匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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────……、
(その穏やかな問いかけの意味を、すぐには理解しきれぬまま。思わず声を失ったギデオンは、彼女の頬に添えていた手をゆるりと下ろし、ただまじまじと相手を見つめた。目の前のヴィヴィアンは、聖母のような慈愛をたたえて、今何と言ったのか。子どもができたら嬉しいか……だと? 頭の中でそう反芻し、ようやく噛み砕いた途端。ギデオンの青い双眸は、激しく波打つ水面にも似た、深い輝きを帯びはじめ。薄く口を開くものの、そうにも喉が詰まるらしく、視線ばかりが揺れ動く。困ったような表情になるのは、何もヴィヴィアンのせいではない。胸に沸き起こる感激の嵐を、持て余しているだけなのだ。
それでも、結局のところ。「……嬉しいよ、」と。気づけば、口が勝手にそう答えていた。少し震える手を、再び彼女の頬に這わせ。指の腹でそっと目許を撫でながら、ギデオン自身もどこか堪えかねたように目を細めて、もう一度。「嬉しいよ。きっと、この世でいちばん……何よりも嬉しいことだ」と。目を閉じ、項垂れながら頭を寄せて、その思いの深さを彼女に伝えようとする。だが、すぐに物足りなく感じたらしい。太い腕を蜂腰に回し、やや痛いほどに抱きすくめ、その無言の仕草で叫ぶ。好きだ。ヴィヴィアンが、死ぬほど好きだ。
──……齢九つになるかならないかで孤児院に入ったギデオンは、上流階級の生活を知らない。故に、良家の子女が受ける徹底した淑女教育……魔導学院も施すそれを、知識として知ってはいても、目の前の恋人と結びつけるには至らない。だからこそ、より深く突き刺さったのだ。妻になること、母になることを、ヴィヴィアンが強く強く望んでくれているように見えて(あながち間違いでもなかろうが)。閨事を未だ怖がるような娘が、それを経なくては手に入らない筈のものを、ギデオンのためであれば叶えてくれるかもしれないと知って。
青年時代のギデオンは、家庭を持つことにそう積極的ではなかったはずだ。寧ろ自分は父親に向かないだろうと考え、そういった幸福を望むような女性たちとは、自ら距離を置いていた。よって自然に、自分と同類の……暇を快楽で塗り潰したい女たちと、散々遊んでいたわけだが。──今はもう、あの頃とは違う。己の腕の中には、残りの人生を共に過ごしたいと願う、たったひとりの女性がいて。彼女も自分に、子どもができたら嬉しいか、などと、彼女自身の人生にとっても大きなことを問うてくれる。それにどれほど心を動かされることだろう。つくづく自分の人生は、ヴィヴィアンに変えられたのだ。得られないはずの……得ようと思ってもみなかった幸福への道を、こうして与えられている。)
…………。
……現実的な話をすると、“絶対に欲しい”とまではいかないんだ。子どもを身籠れば、俺もしっかり支えるにしたって……どうしてもおまえの負担が大きくなるだろ。
お互い、冒険者としての自分のキャリアもある。だから別に、急いじゃいない。
だが、そう言ってくれたこと自体が……俺は、たまらなく嬉しいよ。
(彼女を抱きしめ、顔を伏せたまま。ようやく気分が落ち着いたらしく、ごくゆったりと補足を行い。それから顔を上げ、少しきまり悪そうに微笑んだのは……この歳になってこの種の感動を知り、圧倒されていたことに対して、どうやら気恥ずかしさを覚えているのだろう。軽く頭を振り、目にかかっていた前髪を払うと。今しがたの素の反応を忘れさせようとするかのように、今度は悪い大人の顔を繕い。不意にヴィヴィアンを掬い、正面からすっくと抱き上げたかと思えば。如何にも頼み込む振りに興じながら、長い脚を捌いてソファー裏に回り、そのまま寝室への階段を登り始め。)
──それに。俺は歳が歳だから、いざ望んでも、そう簡単にできない可能性がある。
となると、何度でも実践することになるし……そのための練習も重ねないとな。悪いが、少し付き合ってくれ。
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