白む空に燻る紫煙　---〆

( あの日と違った事は直ぐに元に戻らず相手の意識は深い深い闇へと落ちてしまった事。頼みの薬は内ポケットを引っくり返し鞄の隅から隅までを調べたが出ては来てくれなかった。程なくして救急車が到着し付き添いだと共に乗って病院へ。生きた心地がしないと言うのは正にこの事を言うのだろう、心拍がやたら早く脈打ち自分でもわかるくらいに顔色は悪い。喉の奥に何かがつっかえるような感覚を覚え落ち着かなければと鞄の中の水を飲むも少しも治りはしなかった。＿＿真っ白の部屋の中真っ白のベッドで眠る相手。医師の話では命に別状は無いもののかなりの疲労とストレスがある。暫くの間は休息が必要だと。そんな事わかってるとやり場の無い腹立たしさを飲み込みつつ両手で相手の手を包み込むように握る。確かに感じる温かさだけが今安心出来るものとなっているが、早く目を覚ましてほしいと願うばかり。事件云々なとすっかり頭からは無くなっていて )

　





（　目を覚まし最初に視界に映ったのは真っ白な天井。自分の置かれている状況がすぐには把握出来ず、少し身体を動かすと腕に繋がっていた点滴の管が揺れて病院だと理解する。気分の悪さや痛みは無かったが身体がやけに重たい、起き上がる事は億劫で視線を彷徨わせると、傍らに座り手を握る相手の姿が目に入り。そこでようやくホテルのロビーで倒れた事を思い出した訳だが、今までずっと付き添って居たのかと言う驚きの方が大きかった。「……ミラー、ずっと此処に居たのか、…」視線だけを相手に向けてまだ覚め切って居ない低い声で尋ねる、病室内に時計は無かったが一体今は何時なのだろう。相手の姿を目にして、やる事が色々と残っている事を思い出し意識がはっきりし始めると、自分の着ている服が病院着になっている事に気付き眉を顰める。これではすぐに戻れない、オハイオ州の管轄署にも今日中に連絡を入れようと思っていたのに。「今何時だ、スマホを取ってくれ。」溜息と共に言葉を吐き出して。　）





　

＿＿、エバンズさん！良かった…っ！
( あの日署内で発作が起きた時、直ぐに治まったからと言って安心しなければ良かった。どんな手を使ってでも病院に連れて行けば良かった。そうしたら倒れずに済んだかもしれない。そんな後悔が心の奥深くで渦巻き自らの不甲斐なさでいっぱいになった心が悲鳴を上げそうになったその時、握っていた手がピクリと微動したのを感じハッと顔を上げると確かに眠っていた相手と視線がぶつかり。それは酷く弱々しくぼんやりとしてはいるが確かに目を覚ましたのだ。確認のように落とされた小さな呟きには何度も頭を縦に振る事で答える。良かった。本当に良かった。…と、相手の表情が変わったのに気が付く。続けられた要望で大方仕事に戻らなければいけないと頭が覚醒したのだろう事を理解しては「知りません！」とやや声を荒らげキッと睨むような視線を送り。枕元にあるナースコールを押して意識が戻った事を伝えればややして医師と看護師が現れ『確りと検査する為に数日入院してもらいたい。』と告げるだろう )

　






（　視線の重なった相手は酷く安堵した様な、泣いてしまうのでは無いかと思う様な表情を浮かべて何度も頷いた。共にこの事件に関わっているからか、周りに見せたくない、情けの無い姿ばかりを相手に見せているような気がして自分の甘さを悔いる。スマホを取ってくれと言う要望は叶えられる事なく睨み付けられると溜息を吐いて天井を仰ぎ、程なく部屋にやって来た医師に告げられた言葉には間髪入れる事なく「不要だ」と答えて。犯人逮捕を目前に数日入院など応じられるはずが無い。「勘弁してくれ、今休む訳には行かないんだ。それに検査なら毎回薬を貰う度にしてるだろ。」と、顔馴染みの医師という事もあって聞き入れる気は無い様子。薬の事も相手には既にバレている為そこに関して隠すつもりはもうないらしい。この強情な態度は休職を打診された時も同じで、度々こうして理由を付けては逃げ回っていた。今すぐにでも署に戻りたいのだと「外してくれ、もう大丈夫だ。」と点滴の繋がっている腕を医師に差し出そうと。　）






