ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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文部省関連の おはなしでしたね たしか・・・
なにしろ、学校教育を統制しているお役所ですからね。
ぼくの、子供時代のところのことでも、話したいと
思います。
ぼくみたいな目立たないこどもでも、
発表に、そうそう、遠慮するこどもではなかった。
といって、そうそう、せっかちなこともなく、
たまたま、手をあげられるときには、
指されて、発表していたと(?)、記憶してます。
今と環境ちがうのかな~?なにか、先生との会話ができる
タイミングも、ごく、たまにでも、あった気がする。
ただね、なにか、ぼくと、学校の先生の感覚がちがうことを
感じていたのです。僕の期待するような言葉じゃないというのか
そんな、意識のすれ違いのような感じを。
そのようにして、小学校中学年、高学年、中学校時代へと。
そして、その中で、やく六年間ほどのあいだに、ぼくの洞察力が
導き出した結論は、このようなものでした。
1.先生は、授業によって、かならずしも、教科の知識には、
こだわってはいない。
2.つまり、理解は、正確なものでなくても、そこそこの
もので、よいことらしい。
3.できの悪い生徒のことは、本音は、そう、大切なことじゃ
ないらしい。
4.どうやら、そうではない、二つのしつけが、大事な主眼である
ようである。
5.その一つ目は、この階級社会、日本(※世界中、ほぼ、似てるでしょう)の
なかで、階級の上のものの、指示命令には、即、従う人間性の形成という
しつけ。
6、その二つ目は、特別な生徒と、全然普通の生徒との、線引きを、学校生活の
経過の中で、学校(または、教師)の手によって、行い、その実態を、支持をし
生徒たちにも、暗黙の承認をさせるというしつけである。
という結論でした。
それを、薄々、心の中で、ぼくは、感じ取ってしまった。
事実、先生たちは、それやったら、バレバレでしょうというくらいの
部分を 露呈していたんじゃなかったかな~です。
も~、わたくし、記憶にございません。おゆるしを。
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