白む空に燻る紫煙　---〆

( 鋭くも感じられる相手の瞳と視線が交わり、僅かの沈黙が流れる事数秒。薄く開きかけた唇から音を発するよりも先に一瞬にして力が抜けた様に相手の身体がバランスを保つ事無く床にしゃがみ込む形になると、釣られる様に反射的に相手の腕を掴んだまま己もまた床に両膝を着く形で目線の高さを下げる事となり。至近距離で聞こえる相手の呼吸は浅く、今にもそのテンポは可笑しなものへと変わってしまいそうで掴んでいた腕を離しその手でやや前のめりとなる相手の背中を上下に摩る。嗚呼、矢張り体調が悪くそれを懸命に隠していたのではないかと思うのだが今この場で、この状況の相手を責めた所で何にもならぬと言うもの。「…大丈夫だから、ゆっくり呼吸して。」資料を一度床に置き指を相手のシャツのボタンにかけると、外に聞こえぬよう声を潜めつつ器用に首元のボタン2つを外し少しでも呼吸がし易いようにと )

　






（　呼吸が上擦りそうになるのを抑え込みながら、この波に飲まれてしまわないよう必死に意識を保とうとしていた。1人隠れて薬を飲み、目敏い相手に気付かれないように署で其のゴミを捨てる事をしなかった為に、ジャケットのポケットには複数の薬の殻が入ったままになっている。扉を隔てた向こう側では別の捜査や書類整理に追われる署員がいつも通りに仕事をしている訳で、長くこうしている訳にはいかない。未だ呼吸は安定していないものの、足に力を入れて程なく立ち上がると「……少し目眩がしただけだ、」と告げて先ほどまで座っていた椅子に戻り。平静を装ってはいるが未だ首筋には冷や汗をかいていて、再び立ち上がれる状態ではない。デスクに置いていたペットボトルを手にすると水をひと口飲んで。　）






　

( 顔を俯かせ大きく背中を上下させながら懸命に呼吸を整えようとする相手は何時もながら余りに痛々しく見える。だからこそこの苦しみを少しでも早く取り除いてやりたいと思う気持ちで伸ばした手を徐にに相手のジャケットのポケットに突っ込み＿＿ガサリ、指先に触れたそれを取り出すも全て錠剤の入っていない空のシート。一瞬驚きに双眸を丸くし、遅れてこれが何を意味するのかを理解する。態々署のゴミ箱に捨てない理由も、何かと理由を付けて己の前から居なくなろうとした理由も、全ては“これ”が物語っているだろう。掌の無機質なそれを見詰めている間に相手は何とか身体を起こし椅子に座り直した所。“少しの目眩”を華麗に無視しそのシートを相手の目前のデスクに置けば「…今更私に隠れて薬を飲む理由は何？」と、自分でもやたらに冷静な問い掛けが口をついていて )

　







（　_____いつだったか、自分の体調を案じて言葉を投げ掛けて来た相手に“容疑者を取り調べるような口振りはやめろ”と言った事があった。そんな昔の事を思い出したのは、実際に疾しいことがあり、目の前に証拠まで突き付けられ、自分が取り調べられているような居心地の悪さを感じたからだろう。カラになったシートくらい家で捨てておけば良かったなどと下らない事を考えるのだが、夜はスーツを脱ぎ捨てて直ぐに横になっていたためそれだけの余力さえ無かったのだ。長い沈黙と深い溜め息の後にシートを手に取りそのままデスクの傍のゴミ箱に捨てると「…隠れて飲んだ訳じゃない、」と、尚も相手に打ち明ける事を選ばずに、この話を此れ以上深掘りするつもりは無いという意思表示かのように「捜査に戻れ。」とひと言告げて。　）








　

( 深い溜め息の後の沈黙は長く、居心地の悪さを感じざるを得ない。デスクに置いた空のシートが傍らのゴミ箱に捨てられるのを一瞥しまたその視線を相手へと戻すと、尚も認めないとする相手の言葉と続けられたこの場を終わらせる言葉の2つに対して生意気にも拒否すべく首を左右に振り、座る相手を見下ろす形では無く同じ位置で視線を重ねるべくやや腰を折り。「＿＿まだ事件が解決してないのに休めって言われるのが嫌なんだよね。」只でさえ長い事仕事に復帰する事が出来なかった、そんな中で仕事人間とも言える相手が不調を隠し無理をする事を選ぶのは当然と言えば当然で。口調こそは冷静なものなれどそこに怒りの色は滲まず、相手を真っ直ぐに見詰めたままでいて )