　

＿＿エバンズさんが入院しないなら、証拠品持って国外逃亡するから。
( 医師の口から告げられた“検査入院”の言葉に当人でないにも関わらず是非ともそうしてくれと頷くも、当の本人が首を縦に振らない。確かに今が勝負時だしあと少しで犯人を突き止め逮捕出来るかもしれないという所なのだ。オハイオの管轄署への連絡もまだしていないのも事実。それでも薬を貰うだけ貰いそれを飲み体も心も騙して生きていける程人は強くは無い。ぐ、と両の拳を握り締め真っ直ぐ射抜くような瞳を相手に向ければ実際
証拠品となる凶器もまだ出て来てはいないが至極真剣な表情と声色で以てそう告げて。それから少しの沈黙を置いて再び口を開く。「…私、エバンズさんがゆっくり休めるように絶対犯人逮捕するから。だから信じて欲しい。」少しも逸らさぬ視線のままに、次はその声色に決意と少しの懇願を折り混ぜて )

　





馬鹿言え、今は休んでる場合じゃない。前も言った通り事件の解決が最優先だ。
（　医者に加えて相手までそんな事を言うのかと反論したものの、思いの外真剣な表情を前に少し言葉に詰まる。既に事件発生から時間が経ち早期解決が望まれるこの状況で、捜査から離脱して休みを取るなど自分としては到底容認出来ない事。幾ら体調が思わしく無いとは言え今は駄目だ、最後までやらせて欲しいと再度口にしたのだが、相手の表情は変わらない。仕事の為に無理をする事も不調を薬で誤魔化す事も、もう何年と自分にとっては普通の事になっていて周囲と感覚がずれているのは分かっていた。空気に耐えかね医者に差し出した腕は大人しく下ろしたものの、事件を解決まで導きたいと言う思いは変わらず、すぐに入院を受け容れる事は出来ずにいて。　）






　

犯人の目星は既についてる！今すぐ此処でオハイオの管轄署に電話して彼を移送してもらったら、そのまま事情聴取で自白させる。証拠となる凶器は確かにまだだけど、でも、二日あれば絶対に見付けるって約束するから…っ！
( 懇願の願いも事件解決の前にはちっぽけなものになってしまうようだ。「このわからず屋！」と怒鳴りたいのをギリ、と奥歯を噛み締める事で抑え込む。相手にとっても譲れない優先事項であるが己もまた相手の休息が譲れない優先事項なのだ。決して交わる事の無いであろう互いの思いをいい所におさめようとする方が無理な話なのかもしれない。それでも此処で諦めて折れてしまえばきっとまた同じ事の繰り返しになる。そうわかっているからこそ語尾を荒らげながらも必死に訴え続け。隣で医師と看護師が顔を見合わせて考えあぐねている様子が視界にちらつくが、構ってはいられない。「麻酔でも何でもうって2、3日眠らせて下さい！」という最早八つ当たりも同然、無茶苦茶な要求に看護師が苦笑いを浮かべながら『まぁまぁ、落ち着いて下さい』と宥め始め。＿＿結果的に冷静にならなければと我に返れば、一先ずオハイオの管轄署へ電話をし、ビジネスホテルに姿が映っていた事を伝え移送の手続きをとって )

　





