Petunia 〆

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匿名さん  2022-05-28 14:28:01 
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  • No.578 by ギデオン・ノース  2023-09-17 00:39:50 




──………

(本当に……本当に、相手はどこまで、無自覚に煽ってのけているのだろう。耳元にそれはそれは甘い囁きを吹き込まれたギデオンは、彼女の目に見えぬところで、一瞬途方もなく遠いまなざしを投げかけた。──だが、もうそろそろ、慣れっこだ。ヴィヴィアンは何度も何度も、こうしてギデオンを無自覚に煽る。それに己は、ぐちゃぐちゃに振り回されながらも、惚れた弱みで理性を利かせる。その一連の流れについては、もうお約束のようなものとして、親しみすら湧いているほどだ。これからも、彼女がそれに臨めるようになるその日まで、ふたりでずっとこれを繰り返すのだろう。しかし思えば、彼女のためにそう在るともと約束したのは、他ならぬギデオン自身。ならばこのもどかしさは、結局のところ、自業自得としか言いようがなく。
そう諦めをつけ、もとい、腹を括ってしまえば。目を閉じながらごく小さくため息を零し、顔を横に向けて。彼女の柔らかい頬に唇を軽く押し当て、ごく優しく、愛撫するように何度も滑らせる。そうして無言の承諾を済ませてから、静かに目を開け、相手と視線を絡ませると。頭を撫でていた掌を、相手の反対の頬に添え。その内心の欲望に不似合いなほど、穏やかに微笑んでみせて。)

……その代わり。
他の件では、いつかは止まってやらないぞ。

(そのあっさりと開き直った宣言は、ギデオンなりの反撃の狼煙、溜飲の下げ方のひとつだ。「他の件………?」、そう繰り返しながらこてんと小首を傾げたヴィヴィアンに、何でもないさ、と肩をすくめれば。不意にひょいと抱き上げ、数歩運んでいった先は、甲板に誂えられたベンチ、去年もふたりで腰掛けた場所。「ちょ、ちょっと! 誤魔化さないでくださいよ、いったい何の……」話、と食い下がろうとした唇は、さっさと塞いで黙らせてしまう。敏い彼女のことだ、何のことかは無意識に勘づいているのだろう。それ故理解を拒みながらも、確認せずにいられないのだ。
しかし、ベンチに腰掛け、ヴィヴィアンを膝に乗せたギデオンは。無垢で無自覚な娘のおいたを少し叱るような気持ちで、その唇の奥の奥まで、たっぷりと、飢餓感を込めて掻きまわした。緩急のリズムをつけながらも、息継ぎの暇は碌に与えてない。無論、単なる意趣返しであるだけでなく、悪だくみありきのことである。こちらのこなれた──ようやく少しだけ本気を出した──舌遣いの技も相俟って。案の定ヴィヴィアンは、ぽやん、と再び蕩けきった様子。あとあとになってこの直前のやりとりを思い出すかもしれないが、今この場で誤魔化せたなら、それでいい。そう満足げに小さく笑い、こちらの胸板にもたれかからせながら、よしよしと頭を撫でてやる。
そうして、月明かりのなかふと見つめ合い──「好きだよ、」と。大事な宝物にかけるような優しい声音で、もう一度、「おまえが好きだよ」と。繊細な話をキスで誤魔化す卑怯さには重々自覚があるけれども、ヴィヴィアンを心底大事に思っていること、それだけは再三念入りに伝えよう。その気持ちにたがえるような真似は決してしない、さっきの台詞とて、あくまでおまえがちゃんと平気になったらの話だ……そう言葉の裏で誓うように。──いつかのその日、ギデオンは心行くまで、ヴィヴィアンに甘え倒すつもりだ。だからそれまでの間だけは、せいぜい大人な紳士のふりを、彼女のために演じてみせよう。そのうち、ヴィヴィアンにもわかるときがくるだろう……晴れて恋人同士になった今、ギデオンの胸の内には、きっと彼女の想像以上に、大きく重たい感情が渦巻いていることを。ひた向きな思いも、邪で浅ましい欲も、今となっては、その全部が、世界中でヴィヴィアンだけに捧げるものだ。しかし今はまだ、知らなくていい。これから何年も……もしすれば、残りの人生すべてをかけて、相手に伝えていくのだから。)

