匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(──もしもあの時、横から迫り来る馬車を飛び退って避けた直後に、乱れた息を整える数拍を置いていなければ。もしもあの時、飲み屋の煩い騒ぎを嫌い、客引きの立つ通りを疎んで、こちらの地区に駆け込まなければ。もしもあの時、ヴィヴィアンとエリザベスが別の出店にしようと決め手、屋台料理が出来上がる数分を待つことなく帰っていれば……。思えばきっと、この広大なキングストン、その数地区に限ったところで、全く別々に過ごしていた自分たちたったふたりがばったり行き会う確率なんぞ、皆無に等しかったろう。それでも運命のいたずらか、はたまた女神の微笑みか。我を忘れて駆け回った末ふらついていたギデオンが、それでもはっと振り向いたのは──耳に馴染んだ呼び声が、闇を駆け抜けて届いたからで。
荒れ果てていた呼吸すら止め、そこに佇む女性の姿を穴が開くほど凝視する。幻覚か、と疑ったのはギデオンもまた同じ──あまねく知覚を総動員するのに必死だ。しかしその間を待たずして街灯の下に現れたのは、見間違えようもない、探し求めていた娘の姿。──いた……いた、見つかった、ここにいた。その単純な事実をじわじわと実感するまでに数秒ほども要する間、彼女が必死に確かめてくる声は、分厚い幕の向こう側をぼんやりとすり抜けていくようで。
だがしかしようやく、ようやくのことで頭が状況に追いつくと。今度は突然、まるで怖気のそれにも似た激しい震えが体の底から走り上がった。信じがたい、と言う表情──愕然と揺れる双眸。相手が何かちらりとでも不可解な色を浮かべれば、がっ、とその両肩を強く掴んで。ほとんど鼻を突き合わせるほど間近に顔を寄せながら、一帯の夜気を震わせるほど苛烈な声で怒鳴りつけ。)
──何を──してる──こんな、ところで!!!!
(こんな深夜にこの声量で、近所迷惑がどうだとか。この二ヵ月、相手の信頼を勝ち取るために細心の注意を払い続けてきた努力を自らぶち壊しているだとか。そんなことは、もはやかなぐり捨ている自覚すらしていなかった。
「正気なのか!?」──「こんな夜中に、たったひとりで!」──「何が被害状況だ!」──「おまえみたいな若い女が恐ろしい目に遭わされる事件が、そこらじゅうで、どれだけ──どれだけ起こっていると思うんだ!!」。今の自分も人のことを言えぬようななりのくせして、がくがくがくと、これまで決してなかったほど乱暴に相手を揺さぶり、怒鳴る、怒鳴る、尚怒鳴る。そうして激しい息を吐き、相手の翡翠を激しく睨みつけながら。その青い双眸に、しかし怒りだけでなく、まるで傷が疼いたような、何かの痛みに怯んだような、鈍い翳りをずくんと走らせ。)
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