（　相手は頑として折れる事は無く、必ず事件を解決に導くから休んで欲しいと懇願する。自分の体調など相手には関係無いだろうに、そこまで強く言われてはそれ以上噛み付く事も出来ずに黙り込んで。麻酔で強制的に寝かされるなんて自分は犬か何かかと顔を顰めたものの、相手の決意は固いようだ。管轄の署への電話を終えた相手を前に深く溜め息を吐くと「…分かった。」と一言。そこまで言うのなら大人しく従うより他無い。「この事は絶対に口外するな。3日であいつを有罪に追い込める証拠を突き付けられなければ、入院中だろうが何だろうが俺が行く。」上には貧血を起こして倒れたとでも言って少し休みを貰う事は出来るだろう、相手が知り得るこの状況をくれぐれも口外しないで欲しいと諸々の注文を付けた上で、渋々ながら入院する事を了承して。　）






　

( 今すぐに移送する。というオハイオからの返事。それに続いて相手から不本意であろうながらにも渋々入院する事を了承する返事が来れば先程までの威嚇せんばかりの表情は何処へやら、花が咲いた様な笑みへと変わり突き付けられた条件に大きく頷き。「十分。＿＿それじゃあ私署に戻るけど絶対安静だからね。ご飯も食べて、それから…あ、これ返すね。」相手の傍に居たいのはやまやまだが大見得を切った以上三日で絶対にライアンを逮捕出来るだけの所まで持っていかなければならない。母親かとウザがられても仕方ないような言葉を送りつつ鞄から相手のネクタイを取り出せばそれをベッド横の台に置いて医師と看護師に軽く頭を下げ病室を出て行き。＿＿署へと戻ったタイミングでオハイオから移送されて来たライアンが到着。ホテルの監視カメラの映像だけを掲げ取り調べをするのには限界があり進みも悪かったが思わぬ助け舟＿海に凶器を捨てている姿が偶然通り掛かった車のドライブレコーダーに映っていた＿が送られて来た事であっという間に逮捕まで持っていく事が出来て。その翌日には海に沈んだ凶器も発見されライアンの指紋も確認された。何だかんだと言い訳を述べる男の身勝手な言い分に平手打ちをしたい気持ちを沈め、既に病院の面会時間を過ぎていた為に約束の3日目の午前中、ガラリと病室の扉を開けるや否や「お見舞いの品は事件解決の報告で十分だといいな。」と誇らしげな笑みを浮かべて見せて )

　





（　色々注文を付けるだけ付けて去って行く相手の背中に不満げな視線を向けていたものの、大人しくしているより他は無く。突然訪れた、自分にしてみれば膨大な暇な時間を持て余してしまうのだが休息を取るとはこう言う事なのだろう。事情を知っている医師に普段よりも強い睡眠薬を入れて貰い、悪夢に何度も目覚める事無く朝を迎えられただけでも身体はかなり楽になっていて。…幾つもの検査が終われば病室に戻され、点滴を頻繁に付け替えられながらベッドの上で微睡む事の繰り返し。ほとんど横になっているため眩暈に苛まれる事もないのだが、身体を回復させる為とは言え此処までじっとしている事が無い為妙に落ち着かない気分のまま迎えた3日目。ガラリと開いた扉に相変わらず気怠げな視線を向けると、嬉しくて堪らないといった様子の相手の姿。無事逮捕に漕ぎ着ける事は出来たらしい。「…ライアンは認めたのか。」この3日間、捜査から外れているため当然相手からの電話も無く気掛かりでならなかった捜査の進捗について知りたいと言うのが第一声。相手の報告次第で十分か否かは判断すると、ベッドの傍に置かれたイスに腰を下ろす相手を見据えて。　）






　

