ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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十九日に、トピあげたけど、今日、十七番目まで、おっこちていました。
みなさん、頭なんかよくなくて、じゅうぶんです。ただ、考えることをやめては
いけません。
この世の中に生きるのに、他人には、語ることのできない事実を心の中に秘めて、
そのせいで、明るい気持ちになれないで、生きている人が、どれほど、たくさん
いることでしょう。多分、お互い、言えない秘密を、かかえていきているとは、まさか、
思いもしないで、ときには、ひとを、うらやみ、ねたんでいるのかもしれないのです。
ぶっちゃけ、昔は、家庭が、まずしいということさえ、差別されるゆえんに、なりえました。
女性であること、年少であること、どこか、自分たちとちがうところが、鼻につく人、
田舎から、都会に出てきた人、何かの病気(らい、結核など)で、隔離をされた人(病気が移る
と、悪口をいわれました)、犯罪で前科を作った人、地方や地域による色分け、階級の違い、
人種の違いや、違ってるポイこと、職業、家系の違いという意識、平均的能力より劣るところ、
と、これでも、まだ、ぜんぜんでしょうね。
なんなんでしょうね。差別。つまり、他人の、弱そうなとこ、たたいても、相手が抵抗して
こないとこを、そこそこに、たたいておこうというだけの心理としか、言えないでしょう。
暗い思いを抱えて、生きている人が、いくらでもいること、考えてみてほしかったんですね。
大手をふって、堂々と生きれる人、どのくらいいるのかな?
ところが、そういう人は、こんどは、ひみつがないことが、おもしろくないのか、スクープ
されたら、もうダメみたいな、スキャンダラスな私生活をして、そんな秘密抱えて生きてたり、
・・ですよ。
なんのこっちゃ! 人間のこころというのも、不思議で、不可解な一面があると、言えますね。
これは、おおざっぱなこと言ってるのですけども。
全部の人で、こうなのでは、ないことは、諒解していだだきたいところです。
なんで、こういう話に、なったのか、を、お話しなくては。
カミング アウト 現象のことが、フッと、うかびまして。
ゆえない、ゆっちゃあまずいことだけども、ゆってしまえば、心がすっきりするでしょう。
話が、ここに、きたのも、頭の中に、うかんできたある記憶の作用で。それは、高校のときの
つれづれ草。 一節に 「ものいわぬは、はらふくるるわざなれ」 あの言葉でした。
つまり、ものいわぬは、はらがふくれたよう(=な苦しさ)なことであることだ ということかと
おもわれます。
ゆえないなら、忘れてしまえば、いいでしょ。忘れられないなら、めざすべき約束の地を、
自ら、目指して、歩み始めるのです。ここは、比喩です。つまり、何かのめざすものを
求めなさい ということです。 ぼく、宗教者では、ありませんけども、
かみさまのすくいがあるかどうかは、きまっていません。いいじゃないですか。
やってみるのです。私たちの、あなたの、進むべき道、目指すべき約束の地を、心に
見定めて、歩み始めるべきなのです。
宗教に、入っても、知りたいところは、知ることができないのではないでしょうか。
自分一人で、考えるだけで、じゅうぶんです。
「信ずるものは、救われる」のだそうですよ。自分の進むべき道が、見え始めることは、
じつにしあわせなことです。進路を、九十度以上は、まちがえないように。
前方は、希望、後方は、悲しみなのだとでも、とらえてみてほしいなと、思います。
どの人にも、その人の進むべき道が、あるはず。見えていないだけです。
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