に、己の熱い魔素をたっぷり流し込みながら。──いつぞやの冬、まだ一応は恋仲ではなかったころ。訳ありで呼んだことのあるその愛称を、本人の赤い耳元に。低く掠れた声色で……吐息交じりに囁いて。)

──ビビ……、



  • No.671 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-20 23:43:19 




──……っ、ひどい、ひどい!
可愛くないもん! いじわる! 全然優しくない!!

 ( ──何も知らなかったのに。何も知らない、真っ白で綺麗なままだったのに。経験豊富な恋人の手で、否が応もなく染められていく感覚に、羞恥だけでなく、心地よい充足感がビビを満たして。未だ嗤っているギデオンへ、頬を真っ赤にした精一杯の悪口も。相手が此方を強く貪る光景を目の前に、自然と勢いを失ってしまえば。二人きりの闇の中、合わさった唇の隙間から、酷く満足気な笑みが小さく漏れた。
そうして、どれほどたっただろう。唇と掌、両方を使って、丹念に解された熱い身体は、少し加減を変えるだけで、面白いほど反応し、痺れきった唇からは甘く切ない悲鳴が漏れる。それでも、唇ごと食べられるようなキスはまだ良い方で。口内を満たす分厚い舌に、ビビはただ夢心地で貪られていれば良い。しかし、掌を介すそちらの方は、相手のキャパを超えないように、与えられた分だけの快楽を送り返す調整の、気の遠くなるようなもどかしさに、頭がおかしくなりそうだ。我ながらやけに耳につく、甘ったるい嬌声も聞くに絶えずに。こっちにしてとばかりに、薄い唇を何度も何度も啄めば、僅かに身動ぎしたギデオンに、ぼんやりと濡れた瞳を向けたその時だった。
小さな吐息に反応するほど、鋭敏にされた聴覚に、刺激の強すぎる低い囁き。今この瞬間、ビビの身体を貪り尽くす権利を持った男に呼ばれて、蓄積していた快楽が大きなうねりとなって全身を襲う感覚がした。太く逞しい腕の中、柔らかな肢体が激しく跳ねて、見開かれた目の縁からは、生理的な涙がこぼれ落ちる。先程教えこまれたそれよりも、ずっと激しく突き落とされるような感覚に、助けを求められる相手は、その突き落とした張本人しかおらず。咄嗟に回した広い背中に、女の爪痕が微かに残る。そうして、やっと降りてこられた感覚に、ドクドクと暴れる心臓の音を聞きながら、くたりと相手の胸へと持たれると。何が起こったのかよくわかっていない表情で、喉の痛みを感じさせる声で呼ぶのは、他でもない相手の名前で、 )

──……ッ、……ッ?…………?、??、
けほっ、……あ、なに、ギデオ"ンさ、ん"……?


  • No.672 by ギデオン・ノース  2023-11-22 17:11:10 




──……ッ、~~ッ、、

(愛情、情欲、好奇心。それらを込めて魔力弁を舐り、耳元に低く囁いてみれば、ヴィヴィアンの反応のどこまでも期待以上なこと。しかし彼女を抱くギデオンは、その甘美な悲鳴を愉しむばかりでもいられなかった。触れ合う素肌全体からぶわりと押し寄せる、温かな快感の波……ただそれだけなら、まだ恍惚とするだけだったが。がっちり絡めた大小の掌、その内側の魔力弁で、理性を飛ばしたヴィヴィアンが、その豊潤なマナをどくどくと、断続的に……数瞬ではあれど……力強く流し込んできたのだ。瞬間、意識がぶっ飛んだ。息すらもできなかった。それまでは、大の男である自分が、自分より若く小柄な娘を、好き勝手に翻弄していた筈なのに。混乱に駆られる意識すらも保てず、ただただ忘我の境地へ追いやられ。全身を甘く激しく駆け巡る感覚に、いとも容易く己を塗り潰されてしまう。
……やがて、数秒後か、数十秒後か。あまりにも活きが良く、それでいてお利口な魔素が、ヴィヴィアン本人の躰の中へ、来た時と同じように素早く戻っていったころ。ギデオンはようやく、堪えていた息を「ッは、」と吐きだし、そこから必死に、荒い呼吸を整えた。今は夏だというのに、肺腑に取り込む空気がひんやりとして感じられる。頭に酸素が行きわたれば、ようやく多少の思考力も戻ってくる。……が、今さっきはあまりに意識を飛ばし過ぎて、正直何も覚えていないに等しい。せいぜいが、何か凄いことが起きていた気がする、くらいのものだ。遅れてやって来た、事後のそれに近い倦怠感に、ただぼんやりとしていると。己の声を呼ぶ声が耳に届き、気怠げに頭を動かしてそちらを見下ろす。小さな栗毛の頭が、ぴとりと己にくっついていた。どうやら彼女も彼女で、感覚の最果てから現世に戻ってきたところらしい。自分と違い、まだ新鮮な混乱をきたしたままでいる様子が、どうにもいじらしく。ふ、と脱力した笑みを漏らすと、何時間もきつく絡めていた手を緩くほどく。先刻まで淫靡な戯れに浸していた筈のそれだが、流石にこちらも疲れたのだろう、魔力弁が静かに口を閉ざしたのが何となく感じられた。そうして、夜気の爽やかさを掌中に感じながら手をもっていき、相手の頭をゆったりと撫でて。)

…………、気持ち……よかったな。

(さてはて、これはどうしたことか。ヴィヴィアンを愛でたり虐めたりするときは、あんなに饒舌になっていた男が、その一言しか絞り出せない有り様だ。別にそういうわけでなくとも、今宵何度も“経験”を積んだ彼女に、喉を痛めてないかとか、具合は平気かとか、真面目にかけてやりたい言葉が、あれこれ思い浮かびはするのだが。しかしいかんせん、この倦怠感が不思議と心地よくて……最低限以上の声が出せそうになかった。それでも、初めてのことだらけで不安だろう彼女を、少しでも安心させようと。相手をごく軽く、衣擦れの音も立ちやしないほど弱く抱きしめ、その旋毛に唇を寄せて。「俺もよかったよ」「頑張ったな」と、ゆっくりと相手に囁く。──しかし、今晩のギデオンは殆ど身体を動かしちゃいないのに、どうにも疲労が強いのか、強い眠気を隠せておらず。実際、相手にその辺りを訊ねられれば、情けないが素直にそうと認めただろう。それでも最後の理性で、いつの間にかベッドの端に押しやっていたデュベを引っ張り上げると、自分とヴィヴィアン、特に相手の方にしっかりと、風邪をひかぬようにかけ。相手の頭にすり、と高い鼻梁を寄せると、心地よさそうに瞼を下ろし。)

明日は……朝の鍛錬は……オフ日だから……
朝まで……ふたりで……ゆっくり……寝よう……



  • No.673 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-24 14:05:18 




──……! おはようございます!

 ( 翌朝、ギデオンがベッドの上で目を覚ませば、薄青い瞳が開いたことに気がついて、その顔を心配そうに覗き込んでくる恋人が目に映るだろう。昨晩は初めての経験の連続に、ぐったりと疲れ果てた身体をシーツに沈め。やけに眠たげな男に自分がしたことどころか、そもそもギデオンの調子がおかしいことさえ気づけずに。一見優しい労いの言葉に、やっと愛しい恋人に少しでも応えられた実感が嬉しくて。心地好い眠りへの誘いに、へにゃりと小さくはにかみながら、重い瞼を閉ざしたヴィヴィアンだったが。早朝の薄寒さに──一糸まとわぬ姿というのに、折角かけてもらったブランケットを剥いでしまっているのだから当然である──ともあれ珍しくギデオンより早く目を覚ませば、目の前に晒される無防備な筋肉の凹凸と、ベッタリといつもの数倍濃く擦り付けられた己の痕跡に、朝一番、何とか悲鳴を飲みこんで頭を抱え込んだのは言うまでもない。しかし、一気に覚めた微睡みに、昨晩起きたことをじわじわと実感してくれば、心地好い満足感や、乙女らしい恥じらい、そんなものよりずっと大きく襲うのは、未だ目覚めぬ恋人への心配で。──自慢じゃないが。同棲開始当初、毎朝早くから鍛錬に行くという恋人に、己も連れて行って欲しいと強請った翌朝から、どんなに辛抱強く揺り起こされようと、結局起きられなかった実績を持つヴィヴィアンである。未だ仕事まではまだ随分余裕があるとはいえ、そんな自分が目覚めてギデオンが起きないという異常事態に。思い当たるのは、今この瞬間も相手の全身から放たれる、それはそれは色濃い己の魔素で。魔力酔い、ヒーラーの魔力への拒絶反応、魔法弁緊縮……この一瞬でもザアッと脳裏を過ぎった恐ろしい症例の幾つかに、真っ青になったビビが急遽動いたからか、それとも元々起きていたのか。やっと覗いたギデオンの瞳に、ほっとヒーラーとしての表情が緩む。そうして、己の一糸まとわぬ姿を自覚しているのかいないのか、四つん這いでシーツの間から抜け出すと。白い朝日のその下で、ギデオンの頭の横に手を着く要領で覆いかぶさり、もう片方の手をその肉付きの薄い頬へ伸ばすと、瞼の裏、首筋の脈、その他発汗の有無などを慣れた手付きでぺたぺた確認し始め、)

私、ごめんなさい、こんな、我慢できなくて……体調どこか気持ち悪かったりしないですか……?



  • No.674 by ギデオン・ノース  2023-11-25 02:17:57 




(今年の春からヴィヴィアンの愛読書となっている鈍器……こと、『人体における魔素の機能と魔学註解』、その第2編1章曰く。
人体には“恒常性”、ホメオスタシスという性質が宿っている。“肉体はいつも一定の状態にあるべき”という、一種の思想にも似たもので、おそらくは安定した生命活動を至上としているかららしい。体の内外に何かしらの変化が生じると、このホメオスタシスが顔を出し、体を“いつもどおり”に戻そうと、様々な反応を引き起こす。このメカニズムのことを、“恒常性の維持機能”……動的適応能……アロスタシスと呼称する。
アロスタシスには様々なものがある。身近な例でいえば、“暑くて汗をかく”、“寒くて震える”などがそうだ。これらの場合は体温調節が目的だから、“生体恒常性”由来のアロスタシスとなる。……そう、素人にはどうにもややこしいのだが、一口にアロスタシスといっても、医学的便宜上、2種類の別があるらしい。では、“生体恒常性”由来でないほうは何なのかといえば、“魔径恒常性”由来なのだそうだ。魔径というのは医学用語で、魔素が体内を循環する回路のことを指す。つまり、人間が宿す魔素──すなわち魔力にも、恒常性の法則が当てはまることになる。
──昨晩のギデオンは、ヴィヴィアンとの交歓により、体内の魔素が急激に上昇した。ヴィヴィアンが最後に流し込んだ魔素は、そのほとんどが本人の方に戻っていったとはいえ、残滓の量ですら莫大になったからだ。ギデオンは魔力の保有量が生来そう高くはないから、これは体にとって異常事態といえるだろう。ならば必然、強烈なアロスタシスの発動、反動じみた押し戻しを招くことになる……はず、だったのだが。)

………………

(──恒常性、ホメオスタシスには、実は面白い例外……というより、応用の現象がある。肉体の状態を一定に保つ、それを至上とする性質であるはずが、その個体の置かれている環境や活動量次第で、“恒常”の定義が、普通のそれからズレていくことがあるのだ。
生体恒常性の例で言えば、大昔にいた飛脚たちの特異な体がそれだろう。日々長距離を駆けることを生業とする彼らは、普通の人間に比べて心の臓が強くなる。すると、一度に送り出す血液の量が多くなるので、安静にしているときの心拍数がぐんと下がり、常人の半分ほどに落ちるそうだ。血液の総循環量では何も変わっていないだろうが、心拍数という点に着目すれば、これは明らかな“恒常性の変化”であるには違いない。
生活次第で体は変わる。特殊な要因に長く馴染んでいればいるほど、体の方が順応し、“いつもどおり”を書き換える。それと同じ現象が、実はギデオンにも、たった今起こり始めていた。
この1年、何度も何度も馴染んできた、ヴィヴィアンの魔素。数えきれないほど窮地を救ってくれたのを、もはや肉体の方が強く覚え込んだ魔素。その名残が、体中のあちこちにたっぷりと残留し、ギデオン自身の宿す魔素に抱きついて離れない。まるで宿主のヴィヴィアン自身が、普段ギデオンにそうするのとそっくりに。
──ギデオンの体に備わっている魔径恒常性は、それを異常事態であると判定しなかった。寧ろ好ましく感じてすらいるようで、“何だ何だ?”“あ、コレいつものあの娘のじゃん”“じゃあ取り込め取り込め”といった具合に、体内の魔素が覚醒時よりも活発になる始末である。となると当然、その奇妙で不慣れな現象に、肉体が疲弊するのだが。それを認識した脳の方が、とんでもない指令を各所に送り込みはじめた。すなわち、“この魔素何回も貰ってきたけど、なんか今回すげえ爆弾供給来たし、これもうこの先も安定して得られるんじゃね”“じゃあこっちのほうが先方に合わせて変わればトータル得よな、各々よろしく”“いいじゃんいいじゃんやったれやったれ”と。ヴィヴィアンの魔素が次にまた大量補給されれば、もっと上手く取り込めるようにと。──ギデオン自身の体のほうを、作り変えることにしたようだ。)



…………ん……

(──まるで泥のように昏々と眠り込んでいた、その果てに。体の方が、“今日のところはまあここまでにしておくか”と、ギデオン本人も与り知らぬ突貫工事を、一度引き上げたからだろう。すぐそばで起きた身じろぎの気配を感じ取れるようになり、ギデオンはそこでようやく、ごく自然に目を覚ました。
……何故かすぐ目の前に、ヴィヴィアンの顔がある。なんだか随分真剣な顔でこちらを見ているな、と知覚することはできたのだが、こちらを心配しているのだと理解するには、ギデオンの頭はまだ酷く寝惚けていて。……なんだ、珍しいな。おまえのほうが、先に起きているなんて……そんなようなことを、呟くまでも至らずにぼんやり考えていたところ。
恋人はさらに身を寄せてきて、ギデオンの顔周りをあちこちぺたぺた触り始めた。最初はただされるがままだったギデオンも、やや困惑しながら「……いや……」「特には……」と返すうちに、視界を占める肌色の多さがやけに多くておかしいことを、少しずつ認識しはじめる。その表情がだんだんと、いつもの──お約束の真顔の──それに戻りだし、やがてはぴたりと、それは見事な硬直と共に完全な理解へ至る。すっかり覚醒したギデオンの視界、愛しい恋人はその瑞々しい肢体を惜しげもなくさらけだしてギデオンに跨り。あろうことか、ギデオンの目の前に魅惑の果実を並べているのだ。何ならそれは、いやに真剣に診断している本人が無自覚なせいで、ギデオンの胸板の上でごく柔く撓んでいるし、彼女が身じろぎするたびにむにむにと弾力を伝えてくる始末だ。そこから無理やり意識を逸らそうと、他の何かに感覚を向けた瞬間……びきり、と眉間の皴が深まった。ギデオンにその自覚はないものの、一晩で何やらいろいろあったらしい体は、主人がぐっすり眠りこけていた間に、例の大事な薬の効果をすっかりどこかへ追いやってしまったらしい。まあ、別にこんな状況でなくとも、生理現象として朝はある程度このようになるのだが……なんかもう、これはもう、いろいろと駄目だろう。思わず苦し気な呻き声を喉から絞り出し、その表情もそれにたがわない色となれば、相手をぎょっとさせてしまうには違いないだろうが。目を閉じながら、安心させるために抱きしめるべく、相手の背中に腕を回しかけ──がちりと空中で制止させれば。その大変珍妙な、中途半端な状態を数秒晒したかと思うと、両腕を力なく下ろしてしまいながら、目覚めたてだというのに疲れた声で自己申告を。)

気持ち悪くはないが……誰かさんのせいで……おかげで……“具合が悪く”は、なってるな。



  • No.675 by ギデオン・ノース  2023-11-25 03:34:32 



※神経をモチーフとしていることや漢字そのものの語義などから、「魔径」は誤りであり、「魔経」が正しい語となります。めちゃくちゃ細かいところなのですが、お詫びして訂正申し上げます……


  • No.676 by ギデオン・ノース  2023-11-25 03:53:06 



※補足2/リアル生物学の恒常性・その維持機能・動的適応能の解釈を思いっっっきり間違えていたことに今更気がつき頭を抱えているのですが、それっぽいエッセンスとしてふわっと読み流すか、Petuniaにおいてはこのように解釈するということにしていただければと思います…………深くお詫び申し上げます……………………


  • No.677 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-25 09:37:01 




……ッ!! ごめ、ごめんなさい!!

 ( 朝の空気で満たされた清々しい寝室に──ひゃあ、とも、きゃあ、とも取れぬ、高い悲鳴が間抜けに響く。それを見たのはグランポートのビーチから史上3回目にもなるが。昨晩さんざん艶冶に戯れておきながら、一向に慣れぬ様子で飛び退くと、拾い上げたデュベに包まりながら、両手で隠した顔をぽぽぽっと勢いよく染め上げる。──そうして、きっとこれまでならば、顔を隠して困ったように震えながら、優しい恋人がビビに何かをに謝って、そっと離れてくれるか、収めてくれるのをただじっと待っていたろう。しかし、男が凡そ朝に"こう"なることなど預かり知らぬ、開花を直前に控えた娘は、相手の体調に問題が無さそうだという安心感と、昨晩を無事乗り越えられたことで、少し気が大きくなっていたらしい。──私のせい、なら……。そうデュベを纏った手を下ろし、自分のせいでそうなったという場所を、揺れる瞳でじっと見つめると。滑りの良い薄手の掛布団がするりと優美な曲線にそって流れ落ち、白いデュベ、白い肌、その間に結局淡い色のそれを覗かせる。そんないっそ何も纏わぬ方が余程破壊力の少なかったであろう有様で、困ったように桃色の唇を数度噛み、濡れた瞳に覚悟の色を浮かべると。二、三度相手の唇に吸い付いて、相手の下半身へと身を屈めながら見せた上目遣いは、これまでギデオン相手に大抵のおねだりを通してきた、自覚と自負のある渾身の表情で、 )

…………、……ギデオンさん。
触って、いい……? "これ"、私のせいなんでしょう?



  • No.678 by ギデオン・ノース  2023-11-25 14:56:56 




(てっきり、悲鳴を上げながら飛びのいた後は、「人が心配してたのに!」とぽこすか怒るに違いない、そう踏んでいたものだから。首の後ろを掻きながら気怠げに上半身を起こしたギデオンは、相手のいやに艶めかしい姿から、ごく自然に、さりげなく、ここに紳士極まれりといった具合に、その端整な顔を逸らしてみせた。──だからまさか、向こうから甘い唇を寄せてくるとは思いもよらず。目を大きく瞠り、離れていった相手を唖然とした顔で見下ろして。そうしてひとしきり間抜けな硬直を晒していると、己の恋人はあろうことか、ギデオンの愚直なそれに関心を寄せ──酷く淫らに、強請ってくるのだ。一瞬、飛んだ。思考が。宇宙に。)

────…………

(真っすぐにかち合う、呆然としたターコイズと、意志の強いエメラルド。爽やかな朝陽が窓辺から降り注ぐ、全てが明るい寝室で。どこからかカラドリウスの鳴き声がチュリリリリと聞こえてくる中、話題のそれを真ん中に挟み、男と女が無言でじっと見つめ合う有り様は、実に妙ちきりんである。……これが夜の寝しなであれば、ギデオンは然程迷わず、促してみせたのだろう。閨事への一歩として、また自身の素直な欲望に従って、相手の興味の赴くがままにさせてやったことだろう。しかし今は朝、健全なる晴天の時間、これから一日が始まろうという至極大事な出だしであり、ついでに言えば……というか、そういえば仕事前だ。それを恋人可愛さで台無しにすることを、ギデオンの強靭な理性、もとい鉄骨の逃げ回り精神が、良しとするはずもなく。)

──、“ビビ”、その勉強は後だ。
朝食を作るから、下でシャワーを浴びてこい。……お前のほうこそ、俺のせいでどろどろになってただろう。

(はたして昨夜の名残だろうか。普段は呼ばない相手の愛称を、今度は明らかに子ども扱いする文脈で呼びながら、戒めるような声音で、ぶっきらぼうな命令口調を。しかし、最低で余計な一言をわざわざ付け加えたのは、はたして相手への揶揄いか……或いは、単なる天然によるだろうか。いずれにせよ、“それ”はなしだとはっきり態度で示すように、広い背中を向けながら寝台を降りようとして。)



  • No.679 by ギデオン・ノース  2023-11-25 14:57:38 



※ストーリー上は全く重要ではないものの、魔法医学上の考察がある程度固まり、主人公ふたりに対する新解釈も得られたことから、先述のロルに記載した内容の修正も兼ねて共有させていただきます。


・人体の2大要素
ひとつの生命は,肉・骨・神経などからなる物理体こと「生体」と,魔素から成るエネルギー体こと「魔導回路」の2種類の要素から成り立つ.
→魔導回路は生体の上に重なっているが,通常の肉眼には見えない.ただし,魔法的素養があれば,通常のそれとは異なる形で“視認”することができる.
→魔導回路は生体に依存する.魔導回路が急激に弱ることで生体に支障をきたすケースもあるが,魔導回路の自然な弱体化は,生体に悪影響を及ぼさない場合が多い.一方,生体に何らかの弱体化が起こった場合,それが自然であろうと急激であろうと,必ず魔導回路にも影響を及ぼす.人間の生命はまず生体を礎として成り立ち,その更に上に乗っている魔導回路によって応用的な生命活動を行う,ということになる.
→人間の精神は,神経がある生体のほうに比重を置いて依拠している,とするのが一般的な見解である.無論,魔導回路が精神に影響を及ぼすことについての研究も数多く存在するが,今回は割愛する.

・魔導組織
→「魔導細胞」:魔導回路を構成するエネルギー体.生体でいう生体細胞.
→「魔髄」:魔素をつくりだす組織.生体でいう骨髄.
→「魔導脈」:体内に魔素を循環させる組織.生体でいう血管.
→「魔力弁」:体の各所を流動的に流れていて,魔素を吸収・排出する器官.生体でいう口腔.
→「魔経」:魔導細胞のうち,各組織に指令を送るものから成り立つ組織.生体で言う神経であり,実際に脳神経と密接に結びついている.

・恒常性,ホメオスタシス
体の内外で何か変化が生じても,体内環境を一定に保とうとする,人体に備わった性質及び働き.全てのストレス反応の基礎となる.
→「生体恒常性」:生体に関わる恒常性.「体温を維持するため,暑いと汗をかく/寒いと震える」などがある.
→「魔導恒常性」:魔力に関わる恒常性.「魔力量を維持するため,魔力の増減に合わせて魔力弁を開閉する」などがある.

・動的適応能,アロスタシス
体外環境の変化や急なストレスなどにより,恒常性の収束点(目標,定義)を現条件に即したものに変え,それに合わせて生体・魔導回路を変化させる,人体に備わった働き.短期,長期の別がある.また,ホメオスタシスとは違い,原因となる特殊条件がなくなれば消失し得る.
→「生体適応能」:生体に関わる動的適応能.「魔獣と遭遇し,心拍数が急上昇する(短期)」「砂漠に身を置かれた生体が,発汗の代わりに血管の拡大で放熱を行おうとする(短~長期)」「長距離走者の心臓が強化されて安静時の心拍数が半減する(長期)」などがある.
→「魔導適応能」:魔力に関わる動的適応能.「多くの魔力の出入のため,魔導回路が太くなる(短~長期)」「魔力弁が強くなる(長期)」などがある.

・動的適応能過負荷,アロスタティックロード
過剰なアロスタシスに曝され,それが閾値を超えた場合に,肉体・魔導回路がそのストレスに耐えられず,何らかの支障をきたすこと.
→「生体適応能過負荷」:生体に関わる過負荷.「過労により倒れる」「心的ストレスに追い詰められてうつ病をきたす」などがある.
→「魔導適応能過負荷」:魔力に関わる過負荷.「魔力の過剰放出により魔導回路が弱り,そのベースとなる生体にまでストレス症状が及ぶ(=魔力切れ)」などがある.

・可塑性
人体医学・魔法医学における「可塑性」とは,経験や学習により,ホメオスタシス・アロスタシスなどを出力する指令回路が変形し,その形状が保持されることを指す.この性質上,何らかの必要が生じた場合,可塑性→アロスタシス→ホメオスタシス,の順で影響を及ぼすことになる.
→「神経可塑性」:生体の神経(≒シナプス)を書き換えること.一般的な事例で言えば,「生活王の工夫や運動療法などにより,脳卒中患者の後遺症が緩和される」「指を動かす神経細胞が死んでも,リハビリを行うことにより,手首を動かす神経細胞がその機能をも果たすようになることで,指を動かせるようになる」などがある.また.房事にトラウマを持つビビがギデオン相手にそれを寛解させたのも,この神経可塑性によるもの.
→「魔導可塑性」:魔導回路の神経(=魔経)を書き換えること.身近な事例で言えば,「何度も練習することで魔法を行使できるようになる」などがある.また,魔力に乏しいギデオンがビビ相手に自身の魔導脈を適応させはじめたのも,この魔導可塑性によるもの.

・ギデオンの身に起きたこと
ビビの魔素の大量注入は、本来であれば、ギデオンの魔導恒常性の侵害となる。ただしギデオンの魔経は、これまでの学習から自身の魔導回路を書き換えることを選び、魔導適応能の発動を開始した。この際生じた負荷により、一時的に深い睡眠を余儀なくされた。今後、繰り返し魔導適応能を発動することにより、ギデオンの魔導回路の恒常性が変化していく(=負荷が軽減していく)可能性がある。つまりビビのみに限らず、ギデオンの体もまた、相手の影響で大きな変化を遂げている。


  • No.680 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-26 18:39:19 




……っ、……はぁい。
そうですよ、全部ギデオンさんのせいなんですから、忘れないでくださいね。

 ( ぶっきらぼうな命令口調に、それまで此方を見つめていた瞳が、くるりと身体ごと逸らされる。乱れきった寝台の上、随分と心許ない格好をした娘は一人残されて。渾身の"かわいい顔"は不発で終わってしまったものの、この顔で駄目な時は本当にどうにもならないと知っている故、不満げに唇を尖らせながらも、素直にアッサリと引き下がる。目の前の恋人の、紳士ぶった冷静な仮面の隙間から、一瞬覗いた葛藤の色。昨晩までその一片も、故意に揺らがすことの出来なかった──と、少なくともビビはそう思いこんでいる──鉄壁の理性を思えば、その隠しきれなかった顔色だけでも充分だ。しかし、それに伴い唱えられた愛称に、昨晩の甘美な悪戯を思い出せば、再びふっと息を詰めさせられた仕返しに。それ迄まとっていたデュベを放り投げると、無防備に向けられた背中へ勢いよく飛びつき、その首筋、耳元へ軽いリップ音を響かせる。そうして、この限りなく幸せな状況を作り上げたのは、ギデオンの責任、もとい選択なのだと言い聞かせれば。相手が動じたかどうだったか、振り落とされでもしない限りは、「階段の下まで連れてって欲しいな~」等と可愛らしく甘えられたのは、やはりまだ寝惚けていた節も大きかったのだろう。
それから、四半時ほどたっただろうか。手段はいずれにしても、たどり着いたバスルームにて。朝起きた時から分かっていたつもりだったが、そこに備え付けられた姿見で、最早ギデオンの痕跡がない所を探す方が難しい己の惨状を目の当たりにしたヴィヴィアン嘆きといったら。いつも通りの装束にかっちりと身を包みながら、ダイニングテーブルに顔を埋めた娘は、彼女が何を怒っているのか要領を得ない恋人に、ここで初めてマジカルキスの視認性を説明することになる。そうして時折、羞恥に染まった頬を、冷たいグラスで冷やしながらも。この一年、嫌々ながらビビの相談に乗ってくれた魔法医はともかく、ギルバートがどう思っただろうか想像するに、しょんぼりと垂れた頭上で揺れる紅い耳までも、心做しか萎びて見える有様で。 )

──……本当に! 本ッ当にギデオンさんのせいですから!!
こんなんじゃパパに会えないじゃない……



  • No.681 by ギデオン・ノース  2023-11-29 16:11:25 




──ッ、……お前なあ……

(いつぞやの子トロイト並みの勢い、ではなかったにせよ。わんぱくな恋人が飛びついてきた際の衝撃を、大きく和らげたものがあった。──もはや布一枚も挟んじゃいない、御本人のたわわなそれだ。その感覚がもたらす悩ましい誘惑のほどを、わかっているのかいないのか。当のヴィヴィアンは、それをこちらにぎゅむぎゅむと押し付けながら目いっぱい甘え倒し、寝惚けたことまで囁いてくる有り様だ。全くもって、自由奔放な娘である。
肩越しに相手を振り返ったギデオンは、呆れを隠さぬため息を吐き。ベッドのデュベを引っ張り上げるや否や、彼女の優雅で素晴らしい肢体を、蚕繭宜しくぐるぐる巻きにしてしまった。そうして、くすくす笑いか、不満の抗議か、いずれかの声を聞き流しながら。お望み通り脱衣所に──ちょっと八つ当たり気味に──荒っぽく放り込むなり、ばたん、と強く扉を閉ざす。そこでくるりと背を向けて、再びため息を零しながら、ふと視線を落としたのは……己の臍の下辺り。主人が頑なに被っている気怠げな仮面と裏腹に、やんごとなき何かしらは、引き続き元気いっぱいなままであった。まったく、調子を狂わせてくれるな……と。髪をぐしゃぐしゃ掻きながらキッチンに向かう横顔は、本人の自覚する限りでは、ぐったりと疲れているだけのつもりでいたが。──10年ほど前のギデオンを知っている者が見たなら、きっと。なんだ、随分幸せそうに暮らしているじゃないか……なんて。面白おかしく、しみじみとした声音をもって揶揄ったことだろう。)

(──さてはて。ふたりの暮らす明るい家では、引き続きそんな感想が投げかけられそうな光景が、朝から繰り広げられている。何かといえば、テーブルに顔を突っ伏しながら腹を立てているヴィヴィアンと、新鮮なサラダを深皿に取り分けながらたじたじしているギデオンの図だ。
ヒーラーという職業上、魔法医学を専門分野とする彼女曰く。ギデオンとヴィヴィアンがこのところ嵌まっている、魔力弁を介した交歓は、互いの体にべったりと、キスマークのようなものを塗りつけてしまうらしい。この行為がそのまま、とある界隈では“マジカルキス”と呼ばれているアブノーマルプレイであり……実は欲望に素直な者同士、そうと知らぬまま自然に辿り着いてしまった……なんてことまでは、未だ露知らぬ二人であるが。とにかくこの、互いの魔素が体じゅうに塗りたくられて、見る人が見ればまるわかりになってしまうことが問題なのだ。私たちは魔力弁を使って気持ちいいことをしていますよ、と、自ら周囲に知らしめてしまうわけである。
若い時分は放蕩であったが故に、少々感覚のズレたところがあるギデオンも。それは確かに問題だな……と、気まずそうに口を噤む。ヴィヴィアンと耽るあの行為は、非常に楽しくて仕方がない。しかしだからといって、彼女に恥をかかせても平気というわけがない。それに彼女の父、ギルバートにしてみれば。ギデオンは最早、単なる情事より深く、ヴィヴィアンを染め上げてしまっているのだ。歴然たる歳の差……冒険者歴の違いによる不均衡な力関係……相棒関係を利用した(ように見えても仕方のない)囲い込み……ギデオン自身の若い頃の素行……ヴィヴィアンが初恋の恩師シェリーの娘であるという事実。それらに加えて、今回の意図せぬ公開処刑、とくれば。なるほどなんとまあ、大事なひとり娘が付き合っているという相手の男は、随分な屑野郎である。昨日のように激怒するのも、致し方のないどころか、寧ろ当然の然るべき話だ。
そう、わかりはするものの。全部がこちらのせいだと罵られ、黙っていることができようか。自分の手の内で、昨夜の彼女はあんなに淫らに悦んでいたではないか。第一、昨夜に限らずその前の晩だって、遅くまでずっと楽しく戯れていたではないか。周囲の目の問題は考えなければならないにせよ、それはそれとして、と。相手の皿に焼き立ての目玉焼きとベーコンを滑り込ませながら、自覚のあるきまり悪さに分かりやすく顔を逸らしつつ、ぼそりと小声で言い返し。)

──……、お前だって嵌まってたし……気持ちよさそうにしてただろう。




  • No.682 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-11-30 09:46:42 




そっ、そんなこと……そんなこと、……ぅもん……、

 ( そんなこと、言われるまでもなく自分が思い知っていることで、大体そういうことを言っている訳じゃないのだ。普段は愛しい、これだけの年の差を持ってして、案外余計な一言を黙っていられない恋人の可愛らしさも、今は全くの逆効果だ。真っ赤な頬を膨らませ、「ありがとうございます!」と、ギデオンが目玉焼きを放り込む皿を両手でそっと抑えると。──昨晩に一昨日の番、さらにその前の晩も、前の前の晩も。覚え込んだ快楽を目の前に、無理やりどころか自らもっとと願った記憶があるだけに、相手へと向ける視線や口調が強くなるのは、自分でも八つ当たりだと分かっていて、糾弾する語尾がじわりと弱る。
ところで、ビビはパンのバターはたっぷりと耳の縁まで塗ってから、こんがりときつね色になるまで焼き色をつけたい派なのだが。未だ忙しなくダイニングに立って、香り高い珈琲を入れてくれている恋人の一方で。当たり前のように腰掛けて、"私、怒ってます"と、ゆで卵のような眉間に皺を寄せ、きゅっと吊り上がった目元を恋人に向けながらも、「お願いします!」と、たっぷりバターを塗りたくった白いパンを差し出す娘の、いつものように焼いてもらえると信じて疑わない様は、ここ数ヶ月のギデオンによる甘やかしの賜物で。それ以降も、諦め悪くぷりぷりと口では文句を言い募りながら。ギデオン相手となると、どうしてこうも警戒心が仕事を放棄するのか。しばらくして、はっと"良い言い訳を思いついた!"とばかりに、大きな瞳を輝かせれば。その怒っている当人に向け、どこか褒めてほしそうな節まで感じる、無邪気で自慢げな表情を浮かべて見せて。 )

違うもん。私はっ、……知ってたらしなかったし──……!
ギデオンさんがしてくれること、全部好きになっちゃうんだから、ギデオンさんのせいだもん……ね、そうでしょ?


  • No.683 by ギデオン・ノース  2023-12-01 00:20:34 




っく、っくく──ああ、いや、いや。
お前がそう思うなら、それでいいんじゃないか。……なあ?