( 入院する前に常々感じていた相手に纏う疲労感も、目の下にしがみついているような隈も、そのありとあらゆる負のエネルギーの様なものを今は感じない。3日という短い期間ではあったがきちんと寝てご飯を食べ文字通りの休息を果たした事が見て取れた。嬉しさと安心を織り交ぜた控えめな笑みを口元に宿し椅子に腰掛ければ膝の上で鞄を抱えつつ「認めたよ。凶器も海に捨てられたのをたまたま近くを通った車のドライブレコーダーに映ってて、ちゃんと見付かった。＿＿エミリーは殺される予定じゃなかったんだって。子供達を殺せばエミリーが戻って来てくれるんじゃないかって思ったらしい。…勝手だよね。」凶器の事、供述の事、この三日であった相手に伝えていなかった事を一つ一つ語る様に伝えていき。話が終わったタイミングで鞄から“エネルギー供給”と書かれたブルーベリーヨーグルトを取り出しては「食べ物のお土産もちゃんとあるよ。これ一つでいい栄養とれるんだって」とスプーンと一緒に台上に置いて )

　





…そうか。__ミラー、良くやった。今回お荷物だったのは俺の方だな。
（　ベッド脇に腰掛ける相手の語る言葉を横になったままひとつひとつ聞き、やがて頷くと相手に視線を向けて労いの言葉を一つ。言葉通りに相手はこの事件を1人で解決に導いた、相手も同じように疲労が溜まっていたはずだが、自分が3日も休息を取っている間に色々な所を駆け回り、証拠を集めて犯人の自供を引き出したのだから働きは十分だった。前回の事件で相手をお荷物だと言ったのは自分で実際そう思っていたのだが、今回は完全に此方が相手の足を引っ張った自覚があり、溜め息ながらに呟いて。悪夢に魘されずに朝を迎えるのはいつ振りかと思うほど、この期間はよく休む事が出来た。身体を補助し症状を抑える薬を投与されて仕事からも数日離れ、正にストレスと疲労を取り去った生活で心身を立て直せたのも相手のお陰と言えるだろう。検査結果の良し悪しに関わらず、一時的にでも身体を確り休める事が出来たのは大きく。しかし差し出されたヨーグルトを一瞥すると、いつものように「要らない。」と答え視線を背けて。　）





　

( 『良くやった』の労いの言葉に心底嬉しそうに表情綻ばせるも次いで紡がれた言葉を聞くや否や表情はピシッと固まり。「私そんな事一言も言ってないし思ってない。エバンズさんが御荷物だったかどうかは私が決めます。＿＿今回の事件、私はエバンズさんが居なかったらきっと途中で怖くなって動けなくなってた。エバンズさんは特別な事言ったつもりは無いかもしれないけど、それで救われたのは事実なんだよ。だから私の気持ちを勝手に決めないで下さい。」最初こそ何処か怒りも含んだ声色だったが最後にはまるで言い聞かせるようなそんな穏やかな声色へと変化していて。責任感が強く仕事を第一優先で考える相手だからこそ自責の念にかられているのは百も承知だが、どうか少しでも寄り添いたい、そんなある意味我儘な思いが共に居る内にフツフツと湧き続け。案の定ヨーグルトを拒否する姿勢。失礼ながらにも“手負いの猛犬”を想像してしまえば心の中でひっそりと微笑み。「じゃあ此方は？お粥だって。日本食は健康的だし優しい味らしいから丁度いいと思うんだけど。」こうなる事は想定内とばかりに続けて鞄から鮭粥のパックを取り出しそれもまた台へと置いて )

　





（　返ってきたのは想像以上に真剣な、少しの怒りも含んだ真っ直ぐな言葉。自責の念を感じる必要は無いと言葉で慰められるよりもずっと響いて何も言い返せなくなってしまうのだから、相手はやはり独特の存在だ、と。謝る事こそしなかったが、それ以上今回の件についての後ろめたさを口にする事は無く。続け様に鞄から出されたパウチを見ると、一体幾つ何を持って来たのかとげんなりした表情を浮かべて。「ドロドロの米なんて食わない。置いていくなよ、全部お前が食え。」と真っ向から拒否すると持って来たなら自分で持って帰れと告げる。それに流動食で無いと食べられない程弱っている訳でも無い、だからと言ってサンドイッチが出て来た所で食べると言う事でも無いのだが。犯人を逮捕し事件から解放された事で今日は時間があるのだろうとは思いつつ「…署に戻らなくて良いのか。」と鞄を抱えたままの相手に尋ねて。自分もそろそろ大人しくしているのは我慢の限界で、「明日明後日には退院手続きをして貰うよう医者には掛け合ってる。報告書は俺が見るから仕上げておけよ。」と伝えておき。）





