ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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ものについて考えるとしますと、
役にたつ、たたないは、いちおう、個人的な主観ですよ
という意味を、のべての、話だったのです。
ぼくは、この世に、なんのやくにたつことのないものなどは、ないと
いえると思います。・・
じゅうぶんな説明には、なっておりませんが、今日、新たに発信したかった
メッセージが、ありましてね。つまり、これから先の時代、戦争なんか
始める国があればこそ、兵士や市民に、犠牲がでるわけですから、
防衛は、ほぼ、必然であって、先制攻撃は、国民の生命を、権力者が、
私物化したことではありませんか、という、問題提起をしたかったのです。
人の命は、個人の能力の格差を超えて、尊いものだからです。
自らの持つ勢いの自覚に任せ、勢いある人々は、
見劣りする者の命の価値を低く思う。それは、違うのだということなのです。
戦争においても、結局、兵卒の人間存在を低く見る結果、戦に敗れる。
かつて、竹やりや石ころをつかってでも戦わせようとした一方で、
一般国民に対しては、一般的に、多数の軍人は、優越意識で処し、
どのような点にも、同等のものが、あるとは、意識していなかった。
人間を、消耗品と考えているような軍隊が、なぜ、総力戦に勝てるだろう。
こういう差別意識のある集団が、戦争に勝てるはずもない。
鉄砲玉は、たいせつにつかわせ、やっきょうさえ、ひろわせたとゆうのに
兵卒の命は、鉄砲玉以下の、じつに、そまつなあつかい。
ほんとうに、これで、自国民だと、兵卒のことを、思っていたのか。
矛盾でしょう。
人間の命の方が、鉄砲一丁という品物より、低く見られているという思考内容が。
これを、事実と、いってもよいです。
戦闘機一機の方が、人間ひとりの命より、大事な戦争だったとのこと。
それくらい、物資に欠乏している上に、兵卒には、なんの戦略上の意味がない、
なぞだらけの大量の生命の犠牲を、随所で求めながら、
(インパール、ガタルカナルなんかは、有名ですよね。)
ただ、時間稼ぎだけしていた日本軍。
ほんとは、勝とうが負けようが、何の心配のないことだったんだよね。
かれら、軍人たちの読みでは。要領よければ、裁判でも、逃げて、罪を
逃れられる人は、逃がれられた。
今、はるか、西の地域で、必然性のない大量殺人行為が、つづいているので、
兵士や、市民の命は、あなたの所有物ではないですよ、と、ある、大国の
責任者のみなさんに、言いたいところだったのです。命の犠牲の必要は
どこにもありません。戦争のどこに、正当性などあるでしょう。
会議というものが、あるこの時代に。民主主義があるこの時代に。
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