(ずっとギデオンに怒っていたはずの恋人が、いきなりぱあっと、やけに顔色を明るくしたもんだと思ったら。「ふふん、どうです! 言い返せないでしょう!」なんて言わんばかりのご尊顔で、とんでもない事を堂々と抜かしてくるのだ。ギデオンは一瞬、はたと虚を突かれた顔で静止し……かと思えば次の瞬間、思わず目尻をくしゃりと歪め、口元に拳を当て、明後日の方を向いてしまった。片方の手こそ朝食のために動かし続けているものの、その様子はどこから見ても、笑いを堪える有り様である。
──いやはや全く、本気でどうしてくれるつもりだ。己は曲がりなりに、肉体的にも精神的にも、きちんと成熟した女性を好んでいたはずなのだ。それがどうして、ヴィヴィアンは……いや、無論彼女とて、どちらも充分大人びた、一人前の女性であるが。それにしたって、時々自分の前でだけ、どうしてこうも殺人的にあどけなくなる。己の中の嗜癖の形が、めきめき歪んでいくではないか。責任をとってもらいたいのは、むしろよっぽどこちらの方だ。だというのにこの娘は、こんな得意満面の顔で、途方もない告白を無自覚にかましてみせて──。
そんな愉快さに耐えかねての沈黙も、長く続ければ新たな火種になり得るだろう。喉仏を未だ低く震わせつつ、きちんとそちらに向き直り、“気にするな”というように、ひらひらと手を振って。やけに含みのある言い回しで、相手の言葉を面白そうに肯定すれば、胡乱気なエメラルドの目を向けられるやもしれないが。グリルからきつね色のパンを二枚取り出せば、相手の顔がまたぱああっと無邪気に輝きだすのだから、また必死に発作を堪えて。
……そうして、いよいよ己も食卓につき。簡単な祈りを捧げてから、ふたり一緒に今日もまた、同じ朝餉を取り囲む。他愛ない会話をして、仕事のあれこれを共有して。そんないつも通りの朝を過ごしながら──次はいつ、ヴィヴィアンを抱けるだろうかと。そんな不埒なことを腹の内で考えていたのは、ここだけの秘密である。)

(──さて。それからの数日間は、ごく平和に過ぎていった。先日あれだけの大騒ぎを引き起こしたヴィヴィアンの父、ギルバートだが。やはり帰国時の無理が祟ったらしく、一日のほとんどを眠り通しているらしい。一応はヒーラーなり魔法医なりが、交代制で24時間傍についているとのことで、「心配は全く御無用」とギルマスのお墨付きである。……人件費が随分飛んでいるはずだが、何せ相手がVIP中のVIPだ、カレトヴルッフとしては政治的な意図もあるのだろう。ギルバートが休息している間、代わりに魔導学院と連絡も取ったようで、この騒動の諸々の懸念は、一旦綺麗に保留されたことになる。
それを崩すきっかけをもたらしたのは、隣のマーゴ食堂だ。その日の朝、カレトヴルッフのギルドロビーには、夜明けの酒を残した酔いどれ連中がぐうたらとたむろしており。とうとうマリアに見咎められ、説教役にギデオンも呼ばれて、ふたりしてこんこんと、 “国内最高ギルドに勤める冒険者としての心得”を説き聞かせていた、その真っ最中。「──ちょっとあんたたち、人手足りてる!?」と血相変えて飛び込んできたのは、マーゴ食堂のベテラン従業員こと、ヨルゴスの妻アンドレアだった。「ねえ、大変なの! うちのテッポ爺さんが──リブステーキを5切れも残して帰ったの!」
一体それのどこが大変なのだ、と不思議そうに首を傾げたのは、まだ年若い、二十半ばかそこらの奴らだけだったに違いない。年季の入ったベテランたちは、皆一斉に顔色を変え。酔っぱらっていた親父どもすら、ぎょっと正気を取り戻した。装備は!? 馬は!? ホセのバカは今どこにいる──アリスのパーティーを連れ戻してこい! こんな具合で、“国内最高ギルド”のベテランたち全員が、一気に臨戦態勢である。
騒ぎを聞きつけて医務室から飛んできたヴィヴィアンと、その周りに集った若者たちに、ギデオンのほうからわけを話すことにした。──“マーゴ食堂のテッポ爺さん”というのは、実はカレトヴルッフにとって、恐ろしい占い師なのだ。といっても、本人にその自覚はない。少なくともギデオンが子どもだった30年以上前から、そこらをふらふら浮浪している、ただのぼけた爺さんである。けれども、マーゴ食堂のマーゴ婆さんとは何か縁があるようで。毎日一食、どんなメニューでもただで振る舞って貰えるという温情にあずかっており、ほとんど毎晩マーゴ食堂に通いつめ、隅っこの方の席で、いつも慎ましく日々の食事を楽しんでいた。マーゴ婆さんの懐の広さの素晴らしいことといったらないが、テッポ爺さんもテッポ爺さんで、ぼけていて尚礼儀正しく穏やかな、非常に気のいい人物であるから、食堂の常連であるカレトヴルッフの冒険者たちも、皆彼を気に入っている。ベテランたちで日々代わる代わる、独り者の爺さんの相席をしに行っては、爺さんの痴呆によって上手く噛みあわない頓珍漢な会話を、それでものんびり楽しんで過ごす……そんな伝統があるほどといったら、どれほどの関係か想像がつくだろう。──しかし、問題がただひとつ。歳のわりに健啖家、おまけに店主マーゴさんに対する恩もあって、普段は決してパンくずひとつ食べ残さない爺さんが。それでも「気分が悪くてのう……」などと、何かを残してしまうとき。それはすなわち、“非常に厄介な魔獣が王都付近に出没する”という、揺ぎ無いジンクスがあるのだ。チキンのグリルを残すなら、ステュムパリデスの群れの飛来。フライドポテトを残すなら、大型ヒュドラの毒霧拡散。──そして、リブステーキを4切れでなく、5切れも残したというのなら……それはすなわち、この人口豊かな王都のそばに、ドラゴンが出るということだ。戯けた迷信と思うかもしれないが、ぼけた爺さんの食べ残しがたしかに災いを予言することを、ギデオンたちベテランは皆、その数十年の経験をもって、真実であると知っていた。しかもたちの悪いことに、爺さんの予言というのは、間隔が開けば開くほど、次の被害が大きくなると示す性質を帯びている。ここ4年ほどは毎日欠かさず食べきっていたはずだから……それが久々に破られた、しかもこれまでの法則からして今回はドラゴン、となると。そりゃあもう、ベテランたちが慌てふためくのも無理はない、というわけだ。
この話を聞いて尚、いまいちピンと来ていない若者たちに、本当なのだと告げるが如く。カレトヴルッフのエントランスに、いきなりよそ者が──王軍の伝令兵が飛び込んできた。北の国境警備隊から、国外のドラゴンが侵入したとの報が入り。軍の各所が引き継いでその個体を監視したところ、キングストン近郊の森に降り立った、との話である。詳しく聞くに、ドレイク種──つまり、空陸水全てを駆ける万能型ドラゴンで、黒い胴体、赤い翼、多頭という特徴から、ヴァヴェル竜と目される。途端に、ベテランたちは皆一斉に、「やっぱりか!」と呻き声をあげた。ヴァヴェル竜は土属性のマナと反発する体質ゆえ、地上で少し暴れただけで、大破壊を引き起こす。つまり、並みいるドラゴンたちの中でも、地に足つけて生きている人間が戦うには、非常に分が悪い相手なのだ。一応は外来竜なんだから王軍が処理しろよ……と、誰かが文句をつけようとするも。そこは事態をまとめにきたギルマスが、視線ひとつで黙らせた。カレトヴルッフは王室からの信頼も厚いギルドだが、だからこそ、王軍と揉めてしまうのは宜しくない。体良く現場処理を擦り付けられた感は正直否めないものの、ここはひとつ。職務を果たして恩を売り、今後の切り札にしてしまおう、という目論見である。
そんなこんなで、通常の雑務諸々を返上しての、大掛かりなドラゴン狩りが決定した。と言っても、ギルドを空にしては他の有事に備えられないので、今の人出の半分は、王都に残ることになる。その中で、ベテラン戦士のギデオンはともかく、まだ大怪我から復帰したばかりのヴィヴィアンは、留守番組に回されるものだろう、とてっきり思っていたのだが。「──そうだ、そこのバカップル! お前らも現場に来てくれ!」と、今回の隊長であるヨルゴスに声をかけられ。並んで立っていたふたり仲良く、「「?」」と同時に、自分たちの背後を振り返ったものだから。途端、周囲から一斉に、「──だからそういうところだよ!!」「おめえら以外に誰がいんだよバッキャロウ!!」と、この忙しいのに総突っ込みを喰らうこととなった。何故なのだろう、酷く解せぬ。
──ヨルゴス曰く。今いる、もしくは呼び戻すことのできる魔法使いの面々だけでは、前衛の支援役が到底足りていない。故に、魔力の豊富なヴィヴィアンにも、その体調の許す限りで、どうしても活躍してほしいそうだ。地上の戦力は有り余っているから、いざとなれば肉盾になる戦士どもをしっかり護衛でつけさせる、と真っすぐな目で約束されれば。そこまで言うなら仕方ないか、とギデオンも飲み込んだ。
かくして、己の相棒、ヴィヴィアンにとっては、ほとんど3カ月ぶりの現場仕事である。周囲がやれドラゴン用装備だ、現場に物怖じしない馬だ、非常用の魔法薬だ、解体用の大道具だ、と慌ただしく準備する中。自身もドラゴン用の強靭な皮鎧に身を包んだギデオンは、やはりどうしても心配性が発動してしまうようで。東広場発の出動用馬車が間もなく出発する……という頃になってから、ロビーの人混みの合間を縫って、相棒のそばに行き。……おまえを軽んじるわけじゃないんだが、と、思い悩んだ目を向けて。)

……なあ。医者からはまだ完治を言い渡されてないんだし、復帰戦にしては、今回のはいきなり重過ぎるだろう。
もし少しでも、体調や魔力に思わしくないところがあるなら……ヨルゴスには俺からちゃんと説明して、代案も用意してみせる。だから、今からでも……



  • No.684 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-02 20:32:05 




──……ギデオンさん。
ご心配ありがとうございます。私は大丈夫ですから、他に言い出し辛い方がいないか確認してあげてください。

 ( 白くはためく博愛のローブに、しっくりと馴染む古木の杖。久方ぶりの一張羅に背筋を伸ばせば、リスト片手に物資確認をしていたところへ、心配性な相棒の声がかかる。これがかつてのビビならば、そう簡単に"代わり"だなんて侮ってくれるなと、相手の気持ちも気にせず跳ね返ったに違いないが。この一年で、他でもない当の相棒から、冒険者として、人として、認められ求められる経験を与えられた女の顔には、穏やかな余裕がほころんでいる。
確かに未だ医者からは、定期的な診察を求められているものの、それも最近は殆どただの経過観察にほど近い。過保護な相手の心配する気持ちはありがたいが、自らの故郷の有事に引き下がる冒険者がいるものか。それに──それ、私にだけじゃなくて、他の仲間達に全員も聞けますか、と。完治していないのはギデオンの肩も同じ。常に死と危険との隣り合わせ、中小の怪我が日常茶飯事な生業で、完全な健康体で一切の不安を抱えていない者など、この場の何割もいるだろうか。そんな状況下で、ビビ一人の代役なら兎も角、全員分の代案があるのかと──別にビビ自身はそこまで深く考えていた訳では無いが、無意識に相棒の過保護をやんわりと諭せば。「それに、こんなに見張りがいてどうやって無茶するんですか」と苦笑気味に見回したのは、ヨルゴスにつけられた戦士たち。いくら魔法使いよりは人手があるとはいえ、誰の差し金か手厚くつけられた護衛の一人が、「見張りじゃないですよ! ちゃんとお守り致します!」と噴射するのに眉を下げると、自分の身くらい自分で守れるのに……と肩を竦めて見せて。
かくして、最早怒号に近い音頭をあげ、ドラゴン侵入の報せがあった国境付近へと、討伐隊が出立したのと。とある報せがギルドに舞い込んだのは、完全な入れ違いとなった。その情報を持って来たヒーラーは、青い顔して駆け込んでくるなり、手薄になったギルドを見て膝を落とすと、「パチオ氏が……パチオ氏が、病室から失踪されました……!!」と、閑散としたロビーに響いた悲鳴だけが、この後の混沌を虚しく物語っているようだった。 )

 ( 可哀想に、大魔法使い直々に眠らされ、要人を見逃した張本人となってしまったヒーラーからの一報が、討伐隊に届けられるよりも少し早く。ドラゴンが国境へと侵入した時刻から逆算された地点にて、討伐隊はドラゴンの姿を確認出来ずに、そこから更に10km程も北上した地点でその姿を確認することとなる。ぬらぬらと強烈な色を反射する硬い鱗、ひとたび掲げれば太陽を隠すほどの広い翼。見るもおぞましい多頭はそれぞれ鋭い牙とギョロリと大きな眼球をたたえて、討伐隊を確認した途端、鼓膜が破れそうな大音声で地面を震わせる。
しかし、そんな醜い姿かたちを目の当たりにし、誰からともなく「化物……!!」と、それを漏らした声の主が、もし魔素を感じ取れる魔法使いだったならば。それは異形の魔獣へではなく、その正面にもうひとり。もうもうと上がる土煙の中から現れた男へ向けられたものだったに違いない。振り下ろされた太い尾を魔法でいなして、一頭と一人、化物同士の衝突に開けてしまった森の中。差し込んだ光に、現世のものとは思えない美しい金髪を反射する大魔法使い──ギルバート・パチオその人だ。防戦一方とはいえ、圧倒的な力を誇る魔物相手に立ち回って見せた大魔法使いは、相手の雄叫びに一足遅れて討伐隊に気がつくと。「これはこれは……流石、"国内最高ギルド"の精鋭様方、お早いお着きだ」と。こんな時まで憎たらしい悪態をつきながら。ドラゴンの大音声で、馬車の行き先の地面が崩れ落ちそうになるのを、杖を振るって受け止めようとして、その隙をついたヴァヴェルに横凪に吹き飛ばされる。その瞬間、それまでギルバートによって制御されていた魔素がぶわりと爆発したかと思うと。ぐらりと大地が揺れ、低い地響きが耳をつき、ビキビキと激しく地面が割れる。そうして、勝鬨の如く咆哮を上げたドラゴンは、小癪な魔法使いを片付けたことを悪辣に喜ぶかのように、太い尾を激しく地面に叩きつけると、車輪が外れ横転した馬車から飛び出した冒険者たちを威嚇してみせ。 )

  • No.685 by ギデオン・ノース  2023-12-03 15:47:16 




(ギデオンとヴィヴィアンは、今や私生活において恋人同士の関係である。しかしそもそも、こうして仲を深めたきっかけとして、ふたりとも、同じギルドに所属している単独の冒険者なのだ。そして冒険者という職業は、市民のために魔獣を屠る、それこそが最上の使命。故にヴィヴィアンの返した言葉は、この上なく真理を穿つに違いなく。「……そうだな。無茶だけはするなよ、」と。相手の肩に軽く手を置き、一度だけしっかり見つめ合う。そうして、精悍な横顔でヴィヴィアンと別れたそのときには、ギデオンも既に思考を切り替えていた。これより先の自分は、作戦の最前線で攻撃を担う魔剣使い。そして相手もまた、後方支援と救急を担うヒーラーの立場となる。個人的な労わりは、仕事が終わってからでいい。この一山を終えた頃には……きっとふたりで、ヴィヴィアンの父親を見舞いに行ってやれる筈だ。)

(──しかし結論から言えば、ギデオンのその読みは、完全に間違っていた。何といっても、そのギルバート・パチオ本人が、何故か戦場に参上し……あろうことか、先にドラゴンと対峙していたのだ。冒険者たちが状況を把握する間もなく、彼の隙を突いたドラゴンによって、それまで防衛を崩さずにいたギルバートが吹き飛ばされ。こちらもまた、ヴァヴェル竜のもたらす地割れに煽られ、即座に態勢を整え直さねばならなくなった。
「総員──作戦通りに回れ!!」と、ドラゴンの咆哮に押しも押されもせぬ大声を、総隊長ヨルゴスが張り上げる。途端、戦士の援護を受けながら魔法使いが散開。周囲の地形とドラゴンの様子を分析し、後衛拠点を各所に見定め、大きな魔法陣を描いて強固な障壁を構築する。足場の確保も兼ねたこの初動の布陣を、的確に果たせるかどうか。これが今回の作戦の要と言っても過言ではない。
──敵の種類や周辺地形、時間帯や気候条件などにより、多少の変更は存在するが。ドラゴン狩りの作戦には、古来から伝わる王道の筋がある。即ち、陽動攻撃でドラゴンの気を正面に引きながら、後方に回った部隊が、翼、後ろ脚、尻尾の付け根を真っ先に狙い落とすというものだ。空に飛ばれればこちらは手の出しようがないし、仮に飛翔力を奪っても、圧倒的な重量で突進されれば成す術もない。ドラゴンの尻尾に殴り飛ばされる、叩き潰されるというのだって、戦士の死因の最多数という恐るべき脅威となる。しかし、逆にその三点さえ潰せば。胴体のみでも這いずり回り、熱焔を吐き散らす脅威が片付いていないにせよ……基本的な機動力を大幅に下げることができる。故に作戦の初期段階で、翼と後ろ脚と尻尾、まずはその三ヵ所を攻める。首を落としにかかるのは、全てを入念に整えてからだ──そして敵も、それを最も警戒している。
けれどもその作戦は、早くも困難に感じられた。理由は目の前にいるドラゴンの、規格外過ぎる大きさのせいだ。「体高が報告と違う!」と、若い誰かが悲鳴じみた声を上げたが、それを臆病と詰れる者が、はたしてこの場にいるだろうか。何せ敵は──その頭部の大きさだけで、優に大型馬車ほどもあるのだ! しかし仕方がない、とギデオンは苦い顔で分析した。そもそも国境警備隊の防衛ラインを超えられた時点で、このドラゴンはかなりの高度を飛んでいたに違いない。ならばきっと、王軍の担った監視も、遠距離からの途切れ途切れにならざるを得なかった。そうして、これはまずい、と、先に各所の冒険者ギルドに伝令を果たそうとして……きっとそれでも間に合わず、追い抜かれたほどなのだ。王軍の失態は致命的だが、対峙の始まってしまった今、即座に対応をとるしかない。「尾から狙え!」と、開けた森の際を駆けながら、襲撃部隊の隊長として指示を飛ばす。「あの図体なら、離陸前に多少の助走が要る筈だ──その補助におそらく尾を使う! だからまずはそこから狙え!」
──一方。各々の役割を持った戦士と魔法使いが、所定の配置につくなかで。ヨルゴスの指示により、数名のヒーラーがギルバートを捜し出し、森の中から連れ出そうとしていた。一体どれほど化け物じみているのだろう、あの絶望的な横薙ぎを喰らっても咄嗟に障壁を張れたらしく、致命傷を負わずにぴんぴんしているようだが……それでも、肩を貸さねばならぬ程度に身体を痛めている様子だ。「あたしたちを庇おうとしたわね!?」と、彼を知っているらしい中年女性のヒーラーが、治癒魔法を注ぎながらも大激怒していた。「お言葉ですけど、ギルバート! あたしたち皆、あんたひとりに子守されるほどか弱くはなくってよ!」
それにギルバートが、「だったらまず、まともな地固めのできる魔法使いのひとりでも連れてこい」とか、なんとか。相も変わらぬ憎まれ口を叩こうとした、まさにその瞬間。戦場からひときわ強烈な咆哮が轟いたかと思うと、頭上の梢の隙間から見えるほど天高く、太い火柱が噴き上がった。どうやら襲撃部隊が、最初の斬り込みに成功したらしい。ここにいると少々まずいな、とギルバートが指鳴らしをひとつ。途端、詠唱もなく発動した転移魔法により、一行は少し離れた小高い丘に立っていた。
そこからなら、もはや荒れ地と化した森の中の戦闘が良く見える。障壁内にいる魔法使いが、一斉にバフ魔法を放ち。跳躍力も攻撃力も大幅に上がった戦士たちが、一体の巨大な怪物を縦横無尽に翻弄している。周囲には薙ぎ払われた樹々が多数あり、それを魔法使いが的確に浮遊させるので、足場に事欠かないようだ。あの様子なら、ヴァヴェル竜が倒されるのは恐らく時間の問題であろう。そのように、決して楽観ではない分析を下しかけたところで──ギルバートの青灰色の双眸が、強烈な驚きに染まった。
暴れるドラゴンがところ構わず吐き出した火炎放射、それによる周辺の火事を防ごうと。右方の障壁内にいる誰かが、美しい魔素を膨大に練り上げて、巧みにそれを相殺したのだ。まさか、とギルバートが呟く。──それと同時に、嘘だろう、とギデオンも呟く。太い尾と後ろ脚の筋を断たれたことで、周囲を羽虫のように飛び交う戦士たちに怒り心頭だったドラゴンが。膨大な魔素を感じた途端、ヴィヴィアンのいる障壁の方をぎょろりと向いて──急に、制止したかと思えば。……その翼を大きく広げ、不気味な眼状紋をぶわりと浮かび上がらせたのだ。
幾つもの頭全てが、どろどろと薄気味悪い、だがはっきりと喜悦の感じられる唸り声を上げた。ギデオンの皮鎧の内側で、汗と共に吹き出した嫌な予感、それにたがわず。それまで相手取っていた他の冒険者の一切を、一瞬たりともかえりみず──ヴィヴィアンのいる場所に、怪物が前足だけで突進し始めた。いったい何故──ドラゴンの関心は、奴を攻撃する戦士や魔法使いにこそ向けど、延焼を防ぐヒーラーなどには寄せられない筈なのに!
疾風のように駆けながら、紫電の走る魔剣を構え・「ヴィヴィアン!」と必死に叫ぶ、そのひと声に全てを込める。シルクタウン以来、幾度となく共にクエストをこなし、連携してきた経験は──今のギデオンが何を求めるか、きっと彼女にも悟らせるはずだ。)



  • No.686 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-06 09:23:15 




──……ッ!

 ( ──撤退! 撤退ッ!! ギョロリとこちらを一斉に振り返ったドラゴンに、ビビのいる右舷が急激に騒がしくなる。怒号の如く上がる指示に、退路を開こうとバタバタ走り出す戦士たち。しかしその瞬間、ビビの中に浮かんだ感情は微かな、しかし確かな苛立ちだった。やけに興奮した表情の頭と、ギラギラと浮き沈みする眼状紋が向けられると同時に、何股にも割れた首の根元に輝いた紅い魔核。やっと見えた弱点を目の前に、自身の実力を過信せず退却出来る観察眼もまた大事な資質ではあるのだが──今此処に居るのが経験も若いこの青年ではなく、ビビの相棒たるギデオンだったなら……! と、真っ直ぐにドラゴンへ向け跳んでいくだろう紫電を、思わずにいられなかった瞬間だった。
遥か遠くから響く、頼もしく大好きな張り慣れた声。その声に込められた信頼に、「ギデオンさん!」と、場違いな程嬉しそうに応えれば、自然と身体が走り出していた。ビビが脳内で描いた"理想の道筋"をなぞるように動く相棒に、相手の意図が手に取るように目に浮かぶ。魔法使いが浮かせた足場を戦士が選ぶのでは無い、ギデオンが跳んだ先、ヴァヴェルの炎を避けた足元に、まるで吸い付くかのように後から足場が組み上がり。己の身の丈の数倍以上はある空中を、まるで地上の如く駆け上がったギデオンが勇ましく魔剣を振り上げたその瞬間。突如、その頭上に黒い雨雲がかかったかと思うと、エメラルドの稲妻が魔剣を穿き、周囲の目を眩ます程の光となって、壮年の戦士がドラゴンの首を一刀両断する光景を焼き付けて。
そうして残ったのは、ヴァヴェルの倒れる轟音と、黒い雨雲がポツポツと地を穿ち、次第に激しい雨となって冒険者たちに降りかかった血の飛沫を洗い流す雨音のみ。未だ信じられないものを見たかのように、胸を上下させる冒険者たちの耳にまず届いたのは、ドラゴンと共に地上へ降り立った相棒の下へ駆け寄るヒーラーの足音で。あまりに自然な動きだったものだから、つい失念していたが、ギデオンが放り出された上空は、羽のない人間が無事でいられる高さではなく。その着地の際、咄嗟に風魔法で衝撃を緩和はしたものの、果たして怪我などはしていないだろうかと、真っ青な顔で駆け寄って、 )

ギデオンさん!!
ご無事ですか!? 強く打ったところは……?



  • No.687 by ギデオン・ノース  2023-12-06 15:19:52 




(この数秒。何故か知らないが、ドラゴンがヴィヴィアンに目を奪われ、興奮のあまり他への意識を疎かにした、ほんの数秒。それこそが速戦即決の鍵だと、ふたり同時に信じているのが、彼女のいらえで伝わった。
故にギデオンは、もはや他の何ものも振り返らない。羽虫を払うべくドラゴンが吐き出す炎、ただそれだけに意識を定め、的確に回避しながら、上へ上へと駆け上がる。自分が身を翻した先も、そこから躍り上がる先も、一切確かめる必要はない──必ず、相棒が受け止めてくれる。その信頼が稼ぎ出したのは、時間にしてコンマ数秒。だが、敵の反応に後れを取らせる決定的な数瞬だ。
──とはいえ。こんなにも巨大なドラゴンの首、その根元を一刀のもとに断ち斬るなど、本来ならば不可能のはずだ。ギデオンの剣は片手半剣、それより大きな大剣でさえ刃渡りが足りない敵に、どうやって立ち向かうのか。見ているだれもがそう思ったことだろう、ドラゴンですらせせら笑ったかもしれない。しかしそれでもギデオンは、迷いなく魔剣を振り上げた。強く信じていたからだ──自分の背後で、相棒のヴィヴィアン・パチオが、同じく杖を掲げているのを。いつぞやの夢魔討伐でも披露した合わせ技、それを更に高めたものを、今ここでこそ繰り出せるのを。
相棒が即座に──ギルバートですら目を瞠るほどの速さで──練り上げた、黒い雨雲。その内部で増幅した、ただでさえ豊かな魔素が、翡翠色のいかずちとなってギデオンの魔剣に宿る。そうして、魔素を高める性質を持つ魔法石の恩恵により、更に何倍にも膨れ上がり……激しい輝きを放ちながら、何倍にも凝縮されたその瞬間。ギデオンは渾身の膂力を込めて、己の剣を横薙ぎに振るった。途端、その切っ先から眩い雷光の刃が伸び。本来ならあり得ざる、神々しい大剣に化け、敵の固い鱗に喰い込む。……冒険者たちが一様に唖然とする中、ドラゴンの七つの首が、その一太刀に刎ね飛ばされ。魔獣特有のしぶとい生命力をもたらし得る深紅の魔核も、派手に粉々に砕け散り、その無残な最期を飾り立てる。
──すべてを、しかと見届けるや否や。全身の力を魔剣に乗せていたギデオンは、真っ逆さまに落ちはじめたが。ここでも何ら焦らずに、魔剣を振って重心を操り、受け身をとることに集中した。はたして、それを待ち受けていたかのような横風が、案の定ギデオンを攫い。ドッ、と地面に身を打ったものの、直線落下のそれに比べれば随分と優しいもので。その後も幾らか上手く転がり、しっかりと勢いを殺せば、すぐにしゃんと身を起こし……ドラゴンの死を見届けてから、暗くなった空を見上げる。夏だというのに、どこか春雷を思わせる優しい轟きがくぐもって聞こえた。けれどもそれはすぐに、魔獣の穢らわしい血を流す、禊の雨を連れてきて。……この雨、やけに馴染みのある聖属性の魔素を孕んでいるな、と、相棒の相変わらずの天外っぷりに呆れていれば。そのヴィヴィアン本人が、慌てた様子でこちらに駆け寄ってくるのだ。温い雫を滴らせながら、笑って相手を迎え入れ。)

ああ、まったく大丈夫だ。手厚い援護があったからな。
……それよりも、お前の方だ。目眩や吐き気は? 魔力弁の具合は?

(ギデオン自身も経験したことがあるからだろう。相手を気遣うその声音には、これまでよりも随分と実感がこもっている。しかし今は、彼女に甘い恋人としてよりも、あくまで熟練の冒険者として、自分の動きを助けてくれた仲間を案じているような顔だ。……ちなみにこの間、先ほどまで呆気に取られていた仲間たちが、ヨルゴスの号令により慌てて動き始めていた。首を断ってもすぐに死なない魔獣は多い──特にこれほど大きなドラゴンとなると、念入りな確殺処理が必要になるだろう。しかしギデオンとヴィヴィアンは、すぐに混じる必要はない。魔獣討伐はチーム戦であり、仕留め役を果たした冒険者は、自分たちに異状がないか確かめるのが最優先だ。故に、無事を自覚しきっている自分のことはすっ飛ばし。相棒の小さな顔に手を添えて、瞳を覗き込み、呼吸や唇の色を確かめ、果てはその指先を掬って絡め、体温を確かめにかかる。……傍目にはどう見ても甘ったるい戯れだろうが、あくまでもギデオン自身は、これでも真剣そのものなのだ。)



  • No.688 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-09 00:43:50 




手厚ッ……わざとじゃないんです、ごめんなさいっ……!!

 ( うわぁん! と、間の抜けた悲鳴が響いて、それまで冷静に杖を振るっていたヴィヴィアンが、申し訳なさそうにギデオンへと飛びつく。そんな愛しい娘の姿に、思わず目を奪われたのは他でもないギルバートだ。──男の脳裏に蘇ったのは、もう25年以上も昔のこと。やはり危険なドラゴンを前にして──手柄をくれてやるわ、と。娘たちとは違って、自分達は微塵も通じあっていなかった。ずっと巫山戯た奴だと思っていた同期の女、未来の妻に思いっきり吹き飛ばされて。今回のギデオンと同じか、もっと容赦ない高さから叩き落とされるその瞬間に見た、勝利を確信した笑みを浮かべる、シェリーの美しさといったら──「……アレ。ビビちゃんからの一目惚れで、坊やはずっと断ってたのよ」最後には捕まっちゃったけど、と。古い記憶に囚われていたギルバートを引き戻したのは、その肩を支えている旧知のヒーラーだ。──確かこの女も、シェリーと同時期に娘を産んだ人の親だったはずだ。同年代の娘がいる"母親"は……、カノジョは今のヴィヴィアンを見てなんと言うだろう。全くもって、憎らしいことだ。「当然だ。僕の娘が狙った獲物を逃がすわけないだろう」 そもそも、あの男の分際で、ビビちゃんを一度でも振っただなんて身の程知らずな奴め。そう脳内で吐き捨てたつもりだった悪態は、どうやら全て口から漏れていたらしい。不器用な父親に対し呆れた女のため息は、ドラゴン討伐完了の歓声に掻き消されたのだった。 )

お陰様で良好です、
……ギデオンさんも。今は大丈夫でも夜に痛くなったりするんですから、……ほら、ちゃんと見せてください。

 ( 過保護なギデオンの触診に、うっすらと瞳を細めて好きにされていた娘は、しかしその指をゆるく取られた途端──逃がすものか、といわんばかりの勢いで、反対にその手を握り込む。「座ってやりましょう」と、握り込んだ手を引いて、ドラゴンが倒したちょうど良い木の上に相手を腰掛けさせると。膝や腰等、負担のかかりやすい所をぺたぺたと確認しながら。そういえば、といった調子で首を傾げて見せて、 )

──……それにしても、あのヴァヴェルの動きはなんだったんでしょうか……異常行動で報告しといた方が良さそうですかね……


  • No.689 by ギデオン・ノース  2023-12-09 15:39:01 




……わからん。ドラゴン狩りは、俺も何度かしたことがあるんだが……

(相棒の練り上げた黒雲は、やはりとことん優秀らしい。聖属性の土砂降りによって魔獣の血を洗い流し、現場の冒険者全員に加護を付与したかと思えば。あとはあっさり霧散して、視界の良好さを取り戻させる具合である。若い奴らに至っては、「なあ、アレ」「……奇跡だ」「女神だあ……」と。爽やかな青空にかかる大輪の虹を見上げて、馬鹿みたいに惚ける始末だ。
しかし、一方のギデオンは。最初こそ驚いていたものの、(……まあ、ヴィヴィアンだからな)と、あっさり受け入れ。相手に促されるまま倒木に座り、優秀なヒーラーによる診察に身を委ねていた。そうして、相手がふと寄越してきた疑問に、こちらも不思議そうに首を傾げる。──確かに、あのドラゴンの動きは妙だった。ヴィヴィアンに気づいた途端、まるで長年探し求めた獲物を見つけたかのように、あからさまに興奮していた。ギデオンの思い出す限り、あれは彼女の大振りの魔法の発動がきっかけだったように思える。とすると、自分たちが駆けつける直前まで、何故か知らないがギルバートと戦っていたようだから……彼の血を引く娘による、似通った魔素を嗅ぎ当て、先ほどの敵だと誤認したのだろうか。だがそれなら、敵意や憎悪でなく、喜びを見せていたのがわからない。その辺りの考察を、相手にもそのまま漏らしつつ。「……既に人肉を喰っている個体で、それでああなったんだとしたら……外来竜であるだけに、かなり大事になるだろう。そうなると、そうだな。やはりきちんと報告を……」と言いかけた、そのときだ。
「あっ」と、妙な声がした。そちらを振り返ってみれば、声の主はヨルゴスである。ほかのベテラン戦士ふたりとともに、ギデオンの斬り落とし生首のひとつを調査しているところらしい。──討伐リストの一定ランク以上に位置付けられている魔獣は、仕留めた後の調査や記録が固く義務付けられている。個々の冒険者の収集した情報を専門家が分析すれば、今後の被害などを予測し、より備えられるからである。このため、単純な部分は若手に任せ、調査に年季の要る頭部などはベテランが受け持つ、というのは、実によくある分担なのだが。槍でこじ開けたドラゴンの口腔内、それを覗き込む男たちの様子が、なんだかおかしかった。やっているのはおそらく、歯列の確認による種の同定作業だろうに。「なあ、これ……」「いやしかし……」「だとしたらあのときのあれは……」などと言い合いながら、何故か気まずそうに、こちらをちらちら見てくるのだ。一体何事だろう?
ギデオンが腰を浮かせかけたところで、「何だ? 昨今の冒険者は、種の同定もままならないのか」と、高慢に見くだす声が割り入った。少し前にドラゴンの死の一撃を喰らったはずが、いつのまにかけろりとした顔で戻ってきていたギルバートである。「ああ、いや、先代、それなんだけどな……」と、ヨルゴスが慌てて制止するも遅い。杖のひとふりで、ドラゴンの大きな口をさらにがぱりと開けさせた大魔法使いは、しかし。内部に視線を走らせる否や、何故かぴしりと、ぎこちなく固まった。そうして、さらに目を凝らして確認し……まさか、という顔をして、やはりギデオンたちの方を振り向く。やけに混乱した様子である。いよいよギデオンも、ヴィヴィアンと顔を見合わせた。何だ何だ、揃いも揃って本当に何なのだ。
「悪い、ここで待っててくれ」と。相手に一言断りを入れ、ギデオンもいよいよそちらに向かった。さてはて、何がこいつらをそんなに狼狽えさせるのか。熟練たちに入り混じり、自分でもドラゴンの口の中を確かめたギデオンだったが。──先ほどのギルバートよろしく、びしりと綺麗に固まった。ひと目で理解してしまったからだ。何故ギルバートが狼狽したのか。何故ヨルゴスたちが気まずそうにしていたのか。何故ヴィヴィアンが狙われたのか。……何故あのとき、ドラゴンが豹変したのか。
「あんまり、聞きたかないんだけどよ……」と、ヨルゴスがそっと囁いてきた、とんでもない質問に。如何にも居た堪れなさそうに、片手で顔を覆いながら、小さく頷いてやるほかない。ヨルゴスはただ、正しい記録のための判断材料を必要としているのだと、根が真面目なギデオンは理解できてしまうからだ。しかしギデオンの答えを見るや、両脇にいるベテランたちが、堪えきれない大爆笑で妙な発作を起こしだすか、或いは露骨にドン引きするかしはじめ。ヨルゴスもまた、口の端をピクピクと、笑いだしそうに引き攣らせる始末だ。「……まあ一応、若い奴らにはヴァヴェルって体で書かせて、俺が最後にこっそり修正しておくからよ。それでいいよな?」と、一応は真剣さも交えて提案してくれるものだから、もう色々と思考を放棄したくなった。傍にいるギルバートの顔は、とてもじゃないが見られない──どんな顔をして見ればいいのだ。よろよろとヴィヴィアンの元に戻ると、相棒のフォローのおかげでまったく無傷だったはずが、今や満身創痍と言わんばかりの面持ちで。やけにぐったりと、疲労しきった呻きを漏らし。)

……今の件は、あとで話す。ああ、ちょっと、ここでするような話じゃないんだ……



  • No.691 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-12 00:54:20 




ギデオンさん……?
え……ええ。でも、お顔の色が。こっちおいで……座れます? 横になった方が楽ですか……?

 ( 討伐した魔獣を確かめてみて、もしあと討伐が一歩遅れていたら、とんでもない被害が出ていただとか。運良く無事だっただけで、予期せぬ脅威を残していただとか。後からゾッとするような真実が判明することはよくあることだ。しかし、戻ってきた相手のあまりの顔色の悪さに、薄い頬をそっと両手で包むと。心做しか力なく丸まった背中を撫でながら、もう片方の手で先程の倒木へと導こうとして、促された相手が素直に腰掛けるか固辞するか、兎に角ギデオンの体調が悪くないことを見届ければ。そろそろビビ達も回収作業に加わらなければなら頃合だった。未だ胃の痛そうな表情をしている相棒を、気遣わしげな表情で見送り、自身もヒーラーとして、今回はベテランの先輩方の下、テキパキと要救護者の手当に当たること半日。あわや首都襲撃という未曾有の危機の収束に、心地よく揺れる馬車の中。疲れきった娘が丸い頭をギデオンの肩に預けて、うつらうつらと船を漕ぎながらキングストンへと辿り着き。ギルドでの簡単な手続きを終えて、暖かなランプがポーチを照らす我が家へと帰りつけたのは、そろそろ日付も変わる深夜の事だった。いつもならば共に帰って来ても、すぐにただいまのキスを強請るところを、かろうじて未だ冒険者の顔を残して相手へと真っ直ぐに向直れば。人目のあるところでは話せ無いだなんて、相当の危険が差し迫っていたのだろうと気を引き締めにかかって、日中のベテラン勢の気まずそうな表情の意味など全く知らずに、むしろ清々しい程真剣な表情で尋ねて見せて。 )

──改めてお疲れ様でした!
さっき、後で話すって仰ってた件って、もう……ここなら大丈夫ですか?


  • No.692 by ギデオン・ノース  2023-12-12 14:25:11 




ああ、そんなに……いや、しかし、そうだな。
……とりあえず先に、寛げる格好にならないか。

(あのとき下手に誤魔化したあの一件を、どこまでも清く尋ね直されてしまえば。「そんなに深刻な話じゃないんだ」……一度は弱々しく返しかけたその台詞を、しかし相手にとっては本当にそうだろうかと、有耶無耶に呑み込んで。代わりに疲れの滲む声で、甘えるように首を傾げる。相手の優しさに漬け込む形での先延ばしだから、少々卑怯と言えるだろう。しかし今日の仕事は、肝心の竜退治よりも、寧ろその後が本当に大変だった。まだ日の高いうちに、ベテランのヒーラーがギルバートを強制的に連れて帰っていったそうだが、それに全く気付かなかったほどである。正直、今すぐベッドに倒れ込んで、恋人を抱きしめながら眠りたい…一日の汚れを落とすのも、除染作用のあるギルドのシャワー室でふたりとも済ませているのだ。だが、あの時ギデオンが濁した話を、相手はちゃんと知りたいだろう。だからせめて、今夜はあとはもう寝るだけの状態にしないか、というわけで。
そうして、相手が優しく気遣ってくれたか、訝しみながらも聞き入れてくれたか。何にせよ、洗面所で夜のお手入れをしている恋人を待ちながら、先にゆるい寝間着に着替え、リラックス効果のあるハーブティーを沸かし(尤もこれは、普段のヴィヴィアンがギデオンを気遣って淹れてくれるそれの物真似だ)。一足先に寝室に上がり、本を読みながら相手を待つことしばらく。真夜中を幾らか過ぎ、相手がいよいよ傍にやってくれば、まずは顔を上げ、「今日はお疲れ」と、労わりの軽いキスを交わすだろう。相手が隣に身体を落ち着けたところに、白い湯気の立つカップをそっと渡し、「上手く淹れられたかな」なんて微笑む。……これが幾らか、彼女の気分をマシにしてくれるといいのだが。そうして、相手がすっかり寛いだのを見計らえば。自分も本をテーブルに置き、ベッドランプの明るさを一段階下げ、背後の大きな枕の山に上体を預けきって。眠気の交じった穏やかな声、如何にも何てことのない調子を繕いながら……だがしかし、何とも歯切れの悪い説明を。)

……それでな。さっきの話だが……
今日倒したドラゴンは、実は……ヴァヴェル竜じゃなかったんだ。
見た目が似てるし、王軍の奴らは素人だから、間違えても仕方ないんだが。歯列を見たら……どうも、その、エレンスゲ亜属だったらしい。



  • No.693 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-13 23:32:20 




 ( 普段は冷静なギデオンがこんなに狼狽えるなど、本当に一体何があったのだろう。差し出されたハーブティーは、本当は自分が相手に淹れてあげるつもりだったのだが、ギデオンがこのお茶を『精神安定に良い』と感じてくれているのなら、それもまた実に素晴らしいことで。「お疲れ様でした」と相手のキスに軽く答えて、カップに小さく口をつけると「……うん、美味しい。ありがとうございます」と、可愛らしく、あどけなく微笑む恋人へ、再度慈しむように唇を小さく落として。頭の下で緩くまとめていた三つ編みを解きながら、長い長い脚をゆったりと放り出した相手の様子に、なにやら微かな緊張を感じ取ると。空になったグラスをサイドボードに置いてから、ベッドが軋む音をたてながら、ゆっくりとギデオンに向き直る。そうして、相手の目元や頬、髪をすりすりと撫で始めた、寝る前の乾いた温かい掌は、それまでの穏やかな余裕と共に、ギデオンの言葉にぴたりと動きを止めたのだった。 )

エレン、スゲ……、!

