春の蛹　〆　

──…庵、起きてる？朝だよー、そろそろ準備しな。
（　昨晩寝付いたのは其れ程早い時間帯では無かったが早起きの習慣抜けず登校予定している時刻の数時間前に起床して忙しなく調理を開始し。甘めに味付けた卵焼きに数種類の惣菜、其の間へと湯掻いた野菜やピックに刺したトマト敷き詰め、最後に器用に蛸の形に開いたウインナートッピングした後に蓋を閉め。鮭味のふりかけと箸を添え、風呂敷で包む過程だけ残してから兄の部屋の前へと足を運んで扉を数回叩き　）

…起きた。はよ、宗。
（　扉を隔て呼ぶ声にふと意識覚醒すると同時に枕元で騒ぐアラーム音にスマホを握った儘身を起こそうとするも、運悪く端に手を置いていたが為ベッドから鈍い音を立て背を下にした姿勢で落下し。極度の低血圧が故寝起きが悪く暫し其の儘天井見上げ茫とするも腕を擡げ幾重にも掛けたアラームを消して緩慢な動作で起き上がり、漸く扉開けては如何にも寝起きの風貌にて掠れた声で短く挨拶し　）

おはよ。すげー音してたけど大丈夫？
（　微かに耳に届くアラーム音、少し遅れて衝撃音が響き一体部屋の中で何が起きているのかと好奇心から扉の取っ手へと手を伸ばすが遂行する前に内側から扉開かれ。中から現れた未だ瞼開ききっていない眠たげな表情捉えて笑みを溢しつつ、行き場無くした手を相手の頭部へと伸ばし、重力に逆らって立ち上がった一部の毛束を掬い寝癖落ち着けて　）
朝飯のパン今から焼くし、その間に顔洗ったりしといで。

背中打ったけど平気。よく落ちんの、兄ちゃん。
（　髪に触れる手の心地が良く睡魔が再び腕を引く感覚を覚えては落ち掛ける瞼は危うく、次いで些か格好の付かぬ発言を繰り出すが紛れも無い事実であり。自身と相対的にしゃんとした弟の姿に内心感心し乍ら、未だ眠気を引き連れた儘勧めに乗じ重たい足取りで洗面所へ向かい　）
…おー。

怪我すんなよー。
（　頼り甲斐ある兄の意外な一面見付けた事に胸高鳴らせつつ未だ気怠げな姿を危ぶみ、洗面台へと向かう背中へ一声掛け。その後キッチンへと戻れば、食パンをトースターへかける間にバターとカトラリーの準備、平皿には間もなく焼き上がったトーストと其の側に余った惣菜と野菜を盛り付け、各々を机上へと運んで　）
野菜…と、パンと…バター。…飲みもん…は庵が戻ってきてからでいっか。

（　冷水に程近い温度の水で顔を洗い漸く揺蕩っていた意識が鮮明になった頃合い、ふとキッチンから漂う香りが鼻腔を刺激しては自身にしては珍しく朝から空腹を訴える腹を擦り。ヘアセットは後に回しリビングへ歩を進めては忙しなく朝食の準備に勤しむ姿と机上を交互に見遣り終いには目を瞠り問うて　）
…え、これ全部お前が支度したの？

ん…朝飯？そうだよ。弁当の使い回しもあって悪いね。
（　食器棚からカップを取り出す己の背後から静かに布擦れる音聞き取り相手の訪れを察し、飲料の嗜好尋ねようと其方へと視線向ければ何やら呆気にとられた姿あり。視線の先辿り驚きの対象が朝食であると推測しては申し訳無さそうに僅かに眉垂れ頷きつつも冷蔵庫から茶を取り出し改めて問い掛け　）
庵は座ってていいよ。今飲みもん持ってくけど、…お茶で良い？

