ふーちゃん 2022-11-24 22:48:05 |
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ぼくんとこのかあちゃんが じいちゃんに
いくつか 口ぐせのように よく 聞かされた
とゆう言葉の数々が 一見なんのこともないように
しか、人は思わないようなことなのに、そこそこ、それなりに
意味深く ぼくには ありがたい 教えになっているのですけどね。
たとえば、これ。上みりゃいくらでも上がある、下みればいくらでも
下がある ってゆうんです。 つまり、普通の人間が、
いっしょうけんめいになって生きているときってゆうのは、
そうゆうことなのだというだけの意味なのですけど
しかも、あたりまえでしかないようにしか、みえないでしょう。
その言葉は、ぼくにとっては、努力できる部分には、努力しなさいってゆう
意味でもあれば、また、自分の身の程を知りなさいってゆうことでもあれば。
だから、じいちゃんとばあちゃんは、やさい果物中心に、食料品、田舎で売ってた
人ですが、けして、人にたいして、いばるようなところと心を持たない人でした。
自分の孫には、じいちゃんは、ぎょうぎとかわるいと、こわかったけど。ですよ。
ですから、貧しくて、物を買うのにも困っているような人がきたときに、
それが、出ていたと、ぼくは、思っています。けして、きらうそぶりが、
ありませんでした。たとえば、多めにものをあげたりもしていました。
今日は、この話、いっこだけにしようかな。
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