ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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言霊 ー 言葉に宿る超ふしぎなもの
この言葉、日本人の思想のひとかけらですね。
多くの人が、これゆえに、ゆうことを、はばかり、
さしひかえ、黙するのと、同じく、これほど
言いたい放題に見えてるだろうぼくでさえ、
いうことが、その言葉に宿るものの、作用が
なにか、ぼく自身に、望まぬ方向に、出ることを、恐れ、
言えない内容は、今まで、語ったことよりも、はるかに多いのです。
ただ、できることなら、なんとしてでも、
地球と人類の未来のことで、間違いなく、人々が難をのがれるために
絶対必要なことだけは、いつか、と思うのですが、これ、
なまやさしいことではないのです。語ることは、いまでも、
できるでしょう。それは、これっぽっちの、
役にもたたなくなるから。それなら、と、なってくるのです。
作り話としか見えない話も、やまほどあるでしょう。
なおさら、本当にあった話なんて、ごくわずかな人以外、
聞いても、それが、実体験が語られたこだと、理解する人は
ありえないのです。
で、なぜ、言霊を、おそれているのか。
言霊の、または、より、大きな神的存在の心の中までは、
このおろかなぼくには、知りえないから。
もう、ずーっと、この状態で、判断がつかずに
なやんでいるのです。
人類は、社会という、自らの複雑系の解明には、さらさら
手つかずのまま、今もなお、生きてきています。
月や火星開発の前に、この社会に、挫折がおきるよ。
sdgsなんて、おおいついてないもん。
そもそも、みなさんとぼく、おたがい、わかっていないことは、
ごみの山くらいに、あふれかえっているんです。
あ、自殺願望の人ねえ!
ひとの心の、どうしてもなくせはしない、きれいな心には、
あらゆる世の矛盾のカオスが、ぶつかって、
きれいな心が、矛盾の毒に、苦しめられる
からでしょうね。どこかに、きれいな心があるからこそ、
そこを、矛盾という強い光線にさらしては、ならないということ?
きれいな心にとっては、ひとたまりもないほどに、
社会の毒光線は、強いから。
心が汚れ切った人生やってても、あるとき、ふっと、
フラッシュバックみたいに、良心がよみがえって、苦しみの
あげくに、選択を誤る人がいることは、きっと、うんと昔から
文学のテーマで、あったかも。(文学を読める時間と、わかる
頭を、もちたいな!ぼくのことだけど。)
なやむなかれ。神のまなざしも、仏のみこころも、すべての
気の毒で、愚かなる存在としての、人類のうえに、そそがれているのです。
救いの道は、人類自身の、目覚めと、発見にしか、道はないけど
ヒントは、神、仏が、くださるのです。
終わりの部分、宗教、信仰的な内容におわり、おもしろくないでしょうか。
評論、心理学っぽい考察が、主体です。
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