 ( 最初はそれが、どうして問題になるのか分からないといった様子で、きょとりと目を丸くしていた表情が、一瞬なにか気づいたかのように煌めくと、白い頬、耳、首、ゆったりとしたネグリジェから覗く胸元までが、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。言わずと知れたエレンスゲの謎な"嗜好"、冒険者であるビビも勿論知っていて、今日起きたこと全ての合点が一気についてしまう。歳若い女性にとって、己の性事情を知られるなど気持ちの良いものでは全くない上。もとより──処女、ということに、そこはかとない罪悪感を持つヴィヴィアンにとって、数少ないベテラン達とはいえ、その事実を知られてしまった状況は辛い。しかし、彼らがこれ以上なく紳士的な対応をしてくれたことも、続けられた説明から確認して。行き場のない羞恥を、クラクラと目眩のする頭額を相手の分厚い肩に預けると、困ったように眉を八の字にゆがめて、二人きりだからこそ聞こえる小さな声で。前髪がぐしゃぐしゃになるのも厭わず、相手の肩に押し付けて。 )

…………、ギデオン、さん、だけにしか、知られたくなかったのに。
でも、出来るだけ大事にならない様にしてくださったんですよね、ありがとうございます……、はやく、
……早く、ギデオンさんのものにしてね……?


  • No.694 by ギデオン・ノース  2023-12-16 11:07:42 




ああ、今からでも……と。
言いたい……ところだな……

(相手の弱々しい恥じらいぶりを、よしよしと頭を撫でて慰めていた矢先。最後に付け加えられた殺人的な一言に、思わずたまらなさそうに呻く──いつものお決まりのパターンだ。よって、その後もやはり同じ。己の太い腕を回しかけ、相手を横からぎゅうぎゅうと、目いっぱい抱きすくめる。羞恥に火照っているヴィヴィアンの体温、このぽやぽやした温かさがたまらない……なんて、相手をぬくぬく堪能しながら。吐息混じりにのっそりと返したのは、なかなかに不甲斐ない台詞だ。──今夜はただでさえ疲れがたまっていたところだし、相手の反応も、想定よりずっと落ち着いていて安堵した……そのせいか。既にとろりと瞼を閉ざしているように、忍び寄ってきた眠気を追い払えそうにない。
しかし別に、それだけが理由というわけでもないのだ……本当だ、と。「一緒に悦くなるには、もう少し慣らしておかないと……」「そもそも、退院してからまだ二ヵ月も経っちゃいない……」等々。相手の旋毛に唇を寄せながら、あれこれ言い訳を挙げ連ね。しかし結局最後には、「……それでも、じきに……貰うとも……」と、愚直すぎる野心まで、馬鹿正直に打ち明ける始末だ。──あなたならいい、あなたのためなら。これまで何度だって、可愛い恋人からそう云われてきた。その責任はいずれしっかりとってもらうし……ギデオンの方もまた、相応の責任をきっちり負う腹積もりでいる。……ああ、そういえば。ヴィヴィアンと暮らすこの家ではなく、敢えてギルドの私書箱宛に出してもらうことにした手紙に、「来週末には」と書かれていたっけな……と。そこでふと、アイスブルーの目を薄く開き。その華奢な背中を撫でさすりながら、腕の中の恋人を見下ろす。もしも相手が、その気配を感じとってか、こちらを無邪気に振り仰いだなら。そのあどけない顔を数秒眺めて、ふ、と幸せそうに微笑み。まろい額にキスを落として、また優しく抱きしめるだろう。)

……なあ、ヴィヴィアン。今夜は……

(……今夜はこうして、喋りながら寝ることにしないか。珍しくギデオンの方から、そう素直に甘えてみせたのは……全てはそう、眠気のせいだ。ギルドでも、クエスト先でも、ラメット通りでも、ギルバートの前でも……来たるべき。その日のときも。相手が惚れてくれた大人の男の顔を、きちんとしてみせるから。だから今夜だけはまだ、「おやすみ」を言い交わして、帳を下ろしてしまいたくない。己よりずっとうら若い恋人にそう強請り、それからしばらくの間、互いにしか聞こえぬほどの小さな声でひそひそと囁きあえば。……程なくして、相手を優しく撫でる手を止め、先に寝息を立てはじめたのは、果たしてどちらだったろう。気づけばふたりとも、ひとつのデュベに仲睦まじくくるまって。月明かりの差し込む下、温かい手を握り合いながら、すやすや眠り込んでいた。)


(かくして、怒涛のドラゴンから一夜明け。カラドリウスの歌声と共に、また新たな朝がやって来る。しゃきっと元気を取り戻してギルドに出勤した二人は、しかしまたすぐ、ギルドの奥の応接室に呼び出されることとなった。……昨日の件でギルドに呼び出されていた、ヴィヴィアンの父ギルバートの元に。なんと王国議会の官僚が、わざわざ訪ねにきたというのだ。
如何にも切れ者という顔つきをした、四十代半ばほどのその男曰く。──今朝早くにガリニア大使館から、「ギルバート・パチオを我が国に戻らせろ」と、相当におかんむりな怒鳴り込みがあったそうだ。なんでも今、帝国側の魔導学院が、ギルバートの置き土産のせいで大変なことになっているらしい。詳しく聞くに、どうやらかの機関は、彼の弾丸帰国を聞きつけた途端、ならば尊重無用とばかりに、構内にある彼の研究室を暴きにかかった。……そして当然、研究守秘の目的でガチガチにかけられていた魔法陣が発動し、惨事を引き起こしたとのことだ。とはいえこれは、帝国の研究者は皆やっている工夫であり(向こうは学界での政治闘争まで激しく、自衛が当たり前の文化である)、何もギルバートが奇人というわけではない。それにどちらかと言えば、ギルバートの組んだ陣を一向に解き明かせない向こうの学者が、皆間抜けという話になる。とはいえ、帝国はメンツ主義。“わざわざ招聘してやったのに、勝手に帰国し、挙句こちらの顔に泥を塗ってきた”として。ギルバート・パチオに対し猛烈に怒り、奴を寄越せと要求しているのだ。
行けば当然危険である。それに、ギルバートにも言い分がある。向こうの魔導学院は、トランフォードからの手紙を長らく握り潰していた。問い質したとてしらを切るだろうにせよ、それは明確な政治的工作。そして他にも……単にこの件が最後の決め手だっただけで、以前からも本当に、いろいろと酷い仕打ちが度重なっていたそうだ。
それはこちらも把握しております、と官僚は苦々しく言った。──しかしこれは、少しでもたがえてしまえば、国事に至る事態なのです。支援は手厚くいたしますので、どうかご理解いただきたい。……それにあなたも、向こうのご本家にまで累が及ぶのは、決して得策ではないでしょう。
それを聞くなり、ギルバートの顔色が悪くなった。どうやらパチオ家は、この国の母体であるガリニア帝国の上流層に、元の血筋があるらしい。あの独立独歩を地で行くようなギルバートでも、人質に取られると弱ってしまうようなものが、愛娘のヴィヴィアン以外にあったのだな……という驚きはさておき。同席しているギルマスからも、責任は取りなさい、と言い添えられる。──本気であちらの学院を抜け出したいなら、相応の後始末はするべきでしょう。なに、こちらも散々迷惑をこうむったんです、やりたくないとは言わせませんよ。
ギルマスの言う“迷惑”とは、昨日出没したドラゴンのことである。あのエレンスゲはどうやら、ギルバートが連れてきてしまったものらしい。帰国時のどこかであの怪物の領空を犯し、それに怒り狂ったドラゴンは、空中に残るギルバートの魔素を執念深く追ってきた。そうして、ギルバートが一時野営した森に降り立ち、彼を探し回っていたのだ。──そしてギルバートの方も、理屈は全くわからないが、自分を負ったドラゴンが付近に来たことを察知した。それでギルドの監視を抜け出し、自分で落とし前をつけようと、冒険者たちより早く駆けつけていたわけである。ドラゴンの位置が推測より北上していたのも、ギルバートが人里から引き離してくれたおかげだった、というわけだ。
──そうだ、昨日のドラゴンの件然り。プライドの高いギルバートは、本来であれば、自分の招いた事態の始末を自分でつけたがる人間だ。そこにギルマスも官僚も、おそらく示し合わせたのだろう、鋭く漬け込むものだから。いろいろ弁を弄していたギルバートも、いよいよ首を縦に振るほかなくなったらしい。……せめて、と彼は弱々しく言った。出発する前に、せめて一度だけ、娘と食事をさせてくれ。……まだろくに、話ができていないんだ。
官僚は頷いた。今夕にでも宮殿の関係者室に顔を出し、そのまま翌朝出発してくれるなら、この後すぐに手配しましょう──まるでこの展開を読んでいたかのような、恐るべき仕事の速さである。一方、突然の事態、それも愛する父親がいかれる帝国に呼び出されていると知って、ヴィヴィアンは動揺している様子が見られた。故にギデオンは、ギルバートにも確認を取って(本人は非常に露骨に嫌そうな顔をしたが)、その食事会に自身も同席したいと言いだす。この話し合いに自分まで呼び出されたのは、おそらくこの動きのためだろう──こちらはギルマスの取り計らいだ。ヴィヴィアンを支えつつ、この機にギルバートと少しでも話しておくこと。これは何も、プライベートな意味だけではない。パチオ父娘の情報をいちばん近くで把握するのは、今後のカレトヴルッフの展望を左右する布石になり得る。……つくづく己の使える御人は、抜け目のないお方である。

そうして、その3時間後。官僚の乗ってきた黒塗りの高級馬車により、一同は政治家御用達の高級料理店に出向いた。随分な大盤振舞だが、「娘と美味い飯を食わせてやるから、やることしっかりやってこい」……という、国からの無言の圧力だろう。このテーブルの背後には、三つ揃えの背広を着た若い男が3人もついていた。彼らはギルバートのガリニア出向のサポートチームだそうで、どれも選りすぐりの人材らしい。彼らの護衛を受けながらガリニアに戻り、現地のトランフォード大使の後援を受けて、帝国の学院を正式に辞職する──これがギルバートの、これから為すべきことである。
とはいえ彼は、ギルバート・パチオという人間。ムール貝の身を取り出しながら、「ビビちゃん、後ろの妙な連中はいないものと思いなさい」なんて、何ら悪びれず宣う始末だ。それに対するヴィヴィアンは、顔色がまだ優れない。先日言っていたように、「パパときちんと話したい」のに、こんなにも急な展開……おまけに敷居の高い店で、複数の政府関係者に見られながらだ、無理もないことだろう。ちゃっかりとゲリュオン牛のフォアグラを堪能していたギデオンは、基本的には親子水入らずにさせようと様子を見ていたのだが。……ほどなくして、異端の天才として世界中で名を馳せているギルバートが、娘を前にした父親としては、壊滅的に口下手とみれば。「そうだ、ヴィヴィアン。カレトヴルッフに入ってからの、お前のいろんな活躍について。俺から親父さんに話しても?」と、あくまでごくさり気なく、会話の糸口に助け舟を出すことにして。
そうして、思えばあっという間に、別れを告げる時間となった。ギデオンとヴィヴィアンは乗合馬車でギルドに戻り、ギルバートとチームメンバーは、このまま公用車で宮殿に赴くのだ。最後はギデオンと男たちも、流石に少し身を引いて、遠くから父娘を見守った。ギルバートとヴィヴィアンは、そこでようやくほんの少し、本当の“親子水入らず”をすることができたようだ。話が終われば、男たちがギルバートの方に行き、ヴィヴィアンがギデオンの方に帰ってきた。彼女を優しく迎え入れ(本当はキスのひとつでも落としたいのを我慢して)、馬車に乗り込むギルバートを眺める。彼はすぐさま車窓を開けて、ヴィヴィアンを名残惜し気に振り返っていた。「……な? 言ったろう。親父さんは、今でもお前のことが大好きだよ」。恋人にそう囁いて。ふたりでそっと手を繋ぎ、遠ざかっていく黒い馬車を、いつまでも見送った。
──パチオ父娘を、ふたりきりにしてやる直前。ギデオンは、荒い息を吐くギルバートから、「僕のビビちゃんを絶対に泣かせるなよ……」と、酷く恨めし気に言いつけられた。……だがあれは、先日よりも少しだけ、自分のことを認めてくれていたような気がするが、はたして思い上がりだろうか。「すぐに帰って来るからな。絶対帰って来るからな!」と何度も息巻く魔法使いは、結局その言い草によって、ギデオンの決意をまたひとつ固めさせたのだ。次に帰国するときには、彼はもっとたまげる羽目になるだろう。呪われるかもしれないが──少しだけ、それが楽しみだ。思わず緩んでいた表情を、どうしたのと隣の恋人に問われれば。なんでもないさ、と今度こそ旋毛にキスを落とし。手を繋いだまま、ふたりでごくのんびりと、爽やかな夏空の下を歩き始めることにした。)





(──さて。あのときとは異なる時間、異なる場所で。ベテラン戦士のギデオン・ノースはその日、何とも深刻な問題に頭を悩まされていた。
事の発端は、数時間前まで駆り出されていたオーク狩りのクエストだ。森の中に棲みついている凶暴なグリーンオーク、そいつらを無事狩り尽くしたまでは良かった。問題はその後、帰りの道中に、悪戯好きなピクシーの大群が襲い掛かってきたことで。……基本的に冒険者は、ピクシーには反撃しない。それは彼らの正体が、洗礼を受けずに死んだ子どもの魂と信じられているからだ。だからギデオンたちは、きゃっきゃけらけらと楽しそうな小妖精どもを必死に掻い潜りながら、どうにか帰還したのだが。いくらなんでも、これは流石にやり過ぎだろう……と、鼻を抑えて嘆息する。ギルドロビーに入ってくる連中が、皆目をくわっと剥いてこちらを凝視してくるが、いちいち説明するのも飽きた。……ひと目見て、わかるとおりだ。
──金髪の頭に生えた、黒っぽい三角の耳。脚衣のすぐ上から垂れる、ふさふさした立派な尻尾。手の爪は太く鋭く伸び、指先と掌には黒い肉球がついている。極めつけに、顔の変化はないとはいえど、このあまりにも鋭敏な嗅覚。あのピクシーどもときたら、ギデオンとパーティーメンバーに──犬化魔法、なんてものをかけたのだ。
おかげで既に、臭い酔いが酷い。ジャスパーもレオンツィオも、早々に嘔吐して医務室に引き下がり。そこまではいかないアラン、セオドア、アリアでさえ、ロビーの端のテーブルにぐったりと突っ伏して、その目立つ尻尾も耳も、力なくしょげさせている。彼らの分の報告書を代わりに引き受けているギデオンも、胸のむかつきを抑えられない──辺りが臭くてたまらない。人間でいる時はさほど気にならなかったのだが、冒険者の野郎どもの汗や体臭、装備の臭いが、まさかこんなにも強烈なものだったとは。ギルドのカヴァス犬どもはよく平気だな、慣れの問題なのか……と顔を顰めながら、とにかく急いで書類仕事をやっつけにかかる。近場の別室でやればまだマシかもしれないが、己よりずっと若いセオドアとアリアが、緊急出動に備える義務できちんとロビーに留まっているのだ、自分だけ逃げるわけにはいかないだろう。とはいえ、これは……と。横髪をがしがし掻こうとして、己の変貌した爪を眺め、はあ、と深いため息を。とりあえず書き上げたひとつ目の書類を、カウンターにいるマリアのところへ持って行き。……非常~~~に白けた目つきをもって、無言で受領して貰えば、またすぐに“いつもの”柱のところに戻り、若手たちの書いた報告書を読み込みにかかるだろう。)



  • No.695 by ギデオン・ノース  2023-12-16 12:28:42 


※複数個所を修正しております、大意に変化はございません。



ああ、今からでも……と。
言いたい……ところだな……

(相手の弱々しい恥じらいぶりを、よしよしと頭を撫でて慰めていた矢先。最後に付け加えられた殺人的な一言に、思わずたまらなさそうに呻く──いつものお決まりのパターンだ。よって、その後もやはり同じ。己の太い腕を回しかけ、相手を横からぎゅうぎゅうと、目いっぱい抱きすくめる。羞恥に火照っているヴィヴィアンの体温、このぽやぽやした温かさがたまらない……なんて、相手をぬくぬく堪能しながら。吐息混じりにのっそりと返したのは、なかなかに不甲斐ない台詞だ。──今夜はただでさえ疲れがたまっていたところだし、相手の反応も、想定よりずっと落ち着いていて安堵した……そのせいか。既にとろりと瞼を閉ざしているように、忍び寄ってきた眠気を追い払えそうにない。
しかし別に、それだけが理由というわけでもないのだ……本当だ、と。「一緒に悦くなるには、もう少し慣らしておかないと……」「そもそも、退院してからまだ二ヵ月も経っちゃいない……」等々。相手の旋毛に唇を寄せながら、あれこれ言い訳を挙げ連ね。しかし結局最後には、「……それでも、じきに……貰うとも……」と、愚直すぎる野心まで、馬鹿正直に打ち明ける始末だ。──あなたならいい、あなたのためなら。これまで何度だって、可愛い恋人からそう云われてきた。その責任はいずれしっかりとってもらうし……ギデオンの方もまた、相応の責任をきっちり負う腹積もりでいる。……ああ、そういえば。ヴィヴィアンと暮らすこの家ではなく、敢えてギルドの私書箱宛に出してもらうことにした手紙に、「来週末には」と書かれていたっけな……と。そこでふと、アイスブルーの目を薄く開き。その華奢な背中を撫でさすりながら、腕の中の恋人を見下ろす。もしも相手が、その気配を感じとってか、こちらを無邪気に振り仰いだなら。そのあどけない顔を数秒眺めて、ふ、と幸せそうに微笑み。まろい額にキスを落として、また優しく抱きしめるだろう。)

……なあ、ヴィヴィアン。今夜は……

(……今夜はこうして、喋りながら寝ることにしないか。珍しくギデオンの方から、そう素直に甘えてみせたのは……全てはそう、眠気のせいだ。ギルドでも、クエスト先でも、ラメット通りでも、ギルバートの前でも……来たるべき、その日のときも。相手が惚れてくれた大人の男の顔を、きちんとしてみせるから。だから今夜だけはまだ、「おやすみ」を言い交わして、帳を下ろしてしまいたくない。己よりずっとうら若い恋人にそう強請り、それからしばらくの間、互いにしか聞こえぬほどの小さな声でひそひそと囁きあえば。……程なくして、相手を優しく撫でる手を止め、先に寝息を立てはじめたのは、果たしてどちらだったろう。気づけばふたりとも、ひとつのデュベに仲睦まじくくるまって。月明かりの差し込む下、温かい手を握り合いながら、すやすや眠り込んでいた。)


(かくして、怒涛のドラゴン狩りから一夜明け。カラドリウスの歌声と共に、また新たな朝がやって来る。しゃきっと元気を取り戻してギルドに出勤した二人は、しかし再び、ギルドの奥の応接室に呼び出されることとなった。……昨日の件でギルドに呼び出されていた、ヴィヴィアンの父ギルバートの元に。なんと王国議会の官僚が、わざわざ訪ねにきたというのだ。
如何にも切れ者という顔つきをした、四十代半ばほどのその男曰く。──今朝早くにガリニア大使館から、「ギルバート・パチオを我が国に戻らせろ」と、相当におかんむりな怒鳴り込みがあったそうだ。なんでも今、帝国側の魔導学院が、ギルバートの置き土産のせいで大変なことになっているらしい。詳しく聞くに、どうやらかの機関は、彼の弾丸帰国を聞きつけた途端、ならば尊重無用とばかりに、構内にある彼の研究室を暴きにかかった。……そして当然、研究守秘の目的でガチガチにかけられていた魔法陣が発動し、惨事を引き起こしたとのことだ。とはいえこれは、帝国の研究者は皆やっている工夫であり(向こうは学界まで政治闘争が激しく、自衛を講じて当たり前の文化である)、何もギルバートが奇人というわけではない。それにどちらかと言えば、ギルバートの組んだ陣を一向に解き明かせない向こうの学者が、皆間抜けという話になる。とはいえ、帝国はメンツ主義。“わざわざ招聘してやったのに、勝手に帰国し、挙句こちらの顔に泥を塗ってきた”として。ギルバート・パチオに対し猛烈に怒り、奴を寄越せと要求しているのだ。
行けば当然危険である。それに、ギルバートにも言い分がある。向こうの魔導学院は、トランフォードからの手紙を長らく握り潰していた。問い質したとてしらを切るだろうにせよ、それは明確な政治的工作。そして他にも……単にこの件が最後の決め手だっただけで、以前からも本当に、いろいろと酷い仕打ちが度重なっていたそうだ。
それはこちらも把握しております、と官僚は苦々しく言った。──しかしこれは、少しでもたがえてしまえば、国事に至る事態なのです。支援は手厚くいたしますので、どうかご理解いただきたい。……それにあなたも、向こうのご本家にまで累が及ぶのは、期するところではないでしょう。
それを聞くなり、ギルバートの顔色が悪くなった。どうやらパチオ家は、この国の父祖であるガリニア帝国の上流層に、大元の血筋があるらしい。あの独立不羈を地で行くようなギルバートでも、人質に取られれば己を曲げるほどの弱みが、愛娘のヴィヴィアン以外にあったのだな……という驚きはさておき。同席しているギルマスさえも、責任は取りなさい、と言い添えにかかる。──本気であちらの学院を抜け出したいなら、相応の後始末はするべきでしょう。なに、こちらも散々迷惑をこうむったんです、やりたくないとは言わせませんよ。
ギルマスの言う“迷惑”とは、昨日出没したドラゴンのことである。あのエレンスゲはどうやら、ギルバートが連れてきてしまったものらしい。帰国時のどこかであの怪物の領空を犯し、それに怒り狂ったドラゴンは、空中に残るギルバートの魔素を執念深く追ってきた。そうして、ギルバートが一時野営した森に降り立ち、彼を探し回っていたのだ。──そしてギルバートの方も、理屈は全くわからないが、自分を追ったドラゴンが付近に来たことを察知した。それでギルドの監視を抜け出し、自分で落とし前をつけようと、冒険者たちより早く駆けつけていたわけである。ドラゴンの位置が推測より北上していたのも、ギルバートが人里から引き離してくれたおかげだったのだ。
──そうだ、昨日のドラゴンの件然り。プライドの高いギルバートは、本来であれば、自分の招いた事態の始末を自分でつけたがる人間だ。そこにギルマスも官僚も、おそらく示し合わせたのだろう、鋭く漬け込むものだから。いろいろ弁を弄していたギルバートも、いよいよ首を縦に振るほかなくなったらしい。……せめて、と彼は弱々しく言った。出発する前に、せめて一度だけ、娘と食事をさせてくれ。……まだろくに、話ができていないんだ。
官僚は頷いた。今夕にでも宮殿の関係者室に顔を出し、そのまま翌朝出発してくれるなら、この後すぐに手配しましょう──まるでこの展開を読んでいたかのような、恐るべき仕事の速さである。一方、突然の事態、それも愛する父親が怒れる帝国に呼び出されていると知って、ヴィヴィアンは動揺している様子が見られた。故にギデオンは、ギルバートにも確認を取って(本人は非常に露骨に嫌そうな顔をしたが)、その食事会に自身も同席したいと言いだす。この話し合いに自分まで呼び出されたのは、おそらくこの動きのためだろう──こちらはギルマスの取り計らいだ。ヴィヴィアンを支えつつ、この機にギルバートと少しでも話しておくこと。これは何も、プライベートな意味だけではない。パチオ父娘の情報をいちばん近くで把握するのは、今後のカレトヴルッフの展望を左右する布石になり得る。……つくづく己の仕える御人は、抜け目のない方である。

そうして、その3時間後。官僚の乗ってきた黒塗りの高級馬車により、一同は政治家御用達の高級料理店に出向いた。随分な大盤振舞だが、「娘と美味い飯を食わせてやるから、やることしっかりやってこい」……という、国からの無言の圧力だろう。このテーブルの背後には、三つ揃えの背広を着た若い男が3人もついていた。彼らはギルバートのガリニア出向のサポートチームだそうで、どれも選りすぐりの人材らしい。彼らの護衛を受けながらガリニアに戻り、現地のトランフォード大使の後援を受けて、帝国の学院を正式に辞職する──これがギルバートの、これから為すべきことである。
とはいえ彼は、ギルバート・パチオという人間。ムール貝の身を取り出しながら、「ビビちゃん、後ろの妙な連中はいないものと思いなさい」なんて、何ら悪びれず宣う始末だ。それに対するヴィヴィアンは、顔色がまだ優れない。先日言っていたように、「パパときちんと話したい」のに、こんなにも急な展開……おまけに敷居の高い店で、複数の政府関係者に見られながらだ、無理もないことだろう。ちゃっかりとゲリュオン牛のコンフィを堪能していたギデオンは、基本的には親子水入らずにさせようと様子を見ていたのだが。……ほどなくして、異端の天才として世界中で名を馳せているギルバートが、娘を前にした父親としては、壊滅的に口下手とみれば。「そうだ、ヴィヴィアン。カレトヴルッフに入ってからの、お前のいろんな活躍について。俺から親父さんに話しても?」と、あくまでごくさり気なく、会話の糸口に助け舟を出すことにして。
そうして、気づけばあっという間に、別れを告げる時間となった。ギデオンとヴィヴィアンは乗合馬車でギルドに戻り、ギルバートとチームメンバーは、このまま公用車で宮殿に赴くことになる。最後はギデオンと男たちも、流石に脇に身を引いて、父娘を見守ることにした。ギルバートとヴィヴィアンは、そこでようやく、本当の“親子水入らず”をほんの少しできるわけだ。話が終われば、男たちがギルバートの方に向かう代わりに、ヴィヴィアンがギデオンの方に帰ってきた。彼女を優しく迎え入れ(本当はキスのひとつでも落としたいのを我慢して)、馬車に乗り込むギルバートを眺める。彼はすぐさま車窓を開けて、ヴィヴィアンを名残惜し気に振り返っていた。「……な? 言ったろう。親父さんは、今でもお前のことが大好きだよ」。どこかおどけたように、恋人にそう囁いて。こっそり手を絡め合わせ、遠ざかっていく黒い馬車を、いつまでも見送った。
──パチオ父娘を、ふたりきりにしてやる直前。ギデオンは、荒い息を吐くギルバートから、「僕のビビちゃんを絶対に泣かせるなよ……」と、酷く恨めし気に言いつけられた。だがあれは……気のせいだろか。先日よりも少しだけ、自分のことを認めてくれていたように思う。「すぐに帰って来るからな。絶対帰って来るからな!」と何度も息巻く魔法使いは、結局その言い草によって、ギデオンの決意をまたひとつ固めさせたのだ。次に帰国するときには、彼はもっとたまげる羽目になるだろう。呪われるかもしれないが──少しだけ、それが楽しみだ。思わず緩んでいた表情を、どうしたのと隣の恋人に問われれば。なんでもないさ、と今度こそ旋毛にキスを落とすと。手を繋ぎながら、ふたりでごくのんびりと、爽やかな夏空の下を歩き始めることにした。)





(──さて。あのときとは異なる時間、異なる場所で。ベテラン戦士のギデオン・ノースはその日、何とも深刻な問題に頭を悩まされていた。
事の発端は、数時間前まで駆り出されていたオーク狩りのクエストだ。森の中に棲みついている凶暴なグリーンオーク、そいつらを無事狩り尽くしたまでは良かった。問題はその後、帰りの道中に、悪戯好きなピクシーの大群が襲い掛かってきたことで。……基本的に冒険者は、ピクシーには反撃しない。それは彼らの正体が、洗礼を受けずに死んだ幼子の魂だと信じられているからだ。だからギデオンたちは、きゃっきゃけらけらと楽しそうな小妖精どもを必死に掻い潜りながら、どうにか帰還したのだが。いくらなんでも、これは流石にやり過ぎだろう……と、鼻を抑えて嘆息する。ギルドロビーに入ってくる連中が、皆目をくわっと剥いてこちらを凝視してくるが、いちいち説明するのも飽きた。……ひと目見て、わかるとおりなのだ。
──金髪の頭に生えた、黒っぽい三角の耳。脚衣のすぐ上から垂れる、ふさふさした立派な尻尾。手の爪は太く鋭く伸び、指先と掌には黒い肉球がついている。極めつけに、顔の変化はないとはいえど、このあまりにも鋭敏な嗅覚。あのピクシーどもときたら、ギデオンとパーティーメンバーに──犬化魔法、なんてものをかけたのだ。
おかげで既に、臭い酔いが酷い。ジャスパーもレオンツィオも、早々に嘔吐して医務室に引き下がり。そこまではいかないアラン、セオドア、アリアでさえ、ロビーの端のテーブルにぐったりと突っ伏して、その目立つ尻尾も耳も、力なくしょげさせている。彼らの分の報告書を代わりに引き受けているギデオンも、胸のむかつきを抑えられない──辺りが臭くてたまらない。人間でいる時はさほど気にならなかったのだが、冒険者の野郎どもの汗や体臭、装備の臭いが、まさかこんなにも強烈なものだったとは。ギルドのカヴァス犬どもはよく平気だな、慣れの問題なのか……と顔を顰めながら、とにかく急いで書類仕事をやっつけにかかる。近場の別室でやればまだマシかもしれないが、己よりずっと若いセオドアとアリアが、緊急出動に備える義務できちんとロビーに留まっているのだ、自分だけ逃げるわけにはいかないだろう。とはいえ、これは……と。横髪をがしがし掻こうとして、己の変貌した爪を眺め、はあ、と深いため息を。とりあえず書き上げたひとつ目の書類を、カウンターにいるマリアのところへ持って行き。……非常~~~に白けた目を向けられながら、無言で受領して貰えば。またすぐ“いつもの”柱のところに戻り、若手たちの書いた報告書を読み込みにかかるだろう。)



  • No.696 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-17 17:28:45 




ギデオンさん!! ご無事でs──……?

 ( 依頼に戻ったヴィヴィアンに、その一方が届いたのは、依頼から戻った彼女が、ギルドのシャワー室から上がってすぐのことだった。午前中丸ごとラタトスクの捕縛に、キングストンを駆け回り。やっと東広場まで追い詰めたかと思えば、往生際の悪い悪戯者が、噴水のオブジェのその上によじ登ろうとするものだから、最後はずぶ濡れでの捕物劇から戻って四半時。──あ、ビビはもう聞いた? ギデオンのこと、仕事中に大変な目にあったって、今ロビーにいるわよ。そんな巧妙に笑いを噛み殺した、魔法使いの真剣な表情に騙されて、医務室ではなくロビーにいる時点で大事でないことは分かるだろうに。愛しいギデオンの一大事に、いちもにもなく飛び出せば、背後から響いた吹き出すような音には気づかなかった。
そうして、息を切らしながらギルドロビーに駆け込めば、黒く大きな三角の耳と、ふさふさの尻尾を不機嫌に揺らす恋人の姿に、ビビの大きな目が益々大きく丸く見開かれる。よく見ると爪も少し鋭くなったような……って──えっ、依頼中に大怪我したっ……とは、言って、なかったか、そっか。と、次第に己の早とちりにじわじわと気が付きながら、そのあまりに予想外な光景に瞬きをして。それでもその瞳に、面白がるそれよりも心配の光が優るのは、その真面目な性格ゆえだろう。心配すればいいやら、無事を喜べばいいやら、人間、一瞬で感情が180度近く振れるとフリーズするもので。色々な感情で渋滞を起こしたビビの後頭部で、未だしっとりと乾ききらぬ巻き毛がくりんっ、と間抜けに揺れる。とりあえずは急を要さなそうな雰囲気にほっと息をつきながら、体調に影響は無いのかだとか、いつ戻るのかだとか、諸々気になる質問をしようと。それと同時に適当にまとめた髪を結び直すべく、しゅるりと解きながらおずおずと近づいて。 )

……お疲れ様です、それは、一体何が……?


  • No.697 by ギデオン・ノース  2023-12-18 00:17:59 




(ぴくん、と真っ先に反応し、くるりとそちらを向いたのは、毛並み豊かな三角耳だ。次いでその下のギデオン自身も、手元の書類から顔を上げた。非常に険しく狭まっていたはずの目許は、そこにいるのが恋人だとわかるなり、わかりやすくしゅるんとほどけ。己の後ろの大きな尻尾が、無意識に大きくゆらゆら揺れ出すのにも気づかないまま。投げられた問いに答えるべく、「ああ、ヴィヴィアン。それがな……」と、ごく理性的に応じかけた、その時だ。
それまでのギデオンは、ロビーに充満する饐えた悪臭に、あまりにも耐え兼ねて。片手の拳で己の鼻を、きつく押さえ込んでいた。それを下ろしてしまえばどうだ──開放されたギデオンの鼻腔に、暴力的なほど優しい香りが、たちまちふわあと押し寄せて。甘く清らかなホワイトムスク、洗いたての髪の香り。毎晩のように堪能している、己の恋人、ヴィヴィアンの匂い。たとえ平時でさえ、ギデオンの思考力を容易く奪ってしまえるそれを。束ねていたのを解いたことで、より一層濃厚なそれを。今のギデオンが──普段の数千倍もの嗅覚を持ってしまったギデオンが、少しも耐えきれるはずもなく。)

………………

(──気がつけば。大きく一歩踏み出し、相手の細い手首を引いて。ギデオンは真正面から、相手の首元にその鼻先を埋めていた。普段から散々“バカップル”と揶揄われているものの、普段の常識的な彼であれば、流石に人前でここまでの行為には及ばないはずである。それが今や、有無を言わさずといった様子で──或いは、人間から動物に退化したかのような、原始的な様子で。堂々と相手に溺れ、すりりと鼻を擦りつける始末だ。いつもの妬み嫉みの目で事態を眺めていた野郎どもも、流石にごふっと激しく噎せこみ、ぎょっとした目でまじまじ見つめ。カウンターにいた事務員たちも、それはもう鮮やかな二度見三度見をしてしまう──常識人代表ことマリア・パルラの反応は、もちろん言わずもがな。しかし当のギデオンといえば、相手に心底癒されるというように、震える息を吐きだしながら。何かしら反応されれば、わかっているのかいないのか、両の犬耳をぺしょんと伏せて、弱々しく懇願し。)

……ピクシーに……やられたせいで……辺りの臭いが……酷くてな……
悪いがしばらく……こうさせてくれないか……



  • No.698 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-19 13:29:37 




…………、

 ( この場で改めて言うまでもなく、ビビはあまり犬という動物が得意では無い。その上、相手が好き好んでなった訳でもない姿を、笑ったり喜んだりしたら悪いと思う気持ちは確かにありはするのだが。此方を見つけた瞬間、嬉しそうに尻尾を振り出す恋人に絆されない人間が、果たして存在するものだろうか。思えば、緩みそうになる表情をなんとか律して、心做しかいつもよりあどけない様子で、此方へと語りかけてくるギデオンに──うん、どうしたの? と、身を乗り出しかけたこの時点で。この先の展開、ヴィヴィアンが、犬化したギデオンに何をされても強く怒れない命運など決まりきっていたようなものだ。 )

ひゃっ……!?
ギデオンさ、だめっ……こんな人前でっ、

 ( その証拠に、突如強く腕を引かれて、乗り出した身体のバランスを崩し硬い胸板へと飛び込めば。ギデオンによるとんでもない暴挙にさえも、拒絶する声のあまりに説得力のないこと。その聞く方が恥ずかしくなるような甘ったるさに、それまで未だ、二人の体勢に気がついていなかった者たちの視線まで、余計に周囲の関心をかき集めてしまえば。ぺしょんと垂れた素直な耳の形が、完全にトドメとなって、ビビの中で"絶対ギデオンさんを守るモード"のスイッチがONに切り替わる。相手は子供でもなければ、先程まで一人仕事さえしていたという情報など、最早全く意味をなさない。そうか……見た目だけじゃない、こんなところにまで影響があるのか。可哀想に、人間の数千倍とも言われる犬の嗅覚だ、どれだけ辛いだろう。この可愛い恋人を前にして、ぎょっとした目で此方を伺ってくる周囲の視線など、微塵も優先する気にならず。しかし、ヴィヴィアンは構わなくとも、( ビビ関連に至っては既に手遅れ気味ではあるが )ギデオンの名誉には良くなかろうと、「このまま歩ける?」とそっと優しく柱の陰のベンチへと誘導しては。見回してみれば、ギデオンの他にもちらほら同じ状況に陥っている仲間達の姿も垣間見えるが、皆立派な大人なのだ。──それぞれ各自勝手に乗り切るだろうと、ギデオンを前にすると案外ドライな思考を切り替え。未だビビを離したがらない相手にゆっくり向き直ると。もしかすると聴力も敏感になっているのではあるまいかと、金色の頭を優しく撫でながら大きな耳に唇を寄せると、二人にだけ聞こえるような囁き声でそっと伺ってみて、 )

……ギデオンさん、ベンチ、座れます?
匂い、ですよね……、んー、辛いねぇ……。
──午後、どうします? お仕事に影響にある魔法災厄なら、有給でおうち帰れますよ。ここよりは少しマシだと思うんですけど……いっしょに帰る?



