ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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国家への 批判の 理由
なぜ、こうまで、批判の意思を、表明したのか。
そのわけを、ここに、残します。
生物の進化になぞらえて、説明を。
ごきぶり、かぶとがに、いちょう。ぼくが思いつく
のは、これくらいしか、無いけど・・あ、シーラカンス
っていうさかなが、いて、二、三か所、生息域がみつかってる
だってね。
進化するのが、いいか悪いかは、個人の好みでしかないけれど、
ぼくは、正しい方向の進化が、社会や国家にも、望ましいと
思う立場であるからなのです。改良できる要素は、
いっぱいすぎるから。進化した社会体制で、生存してゆく世界であって
ほしいから。この世の中の大切なことは、みんなで、
理解されなくてはならないし、そのことが、望ましいという考えです。
また、個人による考え方の違いもまた、ある程度は、理解可能な社会であること
というのも、大事なことだから。
政治の領域に、正しい思考力がなくなって、結果、個人では、そんなこと
考えないような異常な判断を、政治という集団では、やっている、しかも、
将来的には、さらに、なにをしたらよいかわからずに、ひさんなこと
やっちゃいますよという、国民側からの要望と、及び、警告でさえあります。
それは、単に、国民側の犠牲ではすまず、国家としての自滅でもある。
政治するなら、(行政・司法・立法)もっと、命かけて、やってくださいよ
という意味がわからないものでしょうか。
ふーたまぬるい、というやつですかね、過去の実態、現状。
さんざん、ばからしいことやったあげくの、あきらめは、はやいことはやいこと。
国民は、じごくよ。国民を愛する心こそ、むしろ、愛国心でしょ。
昔、国家は、(国家を騙る政権は)国民を、わがもののように
国民が、人生も、財産も、差し出して、犠牲になることを、愛国心だと強調した。
都合のいい人間性。私たちは、何を、どのように、反省してきたのか。
いいえ、なにも、反省など、すでに、存在しなかったのでは。
結果として、現在、何が、戦争起こした歴史への反省内容として存在してありますか。
人間は、ばかなのだから、あやまちを繰り返してもよい。だが、誤っている
ことへの自覚と、脱却の意思もなくいきる集団のままであるのでは、
悲しすぎる。この、悲しみを、理解してほしいのです。
明るい希望のある未来へ、人類として、進もうという意思をわすれないためにね。
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