匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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部屋でって、お前……
(ひとたびこちらの扱い方を心得た彼女は強い。ギデオンの提案をそのまますんなり受け入れながらも、隙を逃さぬ可憐な親愛表現やら、さりげなく織り交ぜるちゃっかりした意思表示やら。そのただでは聞かないしたたかぶりに、ギデオンが遅れて異論を唱えようとする頃には、ぽんぽんとあやすように──或いは有耶無耶にするようにして、温かく送り出される始末で。未だ何か言いたげな顔をして彼女を振り返るものの、さりとて、今朝はもう時間がないのも事実。結局ため息交じりに頷けば、軽く手を振って別れを告げながら歩きだすことにする。そうしてギルドのエントランスを潜り抜ければ、途端に北からの空っ風に吹かれるも──先ほど贈られた何かしらのおかげで、この季節の寒さをあまり感じずに済んでいることに。己に疎いギデオンは、ついぞ気づかないままだった。)
(さて、それから1週間後。受付のデスクの書類からふと視線を上げたマリアは、帰還したギデオンが我知らず浮かべていた疲労の濃い顔を見て、いつもなら向ける当たりの強さを引っ込めてくれたらしいのが、その表情から読み取れた。「……ヴィヴィアンの居場所を知らないか?」と尋ねれば、こちらの提出した書類に判を押してまだギデオンに戻しながら。「あなたがクエストに忙しくて忘れてるかもしれないって、伝言を預かってるわ。……『先に帰ってる』、だそうよ」と。どういうことかと問い質したそうにしつつも、あくまで事務的な返答にとどめる様子。そういえばそんな話だったな、と思い出しながら、軽く手を掲げるのみでマリアに別れを告げて立ち去る。時刻は16時を回った頃──もしや、随分待たせているのではないだろうか。しかしそれでも、諸々やることはやらねばならない。まずはしっかりと、高難易度クエストからの帰還後に義務付けられている魔法医の検診を済ませ。異常なしと太鼓判を押されれば、ギルドの二階のシャワー室で熱い湯を浴び(自宅にそんな贅沢な設備はないので、大概はここか街中の公衆浴場に行く習慣だ)。これでやっとさっぱり生き返れば、諸々の報告書を追加で書き上げ、或いは他人のそれに目を通し。ギルドマスターにも簡単な報告を上げて、これでようやくクエスト完了。持ち帰って読む書類や、1週間前にギルドに残した古い服を鞄に詰めると、(腹が減った……)なんて、呑気な考えに浸りながら。夕暮れのなか、途中幾つか買い物に寄りつつ、ようやく家路についたのだった。)
(──そうして、懐かしのというわけでもない自宅の、冷たいドアノブに手をかけたとき。(おや?)、とは思ったのだ。いつもならぐっと力を込めて押さなければならない扉が、何の手応えもなくするりと動いた。もしや部屋を間違えたか、なんて訝しんだ思考はしかし、室内からふわりと押し寄せてきた暖気、そして何やら非常に旨そうな匂いで、たちどころに吹き飛んでしまう。「……」と、思わず様子を窺うように、慎重に一歩立ち入ったギデオンの目前。はたしてぱたぱたと近づいてくるのは、愛らしいエプロン姿をした若い女性──1週間ぶりに顔を見る、相棒のヴィヴィアンだ。
この時点でさえ、ギデオンは軽く目を見開いて、全く見事なフリーズを晒してしまったわけなのだが。その温かく柔らかい手に捕まり、優しく促されるまま、家庭的な声に思考が麻痺しきるまま、室内を二、三歩歩けば。今度はそこで、再び呆然と、根が生えたように立ち尽くしてしまう。──家の中が、がらりと様変わりしていた。普段のギデオンがほとんどねぐら代わりにしか使っていない此処は、粗末なベッドと古い椅子、やや傾いたテーブルに、傷の入った低い棚がひとつふたつあるくらいで、あまり居つかないために埃も影も溜まりきっている、物寂しい場所だったはずだ。それがどうして──家具や私物といった類には、気遣いから手を付けられていないのだろうが。煤けきっていたマントルピースも、埃っぽかった天井の梁も、外を見通せぬほど曇っていた窓ガラスも、黒ずんでいた床も、皆ぴかぴかに磨き上げられている。薄汚れていた壁紙は真っ白だ、まさか張り替えたのだろうか。以前は馴染み過ぎて気づいちゃいなかった、かびくさく湿気た臭いもない──今更気づいたが、あれは暖炉が汚れていたせいだったらしい。それが今や、非常に清潔で爽やかな……居心地の良い、あたたかい住み家になっている。
自分が留守にしている間、どうしてここまで家が変わったのか。その答えに自然と行き着くなり、他にいるはずもない犯人をさっと振り返り、少しおっかない顔で、何事かを言おうと口を開きかけた……ものの。「……、」「…………、」と、肝心のお小言が、ろくに喉元から出てこないようだ。感謝すべきか、怒るべきか、呆れるべきか、激しく混乱しているらしい。おまけに先ほどから、真横の暖炉から漂ってくる胃をくすぐるような匂いで、ろくに集中しきれておらず、何ならちらちらとそちらを見てしまうほどで。結局、ギデオンにしては雄弁な百面相を無言でぐるぐると繰り広げるうちに、間の抜けたタイミングで腹の虫が鳴くものだから、がっくりときまり悪そうに片手で顔を覆い隠し。絞り出すように言いながら──周囲のあからさまな変化について、今はいったん保留するつもりらしい──まだ温かい紙袋を片手で突き出す。そうして、かしいだテーブルをベッド脇に引き寄せ、薄いシーツの上に腰を下ろしたのは。この家に椅子は一脚しかない、しかし独身女性の後輩を己のベッドに座らせるわけにいかない、そういった思考による頑とした構えのようで。)
…………夕食を……買ってきてある……
これと、そこので……飯にしよう……
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