んや、こんなちゃんとした朝飯久しく見たわ。今迄は食べねぇ日もあるくらいだったし。
（　食卓の面々に甚く感動し賞賛の言葉かけ乍ら促される儘椅子に腰落ち着けて、改めて見渡し小さく感嘆の息吐けば自然と背筋伸びて。問い掛けに対し幾度か首肯し、ふと浮かんだ疑問其の儘投げかけると同時に申し訳無さげに眉尻を垂らし　）
ん、お茶で。つーか全部任せて悪い。…何時に起きたのお前。

いいのいいの。料理すんの嫌いじゃないしさ。昨日の御礼も兼ねて。
（　茶のペットボトルを傾け用意したカップへと注いだ後、固く蓋を締めてから冷蔵庫へと戻し、冷たい麦茶の入った容器両手に持ち慎重に運び相手の目前、それから向かいの自身の席へと配膳して。朝食摂らずとも甚だしい成長ぶりに羨望含んだ瞳で一瞥した後、視線落として朝食の用意終えた事確認すれば相手の問い掛けに解答すると共に椅子を引いて腰を下ろし両手の平合わせ　）
今から一時間半前位に起きたから…五時半かな。俺もすっかり腹減っちゃった。ほら、食おーぜ。

何も礼言われる様な事してねぇけど。えー…すげぇな。こりゃあ良い主夫になれるわ。
（　少々困惑気味に零した言葉は本心であり、昨日に引き続き世話焼きな面垣間見える相手を見詰めつつ沁々と述べ。寝起きの悪さはお墨付きの自身と比較すると同時に想定外の時刻に目を瞠り、相手が正面に腰落ち着けた所で倣う様に両手の平を合わせ先ずはトーストに食指伸ばし、先程から視界端に見受ける二つ並んだ弁当箱に抑えきれぬ喜色示し乍らも控えめに訊ね　）
いただきます。…───なぁ、宗。外れてたらすげぇ恥ずいんだけどさ、んな早起きしてくれたのって俺の分の弁当も拵えてくれてたから？

いただきまーす。…んは、褒めすぎ。なんか照れるじゃん。
（　兄に続いて合掌した状態で挨拶を呟いた後バターナイフ片手にバターへと手を伸ばし、器用に適量掬い取ってトーストの表面へ塗り付けていれば耳に届く賞賛の声に薄ら頬色付かせ困った様に眉垂れ笑い。じんわりとトーストに染み込む黄金色の液体眺め角から口に運んで満足気に咀嚼しながら不意に呼び掛けられた名前に反応して意識と視線を其方へ向け、事も無げに小さく頷き　）
うん、そうだよ。リクエストの甘い卵焼きもちゃんと入れといたから、持ってくの忘れねえようにね。あとで風呂敷に包んでランチバッグに入れて渡すし。

…どうしよ、すっげぇ嬉しい。噛み締めて食うわ。
（　溢れんばかりの感激の感情を如何にして言葉に変換出来るか倦ねる内に猫舌の自身に丁度良く冷め始めたトーストに苺ジャムを塗り一口齧り。咀嚼しつつ思考巡らせては、せめてもの御礼だと嚥下した後に口開くも問い掛けは少々大掴みな物言いで　）
なんか御礼させてくんね？食いたいもんとか、行きてぇ場所とか────…なんでも良いよ。

そんな喜んでくれたら俺も作り甲斐あるわ。…って、ピアス開けてくれた御礼も兼ねて飯作ってんのにまた御礼してどうすんの。
（　身内以外に料理を振る舞う経験少なく、凝った料理ではないといえ口に合うかどうか僅かながら気を揉んでいた為、例え世辞でも嬉しい言葉連なり表情に愉悦滲ませ。その後、兄の律儀な姿勢に感心する一方で堂堂巡りになり得る議論を指摘するも昨日取り付けた約束思い出せば伏目がちに片方の口角吊り上げ　）
──…あ、でも動物園…デート、…は一緒に行く。