　






（　相手は自分を逃がす事はせず、尚も此の話題を終わらせるつもりはないとばかりに首を振った。問い詰められている、というような強い口調では無いものの言い逃れが出来ない緊迫感のようなものが流れていて居心地は良いとは言えない。隠したかったものがいとも簡単に相手にばれ、自分の考えまでもを見透かされているのだから。「……今は休めない。あれだけ仕事に穴を空けて…その上自分から関わった事件を投げ出すなんて、出来ると思うか。」____漸く口を開くと、淡々とした言葉だけを紡ぐ。長い休みを取り署に迷惑を掛けた上に、ようやく復帰し自分から担当すると名乗りを上げた事件を再び放棄するなど、出来るはずが無いと。上擦っていた呼吸が少しばかり落ち着くと再びネクタイを締め、パソコンに視線を向けて。　）







　

( 相手がパソコンの画面へと視線を向けた事で重なっていた瞳の奥に褪せた碧眼は映らなくなった。ネクタイを締め直し仕事モードへと突入した相手の横顔を暫し見詰めてから「…出来ないね。」と、この話題では珍しく“休め”以外の同意を示して。それから折っていた背筋を伸ばし「エバンズさん」と相手の視線を再び此方に向けさせるべく名前を呼ぶと、それが叶おうと叶いまいと「ロレインに話をする前に病院に行こう。休む為じゃなくて捜査を続ける為に。…事件解決までの間点滴をうって貰えば今よりずっと楽になれる。」至極穏やかな表情と声色で以て、今相手が捜査も出来て身体も楽になれる方法はそれだろうと提案して )

　






（　相手から返って来た返答は自身が想像していなかったもので、思わず一度パソコンに向けた視線を相手に戻す。此の手の話では、必ず相手は休む事を強く促して来ると思っていたのだ。その直後に名前を呼ばれれば再び視線は重なり、聞き込みの前に病院に行く事を提案されて。しかし其れは捜査から降りる事を前提としたものではなく、あくまでも捜査を続ける為に少しでも体調をマシな状態に持っていくための提案。実際今のまま捜査を続けるのはかなりキツイものがあり、少なからず薬を多く服用するなど身体への負担は免れない。相手の言うように病院で点滴を打って貰えば、幾らか苦痛は軽減され捜査にも集中出来るだろう。しかし医師から苦い顔をされるのは目に見えていて、出来る事なら病院に足を踏み入れたくはなく直ぐに返事をする事はせずにいて。　）







　

( 薬云々もそうだが相手は病院に行くという行為そのものが矢張り嫌なようで、聞き分けの悪い子供のように首を縦に振らない。黙りを決め込むその姿に一瞬だけ苦笑いを浮かべると「大丈夫、先生には一緒に頼もう。」と何処から来るのか要望が通るとばかりの自信を覗かせ。そこで漸く相手から距離をとると背を向け執務室の扉に手を掛け＿＿「…そうだ、今日エバンズさんの家泊まりに行ってもいい？もう隠れて薬飲んでる事バレたんだから、家でも堂々と飲めるでしょ。」まるで先程までの空気など無かったかのように、何時も通りの声色と共に振り返ると、最後は少しばかり肩を竦めおどけたような小さな皮肉も加えて )

　






（　病院には行きたくないし、医師に頼んでまで点滴を打って貰うと言うのも気乗りはしないのだが、其れを嫌だと拒否しようものならせっかくの妥協案さえ取り下げられるかもしれない。そう思うと苦虫を噛み潰したような表情ながら拒否をする事は無く。“隠れて薬を飲んでいる事がバレた”という言葉選びには皮肉を感じるものの、だから家に来て良いという事にはならない。「……1人で良い、」と答えたものの、こういう時の相手はそう簡単に折れない事をよく知っている。ことごとく嫌だと渋るような反応を見せるものの、相手の提案する働き方の方が理に適っていると理解しているからこそ明確な拒絶反応を見せる事はないままパソコンに視線を戻して。　）






　

