夜が明けるその前に　（〆.）

そうか･･･大きな怪我をしてなくて良かった･･･。

(相手の言葉に、少しでも肩を抉られるのはキツいものがあるだろう･･･と、考えるが煙草を吸う仕草がゆっくりでも行えていることに安堵する。言葉ではどうとでも言えるが仕草には本音が出てしまうため相手の言葉通り、それ程酷いものでは無いことを察し安心したことを伝えて。昨日はBarに来なかったため、それだけ激しい戦闘があったのだろう、とても疲れていたんだな･･･と、怪我が少しで済んだことにも安心して。注文したカクテルと軽食が出されると、グラスを持って一口飲む。オレンジの甘い味が疲れた体に染み渡り乾きが満たされるような気分になり、思わず頬が緩んでしまう。軽食の皿には生ハム、ロースハム、チーズが盛り合わせてあり、味わい深そうな色をだしていたが1人で食べるのは申し訳なく、皿を互いの間に移動させ)

クラウスが良ければシェアしないか？1人で食べるのは少し恥ずかしくてな･･･。

お互い満月の夜を乗り切れて良かった。…昨日は、成果はどうだった？

（怪我が重傷ではない事に安堵の表情を浮かべた相手を見て、複雑な気持ちが湧き上がる。彼が自分を睨み付けた憎しみに満ちた鋭い瞳が離れず、彼が見て居るのは、友人として大切に思って居るのは、自分ではなくこのBarの中にのみ存在する偽りの自分なのだと突きつけられている様な気がしていた。自分は彼に何を期待していたのだろうか、憎まれる事に慣れすぎて、心すら動かされる事も無くなっていたというのに。立ち上る紫煙を眺めつつ、昨日のような血腥い夜を乗り切ることが出来て良かったと言葉を投げかけつつ、彼の口から昨晩の事を聞きたいという思いもあり尋ねて。）

──嗚呼、ありがとう。お言葉に甘えて少しだけ摘ませて貰おうかな、

（相手に摘みを勧められると皿に視線を向けて。本当は人間の食事にはあまり興味がなかったものの、折角気を遣ってくれたのだから断るのも悪いと頷いて、少し摘ませて貰うと答えつつ。）

ん、どうぞ。
成果の方は、そこそこ。見つけた個体は討伐したけど間に合わなかったことも多くて･･･やり切れないかな。

(軽食を勧めたことを断りを入れられなく良かった、と思いつつ生ハムを食べ、昨日の成果を聞かれれば、頭の中の記憶を思い出してそこそこだったことを伝える。討伐は出来たものの被害は大きく、昼間聖堂で見た遺体の多さにあともう少しでも早く行けたらという気持ちを何度抱えたかは分からない。熟年のハンターならもっと上手くやるだろうと思い知らされつつ、自分の未熟さを痛感してモヤモヤとした思いを伝える。)

しかも一体取り逃して･･･目が紅くて体格は、ちょうどお前ぐらいスレンダーだったな。って、吸血鬼と比較されるのは気分が悪いよな、すまない。

(しかもモヤモヤを倍増させている原因に取り逃してしまった個体のことを話せばちらりと相手を見て身体が細かったことを思い出す。だがハンターが吸血鬼の訳はないと、相手と吸血鬼の背格好を比較してしまったこと、気分を害してしまったことを詫びる。相手と似たような体型だなんてほかにもいるだろうに、自分たちが討伐する吸血鬼と比べてしまい申し訳なさそうにして)

昨日は被害者の数もかなりのものだっただろうから…テオが討伐した事で、この先救われる命が幾つもあるはずだよ。

（昨晩の状況下で、数体であっても吸血鬼を討伐したという事は今後の被害を食い止める事に確実に繋がっているはず。夜に犇めく恐怖の対象が多少なり減る事は人間に取っても大きな安寧になるだろうと、複雑な思いを抱えている様子の相手に言葉を掛けて。あれ程人員を割いて対処していたのだから、討伐された吸血鬼も多いだろう。各々が縄張りを持ったり人間に擬態したりして過ごしている吸血鬼は同族同士の繋がりは希薄なものだったが、被害は少し減るのでは無いかと考えて。）