　

( 納得してくれたのかどうかはわからないがほんの少しでも言葉が届いていたらいい。そんな気持ちでその後は相手と同じく言葉発する事無く。胃にも良さそうで尚且つあまり食べる事の無い日本食、これならば興味を引けるかと思ったがあまり良いチョイスでは無かったようだ。仕方ないとばかりに台に乗せた二つを再び鞄へとしまうも「これは食べる気になる？」と三度目の正直にはやや控え目に種類豊かなカットフルーツのパックを取り出して。事件も無事に解決し今日立て続けに次なる事件に駆り出される事は無い。「もう少し此処に居ようかなって思ってるんだけど＿＿一人になりたい気分？」折角のお見舞いで暫く顔を合わせて無かったのだからと思うも、相手は休息をとっている身。今此処での決定権は相手にあると思っていれば要望を伝えつつも返って来た言葉には従うつもりで。他の人からしたらたった三日。されど相手からすれば長い三日。大人しくベッドの上に居たのが奇跡なのではと感じるがもう我慢の限界のようだ。検査結果はもう少し掛かるかもしれないが相手にとっては十分な休みを取る事が出来ただろう。「勿論、エバンズさん以外の人に頼むつもりは無いよ。」退院して直ぐに仕事場モードへと切り替えられるのがきっと相手の長所でもある。ニコニコとした笑みのままに今度は休めと言うのでは無くちゃんと仕事を見てほしいと頷いて )

　





（　事件解決の報告を兼ねた見舞いの為によくもこれだけ色々買い込んできた物だと半ば呆れつつも、控えめに尋ねられるとそれを跳ね除けるのも少し気が引けて、顰めっ面のまま一応「…後で食べる。」とだけ頷いておき。何も無い無機質な病室で、今同じ空間に居るのは自分と相手の2人だけ。この状況の何が楽しいのかは理解出来ないが、追い返す程の事でも無く「居たいなら好きにしろ。」と無愛想な返事を一つ。やはり妙なのに懐かれた、と言う表現は正しかったのかもしれない。嫌がられるでも無く、また共に仕事をする事を楽しみにしているかの様な口調、此れに調子を狂わされるのだ。怒ったと思えば悲しみ、悲しんだと思えば笑うような相手。間違い無く此れまで出逢った事のないタイプの人間で、扱いには手を焼く。しかしそれに嫌悪感を感じている訳では無く。__穏やかな笑顔を浮かべている相手と目が合い、突然妹の笑顔がちらつき思わず数度瞬きをして。容姿も性格もそれ程似ていると思った事は無い上、此れまで誰かに妹を重ねた事など一度も無かったと言うのにどう言う訳か。__ああ、眼の色が同じなのだ、と気付いた事で相手を見る目にぐっと懐かしさと寂しさの入り混じった色が浮かんだ事には自分では気付く由も無く。　）






　

( 極めて不服である。とばかりの表情だがフルーツは受け取って貰えた。それが本当は食べないが受け取らないと可哀想だからと言った情であっても構わない。満足そうに一度頷き自分の物になったヨーグルトを鞄から再び出せばフィルムを捲りその場で食べ始め。それは此処に居てもいいというれっきとした許可を得る事が出来たから。何を話すでも無い、けれども居なくなりはしない。この場に居られる事だけで幸せだとでも言いたげな背後に花が見えそうな笑顔で一口、また一口とヨーグルトを口に運び。＿＿と、なかなか合う事の無かった視線が交わった。刹那、相手の瞳に懐かしさと物悲しさ…所謂寂しさの含んだ色が浮かぶ。あぁ、この色を知ってるな。そう思ったと同時に胸の奥が小さく痛み、締め付けられる様な感覚を覚えるがきっと相手は自分がどんな顔をしているか気付いていないのだろう。きっとこれはまだ踏み込んではいけない部分。時が来た時に、相手が話したくなる時に、その時に聞かせてもらおう。そう心に決めて空になったヨーグルトのパックとプラスチックのスプーンをゴミ箱に捨てつつ「エバンズさんが退院したらまたご飯に行こう。今度は奢ってって言わないから。」と他愛無い会話を持ち掛けて )