  • No.699 by ギデオン・ノース  2023-12-20 13:41:03 




(相手に促されるがまま、死角のベンチに座ったまでは良かったものの。今度はこれ幸いとばかりに、己の膝に相手を乗せ、伸びた爪で傷つけぬよう、その柳腰に手を回し。よりぴったりと密着し、可愛い恋人の甘い香りを存分に吸い込み始める有様だ。──にもかかわらず、ごく優しく注がれる、恋人の問いかけに。三角耳をぴくり、と動かし、僅かに顔を上げ、視線を中空に定めれば。挙げられた提案を、しばしぼんやりと思案する様子を見せた末──目を閉じ、ぴたりと耳を伏せて。相手の肩口に埋めた顔を、如何にも“嫌だ”と言わんばかりに、左右に振って擦り付ける。次いでその喉からも、普段とはやや響きの異なる、どこか獣じみた唸り声を。)

……帰らん。そんなことで半休は使わん。
いざというときのお前の看病とか……一緒に魔導家具を見に行くとか……休日を合わせて小旅行に行くとか……ほかにもっと、有意義な使い道があるだろう。

(「それに、若い奴らも頑張って残ってる。なのに年輩の俺が帰るなんてのは……」云々。まったく、理性が残っているんだかいないんだか。体面のことにちゃんと考えが及ぶのであれば、もっと他に気にすべき部分があるだろうに。そこのところは一向に改善する気配のないまま、相手に深く顔を寄せ。ベンチの座椅子と背もたれの間の隙間に垂らした尾を、ゆらゆら、ゆらゆら、大きく振り続けていた、その時だ。
「まったく、寝惚けた真似をしおって……」と、呆れた声を投げかける者がいた。奥の医務室から出てきたらしい、ギルド専属のドクターである。手には何やら食べ物の匂いがする盆らしきものを持っていて、ギデオンは一瞬ぴくりとそちらを見たが、“ヴィヴィアンに比べれば取るに足りん”とでも言わんばかりに、また相手の首元に己の顔を埋めてしまった。それに再び溜息をつきながら、老爺は相手に向き直り、「これを食わせろ」と、気になる盆の中身の披露を。──どうやら、柔らかく煮潰した干し肉を、苦い薬草を混ぜ込んで団子にしたものらしい。「こいつはな、鋭くなり過ぎた嗅覚を鈍くする作用がある。反対に、体表変貌の促進……まあ、偽の毛皮が生えやすくなるって副作用があり得るんだが、臭い酔いに比べりゃあマシだろう。どのみちどっちも、即日か数日以内に消え失せる症状だ。だからビビ、こいつをそのアホタレに食わせて、いい加減目を覚まさせてやれ。わしは他の奴らを見てくる」……そう言って、薬包紙に乗せた肉団子を、相手の掌の上に委ね。今回ばかりはいつもの野次馬でなく、純粋な心配からふたりの様子を覗き見ていた冒険者たちを、「ほれほれ、散れ暇人ども」と、追い払いに行くだろう。)



  • No.700 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-20 18:11:07 




──そっかぁ、そしたら一緒に頑張りましょう!
私も協力しますから……で、も! ギデオンさんの不調だって、"そんなこと"じゃありませんから、本当に辛かったらちゃんと言うこと!

 ( ぺたりと倒れたヒコーキ耳に、くしゅくしゅと押し付けられる凹凸の深い顔面。グルグルと身体に響く唸り声すら愛おしくて、寄せられた頭に此方も頬を擦り付けると。ぎゅっと強く抱き締め返して、頭、項、そして周りとは少し質感の違う毛が生えた耳の付け根をクシクシと柔らかく撫でてやる。こんな時まで責任感溢れるところも、非常に魅力的ではあるのだが、無理は絶対にして欲しくない。そう心配そうな表情で、よしよしと相手に言い聞かせ──いいですね? と、青い目と目を合わせ、頷かせようとしたその矢先。協力すると言ったからには、まずはこの鋭い嗅覚だけでもどうにかしてやらねばと対策を考えていたところへ、背後からかかった呆れ声に振り返れば。今日も今日とてだるそうに、尖った顎を突き出す年嵩の魔法医が目に写って。その言葉が、目先の辛さを軽減してやりたいばかりに、患者の拘束から抜け出せない位置に収まった自分に言われているような気がして、気まずそうに首を縮めながら、ホカホカと湿った薬包紙を両手で受け取ると。魔法にかかって犬化した彼らが、まず鋭敏になった嗅覚に苦しむなど、自分は今ギデオンに訴えられて初めて気づいたというのに、この魔法医の経験豊富で、ぶっきらぼうながら患者思いなところが、魔法医として尊敬し、「格好良い、大好き……」なのだと、お礼とともに呟けば。「……上司、上司としてだってハッキリ言わんかい」と、相変わらず人の好意に嫌そうな顔をしてくれる御仁だ。不機嫌そうにそそくさと離れていく細い背中に、──そんなパパじゃないんだから。ギデオンさんだってこんなことじゃ怒らないのに、とクスクス笑って振り返れば。愛しい相手の辛さを減らせる嬉しさに、満面の笑みを浮かべて、まだ暖かい薬包紙ごと、その10cmほど下に零さないよう手を添えると、ギデオンの前に肉団子を差し出して。 )

わぁ! 美味しそうですよ、ギデオンさん!
これで楽になるって、良かったですね……お口、空けられますか? ……はい、あーん、


  • No.701 by ギデオン・ノース  2023-12-21 12:01:12 




(相手の朗らかな声かけに、しかしながら。対面するギデオンは、黒い犬耳を真後ろにぴたっと寝かせ、眉間と鼻筋に皴を寄せて──不機嫌な顔を、露骨に真横へ逸らしていた。相手が口元に肉団子を運ぼうにも、唇を堅く結び、目を合わせようにも合わせない。だからといって、何事か尋ねたところで、「…………」とだんまりさえ気込め込んでしまう。──だからこそ、音が目立つ。ぴしゃっ、ぴしゃっ、と。毛筆を強く打ち鳴らすような妙な音に、視線を足元に下げてみれば。それは、先ほどまでご機嫌に揺れていたはずのギデオンの尻尾が、八つ当たりめいたリズムで、床を強く打っている音なのだ。
やがてわふん、と。いったいどこから鳴らしたのか、口を閉じたまま不満げな息を漏らしては。相手が片手に持った団子を無視して、金色の頭を彼女の肩にぐりぐりと擦りつけ。そうして密にかき抱いたまま、ギデオンは動かなくなってしまった。ヴィヴィアンに何か言われても、ぐるるる……と、雷雲にも似た低い唸りを返すのみ。エントランスの方が急に騒がしくなって、クエスト帰りの連中が汗だくで帰還すれば、刺激臭が鼻を刺したのだろう、高い鼻先をヴィヴィアンの髪束の中に、さっと潜り込ませる有り様だ。──そんなに臭いが強いなら、さっさとドクターのくれた薬団子を食べてしまえばよいものを。彼女に再び促され、ようやく少し顔を上げるも。差し出された肉団子を至近距離からじっと眺め、躊躇いがちに口を開ければ……鼻だけでなく、咥内のほうでも、団子に隠された苦い風味を感知してしまったらしい。ぱくん、とあからさまに口を閉ざし、相手の華奢な肩に頭を埋めて、嫌そうな唸り声を響かせる。犬になったベテラン戦士は、どうにもご機嫌斜めのようだ。だがそれは、どちらかといえば──自分自身を気に入らないがゆえなのだ。
ギデオンとて、本当はわかっている。己のこのつまらなぬ嫉妬が、いつぞやの冬の焚火の傍よろしく、すぐに見抜かれてしまうことを。自分の人間として至らぬところが、世界のだれより良く見せたいはずの相手の前で、丸裸になってしまうことを。……とはいえ相手は、当時以上に、ギデオンと親密にしてくれているはずだ。これ以上「愛情表現が足りない」と不満がるのは、それは度が過ぎるというものだろう。それに、それに……四十にもなった男のくせして、若い恋人が他人に向けたちょっとした言葉ひとつで、こんなにも臍を曲げる。それがどれほど幼稚で見苦しい事か、自覚がないわけじゃない。第一、職場でこんな戯れを強いている時点で、全く理性的、常識的と言えないし。なまじ周知の関係である以上、下手すれば、相手も処分に巻き込みかねない。そうだ、全部全部、頭の奥底ではきちんとわかっているのであって──しかし今の、動物的な後退をきたしてしまった精神が。自分の番の言う「格好良い、大好き」が、己の腕の中にありながら他の雄に向けられたこと……それを押し流してくれない。本能的に、相手の首に軽く噛みついて戒めたくなってしまうのを、どうにか人間の理性で抑え込むことに必死で。そうして表に現れるのが、如何にも不機嫌なこの面と、相手を離さぬ大きな体躯。そして、ふわりと逆立ちながら床を打ちまくる尻尾……というわけらしい。)



  • No.702 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-24 14:08:14 




ギデオンさん……?
これもそんなに嫌な匂いしますか……?

 ( それは名実ともに、愛しいこの人の物へとなる前のこと。はっきりとカーティスへの敵愾心を見せつけられた前回とは違い、身も心も疑いようも無いほどお互いの色に染まり合って。尚収まりきらぬ、溢れんばかりの感情を、相手に受け止めて貰っているつもりの今だからこそ、まさか相手がまだそれを過剰どころか、不足に感じているなど、不機嫌の原因に思い至るまで、少々時間がかかってしまう。仕方なく、ぷいとそらされてしまった表情の原因を手元のそれへと結びつけ、小さく尖った鼻先をふんふんと震わせれば。鈍い嗅覚に、羊ベースのブイヨンが程よく香ったところで、やっと。鎖骨に響いた不満げな唸り声に、ギデオンの不機嫌、その原因に気がついて。
そうして、拗ねたように打たれる尻尾にも気づいてしまえば、不遜な態度をとりながらも、ビビをがっちり捉えて離さない高めの体温が、もう心底愛おしくって堪らない。──んっ、ふふ…ふ、と耐えかねたように肩を揺らして、「ごめんなさい、ごめんなさいったら、もう、あんまり可愛いんですもの」と、一層低く響いた唸り声に、此方からも強く相手を抱き締め返すと──さて困った。こんなにも深く愛しているのに、まだ足りないだなんて、どうやって伝えたなら良いだろう。よしよしと丸い背中を撫でながら、「ギデオンさんだけなのに、」と、せめてもの利子に旋毛、生え際、耳の付け根……と唇を寄せて。実際、だんまりの恋人と、手元の肉団子を交互に見遣れば。ほっそりと白い手首に、黄金の肉汁が垂れた瞬間が契機だった。肘まで汚しそうな雫をぺろりと舐めて、「ん、やっぱり美味しいですよ」と青い瞳へ視線を合わせれば、そのままギデオンの唇に吸い付いて、香り高い口腔をたっぷりと堪能させることしばらく。お互いの味しかしなくなった口内にゆっくりと離れて、「──……すごい。牙まで生えてるんだ」と、濡れた唇を楽しげに歪めれば。
この時、迂闊な言質を与えてしまったビビの瞳に映っていたのは、本能のままに此方へ縋る幼気で、守り慈しむべき対象だった。 )

ほら、美味しかったでしょう?
だから残りもちゃんと……そうだ、ご褒美があったら頑張れますか?
なんでもひとつ……私に出来ることですけど、お願い聞いてあげるから、ね、あーんって……


  • No.703 by ギデオン・ノース  2023-12-25 13:00:10 




………………

(獣に成り下がる魔法というのは、かかってしまった本人を随分素直にするらしい。それまでのわかりやすすぎる不機嫌はもちろんのこと──そこから一転。愛しい恋人から存分に、慈愛たっぷりに構って貰えば、それからのギデオンは、いともすんなり大人しくなってしまった。床に当たり散らしていた大きな尻尾は、ふわ……と静かに動かなくなったし。真後ろに倒した耳も、ぴくぴくしながら立ったかと思うと、やがては心地よさそうに、今度は真横に寝転ぶ始末。険で尖っていたはずのアイスブルーの双眸も、長い長い口づけからようやく顔を離した後には、とろりと穏やかに凪いでいて。そしてその眉間にも、鼻梁にも、皴はすっかり見当たらない。寧ろ完全に、あどけなくなったとすら思うような顔つきである。
故に、相手に促されれば。再三差し出された肉団子に、ぴくん、と反応し、しばしぼんやり見つめた末。その(無駄に良い)顔を寄せ、軽くその匂いを嗅いで──そこじゃなかろうに、まずは相手の細い手首をぺろぺろと舐めてから。そのまま相手の掌に顔を付す形で、ギデオンはごく従順に、団子をはぐはぐ喰らいはじめた。その様子は傍から見れば、逞しいベテラン戦士が、膝上に抱えた乙女に餌付けされている光景なのだが……幸いここは柱の陰。故に安心しきった様子で、いつもは見えない犬歯をちらと覗かせながら、ひと欠片も残さず平らげる。そうして口の周りをぺろりと舐めると、ほんのちょっと顔をしかめ、「……確かに美味いが。やはり苦いな、」なんて、子どもっぽい感想を。それから、胃が動き出すまでのもうしばらくは構わんだろうと言わんばかりに、膝上の相手を抱き直し。再び肩口に顔を埋めたその下、ベンチの隙間から見える尻尾は、すっかりゆらゆらと心地よさげ。──いつものギデオンなら即もたげるだろう、不埒な類いの欲望も、しかし。動物化がまだ抜けず、おまけに彼女手ずからものを食べさせてくれた今となっては……何と完全に、純然たる食欲と甘えたさに負けたようで。)

……褒美……褒美は……お前の美味しい料理がいい。
今年のクリスマスは……お前の焼いたチキンが食べたい。ふたりで、家で……ゆっくりしながら。……いいだろう……?



  • No.704 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-26 22:46:38 




──……キレイに食べていいこね。苦いのはよく効く証拠ですよ。

 ( 掌に寄せられていた顔が離れて、それまできゃあきゃあと擽ったさに捩っていた身体を正面に戻すと。ピンク色の舌を覗かせたギデオンが、あまりにあどけなく見えたものだから、ついつい向ける眼差しが、言の葉が、それに相応しいものへと変化する。そうして、ビビのお願いに素直に頑張ってくれた恋人の鼻が楽になることを願って、その高い鼻へと労いの唇を軽く落とすと。再び鼻をくっつけてくる甘えたに、彼が正気に戻ったその時に、今日の振る舞いを思い出して不安になることが無いように。願わくば──もっと普段から甘えてもいいのだと、聡明な相手が気づけるように。ビビからも強く暖かく抱きしめ直すと、汚れてしまった手を洗いに行くのはあとにしよう。先程までギデオンが喜んでいた触れ合いを、再びその美しい毛並みや、薄い肌に落としながら、小指側の手の脇で相手の背中を広くさすれば。ゆらゆらと小さく揺れながら、ギデオンのお願いにくすくすとしっとり喉を鳴らして、 )

……チキンがいいの? ふふ、もちろん、いいですよ。
お肉屋さんに行く日は早く起こしてね 一番若くて立派な一羽を丸ごと買わなきゃいけないから。
味付けは……そうだ、お庭のローズマリー、そろそろお家に入れてあげたいんです、霜が降りたら可哀想だから……

 ( そうして二人、途中で色の変わった不格好な柱のその影で、来る冬の支度に何気ない会話を交わすことしばらく。時折、気遣わしげに此方を覗いてきたり、うっかり通りがかってしまった仲間たちに、静かな目配せをしながらも、そろそろ薬も効いてくるだろう頃合に、相手の様子を伺おうと腕の力を緩めれば。家に帰らず頑張ると言ったのは、他でもないギデオンだ。思わずこちらまで癒されることとなった体勢から、名残惜しい体温からそっと身体を起こそうとして。 )

──……ん、そろそろ、お鼻のご調子はいかがですか? お仕事頑張れそうですか?



  • No.705 by ギデオン・ノース  2023-12-27 17:08:32 




ん……ああ、おかげでだいぶ良くなった。
世話を……かけた、な……

(──あれからどれほど長い間、彼女に甘えていたのだろう。語らいとも微睡みともつかぬ、穏やかなひとときを過ごしたのちに。ギデオンはようやく、のっそりと顔を上げた。その面差しは、未だぼんやりと夢うつつではあるものの。目の前にいる恋人が、相も変わらず慈愛に満ちたまなざしをくれていることに気がつけば、幸せそうに口元を緩め。切り替えるように頭を軽く振り、確かめるように辺りを見回す。そうして、いよいよ復帰するべく腰を上げる、その前に。相手の献身的な介抱に対して、当然の礼を伝えようとした──その時だ。
「……!?!?!?、」と。心優しいヒーラー娘を乗せたままの戦士の体が、やけにぎこちなく、あからさまにがたついた。思わず周囲を二度見三度見し、言葉を失したその顔は、間抜けなほど呆然としている。相手の読み通り、ギデオンの嗅覚は、すっかり狂いがなくなったのだが……それでようやく、我を取り戻したらしく。この状況がおかしすぎることに、今更ながら気がついたようだ。
「……ヴィヴィアン。まさか……ここは……ギルド、なのか……?」と。あまりにもな確認に、相手がそうだと答えても、未だ信じられない様子で固まっていたギデオンだが。廊下の向こうからひょいひょいやってきたベテラン仲間の数人が、こちらをちらっと見たものの、さして気にせず──もう見慣れた光景と言わんばかりに──通り過ぎていくのを見れば、嫌でも理解するほかなかった。肉球のついた片手で思わず顔をがっつり覆い、深々と項垂れて。「わ、るい……悪い。本当にすまない……。なあ、あの、俺は……どのくらい……こうして……?」と、心情がありありと滲む呻き声を絞り出す。
──自業自得の社会的恥辱に打ちのめされた衝撃は、それはもう凄まじい。しかしそれ以上に、理性が戻ってきたからこそ、きちんと気がつくものもある。今のこの位置取り、相手の受け答えの様子、朧気ながら残っている記憶の数々。そして何より、さっきのあいつらの様子からして。己の恋人──否、この場合は“相棒”が、きっとこれ以上ない配慮を施してくれたのだ。故に、今一度心の底から、「ありがとう……」と、先ほどより一層しみじみした謝意を述べ。ようやく少し態勢を直し、どうにかいつも通りの自分に戻ろうと言を繰るものの。やはりまともに目を合わせられず、きまり悪そうなその横顔は、らしくもないほど真っ赤な色で。)

……、残りの……仕事に……行ってくる……
帰りは、そうだな……今日の具合だと、おそらく真夜中くらいだろうから。先に食べて……休んでてくれ……



  • No.706 by ヴィヴィアン・パチオ  2023-12-29 08:44:24 




……?
魔法で状態異常だったんですから、寧ろ頼ってもらわないと困ります。

 ( 相手にかけられた魔法には、記憶を薄れさせるような効果まであったのだろうか。愕然と周囲を見渡すギデオンを、あくまで心配そうな表情で覗き込めば。顔を隠して項垂れてしまった相棒に、ふっと柔らかく笑いかける。このままもっと甘え上手になってくれれば──……なんて、そんなに上手くはいかないか。「(時間も)そんなに長くないですから、落ち込まないでください」と、ぺしょりと垂れてしまった耳に、微笑ましい笑みが漏れそうになるのを必死で堪えて。その硬い膝からぴょこりと降りれば、確かにそろそろ午後の仕事に取り掛かるには丁度良い時間だ。
ビビとてラタトスクの一件について、盛大に街中を騒がせて回った始末sy……もとい報告書を提出せねば、いい加減カウンター越しの視線が痛いし。色んな意味で気乗りしない書類仕事に、午後を頑張る栄養を補給するべく、恋人の完全無比の美貌を拝めば、恥ずかしそうに赤められた頬の破壊力の高いこと。あまりの可愛さに耐えかね元気いっぱい飛びつけば、此方へと差し出されていた頬へとちゅっとリップ音を響かせて。 )

──……こんなに可愛い人置いて寝てろなんて!
美味しいご飯用意して待ってますから、できるだけ早く帰ってきてね?

 ( ぎゅうと相手に抱きついたまま、固い胸板に頬擦りをして、上目遣いにおねだりすれば。待っていると宣言したからには、自分の仕事が長引いてしまっては仕方ない。 今度こそぱっと身体を翻し、何度も何度も相棒の方を振り返っては、手をひらひらと振りながら、自分の仕事へと戻っていって。
そんな数刻の宣言通り、仕事を終えて帰ってきたギデオンを出迎えたのは、まるで帰ってくる時間が分かっていたかのように揺れる白い煙と、赤いエプロンを翻し飛びついてくるヒーラー娘で。 )

ギデオンさん!
おかえりなさい、お疲れ様です。



  • No.707 by ギデオン・ノース  2023-12-31 03:02:22 




──……、

(見事なほど呆気にとられたギデオンが、数瞬の硬直の後、ようやく何かしら言おうとするも。直前の擦りつきから一転、相手はぱっと、跳ねるように体を離し。その妖精の如く軽やかな動きで、頭上の赤い布耳をぴょこぴょこと揺らしては、何度も何度も名残惜し気に振り返りながら、気づけばとっくに立ち去っていた。後に残っているのときたら、犬耳の四十男の、春風に化かされたような間抜け面だけである。
「………」と、再び顔を覆ってから、柔らかいため息をひとつ。脇に置いていた書類を拾って、ようやくベンチから立ち上がった。今はもう、鼻が歪むような思いはしない。ごく普通に、楽に呼吸をしていられる。しかしこれは、何もドクターの薬団子だけでなく。己の可愛い恋人、彼女の温くて柔らかい躰を、存分に抱きしめて過ごせたからなのだろう。無論、それをギルドでやらかしたのが大問題ではあるのだが……過ぎたことは仕方がないから、仕事ぶりで取り返すべく。頭を振り、それまでの雑念をきっぱりと打ち捨てて。ギデオンもまた、午後のロビーの陽だまりのなかへ歩きだすことにした。)

(──さて、それからの数時間。見た目と手元の変化以外は、取り立てて困ることなどなかった。書類仕事の途中に何度か、昼間のヴィヴィアンとの様子を眺めていた野郎どもから、面白おかしく揶揄われる一幕こそあったけれど。あれはどちらかというと、ギデオンの体面を慮っての振る舞いだ。故にギデオンの方もまた、今後1週間ほどは、朝のロビーで飲んだくれている野郎どもをとやかく言わないことにした。……背後の受付カウンターにいるマリアの視線が、既に背中に突き刺さってやまないにしろ。男には男の付き合いというやつがあるのだ、仕方ないだろう……と。そうやって一時の裏切りの道を選んだ──その報い、なのだろうか。
更に時が経ち、夜半過ぎ。ギルドを引き上げたギデオンは、ようやくラメット通りの自宅に帰り着いた……は、いいのだが。ぱたぱたぱた、と可愛らしく駆け寄ってくる足音の主を、しかしいつもの幸せそうな顔で受け止めることはなく。「……ただいま、」と応えてから、帰宅のキスを相手に落とすも、引き上げたその顔は非常に微妙な面持ちである。……またもや、ひと目見てわかるとおりなのだ。
今のギデオンは、愛用しているワインレッドのシャツと、その下に着る薄い肌着を、何故か片腕に引っ掛けているのだが。何かあったのか、とその胸元を確かめてみればどうだ。申し訳程度に羽織っている革の上着、そのすぐ下は……もふもふと柔らかそうな真っ白い犬の毛に、すっかり覆われているではないか。目線を下に下にさげても、臍の下までふさふさしたまま、おそらくはズボンの下、爪先までこうだというのが見てとれることだろう。どうやら、今夜のたった数時間のうちに。ギデオン本来の人肌が、また随分と様変わりしたらしい。
「……美味そうな匂いだな、」と。相手の反応より早く、疲れた声でいつもどおりを装いながら。まずは己の上着を脱いで、玄関先のフックに掛け、相手を伴って家の中へ歩き出す。リビングの灯りにさらけだされたその上半身は、幅広い肩や大きな背中に至るまで、やはり見事にもっふもふである。……それに、よくよく観察すれば。なんとその掌まで、より犬の足先のそれっぽくなったらしい。ギデオン自身もしかめ面で、にぎにぎと片手の動作確認を見下ろしながら、ソファーの辺りで立ち止まれば。シャツと肌着を肘置きにかけ、どっかりと腰を下ろす。そうして背もたれに体を預け、目を閉ざして天井を仰ぎながら、困ったようなぼやき声を。)

……ドクターの説明を、俺はすっかり忘れてたんだが。こんな風になったのは、ピクシーの魔法と、昼間に貰った薬団子の副作用……その両方の影響らしい。
健康上問題はないそうだが……こう、なあ。自分の身体が大きく変わるってのは、結構変な気分なもんだ……



  • No.708 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-03 09:04:36 




……あ、ごめんなさい。
あの時もう一度伝えておけば良かったですね、驚いたでしょう。

 ( あの時、肉団子を食べた前後のギデオンは、確かに記憶を混乱させていた。それまで恋人の帰宅に綻ばせていた表情を、相手の身体に毛が生えた瞬間の動揺を思ってしょんぼりと力なく凹ませれば。ソファの背面に回って、ぐったりとうなだれた頭を抱き締める。そうして、「ドクターが、明日か明後日には治るって」「治らなくても私が治しますから」「だから、怖くないですからね」と、美しい旋毛や耳元に唇を寄せれば。「ちょっと待っててくださいね」と、キッチンに戻って一杯の器を持って引き返したのは、暖かく美味しい食事が、何より相手を力付けると信じ込んでいるからで。普段であれば、仕事帰りに早く食べたいとせっつく相手を、無理やり浴室に追いやるところも、今はまず疲れた相棒を癒してやりたい。そんな、ごくごく当然といった表情で、そのズボンの下までモフモフの膝に腰掛け、もっと座りやすくしろと無言の尻圧で空けたスペースに、ふふん、と満足気におさまれば。相手と同じ高さになった目元を和やかに細めて、器の中身を披露する。丁寧に裏漉しされたキャベツやじゃがいも、そんな優しい色のスープに見え隠れするのはゴロゴロ大きな肉団子。その一口かじれば、じゅわりと溢れ出す肉汁と軟骨の食感がこりこり楽しい団子をすくえば、ふうふうと少し冷ましてから、ギデオンの口へと差し出して。 )

今日は特別、お風呂の前にちょっと味見してくださる?
味覚も敏感になってるだろうから、普段より薄味にしてみたんですけど……どうですか?
もうちょっと濃くても良いかなあって思ってるんですけど……


  • No.709 by ギデオン・ノース  2024-01-03 21:54:48 




ああ、いや、すまない。別におまえのせいじゃ……

(献身的な恋人のしょげたような声を聞き、反射的に口を開く。相手の非など何ひとつない──寧ろこれだけで済んだのは、彼女とドクターのおかげだろう。しかしその訂正も、結局最後まで続かなかった。背後からそっと抱きしめられ、その柔らかい唇をあちこちに寄せられた途端。いつもの真面目顔がふわりとほどけ、まだ残っている犬耳までとろんと垂れて……素直に、“待て”に入ったのである。
キッチンに向かった相手の背中を、そのまま肩越しにじっと眺め。ソファーの上に乗せた尾の先をゆらゆら小ぶりに揺らすうちに、やがて彼女が戻ってきた。手元の椀からは白い湯気、おそらくスープの類いだろうか。てっきり隣に腰掛けるものと思っていたギデオンは、相手が堂々と膝に乗り上げ、寧ろ“もっと奥に動いて”と言わんばかりにぐりぐりしてくるものだから、可笑しそうに喉を震わせ。栗毛に唇を触れて、お気に召すよう体勢を変え、腕の中にすっぽりと収めると。ギルドの連中が見れば憤死しそうな距離感で、まずは夜食に歓声を上げる。──如何にも舌触りの良さそうなポタージュは、食材を丁寧に丁寧に裏漉しすることで辿りつける、目にも優しい若葉色。そのなかに浮かぶ大きな大きな肉団子を、相手の匙で差し出されれば。目元を綻ばせながら、鋭い犬歯の生えた口を、大きくぐぁりと開けてみせ。)

──ん……んん……ふ、これは……たまらないな。
軟骨の……触感が……ん、それに、これは……団子が痩せないように、粉をつけて焼いてあるのか。刻み玉ねぎは……ああ……今の俺がこんなだから、避けてくれたんだな。念のために。
このくらいの薄味も、素材の味が生きていて好きだが……多分まだまだ、濃くして平気だ。どうせなら一緒に美味しく食べられるくらいがいい……お前の腕に任せるよ。

(ポタージュの染みた挽肉を頬張り、柔らかく噛み砕くうちに。最初に思わず零れたそれは、幸せによる笑い声だった。
──ヴィヴィアンが己のために料理を作ってくれるのは、遡ればいつかの冬、まだ交際を始めてもいなかった(……と、当人たちだけが本気で思い込んでいた)ころに遡る。最初のそれは温かなポトフで、その目を瞠るような美味しさに、ギデオンはいたく衝撃を受けた。……自分で言うのも憚られるが、我ながら舌は鋭いほうだ。それは幼少期の母が、毎日のように良いものを食べさせてくれたことに始まり。独立後、例のあの事件で一時転落するまでの間、王都で生まれる様々な美食に親しんでいたからである。素人にしてはやけに肥え太った舌を、それこそプロの料理人である、知人のニックも頼るほどで。逆にその分、そこらの屋台飯に満足できないことも、表に出さないが珍しくもなかった。そんな己を、ヴィヴィアンは、ありあわせという食材だけで唸らせてみせたのだ。決め手に違いない隠し味を、思わず真剣に訊ねれば。『……あのね、世界で一番大好きな人に食べてもらえるから、たっっっぷり込めた愛情のおかげかも』。その答えを、数十年前の母とほとんど同じ台詞を聞いて以来、ギデオンはもう、ヴィヴィアンの料理が忘れられない体になった。この味を知らぬ頃には、もう二度と戻れなかった。──そして、今。その世界で唯一の味を、こうしてギデオンのためだけに調整し、味見と言って彼女手ずから食べさせてくれる。何なら肉団子にしてくれたのは、昼間に薬入りのそれを食べ、内心不服に思っていたのを──料理のようで料理でないのが正直むず痒かったのを──察していたからに違いない。口直しをさせてくれたわけだ。裏漉しという調理方法にしろ、今起こっている歯の変化を考慮してのことだろうし。そもそもこの時間は、普段ならば相手はとっくに寝入っている頃合いで、帰りの遅いギデオンのために待っていてくれたのだった。──そういった背後の諸々までわかっていれば、このポタージュを幸せに感じないわけがあるだろうか。ギデオンにとっては誇張抜きに、この世で最高の味だった。一刻も早く、たっぷりと味わわなくては。
──故に。「風呂上がりにこいつが待ってるのか、五分で済ませてこないとな」と。名残惜し気に頭を擦りつけてから、彼女を下ろして立ち上がると。シャワー室に向かったギデオンは、毛だらけの不慣れな体をしっかり洗い、バスタオルを掻き込んだ。それでも湿り気の取れない部分は、ヴィヴィアンの許可のもと、髪を乾かす魔導具の温風で、ふわふわに乾かして。──そうして今一度食卓につき、今度こそ夜食に浸る。餐の供はヴィヴィアンの話だ。本日のラタトスク狩りの面白おかしい大騒動、その顛末を、ふんだんな身振り手振りで聞き知り。ところどころ、相手を揶揄ったり、むくれられたり、褒めたり、手と手を絡め合ったり。そうするうちに職業柄、真面目な討伐案についても話を広げていっていると、あっという間に深夜帯だ。明日は二人とも少し遅い出勤だが、これ以上夜更かしするのは得策ではないだろう。くぁり、と牙を見せつけるような大あくびをひとつ。皿や調理器具の片づけを任せる間に(何せ今は手もおかしいので、いつもどおりとはいかないのだ)、身嗜みや明日の準備を済ませ、寝室のクローゼットから余分な上掛けを持ってくると。至極当たり前のような顔をして、相手の旋毛にキスを落とし。)

それじゃ……抜け毛が酷いかもわからないし、俺は今夜はここで寝るよ。おやすみ。




  • No.710 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-05 12:59:45 




 ( ぐわり、と縦に開く大きな歯列。ビビが小さく割って食べる団子を軽く一呑みにする豪快な顎と、逞しい喉元。今日はそれに加え、鋭い牙も微かに覗く口元に、ビビは何度観ても心底惚れ惚れと見蕩れてしまう。その当人であるギデオンの、素人とは思えぬ的確なアドバイスに、先程よりも少し塩気とハーブを加えた黄緑のスープがみるみると減り、あっという間に鍋の底を尽く光景が心底幸せで。少しの眠気も相まって、その晩のビビはふにゃんと蕩けた笑みをずっと浮かべていた。しかし、牙が引っかかるのか、ギデオンの口に少しついたスープを拭ってやったり、申し訳なさそうに片付けを頼んでくる、ぺたんと垂れた耳を撫で回したり。相手にとっては不本意極まりないことだろうが、普段強情な相手が此方へと甘えてくれることが何より嬉しくて、この人のためなら何でもしてあげたいという気持ちに上気せあがっていた頭へと、いきなり冷水をぶっかけたのもまた愛しい愛しい恋人だった。──こんな寒い冬の日に、一人リビングで寝るなんて。相変わらず、自分を粗末に扱う相手に、それまでずっと眉尻を下げ、ぽやぽやと緩んでいた桃色の表情が、すっと悲しげな色に変わる。分厚い毛皮があるとはいえど、それだって早朝に治るかもしれないし、そもそもそういう問題じゃないのだ。ビビにはとことん甘い恋人に、自分がここでヤダヤダと駄々を捏ねれば、寝室に誘導することは決して難しくないだろうが。しかし、それではこの不器用な恋人は、自分を大切にする術を学べぬまま、ビビが居なくなればまた自分を粗末にするに違いない。そう旋毛に落とされた柔らかい感触に、まずはゆっくり頷いてから、特に無理強いするでもなく一歩下がれば。その選択は相手にして欲しくて、あえて強引な二択を迫る。それでも相手が誇示する様なら、寸前までハンドクリームをこねていた手元をゆったり広げ、ふわもことした寝巻きが飾る優美な曲線を相手の目の前に差し出すだろう、 )

……そっか、おやすみなさい。
でもギデオンさん、明日は久しぶりにとってもよく晴れるんですって……今晩はこんなに寒いのに。
ねえ、寒い中ひとりで寝るのと……それとも。明日の午前中いっしょに毛布を干して、明日もポカポカなベッドでいっしょに寝るの、どっちが良いと思います?
……ね、おいで。


  • No.711 by ギデオン・ノース  2024-01-06 04:32:50 




……、

(ヴィヴィアンが示してきたふたつの選択肢を前に、ギデオンの瞳が揺れる。その物言いこそ恣意的であれど、最終的にはギデオン自身に委ねてくれているものだから。思考停止したように、ぎこちなく固まりながら。困惑したように目を細めたり、躊躇いがちに薄く口を開いたり。相手に一歩近づこうとしたか、或いは背を向けようとしたか……どちらともつかず身じろぎしては、再び根が生えたように立ち尽くす。その様子はまるで、迷子になった子どものようだ。
──別に、大した話ではない。ここにあるソファーで眠るか、上階のベッドで眠るか。ただそれだけの、ごく些細な、暮らしのなかにありふれた二択を迫られているだけのこと。仮に独り寝を選ぶとして、相手の言うほど寂しい話でもないと、ギデオンは今も本気で思う。今夜は冷えると言ったって、今はこうして上半身裸でいるように、毛皮のおかげで軽く凌げそうであるし。それにもし、抜け毛がデュベに絡みつけば、洗濯の手間が生じてしまうはずだ。単に面倒なだけではない、それだけふたりの時間が減ってしまう……のんびり寛ぐような時間が。なら、余計な家事を減らすに越したことはない。であるからして、単に合理的に考えただけ。状況に合う方法を選ぼうと思っただけだ。それを実際、躊躇いがちに口にする。自分に言い聞かせるように。
けれどそれでも、それを押し通すまではいかない──ヴィヴィアンの問いかけのせいで、何かがぐらついてしまっている。飼い主の元にすぐ駆け寄れない犬のように、ギデオンはまだしばらく、「……」と静かに硬直していた。耳も尾も、ぴくりとも動かない。酷く頼りなげに揺れ動くのは、アイスブルーの双眸だけ。……ソファーか、ベッドか。その二択の間に横たわる、目に見えない、小さいけれど深い溝。それを飛び越えるのが──欲を出すのが、怖かった。それに慣れていないから。否、この半年で素直に貪欲にやってきたつもりが、まだまだだと教えられて、大いに狼狽えてしまっているから。
……目の前の、ヴィヴィアンを見る。優しいエメラルド色の瞳。ギデオンの答えを待ち望んでいる瞳。──ふたりで過ごすほうが、より幸せになれるとしたら。貴方はどうするの。どちらのほうが、良い答えだと思うの。その問いをもう一度、胸の内で聞いたならば。)

…………。

(……やがて。ごくおずおずと、未だ躊躇するように、尾の先を脚の間に仕舞いながら。それでも一歩踏み出して、相手に身を寄せ、唇を近づけ。「聞き方が狡いんだ……」と、参ったような囁きを落とす。耳はすっかり垂れているし、けれどもそのふさふさのしっぽだけは、相手が優しく触れてきたなら、またゆらゆらと、本人の素直な感情をバラしてしまうことだろう。──ああ、くそ、と。至極決まり悪そうに、悔しそうに、ふたりにとって意味ある言葉で言い返しながらその白い手をそっと絡め取り、すべらかな肌を親指の腹で撫で。まろいおでこに、すり、と鼻梁を擦りつける。──誤魔化しようが、なさ過ぎた。)


俺がこんな風になってくのは、完全に……お前のせいだ。
……責任は、取ってもらうぞ。



  • No.712 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-07 19:37:10 





 ( 躊躇いながらも、こちらの腕の中を選んでくれたくれた相棒に、うふふ、と酷く満足気喉を震わせると。いい子いい子とその広い背中を撫でさする仕草は、まるで勝利を確信していたかのように、余裕に満ち溢れて見えたかもしれないが。しかし、本当は心の底からほっと安堵に占められていて。相手の頬へと向けようとしていた掌を絡め取られたかと思うと、近づけられた美しい顔に、娘の首があどけなく縮こめられる。なんたって、ギデオンが漏らした言葉の意味は、誰よりビビが一番深く知っていて。その深い深い愛情に、嬉し恥ずかしといった様子で、ぽふりと豊かな白い毛の海に顔を埋めてしまえば。その柔らかな毛並みをくぐもった笑みで湿らせたかと思うと、すぐさま真っ直ぐに見つめ返して、「……もちろん、」光栄です──と続けようとした取り澄ました言葉も、「ギデオンさん、好き……大好きよ」「ずっっっと、いっしょにいてね」と、追いすがって来た強い感情に、かき消されてしまう。こうして、少しずつでもギデオンが、自分を大切にする術を覚えてくれるのが嬉しくて、星の散った大きなエメラルドを幸せいっぱい細めれば。再度、暖かな胸板に身体を寄せ、甘えきった様子で上目遣いにおねだりするも、相手がそれを叶えるべく合わさった掌を離そうとすれば、分かりやすく寂しそうに、その手を相手の頬へと伸ばすだろう。 )

……ね、ベッドまでギデオンさんが連れてって?



