匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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──……、
(見事なほど呆気にとられたギデオンが、数瞬の硬直の後、ようやく何かしら言おうとするも。直前の擦りつきから一転、相手はぱっと、跳ねるように体を離し。その妖精の如く軽やかな動きで、頭上の赤い布耳をぴょこぴょこと揺らしては、何度も何度も名残惜し気に振り返りながら、気づけばとっくに立ち去っていた。後に残っているのときたら、犬耳の四十男の、春風に化かされたような間抜け面だけである。
「………」と、再び顔を覆ってから、柔らかいため息をひとつ。脇に置いていた書類を拾って、ようやくベンチから立ち上がった。今はもう、鼻が歪むような思いはしない。ごく普通に、楽に呼吸をしていられる。しかしこれは、何もドクターの薬団子だけでなく。己の可愛い恋人、彼女の温くて柔らかい躰を、存分に抱きしめて過ごせたからなのだろう。無論、それをギルドでやらかしたのが大問題ではあるのだが……過ぎたことは仕方がないから、仕事ぶりで取り返すべく。頭を振り、それまでの雑念をきっぱりと打ち捨てて。ギデオンもまた、午後のロビーの陽だまりのなかへ歩きだすことにした。)
(──さて、それからの数時間。見た目と手元の変化以外は、取り立てて困ることなどなかった。書類仕事の途中に何度か、昼間のヴィヴィアンとの様子を眺めていた野郎どもから、面白おかしく揶揄われる一幕こそあったけれど。あれはどちらかというと、ギデオンの体面を慮っての振る舞いだ。故にギデオンの方もまた、今後1週間ほどは、朝のロビーで飲んだくれている野郎どもをとやかく言わないことにした。……背後の受付カウンターにいるマリアの視線が、既に背中に突き刺さってやまないにしろ。男には男の付き合いというやつがあるのだ、仕方ないだろう……と。そうやって一時の裏切りの道を選んだ──その報い、なのだろうか。
更に時が経ち、夜半過ぎ。ギルドを引き上げたギデオンは、ようやくラメット通りの自宅に帰り着いた……は、いいのだが。ぱたぱたぱた、と可愛らしく駆け寄ってくる足音の主を、しかしいつもの幸せそうな顔で受け止めることはなく。「……ただいま、」と応えてから、帰宅のキスを相手に落とすも、引き上げたその顔は非常に微妙な面持ちである。……またもや、ひと目見てわかるとおりなのだ。
今のギデオンは、愛用しているワインレッドのシャツと、その下に着る薄い肌着を、何故か片腕に引っ掛けているのだが。何かあったのか、とその胸元を確かめてみればどうだ。申し訳程度に羽織っている革の上着、そのすぐ下は……もふもふと柔らかそうな真っ白い犬の毛に、すっかり覆われているではないか。目線を下に下にさげても、臍の下までふさふさしたまま、おそらくはズボンの下、爪先までこうだというのが見てとれることだろう。どうやら、今夜のたった数時間のうちに。ギデオン本来の人肌が、また随分と様変わりしたらしい。
「……美味そうな匂いだな、」と。相手の反応より早く、疲れた声でいつもどおりを装いながら。まずは己の上着を脱いで、玄関先のフックに掛け、相手を伴って家の中へ歩き出す。リビングの灯りにさらけだされたその上半身は、幅広い肩や大きな背中に至るまで、やはり見事にもっふもふである。……それに、よくよく観察すれば。なんとその掌まで、より犬の足先のそれっぽくなったらしい。ギデオン自身もしかめ面で、にぎにぎと片手の動作確認を見下ろしながら、ソファーの辺りで立ち止まれば。シャツと肌着を肘置きにかけ、どっかりと腰を下ろす。そうして背もたれに体を預け、目を閉ざして天井を仰ぎながら、困ったようなぼやき声を。)
……ドクターの説明を、俺はすっかり忘れてたんだが。こんな風になったのは、ピクシーの魔法と、昼間に貰った薬団子の副作用……その両方の影響らしい。
健康上問題はないそうだが……こう、なあ。自分の身体が大きく変わるってのは、結構変な気分なもんだ……
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