紫陽花とクローバー(小説)

紫陽花とクローバー(小説)

YUKI  2016-08-21 01:55:44 
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  • No.41 by YUKI  2016-10-15 13:18:32 

お客様の言葉に言い返してしまいたい心を押さえて、いつものような笑顔で藤白は答える。
「ほとんど店内に居ますから、全然平気ですよ」
心配させまいとつく嘘を信じてくれて、お客様達は店をあとにする。
その様子に安心し、店内に入る藤白に天宮は独り言のように声をかけた。
「平気なわけないでしょう、ろくに休めずに店内や厨房に立ってるんだから」
本を閉じ不機嫌そうな天宮には、先ほどの藤白の嘘を見破っているようだ。

  • No.42 by YUKI  2016-10-15 13:42:50 

「少し大変ですけど、本当に大丈夫ですよ」
それでも藤白は平気だと嘘をつく。
天宮も、他のお客様も、お客様に変わりはない。
心配させる事は、あってはならないだろう。
しかし、そんな嘘すらも見抜いている天宮は、より不機嫌になり声を荒げる。
「だからっ…もう、いいです、帰りますので会計を」
それでも本人が平気だと言っている以上天宮にはどうすることも出来ない。
すぐに落ち着きを取り戻そうと声を押さえ、席を外してレジに向かう。
今現在、店内にいるのは天宮と藤白のみだ。
なら、天宮が店を出れば藤白は接客をせずにすむし、閉店時間まであと二時間あるが、早めに閉店する事も可能だろう。
お客様である天宮に出来るのはこれが精一杯である。

  • No.43 by YUKI  2016-10-15 14:10:21 

しかしそんな気持ちを知らない藤白には目の前の人物がただ怒っているようにしか見えない。
何か藤白が彼に嫌な思いをさせてしまったのだろう。
「あの、すいません、私、何か失礼をしたみたいで…」
理由は分からないが謝罪をする藤白に、天宮はため息を一つつき店を出る前に一つだけ言い残す。
「これ、あげます。あと、店やお客を大切にするのもいいですけど、少しは自分の体のことも考えてください。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、そうじゃないとこっちも落ち着きませんから」
藤白の目を見て言い聞かせるその様子は、どうやら本当に心配しているように見える。
天宮に渡されたのは木製の栞のようだ。
可愛らしいクローバーの栞である。

  • No.44 by YUKI  2016-10-15 14:25:36 

「ありがとうございます、気をつけて帰ってくださいね」
栞を手に店を出る天宮に声をかける。
小さく会釈をし立ち去る天宮を見て、藤白は早めに店を閉める事にした。
看板をしまおうと、店の外に出るとそこには小さな黒いフサフサの固まりがある。
何だろうと思い近づくと、どうやら黒い子猫のようだ。
その猫は藤白の両手の平に乗るほどの子猫である。
迷子か、捨てられたのかは分からないが、このままほっとくわけにもいかない。
看板を急いでしまい、バスタオルを店内の奥から持ってくるとそれで子猫を包み抱き上げる。
動物病院はまだやっているだろうか。
店の鍵を閉め、藤白と子猫は急いで病院へ向かった。

  • No.45 by YUKI  2016-10-15 21:49:55 

藤白の店、恋鈴館の近所にある動物病院は、診療時間を過ぎていた。
「困ったな、先生まだいるといいけど…」
院内を窓から覗くと、中にいた看護士さんがこちらに気づく。
その視線に気づくと、藤白も急いで窓から見えるよう子猫を見せる。
するとどうやら状況を察したらしい看護士さんは、急いでドアの鍵を開けてくれた。
「ありがとうございます、実は猫を拾ってしまいまして、先生はまだいらっしゃいますか?」
「奥にいるはずですので、落ち着いて待っていてください、飼い主さんが落ち着かないと猫ちゃんも不安になってしまいますから」
慌ててきたため呼吸の荒い藤白を、看護士は宥める。
呼吸を整え診察室の方を見つめ待っていると、ほどなくして看護婦と先生が現れた。
「お待たせしました、とりあえず診察室へどうぞ」

  • No.46 by YUKI  2016-10-15 22:09:53 

診察室に入り、子猫を診てもらっているあいだ、藤白の瞳には心配の色が滲んでしまう。
落ち着くように言われても、いつから子猫が外にいたのか、藤白が気づくのが遅れて手遅れになっていたとしたらと思うと落ち着けるわけなどない。
しかしその不安は、次の先生の一言で安心へと変わる。
「見たところ怪我もありませんし、おそらく問題はありませんけど、念のため検査しましょう。今日はこのまま入院して、明日、また迎えに来ていただけますか?」
「はい、よろしくお願いします、明日また来ます」
優しそうな先生の微笑みに藤白も気持ちを落ち着け、ようやく笑顔が戻った。
病院を出た時には、すでに外は夕闇に染まり始めていた。
帰路につく藤白の手には、あのクローバーの栞が握られていた。