  • No.713 by ギデオン・ノース  2024-01-09 20:05:27 




──……お姫様の、仰せのままに。

(一度そうすると決めたなら、後はわりと思いきりよく開き直るギデオンだ。毛並みの良い三角耳で、彼女の愛らしい要望を、ぴくんと確かに聞き取れば。片眉をぐいと上げ、如何にも意味ありげな目で相手を見下ろし、気障ったらしい返答を。もはやすっかりいつもの、おどけるときの澄まし顔──今しがた、別に俺は何ともありませんでしたよ、そう言いたげな面である。
それを相手にくすくすと笑われただろうか、或いは余裕たっぷりに慈しまれただろうか。とにかく、手に持ったブランケットで相手をくるみ、その長い脚をさらりと掬って、軽々と抱き上げれば。リビングを出る間際、燭台の灯りの傍に相手を寄せ、代わりにふうと吹き消して貰う。──これは、ふたりがこの形で寝室に向かうときの、お約束の流れだった。仕事柄、共に過ごせぬ夜もあるからこそ、ふたりならではのこういう些細な儀式すら、大事にしたくなるものである。途端に暗くなる室内、薄闇に紛れて相手の額にキスを落とせば。「階段を踏み外すと危ないから、そっちからは駄目だぞ」「こら」なんて、意地悪を言いながら、ゆっくり寝室に上がっていき。
──彼女が洗い物をする間、ヴィヴィアンはこっちで寝るからと、寝室の暖炉の火を先に小さく熾していた。その甲斐あって、室内は既に暖かく、僅かなオレンジ色の光にちらちらと照らされていて、実に心地よさそうだ。その中央に構えたベッドに、相手をそっと横たえると、自分も横に滑り込み。相手を抱き込もうとしたところで、微かな冷気にふと、大窓の方を振り返る。ガラス戸はちゃんと閉まっていたが、防寒仕様のカーテンが少しだけ間をあけていた。そこから、ちらほら、しんしんと──今年初めての雪が見える。ふ、と緩んだ呼吸を吐き、相手にも見えるように毛並み豊かな体をどけ、ふたりでのんびり眺めては。穏やかな声を落とし、相手のほうを振り向いて、その頭をまた大事そうに撫でることしばらく。不意にその手を止めたかと思うと、そんなわけでは有り得ないのは重々わかっているだろうに、揶揄うように唸ってみせて。)

……そういや、斧使いたちが言ってたな。山越えできずにとどまってた雲が、夜の間に雪を降らして行くかもしれないとかなんとか。おまえがこの寒い日に、噴水に飛び込んだなんて聞いたときには心配したが……明日じゃなくてまだ良かったよ。
……ああ、そうか、もしかすると。俺を湯たんぽ代わりにするために、こうしてここに引きずり込んだな?



  • No.714 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-11 02:13:03 





 ( 舞い散る雪に輝いて、温かな肉球にうっとりと細められていたエメラルドが、ギデオンの冗談に一瞬大きく見開かれると。白い手に隠された桃色の唇が、くすりと楽しげに歪められる。
──湯たんぽ扱いではなく、自分自身が求められている、と。そう確信して疑わなくなった恋人が愛おしくて。うつ伏せでシーツに肘をつき、上半身を少し起こした体勢のまま、慈愛に満ちた視線をギデオンの方へと投げかければ。何となしに合った視線に、どちらからともなくリップ音が微かに響いた。そうして、深夜に2人、シーツの上で、まるでこちらが仔犬のように、ころりと腹を見せて転がれば。揺れる尻尾へと手を伸ばし、フサフサと触れる感触を楽しみながら、思わせぶりに視線を伏せると。気恥しそうに染まった頬を、雪明りに淡く浮かび上がらせて。 )

……湯たんぽ。とは、思ってなかったですけど、別の下心はちょっとだけ……あった、よ?

 ( 音を吸収する雪が、今年も静かな季節を連れてくる。暖かな部屋に、パチパチと火が爆ぜる小さな音と、布が擦れる音だけがやけに大きく耳につき。柔らかな腰を相手に重ね、どさくさに紛れて冷えきった足を相手のそれへと絡めれば、ちょうど顔のあたりにふわっふわの白毛が触れて。思わず同じ石鹸の香りが、その下の、確かに違う香りを引き立てるそれへと、うっとり顔を埋めてしまう。そうして、そこで深い呼吸を繰り返すこと暫く、相手の(己よりも幾許か細い気がしてならない)臀部へ、するりと指を這わせれば。尾の付け根で、ぴたりと両手を止めたかと思うと。豊かな胸毛の間から覗く大きな瞳は、とろりとすっかり蕩け切っている。──分かっているのに止められない。そんな、ピクシー達による悪戯による純粋な被害者であるギデオンに、こんなことをお願いすることへの罪悪感。寧ろそれ以上の邪な念は感じさせない、おずおずとしたおねだりのその通り。もし相手から許可が下りれば、普段とは変わってしまったその部分だけを、丹念にもふもふと堪能するのだろうことは、想像に難くないだろう。 )

その……大きな耳も、尻尾も。ギデオンさんに生えてると可愛いな、って思うの。
ごめんなさい、ずっと我慢してたんですけど……触って、みたくて…………おねがい……だめ、……?



  • No.715 by ギデオン・ノース  2024-01-11 14:33:58 




(“別の下心はちょっとだけあった”。そう聞かされた瞬間にぴたりと固まってしまったが、果たしてこれは、男の愚かさだけが悪い話と言えるだうか。先ほどまで余裕ありげに緩んでいたギデオンの表情は、相手のあどけない口調と、それにそぐわぬ薫り高い色気にやられ、見事に宇宙色の混乱を描きだす始末である。……ヴィヴィアンの純真無垢と、無垢ゆえの貪欲さ、どちらも知っているからこそ、判断がつきかねた。そんなこちらに気づいているのか、いないのか。或いはこの薄闇のなかだから、こちらが上手く隠し通してしまえるのか。恋人はこちらにすり寄り、逃さぬように足を絡め、胸元の毛皮に深々と顔を埋めて、何やら堪能しはじめていた。酷く満足気に躰を弛緩させる様子が、人肌の温もりを通じて、こちらまでじかに伝わる。ああ、なるほど、これは……そうか。こう、なんだ、たぶん、どうやら、俺を愛玩したかっただけの話らしい。そう結論付けようとしたギデオンのなけなしの理性を、しかし彼女の天然が、無事でおかせる筈もなく。
白魚の指が、するり、と毛皮越しにそこを這う。その微かな、だが余計に敏感にならざるを得ない感触に、再びギデオンの息が止まる。……流石に思わず、背筋の辺りをそわつかせながら、相手を見下ろしてみればどうだ。相手はとろんと蕩けきった目つきで、甘いお菓子を乞う子どものようにねだってくる有り様だ。──どこまでも幼気な、穢れなき欲求。それを湛えたエメラルド色の瞳を前に、「……、」と押し黙らざるを得なくなったギデオンは、それ以上自分の馬鹿な狼狽えようを見られたくなくて、ただ相手の後頭部に手をやり、胸元に軽く抱き寄せる。何も言わないが、決して否定することもしない、つまりはそういうことだ。果たして、胸元の毛を吐息で湿らせた相手が、嬉しそうに尻尾の毛を愛ではじめれば、最初こそギデオンも、ただ好きなようにさせてやっていたものの。……そのじっとした横顔に、まずい、変な気分になってきたぞ、と、一抹の焦りが滲みだす。自分の愚かな勘違いが発端ではあるだろうが……本来あるはずのない神経をつうと撫でられると、こう、どうにも、無視のし難い感覚が立ち昇ってしまうのだ。ぐるる、と耐えかねたように唸りそうになるのを、胸を大きく上下させる深呼吸でどうにか打ち消しにかかるものの。体はいかんせん正直で、相手が妙なまさぐり方をするたびに、ふさふさした大きな尻尾が、びく、びくびく、と勝手に持ち上がってしまう。鳩尾辺りから湧く感触は、ギデオンの知らぬ回路を伝って、ふさふさしたしっぽの根元から先の方へ、波のような揺らぎを勝手に引き起こしてしまう。いや……いや、なんだ、何なのだこれは?
(一周回って腹が立ってきたぞ)と、相手から見えないように逸らしたギデオンの横顔が、不穏な境地に至りはじめた。今日は元々、何事もなければ、ヴィヴィアンをまた夜の楽しみに誘う予定だった。それがピクシーどものせいで大変な一日になり、流石にこの爪、この体では、いつも通りに及ぶのは危ういからと……密かに諦めていたのである。なのに現状はどうだ。いつもとは違う体を、こうして相手に存分に与え、わけのわからん責め苦に苛まれている。……なら自分だって、本格的にまではいかずとも、彼女の体を与えられてもいいではないか。耳を愛でられ始めたところで、きっぱりそう開き直ると、不意にその肉厚な上体を、衣擦れの音とともに起こし。相手がこちらを窺う間、しかしうんともすんとも言わずに、薄闇のどこかにじっと視線を定めたていたかと思えば。次の瞬間、斜め横から相手の上に首を屈め、その桃色の耳を甘噛みする。傷つけぬ程度の力加減、しかしいつもと違う歯は、相手の肌にどう働いたろうか。何度も何度も、唇と牙で小さな可愛い耳を食み、それだけでは物足りなくなれば、いつもよりざらついた舌を犬のように使いだす。仮に相手が藻掻いても、もふもふした腕や胴体で、ごく柔く──本気になれば逃げられる程度に──閉じ込めてしまう始末。ほんの少しだけ溜飲を下げたところで、欲の滲んだ掠れ声を、その耳元に吹き込んで。)

──ずっと、我慢してたんだ。……頼む、いいだろう……?



  • No.716 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-13 18:50:03 




我慢って……!

 ( 何を今更我慢など、普段からしたいようにしている癖にと。精一杯の渋面で、キッと恋人を睨んでやれば。ふうふうと上がった呼吸に、赤く染まった顔つきからも、先程までの無邪気な笑顔は消え失せ。体裁だけの顰め面の下、隠しきれない期待の色香が、艶やかに蕩けた翡翠を濡らしている。──ビビの耳など簡単に千切れるだろう鋭い牙に、日ごろ見蕩れて止まぬ頑丈な顎。しかしそれだけならば未だ良い。時折触れる柔らかな唇が、鋭い感触に構えた身体には酷く甘くて。思わず漏れそうになる吐息を必死で詰めれば、耳元で上がる水音に、本気で頭がおかしくなると思った。しかし、この恋人と来たら、こうしてビビの大好きな声で、低く切なく強請ってみせれば、全て許して、叶えてもらえると思っているのが──全くもってその通りなのだから、余計癪に触るというものだ。先程まで、溜まる痺れを逃がしてすら貰えなかった腰を重く上げ、こちらを見下ろす目元に吸い付けば、「……とくべつ、ですからね」と。明日もお仕事なんですから、いつもは駄目ですよ──と、いつも通り流されてやる振りをして、上半身を離すその間際。触れずとも明らかに敏感そう故に、逃がしてやっていた耳の中、その薄いピンク色の膜をぺろりと一舐めしてやれば、溜飲も少しは下がる気がした。
──本当に、本当に静かな夜だ。未だ綻びかけに在る蕾をゆっくり解す、その準備の音だけがやけに響いて。耳を塞いでしまいたいのに出来ないのは、その蕾を愛でるのが己の両手であるからだ。繊細な作業に向かない肉球の代わりに、これまで教えこまれた知識を追って、自分の良いように細い指を動かせば。成程、人が何かと消閑に耽る理由がわかってしまう。時折、こちらをじっと見下ろす相手の腕も使って、しかし、相手からは勝手に触れさせないのは、最初、いつも通りの触れ合いを持つ消極的なビビに、態とらしくその肉球を見せつけてきた意地悪への意趣返しだ。「駄目、見てて」「待て、」と繰り返しながら、次第に近づく感覚にぎゅっと強く瞼を閉じて。そこで初めてヒュオォ……と、遠くの風の音に気がつけば、不意に初雪の肌をくねらせ、高く掲げた腰がゆっくりと揺らめきシーツに落ちた。そうして、浮かんだ玉の雫を拭いながら、今度はギデオンの準備に取り掛かろうと。今度は、その意図をもって、触り心地の良い毛皮をつつ、と鎖骨からゆっくりとなぞっていけば。あるところでぴたりと引っかかった指先に、楽しげな吐息をくすりと漏らすと。長い腕をいっぱい広げて、抱きしめるようにして耳元で囁き返して、 )

──……! ……ちゃんと、いい子で待てたのね、
よくできました……どうぞ、
……いっっっぱい、めしあがれ、


  • No.717 by ギデオン・ノース  2024-01-14 00:12:18 




……ッ、

(相手が嫌とは言わなかったこの時点で、ギデオンは既に、今宵の自重の腹積もりなど、すっかり彼方に追いやっていた。胸の内にあるのはただ、その気になってくれた恋人を、くたくたになるまで愛でて……その後ふたりでたっぷり眠り、翌朝目を覚ました彼女に、真っ赤な顔でぽこすかと怒られる、そんな慢心に満ちた妄想だけ。しかしその程度の浅はかもの、たちどころに吹き飛ばされて当然だろう。……この半年間、彼女をじっくり開花させてきたのは、他でもないギデオン自身であるからだ。
初めはそうと気づかずに、いつものように優位を巡って戯れていたはずだ。己の犬耳に仕返しをされ、思わずぞくりと身を震わせれば……まだ手ぬるいな、と虚勢を張るべく、今度はこちらが、“この手じゃあな”なんて、意地悪を返してみせて。けれどこの時には既に、張本人にその自覚があったかどうかは知らないが、彼女の術中に落ちていた。──なら、自分で、ちゃんとやるから。貴方はぜったい、手出ししないで……?
背面にあるナイトランプが、ギデオンの顔を照らしていたなら。その白々しいほど涼し気だった顔に、さっと後悔の色が差し……彼女を傍観しはじめてすぐ、こめかみに汗を浮かせたかと思えば、酷く苦しげに歪みだしたのが、いとも鮮やかに見てとれたことだろう。己の恋人が、うら若く美しい天上の女が、すぐにも覆い被される距離で……綺麗な眉尻を悩まし気に下げ、しっとりとした吐息を零し、己のためにくつろげている。だというのに、ギデオン自身は一切手出しがならないというのだ。この据え膳の御預けは、実に笑えるほど効果覿面だった。最初こそプライドの欠片で、固く口を引き結び、じっと黙り込むだけだったものの。ほどなくして堪えかねたように、「……なあ、ヴィヴィアン、」「ビビ……、」と、落ち着きなく、弱々しく、掠れた声で懇願しだす。前言を無様に翻すことになると重々承知していたが、相手がまだ初心者で、どうしても時間がかかるだけに、もうとんでもなく生殺しで、とても見ていられなくなったのだ。──しかし彼女は、許しさなかった。自分だって恥ずかしい癖に……そんな真っ赤な顔をして、自分の立てる物音にたまらなそうに身を捩るくせに。第一、今してみせていることは、ようやく羽化したばかりの女にとって、まだ随分とハードルが高い代物の筈だ。にもかかわらず、ギデオンが少しでも身を乗り出せば、潤んだエメラルドでさっと射すくめて、「待て、」と。はっはと息を乱しながら、それでも強い意志を込めて、「でも見てて、」なんて言うのだ。
いつもならこんな制約、無駄に良く回る頭と口で、どうにか反故にしてみせただろう(……たぶん、きっと、おそらくは)。しかし今のギデオンには、それは絶対できなかった。このくそったれの犬化魔法のせいなのか……“待て”というコマンドが、まるで呪文のように強力に働き、体が勝手に従ってしまうのだ。かといって、散々に煽り立てられる情欲はまったくそのままでおかれるのだから、相反する本能同士に、頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。「っは……、」と荒い息を零す、物欲しげに薄く開いた口の奥、まるで砂漠でさ迷っているかのように、喉がからからに乾いて辛く。引き攣った呼吸を繰り返せば、それを見かねられたのか、あるいはたまたまのタイミングか、ようやく少しだけ近づくことを許されて、お望みのまま腕を貸すも。それでも肝心の触れ方はさせて貰えず、また下がるよう命じられ。──一度期してしまった分、それをあっさり打ち捨てられたものだから、強烈な切なさと、煮え滾るような苛立たしさが、血潮となって痛いほどに充ち充ちる。だがまだだ……まだ、主人の許しが下りていない。苛々と頭を振り、もう一度頼み込もうと顔を上げるも、それは無駄と知っているが故に、唸りながら取りやめるその横顔は、いっそ滑稽で。手元のシーツを手繰り寄せようとした手は、もっと手応えのある者を求め、ヘッドボードを八つ当たり気味に鷲掴みにする。相手が腰を浮かせるたび、ぎり、ぎりり、と、鈍い音。ギデオンもヴィヴィアンも、どちらも汗だくなくらい夢中であるため気づかないが、たまりかねた鋭い爪が、深い傷痕を刻みつけているのだ。それでも御命令通り、燃えるような眼をその媚態から逸らさない忠実ぶりを示していれば。……終わった彼女が身を起こし、もはや一切取り繕えないギデオンを確かめて、満足気な微笑みを浮かべる。そこでようやく、本当にようやくのことでお許しを出された瞬間、地獄の底から救われたような顔をして。もはや言葉も出ないのか、大きく動いて相手に身を寄せ、頭を摺り寄せるその様は、“……俺が悪かった、”と、代わりに雄弁に物語るだろう。そのまま相手を引き倒し、頸筋に顔を埋めながらも、片手は器用に、抜かりなく、いつもヘッドボードの引き出しに仕舞っているものを取り出す──これだけは、若い時分から自分に叩き込んでいる理性だ。そうして、何度も何度も鼻梁を摺り寄せ、悪かった、お前が欲しい、と再三相手に伝え直してから。ようやく相手に沈み込んで、本懐を遂げるだろう。)

(──しかし結論から言って、やはり今夜のギデオンは間違っていた。健康面の危険を冒した、という意味ではない……今回のこれは、中毒性が強すぎるというか。一度これを知ってしまったら、もう知らなかったころに戻れないような体験だったのだ。
たしか昔、エマだかヘルカだか、その辺りの女に猥談として仕掛けたような気もするが──生物にはそれぞれ、特徴というものがある。とあるシーサーペントは丸一日近く続ける一方で、ヤギのそれは一瞬で終わる。スフィンクスの雄は雌の首を噛んでおくが、これはそうやって大人しくさせておかねば、痛みのあまり襲われるからだ。そして、犬やワーウルフ、フェンリルといった食肉目にもまた、面白い特徴があった。とはいえそれは、傍目から見る分にはというだけのこと。……まさか人の身で当事者になるとは、夢にも思わない。
頭のどこかでは、理性が肝を冷やしていた。明らかにいつもと違う──何か引っかかって全く引き抜けないのも怖いが、こんなに長く続くのもおかしい。まさかそういった部分まで、あの悪戯なピクシーどもに作り変えられたんじゃあるまいな。……けれどもただでさえ、まっただなかにいる男というのは、世界でいちばん知能が下だ。本当に本当に、地の底を抜けるほど下だ。故に今のギデオンは、うっすらと懸念を感じはしながらも。相手を散々旺盛に求めた末、最後の心地良さにぼうっと身を委ねる誘惑に、全く、ちっとも、これっぽっちも、全然、さっぱり、抗えなかった。とはいえ、うつぶせになた相手をこのまま潰し続けてはいけない、という気遣いは働くらしく。背面から相手を抱きかかえ、体を横に寝かせて、蹴散らしていた毛布の山をかけ直すと。以前相手に流し込みつづけるまま、己の毛皮ですっぽり包み、濡れた首筋に唇を寄せ。酷くぼんやりした声音をもって、相手に尋ねることだろう。)

…………ぐあいは……、



  • No.718 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-16 13:52:17 




……っ、

 ( めしあがれ、と。そう嘯いた時点で、今晩のビビはギデオンの全てを受け止めるつもりでいた。耳を垂れて、こちらに頭を擦り付けてくる幼気な恋人。自分も本当は相手と深く睦み合う夜が好きだと言うのに、日毎に可愛くない、相手に見られたくない姿を繕えなくなっていく様相に動揺し、呆れられたらと思うと恐ろしくて、最近はこの恋人の腕の中で朝を迎える度、素直じゃない、理不尽な八つ当たりをぶつけてばかりだ。それを先程のお預けで──求めているのは貴方だけじゃない、と。私も貴方と迎える夜が好きなのだ、と見せつけたかったのだが──果たして、勿論その報いを全て受け止める気でいた覚悟は、その後襲った嵐によって粉々に砕かれることとなったのだった。
──どれほど時間が経っただろう。あれからずっと酷使し続けた喉はとうに擦り切れ、分厚い胸板に押し潰された背中は、最早ぴくりとだって動かせない。それでも、いつもギデオンがそうしてくれるように。『ありがとうございます、気持ち良かったです』と、疲れた身体を抱きしめ返したい。その目標だけが、泣き出しそうになるビビの心を健気に支えて。ろくに呼吸も出来ていたのかどうか、相手と繋がりあったまま、シーツに埋められていた視界が、ぐるりと反転したその恐ろしい程の刺激からさえも、声にならない叫びをあげるだけで、辛うじて細い意識は繋ぎ止める。そうして、ぐったりとギデオンにされるがまま、いまだ襲い来る快感に、ひゅうひゅうと荒い吐息を漏らせば。可哀想なほど真っ赤になって、口や目元はとうにぐちゃぐちゃ、あれほど見せたくなかった顔を晒して、最早ギデオンの言葉も聞き取れぬ有様というのに。その相手もぼんやりとした面差しの奥、そこに潜んだギデオンの理性が、なにかに怯えていることに気がつけば。重い、重い腕を持ち上げ、抱擁というにはあまりにか弱い。腕にかかる重力に任せるまま、ほんの微かな力で可愛い恋人を抱き寄せていた。──大丈夫、大丈夫。無責任と言われればその通りだが、そう掠れきった無声音で、少し硬い金髪の頭をぽんぽんと、うわ言のように撫でさすると。閉じかけていた瞳をギデオンに向け、ぽやりと、しかし心配そうに愛しい相手の顔色を確かめて。 )

…………?


  • No.719 by ギデオン・ノース  2024-01-20 15:06:39 



…………、

(ごく微かな抱擁の感触、そしてうわ言のような掠れきった囁き声。噛みあっていないと言えば噛みあっていないいらえのはずだが、しかし今はギデオン自身もぐったりしているものだから、いつもの過保護な心配性が頭をもたげることはなく。寧ろ、ただ撫でられるまま目を細め、薄闇のなかの相手を見つめて、心地よい痺れに身も心も委ねる始末だ。そのうち、相手がふと瞼を開けて、とろんとした、それでもこちらを案じるようなまなざしを覗かせてきた。──ふ、と小さな笑み交じりの吐息。可笑しさだとか、愛おしさだとか、おそらくその類いの何かが、思わず零れ出たのだろう。
目を閉じ、体を屈めるようにして。相手の額に鼻梁を寄せ、長い長い息を吐きだす。もはや何を言うのも気怠くて……きっとこうすれば、自分が安堵と満足に浸っているのがわかるはずだと、そう考えて懐き続ける。だがやはり、それでももう少し、安心を伝え直しておこうかと。繋がり合ったままのくせして、まるで幼子を寝かしつけるように、相手の背中に回した手を、ぽん、ぽん、と軽く動かす。先ほどの荒々しい盛りから一転、こうして穏やかな静けさにふたりして沈む時間が、ギデオンは好きだった。いつまでもこうしていたいところだが……しかし今は、夜半の2時か、3時か。とにかく、よく眠るたちである恋人にすれば、これ以上の夜更かしは身体に障ってしまうだろう。明日も仕事があるのだから、ギデオン自身も休まなければ。
そう感じたところで、不意に小さなさざ波が湧き起こり。ぶるり、と身を震わせたかと思うと、本能的に押し付けて、まだ続いていたらしい、最後のひと息を大きく吐き出す。引いていた筈がぶり返してくる、微熱にも似た恍惚の余韻。たまらず呻き声を漏らし、呼吸をごく微かに乱す。いつもの比にならないほどぬかるんでいることも、今のでようやく瘤が消えたことも、確かめずとも感じ取れた。故に、随分と慎重に、間違いのないよう引き抜くと、サイドテーブルに手を伸ばし、ほとんど無意識に後始末に入り。そうして、あらかた──のつもりが、きちんと綺麗に──片付ければ。ごみ箱にくず紙を放って、今度こそ相手を抱きしめ、思考を放棄しようとして。
「……ビビ、」と。何とはなしに、一度だけ名を呼んだ。それに相手が応えたにせよ、応えられなかったにせよ。その汗に濡れたこめかみに、唇を柔く押し当てる。これでデュベを引き上げていなければ、まだ残っている大きなしっぽが、ゆらゆら揺れていたことだろう。相手のあどけない顔を、優しい眼差しで見下ろすと。少し身じろぎし、落ち着ける場所を見つけては、ギデオンもすっかり横たわり、相手の栗毛に顔を埋める。──肉団子の効果が切れたのか、或いは散々求め合ったからか。恋人の香りがいつもより鮮明に感じられ、己の肺腑がたちまちのうちに満たされた。そうして何度も深呼吸を繰り返すうちに、いつしかギデオンも、睡魔の闇に落ちていき。眩しい朝陽が部屋をすっかり照らしきるまで、ほとんどぴくりともしなかった。
──このときのふたりは、まったく知る由もなかったが。実はこの睦みあいこそ、ギデオンにかけられた悪戯魔法を解く鍵だった。人体は元々、普段から微量の魔素を発しているが、ギデオンは濃厚なそれを……天文学的な確率で相性の神懸かっているそれを……ほとんどゼロ距離で、体中の至る場所から、数時間も取り込み続けていたわけだ。故に朝方、ふたりがすっきり目覚めた頃には、犬のような耳もしっぽも、綺麗さっぱり消えていた。歯も爪も元通り、抜け毛ひとつさえ残さずに、ひと晩で無事解決である。……しかし結局、ふたりの寝床は、随分と酷い有り様に成り果てていたものだから。ふたり笑って、シャワーを浴びて、そこでもちょっと戯れたのち。ようやくさっぱり切り替えると、爽やかな朝に向けて、元気に動きだしたのだった。)



(──さて、澄んだ寒さが肌を刺すとある日。ギデオンとヴィヴィアンは、いつもどおりに出勤するなり、エリザベスに声をかけられた。最上階の執務室がお呼び出しとのことである。
はて、いったい何事だろう。ふたりが以前の関係であれば、十中八九、クローズドクエストの拝命に違いないのだが。交際関係にあることを──今はそれにとどまることを──きちんと公表済みであるから。経費周りで問題視されないよう、ふたりきりでの重要任務は迂闊に回されないはずなのだ。「戒告か何かじゃないといいんだが……」なんて言い交わしながら、扉をノックし、押し開けると。そこに待ち受けていた御方は、しかしギルドマスターではなかった。そう言えばかの方は今、王国議会からの招集を受け、中央に登城中である。彼か彼女か、詳しいところは幹部の数人しか知らないのだが、とにかくあの御人が数日ギルドを離れる間、諸々の指揮と判断は、臨時代理に託されている。つまりふたりを呼び出したのは、高級な椅子ににこにこしながら座っている、如何にものんびり屋な──この髭もじゃの、傷だらけの大男である。
向かいのソファーに腰を下ろし、要件を窺ってみるに。どうも代理は、ギデオンとヴィヴィアンに、合同クエストのメンバーとして出張してほしいらしい。来週から約2週間、場所は国内中部のヴァランガ地方。旅費や食費、消耗品費などの類は、きちんと持ってもらえるという。「……いいんですか、」と、ギデオンが困惑気味に訊ねてみれば、「いいのいいの」と、代理は至極のほほんと、(いかつい体躯に全く似合わぬ)温厚な声で答えた。
「君たちが仲睦まじいのは知ってるよ。だけど僕ら幹部にとっては、君たちふたりの冗談みたいな相乗効果のほうが、よっぽど重要なんだよね。トリアイナの不祥事解決、夢魔騒動の捜査、ライヒェレンチの増援、トロイト退治、ドラゴン狩り……他にもいろいろあったろう? とにかく、今までのああいったのと同じような活躍を、またふたりにしてほしいんだ。ビビちゃんだって、もうお医者さんから太鼓判は捺されてるんだって? それなら久々に、少し骨のあるお仕事を担当してみてくれないか」。
どうやら諸々の懸念については、既にギルマスと話し合い、対処方針を固めているらしい。それなら、と頷いて、子細の記されている手元の資料に目を通した。──今回の合同クエストの主催者は、“西の王剣、東の聖剣”……などと双璧扱いされることでお馴染みの、国内東部の大型ギルド・デュランダル。そこが受注したクローズドクエストが、どうやら特殊な内容らしく。せっかくなら周辺の公認ギルドも一緒にやってみませんか、と、カレトヴルッフも誘われたらしい。他にもアラドヴァル、アルマツィア、クラウ・ソラス……この辺りの中型ギルドも、参加が決まっているという。要は、中部地方にある公認ギルドから少しずつ冒険者を募り、皆でひとつのパーティーを築き、デュランダルの受注した遠征に赴くのだ。
その少し面倒な経緯を聞いて、不思議そうな顔をする顔のヴィヴィアンに、ギデオンの方から解説することにした。──今回のような合同クエストは、ライヒェレンチでの掃討作戦とはまた別で、人員の増強よりも、冒険者同士の交流会を意図している。国内の冒険者ギルドは、無論定期的に会合を行っているけれども、同じ現場で汗を流すのはまた違う。知識や技術、人脈が行き交い、よその冒険者同士の横の結束を強められるからだ。主催はだいたい大型ギルドが請け負うもので、うちも頻繁にやっている……カーティスやバルガスが暫く帰ってきていないが、実はあれも、まさに別の合同クエストに駆り出されているところである。こういうのは、通常のクエストとは趣が異なるし、自分たちは呼ばれる側だから、遠征より出張と呼ぶ。東のあちらさんが音頭を取ってくれるのだから、気楽に行って大丈夫ではあるだろう。必要な指示はデュランダルが出してくれる。だから俺たちは、交流に気を割きつつも、ただいつもどおり仕事をこなしに行けばいい。
「そう、そのいつもどおりの活躍というのが、大事なところでね」──臨時代理がここで初めて、目をきらりと光らせた。「ギデオン、お前は言わなくてもわかるだろ。今までどおり、上手に見聞きして、嗅ぎまわって、尋ねて聞いて……そうやって、必要な顔と顔をしっかり繋いできてほしい。根回しの下拵え、お前の得意分野だろ? それで、ビビちゃん。君を選んだのは、君の出身が魔導学院研究部だからだ。今回の仕事には、そのキャリアが役に立つ。行けばわかるから、そこで最大限のことをしてきてくれ。それに、今回の成果次第では──昇格の推薦を取り付けられるかもしれない」。
“昇格”とは言わずもがな、冒険者ランクのことだ。これが上がると、ギルドから安定して支払われる固定給が変わってくるというものである。生活をしていく上で、この安定感の向上というのは、かなり重大なポイントだった。それに、実際はこれ以外にも幾つか必要になるだろうにせよ、幹部からの推薦をしっかり貰えるのであれば。通常の昇格に比べ、必要な諸般の手続きがかなりスムーズになるはずだ。
思わずヴィヴィアンと顔を見合わせ、ふたり同時に頷いた。既に今も、世帯収入は充分にある。しかし所得にかかる税金を加味しても、余裕を持って困るということはない。それに今は、ヴィヴィアンより引退が早いかもしれないギデオンが、これからの働き方を試しつつあるところでもあるのだ。ふたりとも現役でいるうちに、できることはしておくべきだった。
「引き受けます」と、ふたりで答えた。──ヴァランガ出張の決まりである。)


  • No.720 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-25 21:41:17 




 ( 荒い呼吸を繰り返すビビの額に、暖かな吐息が吹きかけられる。──嗚呼、よかった、ギデオンさんがわらってる。うれしい、すき、だいすき、と。小さくふにゃりと微笑んで、働かない頭を小さく擦り付ければ。未だ終わらぬ長い責め苦に、身体を捩って逃げ出す体力も、不満の声を漏らす声帯も、余計な全てはついえてしまって。優しく触れる大好きな手に、ひどく満足げな長い呼吸だけが、この状況をまたビビも心より愛しているのだと伝えられているだろうか。ぴったりと深く重なり合って、二人静かに鼓動を合わせる。その幸せに慣れてしまったからだろうか。全てが終わって、部屋の空気が濡れた体をひんやりと撫でれば、たまらない喪失感に白い指先をゆらめかせ、先程まで一つになっていた片割れ、愛しい男を探し求めてしまう。大人の鎧を羞恥と共に剥ぎ取られ、今夜すっかり無防備になってしまった娘の心が、たまらぬ寂しさにぐずぐずと泣き出すその寸前。やっと“ビビの体温”が返され、強張っていた身体を緩ませたところへ呼びかけられれば。既に懇ろとなっていた上瞼と下瞼を大儀そうに引き裂くと、ぐったりと重い首を持ち上げて──場所が違う、とばかりに相手の唇へ、本当に、本当に触れるだけの口づけを。そうして、柔らかい質感を伝えることすらなかったその催促が、果たして叶えられたかどうか。今度こそ瞼と瞼を強く引き閉じれば、深い眠りへと堕ちていったのだった。 )
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また、ギデオンさんとお仕事できるなんて嬉しいです!
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 ( 大好きな恋人と迎えるけだるい朝も、爽やかな流水の中たわむる時も。ヴィヴィアンにとって、ギデオンと過ごす日々はこれ以上なく幸せで、恋人として満たされていないといえば嘘になる。しかし、何故だろう。もうずっとビビにとって、なにかが満たされていない気持ちがするのは。そんな違和感の正体に気が付いたのは、それから遠くない日のことだった。
付き合い始めた冒険者同士は、同じ仕事を受けさせない。無論、些細な呼吸の合わせ方の差が生死の差になるこの仕事で、此度の様な例外はあるものの。開拓時代とは違うこの現代で、仕方のない不文律はビビとて承知していたはずだ。しかし、仕事の場面においてでも、ギデオンの隣が己ではないこと。それに耐えられる程、己は無欲でも理性的でもなかったらしく。故に件の依頼を打診された際の喜びようといったら、いつか初めてシルクタウンの魔物討伐に繰り出した時もかくやといった勢いで。それからの一週間というもの、暇さえあればヴァランガ一帯の動植物、魔物の分布等、部屋中の書物をひっくり返し、いつにも増して上機嫌な笑顔で、魔物を屠るヒーラーは、少なくともヴァランガへと向かう出発以前から。早速、日々 魔物に脅かされる市民を力づけるという余剰効果を生んだとか、そうでもないとか。
ともかく迎えた出発当日、事前に別の野暮用を済ませて、先に行っててもらったギデオンと東広場で落ち合うと、しれっと腕を絡ませて、今回の主催ギルドであるデュランダルの馬車が通るという街外れの街道へと歩き出す。シルクタウンの時とは違い、今回の依頼は、『ヴァランガにおける空気中に含有する魔素の異常発生及び、それにおける魔物や、有毒・有用植物、及び人類に及ぼす影響の調査。及び博士を含む非戦闘職員の護衛』──とまあ、要は明確な被害者がいない調査の仕事である。それによって、るんるんと鼻歌でも歌いだしそうな──否、実際に人の少ない道では、その何とも言えない歌唱力を披露していた──ヴィヴィアンの上機嫌は留まるところを見せず。その癖、背負った準備の数々は一切手を抜くどころか、一週間でこれ以上なく厳選され切ったそれなのだから始末が悪い。
それからしばらくして約束の時間、約束の場所で待つこと十数分。一本のロングソードを中心とする意匠が入った大型の馬車に、大きく手を振り近寄ると。日焼けた肌が勇ましい三十代前半と思しき大男が、止まった馬車の後ろから、ぬうっとビビの顔より大きな掌を差し出して。「やあお待たせしてしまってすみません。行きしで泥濘にはまってしまって」とガリニア本国のそれを感じさせる、東部らしいはんなりとしたイントネーションで謝罪した男は、その糸目を更に細めて明るい笑顔を浮かべたかと思うと、「はじめまして、私セントグイドで研究者してます、レクターと申します」いやぁ都会の方ってなんというか……皆そうなんです? お二人ともシュッとしていらっしゃるというか、はあもう僕見惚れてしまいます──と、矢継ぎ早にペラペラやり始めたところを、馬車の中から助手らしき青年に咎められ、やっと馬車の荷台へと腰を落ち着けられる。そうしてぐるりと周囲を見渡せば、どうやら泥濘にはまったのは本当らしく、調査地につく前から泥に汚れているデュランダルの冒険者達といえば、なにやら既にぐったりと疲労を顔に滲ませていて。はて、泥濘からの脱出程度でこうもなるとは──……と、首をひねるまでもなく。馬車が動き出してかれこれ十数分、冒険者より余程壮健なレクター博士が一秒たりとも黙らないのである。
さて、改めて。聞くまでもなく自分の身の上から、今回の依頼をするに至った経緯まで全て勢いよく話してくださった氏曰く。もともとヴァランガは今回の様な仰々しい調査を入れるまでもない、ごく普通の、少し魔獣の発生報告の多いトランフォードらしい土地柄だったという。平地が少ない故、大都市の発展には恵まれなかったが、トランフォードの冒険心溢れる先祖のおかげで、小規模ながら狩猟を生業にする小さな集落も存在し、数世代前まではキングストンにも革製品を卸していた記録のあるという。しかし、それがある厳しい冬の年を境に、他の周辺都市から消息を絶って久しく。最近、また商魂たくましい連中が足を踏み入れたところ、近辺でも稀に見ない魔法植物や薬草、鉱石等を見つけたは良いが、狂暴な魔獣のせいで満足に野営もできないといった有様らしい。先月ごろには冬越えに失敗したかと思われていた地域住民の目撃情報も挙げられていて──……僕ァ金銭に興味があるわけじゃないんです! 神話の時代の話と違うんですよ! 有史以降に現れた秘境の民族だなんてこんな浪漫がありますか!? と、人の思考を遮って、元々高い声を更に張り上げたレクター博士は、長年デュランダルのあるトランフォード第二の都市・セントグイドの魔導学院で長年民俗学の研究をしているらしい。耳の真横で高い声を張り上げられて、にこやかだった表情を引き攣らせたヴィヴィアンは、しかし後に、この躁狂な教授と思わず意気投合することになる。自分以外誰も一言も発さない馬車内で、一切気にした様子もなく語り続けて、なまじ魔導学院出身と知られてしまっているヴィヴィアンや、その他ぐったりと寝たふりさえ始めた周辺ギルドの冒険者、果てには今まさに馬車を運転している運転手にさえ、度々たっぷりと自論を語っては、君はどう思います!?等と自由奔放に絡みまくっていた博士だったが。何故か頑なにギデオンにだけは話を振らないどころか、そのチワワの様なむき出しの視線をも合わせようとしないのである。当初は相棒に矢が当たらないことに安堵していたヴィヴィアンでさえ、流石に感じの悪さを感じ始めたその途端。悪路だというのに興奮のあまり立ち上がり、案の定がくんと馬車が揺れたとはずみにふらついて、ビビの相棒の隣に腕をついたかと思うと。シュバッとアルマツィアの弓使いが片眉をあげるほどの素早さで飛びのいて、「あ、あ、ああ……申し訳ない、本当に」と、言葉を失ったかのように座りなおし、それ以降貝のように口を閉じてしまったレクター氏が、冒険者ギデオン・ノースの熱狂的な大ファンであると知ることになるのは、まだしばらく後のお話。
ともかく今は、そうして突如生まれた静かな時間に、やっとギデオンと同年代らしき、デュランダル側の責任者である女剣士が、態とらしく咳ばらいをしたかと思うと、「じゃ、じゃあ……現地でのスケジュールと注意事項を……」と話し始めるという、なんとも締まらない形でヴァランガ合同クエストは始まったのだった。 )