…いや、構わないよ。僕も注意して見るようにする、自分と似た背格好なら気付きやすいだろうから。

（相手が見ていた自分の姿はシルエットに留まっていた事が相手の口から確認できて密かに安堵する。首を振り気分を害していない事を伝えつつ、狙われているのは自分だと言うのによくもこれ程上辺だけの言葉が出てくる物だと、自分の事ながら嘲笑いたくなる気持ちを抱いて。摘んだチーズを咀嚼しつつ、久方ぶりの固形食はやはり然程味を感じる事はなく、カクテルを口にして。）

はは、そう言ってくれるだけでもありがたいな･･･気分が軽くなる。

(暖かい言葉にへら、と笑う。過去を振り返って反省させるようなことを伝えるのではなく、未来を見すえて活力が湧くような激励に冷たく暗い思考に侵されてしまいそうだった頭の中がぽかぽかと暖かくなる。例えそれが他者から見て偽善であっても、本心であっても自分が救われていることに、自分の気分が軽くなったことを伝え。確かにあの夜に救われた命は何個かあり、"ありがとう"と感謝の言葉を告げられていた事で次の命も救えるかもしれないと足を進めることが出来ていたことも思い出して)

まぁ、そう会うことは無いだろうけど･･･気をつけてな。

(注意する分には悪いことはないだろうと、相手も警戒してくれることに嬉しく思う。もし逃してしまった吸血鬼に相手が傷つけられたり、もしかすると殺されてしまったとしたら･･･と寒気がしてくる。ハンターは簡単に吸血鬼に殺されることは無いとはいえ、聖堂に寝かされた若いハンターのように可能性は低くはない。もし、相手が吸血鬼によって殺されてしまったら自分はどうなるのだろうかと内心で少し怖くなっていて)

直接助けられる人は多くはないかもしれないけど、確実に誰かの命を救っている。ハンターはきっと、そういう職業だよね、

（笑みを浮かべた相手につられるように、此方も柔らかな笑みを浮かべて。自分は忌み嫌われる立場でハンターとは確かに対立しているが、相手に伝えた言葉に偽りは無かった。遺体を目の当たりにしたり吸血の現場に遭遇したりする事が多いかもしれないが、ハンターが吸血鬼を討つ事で救われている命はその比にならないほど多い筈。失血死に至る前に救われる人も居るだろう。危険と常に隣り合わせでありながらも、人を救うために夜を駆けるハンターに、相手の姿に、尊敬にも似た感情を抱いているのは確かで。）

テオの方こそ。任務が立て続けにあって疲労が溜まっていたりすると、一瞬の隙を突かれる事も少なくない。任務に向かうときは気をつけて、無茶はし過ぎないようにね。

（気を付けて、という言葉に頷きつつカクテルに口を付けて。自分は吸血鬼に襲われる心配は無いため、相手の方が心配でついつい口煩く細かな注意を重ねてしまった。吸血鬼は隙を突けると判断すればハンター相手であっても襲いかかる。自分もハンターに心臓を撃ち抜かれる事がないよう気をつける必要はあったが、相手に注意を促して。）

･･･確かに、そうだな。俺もそう思うよ。

(ハンターとは何か。自分の身を危険に晒してまでここまで頑張る意味は何か。吸血鬼に復讐したいという気持ちだけでなく、直接関わることはなくとも誰かの人生のため、幸せのため、命を救うためにハンターは存在しているのだと相手の言葉で改めてわかった気がする。たしかにハンターになったのは復讐のためであった。でもその気持ちに、自分や自分の婚約者のような人を増やさないためという気持ちを見つけると、視界が少し明るくなった気がし、張り詰めていた呼吸も楽になった気がして)

あぁ、分かってる･･･く、ははっ。俺、そんなに無茶するように見えるのか？

(相手からの注意に素直に頷くが細かく注意してくる姿に思わず笑いが零れてしまい口を手で隠す。その姿が何だか母親にでもなったかのようだがそれを言うのは失礼と思いつつ肩まで震わせて。相手には自分が子どもか、無鉄砲な男にでも写っているの気になりながら問いかけて)