……楽しかったな、訓練合宿。
そのうち、二、三日の休みを一緒にとれたら、今度はふたりで──どこへ行こうか。

(川のせせらぎ、森のざわめき、優しい月明かりに満ちた世界。その片隅でふたり仲良く、体温を溶かし合いながら。──1週間の賑やかな小旅行は、あっという間に幕引きを迎えた。
以前のギデオンにこの光景を教えたところで、そんな未来が来るなんて、きっと絶対に信じなかっただろう。そもそも自分の変貌ぶりに、そいつは誰か別人の話じゃないか、なんて、真顔で抜かしたに違いない。それくらい、当時のギデオンは、己がヴィヴィアンに寄せる想いにほとほと無自覚だったのだ。──そう、例えば、5カ月前も。)




──参ったな……

(偉大なるカダヴェル山脈より南。質朴剛健ながらも美しく、今は年明けの雪化粧が施された街キングストン。その中心部からほど近い場所に臥城を構えた、カレトヴルッフのギルドにて。早朝の明るい日差しが差し込むロビー、そこにはいつもより大荷物を抱えたむさくるしい連中ががやがやと賑わっている。しかしその奥、自身もしっかりと旅装を纏いながらも……なぜか物憂げに眉間の皴を深め。手に持った一本の鍵を難しい顔で睨んでいるのは、ベテラン戦士のギデオン・ノースだ。
──畜生、ミスった。こういう些事はきっちり済ませるはずの己が、すっかり失念しきっていたとは……。今日から始まる野営続きの探索クエスト、その主戦力として、ギデオンもまた、今朝いきなり駆り出されてしまったのだが。ギデオンの住んでいる単身者用集合住宅、その大家が体調を崩して入院しているのを、すっかり忘れきっていた。あの爺さんが今動けないということは、留守中のギデオンの家の様子を見てくれる者が、誰もいないということになる。それは困る……非常に困ったことになる。
遠征自体は1週間かそこらだから、別にシーツ干しだの掃除だのができないことを憂いているわけではない。──真冬の、特にこの年明け数ヶ月の時期は、暖を求めた悪性妖精が、ひとけのない家を狡猾に見定めて、勝手に上がり込み悪さをするのだ。おまけに確か……食糧棚に、肉や野菜を入れっぱなしだった。今日は午後には帰ると思って、昨夕路上で安売りされていたそれらを、買い込んでおいたせいだ。腐って蛆が湧くのも嫌だが、腐肉の放つ魔素につられて、厄介極まりない魔虫の類いを引き寄せるのは、もっと嫌な展開である。処理するのも面倒だし、家を傷めるようなことがあれば、爺さんに申し訳が立たない……修繕費だってかかる。とにかく、至急対処が必要だ──なのに、そのあてがないときた。
東広場発の馬車に乗るのが、今からたった十五分後。とてもじゃないが、自宅に戻って隣人に頼む暇はない。かといって、ギルドの誰かに留守中を頼むとなると……と見渡しながら、望みのなさにため息をつく。周りの連中はご覧の通り、ギデオンと一緒にクシャロ湖へ旅立つ奴らばかりだし。今日に限ってマリアは非番。そもそも彼女は苦労多きシングルマザーで、妖精除けのチェックをしてくれなどという大迷惑は頼めない。独身の友人連中はまだギルドに来ていないようだし、かといって、そこらの新人に私用を頼むのは駄目だ。己の肩書がなまじ少々特殊なばかりに、職権濫用だと問題になる。ほかに目につく人間といったら、昨夜よっぽど飲んだのか、掃除用バケツをほっかむって床に寝っ転がっているマルセルとフェルディナンドだけ。こいつらに鍵を預けるくらいなら、ヘカトンケイレスの方がマシだ。
「何かあれば、お隣か知り合いに留守を頼んでおくように」。大家の爺さんにも、そう事前に言われていたのに。それを忘れて咄嗟に遠征を引き受けた、その迂闊さのせいでこの窮状だ。いったいどうしたものか……と、声を出さずに呻きながら。カウンターに肘をつき。片手で頭を抱え込むその姿は、ほとほと困り果てているとった有り様で。)



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