  • No.721 by ギデオン・ノース  2024-01-26 19:28:32 



(──トランフォード中部の雄大な山々に囲まれた、白銀の峡谷・ヴァランガ。その入口は、キングストンから馬車で数日、そこから更に山道を徒歩で数日……つまり、王都から実に1週間ほどかけて行軍した先にある。距離にしてみれば案外近いかもしれないが、しかし周辺の山岳の、まるで人類を拒むような険しすぎる地形のせいで、これまで冒険者が立ち入った例は、最古の開拓時代以外にほとんどないと言ってよかった。カレトヴルッフの資料室でも、過去の記録を一応調べてみたものの。それらしい記述ときたら、隣の地方にまつわる文献に一、二行ほど走り書きされていただけだ。
通常、よほどの大隊でも組まない限り、そんな辺鄙な山奥にわざわざ踏み込むことはしない。冒険者は有限の資源だ──どんなに情熱的であろうと、国内全土を松明で照らすことはできない。王都の近辺にさえ日々魔獣が湧く以上、人口密集地の防衛を優先するのは当然のなりゆきで。故にヴァランガのような奥地は、開拓時代に一度踏破したが最後、これまで後回しにされてきたのが実情だった。……しかし今回、それがようやく、破られることになるわけだ。
「200年前の集落の再発見、か……」と。幾日目かの野営の夜、焚火の傍でヴィヴィアンと共に、デュランダルから配られた資料を今一度熟読する。──そこでだれかが暮らしているなら、たしかに実地調査のついでに、確認しなければならないだろう。人口や生活実態、人道的支援の要不要など……本来は憲兵団など、国家に直属している組織が動くべき事案だろうが。如何せんヴァランガ一帯は、長年人が立ち入らなかったせいで、魔獣の凶暴度が大コスタ並みだという報告も上がっている。であればまさに、その道のプロである冒険者たちの出番だろう。周辺の魔獣や魔法植物の生態をつぶさに調べ、危険や対策を検討し。最終的に、いずれ必要な国勢調査も立ち入れるように道を敷く……そのための、いわばプレ調査。それこそが、今回のギデオンたちに課せられた使命であるに違いない。……そのついでに、みょうちきりんな学者どもの護衛も背負わなければならないようだが。小さくため息をついたまさにその瞬間、また遠くから賑やかな声が聞こえてきて、ギデオンは振り返った。向こうのほうの焚火の周りで、今回のクエストのきっかけとなった依頼者──セントグイド魔導学院のレクターが、相も変わらず周りを巻き込んで騒いでいる。何故かギデオンのことだけは直視したがらないあの男は、声も存在感もいやに過剰な人物で、別段嫌うほどではないが、胸の内では警戒していた。魔獣よりも恐ろしいのは、守られる立場にあることをわかっていない民間人。万が一が起こらぬよう、しっかりと目を光らせておかないと、大変なことになるかもしれない。ヴィヴィアンともその辺りをこっそり話し合ってから、腰を上げてテントに戻り。寝ずの番の交代に備えるべく……二分と経たずに眠り込んだ。)

(──それからの道程も、同じような日々が続いた。馬車と別れて山に分け入り、幾つもの峠を越えて、日が落ちる前には必ず野営を構えて休む。幸い天候に恵まれて、旅程は至極順調だ。魔獣の襲撃は一日に数回ほどあったが、この合同パーティーは各ギルドの粒揃いということもあり、スムーズな連携戦を最初から難なくできた。……久々にギデオンと肩を並べて杖を振るったヴィヴィアンが、太陽のように明るい笑顔を生き生き振りまくものだから、それに見惚れる男どもが出ていたことだけ悩ましかったが。ああ、それと。魔剣を振るうギデオンを見たレクターの様子が、やけにおかしくなっていたが……あれはいったい何だったのだろう。よくわからない男である。
──……キングストンを出発してから、九日目。ギデオンたちはついに、その鋭い峡谷の切れ端へと辿り着いた。一行の頭上に広がるは、真っ白な雲との対比が見事な、風の吹きすさぶ青天井。その下、遥か眼下には、雪と岩肌でまだらになったV字型の斜面の底に……なるほど、蟻のようにぽつぽつと、集落らしきものが見える。ここから最低でも2週間、現地調査をするにあたり、まずは村人たちに挨拶と、拠点を構える許可取りをしに行かねばなるまい。パーティーメンバーで事前に話し合った通り、まずはギデオンと、デュランダルの女剣士、ほか数名が行くことになった。このパーティーのリーダーは彼女、エデルミラに違いないのだが、200年間外界と交流しなかった土地となると、女と口を利くことさえ嫌がるかもしれない。そこで立場上、王都のギルドの男性冒険者であるギデオンが、場合によっては代わりを務めるわけである。それにあたり、まずは見てくれをきちんと整え、持参した酒や煙草などの土産品を手荷物として携えれば、いよいよ先方への挨拶に……向かった、つもりだったのだが。
──いなかった。いるはずなのに、いなかった。
この集落を築いたはずの村人たちは、影も形も、人っ子ひとりも……まるで見つからなかったのだ。
全ての家、全ての建物、全ての小屋に声をかけた。だが、返事はこなかった。谷の上からギデオンたちが見つけたのは、どうやら廃墟だったらしい。家々の竈は吹き込んだ枯れ葉に埋もれ、ボロボロのベッドには蜘蛛の巣が張っている。この滅びよう……どうやらこの村の人々がここで生活をしていたのは、どんなに新しくても数十年前のように思える。すっかり崩れた家屋がいくつかあるのも、その証左だろう。だが、暮らしの跡や生活用品、革製品を作る道具はあちこちに大量に残っていて、ある日突然この集落を捨てたようにも思えなかった。……それに、そこそこしっかりと根を張った集落のように見えるのに、墓場がひとつも見当たらないのはどういうことか。風葬や鳥葬をするような村だったのか……? 全員で合流し、村の亡骸を一緒に見て回ったが、詳しいことは一向に分からぬままだ。否、レクター博士は助手とともにあちこち調べて回っているが、生粋の学者であるが故に、結論を急ぐような真似はしたくないご様子である。
……とりあえず、ヒーラーであるヴィヴィアンの確認をもって、この村に病原菌や悪性魔素の類いは蔓延っていないとわかった。であれば次は、比較的綺麗な状態で残っている建物の清掃作業だ。村に残っていた箒で枯れ葉や土埃を掃きだし、入り込んだ草の根を抜くと、冷たい風を凌ぐのに充分な場所となった。しばらくはこの屋内にテントを張り、寝泊まりすることになるだろう。綺麗な沢や可食魔獣は幾つも確認できているから、生活資源も問題ない……この谷を拠点として、周辺の魔素・生態調査に乗り出していくわけだ。
問題はふたつ。この村の人々は、はたしてどこに消えたのか。そしてデュランダルに寄せられた、「地域住民の目撃情報」とは、いったい何だったのか……? 来た道があの険しさだ、周辺には他の集落など存在しない。だが報告書によれば、幻のヴァルンガの民としか思えないような人々を、信頼できる筋の人々が、近くで見かけたはずなのだ。冒険者のように野営慣れした様子でもなく、どこかに帰っていくような様子だったという、それなのに……。何もわからないまま、ヴァルンガ初日の夕陽が落ちた。今夜は各自しっかり休み、明日から調査開始である。この村の薄気味悪さを少しでも払おうとしてか、何人かの冒険者たちが、向こうの大きな焚火の傍で、元気に酒盛りをしていたが。一方のギデオンは、日が暮れてからも建物内の安全確認に奔走していたヴィヴィアンを労うべく、まずは谷の斜面で見つけた甘い木の実をフライパンで煮潰した。そうしてペースト状になったそれを、余っていた山鳥のローストにたっぷり塗り、探し出した相手の前にさりげなく差し出すと。“皆には秘密だぞ”というように片眉を上げながら、その隣にゆったりと腰を下ろして。)

なんというか……つくづく、拍子抜けの開幕になったな。
どうだ、疲れはたまってないか?


  • No.722 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-01-30 10:25:37 




わあ、あったかい……ありがとうございます!

 ( それは最後の廃屋を確認し終わり、壁の補強、防水……これは雪対策のそれだろうか、長い間放置され、溶けかけている魔法をかけ直しながら、朽ちてしまった玄関を潜り抜けた時だった。聞きなれた声に嬉しそうに振り返った娘は、差し出された包みに頬ずりすると、微かに頬を上気させながらその場で小さく飛び跳ね。強く吹いた冷たい風に、絡ませた腕を屋内の方へ引き込むと、少し高くなった床の基礎に並んで腰掛け、秘密の時間を楽しむだろう。相手の問いかけに、「ううん、エデルミラさんってすごい人ね。誰の顔色も見逃さないもの」と、ふいに甘い山鳥に被りつき、大きな瞳をキラキラとこぼれ落ちんばかりに見開くと。相手にも一口食べてみろと差し出しながら、「皆さんすごい人達ばかりで、とっても楽しいです!」と無邪気に足をパタパタとやり。相手の唇へ残った微かなソースをペロリとやると、「それにね──」と口を抑えてクスクスと楽しげに思い出すのは、あの声も存在感も過剰な教授のことだ。
24時間365日──は言い過ぎか。少なくともこの9日間、24時間休まることなく騒がしかった彼曰く、この村の様相は非常に珍妙であるらしい。いや確かに素人目でも首を傾げる部分は多いのだが、村のあちこちで倒壊しかかっている建物や、残る魔法の年代が、新旧様々ちぐはぐであるというのが彼の言で。しかし、ボリューム調節機能が破壊されているとしか思えない癖して、悔しいことに。彼が拾ってきた瓦礫を片手に始めた、考古学における編年概念の授業などは非常に興味深く。斧使いが予報した今夜の吹雪のその前に、割り振られた使えそうな建物の物理的・魔法的な安全の確認に従事する間、重要ながら非常に単調な作業の繰り返しも、見慣れぬ道具の数々に彼の授業を思い出して、お陰で退屈することが一切無かった。ギラギラと剥き出しの瞳を輝かせ、あちこちでガラクタを拾って来ては、学者にとって財産であるはずの知識を、勿体ぶらずに振りまいて、最後には必ず──ありがとう、ありがとう。こんな素晴らしいものに出会えるのも全て皆さんのお陰です! と、度々感動してみせる大男に。その生い立ち上、変人学者には慣れきっている贔屓目を除いても──悪い人じゃない、と絆されつつあるヴィヴィアンだ。ほら、慣れてしまえば、あの村の端から響く歓声も気にならなく──と。そういえば、しばらくレクターの声が聞こえない。あの変人がたまに黙り込む原因の相棒も、今は隣に腰掛けていて。この嫌な予感を伴う違和感に気が付いたようで、無言でふたり視線を合わせて立ち上がると──その手の予感は当たるものだ。すぐさま、「おーい! カレトヴルッフの……なあ! あの学者サン見てないか!?」と、今日のレクター同行班だったはずの槍使いの慌てて駆けてくる様子に、ピリリとその場の空気が凍りつく。意外と広い渓谷だ、闇雲に探しても駄目だろうと、無言で相棒と頷きあうと、まずはテントのある本陣へ駆け出そうとして。 )


  • No.723 by ギデオン・ノース  2024-02-02 02:00:42 




っくく、そうか……馬が合うのは良いことだ。

(この九日間、ギデオンたちはいつも以上に真面目に仕事に勤しんだ。このペアでの出動を上が後押ししてくれたのは、それだけ厚い信頼を寄せられているということ……それをふたりとも、よくよく承知していたからだ。
故に、これまでの旅路において。ギデオンもヴィヴィアンも、相手より自分より、周囲の仲間を優先していた。親しいはずの相棒とはきりっと一線を引くどころか、なりゆき上ひと言も会話せずに夜を迎えたことさえある。仕事中なのだから、これがあるべき姿だろうと、大人の顔できちんと弁えていたけれど。さりとて心のどこかでは、旅の疲れも、何だかんだで常に気を抜けないストレスも、同じ場にいる恋人を意識しない努力のために返って生じる恋しさも、我知らず積もりゆくもの。だからこうして、ようやくまともな拠点を構え、ゆっくりと腰を落ち着けたタイミングで。いよいよ始まる本命の調査仕事を前に、まずは少しだけここまでのお互いを労おうとしていたのも。そう罰当たりな話でもない……はず、だったのだ。そのときまでは。
相手の蠱惑的な悪戯に笑い、尚もくすくすと楽しそうなその横顔を、酷く満足そうなアイスブルーの双眸で眺め。顔をぱあっと輝かせながらあれこれ楽し気に語る相手に、後方に手をついてゆったりと寛ぎながら、穏やかに相槌を討つ。そうして過ごしていたギデオンの表情が、しかし相手と全く同じタイミングで、石のように強張った。──立ち上がり、話を聞いて、思わず槍使いを睨みつける。彼を含めたメンバーには、自分やヴィヴィアンやエデルミラがようやく休みを取る前に、充分な休憩を先んじて与えたはずだ。それなのに、用でも足していたのか、或いは何かに気を取られたのか──護衛対象から目を離し、あっさり見失っただと? 未だ調査も始まらぬこの初日から?
心得の足りない仲間に言いつけたいことはいろいろあったが、今そうしても時間の浪費にしかならない。立ち竦む槍使いは一旦無視して──ギデオンの怒りようをわかっているなら、ちゃんとついてくるだろう──ヴィヴィアンとふたり、エデルミラの元に向かおうとした、その瞬間。夜気を切り裂く嫌な唸りが、その場にいる全員の耳をおどろおどろしく震わせた。……言わずもがな、悪霊ウェンディゴの呼び声だ。あの邪悪なものは、ひとりで冬山をさ迷う人間に危害を及ぼす習性を持つ。恐ろしいのはそれだけじゃない……ウェンディゴが鳴いたということは、斧使いたちの言うとおり、今夜は確実にひと吹雪くるということである。姿を消した同行者、これから始まる長い夜、迫る大雪。じわじわと立ち昇り始めた最悪の事態に、ギデオンの頭が目まぐるしく回り始めた。──同行する一般人に被害を出すような事態など、冒険者には許されない。はぐれた学者を見つけ出すには、初動が何よりも肝心だ。ヴィヴィアンをくるりと振り返り、明瞭に指示を出すその声には、最速で行動を起こすべく、相手への信頼が滲んでいた。相手がそれを了解したなら、一目散にリーダーの元へ向かい、捜索隊を編成し。そうして、ヒーラーである相棒もやむを得ず同行させて、博士を捜しに繰り出すだろう。)

──ヴィヴィアン。俺はエデルミラの元にこいつを連れていって、捜索範囲を検討してくる。
おまえは捜索の元気がありそうなやつらを見繕って、すぐに装備を身につけるよう言ってくれ。おまえの判断で今夜は休ませる奴らにも、俺たちの戻りに支障が生じる場合に備えて、ここで相応の準備をさせたい。指示する内容は……この前一緒に確認したあのマニュアルの、あの項目だ。だいたいわかるな?



  • No.724 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-02-04 21:00:18 




──はいっ、任せてください!

 ( 尊敬してやまぬ相棒に、久方ぶりに仕事を任せてもらえて、娘の横顔が酷く誇らしげに光り出す。それでも、この一刻を争う事態の中で、力なく項垂れる槍使いを目の前にして、「大丈夫、皆で探せば絶対見つかりますよ!」と、走りながらも穏やかな笑みを向けずにいられないのは性分だろう。折角、不慮の失敗の原因を追求するという嫌われ役を、ギデオンさんが引き受けててくれたのだ。それぞれ二方向へと向かう別れ際、両拳を顔の横でぎゅっと元気に引き結び、にこりと相手に微笑みかければ、丸まっていた男の背中が微かに伸びたような気がした。──大丈夫、彼とて今回のクエストに選ばれた優秀な冒険者のはずだ。少なくとも、その人の良さは道中でとっくに知っている。きっと、誰より熱心に誠心誠意、己のミスを挽回するだろう。そんな別れ際の数秒で、仲間を鼓舞するヒーラーとして、最大限の力を発揮すれば。その数秒後には、ひらりと赤いマフラーを翻し、石垣を飛び降り遥か下へと消えて行き。それから数分後、エデルミラを連れたギデオンが戻る頃には、前衛後衛バランスよく、今後の交代シフトまでをも考えた完璧な布陣で、捜索開始の指示を迎えただろう。
 しかし、そうして始まった捜索は、とても順調とは言い難かった。槍使いの誠実な証言を元にして、エデルミラとギデオンが割り出してくれた捜索範囲は、目を見張るほどの精度だったが。そもそもの面積が大きい上に、これはレクターが動けなくなっていた場合の想定だ。彼自身が興味深いものを前にして、突飛な動きをするのは周知の事実で、そうでなくとも魔獣に追われていれば分からない。もうずっと大きな手がかりを得られないまま、刻々と捜索範囲は広がって行き、ふと睫毛に落ちた白い氷に、うっそりと疲れた視線を夜空に向ければ。最早、魔獣避けや目印に、出立前に焚き付けてきた聖火は随分遠く、目の前に広がる巨大な岸壁と一緒になって、冒険者の心を苛むようで。兎にも角にも、物理的な行き止まりに──ごく一部の冒険者にとっては、踏破可能かもしれないがレクターには無理だろう──焦燥の滲んだ顔でギデオンを見遣れば、高山にして豊かな下生えを踏み、来た道の方へと引き返そうとしたのも詮無いことで。 )

ここを、登る……のは、難しいですよね


  • No.725 by ギデオン・ノース  2024-02-07 23:27:14 




……あの図体を上まで引きずり上げるには、相応の装備が要る。
そんなものは持っていなかったはずだ。

(相棒が最速で導き出した、あくまで理性的な諦めに対し。ベテランであるギデオンもまた、決して否とは返さなかった。その薄青いまなざしは、地上から今一度、舐めるように登っていき──優に数百メートルも上で、非常に険しく縫い留められる。……一応、ちょっとした足場になりそうな岩が、ところどころ確認できないわけじゃない。それでも、ここからその地点までは、完全なる断崖絶壁だ。まるで巨人が、自慢の剣のひとつでも大きく振り下ろしたかのように。
そんな地形を、フィールドワークに慣れているとはいえ、民俗学者の一般人がよじ登れるものだろうか。魔法の心得がある人間でさえ、ハーケンが欠かせないはずだ。しかし楔のようなものなど、崖の表面にひとつとて見当たらなかった。仮にレクターが、己独りで登攀に挑んだとしても、打ち込んだそれらを自主回収するのは不可能だろう。──つまり教授は、この上には行けない。いるとしたら、ここから後ろ。ギデオンたちは、どこかで彼を見落としてきたか、まったくの徒労に時間を費やしてしまってきたことになる。
落胆と苛立ちが湧く。横顔を苦々しく歪めずにいられないその脳裏を、いくつもの悲惨なデータがよぎっていく。──公認ギルド教会が、国内の各公認ギルドに定期的に送る季刊誌。そこには様々な統計資料が載っており、時に人命救助も担う冒険者には欠かせない。キングストンを発つ前にも、ヴィヴィアンと寝室でふたり、真剣に読み込んできたそれら曰く。遭難というのは基本、72時間以内に助けられるかどうかが肝要だ。その刻限を過ぎてしまうと、生きていられる確率ががくんと落ち込むからである。──そしてたとえば、冬の野山で雪庇を踏み抜くなどして、雪の中に埋まった場合。命のタイムリミットは、その72時間どころか、僅か20分弱にまで縮まる、というデータが出ている。そこから更に15分経てば、生存率はもはや4割以下。……今回の場合、レクターを見失ったという報告を受けてから、既に2時間が経過していた。もしも彼が、自分たちの見立てた捜索範囲からほど遠い地点での滑落なり生き埋めなりで、この厳しい寒さのなか、身動きが取れなくなっていたら。──捜索隊の呼びかけに応えないのは、既に……“応えられない状態“に、陥っているせいだとしたら。
……間違ってもそんなことにならないよう、護衛対象である教授自身にも、事前に口酸っぱく言い聞かせていたはずだ。絶対に俺たちから離れるな、と。それがいったい何故──と。そこでふと、あの大柄で陽気な男の、とめどなく溢れて止まらない知的好奇心を思い出した。目を大きく見開くなり、背後のヴィヴィアンを咄嗟に振り返る。「──教授は、何と言っていた?」緊迫した声で尋ねる意味が、相棒にもわかるだろうか。「村に残ってる建物や魔法について、編年学的におかしい、だからこそ面白い、って……大興奮だったって話だよな?」
──愚かにも、見落としていた。直前までレクターと共にいたのが、例の若い槍使いであること、それにとらわれ過ぎていた。彼はあくまで、本格的な学問に携わったことのない冒険者。ならば、レクターはきっと──自分と同じく魔導学院出身であるヴィヴィアンにこそ、より剥きだしの本心をぶちまけていたはずだ。己の飽くなき探究心、あれやこれやと枚挙にいとまがない仮説。そのなかに、レクターの行動を予測できるヒントが隠れている可能性がある。──彼はそこらの凡人とは違う、だからこそ、行動を読める希望がある。いよいよ降雪が増してきた中、やむを得ず切り上げてしまう前にと、相手に力強く問いかけ。)

──祠、禁足地、何でもいい。教授は何か言ってなかったか。『この村がこういうことなら、ここにはあれがあるかもしれない、逆にないかもしれない』なんて……推測を立てていなかったか。



  • No.726 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-02-10 00:11:48 



そんな……そんな、大したものじゃないんですけど……採石場がみたい、って……

 ( ──集団移住、ですか? なにか確信を得たかのようなギデオンに、ビビの脳内を過ぎったのは、いつか大興奮でビビの問いかけに頷いていた、例の大声教授の満面の笑み。元は細い目元をこれでもかと見開き、ぶんぶんと嬉しそうに拳を振り上げたレクター曰く──この村がせいぜいひと冬で滅んだ筈無いと。それにしては、村に残る品々の年代がちぐはぐすぎる、ここの村民はもっと長い、長い時間をかけて。徐々に人口減少したか──もしくは計画的に、どこか違う場所に移住したんじゃないか。「もしそれにお目にかかれるならば、僕は今後の糧が全てそら豆になろうと構わ……やっぱり嫌ァ!」と、勝手にうるさい名物教授は、続けてこうも言っていた。それに、集団移住説だって分の悪い話じゃないはずだと。この村の道具たちは新旧さまざまではあるものの、皮革産業だけでなく、「高い石切りの技術を持つ人達だと思いますよ。それこそ必要に駆られて、居住区を変えるのは訳ないでしょうね」と──採石場跡でも見つけられれば、村に残る石の数と照らし合わせて、彼らが外に出たのか、大きな手がかりになるでしょうな。と、非常にワクワクしているところを申し訳なかったが、その日は既に日が沈みかけていたので、丁重にキャンプにお戻りいただいた次第である。それから、レクターの見張り……もとい、護衛班が交代となり、例の槍使いの所属する班が引き継いだ訳だが、成程。本日辿ったルートは確かに、高い高い崖に沿い、採石場を探すような動きに違いない。
──その会話をしたのは、他でもない自分だったはずなのに。ギデオンの鋭い指摘に目を見張り、キラキラとした尊敬をその瞳に滲ませれば。元々赤い頬をさらに元気に紅潮させたのも束の間。採石場を探して幾許も進まぬうちに、天上から降る白い氷の塊が、みるみるうちに大振りに、横殴りに吹き付け初め。最早これ以上はこちらが遭難する悪天候に、これまでか、と。誰もが思って口にしたくないそれを、一番責任感の強い者が口にしようとしたその寸前だった。雪でけぶった悪い視界に、ずっと右手に捉えてきた険しい岩肌、手前の大きな岩に遮られ、見づらくなった亀裂の奥に、何かゆらりと光ったかと思うと。「レクター様とご同行の方ですね?」「ようこそいらっしゃいました」と、この9日間で聞きなれぬ、どこか幼気な声が吹雪の向こうにりんと響いた。双子だろうか、揃いの皮革のコートを身にまとい、とてもよく似た面立ちの10代半ばと思われる男女は、「今晩はこの猛吹雪です、私たちの村にお越しください」と声を揃えると、人形のように穏やかな笑みを冒険者たちに差し向けるだろう。 )


  • No.727 by ギデオン・ノース  2024-02-14 07:40:20 




(突然姿を見せたかと思えば、この吹雪のなか、ゆらりと穏やかに微笑む双子。その声も、見てくれも、まだ年若い子どものはずだが……異人を見つけての振る舞いは、完全に村の年寄りのそれだ。どこか歪なその雰囲気、常人に比べ浮世離れした口ぶりに。ギデオンは一瞬、何かぴりりとざわついて──いつかの豪雨の日を思い出して──無言でかれらを見つめずにいられなかったが。代わりに、隣にいるエデルミラが、「彼、無事なのね」と口を開いた。名前を知っているということはそうだろう、そちらの口ぶりからして酷い状態にはないらしい、と。横殴りの雪をものともせず、ギデオンと一瞬交わしたその視線からは、(今はレクターの保護を優先しましょう)という熟慮が見て取れる。それでギデオンも、この場は一旦、数歩下がっておくことにした。直接顔は見ないものの、ざくざくと雪を踏みしめながら、無意識にヴィヴィアンの傍へ。……相棒には、ギデオンがなんとなく慎重になってしまうのが、吹雪越しでもわかるだろうか。
エデルミラと双子の間で、いくらかやり取りが為された後、すぐに彼女が戻ってきた。やはり先方は、いなくなったと思われていた、この谷の住人らしい。崖の内部にトンネルがあり、そこを抜けた先の場所に、今の村を構えていて……レクターもそこにいるという。そこでエデルミラは、この捜索隊をふたつに分けると言いだした。リーダーである彼女と、ヒーラーのヴィヴィアンは必須。経験の長いギデオンのほかに、数人の中堅や、体力のある若手も欠かせない。そこにあの槍使いが、自分の引率下で起きてしまったことなので、と志願したため、彼も加わることになった。──以上、9名。それ以外の大勢は、アラドヴァルの大ベテランの指揮のもと、谷底の調査本部に帰還である。そこで待っているほかの仲間に、この状況を共有しに行ってもらう必要があるからだ。
帰還組が元来た道を戻るのを、一行は黙って見送った。といっても、彼らはすぐに、白い幕の向こうへと見えなくなってしまったが。ふと振り返れば、例の双子も、物言わずじっと眺めていた。しかしギデオンの視線に気づけば、またにこりと、今度はやけに歳相応に愛らしく見える笑顔を浮かべ。「それでは、ご案内いたします」と、いよいよ踵を返して、崖のほうへと歩きはじめた。)

(──トンネル内部は、きりりと冷え込んでいた。それに静かで、靴音がやけに響く。ランタンを掲げている先頭の双子は、迷いなく、だがゆっくりと進んでいくので、魔法使いの灯す杖明かりを元に、周囲に目を配る余裕があった。頭上に高く高く広がっているだけで、隧道自体は、狭く細い一本道だ。剥き出しの岩肌を見るに、掘削ではなく天然らしい。しかしなるほど、これはレクターの興味を引きそうだなと、傍を歩くヴィヴィアンとふたり、ちらりと視線を見交わす。あの好奇心旺盛な教授のことだ、何か可能性を見出したら、確かめずにいられなかったのだろう。ほんの少し覗くつもりが、奥の奥まで行ってしまったのだ。
やがて不意に出口が見えた。それと同時に、はっきりと違和感を覚えた。──気温が、違う。前方から流れこむ空気が、妙に寒さを欠いている。双子に続いて崖の外に出た一行は、そのわけをすぐに突きつけられ、思わず呆然と立ち尽くした。……トンネルは、それほど長くはなかった筈だ。だというのにこちら側では、あれほどの吹雪が止んでいた。それどころか、真っ黒な夜空が、酷く美しく晴れ渡っている。……満天の星と、やや細い半月。そしてはるか遠くの、真っ白な頂をたたえた雄大な三角の山が、くっきりと見て取れるほどだ。
双子の案内に連れられて、さらに進んだ一行は、また立ち止まることになった。崖沿いの斜面の上から、こちら側の谷底を見下ろすことができるのだが……そこには、冒険者たちの無意識の予想を覆す光景が広がっていたのだ。──暖かな明かりの灯る家々、そしてこの季節だというのに、緑豊かな畑の数々。それが谷底いっぱいに、当たり前のように広がっていた。せいぜい百やそこらとおもっていた村の人口は、どうやら以上あるらしい。……これが本当に、二百年も外界と隔たれてやって来た村なのだろうか。感嘆を隠せぬ冒険者たちに、先頭の双子が再び振り返り、にこりと穏やかに微笑んだ。「ようこそ、私たちの里へ」──それぞれ片手を広げ、迎え入れるような仕草を披露する──「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」。)



  • No.728 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-02-16 13:16:04 




 ( エデルミラの呟きに、「レクター様はご無事です」「"非常に"精力的に過ごされておりますよ」と。その厳かな頷きの中に、不穏なそれだけでは無い、どこか遠い目をした含みを感じ取れば、この場の誰もが覚えのあるだろう疲労感に親近感さえ覚えて。その可愛らしい見た目も相まり、うっかり気を許しかけていたヴィヴィアンだったが。──200年前の大寒波、時を同じくして凶暴な魔獣が村を襲って以降、このトンネルの向こうに住まいを移したのだと。小さなランプひとつで進む道中、「最近はやっと村も落ち着きまして、また交易も再会出来ればなんて考えていたところだったんですよ」などと、気さくな様子で微笑む少年の一方で。先程までずっと先方を行っていたはずの相棒が、それとなくこちらへと近づいてくる動きに気がつけば。──……? 魔獣、落盤……それともこの子達に何か……? と、そのギデオン自身も明文化しきれていない真意こそ読み切れぬまでも、さりげなく"非力なヒーラー"がぐったり疲れた振りをして、その大きな影にもたれると、歩きやすさ優先で収納していた杖を腰に下げ直しておくだろう。
そうして開けた視界の先で、その鮮やかな緑と白い建物のコントラストに目を瞬かせていれば。「驚きましたかな、この街は火山の地熱を利用しているのですよ」と、草の地面を踏みしめながら近づいてきたのは、これまた立派な皮革を纏った男……とも、女とも取れない年寄りで。「「おじいさま!!」」と、それまでの大人らしい態度を一変させ、人懐こく飛びついていく双子を──こらこら、と優しく撫でながら、ゆっくりとこちらを見回した彼は──決して悪気は無いのだろうが、同年代でも男である相手の方を責任者と判断したか、ゆっくりとギデオンの方へと向き直り。「"むらおさ"のクルトと申します。ちょうど祭りの日に貴方達を迎えられて──」と、にこやかに挨拶を仕掛けた時だった。「なんて素晴らしいんだ!!!」と遠く離れた民家から、冬の夜の空気を揺らす最早聞きなれた大音声。その主であるいつの間にかこの村らしい装いを身につけた某学者が、まさにスキップせんという勢いで飛び出てきたかと思うと。ギデオンの後ろにヴィヴィアンを見つけたその途端、それはそれは嬉しそうな表情でこちらへと駆けて来ようとして──しかし。その「ビビ君! ビビ君! 聞いてくれ──……」と、その出処不明の勢いが段々と削がれて行ったのは、少なくともエデルミラ、若しくはギデオンも近い表情はしていたのだろうか。百戦錬磨の冒険者から放たれる鋭い怒気kあれられたらしい。一行の前に歩みでる頃には、どこぞの電気ネズミの如くシワシワに成り果てたレクターは、聞いたこともないような小さな声で、「ごめんなさい」と子供のように囁くと。それはそれは不安そうな表情で「……あの、僕が悪いんだ、彼は罰せられるのかな、」と申し訳なさそうに俯いて、胸の前で所在なさげに指をいじり始める様子は、誰が見てもごくごく健康と言って差し支えないだろう。 )


  • No.729 by ギデオン・ノース  2024-02-17 01:37:32 



※些事なのですが、前回のロルに書いた「やや細い半月」は、「やや膨らんだ半月」と読み替えていただければ幸いです(時系列修正や世界観関連の意図によります)。



(ギデオンたち捜索隊が、必死に探し回っていたというのに。人騒がせな学者殿は、どうやら全くの無事だったらしい──現にご覧の恰好である。がくりと項垂れたギデオンが、それはそれはわかりやすく、疲れきった溜息を洩らせば。その意図をしっかり汲んでくれたのだろう、ずん、ずん、ずずん、と三人の強面戦士が進み出て。「おんどれなにしとったんじゃゴラァ!」「カタ悪いことしてんとちゃうぞゴラア!」「落とし前つけんかいィ!」等々、しおしお縮こまる大男を、雛を虐める海鳥宜しく取り囲みながら、大げさに怒鳴る有り様だ。傍目にはまあまあ手荒だが──例の槍使いなど、慌てて止めに入ろうとしていた──一応これはこれで、本人の無事を盛大に祝う冒険者なりの所作である。……ガス抜き? 何のことだろう。
とにかく、レクター本人にはそうして反省してもらう間。ギデオンとエデルミラは、改めて村長クルトに向き直り、再三の礼と挨拶を述べた。──我々は、国内中部の各ギルドから寄り集まった、有志の冒険者パーティーです。長らく調査の行われなかったこの地方の魔獣、植物、鉱石について調べるため……及び、風の噂で無事に暮らしていると聞いた谷の人々の近況を尋ねるため、遥かな山々を踏み越えてまいりました。あの男は、あなたがたのご無事を誰より祈っていた学者です。ご迷惑をおかけしたようで大変に申し訳ない、助けてくださってありがとうございました。手土産を持参しているのですが、そちらは現在、キャンプに残してきた仲間たちの手元にあります。ですので、此度のお礼と正式なご挨拶は、また後ほど改めて。その手前、非常に心苦しいのですが、今夜のところはこちらにひと晩泊めさせていただいても宜しいでしょうか。あちら側は酷い吹雪で、皆帰れそうにないのです。
「どうぞどうぞ、遠慮なくゆっくりしていってくだされ」と。クルトはやはり朗らかに、しかし依然としてギデオンのほうだけを見ながら、家々のほうを指し示してみせた。「村はこれから、6日間続く祭りを催すところなのですよ。第一夜はもう終わってしまいましたが……よそからお客様がお見えになったと知れ渡れば、明日から皆、貴方たちを歓迎しきりになることでしょう。お食事はお済みですかな? ああ、そうですか。よかったら、自慢の蜜菓子をお夜食におつまみくだされ。ええ、ええ、この谷の特産品は、この皮衣だけではないのです。我々の飼うミツバチは、非常に働き者でして……」
かくしてギデオンたち一行は、このヴァランガ峡谷の隠れ里──フィオラに泊まることになった。村の手前に空き家が二軒ほどあるらしく、そこに毛布や薪を運び込んでくれるようだ。先ほどの双子のほか、中年の村人たち数人と顔を合わせた。皆にこやかだったものの、明日からも控えている祝祭の準備で忙しいとのことで、挨拶もそこそこにすぐ引き上げていったのが、なんだか拍子抜けである。しかし元より冒険者たちも、数日続いた緊張状態の野営の末に、吹雪のなかでのレクター捜しと来て、流石に疲れ果てていた。今宵はゆっくり休むべきだろう……ちなみに、余談ながら。既に村人と親しくなったレクターに限っては、先ほどの民家から既に招かれていたらしく、申し訳なさそうに冒険者たちと別れていた。しかしそれを威勢良い声で送り出してやったのは、先ほどのいかついトリオである。無事さえわかれば別に良いのだ。
──ヴィヴィアンとエデルミラの女性陣だけで泊まれるような建物は、特に手配されなかった。しかし流石に、いきなり押しかけてしまった身で贅沢を言うわけにはいくまい。彼女らの許可を得て、アマルツィアの弓使いとギデオンのふたりが、用心も兼ねて相部屋を受け持った。……このとき、エデルミラとは少しだけ、今後の懸念を話し合おうと思っていたところなのだが。顔色があまり良くないのでそっと尋ねてみたところ、どうやら月の障りが突然きてしまったらしい。「レクターを見つけたら、なんか……ほっとしちゃったみたいで……」……今回のクエストは長いから、ちゃんと薬も飲んでたのに、と。責任感からか、こんな時にという苛立ちからか、あるいは純粋に余程体調がすぐれないのか。酷く顔を歪める彼女を、休ませないわけがない。ヴィヴィアンに事情を打ち明け、男にはどうしようもない手助けを彼女に託し。ギデオンたちもまた、ふたりには悪いようだが、梁に布をかけただけの仕切りの向こうで、すぐ寝入ることにした。もっとも、ほんの少しでも物音がすれば、すぐにすうっと目を覚まし。傍に置いている魔剣の柄に手を寄せながら、じっと耳を澄ましてみたが……今夜のところは杞憂のようで。──フィオラでの最初の夜は、何事もなく更けていった。)

