匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
|
通報 |
そこのところは大丈夫だろう。
ほら、見てみろ……ペアガラスだ。
(相手の心配そうな声に、しかしこちらが返したのは、その歩み同様にゆったりと落ちついた声。何も遠目で見抜くほど建築に聡いわけじゃない。横にいるフェニングの如何にも誇らしげな顔を見て、軽く見当がついたのだ。そのまま相手を伴って、今一度リビングルームの大窓へ歩み寄る。そしてギデオンの武骨な指が、ふと指し示した窓枠の辺り。なるほどよくよく見てみるに、その分厚さにもかかわらず透明度の高いガラスは、贅沢な複層構造で組み立てられているようだった。しかもその内側、サッシの細い部分には、刻印式の魔法陣が精密に彫り込まれている。魔法の素養のあるヴィヴィアンなら、細い筋を伝う何かが煌めいて視えるだろうか。己はそれが読めずとも、そういった建築様式があるということだけは知識として知っている。「魔素循環式か?」と、背後のフェニングを振り返らぬまま尋ねれば。「はいはい、そうと、ご名答」と、呆れたようなため息が靴音と共に近づいてきた。
──まったく、素晴らしい窓だろう? 夏の遮熱に関してはまあまあといったところだがね、冬の寒さに関しては、やっぱりこいつがピカイチさ。おまえが言ったそのとおり、この内部の空間に溜まった魔素がしっかり防いでくれる仕組みだ。え? こんな素晴らしい匠の業は、いったいだれのものかって? かのサンソヴィーノ大先生さ! そうとも、この一帯の家々の窓は、ラメット通りにゆかりのある御大が手がけていてね。ただあの方は齢九十……いざというときの修繕なんかが気がかり、誰もがそう思うとも。だけどそいつは心配ご無用! 二代目三代目の後継がばっちり技術を継いでいて、サリーチェにある工房からすぐに駆けつけることになってる。更になんとうち経由で、専用保険もしっかり完備。どうだ、これなら安心だろう?
──しかし、はてさて。そんな稀少な物件を、何故こうも一番乗りで案内してくれるのか、そこは是非とも気になるところだ。その辺りに水を向ければ、フェニングは少しばかりばつが悪そうに頬を掻いた。……いやあ、それがねえ。この家に住んでいたのは、地方の名家から上京してきた若いご夫婦だったんだよ。この家を借りてくれていたのは、ほんの数週間だったかな。それがほら、つい先月にさ、王都中央病院の病院ジャック事件、なんてのがあっただろ? ここのすぐ近くにあるのは、あくまでその分院なんだが……地方でずっと暮らしてるじい様ばあ様にゃ、その違いなんざわからんもんでね。やっぱり王都は危険な街だ、可愛い孫娘を住まわせられん、なんて大騒ぎしたらしく。結局そのご夫婦は、実家に無理やり呼び戻されることになったんだ。そんな可哀想な事情じゃ、違約金取るのも忍びなくてさ。幾ら名家出身とはいえ、これから家庭を作るって時に……ねえ……。だからこう、俺がちょっと、いろいろ捏ね繰り回してな、どうにか帰してやったんだ。だけど今度は、大家との兼ね合いがあるだろ。その辺りで会社のお上が、ちょっとまあ、その、だいぶ圧強めでね……。
──なるほど、話が読めた。要はこのフェニング、ギデオンの急な依頼に二つ返事で乗ってきたのは、自分の計上数字が大ピンチだったかららしい。まさに今いるこの家の借り手が急にいなくなったことで、次に宛がうお客探しに血眼になっていたのだ。そんな奴から見たギデオンたちは、ガルムの瓶を背負ったレモラが泳いできたようなものだろう。おそらく、退去後の清掃が終わり、契約関係の整理も一段落ついたのが、つい先ほどのことなのだ。
「ほーお?」とギデオンが眉を上げれば、旧知の男はなんとも情けない顔で、謝罪やら言い訳やらを必死に並べたてはじめたが。それを笑って追い払い、しばらくふたりきりにしてもらうことにした。奴の性格は知っている、幾ら優秀な営業だろうと、強引な押し売りはすまい。それに、ギデオンたちがどの家を選んでもプラスになるのには違いないから、どれも同じ熱心さで紹介してくれていたはずだ。相手と可笑しそうな目を交わし、軽く肩をすくめると。オレンジの光に満ちた明かりをゆっくり歩きまわりながら、一階の広いリビング、その真っ白な漆喰の壁、良く磨かれたクルミの床に、手前の収納たっぷりなカウンターキッチンと、あちこちをよくよく眺め。ふとその視線を相手に戻すと、また静かに歩み寄っては、その肩にそっと手を置いて。)
……まあ、訳あり物件、ってわけだが。家自そのものに問題はないし、奴がああいう事情なんだ、契約の条件は多少融通してくれるだろう。
広さは充分、間取りも良し……問題があるとしたら、寝室が上にあることくらいか。
……階段は、まだ危ないよな。
| トピック検索 |