テオは落ち着いて見えて、どこか危険を顧みない無鉄砲さがある気がするからね。僕がちゃんと目を光らせておかないと。

（落ち着いた雰囲気とは裏腹に、時折吸血鬼への憎悪に任せて突っ走ってしまうような危うさを感じていた。怪我が多いことや、疲弊していても必ず任務には赴くことなどがそう見える理由だろうか。自分が監視しておかないと、と冗談めかした口調でそう言いながら笑うと、空になったグラスと引き換えにマスターにカーディナルを頼む。彼と此処で過ごす時間が日常の一部になりかけている今、いつの間にか相手を失う事を恐れている自分がいた。煙草の先端を灰皿に押し付けつつ、差し出されたグラスの紅い水面を眺める。対局に居る自分たちの友情が成立する筈もないのに、思いがけず随分と深い関わりを持ってしまった。初めはほんの些細な興味だった筈なのに。グラスを軽く揺らして唇を湿らせると、何気なく相手に視線を向けてカクテルに視線を落とした相手の横顔を眺めて。）

くくっ･･･じゃあ俺が暴走しそうになったらちゃんと止めてくれよな。

(自分は自制のつかない猛獣かなにかか？暗に、相手が自分のことを見張り手綱を握ってくれることを示唆され笑いを堪えながら、ならば暴走したら止めてくれるようお願いする。といってもいつも会えるわけでもないし、そんなことにはならないだろうと言う考えもあり、面白い冗談を相手も言うのだなと少し可愛らしくも感じる。しかしもし、本当に相手が自分のそばで見守ってくれるのならばそれはとても楽しく思えるだろう。だんだん婚約者と過ごした過去の時間より相手との楽しい時間を味わったり、思い出したりすることが多くなってきたことを自覚し、もっと相手と過ごしたいと思い始めていて)

はー、笑った笑った。あ、これ残り少ないがどうする？クラウス食べるか？それとも俺が食べてしまおうか？

(カクテルを飲み喉を潤す。何だか久々頬の筋肉を酷使するくらい笑ったため手で筋肉をマッサージするようにむにむにと摩り、ふと軽食の皿を見れば僅かにチーズやロースハムが残っており、無意識のうちに食べていたようで。相手が食べなければ自分で食べてしまおうとも考えて残りはどうしようかと問いかけつつ相手の方を向いてみれば、自分に視線を向けていたことに気づき不思議そうに首を傾げて)

了解、この場所で手綱はしっかり握っておくよ。暴走しそうになったら僕を思い出せば良い。

（相手と共に任務に赴く事は無いし、自分たちはこのBarを介しての繋がりしか持っていない。側で見守る事は叶わないだろうが、せめてこの場所に居る時だけは相手の手綱をしっかり握っておく事を約束して、相手の肩に手を掛けて。楽しそうに笑う相手に釣られて表情を緩める。今以上の事は望まない、だからせめてこのBarの中だけでも相手の友人でありたかった。殺伐とした夜の空気も血の匂いも忘れて、善良なハンターとして相手の隣に。）

──嗚呼、テオが食べて。ご馳走様。

（相手の横顔を眺めていると不意に視線が絡み、ふと我に帰る。まだ相手と出会ってからそれ程時間が経った訳でもないのに妙な感傷に浸ってしまった。軽食の乗った皿を見ると首を振り、全て食べてしまって構わないと告げつつグラスを煽り。食事の代わりにもう一本煙草を取り出して口に咥える。煙草と酒だけが唯一血の他にきちんと味を感じる嗜好品だった。ハンターの武器で傷付けられた傷は治りが遅く、動かした時に痛みが走ったもののライターで火を点けて。）

そうだな･･･お前の顔と声が思い出せたらすぐに止まれそうだ。

(いつか、相手と共に任務に赴いてみたい。相手に背中を預けて戦うならばどんなに心強いだろう。例え憎悪に囚われても相手の声と表情を見ればすぐに止まれそうで、微笑みながらその気持ちを伝える。軽食の残りを食べても良いと言われれば了承の言葉を伝え、僅かに残った物を一纏めにして頬張る。つまんだ指を舐め綺麗にすると「あー、腹いっぱいだ」と満足感を示し、お腹をさする。適度にお腹が満たされ、眠気を含んだとろりとした気持ちに飲まれそうになるもふるふると頭を振ってその気持ちを吹き飛ばす。ふと、相手が煙草に火をつけていたが、その仕草が億劫そうにしていたため実は結構痛みがあるのでは、と相手の方の傷を気にして声をかけ)