( 表情からも纏う空気からもその全てから“不満”が滲み出ているもののお構い無し。加えて何時もの“好きにしろ”では無かったが本当に心の底から嫌な時は別の拒絶の言葉を選ぶ筈だろうと都合の良い解釈の元で「夏最後のメロン貰ったんだけど、1人じゃ食べきれないから持って行くね。」と楽しげに勝手に話を進め。「病院とロレインの所には午後から行こう。準備しておく。」“病院”の単語だけはやや小声で、漸く扉を開けるとそれまでの間にもう一度娘のエミからの話を纏めておく必要があると自席に戻って行き )

　






（　相手は此方の態度も返答もお構い無しに話を進め、相手が出て行ってから一人深く溜息を吐く。せっかくメロンがある、というのなら自分ではなく仲の良い友人などとディナーでも楽しめば良いのに何故今夜家に来ると言う話になるのか。間違いなく明確に拒否できなかった自分にも非があるのだが。---其の後これ迄の証言などを纏めてロレインに話を聞く予定の1時間ほど前に署を出た。助手席は既に背凭れが倒されていて病院に着くまでの時間は身体を休める事が出来たのだが、やはり体調が思わしくなく呼吸も自然と浅いものが続いていて。既に薬は2回分飲んでしまっているため今追加で飲むわけにもいかないのだが、首筋がじっとりと湿っているような感覚と共に呼吸が上擦ってくる。運転する相手から顔を背けるようにして窓の方へと倒し、ネクタイを緩めるものの苦しさは強くなるばかりで。　）







　

( 車に乗り込んだ段階から相手の調子が可笑しいのは明白だった。それは車を走らせる中で徐々に強い物へと変化しているのだろう、身動ぎをする様に顔を窓の方へと背けた相手の呼吸は酷く浅く嫌な上擦り方をしている。「…もう直ぐ着くからね。」前を見据え片手でハンドルを握り締めながらもう片方の手で相手の肩を摩り声を掛けるも気休めにしかならぬ事も知っているのだ。＿＿こんな時ばかりやけに車の進みが遅い道中、やがて病院へと到着すると駐車場に車を停めエンジンを切り。先ずは己の、続いて相手のシートベルトを外し軽く背に手をやり身体を起こす手伝いをすれば「病院まで行ける？少し休む？」と、確認の言葉を掛けて )

　






（　体調が思わしく無い時、こうして急に苦しくなるなど症状に波がある事も辛かった。呼吸が狂わないように意識しながらゆっくりとした深呼吸を繰り返すのだが、一向に楽にならないのだ。車が病院の駐車場に停まりシートベルトを外されると「…5分だけ休ませてくれ、」とひと言答える。少し落ち着けば動けるようになる筈だと、背凭れに身体を預けたまま目を閉じて。---数分して幾らか波が引いてくると目を開けて、ゆっくりと身体を起こすと「…もう行ける。」と告げて車を降りる。相手には再三「車に居ろ、」と告げたのだが診察室まで着いてくるつもりらしい相手が待合室を出る事は無く。　）







　

アダムス医師


( カルテを見たアダムス医師は書かれている名前をザッと見て看護師に待合室に居るであろう相手を呼ぶ様に告げた。＿＿ややして診察室の扉が開き入って来たのは名前を呼んだエバンズと＿＿ミラーの姿。彼女が付き添いに診察室に来る事など初めての事でそんなにもエバンズの容態は悪いのかと一瞬身構えるもミラーから挨拶を受けて『お久し振りですね。』と微笑み返した後、椅子に腰を下ろしたエバンズに視線を向け『…顔色が悪いですね。薬は効いてますか？』と、問い掛け再びカルテに視線を落として )

　





（　診察室に同伴されるなどまるで子どものようだと思うのだが、この件に関して相手が折れる事は無く其のまま担当医と顔を合わせる事となった。そもそも自身の担当医と部下が顔見知りな事からして可笑しいのだが、其れで救われた事もあった為其処に関しては目を瞑ろうか。薬は効いているかとの問い掛けに、相手の目もある為一瞬答える事を躊躇ったものの結果的には小さく首を振り「……効きが悪い。もう少し強い薬を出して貰えると助かる、」と、本来の目的とは別の依頼を。点滴を打って貰うにせよ、今よりも強い薬があればより支障無く捜査を行う事が出来ると思ったのだが、果たして其の要望は目の前に居る両者に受け入れられるだろうか。　）