…あー、確かに。
（　至極真っ当な意見にあっけらかんと同調示し更に一口トーストを齧る中次いで何処か躊躇い気味に紡がれた様に感じた言葉に幾度か瞬きすれど、其の発言に愛らしさ感じ得ては硬い表情筋なりに柔く破顔させ。目元伏せた若干幼さ残る甘い顔立ちに向け、デートの三文字を恥ずかしげも無く用いて意気揚々と宣言をし　）
じゃあさ、当日すげぇ楽しい一日にする。折角のデートだもんな。

おー、めちゃくちゃ楽しみにしとくから。 ──…ご馳走様でした。
（　視線下方へと落とした状態でも相手の声音から表情推測出来、照れ隠しから態と気の無い様な返答するも抑えきれぬ嬉しさと期待は表情に留まらず自然と声の調子にも表れ。早朝から慌ただしく準備進めていた為か、相手よりも幾分早くトースト食べ終え、最後に横に添えられた惣菜を手を止めずひょい、と摘み上げて咀嚼しつつ結露し始めたカップ引き寄せ茶を嚥下し、それからやっと相手へと視線を向け、暫し料理口に運ぶ姿を目に焼き付けんばかりに眦垂れて見詰め　）
…庵、美味い？

兄ちゃんに任せといて。
（　昨晩の彼是で聞き覚えのあるやや弾む声音に胸奥暖まる心地で耳を傾け、ちらり盗み見た表情は完全に全貌見えずとも満足いくものであったが故俄然気合い入れ直す様に発話し。惣菜にも手を付けて咀嚼する最中掛けられた声にこくり頷けば追う形でトーストの最後の一口食べ終え茶で流し込む様飲み下し、手の平合わせて挨拶した後に自然と綻ぶ声色で唱えたのは紛れも無い本心で　）
ご馳走様でした。───おう、美味かったよ。今日一日頑張れそう。朝早くから準備してくれてあんがとな。

ん、どういたしまして。
（　忙しない手の動きを視線で追い掛けている内に何時の間にか準備したプレートを綺麗に完食した姿を見て眉尻僅かに上方に傾け満足気に笑み。徐に席から立ち上がってから机に片手付く形で上体前方へ倒し、相手の無造作な髪へと空いた手伸ばせば指の間に毛束挟み込む様にして優しく撫で上げ　）
俺が皿片しとくから身支度整えといで。

気遣いはありがてぇけど、後片付けくらいは俺にさせてよ。宗に全部任せんの釈然としねぇの。…なあ、駄目？
（　不思議と嫌悪感の無い優しげな手つきに再び睡魔が顔を覗かせ身を任せるも、流れる様に紡がれた相手の言葉に眉間に皺を拵えて其の手を頭から離させ。歳上の矜恃から提案を持ち掛けるが、年齢の割に自立した言動が見受けられる事所以に一抹の不安を感じ、少々狡くも何処か強請る様な甘い声音で付言すれば応答を待つ合間相手を見詰め　）

…そこまで言ってくれるんなら…お言葉に甘える。
（　手首を左右に揺り動かし柔らかな髪の感触楽しんでいれば不意に遠退く頭部、それから絡まり合う視線に驚き目を瞠り。妙に鼓膜に残る甘美な声に瞼をぴくりと震わせ、振り払うように些か首を左右に振ってから相手にも兄なりの尊厳があることを理解して承諾し　）
その間に俺は制服着て、荷物の準備してくる。

おう、兄ちゃんに甘えとけ。
（　相手が要望を呑んでくれたことに因り満足気に首肯すれば、キッチンに運ぶ為早速何枚かの皿を重ね上げ。差程量の無い使用した食器類両手に席を立てば、ふと壁掛け時計一瞥し未だ時間に余裕があること確認し促す様に言葉掛けて、途中足止め相手振り返りふと思い至った思案其の儘口に乗せ　）
OK、行ってら。…俺も片付け終わったら爆速で準備するからさ、宗さえ良けりゃ一緒に学校行かね？