･･･肩の傷、かなり痛むんじゃないか？

──それは嬉しいな、

（自分を信頼し、大切に思ってくれているかのような相手の言葉に、例え其れがお世辞だったとしても嬉しいと笑みを浮かべて。その時初めて、自分がハンターだった世界線を想像した。これまで吸血鬼である事を疎ましく思ったことも、人を喰らう自身の残虐性を嘆いた事もなく、ただ淡々と日々を過ごしていた。そんな中で相手と出会い、もし違った運命を背負っていたなら、とそんな考えが一瞬でも過ぎる事に自分自身が一番驚いていて。相手に怪我の事を言及されると、そんなに分かりやすかっただろうかと思いつつ少し苦笑して。階級の高いハンターが扱っていた武器であるという事が関係しているのだろうか、実際にズキズキとした痛みは強くなっているようにも思える。肘をカウンターにつき支えにする事で幾らか楽だと言いながら、煙を吐き出して。）

…少しね、あまり動かさなければ楽なんだけど。

そう？なら良かった。

(相手が嬉しいと自分も嬉しくなる。もし彼が他の職業についていたらこんな気持ちにはならなかっただろうと考えながら、頬を緩めて嬉しくなって笑う。自分の言葉で相手が喜んでくれた事に胸が暖かくなり、いつかBarの外でお互いの背中を合わせて、もしくは隣に立って戦えればそれだけでも自分は幸せだろうと頭の中で想像してみるが、難しい問題だろうと、チャンスがあればいいなと願ってみて。)

じゃあ今日こそ一緒に帰ろうか。途中で戦闘になったらキツイだろ？

(動かすと痛くなるらしく、ならば極力動かさない方が良いだろうと、先日途中で中断してしまった帰り道のことを思い出す。今の状態で吸血鬼と戦闘になっても集中出来ずに余計な怪我まで負ってしまうかもしれないと考え、提案し)

…お言葉に甘えようかな、ありがとう。

（相手の柔らかな笑みを見れば穏やかな心持ちでカクテルを口にする。昨晩向けられた彼の憎悪に満ちた瞳を、記憶の底に埋めてしまいたいと思っている自分も居るようだった。この前はゆっくりと2人での帰り道を楽しむ間もなかった事を思い返せば、一緒に帰ることを提案してくれる相手に、せっかくの誘いに甘えさせて貰おうと頷いて。昨晩の殺伐とした空気も今は消えていて、街中での吸血鬼の行動も静かな上自身の衝動も落ち着いている。今夜であれば夜の冴えた空気を吸いながら、相手とのんびり帰ることができるだろうか。）

どういたしまして。まぁ俺も途中で帰ったの心残りだったし･･･そしたらもう少し飲むか？それとも散歩をしつつ帰るか？

(自分の提案に頷いてくれたことにほっとし、今からワクワクとした気持ちが湧き出ていた。先日は自分から誘っておいて途中で吸血鬼の気配を追って別れてしまった為、その時の申し訳無さが心の片隅で残っておりここで挽回出来ればとも考えていて。自分の注文した分のカクテルや軽食は食べ終わり、お腹もちょうどよく満たされいつでも帰宅はできる気持ちにはなっていたが相手はどうだろうと思い、まだここで過ごすか、散歩しながら帰宅するか問いかけて)

…今日はそろそろ帰ろうか、お互い昨日の疲れも残っているだろうから。

（相手の言葉に時計を見遣ると、そろそろ帰路に着こうかと。左腕だけコートに袖を通し右肩に羽織るようにして立ち上がると支払いを済ませて。相手と連れ立って店を出ると、まだ大きくはあるものの静かに輝く月が空に浮かんでいて。街も落ち着いている様子で、ゆったりと歩き出しながら髪を揺らす冷たい風を感じ、隣にいる相手に視線を向けて。喪失感と悲しみを抱いている相手に聞くべきではないとずっと思っていたのに、相手の婚約者の事を知りたいと願う自分がいた。自分が彼の仇でない事を裏付ける理由が欲しかったのだろう、相手にそう問い掛けて。）

──こんな事を聞くのもあれだけど、…テオの恋人はどんな人だったの？

そ、了解。

(今日はそろそろ帰ろう、との言葉に頷き了承の言葉を伝えると同じように支払いを済ませBarを後にする。相手の隣に立って歩いてみれば月の灯りが足元を照らし、微かな風がアルコールで火照った体を冷ましてくれていた。自分と相手の間にゆったりとした空気が流れ、その心地良さを味わっていれば婚約者のことを聞かれ、頭の中で婚約者の姿を思い出す。そこで、以前は感じていた虚しさや寂しさ、無力感などの負の感情が残ってはいるもののそれ程浮き上がらなくなっていることに気づき、自分の中で昇華されているのだと分かり。「そうだな」と前置きしはぁー･･･と息を吐き出せば白く曇った吐息が空中に解けて消える。それが相手がBarで漂わせる紫煙のようで面白かった。)

