ふーちゃん 2022-09-14 11:20:48 |
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きょうは、問題提起的な テーマで
わたしたちの社会そして個人のかかえている問題点の
一つとして
いじめという事象に存する人間性のいやらしさなどの
周辺への考察
まず、いきなり、申しますと、なにか、気に入らない点があるならば、
関わらないようにすることでも、すむことではないでしょうか。
いじめとは、しつこい付きまとい行為だといえます。
その物事を、あっさりと、気持よく割り切ることのできない、
ねちっこさを、実に、いやらしい人間性だと、嫌悪すべきですよね。
たとえば、相手が悪いと考え続けている自分の、人間としての姿勢が
おかしいかとか、間違ってないかとかは(ましてや、はずかしいなんて、
思いもしないお人柄)考えようとはしない、こわれた脳みそ。
しつこさ、ねっちこさ、しゅうねんぶかさ、でしょうか。
人間であるからには、考えなくてはならないことについて、
半ば、意識して、考えようとしない人、考えないふりをする人の
ずるさ、きたなさが、DV的暴力や、いやがらせ行為、つまり、いじめも
ここに含まれるでしょう、それらの発生の根底にある心理です。
つまり、間違った心だとは、気づかなかった、知らなかったと、
言い訳できるという、卑怯な予測のもとに、ぬくぬくと、前述の悪事が
できることを、楽しもうという本心だと、判断してよいと思います。
「反省」というと、悪いことをした人が、悪いことしたときのものだけ
だとでもいうような、私たちの気安い考え方にも、世の人心の乱れ・不安定への
原因は、あると思います。
だって、人間関係は、誤解もあります。自分には気づいていない間違った点も
自分には、あるはずです。悪いことは、していないという意識で、生活していても
いつだって、自分には、まちがっているところは、ないだろうかと
自分の考えとしたことの、気づきにくいところのミスを見つけ出そうという
姿勢と努力を、めんどくさいことだと感じる日も、あるかもしれませんが、
それは、なくしてはいけない社会人としてのこころえなのかと、
ぼくは、きょうは、思うのです。
あしたからも、わすれてはいないと思います。私たちの道徳心は、社会全体としては
だらけきっているから。きれいごとだと、言う人もいるでしょう。これが、社会の、
ふつうの、あたりまえのことになっていくべき、です。
ぼくだって、人間性は、欠陥だらけなのでしょうけど。
みなさんに 2022.11,21、(月)
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