匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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……うるさい、
(相手に抱かれ、撫でられながら、こちらもまた彼女の頭を撫で返す──という、双方の愛情表現の、なかなかの渋滞ぶりに。ギデオンのただでさえ回らぬ頭は、ものの見事に混乱しきり、結局相手にねだられるまま、片掌を不器用に動かし続けていたのだが。愛しくて仕方がない、そんな響きを孕む相手の言葉に、優しく耳朶を打たれるや否や。途端にこの状況がこそばゆくなったのか、思わず相手の頭に爪を立て、ざり、と痛くない程度に抗議を。そのまま、相手のふわふわの栗毛を、腹立たしげにぐしゃぐしゃと掻き乱しつつ。相手の肩口に顔を埋めた状態で、言葉の上でも──しかし弱々しくくぐもった声音で──ふてくされる有り様で。
今の己は、四十路に入った大の男だ。それがこうして、“まだ”恋人ではないはずの、十六も下の若い娘に、こんなにあからさまに甘やかされ。体温が上がっているのもバレてしまっている上に、可愛いとまで形容される──こんな恥ずかしい体たらくをして、どうして平気でいられよう。そんな風に思う癖して、しかし彼女を離せもしない、いったいどういう了見か。甘い現状に気まずくてならず、腹いせに相手の髪を、撫で下ろすように弄ぶ。そうして、ふと得た気づきに面を上げ。真横の髪に鼻梁を向けて……相手からは見えないだろうが、熱に淀んだ目を、ぼんやりとさ迷わせる。そうだ、この香りのせいだ。すぐそばからずっとふわふわと漂っている、清潔で甘やかなこの匂い。──ヴィヴィアンの匂い。
たしか、ちょうど二ヶ月ほど前。合同捜査で一緒に働くことになった昔の女が、不愉快な工作をけしかけてきたことがあった。職業柄、情報収集能力に優れているその女は、相棒の使っている洗髪料をぴたりと嗅ぎ当ててしまったらしく。次にギデオンが会った時、“この香りが好きなんでしょ?”と言わんばかりに、あからさまに振りまいてきたのである。今までの半生、女に色仕掛けをされた経験はそれなりにあるが、たかがハニートラップであれほど気分を害されたこともない。何せ当時のギデオンは、ちょうど相棒との関係が拗れまくっていた頃で。鼻先に届く馴染みある香りに、一瞬、実際に反応してしまい。──けれど、その後に届くラストノート、女自身の肌の匂いと入り混じってできる香りが、明らかに別の、あざとく品のない代物だったから、余計に胸をかき乱された。これは違う、あれとは比べ物にならない、と。相棒の甘く優しいそれを思い起こしては──彼女は今、エドワードやニールといった、同じ年頃の青年たちと一緒に過ごしているところなのだと。このところずっと忘れようとしていた事実まで思い出し、ますます機嫌を悪くしていた。……そうだ、あのとき。例の小屋で、相手を一晩中抱きしめるなんて蛮行に及んだのは、相手の香りが恋しかったからだ。今の自分が、相手から離れられないのだって、似たような道理だ。この7週間、ろくに休んでいない。遠征に次ぐ遠征で、合間も単発に駆り出される日々。年が明けて以来、ゆったりと寛いで夕餉を楽しめたのは、せいぜいが二、三日。歳もあって堪えつつある身体に、とにかく癒しが欲しかった。自分を安らがせてくれるものが──相棒が、たまらなく。)
……、
(しばらくの間、相手の顔の真横で、静かな呼吸を繰り返していたものの。最後のそれが深まったかと思えば、不意に相手の背中を両腕でかき抱き、逃がすまいというようにがっちりと捕えつつ。その華奢な首筋に顔を吸い寄せ、深く深く埋めて。──普段から胸元を寛げているためだろう、彼女の来ている白いシャツのスタンドカラーは、ほとんど防波堤を為さない。鼻先か、ともすれば唇まで相手の素肌に触れさせるという、普段からは考えられない蛮行に出ながらも。香りと温もりを得られればそれでいいのか、必要以上にまさぐるでもなく、そのままじっと、胸元を安らかに上下させ。相手がどうにか逃げ出すか、邪魔が入るかしなければ、その呼吸は少しずつ、眠たげな、よりゆっくりしたものへと凪いでいくことだろう。)
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