  • No.47 by YUKI  2016-10-15 22:14:29 




   + 最後の一杯 二人と一匹 +

  • No.48 by YUKI  2016-10-15 22:30:42 

昨日の夜はよく眠れず、藤白の今朝の体調は最悪である。
眠い、暑い、体が辛い。
最近寝不足気味ではあったが、昨日の子猫の事を考えるとほとんど寝れなかった。
こんな姿を見たら天宮はたぶん怒るだろう。
しかし明日は休みだし、今日を乗り越えれば、あとは子猫を引き取り少しは休めるはずだ。
自身に言い聞かせ、藤白は店の看板を外に出し、店を開店し始める。
平日のせいか、店はさほど混みはしないが、藤白が心配なのは午後からだった。
平日に天宮が現れるのはいつも午後からだ。
毎日来るわけではないが、数日来ない日もあれば、二、三日連日来る日もある。
曜日もばらついてるため、いつ来るか分からないのだ。

  • No.49 by YUKI  2016-10-16 01:44:53 

そんな事を思いながらも、手際よく仕事をこなし、気づけば夕方近くになっていた。
もしかしたら今日は天宮は来ないのかもしれない。
そんな藤白の淡い期待は、すぐに消えてしまった。
「こんにちは、体調はどうですか?」

  • No.50 by YUKI  2016-10-16 13:31:45 

店内に入ってきた天宮の様子に、藤白の鼓動が跳ね上がる。
どうやら、藤白が眠気に負けそうになっていたため、ドアベルの音に気づかなかったようだ。
天宮には体調の悪さが、昨日の時点でバレていた。
ならば今ごまかす事も不可能と言える。
「少し寝不足ですけど、明日はお休みですし、大丈夫ですよ」
言葉を選びながら席に案内する藤白に、天宮は呆れているようだ。
「昨日あれほど言ったのに、どうしてすぐに休まないんですか」
天宮の言い分はもっともだが、藤白にも事情があったのだ。
席についた天宮に、藤白は昨日の子猫の話を簡単に説明した。
「それで、寝不足になっていると」
苦笑いを浮かべる藤白に、天宮は小さく頷く。
やはり怒られてしまうだろうか。
自身の体調管理も出来ない人が、子猫を拾うなどあまり褒められた事ではない。

  • No.51 by YUKI  2016-10-22 22:49:41 

しかし天宮は僅かな沈黙の後に、意味の分からない質問をしてきた。
「子猫を買うために必要な物は、既に買ってきたんですよね」
「へ?あ、はい、昨日、病院帰りに先生方に聞いてケージや子猫さんのトイレセット、ご飯等は買ってきました」
質問の意図が分からないまま答える藤白を余所に、天宮はさらに続けて言う。
「分かりました、では子猫は僕が迎えに行きますので、藤白さんは病院にその事を連絡してください」

  • No.52 by YUKI  2016-10-23 01:20:43 

「いえ、そんなご迷惑はかけられません、大丈夫ですから」
天宮の言葉に藤白は焦りながら、しかし、はっきりとその提案を断る。
天宮は大切なお客様だ。
その彼に、店主である藤白が私用で頼るのは、何か違う気がする。
天宮は優しい人だ。
そして今の藤白が、無理をする事は良くない。
彼が言う事は正しいかもしれないし、そうすべきなのだと思う。
それでも、嫌なのだ。
自身がここで頼る事で、今まで自身を支えていた『何か』が崩れてしまう気がする。
互いの間に沈黙が流れていく。
しかし時は確実に流れていくし、店を閉めたあとは子猫を迎えに行かねばならない。

  • No.53 by YUKI  2016-10-23 03:00:31 

「あの、今日は早めにお店を締めて、子猫を迎えに行ってきますので」
先に口を開いたのは藤白の方だった。
言葉なく立ち尽くしている天宮の横を、目線を逸らし小走りで藤白が通る。
「では、せめて手伝いを…」
「お客様にそんな事はさせられません」
ようやく出た天宮の言葉にも、藤白は笑顔で拒絶する。
『お客様』という藤白の言葉が、今ほど天宮に残酷に突き刺さった瞬間はないだろう。
しかしその言葉が痛いのは、藤白も同じである。
その証拠に藤白の微笑みはいつもの暖かさとは違い、酷く泣きそうなものだ。
その表情を見せまいと、外の看板を外しに向かう藤白の後を、寂しげな表情を浮かべ天宮は見つめるしかない。

  • No.54 by YUKI  2016-10-26 10:11:23 

看板を店内に入れ、藤白が店内を掃除しようと箒を取り出すと、天宮は藤白に声をかける。
「僕はもう出ますけど、無理はしないでください」
「あ、はい、心配させてごめんなさい」
店のドアを開け告げた天宮への藤白の言葉は、決して天宮が望んだものではなかった。
天宮は謝ってほしかったわけではない。
そんな悲しい顔をさせたかったわけでもないのだ。
ただ、心配で、少しでも元気になって、あの暖かな笑みを藤白に浮かべてほしかっただけであった。
しかし実際は、天宮は高校生で、一人暮らしをしているとはいえ、親のお金で生活をしている立場なのだ。
社会人の一人でお店を経営している、強く優しい藤白には頼りなく写るのだろう。