　

アダムス医師


( 相手の顔色や首筋に未だ僅かに滲む汗を見て、薬が効いていないと言う言葉はその通りなのだろうと二・三頷くのだが要望として挙げられた“強い薬”には首を縦に振る事を渋った。そうしてそれはエバンズの斜め後ろに立ち2人の話を静かに聞いていたミラーも同じ反応で、加えて病院に来る前に話していた事とは全く違う事を言う相手にギョッとした様に目を見開き。『エバンズさん自身ご存知だとは思いますが、強い薬で抑え付ければ必ず反動が来ます。薬の強さは今のまま、体調が思わしくない時は仕事は休んで頂くのが本来はベストなんですよ。』アダムス医師は結局薬を強いものに変える事を良しとせず、相手の要望をやんわりと拒否し。ミラーはと言うと「…エバンズさん、」と相手の名前を呼び、案に点滴の事を話せとばかり促して )

　






（　より強い薬を処方して貰うという提案はいとも容易く跳ね返されどちらからも受け入れられる事はなかった。体調が優れない時は休めだなんて、此の仕事をしていて何度聞いた言葉か。それが出来れば苦労しない、と吐き捨てる事こそしなかったものの同意を示すように頷く事もせず。相手が本来此処に来た目的を果たせとばかりに自分の名前を呼んだ為、視線を持ち上げると「…仕事に支障が無いように、点滴を打って欲しい。」と告げて。今の状態では体調の波が激しく、まともに立って居られない程症状が強く出る事もあるためせめて日中の間だけでも日常生活を送る上で支障のない状態にして欲しいと。医者の返答を待つ事なくワイシャツの袖を捲り。　）






　

アダムス医師


( 案の定相手は要望が通らず不服そうではあるがこの要望がすんなり通ったのなら今までだって押し問答を繰り返したりしていない筈だ。ミラーの呼び掛けに促される様にして次なる＿＿これが本来の目的だったのだろう要望が来ればアダムス医師はそれにも困った様な表情を浮かべ一度だけ捲られたワイシャツに視線を落とし。『……』果たして何と答えるべきか。点滴は効果が出る事こそ早いがそれに依存されても困るのだ。一つ息を吐き出した所でこのままでは再び却下されかねないと見たミラーが「私からもお願いします。今回の事件、エバンズさんが外れる事はどうしても出来ないんです。」深々と頭を下げエバンズ側についた事で再び溜め息をついたアダムス医師は『……わかりました。ですが毎回同じ処置が出来ない事だけは確りと覚えておいて下さいね。それからエバンズさん、病院が嫌いなのはわかりますがもう少し定期的に様子を見せに来て下さい。』と、看護師に点滴の準備を頼みつつ、依存されないようにと釘をさし次いでとばかりに病院に訪れる頻度の話も持ち出して。＿＿それから直ぐに看護師が点滴の準備をし相手を処置室へと連れて行った。真っ白のベッドに仰向けに寝るよう促し、血管に針を刺し30分間の点滴が終わり調子が悪くなければ帰れる旨を伝え、一度は待合室に出たミラーだったが看護師に相手に付き添っても構わないと言われ相手が横になるベッドの脇の椅子に腰掛けて )

　







（　根本の治療にはならないと少しばかり対応を渋る様子を見せた医師だったが、相手の口添えにより了承を得ることが出来て。定期的に様子を見せに来るようにと言われても病院と言うのは自分にとってなるべく足を踏み入れたく無い場所、いつも調子が悪く日常生活に支障が出るようになってから重い腰を上げて処置を求めている為、予防的に受診した事は無かった。曖昧な反応を見せただけで、看護師と共に処置室へ向かい。---ベッドに横になり点滴を入れてもらっている間、少しばかり微睡んでいただろうか。酷く重い倦怠感を纏い胸の奥につかえている様だった苦しさが溶けるように消えていくのを感じて。ゆっくりと深い呼吸がスムーズに出来るようになり、目を開けて相手に視線を向けると「…かなり楽になった、此れなら聞き込みも問題ない。」と、捜査に支障が無い事を伝えて上体を起こし。　）