(さて、翌朝。冒険者たちが朝食のご相伴にあずかろうとしていたところで、昨夜キャンプ地に帰還した、或いは残してきた仲間たちが、トンネルを通ってこちら側に合流した。これで総勢数十名ものよそ者たちが、谷あいの小さな村にいきなり溢れたわけである。
しかしそれでも、フィオラ村の人々は温かく歓待してくれた。私たちの里にようこそ──心からお待ちしておりました! その純真できらきらとしたまなざし、谷の外から来た人間に興味津々な様子ときたら、元々浮かれやすい冒険者たちを擽るのもわけないことだ。特に若い連中ほど、あっという間に村人たちと打ち解けたようで、「ぼうけんしゃ?」「ほんもののぼうけんしゃ!?」と、子どもたちに群がられていた。レクターなどは言わずもがな、あの陽気なお喋りが朝っぱらから止まりそうにない。その勢いにはフィオラ村の人々さえ若干引き気味であったものの……自分たちの何てことのない話から、谷の周辺の植生などを正確に言い当てるのを見て、酷く興味をそそられたようだ。子どもよりも大人のほうが、レクターによく聞き入っていた。
仲間たちとフィオラの人々が活発に親しみ合うのを見て、エデルミラやアラドヴァルのベテランと共に、暫くこの村に滞在したいと打診した。村人たちの許可を得て、きちんと労働を手伝いながら、ここらのことを聞きだせれば。その方が余程効率よく、ヴァランガ一帯の調査を進めていけるに違いない。村長クルトも、ふたつ返事でそれを了承してくれた。村のおなごたちも喜ぶでしょう──こんなに面構えの良い男たちがやってきて、浮つかぬわけがありますまい。
そんなわけで、まずは手始めに、村人との交流である。仲間たちがすっかり元気に動きだした後、逆に深めの二度寝に及んでいたギデオンは、遅れて参加しようとして……しかしいきなり面食らった。若い冒険者の連中ときたら、見てくれは皆いかつい大男であるくせに、花冠なんぞ乗っけていたのだ。どうしたんだと尋ねてみたら、どうもこの村には年中咲く花畑があるようで、そこの花を摘んだ子どもたちや村娘が、プレゼントにとくれたらしい。「カレトヴルッフのお堅いの! あんたもひとつ被っちゃどうです?」──朗らかなそのお誘いを、しかし丁重にお断りして、まずは相棒の姿を探す。相手は今ごろどうしているだろう。人好きされやすい彼女のことだ……あいつらと同じように、フィオラ村の子どもらに懐かれているところだろうか。)



  • No.730 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-02-19 16:14:42 




 ( ──はなをなふみそ、はなをなふみそ、あかきもちづきたくよさり──
フィオラ村の中心地から少し離れた丘の上。下の村からは見えないが、少し高くなったこちらからはよく村を見渡せる花畑に、村の子供たちの歌声が無邪気に響いている。高い高い冬の空に、不似合いなほどの鮮やかな緑、色とりどりの花々の間でくるくるとはしゃぎまわる子供たちの着物が真っ白に太陽を反射して。時刻はちょうど昼下がり、真上に上った太陽に影らしい影が鳴りを潜める光景にその名を呼べば、自身もまた真っ白なローブを纏った娘がギデオンを振り返るだろう。──それは、ギデオンとエデルミラを休ませて、自分も村民との交流を図るべく、夜の祝祭に向けた準備の輪に加わろうとした時のこと。「思わぬルールがあることもある」と、現代人の不用意なふるまいに対するレクターの忠言を思い出して、己が触れていい物を確認しようとするビビに、しかし村民の男たちの様子は好ましいとは言い難かった。決して悪意を自覚しているわけではない、しかしお手伝いをしたがる子供に向けるような、仕方なさそうな生ぬるい視線。年若いとはいえ、立派な成人であるヴィヴィアンに対して、有益な何かができるとは一切信じていない。その癖、彼女の持つ容姿に好感を隠さぬ不可解な──否。これが少なくともエデルミラら上の世代の女達なら、ごくごく見慣れたそれだということを、個人主義である現代の魔法使い社会で育ったビビが慣れていないだけなのだが──兎も角、うっすらと不快な対応に困惑し立ち尽くすビビの腕を引いたのは、彼らもまた忙しい“大人”とは切り離された存在である、皆よく似通って愛らしい村の“子供”たちだった。その無邪気に振舞うことを義務付けられた存在たちは、大人たちの気の引き方をよくよく心得ているようで。ビビの手を引き美しい花畑の存在を教えてくれると、器用に編み出した花冠を腕にかけて、先程ビビ達を冷たく振り払った大人たちの頭にかけていく。そうすると、先程まであれほど冷たかった大人は皆一様に仕方なさそうに微笑んで、皆一様に微笑ましがる。そうして子供たちはまた次々と冠を増産し始め、いつの間にかビビのように年若い女性たちも花輪作りに加わり始めていた。せっせと冠を作ろうさぼろうと咎められない、なんの責任感もない空間は大人になってまだ浅いビビにはよく覚えのあるそれで。この村における若い女の立ち位置に気が付き始めたヴィヴィアンの不安に、そのよく聞きなれた低い呼び声はとても落ち着くものだった。
ギデオンを一目見て柔らかい笑みを浮かべるビビの頭上で、大ぶりな花輪がふわりと揺れる。ゆっくりと立ち上がろうとした瞬間、それまでビビの膝を占拠していた少女に飛びつかれ、「危ないよ」と苦笑しながら膝をつけば。閉鎖的なコミュニティ故だろうか、ビビに限らぬ互いもよくよくくっつき合ってじゃれ廻っている距離感の近しい子供たちにもみくちゃにされ、仕方なく自ら腕を伸ばして相棒を近寄らせれば。今後の相談をしようとするビビの肩越しに、噂の“冒険者”に興味津々といった子供たちの青い目がキラキラとギデオンを貫くだろう。 )

おはようございます、ギデオンさん。
もう少し休まれてなくて大丈夫ですか?


  • No.731 by ギデオン・ノース  2024-02-20 15:46:06 




ああ、もうすっかり大丈夫だ。

(相棒の手に引かれるがまま、彼女の横にしゃがみ込み。話をするよりまず先に、村の子どもたちにごく軽く笑みを向ける。挨拶代わりのつもりだったが──しかしかれらときたら、はわあと大きく息をのんだかと思えば、ヴィヴィアンの肩や背中にますますしがみつくばかり。未だ肩越しにぴょこぴょこと覗いてくるものもいるが、ギデオンと目が合えばはっとしたように固まって、はにかみながら隠れてしまう。ヴィヴィアンにはこのもちもちした団子っぷりだというのに、どうやらギデオン相手には、気軽に懐いてくれないようだ。
苦笑しながらすっかり腰を下ろしたところで、そのきらきらしたまなざしが、どれもギデオンの腰元に注がれるのに気がつけば。鞘に収めた魔剣を見下ろし、次いで再びかれらを見上げ。実にそれっぽく片眉を上げながら──「悪いな。大事な仕事の道具だから、気軽に触らせてはやれないんだ」なんて、如何にも気障ったらしい台詞を。すぐ隣の、ギデオンの上辺も素も知り尽くした相棒には、果たしてどう映っただろう。ともあれ子どもたち相手には、無事に“かっこいい冒険者”を演じることができたらしく。「ほんものだ……!」と興奮したひそひそ声で囁きあい、何かうんうん頷き合ったかと思えば。ぱっとヴィヴィアンから身を離し、今度は野兎よろしく、花畑のなかへ元気いっぱいに駆けだしていった。「あったあ!」と、遠くですぐに掲げたそれは、如何にも手頃な長さの木の枝。おそらく皆で“冒険者ごっこ”でもおっ始めるつもりだろう。王都でも地方でも、おそらくこの国ならどこでも見られるわんぱくな景色──健やかで良いことだ。
さて。大人には分の悪い純真無垢なギャラリーは、こうしてあらかた追い払えただろう。遠くできゃっきゃと上がる笑い声を浴びながら、隣の相手をようやく振り向いたギデオンの表情は、故に酷く満足気なもので。「……流石にあいつらの前で、こんな風にするわけにはいかないからな」なんて、口元を緩めながら、片手を緩く相手に伸ばし。栗毛のいただく花冠を、戯れに優しくいじっては──ほんの一瞬、子どもたちの目を盗んで、薄い唇を重ね合わせる。本当はもっと……先ほどギデオンを振り返る彼女を目にしたあの瞬間、とても言葉では言い表せない感情が湧いたあの瞬間から、もっと深くしてやりたくてたまらない気分だったが。うっかり夢中になったらまずい状況には変わりないし……第一今は、残念なことに、一応仕事中である。それゆえ、名残惜しそうに顔も身体も引き離し。それでも共犯ならではの、悪戯っぽい微笑みを浮かべ。)

──……本当に、よく似合ってる。
ここの花は不思議だな……まるで、ここだけ春みたいだ。



  • No.732 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-02-21 02:04:52 




まあ! んっ、ふふ……ええ、ずっと見ていられるくらい……

 ( きゃははははっ! と楽しそうに駆け出していく子供たちに手を振り、自らもまたギデオンの方へと振り返れば。果たしてそのうっとりとした眼差しは花畑に向けられたものだか、愛しい恋人に向けられているのだかどうだか。つい先程子供たちに向けられた清廉な笑顔と、今自分に向けられている悪戯なそれとのギャップに、満点のファンサービスをもらった子供たちへ、内心ほんのりと嫉妬していたことさえ忘れてしまって。「これね、私が作ったんです」とおもむろに頭上へと手を伸ばすと、その陰に隠れてもう一度。そっと柔らかな唇を触れてそのまま、キラキラと太陽を反射する美しい金色に戴せてやる。そうして吹いた暖かな風に栗色の毛を靡かせ、ゆっくりと草の上に腰を下ろせば。向こうの子供たちは全員分の獲物を手に入れて、いよいよ遊戯にも熱が入ってきた頃合らしい。きゃっきゃと響く聞きなれた宣誓のまじないに、フィオラにも伝わっていたのかと微かに目元を見開けば、視界の端にその小さな青い星型の花が映った途端、何気なく身体が動いていた。ぷつりと茎を摘み取って、自分の指に巻いて輪っかを作ると、むいむいと相手の分厚い左手を我が物顔で引き寄せる。それからその青いリングを薬指にかけようとして、しかし、娘の指に合わせたリングが太い関節に引っかかってしまえば。寸前までにこにこと満足気な笑みを浮かべていた娘のふくれっ面と言ったら。わぁん、とギデオンを前にして気の抜けた声を上げ、もう一度同じ花を探して腰を上げれば。ギデオン越しに見つけたそれに、相手の隣に手をついてぐっと大きく手を伸ばして。 )

だめ、だめ、まって、作り直しますから!


  • No.733 by ギデオン・ノース  2024-02-23 10:44:49 




(──ああ、そういえば。子どもの頃の……十かそこらの頃の俺も、他の見習い仲間と一緒に、あんな風に長い長い宣誓式をしたっけな。しかしフィオラの子どもたちは、谷の外を知らぬだろうに、よくあんなのを知ってたもんだ……と。ふわふわした花冠を何ら抵抗なく被ったまま、意識を遠くに飛ばしていたギデオンは、しかしふと、自分の片手が構われているのに気がついた。
なんだ? とそちらを見てみれば、隣に座っているヴィヴィアンが、どうやら花の指輪を嵌めさせようとしているようではないか。しかし見守っているうちに、実ににこにこと楽し気だった娘の顔は、目算を誤ったと気づいたのだろう、三つ四つの幼女のように、わかりやすくふてくされて。それだけでも内心可笑しかったというのに──あどけない嘆きの声まで、素直にあげられてしまうのだ。もうこらえきれるわけがなかろう。
くっくっ……と、喉仏と肩を小刻みに震わせながら、相手の意識が新しい花に向かったのを良いことに、第二関節で引っかかった指輪をいじろうと試みる。上手く緩めれば、きっとこのまま使えるに違いないのだ。しかしそこに、だめ、まって! と。最初こそ声だけで制止していた恋人が、慌てたように振り返って飛びついてくるものだから。「こら、なんでだ──」「別にいいだろ──」と、ギデオンもギデオンで、奪われそうになる左手を遠くに逃がし。ぱっぱっ、ぱっと、戯れの攻防に興じる。この花冠も指輪も、四十の男にがとても似合わぬ可愛らしさだ──本来の自分なら絶対好んでつけやしない。それでもどちらも、ヴィヴィアンがくれたものだから途端に気に入るのではないか。相手の細い手首を奪い、そこから届かぬ遠い先に左手を掲げてみせれば。これ見よがしに指輪を見せて、「これはもう俺のものだろ、」と。上手く嵌まらなかろうが、既にこれを気に入っていて、取り替えたくはないのだと主張を。その念押しを欠かさぬよう、「……いいだろう?」ともう一度、相手に顔を寄せ……今度は鼻先を触れ合わせて甘える。真冬にしては暖かい太陽の下、自分の下にいるヴィヴィアンの顔は青みがかった陰になって、まるで自分がそのなかに囚えたような錯覚さえおぼえる。途端に攻防のことなど忘れ、小花を絡めた左手までゆるやかに戻してくると。骨ばった両掌で、相手の栗毛を包み込むように撫でながら……そのまろい額、つんと高い鼻頭、綺麗な丘を描く瞼に、宥めを込めた唇を触れ。)

──……まだ数日は、ここで真面目に仕事をする必要があるんだ。
慰めに……秘密で持たせてくれ。



  • No.734 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-02-23 12:43:26 




……だったら余計に、もっと完璧なのを持ってて欲しかったの!

 ( いい大人がふたり取っ組み合いの攻防戦の末、硬い膝の上に肘をつき、そうまん丸に膨れて見せたところで、楽しげな男は聞こえているのかいないのか。いよいよ此方を本気で宥めにかかってきた相手に、心底嬉しそうな可愛らしい様に免じて、渋々誤魔化されてやることにすれば。先程から可愛らしい声が紡いでいた宣誓は、第二節と第三節がこんがらがって、いつまでも抜け出せないループに陥ったらしい。「ねえもうきいたー」「うるさい、わすれちゃうじゃんか!」とあちらもじゃれつき始めた気配に、くすりと小さく口元を抑えて、乱れた髪をしゅるりと解けば。どちらが先に戯れ始めたかなど、都合の悪いことはさっさと忘れたらしい。──ギデオンさんがそう来るなら、私も甘えていいよね、とばかりに。上半身をぐうと伸ばして、相手の膝の上をぽかぽかと占拠すると。居心地良いように脚を広げさせ、逞しい腕の檻の中から、キラキラと輝く大きな瞳でギデオンを見上げる。そうして、「ねえ、私もギデオンさんに選んで欲しい」と唇を尖らせると。胸元に手を当てながら、欲深く笑って見せて。 )

……一輪じゃいやよ、指輪はもう持ってるから、冠にして?


  • No.735 by ギデオン・ノース  2024-02-25 12:56:38 




俺が編むのか? 俺が?
……しょうがないな……

(当然ながら、花冠だなんて可愛らしい代物なんぞ、少年時代に一度とて作ったことのないギデオンだ。そんな人間のお手製で本当に構わないのか、知らないぞ? なんて問う声は、しかしさほど本気でもなかった。たった今伝えたように、自分自身、ヴィヴィアンの作ったものなら何でも喜んでしまえるからだ。──ついでに言えば、髪を解いたときのあのふわりとした香りに、ギデオンはてきめんに弱い。わかってやっているのだとしたら、相手はとんでもない策士である。
故にやれやれと、呆れるふりをして受け入れてみせれば。膝の間で堂々甘えきるヴィヴィアンの髪を、大きな左手で撫で下ろしてやりながら、右手は自分の花冠を取り外し、目の前であちらこちらに傾け。まずはあらゆる角度から、その構造を注意深く観察する。こういうところに、生来の生真面目さと職人肌が思わず出てしまうのだろう。やがてああ、なるほどな、と片眉を上げれば。(少し持っていてくれ)というように、一旦冠を相手に預け。周囲の草花に目を走らせ、手頃なのを見つけるなり、少しだけ腕を伸ばして、ひとつひとつ摘み取っていく。──作業に集中してはいるが。どうやら、腕のなかにいる相手のことは、片時も離すつもりがないらしい。
そうして材料をある程度揃えれば、少し腰を浮かせて、ゆったりと座り直し。相手を軽く手で押して、自分の胸板にすっかりもたれかかるようにする。無論これは、自分の手元の作業がよく見えるよう協力してもらうだけのこと──別に決して、それにかこつけて相手を堪能する意図はないのだ。だからあくまでも、作業だけは真剣に。まずは土台にする若いトクサを柔らかくほぐし、相手の小さな頭に合わせた円形を形づくる。そうしてお次に、葉っぱの大きさが大きく異なる二種類の下草を、グランドカバー代わりに編み込み。その上から、大小も色も様々な愛らしい花を、しっかり結びこんでいく。その指先に迷いはない──ただ、繊細な作業なので、どうしても時間がかかる。故に、ある程度作業が軌道に乗ったところで。「そういや、」と、これまでののどかな沈黙を、こちらの方から緩やかに破り。)

ここに来る前に、他の連中を見てきたが……皆上手くやってるようだ。クラウ・ソラスの連中は村の男と狩りに行ったらしい。レクターは次々に何か発見しているようでな……報告書が楽しみだ。
おまえのほうでも、子どもたちから何か聞けたか。この辺りの気候だとか……魔獣関連の話だとか。



  • No.736 by ギデオン・ノース  2024-02-25 12:58:44 




(当然ながら、花冠だなんて可愛らしい代物なんぞ、少年時代に一度とて作ったことのないギデオンだ。そんな人間のお手製で本当に構わないのか、知らないぞ? なんて問う声は、しかしさほど本気でもなかった。たった今伝えたように、自分自身、ヴィヴィアンの作ったものなら何でも喜んでしまえるからだ。──ついでに言えば、髪を解いたときのあのふわりとした香りに、ギデオンはてきめんに弱い。わかってやっているのだとしたら、相手はとんでもない策士である。
故にやれやれと、呆れるふりをして受け入れてみせれば。膝の間で堂々甘えきるヴィヴィアンの髪を、大きな左手で撫で下ろしてやりながら、右手は自分の花冠を取り外し、目の前であちらこちらに傾け。まずはあらゆる角度から、その構造を注意深く観察する。こういうところに、生来の生真面目さと職人肌が思わず出てしまうのだろう。やがてああ、なるほどな、と片眉を上げれば。(少し持っていてくれ)というように、一旦冠を相手に預け。周囲の草花に目を走らせ、手頃なのを見つけるなり、少しだけ腕を伸ばして、ひとつひとつ摘み取っていく。──作業に集中してはいるが。どうやら、腕のなかにいる相手のことは、片時も離すつもりがないらしい。
そうして材料をある程度揃えれば、少し腰を浮かせて、ゆったりと座り直し。相手を軽く手で押して、自分の胸板にすっかりもたれかかるようにする。無論これは、自分の手元の作業がよく見えるよう協力してもらうだけのこと──別に決して、それにかこつけて相手を堪能する意図はないのだ。だからあくまでも、作業だけは真剣に。まずは土台にする若いトクサを柔らかくほぐし、相手の小さな頭に合わせた円形を形づくる。そうしてお次に、葉っぱの大きさが大きく異なる二種類の下草を、グランドカバー代わりに編み込み。その上から、大小も色も様々な愛らしい花を、しっかり結びこんでいく。その指先に迷いはない──ただ、繊細な作業なので、どうしても時間がかかる。故に、ある程度作業が軌道に乗ったところで。「そういや、」と、これまでののどかな沈黙を、こちらの方から緩やかに破り。)

ここに来る前に、他の連中を見てきたが……皆上手くやってるようだ。クラウ・ソラスの連中は村の男と狩りに行ったらしい。レクターは次々に何か発見しているようでな……報告書が楽しみだ。
おまえのほうでも、子どもたちから何か聞けたか。この辺りの気候だとか……魔獣関連の話だとか。



  • No.737 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-02-26 17:38:03 




 ( しゅるり、しゅるり、と髪に触れる手が心地よくて、そっと花の香りに目を伏せる。花冠なんぞしたことないぞ、と言いながら。甘くビビのおねだりに応えてくれるギデオンに、こうして甘え切ってしまったのは、我ながら自分の常識が伝わらない村に疲れていたのだろう。きゃっきゃと上がる歓声に、時折子供たちのことを見守りながらも、束の間の休息を戯れていたその時。──そうだ、何を弱気になっているのか、と。背後からかかった穏やかな声に、他の冒険者達とは違い、ただ子供たちと遊んでいただけにも見えるヴィヴィアンもまた、情報収集していたに違いないと信じてくれているギデオンに、少し弱気になっていた頭を小さく上げれば。長い脚の間で座りなおして、できうる限りの報告を。 )

魔獣のことは……確かに出るには出るらしいんですが、あの子達には危険だから外に出るなとしか。“英雄”が守ってくれる……みたいなことも言ってましたが、こっちは大人に聞いた方がいいでしょうね。
──でも、気候についてはバッチリですよ! ……なんて、むらおささんの仰っていた通りで、火山の地熱を利用しているんですが、古代魔法をそのまま守り続けているみたいです。
一度解除してしまうと、かけ直しができないので──……ねえ、君たち、本当はあんまり魔核の場所とか知らない人に話しちゃ駄目よ。悪い人もいるんだから。

 ( そう最後に語り掛けたのは、大の男が自分たちと同じ遊びをしているのが物珍しかったのか、いつの間に二人の周りに戻ってきていた子供たちだ。年中枯れない花畑を調べていたビビの気を引きたかったのか、先程、その仕組みをようようと語ってくれたお調子者と。その隣で「ナイショなのよ」と、村の魔術師が定期的に通う場所まで教えてくれた妹の方は、ビビの膝の上を奪い合い。彼女も彼女で純粋に、年少組の暴露に慌てふためき、「ああっ、ダメダメ! ……忘れてね、ビビ?」とダメ押ししてくれた姉の方は、熟練の職人の顔をして、今やギデオンの手つきにアドバイスをくれている。(どうやらすっかり仲間認定されたらしい)ギデオンとビビがこの村のことを調べに来たということを知れば、未だ冒険者見習いにもなれないような小さな子達だ、あまり要領を得ない点は多々あれど、必死に村での生活のことを教えてくれ。少しずつ日が傾き始めた時分、村を見下ろせるこの丘からだからこそ見えたのだろう。この遅い時間から、村から対角線上にのびる獣道に上っていく村民を見かけて、何があるのかと問いかけたヴィヴィアンに、「あっちにもお花畑があるのよ、こっちよりもずっとキレイなの……」と、教えてくれようとした瞬間だった。下の村から、そろそろ帰って来なさいと声をかけてきたのは姉妹の母親らしい。ビビと同年代か、ひょっとするともっと年若く見える妊婦は、ギデオンに遊んでくれていたことへのお礼を告げると。「本日は広場で御馳走が出ますので、冒険者様たちも宜しければどうぞ」と小さく微笑むだろう。 )

──わあ、それは皆さん喜ばれますね。エデルミラさんも呼んでこなくちゃ。


  • No.738 by ギデオン・ノース  2024-02-27 15:11:35 




(少し元気のなかったように思える相棒が、そのいずまいを緩やかに正し、情報共有を始めれば。手を止めたギデオンもまた、真剣に耳を傾け、ひとつひとつをしっかりと頭に刻み込んでいく。たったそれだけの、思えばなんてことないやりとり。けれどもこれは、ふたりが相棒になって以来、幾度となくやってきでいることでもある。故に、ただこうしてなぞるだけでも、互いへの信頼を実感し合う儀式になるのだ──そして毎度のクエスト中、それがどれほどよすがになるか。
彼女は案の定、様々な情報を手に入れてくれていた。村を魔獣から守る“英雄”に……この里ならではの、周辺の吹雪さえ寄せつけない特殊な気候を生み出している、地熱を利用した古代魔法。その魔核の眠っている場所と、管理しに行く魔術師の存在。この丘を登ってくる前、村人たちと交流している他の冒険者の報告も受けたが、そのどれにも、こんな話は含まれていなかった。理由は単純──大人たちは、利害という社会的な都合から、微笑みをもって口を噤む。しかし純真な子どもたちは、全くその限りではないという……ただそれだけのことだ。大人たちが侮って、ヴィヴィアンとともに追いやってしまった存在は、しかしその幼さでは到底信じられぬほど、案外物事をよく見ている。ヴィヴィアンもそれをわかった上で、かれらとの関係を築き上げてくれたのだろう。
ギデオンがヴィヴィアンと戯れ、花遊びにまで興じたのは、これに乗じるためでもあった。フィオラ村のあの独特な雰囲気は、丘の下でも既に見ている。子守と炊事洗濯以外は一切許されぬ女たちに、おそらく中年女性であるからという理由で、まるでいないものかのように扱われているエデルミラ。そんなことが許される環境で育ってきた子どもたちからすれば、若い女性と当たり前話し、親しみ、あまつさえ花遊びに加わりさえするギデオンは、非常に特異な“大人の男”に映ったに違いない。その狙いは案の定大成功で、最初こそ遠巻きになっていた少女たちも、今は楽しそうにギデオンに喋り倒している。
それをよくよく聞き込んでいれば、あっという間に夕暮れ時だ。皆を呼びに来た若い妊婦は、ギデオンたちと挨拶すると、自分の娘たちと手を繋ぎ、ゆっくりと丘を下りはじめた。その背中をじっと見てから、どちらからともなく、ヴィヴィアンと視線を交わす。──これは、調査仕事の範疇じゃないが。このフィオラ村は、やたら妊婦が多いというのは、地味に気になるところだった。おそらくこのフィオラ村で、あのくらいの若い女性は、皆が皆、妊婦であるか、出産したばかりである。田舎はどこも、都市部より遥かに出生率が高いものといったって……あれは流石に異常な数だ。しかしその割に、村全体の人口はそれほどでもないと思えた。村に来る前の予想に比べれば遥かに多かったものの、それでも二百には届かない。──そういえば、あまり老人を見ない。“むらおさ”をはじめとしたごく少数を見かけるのみで、人口の比率に合わない。かれらはどこにいるのだろう? ……)

……ご馳走に御呼ばれする前に、一度あいつとゆっくり話そう。
どんなことでも、できるだけ……共有しておいた方がいい。

(──そうして。相棒に耳打ちしたその通りに、小屋で休みつつ記録をとっているエデルミラの元へ行き。今日の収穫を共有すると、こちらも面白い話を聞けた。──彼女に先に報告しに来て、今はまた外に出ているという、我らのレクター博士曰く。フィオラ村の人々の独特な訛りには、西の大国・ガリニアの影響が直接的にあるそうだ。レクターが話すような、トランフォード国内の地方訛りのそれではない……発音だけでなく、語彙の端々に、大陸西側ならではのものがはっきり残っているという。もしかしたら、あの国に祖を持つ民族なのかもしれない──無論、トランフォード人は遡れば皆そうだが、それにしたってフィオラはどうも、独自のルーツがあるようだ、と。あの教授ったら、また身振り手振り大興奮で、ほんとに大変だったのよ……と苦笑するエデルミラは、どうやら祝祭を欠席するつもりらしかった。ごめんね、体調がまだ良くなくて……どのみちリーダー役は、アラドヴァルのあの人が代役をしてくれているし。ううん、夕飯のことは手配してるから気にしないで。あなたたちも今日はお疲れさま、ゆっくり楽しんできて頂戴。)

(──そんなわけで、あとはすっかり頭を切り替え、フィオラ村の祝祭の第二夜にご招待である。その主催地は、村の中央にある芝生の広場。どこまでも広い緑一色のフィールドを、大小の松明が明々と照らしだし。真っ白な布をかけられたテーブルは、どれも六角形に組まれて……その上には所狭しと、色とりどりのあらゆる馳走が並んでいた。真冬のこの時季だというのに、数十人の冒険者を参加させてくれるのは、随分な太っ腹だと恐縮に思ったが。「この村は、古代魔法のおかげで年中食べ物がありますのよ。だからどうか、ご遠慮なさらないで」と珍しく話しかけてきたのは、黒いフードを被っている、妙齢の美しい女だ。真っ赤な唇を蛭のように蠢かせ、ヴィヴィアンの目を盗むようにして、女はギデオンの手を取った。「出し物もいたしますの。この村に二百年伝わる英雄譚と、それに……」と。そこでギデオンが、さりげなく手を振り払い、ヴィヴィアンに呼びかけて場を辞したにもかかわらず。女はその、長い睫毛に縁どられた目で、ギデオンの項辺りに、そのじりじりとした熱い視線をいつまでも投げかけていた。
──そんな一幕はあったものの。祝祭全体は至って平和に、ごく明るく始まった。冒険者も併せて二百近い人々が、皆一堂に会し、祝杯を挙げたわけである。村の女たちの半数は給仕に忙しくしていたが、流石に客であるヴィヴィアンは、卓に座っていて良いらしい。王都組、ということで隣り合うことのできたふたりは、純粋に食事を楽しみ、周囲の冒険者仲間たちとあれこれ楽しく盛り上がった。──この肉、おそらくヘイズルーンだ。──ヘイズルーン? ──山から山へ渡り歩く、とてつもなく巨きい図体をしたヤギ型の魔獣だよ。あらゆる毒草を食べることができるらしい。──でも、あいつらたしか、並の魔獣じゃ狩れないくらいに強いはずだ。村の人らは、どうやってあれを倒したんだろう? ──そいじゃあ、ちょっと訊いてみようか……
満天の星空の下、宴もたけなわになってくると、酒が入った人々は、村人も冒険者も関係なく寛ぎはじめた。これからは広場の各地で催し物があるらしく、めいめい好きなところに遊びに行く流れらしい。ギデオンも最初こそ、この祭りの雰囲気に乗じて、他所の冒険者たちや村人たちと交流するのに気を割いていたが。──会が自由になったらなったで、また例の、よそから来た若い女性であるヴィヴィアンを避けるような雰囲気が、ちらほらと窺え始めた。そこで、アラドヴァルの代理リーダーにひとこと断りを入れ(もっとも、寧ろ勧められたが)。相棒であるギデオンが、彼女の傍に堂々とつくことにした。職権乱用? 公私混同? なんのことだかさっぱりである。
悲しいかな、男が傍につきさえすれば、フィオラ村の人々も、ヴィヴィアンへの接し方を多少改めるようだ。そのことに顔を顰めつつ、郷に入ったら郷に従え、なんて言葉もあるし、俺たちはいきなりやって来たよそ者の立場だからな……と。「家に帰ったら、ふたりで存分にゆっくりしよう」と、そっと優しく囁いておく。さて、こうして心置きなく、更けていく夜を一緒に過ごすことになったが。この後まもなく、広場の中央にある六角形のステージで、この村ならではの歴史劇が始まるという話らしい(……そういえば、この村はどうも、村のあちこちに六角形があしらわているようだ。家々の形ですらそうだった)。どんな劇なのかと尋ねても、村人たちは皆微笑んで、観てからのお楽しみだよ、と──そう言われては仕方がない。周囲に出されたベンチを見渡し、後方の左隅、程良く中木に隠された空席を見つけると、相棒をそこに連れていき。ふたり並んで腰かけて、ゆったりと椅子の背にもたれれば、なんだか覚えのある状況に、可笑しそうに片眉を上げて。)

……なんだか、いつかを思い出すな。ケバブでもあれば完璧なんだが。



  • No.739 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-03-01 00:14:45 




ギデオンさんったら、さっきまで食べてたのに……ケバブは家に帰ったら作ってあげますから、今はハムで我慢してください。
──それとも、なにか賭けますか?
今回も私が勝ちますけど、ッ…………。

 ( 相変わらず隙のない様子で人をエスコートし、ゆったりと屋外の舞台を観察したかと思えば、次の瞬間。無駄に様になる表情で囁く内容がそれなのだから、思わず吹き出さずにはいられなかった。当時であれば、その整った容姿に誤魔化されていたろう雑談も、ギデオンが素でぼやいていることを知っていれば、今や食べ盛りの相棒がひたすら愛しいだけで。この半年ちょっとで、ねだれば何かしらの食べ物が出てくるようになったポケットから、お手製の燻製ハムを取り出し差し出しかければ。その可愛らしい意地悪の間合いは、明らかに目の前の相手からうつされたそれだ。ニマリと笑ってハムを引っ込め、態とらしくすました表情を浮かべかけたビビの顔にしかし、ぴく、と小さな苦痛が走る。二の腕の柔らかいところを拗られたような小さな、けれど確かな鈍い痛み。──2人の関係も知らずして、生意気な小娘に灸を据えてでもやったつもりだろうか。誰かの蛮行を隣の者も見えただろうに、低い背もたれから振り返ったところで、しらーっと視線を逸らす村民達に──余所者は自分たちの方だ、と。大したことじゃない、自分が我慢すればことが済むと、もし相棒に問いかけられたところで「なんでもない、大丈夫です」と首を振ったのが全て悪夢の始まりだった。
とはいえ、それ以外の雰囲気は和やかなままその劇は始まった。自然の帳を利用して、時折主人公らにあたる魔法の光は、ビビ達が知る一般魔法体系と同じ単純な構造のそれだ。内容も特にこのトランフォードでは珍しくない、昔この村で起こったという英雄による魔獣の討伐譚。討伐される獣が元々村の嫌われ者だったという点については少しグロテスクなものも感じたが、英雄が"良い獣"になって戦ったという話については、神話時代まで遡ればよくある話。成程、英雄が"良い獣"になるための薬が花ならば、この村が花を大切に育てる由来も分かると言うもので。舞台の幕が降りると、最前列で目を輝かせていたレクターが、早速隣の村長の1人を質問攻めにし始めている。他の村民達はのんびりとその場で談笑する者、祝祭の食事に戻る者、そのめいめい穏やかに過ごす雰囲気からは、この催しがそこまで格式高くない、素朴な物なのだと感じ取れるだろう。さて、そんな村民達とは違って、あくまで仕事中であるビビ達はこれからどうしようか。折角ならその美しい花もぜひ見てみたいところだが──と、劇前の囁かな事件などすっかり忘れて周囲を見渡し、ギデオンの腕を引いた娘がぴたりと固まったのは、その視界の先に先程宴に誘ってくれた女性を見つけたからだ。隣にいるのは夫だろうか、先程の娘たちとよく似た金髪の──中年、否。既に初老に近い男が女の腰を抱くと、当然のようにその顔を長く、激しく引き寄せたのを目の当たりにすれば。ギデオンの方へとぱっと逸らした顔は、恥ずかしそうに赤らみ、形の良い眉を困ったように八の字に歪めていて。 )

──っ、あ、うう~っ……この村の人達って、距離感が……ごめんなさい、慣れなくって……


  • No.740 by ギデオン・ノース  2024-03-03 15:30:49 




(相手に促されるままそちらを見たギデオンも、一瞬言葉を失った。しかしその原因は、人目を憚らぬ派手な接吻でも、老人と若い娘という怪訝な組み合わせでもない(……あれほど離れてはいないにせよ、己とて、ヴィヴィアンとの歳の差を思えばとやかく言えない立場だろう)。それよりも──自分の記憶違いでなければ。今朝がた、あそこにいる初老の男は……一緒にいる妊婦のことを、三番目の“孫娘”だと紹介していたはずなのだ。
『もうすぐ曾孫が生まれる予定なんだ。それが楽しみで仕方なくてね』と。確かにあのふたりは、目元がとてもよく似ている、と感じたのを覚えている。そのはずの……間違いなく血が繋がっているはずの、祖父と孫が。あんな、まるで……盛りのついたけだもののように。今さら人の営みにそう驚かないギデオンでも、あれは流石に、なんだか異様だと思わずにはいられなかった。常識や風習というものは、ところによってさまざまで、よそから来た人間がそう簡単に否定していいものではない。それでもなんだか。見てはいけないものを見てしまったような、落ちつかない気分に陥ってしまう。
周囲はどうなんだ、と見渡してみても。篝火に照らされた村人たちのなかに、かれらの様子を見咎める者は見当たらない。やはり……どうやら……この村では、当たり前の光景のらしい。それどころか、まるで欲情を移されでもしたかのように、ひと組、またひと組と。妙な戯れに勤しみはじめる男女の姿が、そこここに見えはじめた。そのすべては知らないが、やはり何組かは、実の兄妹や母子のはずだ。客席にいたほとんどがこれでは……開演前の相棒に何かを働いた犯人を、それとなく探ることなどできようか。
仕方なく、ため息をひとつ。相手の肩を軽く抱き、この場からの離脱を促す。レクター博士には今度こそあのしっかりした助手がついているから、今夜のところは大丈夫だろう……そう願いたいところだ。)

……あれは、誰でも驚くさ。
とはいえ、どうにも気まずいな。……あっちへ戻ることにしよう。

(──しかし、その道すがらもまた。よくよく見れば、この村はどこか、ほかの片田舎にあるそれとはわけが違っているらしい、と突きつけられることになった。観光客など取り入れることのない、閉ざされた里だろうに……寧ろ、それだからこそなのか。宴の後に出はじめたあちこちの簡素な露店に、当然の如く並んでいるのだ。──露骨に男のそれを模した彫り物や、男女の営みを表紙に描いたそれ用の指南書、そういった品々が。
こういった不埒な小物は、別にキングストンでも見かけないわけではない。謝肉祭の時期になると、西部の花街のいかがわしいエリアなら、当たり前のように売っている。だがそれですら、一応はちゃんと、風営法に則ったゾーニングを施しているはずだ。青年のギデオンが女を連れて冷やかしに行くことはできても、子どもはそもそも、検問所を通れないようになっている、それは倫理上当たり前のことである。──それが、このフィオラではどうか。今は祝祭の期間だから、と遅起きしている子どもたちにも、そのいかがわしい出店はあっさりと曝け出されていた。それどころか、時折大人が呼び寄せて、指南書を開いて見せてすらいるようだ。都会で暮らす冒険者には、これはなかなか衝撃で。「……なあ」とヴィヴィアンに囁いたのは、おそらく彼女も同じような気分だろうと、そう思ってのことだった。)

……今夜はもう遅い。宴の片づけは、アルマツィアの連中が引き受けることになってるし……俺たちも、これ以上ここに用はないだろう。エデルミラのところに行って、調査書を手伝わないか。ここにいるのは、なんというか……わかるだろ。



  • No.741 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-03-15 14:39:22 




……、……ッ!!