  • No.55 by YUKI  2016-10-26 10:25:10 

肩を落として店を後にする天宮を見つめ、藤白も心が痛む。
突き放したのは藤白自身だ。
傷つく資格もないのだろう。
しかしそれでも、『お客様』と『店員』の線引きは必要なのだ。
それにこうして掃除をしている間も、子猫が藤白の事を病院で待っている。
早く終わらせて、迎えに行かなくてはならない。
そうこうして、明日の食材の発注、売り上げ計算、食材の下拵え、戸締まりの確認を終え、藤白は病院に連絡をし店を出た。
しかし店を出た瞬間、店の隣の建物に藤白のよく知る人物がいた。

  • No.56 by YUKI  2016-10-27 01:21:04 

「天宮さん?忘れ物ですか?」
そこにいたのは、少し前に店を出た天宮である。
何か忘れて取りに戻ってきたのだろうか。
店の掃除の際、一応お客様の忘れ物について確認もしてはいるのだが、見忘れがあったのかもしれない。
そうならば、急いで店に戻って確認しなくてはならないだろう。
ところが、店に戻ろうとする藤白に天宮がかけた言葉は、予想してないものだった。
「違います、藤白さん貴方を待っていたんです」
「え、待っていたって、私はこのあと病院に…」
天宮の言葉を藤白は理解できず、しかし急いでいる事だけでも伝えようとする。

  • No.57 by YUKI  2016-10-27 02:01:19 

「ですから、病院に行くのを付き添うために待っていたんです」
天宮の話を歩きながら聞くと病院の場所までは分からないが、かといって体調の悪い藤白をそのままにも出来ず、仕方がないので店の外で待っていたという事だった。
その話を聞いて始めこそ意地を張っていた藤白だが『迎えにいく途中倒れたら大変ですから』との言葉に反論できず、されるがまま病院に付き添ってもらう事にしたのだ。
天宮の説教を聞きながら歩いていると、病院までの道のりが近く感じた。
説教をされて感じる事ではないのだろうが、側に頼れる人がいるというのは少し心強く思える。
天宮は高校生で、お客様なのに、藤白に頼られる事が重荷になってはいないだろうか。
多分先程までの気持ちにはそんな思いも僅かながらあったのだろう。

  • No.58 by YUKI  2016-10-27 02:21:51 

そんな事を思っている藤白の心境は、天宮には伝わっていないだろう。
そうこうして歩いていくと、目の前に昨日の動物病院が見えた。
中にはいると来院者は少なく、すぐに藤白の名前が呼ばれる。
「あら、今日はお二人なんですね、ご兄弟ですか?」
「え、いえ、あの…」
看護士さんの言葉に藤白は言葉を詰まらす。
先程の事を考えると『お客様』という言葉に抵抗がある。
なんと言えばいいのか悩む藤白の横で不意に天宮が代わりに答えた。
「彼女のお店の店員です、アルバイトですけど」
笑って答えている天宮を横目に藤白は、混乱する。
藤白の店は誰も雇ってなどいないし、今のところその気もない。
あの店の規模なら一人でこなせるし、今までだってそうやってきた。
雇えないわけではないが、人に頼らなくてはならないほど藤白自身は弱くはないつもりだ。
なのに、それなのに彼は何を言っているのだろう。

  • No.59 by YUKI  2016-10-27 22:30:08 

藤白の思考が巡る中、子猫の手続きは進んでいく。
藤白の手元に黒い子猫が抱かれたのは、ようやく思考が落ち着き冷静になれた頃だった。
「予防注射もしておきましたし、何か困った事がありましたら、いつでもご連絡ください」
「はい、ありがとうございました」
看護士と医師の説明を聞き、手続きと支払いを終えた藤白は礼を言い、子猫と天宮と供に病院を出た。
「天宮さんも今日は付き合ってくれてありがとうございました、気をつけて帰ってくださいね」
病院の前で頭を下げる藤白に、天宮は言う。

  • No.60 by YUKI  2016-10-27 23:43:44 

「お店まで送ります、もうすぐ暗くなりますし」
天宮の言葉に藤白が空を見上げると夕焼けのオレンジが、夜の闇と僅かに混ざり合い始めている。
ここで断るのは失礼になるだろうし、確かに暗い道を今の藤白の体調で歩くのは不安だ。
「はい、では、お願いします」
「では、行きましょう」
藤白の素直な返事に、天宮は優しく声をかける。
そんな二人の帰り道は静かなものだった。
それでも聞きたい事のあった藤白が沈黙を破る。
「あの、さっき看護士さんに言っていた事なんですけど」

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