赤毛で普通の、女性らしい女性だったな。優しくて、気配りが出来て、でも気が強くて･･･彼女には何度も助けられてた。それで笑顔が可愛くて、笑った顔が大好きだった。

(記憶の中でこちらに笑いかけてくる婚約者の顔が浮かんでくる。心地よい声色も、光を受けて淡く輝く赤毛も。そこで彼女を形取る1番特徴的な目のことを思い出し口にして)

あ、それでな、彼女は目が1番特徴的なんだよ。多分、1度見たら忘れられないくらい。

──素敵な女性だったんだね、…テオと笑い合っている姿が想像できる。

（婚約者について語る相手を見つめながらその言葉のひとつひとつを聞いていれば、相手が彼女の特徴を口にする度に自分の中でその女性が形作られていくような感覚。赤毛の女性が彼の隣で幸せそうに笑っている様子が想像できて、頷くとさぞかしお似合いのカップルだったのだろうと微笑んで。その彼女が相手の隣からいなくなる事さえ無ければ、彼はこうしてハンターのコートを見に纏う事も、拳銃を手にする事もなかった筈だとぼんやりと考える。思い出したように目が特徴的だという相手に再び視線を向けると首を傾げて。忘れられない程に特徴的な目とは一体どういう事なのだろうか。）

──目が？

はは、ありがとう。
･･･まるで満月みたいなアンバー、琥珀色だったんだ。光の加減で金色にも輝くから、まだ頭の中にも残ってる。

(こくりと頷き上を見る。暗い夜空に光る月のように婚約者の目は魅惑的に輝いていて、まだ彼女が生きていた時の夜、散歩した時のことを思い出してみた。新月の日、月の代わりに婚約者の目が月のように光って当たりを照らしてくれていたようにかんじたことがとても思い出に残っているが、婚約者が死んだ日も新月であったことが浮かんできた。光を失った琥珀色は鏡のように自分を写しただけで瞼の中に隠され、あれから二度とお目にかかれていない。視線を元の位置に戻し、相手に移動させてから静かに問いかける)

クラウスは、見たことあるか？

（満月のような、という言葉を聞いた時、唐突に過去の記憶が明確な映像として思い出されて、一瞬時間が止まったような気がした。今からどれくらい前の事だっただろうか、月のない新月の夜、赤毛を靡かせて歩いていた女性の姿。その瞳は満月のように街の灯りを受けて輝き、暗い静かな夜だったのに僅かな衝動が湧き上がった事を覚えていた。聡明そうな綺麗な顔立ちの女性だった。吸血鬼が貴女の後を着けている、と声を掛けた気がする。ハンターの姿をしていた事で、吸血鬼を撒くために、と理由を繕って告げた言葉を彼女は直ぐに信じて、誘うままに共に路地裏に足を踏み入れた。その白い首筋に牙を突き立てた時、驚愕と恐怖と悲哀とを浮かべた満月のような瞳が涙に揺らぎ、自分を見つめて居る事にとてつもない高揚感を感じていた。まるで、月を手に入れたかのような。事切れる直前、血色を失った彼女の唇が動いた事を覚えている。「ごめんなさい、」という言葉は辛うじて聞き取れたが、その前の2文字を判別することは出来なかった。唇に左手を触れさせて、程なくして彼女の身体は力を失った。
目まぐるしく、過去の記憶が再生されている間、自分はどんな反応をしていただろうか。此方を見つめている相手の姿を瞳に映しながら、あの夜彼女が言った言葉を漸く理解していた。あの2文字は恐らく彼の名前。彼女は「テオ」と、相手の名前を呼んでいたのだ。大切な婚約者を一人残して命を落とす事を彼に詫びて、それでも尚彼を慈しみ愛おしむように指輪に口付けを落として、息を引き取った。腕に抱えた重みを思い出すようだった。彼の瞳を見つめ返したまま辛うじて返事を返し、止めていた足を再び進める。彼の声も、言葉も、うまく頭で処理できなくなっていた。）

──…どうだろう、…記憶に無いな、