( いよいよ乱れ始めた会場を後にして、ほっと息を付けたのも束の間。通りに転び出た二人の視界に飛び込んできたのは、これまた不道徳で信じがたい光景の連続で。労働力としての子宝が、貧しい農村で都市部よりずっと有難がられることは知っている。その結果、直視しがたい“それら”に素朴な信仰が集まることがあるのも──知識としては、持ち得ている。しかし、目の当たりにした衝撃に、思わずギデオンの腕に縋りつけば。こんな通りで密着する男女に向けられる視線は生ぬるく。首都育ちのヴィヴィアンにとって、耳を疑うような声掛けの数々に、じゅわりと緩む涙腺と、優しい恋人の辛抱の甲斐あって、最近は随分なりを潜めていた潔癖がゾワゾワと立ち上がる感覚に。ちょうど相手も気まずそうな相棒の囁きへ、一も二もなくコクコクと勢いよく頷けば。ようやく昨晩の空き家に戻ったところで、エデルミラの姿が見えなかろうと、“少し出てくる”という書置きまで見つければ、再度あの村民達の中を探しに戻る気力など枯れ果てていた。 )

 ( ──ギシリ、と。乾いた床を踏む音が、暗い天井に微かに響く。慣れない光景の連続に、ぐったりと深い眠りについていたビビがその気配に気が付いたのは、既にその気配へ部屋の侵入を許してしまった後の事だった。あれからギデオンと別れて寝台に潜り、どれ程の時間がたっただろうか。身体の具合からして、日付はとうに変わっているように思えるが、視線を窓の外へと移したところで、未だ黒い宵闇が周囲を満たすだけで窺い知れず。一瞬、エデルミラが帰ってきたのだろうかと甘い希望が思考をよぎるも、それにしては気配の潜め方があまりにお粗末過ぎる。ならば──物取り、だろうか。それにしたって素人同然の身のこなしに、少しの油断もあっただろうか。……ギシリ……ギシリ、と静かに、しかしゆっくりと此方へ近づいてくる気配に、此方は無音で魔杖へと手を伸ばし、此方の荷物へと手を伸ばした途端に、現行犯でひっ捕らえてやるつもりでいたというのに。──……あ、いけない、駄目だ。あろうことか、その人影は、貴重な魔法薬を広げたテーブルを無視したかと思うと、一直線に此方へと向かって来るのだった。
──それからのことは一瞬だった。否、男は尚もゆっくりとビビの横たわるベッドへ忍び寄って来ようとしたのだが、ビビの思考がその目的に気が付いた途端、全てを放棄してフリーズしたのだ。そのうち大きく濡れた眼球に肥え太った月が反射して、男はビビが起きて、自分に視線を向けていることに気付いたらしい。それでも静かに身じろぎもせず、声も上げない娘をどう解釈したのやら。最早足音さえ潜めずに寝台に乗り上げると、「こんばんは、良い夜ですね」と、穏やかな挨拶が余計にビビを混乱させる。月明りに照らされた姿も、美しい金髪に甘くまとまった顔立ちと、言葉を選ばなければ──こんなことをせずとも、異性には困らなそうな容姿をしてはいるのだが、そんなことは問題外で。──こわい、いやだ……逃げなければ、声を出さねばと思うのに。ゆっくりと腹に体重をかけられ、此方を見下ろしてくる大きな影に身体が震えて、はっはっと呼吸さえもがままならず。そんなビビに眉を上げ、「おや、少し寒いでしょうか」と、頬へ触れてくる掌にさえ怖気が走り、はくはくと喉が強張り声も出せない。「大丈夫、すぐに暖まりますから」と胸元へ入れられた手にやっと微かに身を捩って、ひどく震えて掠れ切ったその声も、すぐ近くに肉薄した男にも届かなかったそのように、ぼろりと零れた涙と共に寝具に吸い込まれて掻き消えるはずで。 )

──……ひっ、たすけて……ギデオンさ、



  • No.742 by ギデオン・ノース  2024-03-16 13:00:13 




(──ヴィヴィアンの、か細く助けを求める声から……遡ること、数時間前。
「おやすみ」と、彼女の額に軽く唇を触れ、しばらく傍に寄り添ってから、ギデオンはそこを離れた。なかなか戻らぬエデルミラを、探しに行こうと思ったのだ。否、彼女は一度だけ、確かにこの家に帰ってきた。しかしながら、ギデオンとヴィヴィアンにろくに声をかけぬまま、荷物から何かをごそごそ取り出して、すぐにまた出かけて行ってしまったのである。妙にこわばった、あまり余裕のなさそうなあの横顔……。一体何事だろう、と調査書を作りながら相棒と話し合ったが、夜がどんなに更けていっても、彼女は一向に戻ってこないままだった。広場のどこかで仲間と合流しているだけならいい。だが念のため、確かめに行くに越したことはないかもしれない。そう思っていたギデオンの顔を的確に読んでか、「私も様子を見に行きますよ」と、相手が申し出てくれたものの。普段は生き生きと元気なはずの彼女の顔には、しかし拭い去れない疲労が、ぐったりと滲んでいた。──無理もない話だ。相棒はこの十日間、パーティー内の唯一のヒーラーという立場で、仲間の健康管理にただでさえ気を張り続けていた。その矢先に、この村の正面切っては行われない排斥や、あの異様な様子に思い切り中てられる経験……。ヴィヴィアンは酸いも甘いもある程度噛み分けられる大人の女性に違いないが、それでも本質的には、稀有なほど清純である。そんな彼女に──はっきり言ってどこか濁っているこの村の水は、当然合わないはずだろう。故にギデオンは、相手をそっと押しとどめた。「探すだけなら、俺でもできる。ついでにほかにもいろいろ、若い連中や、レクターの様子も確かめておきたいんだ。ここは俺に任せて、おまえは先に休んでおくといい。特にここ数日は、あまり眠り足りていないだろう……?」
──そうして、ほっとした彼女が寝入るのを、しばらくかけて見届けた今。ギデオンはひとり、夜のフィオラ村を淡々と歩いている。中央のほうの家々のあちこちからは、生々しいほどの喘ぎ声がもはやはっきりと聞こえていた。ヴィヴィアンを残してきたのは、やはり正解だったということだ。あちこちに目を走らせるうちに、アラドヴァルのベテラン戦士や、アルマツィアの斧使いを見つけた。互いに歩み寄り、情報共有を開始する。若い連中の所在は、すべて確認済みらしい。何人か……否、十何人もが……ふらふらと村娘の誘いに乗りかけたものの。斧使いがすかさずわざと仕事を振り、本分を思い出させてくれたそうだ。「いやさァ、普通の村なら多少目を瞑るんだが」──古傷のある顔を、ギデオンに向けて顰める──「なんだかよ、ここじゃァよ、そいじゃァ危ねえ気がしてよ」。
それを鼻で嗤ったのは、アラドヴァルのベテラン剣士だった。出向先の女をひとりふたり抱くくらい、別に取り立てて咎められることでもなかろうに。今の時代は、随分とお行儀良くなったもんだなあ? と、異論ありげである。……この十日間、所属ギルドの異なるベテラン組は、それでもそれなりに上手くやってきたつもりだが。なるほど、個々人の感覚の違いから、やはりどうしても一枚岩になれぬ部分もあるようだ。斧使いと顔を見合わせ、「孕ませたら事だからな。若いと暴発しがちだろ」と、あくまでも軽く受け流す。──それより、エデルミラを見てないか? ──エデルミラ? あの女、晩餐にも顔を出さなかったくせに、どこかほっつき歩いてんのか。──……用事がある様子だったんだ。とにかく、おまえたちは見てないんだな。──ああ、いや、あそこじゃねえか。ほら、あの教会みてえなとこ……。
斧使いの視線を辿ると、なるほど、村じゅうにある六角形の建物のなかでも、少し大きな……ステンドグラスが嵌められている建物に、彼女が入っていくところだった。……何故何も、ギデオンたちに共有していないまま、行動を起こしているのだろう。ベテラン仲間たちに軽く手を掲げて別れを示し、「あとはレクターのことだけ頼む」と言い残してから、ギデオンもそこへ向かった。月明かりの下、間近に見上げるその三階建ての建物は、どこかよそ者を受け付けない雰囲気を窺わせる。どうしてここに、村人とあまり交流できていない筈の彼女が、すんなり入っていけたのだろう。少し状況を訝しみながら……ギデオンも扉を押し開け、中へ静かに踏み込んだ。)

(──建物のなかは、異様だった。数歩先はすぐ壁で、左手の方にずっと、細い通路が続いているのだ。どうやら、中央に向かって螺旋状に渦巻いていく造りらしい。そしてその壁には、大小さまざまなタペストリーが、美術品のように飾られていて……これがどうにも、不気味なのだ。冒険者ゆえ暗順応が早いギデオンは、慎重に歩みを進めながら、その刺繍絵をひとつひとつ確かめた。──花を植えている人々の姿、これらはまだ平和でいい。目がぐるぐるとしているところが個人的には薄気味悪いが。しかし、その先に……蛮族か何かがが押し寄せてきて、一斉に虐殺が起こり、人々が逃げ惑った……とでもいうような、凄惨な光景が突如として現れる。そしてその先、嘆き悲しむ顔をした人々が、一輪の花を抱えながら、巨大な骸骨の背中を踏み越えていく様子。途中で落伍者も出た様子からして……これはもしや、数百年前の国全体の史実である、カダヴェル山脈踏破だろうか。やがてその先、ごく普通の……それでも、依然として目がぐるぐるした不気味な人々が、少しずつ暮らしを営んでいく様子の先に。──唐突に。若い女を山中の井戸に閉じ込め、やがてやせ衰えた彼女を引き上げて皮を?ぐ、不気味な男の刺繍が出てきた。どうやらその女の皮で服を縫い、それを纏って喜ぶような、異常な人間であるようだ。惨劇を知った村人たちが嘆き怒る様子、男が追放される様子。だが人々のところにはすぐ、空飛ぶ黒い骸骨のような、不気味な姿の怪物が、吹雪を連れて戻ってきた。再び凄惨な血まみれの光景、噛み砕かれていく老若男女。──だが、そこに。唐突に、花と、蜂と、そして魔獣が、ロウェバ教の聖三位一体宜しく、如何にも神聖そうに登場した。清い光の筋に追いやられる骸骨の怪物。人々が魔獣を崇め、タペストリーは再び、花でいっぱいの平和で美しいものに戻る。しかしやはり人々の目は、ぐるぐると不穏なままだ。それに……至極当たり前のように、男女が性交する様子も、執拗に縫い込まれていた。……なんだか……まるで……今のこの村、そのものじゃなかろうか。このタペストリー群は、もしかせずとも、フィオラ村の歴史を記している品物のだろうか。──そういえば。数時間前、ヴィヴィアンと観たあの舞台劇は。魔獣に成り果てた村いちばんの嫌われ者が、同じく魔獣となった英雄に、討伐される話だった……。
「──面白いでしょう?」しっとりとしたその声は、ギデオンが思わず硬直するほど傍から聴こえた。振り返らずともぞわぞわとわかる、あの蛭のような唇をしたフィオラ村の女が、ギデオンのすぐそばに立っていた。「先祖代々伝わる、大切な刺繍ですの。私たちフィオラの者は、自分たちの物語を編むのが好き。歴史を紡いでいくのが好き……。あなたがた冒険者の武勇伝も、是非知りたいわ。私たちがちゃんと編んで、取り込んで、素晴らしく伝えていくから……」。女の指が、ギデオンの脇腹を撫で、つうと下に降りていく。しなだれかかる疎ましい体温、耳元に湿った吐息。「──……もう。冒険者の皆さまったら、お堅いのね。若い娘たちがとっても期待してたのに、皆引っ込んでしまって……とっても可哀想だったわ。今夜は祝祭の第二夜……“愛の夜”なのよ。こうして出会えた喜びを、溶かし合うはずの夜でしょう? だれもが皆、明日のために、ややこを作るべきでしょう? ──女は、そのための鉢植えなのよ」。
──瞬間。考えるより先に、ギデオンは女を突き飛ばした。転ぶ彼女を微塵も構わず、元来た迷路の道を、数々のぐるぐる目に不気味にみられる通路を、一目散に駆ける、駆ける。建物の外に飛び出てすぐ、ぎょっと振り返るさっきのベテラン仲間たちにも目を繰れずに、まっすぐに駆け戻ったのは……泊まっていた。あの村の端の家。頼む、無事でいてくれ。まさか──何にも巻き込まれてくれるな。)

(ギデオンのその恐れは、しかし扉を開け放てば、現実になろうとしていた。村の男に跨られて動けないヴィヴィアン、そのか細いか細い悲鳴。──ゴッ、と鈍い音がして、彼女から引き剥がされた男が、部屋の端に吹っ飛ばされる。それに構わず、固まっているヴィヴィアンを寝台から抱き起し、「俺だ!」「俺だヴィヴィアン、大丈夫か、無事か!」と、守るように抱きしめる。答えを得たかったわけじゃない──未遂ではあったようだが、それでも無事なわけがない。だが今はもう、これ以上脅かされることはないのだと、己の腕で伝えるつもりが……ギデオン自身もまた、怒りでぶるぶると震えていた。ゆっくり振り返った先、殴り飛ばした村の男は、鼻の頭が折れたのだろう、血を噴きながら「うう」「ううう」と呻いている。……顔全体を陥没させなかっただけ、これでも理性を利かせたほうだ、聞き苦しい文句の声を垂れ流さないでもらいたい。荒い息を吐きながらそうして睨みつけていると、アラドヴァルのベテランと、アルマツィアの斧使い、そしてあのフィオラの女が、息を切らして駆けつけた。冒険者側のふたりは、酷くショックを受けた顔だ。「何があった?」と問う声に、ギデオンは低い声で返した。──俺の相棒に、危害を働いた。それ以上に、わけを説明する必要があるか。……)

(──遠くで、口論の声が聞こえる。アルマツィアの斧使いとアラドヴァルのベテラン剣士、それに駆け付けたほか数名が、この村を離れるかどうかで延々と揉めているのだ。そこに村人たちもやってきて、村人に暴行を働いたギデオンを咎めているような様子だが、そもそもヴィヴィアンに何をしようとしていたのか、と冒険者側の怒りを買い、ますます話がややこしくなった。今ではむらおさのクルトも出てきて、どうにか事態を収束させようとしているらしい。……だが今更、もはや知ったことではない。仲間たちにははっきりと、俺はもうヴィヴィアンの傍を離れない、異論はないな、と、有無を言わさず伝えてある。彼女との個人的な関係はエデルミラ以外の連中にも薄々知られていたものの、これはもう、私情がどうとか、仕事の場だからと弁えるとか、そういう次元ではなくなっているのだ。……そもそも、同じ目に遭ったのが例えばアリアだとしても、決して許してはいけないことである。それが相棒かつ恋人のヴィヴィアンなら、ますますもって許せない、それだけの話なのだ。
──?燭の明かりをつけた、仄暗い部屋の隅。寝台の上に乗り上げ、ヴィヴィアンを抱きしめながら、宥めるように髪を撫でる。外の喧騒が少しでも聞こえてくれば、周囲の毛布を包み込むようにかけ直し……労わりを込めてまた撫でる。これで少しは、あの忌まわしい連中から気分を遠ざけてやれるだろうか。周囲を思い遣る彼女のことだ、自分のせいでクエストがこんなことになってしまった、と自責してしまうかもしれない。その必要はないのだと、きちんと伝えてやるために……旋毛に唇を寄せながら、そっと小声で呟いて。)

……遅くなって、すまなかった。
俺はもう、ここにいる。おまえの傍に、ちゃんといる……明日からも、ずっとそうだ。



  • No.743 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-03-18 13:52:55 




……ごめ、ごめんなさい……め、なさい……

 ( ギデオンが懸念したその通り。やっとひどい緊張状態から抜け出したヴィヴィアンが最初に発したのは、酷く痛々しい自責の念だった。優しい腕と暖かな毛布に、何重に覆い隠して貰って尚、未だ外界から響いてくる男たちの言い争う声に、ぎゅうっと固く身体を縮こませると──もっとうまくできたはず。こんなに大ごとにする必要はなかった、私が我慢できていれば、と。レクターがこれ以上なく楽しみにしていたであろう、そうでなくとも、複数のギルドが関わる大事なクエストを、己が台無しにしてしまった申し訳なさに、心が押しつぶされていき。瞳を閉じれば、今も脳裏によぎる男の影に身体が震えているにも関わらず。深く傷つけられてしまった自尊心が、ギデオンさんを煩わせてはいけないと。分厚い胸板にうずめられた頭を、くしゅ……と小さく横に振らせて。 )

ありがとう、ございます……でも、ギデオンさんは調査に戻ってください。

 ( いつかシャバネで見せたそれと変わらぬ、己の不調を覆い隠さんとする強情な笑顔。真っ青な顔色、真っ白な唇、もうそれらをギデオンが見逃してくれないことは分かっていても、その中心でギラギラと輝くエメラルドは、自ら己の存在価値を失わせまいとする強迫じみたヒーラーの矜持で。押し倒されるほど肉薄したからこそ感じ取れた、微かな発汗に瞳孔の開き。性的興奮故と片付けるには、些か慢性的に感じ取られたそれに、その手の薬物の存在を懸念できねば──今この場で、己の存在価値はない。そう本気で信じ込む真剣な目の色、情けない震えを押し殺した低い声。このまま抱きしめられていれば負けてしまう。甘い言葉に縋りつきたくなってしまう。強くて、公正で、もっと多くの人を救える“人”を、私一人が独占して良いわけがない。それは意志なんて上等なものじゃない、ぶるぶると震える腕で身体を支えようとする風体が、強いトラウマに晒されたストレスから目を逸らさんとしていることは誰が見ても明白で。 )

……ああそうだ、もし、この村に蛇涎香が蔓延しているとしたら、トランフォードの法律で取り締まることになるんでしょうか?


  • No.744 by ギデオン・ノース  2024-03-19 02:18:49 




……これからについては、そうだ。
ただ……あれの取締条約ができたのは、せいぜい100年前やそこらだろ。ここはたしか、200年も外との出入りがなかった、なんて話だから……調査の後に、まずは布告や啓蒙から始めることなるだろうな。

(壊れそうな声で明後日の問いを投げかけてくる、明らかに様子のおかしい相棒を前に。しかしギデオンは、すぐにはその異常を照らしだそうとはしなかった。その代わりに選んだのは、いつもどおりの、低く穏やかな、落ちついた声を落とすこと。──カレトヴルッフのギルドロビー、受注クエストの滞在先、或いはサリーチェの我が家の寝室……そういった場所で、彼女と議論するときの己になってみせることだ。
相棒が今、酷いショック状態に晒されていることは、本人以上に理解しているつもりだった。だからこそ、この痛々しい現実逃避を、一度はすんなり受け入れる。彼女がこの抱擁を少し解きたいと、今はあくまで職業人として振る舞いたいというのであれば、そうさせよう。両腕を大人しく緩め、相手が体を起こせるだけの僅かな距離を空けて、気丈なプライドがそのまま立ち上がれるようにしよう。法や保安の話に目を向けたいというのであれば、喜んでそれに付き合おう。──けれども決して、今寄り添うこと、それ自体まで諦めて譲るつもりはなかった。その証拠に、ギデオンの片手は今も、未だ震えている彼女の後頭部、そのほどかれている柔らかな栗毛を、そっと優しく撫でている。それは宥めるというよりも、習慣めいた手つき。自分が撫でたいから撫でるのだと言わんばかりの、ある意味我儘なそれである。そうやって、こちらがのんびり甘えているような雰囲気さえ醸し出しながら……“あなたは調査に戻って”などという痛々しい願いだけは、さりげなく押し流しておく。──そして、それに、気づかれてしまわぬよう。いつもの彼女がふと持ち出した話題を、いつもの流れに持ち込むそぶりで、やや遠くにまで広げていく。幸か不幸か、こういった方面の知識は、無駄によく蓄えてあるのだ。)

……だが、なあ、そういえば。法を直接知らなくても、介入時点で有罪になった例があったよな。
前にふたりで、ヴァイスミュラーの本を読んだろう? ほら……濁り酒を造ってた村が、調査しに来た税務官と揉めごとになって……あれは、何が適用されたんだったか。告訴不可分の原則か、それとも……

(……別段、こんな風に曖昧に言わずとも。ヴィヴィアンとこれまで楽しく交わしてきた数多の議論、その詳細を、ギデオンはどれも鮮明に記憶している。まさか、忘れるわけがない。──それでも今は、敢えてそれを押し隠す。もう喉まで出かかっているのに、なのに上手く思い出せない……そんな、如何にも自信のない顔で。まるで答えを強請るかのように、ヴィヴィアンの蒼白な顔に、ごく無邪気に問いかけるような面差しを向ける真似を。)



  • No.745 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-03-21 09:38:27 




あれは確か、最初は税務官への公務執行妨害で抑留したんですよ。
ただ後の調査でメタノールが検出されて過失致傷に……、…………。

 ( ビビの頓珍漢もいいところな、なんの脈絡もない発言を、しかしギデオンは真摯に受け止め、咎めることなく返してくれる。あまりの出来事に動揺しているのだと、守り慈しむべきだけの悲鳴として、封殺することも出来ただろうに。──己の声は届いている、聞こえなくなんかない。 この村で過ごした短期間で分からなくなっていた。そんな至極当然のことを、思い出させてくれるギデオンの、ともすれば、あまりにも色気に欠ける返答に心底安心して、今にも泣き出しそうに表情を崩せば。優しい掌に小さく頭を擦りつけ、ゆっくりと顔を上げかけたその瞬間。疲れきって尚、気丈に振舞っていた娘が、ぴたと静かに固まったのは、ギデオンが口にさせてくれたその返答の意味に、少し遅れて気が付き始めたそのためで。──昔からの習慣である濁酒製造が罪に問われると知らずとも、結果的に人を害せば罪になる。それなら今、この状況はどうだろう。彼らにとってこの晩が、誰彼構わず混じり合うのが当然のことだったとして、巻き込まれた己が今、こんなに苦しい思いをしているのは。しっかり拒絶出来なかった自分が悪い、余所者である私が我慢しなければ、そう凝り固まっていた思考が溶けだして初めて。今夜の事件だけでなく、今まであった尊厳が揺らぐような経験の数々に、ようやく自分が深く傷ついていたことに気が付いて、突然にその痛み、恐怖に真っ向から対面することになってしまえば。急に仕事の話をしてみたり、そうかと思えば酷く脅えて泣き出したりと、支離滅裂としか思えない有様をもはや気にする余裕など全くなく。それでも許してくれるに違いない、信頼して止まぬ相棒に、ひいひいと情けない嗚咽を漏らし、顔を真っ赤にしてボロボロと泣き崩れ始めれば、早く──早く抱きしめて、とばかりに、自ら離した腕を広げて強請り。)

私、怒って、いいんですか……? 私は悪く、ない……?



  • No.746 by ギデオン・ノース  2024-03-23 03:45:42 




……、ああ、もちろん。

(しゃくりあげながらの問いを聞き取り、気遣わしげに相手を見遣る。普段の明るく溌溂とした彼女からはほど遠い、見るだに痛ましい泣き顔、砕け散りそうな涙声。しかし、それでもヴィヴィアンが、その細腕をおずおずと広げるならば。……震えながらも、咽びながらも、気丈な構えを自らほどき、こちらを求めてくれるのならば。
僅かに見開いた双眸を、ふ、と和らげ。──大きく抱き寄せ、包み込む。ぎゅうぎゅうと強く、優しく絞めつけるのは、ギデオンなりの表現だ……まだぐらついていい、すぐに落ちつけなくていい。俺がこうして、外側から支えてやるから、と。)

……ヴィヴィアン、おまえは悪くない。何ひとつ悪くない。
だから、怒るのも、悲しむのも、ごく当たり前のことなんだ。
絶対さ……俺が保証するとも。

(──惨いことだ、と切に思う。暴行された、という事実だけで充分辛い仕打ちだろうに……自分の尊厳を傷つけられた、それに対する怒りというのは、決してただでは抱けない。深い悲しみ、身を切るような屈辱、こんな目に遭わなければならなかった理不尽へのやるせなさ。そういったものの上に、震えながら立って初めて……自分を傷つけた経験や相手に、ようやっと立ち向かえるのだ。その心細さと言ったら。
ヴィヴィアンがこうして竦んでしまうのも、無理からぬ話だろう。聡明な彼女は、真理に辿りつくまでが早く……それに気持ちが追いつかないのも、その隔たりに狼狽えるのも、当然の現象である。──だが、そういったときのために、こうして近しくなったのだ。「役に立たせてくれ」と、冗談めかして囁きながら、愛しい栗毛をひと房すくい、そっと唇を押し当てる。それで少しは宥めてやれただろうか、或いはいつかの晩のように、場所が違うと云われただろうか。いずれにせよ、穏やかなまなざしを相手に向けていたかと思えば。その濡れた頬に軽く手を添えた流れで、小さな顎を促すように上向かせ。──冬の夜気に冷えた唇を、ごく軽く触れ合わせる。二度、三度……四度、或いはそれ以上。ようやく口先で戯れるのをやめた頃には、もう外の喧騒など、ほとんど耳に入らない。ギデオンの全てを向けるのは、ただただ目の前のヴィヴィアンひとり。こつんと額を合わせれば、そっと相手に尋ねてみせて。)

…………。
気分は、どうだ……少し、落ちついたか。



  • No.747 by ヴィヴィアン・パチオ  2024-03-27 00:56:52 




 ( ──あたたかい、いたくない、こわくない。肺の空気が抜けるほど長く、力強い抱擁に瞳を伏せると。まるで、身体の震えを力づくで止めるかの如く抱きすくめられ、このうっすらとした酸欠が、自分を襲った男のこと、仲間のこと、依頼のこと、村のこと、レクターのこと……考えても今更どうしようも出来ない、しかし考えずにはいられない散らかった思考を諌めて、暖かな腕の中、強ばっていた身体を素直に厚い胸へと甘えさせてくれる。他でもないギデオンが一言、泣いても良いのだ、傷ついても良いのだと認めてくれたそれだけで、これまでずっと直視するのを避け続けてきた心の傷がすっと軽くなり。泣いて、泣いて、その溢れる涙も枯れ果てた頃。明日をも気にせず泣きじゃくったヴィヴィアンの顔は、あちこち真っ赤に腫れ上がり、まったく見られたものじゃないだろうに。弱っている娘を負担に思うどころか、濡れた頤をなぞるギデオンの瞳が、心底愛おしいものを見るように、優しく細められるものだから。 )

……こんなにされたら、落ち着けない

 ( そう耳元や首筋など、涙で擦っていない場所まで赤く染め上げると、恥ずかしそうに未だ甘い感触の残る唇へと触れると。ぎゅっと再度腕をまわして、「落ち着いたって言っても、今晩は……明日も、ずっと一緒にいてくれるんですよね」 と。──先程の声は聞こえていたと、ちゃんと届きましたと伝えるように。心底安心しきった様子で、小さくはにかむ表情からは、今晩植え付けられた恐怖は薄れ、疲れきったエメラルドには眠気が滲んでいた。しかし、そうしてしばしの微睡みに落ちていったかと思えば、息も荒く飛び起きて。その度に、声もなく啜り泣きながらギデオンに縋り付き、再度浅い眠りにつくこと複数回。質の悪い睡眠に顔色を悪くしたヴィヴィアンの眠りを──ギシリ、と再び妨げたのは、扉の方から響いた人の気配だ。いつの間にか夜が明けていたらしく。とはいえ、ビビが消さないでと強請った燭台の他、堅牢な雨戸から差し込む光の角度から見るに、時刻は未だ早朝と言い表して構わない時分。そんな非常識な時間の訪問者に、浮腫んだ顔をギデオンと見合わせれば。しかし、必要よりそれ以上に警戒心を表さなかったのは、その気配からは、昨晩の男のように己のそれを消そうという意図が見られずに。どちらかと言えば、此方へと声をかけようかどうか迷っているような、扉の前でうろうろと、優柔不断な往復を繰り返しているだけに感じられるそのためで。結局、こちらから動かねば変わりそうもない状況に──……流石に、ビビは未だ扉を開ける勇気はなかったが。結果的に、内側からその扉が開け放たれれば、その向こうにいたのは浅黒い肌をした黒髪の少年。後ろ手に花束を抱えているらしい彼は、自分の倍も背丈のありそうなギデオンを見るなり、逃げようかどうしようかと言った様子で赤い花弁を見え隠れさせると。意を決したように息を飲み、「あの、俺、お見舞いに……姉ちゃんが"病気"だって聞いて……!!」と、どうやらフィオラ村は昨晩の事件をそう片付けたらしい。「姉ちゃん昨日妹たちと遊んでくれてたろ……」ともじもじ俯く少年は、素直にその話を信じたのだろう。「本当はいけないんだけど、"花"を見たら元気になるだろ……?」と気丈に言い募ると、その中心の"がく"まで赤い花をぷるぷると差し出して来て。 )


  • No.748 by ギデオン・ノース  2024-03-29 00:24:30 




(──フィオラ村での第二夜は、浅く断続的だった。ヴィヴィアンが悪夢に囚われて飛び起るたび、隣にいるギデオンもまた、つられて自然と目を覚ます。しかし、苦に思うことなどなかった。まっすぐこちらを頼る彼女に、己の体温を貸し与える……それは、ギデオン自身が何より望んだことだからだ。
少しのあいだ宥めれば、ヴィヴィアンはまた、ほんの少しだけ安心したような様子を見せる。そうして、目元を濡らしたまま、再びしばらくの眠りに落ちる。そんな姿が、酷く痛ましくも愛おしく。彼女が寝息を立てはじめてからも、そのまろい額に唇を触れたまま、しばらく背中をとん、とん……と、幼子にするようにあやしてやった。そして時には、薄闇のなかで青い瞳を光らせたまま、ギデオン自身は寝つかないことも多かった。少し考えたかったのだ……この、異様な村に来てからのことを。
フィオラ村は、およそ200年ものあいだ、陸の孤島だった場所だ。当然、王都暮らしをしているギデオンたちにしてみれば、大きな隔たりはあるだろう。大昔の田舎の村の感覚のまま、若い娘に夜這いをするような風習が、残らないでもないのだろう。──だが、それにしては妙だ。生活実態が釣り合っていない。全てが自給自足であるなら、あんなに多くのタペストリーや、夜市での春画本、それにあれだけの料理など、こさえる余力があるだろうか。記録にあるフィオラ村は、狩猟をなりわいにしていたはずだが……農耕、石工、紡績、養蜂と、多岐に亘る産業が随分豊かであることを確認している。だが、大して人口のない村で、いったいどうやって技術を肥やしてきたというのだ? これではまるで、他の田舎の村とそう変わらぬどころか、それより豊かではないか。
そしてその割に、あの時代遅れな感覚だ。生活は富んでいるくせに、倫理観だけは孤島のそれそのままで、外部の影響が流れ込んだ様子がない。ギデオンが殴り飛ばしたあの男は、むらおさクルトに治療されながら、何度も声高に言い募っていた。──「“愛の夜”のはずだろう!」と。祝祭の第二夜は、成人した男女が皆豊かに交わる夜。なのにそれを阻むとは、あの男は正気なのかと、ギデオンに対し、怒りだけでなく……本気の当惑を顕わにしていた。……ギデオンはエデルミラを捜す間、ヴィヴィアンの眠っている家に、防衛魔法をかけていたが。それを強引にこじ開けたのに(彼はこの村の魔核を管理する魔術師のひとりだったらしい)、罪の意識などないらしい。それどころか、あれすらもまた、「なんであんなことをした!?」と、寧ろこちらを咎める始末だ。
クルトとあの蛭女だけは、男の言い分に反応を見せなかったものの。寄り集まっていた他の村人たちは、彼に全くの同感だったようだ。幾つか囁き声が聞こえた──ほら、やっぱり。“御加護”がないよそ者は、“愛”を忘れてしまうんだわ。皆で分かち合うことをしない、なんて冷たい業突く張り。きっと“病気”が進んでいるのよ……。
どうやらフィオラにおいては、食べ物も、男女の肉体も、“分かち合う”のが至上らしい。よそ者の冒険者たちに気持ちよく晩餐を振る舞ってやったように、冒険者たちが“持っている”若い女の体もまた、村に還元されるべきと考えているようである。そしてその考えにないもの、あろうことか反発する者は、真っ向から異常者扱いされる。──しかしなあ、悪いが、俺たちの故郷じゃそれが常識になってるんだ、と。あの斧使いがどうにかとりなしてくれたおかげで、あの場はどうにか治まった。ヴィヴィアンを襲った男と、彼に暴力を振るったギデオン、どちらの罪も手打ちにする、そういう方向にするらしい。
そう取り決められたところで、エデルミラがやっと帰ってきた。見るからにおかしな様子だ、やけに目を見開いて、息も激しく荒げている。すわ何事か、まさかおまえまで──と、周囲の冒険者が尋ねるも。彼女はただ周囲を見るばかりで、何ごとも答えない。かと思えば、不意にクルトをまっすぐ見つめて、「聞きたいことがあるの、」と言いだした。何か別件の、気がかりなことがあるのだが、それはクルトに個人的に確かめたいのだそうだ。──ここでもまた、強烈な違和感が働いた。大型ギルド・デュランダルの女剣士エデルミラは、仮にも総隊長である。複数のギルドの冒険者たちを束ねる、責任ある立場に抜擢された才媛であり……いくらこの村ではそう看做されないからと言って、職務放棄をするような人物ではないはずなのだ。しかし、明らかに言い争いがあったとわかるこの異様な現場に飛び込んで尚、彼女にはそれが見えていないようだった。今は背後の家で休ませているため、この場に本人がいないのもあるが、ヴィヴィアンのことを思いだすそぶりすらない。エデルミラもまた、この村に来てから、だんだんおかしくなっている……その場にいる冒険者たちは、誰もがそう感じていた。
しかしギデオン自身は、今はその件に取り合わないことにした。隊のなかでは自分もベテランの部類であり、責任を受け持つ立場にある。しかし今夜ばかりは、それよりも優先すべきものがあるのだ。──王都から出向したヒーラーがクエスト先で被害に遭って、今後の活動に支障をきたす恐れがある。ならばそれをフォローするのは、彼女の相棒であり、仕事上は上官ともなる、ギデオンの役目だった。私情だけの判断というわけでもない……それを、あの斧使いも汲んでくれたのだろう。目配せをすると、さりげなくも力強く頷いてくれた。今は俺たちがこっちをやる。おまえはそっちを、嬢ちゃんを頼むぜ。俺たちを治してくれるヒーラーが弱っちまったら──パーティーは、全滅もんだ。)

(──そうして、それから数刻後。ヴィヴィアンを宥めながら浅く眠っていたギデオンは、しかしふと覚醒した。今回は、すぐそばの彼女が悪夢に魘されたせいではない。この気配は、部屋の外からするものだ。
軽く身じろぎして隣を見ると、夜明けの薄明りのなか、大きく目を開けているヴィヴィアンと目が合った。この気配の主は、そう悪意のある輩ではなさそうだ……と、彼女もまた、冷静に察知している様子である。しかし流石に、すぐ身動きをとることはできないらしかった。大丈夫だ、と安心させるように肩をさすってから、大きく身を起こし、扉のほうへゆっくりと歩む。魔剣は持たなかった──持たなくていいと考えた。音の軽さからして、この不意の訪問者に見当がついていたからだ。
はたして、ギデオンが出迎えたのは……やはり、フィオラの子どもだった。年の頃は十一、二くらいだろうか。そう射竦めたつもりはなかったが、ギデオン相手に、一瞬怯えたような顔をしたものの。しかしそれでも、部屋の奥をちらと見れば、その顔つきがまっすぐな、覚悟の決まったものに変わった。そうして──お見舞いをしに来たんだ、と。それでこわごわ差し出すのが一輪の花と来たものだから、そのあまりに無垢な思いやりに、思わず毒気を抜かれたような顔を晒す。実際、抜かれはしたのだろう──真夜中に目の当たりにした村の大人どもと、まるきり違うではないか。
直接見舞わせてやりたいところだが、ヴィヴィアンはまだ本調子ではないだろう。「おまえの言葉と一緒に、ちゃんと渡しておく。ありがとうな」と、花の茎を受け取りながら、その黒髪をくしゃりと撫でる。途端、少年はほっとしたように歯の抜けた笑みを浮かべ。「あの! 匂い、花の匂いを吸うと、“病気”が良くなるんだ。姉ちゃんにそう教えてやって!」……などなど、懸命に言い残してから帰っていった。外に出てからは足音を立てないようにしていた辺り、きっと本当に、内緒の善意でここにやって来てくれたのだろう。
扉を閉め、部屋の奥に戻り、ヴィヴィアンのベッドの傍らに腰を落ち着ける。そうして彼女に、「あの子からのお見舞いだとさ」と、その目が醒めるほど真っ赤な花を手渡した。華奢な肩をゆったり撫でさすってやるのは、“俺以外にもおまえの味方がいたな”“この村にも、おまえを想いやってくれる奴はいるんだ”、そう伝えたくてのことだ。
しかし、やがて少しずつ増していく光量のなか。昨日の昼下がり、あんなにも花畑にいたのに、この花に見覚えがないこと……そしてそれどころか、何か妙な気配がすることに気がつくと、ふと軽く眉を顰めて。)

あの子の話じゃ、病気を癒す花らしい。祝祭の最終日の儀式にも使うとか……
…………。………………?



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