匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(いたいけながらに悪戯好きな小悪魔が、最後にちゃっかりやり返してから、するりと逃げていった後。樫の扉が閉まると同時に、ギデオンは声にならない呻き声をあげ、軒先にしゃがみ込んだ。眉間に皴を寄せ、横髪をぐしゃぐしゃと掻いてため息を吐き出す。しかしその程度では、込み上げる苛立ち交じりの敗北感を噛み殺すことなどできない。彼女に口づけされた耳朶は、らしくもなく染まったままだ。
──彼女の前では、ああして穏やかに演じてみせたものの。ギデオンは決して、聖人でと呼べる男ではない。元々、彼女の体調を気遣って待つつもりではあったにせよ……せいぜいがキス止まりという初心過ぎるこの状況を、歯痒く思わないわけがない。齢四十にもなればそれなりに落ち着きはしたが、所詮性根はけだもののまま。欲は抱くし、溜まりもするのだ。相手が若く美しく、誰より愛しい娘となればなおのこと。なのに肝心のヴィヴィアンが、未だおぼこい怖がりの癖してあの様だ。こちらがどれほど苦しみ悶えていることか。あまり度が過ぎたら、流石に抑えきれるかわからない。
しかし、こんなにも腹立たしくはあれど。怖いもの知らずなヴィヴィアンのことを、愛しく、仕方のない奴だと感じてしまうのも事実だった。──結局のところ、惚れた弱みで弱り果てるのは、ギデオンもまた同じなのだ。……まあ、その時が来たら存分に思い知らせてやればいいか、と、不穏な考えで落ち着きを取り戻す。行為を怖がらなくなった頃にでも、煽ったのはお前だろうと言って、心行くまで貪らせてもらえるのなら。それできっと、そこまでの数ヶ月の鬱憤を思いきり晴らせるはずだ。
そう割り切ってようやく重い腰を上げ、コテージの上を見遣る。二階の丸いガラス窓には、先ほどはなかった暖かな明かりがついている。白いカーテン越しに揺らいで見える影は、おそらくヴィヴィアンのものだろう。「……おやすみ、」と最後に小さく呼びかけて、ゆっくりと踵を返すことにした。──この数年後、ふたりで星空を見上るたびに、『あの時は随分もどかしいことをしていたね』と笑い合う日が来るのだが……今はまだ先の話。)
(──さて、あくる日。予想以上に本格的で長丁場だった事情聴取をようやく終えて、ギデオンも彼女同様、開放的な気分で軽く首をほぐしていた。ギデオンとしてはてっきり1年前を再現する程度だろうと思っていたが、どうやらレイケルの件は今や、壮大な捜査網を敷くまでになっているようで。どんなことも聞き漏らすまいと、入れ代わり立ち代わり、無数の捜査官や専門家、似顔絵職人や他の関係者などがやってきて、それなりに大変だったのだ。「まあ、なんとなくこの展開を予測して、頭の中で準備していたからな」と、ヴィヴィアンの称賛の声に、あっさり種明かしをして笑いつつ。今後の予定を確認されれば、いつぞやの悪い上司の顔で、ぐいと片眉を上げてみせ。)
そうだな。一応ギルマスからは、夕食までに戻ってきて報告してくれという話だ。今回の仕事は警察の都合で動いてるし、長引くことも想定して、時間をたっぷり貰ってある。
……そこで提案なんだが。今後も、グランポートに遠征で来ることがたびたびないとは言い切れないだろう。でもって、各地に赴いたときに、そこの様相を隅々まで把握しておくのは、できる冒険者の鉄則だ。土地勘があるとなしとじゃ、いざというときに動ける早さが変わってくる。
そういうわけで……意味はわかるな?
(言いながら軽く頭を傾けて示したのは、いつぞやふたりでのんびり歩いた、浜辺まで続く砂利道の商店街。どう考えても、危険な魔獣や悪霊が出て討伐沙汰になる可能性はないのだが、物は言いようというやつだ。甍を連ねる軒先には、グランポート名物である魚の骨飾りがカラカラと回っていて、それを見比べるだけでも楽しいに違いない。向こうまで通り抜けても、そこの浜辺はギルドの連中がいるビーチよりだいぶ北寄りだから、うっかり見つかるようなことはないだろう。「ちょうど、買うものもあるだろうしな」と、ふと手を伸ばして掬ったのは、初日以降下ろされているヴィヴィアンの柔らかな栗毛。これはこれで新鮮かつ好みなのでいつまでも見ていたいが、強い潮風に吹かれれば邪魔になるのを、ギデオンも気づいていたのだ。まずは髪留めを探さないかと、相手の白い手を恋人繋ぎで絡めとりながら、近くの小物屋を指し示して。)
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