ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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政治は、国民全体への、福利厚生の
ためなのに、どれくらいそうなっているのかは、
国によって、様々なレベルの差があるのを
感じます。本当に、国民全体への、人間性ある
価値観をもって、政策をかんがえているのかどうか
なのです。
進んだ価値観とは、あるべき姿の真実により、近づく
ことのできた形の考え方をゆうものでなくては
なりません。見かけだけ、いじくっても、
進化じゃないから。
どう考えても、わたしたちのご先祖の歴史は、
権力に利用されたというしかないほどに、
不幸な、不幸すぎる歴史でした。
たとえ、くずと言われようが、そんな多くの
人たちひとりひとりが、社会を支える貴重な
ひとりひとりであるという考えが、ひどい扱いを
うけた歴史。逆です。ひとりひとりが、すべて、
かけがえのない大切な存在として、認識される
政治であるべきなのです。
大量消費の思想の罪悪を、気づきましょう。
自分の体を、考えてください。不要な部分が
あるでしょうか。生きた細胞すべて、基本、
全体の存続のために、働いています。
腫瘍?じゃあ、不要だからって、かえって
切除したことで、あとの経過が、かならず、よいとは
いえないでしょう。なにも、しないほうが
むしろ、よかったってゆうことも、あるのでは
ないかな。
真実とは、簡単じゃないことも、また多いのです。
乱暴とは、思考の論理の正当性の中断を、意味します。(つねに)
あか。死滅した皮膚。不要か?といえば、さにあらず。
死してなお、生体を、あかは、まもってくれているのです。
細菌類、有毒物、太陽光もふくめ刺激物質の皮膚へのダメージの
緩衝地帯として、あかが、存在している。
一か月、風呂入るなという意味ではないですよ。
でも、明らかに、死してなお、ひふは、あかとして
私たちの生きた体を守るために、存在しているのです。
生命の摂理に気付こうという心のない人には、
通じない話かもしれません。
社会とか国家とゆうものを、自分個人の
利得のための支配下におさめたい心のある人には
でてきてほしくはない。
そういう人は、他人の人生、幸福、命を、軽いものとしか
思わないから。
そうゆうことこそが、思い上がりであるでしょう。
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