　





（　3日間仕事からも離れて療養した事で、ずっと張り詰めていた気まで緩んでいるのかもしれない。薄い緑色の瞳を持つ人など大勢居る。感傷的になるなと言うのは日頃から自分に言い聞かせている事で、程無く相手から視線を外して。---気付けば相手は見舞いの為に購入して来たらしいヨーグルトをぺろりと食べ終えている。病室で、それも寝ている上司を前に食べるヨーグルトが果たして美味しい物だろうかと怪訝極まりない表情を浮かべて相手を眺めるのだが、何とも嬉しそうな様子で居るのだから相手の考えている事はさっぱり分からない。「…ああ。別に奢りでも良い。」また食事に行こう、と言う誘いには珍しくあっさりと頷いて。自分も相手とはきちんと話さなければと思っていた、ただそれは捜査を終えた打ち上げでも、上司と部下の和やかな会食でも無く、直接的な言い方をすればあくまで“口封じ”の為ではあるのだが。今回の事件に関わった事で相手には、誰にも見せたく無かった姿を幾つも見せてしまっていて、それを知られると言うのは自分にとってかなり危うい事。当然それは根深い闇の極一部ではあったが、察され無いに越した事は無く口外しないと言う確証が欲しくて。　）






　

……もしかしてまだ疲れとれてない？
( 少しの間も置かない二つ返事の了承。しかも今回は御褒美でも何でも無いのに奢りでも構わないと言う。一体どんな風の吹き回しだと不躾なまでに怪しげな視線を向けつつ失礼極まりない発言をさらりと落として。＿＿それからはあっという間だった。相手が退院するまでの残り二日間も仕事の隙を見てはお見舞いに行き、他愛無い話を楽しげにして食べないと言う相手に無理矢理見舞いの品をわたす。そして無事に退院する事が出来た日の夜。何の事件も起きていない穏やかなこの日に近くの日本食レストランに来ていて。「此処の天ぷら蕎麦が美味しいって同僚が言ってたんだよね。折角ならお寿司も付いてるセットの方がいいかな。」あの日お粥はドロドロの米だからと食べなかった相手だが此処ならば悪くは無いはずだ。メニューに視線を落とし声を弾ませては「何か楽しいね」なんて勝手に同意を求めつつ頭を持ち上げ楽観的な笑みを向けて )

　





（　見舞いだと言っては食べ物を持って来る相手に半ば強引に押しつけられた物達は、仕方無く食べるか定期的に様子を見に来る看護師に相手の前で堂々と横流すかのどちらかだった。___ようやく退院した日の夜。連れて来られたのは日本食の店で、和風な内装も受けが良いようで店内は賑わっている様子。メニューを開きシンプルなざる蕎麦と小さな握りの付いた比較的軽めなセットを選び。楽しいと笑う相手を前に少し肩を竦めただけで、運ばれて来た温かな緑茶に口を付け。注文を取った店員がテーブルから去っていったタイミングで早々に口を開く。「…ミラー、俺たちが今後また組む事があるかは分からないが、今回の俺の失態は全て忘れて欲しい。」自分が抱えている物が露見するのを避ける為には誰かと関係を深く持つべきでは無いと分かっていた事。「医者も言ってた通り、少し過労が祟っただけだ。大した事じゃない。」事務的に、あくまで淡々と言葉を並べて。　）