匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
|
通報 |
……ああ。
(ヴィヴィアンの複雑な、けれども願いの籠った声音に、同じ湿度の吐息を零し。真っ白な雪の上、立ち上がった相手とともに、崩れた谷を一望する。
──数日前まで壮観だったこのヴァランガ峡谷は、しかし夜明けの薄明りの下、静かに息を引き取っていた。村の旧跡は雪に埋もれ、かつてのキャンプ地だった家屋も木くずのように粉々になり。あの隧道の出入り口に至っては、もはやどこかにあったのかもわからない有り様だ。きっとあの崖の向こう側は、山ひとつがどっと押し寄せた勢いで、もっと完膚なきまでに破壊し尽くされているのだろう。そんな状況を生き延びた今、ギデオンたちがなすべきは、ともに生き延びた仲間たちを助け起こしに行ってやること。だがせめてその前に、と。ふと横を向き、彼女の頭をいつもどおり撫でようとして──ギデオンのその指先が、しかしぴくりと途中で止まる。……愛しい娘の栗毛の軌跡が、途中で断たれていたからだ。
そうだ、あのとき。この谷を滅ぼすべくエデルミラが発動させた、エディ譲りの黒魔術。あれを反転させるため、相手はあの場で最も聖らかであろう依り代、己の髪を差し出した。一切の躊躇なく、自らに刃を当てたのだ。いつもギデオンのなら厳しく戒めるだろうそれも、しかしあの雪崩を生き延びた今朝ばかりは、一瞬の揺らぎの後に、感謝と安堵に負けたらしく。瞼を閉ざしてため息ひとつ、それから再び相手を見つめ。もう一度その小さな頭に、己の骨ばった掌を添えて……そうしてその指先を、後ろの辺りで遊ばせれば。途端にしゅるりと、元々緩んでいたのだろう、髪紐が容易くほどけて。
ふわりと広がった柔い栗毛は、ギデオンの記憶にあるより、やはり幾らか身軽なようだ。しかし、そのひと房ひと房は、山の稜線から昇りはじめたまばゆい朝日に照らされて、黄金色に輝いて見えた。妙に神聖に感じられるのは……きっと昨夜、あんな奇跡を目の当たりにしたせいだろう。──紅き望月闌く夜さり。因習に満ちた花の里、そして怨みで生き永らえる冬山の化け物は、たった一夜で滅びを遂げた。だがしかし、彼らの悪事に巻き込まれた数々の犠牲者たち……ジョルジュ・ジェロームのような無辜の人々の魂は、朝陽の昇ったこの青空に、きっと無事に召されたはずだ。その奇跡をもたらしたのは、他でもないヴィヴィアンである。あの絶望の状況で、怨みの深紅を安らぎの黄金に変え、天に還してやった娘。
……ギデオンには時々、このヒーラー娘がまるで、神話か何かの世界から来たように思えてならない。そのことにうっすらと、ただの感嘆だけではなく、恐れを覚えることがある。──どこかから来たのではなく、どこかへ行ってしまうのではないか。自分が迂闊に目を離せば、彼女はその力のために、世界に奪われるのではないか。馬鹿馬鹿しい妄想かもしれないが、時たま本気でそんな風に感じるからこそ……今だけは。ともにこうして朝を迎え、己のすぐ横に彼女がしっかり立っている、ただそれだけの実感に、心の底からほっとしていて。
口元をやっと緩め、相手の髪を撫でたその手で、耳を優しく擽り……相手の無事を確かめると。「おまえのこれが元通りになるくらいまで、上からたっぷり特別休暇をもぎ取ろう」なんて、冗談めかした囁き声を。それからもう一度、万感の思いを込めて……彼女にそっと顔を寄せ。)
そうだな。ふたりで、うちに帰ろう。
(──こうして。激動のヴァランガ調査は、結局未達で終わりを迎えた。
冒険者たちが目撃した恐ろしい出来事は、後に“フィオラ村事件”として、トランフォードの闇の歴史にその名を連ねることになる。当然のことだろう……人を魔獣に変えてしまう常識外れの劇薬が、この世に生まれ落ちていたのだ。それは随分と後になるまで、様々な問題を国内外に広げるのだが──今はまだ、遠い話。
だからここからしばらく先は、あの事件の後にあったこと、わかったこと、そのいくつかを記していこう。
──調査隊は、無事生還した。何人かは多少の大怪我を負った者もいたのだが、ヒーラーであるヴィヴィアンの底なしの魔力を以て治せないようなものはなく、せいぜいが全治数週間。唯一目覚めさせられなかったのは、己の黒魔術の毒牙にかかった、元リーダーのエデルミラくらいだ。
彼女はあの一夜以来、ずっと昏睡を続けている。憲兵団の魔法医の話では、目覚められないのではなく、目覚めようとしないらしい。エデルミラの魔素に乱れはなく、おそらくは深く心を閉ざしたために身体が追従しているのだと──厄介な呪いを自分自身に掛けたようだと。それでもいずれ喋らせるさ、と。聖バジリオで久々に再会したあの懐かしの諜報員、エドワード・ワーグナーは、恐ろしいほど穏やかに言った。
「──元々、君たちの今回のクエストには、裏で僕らが噛んでいたんだ。アラドヴァルのあの剣士には、僕らに嗅ぎ回られるようなとある疑いが持たれていてね。魔導学院からデュランダルに調査依頼が舞い込んだ時、これはお誂え向きとばかりに、合同クエストを組ませてもらうことにしたのさ。そのほうが、お互いの顔さえ知らないうちの覆面冒険者が上手く紛れ込めるからね……ああ、そうそう。東のほうのギルドには、うちの手の者がいるんだよ。あの辺りはキーフェンマフィアも随分やんちゃをしているから、そうでもしないとやってられない。国を守るって大事だろう?
……とにかく。アラドヴァルのあいつに上手く探りを入れるために、東側からの参加者は、僕らの都合を踏まえての選抜をさせて貰った。で、リーダーにあのエデルミラ・サレスを据えたのは、その様々なしわ寄せの結果だったってわけなんだ。恥ずかしながら、彼女は僕らにとって、完全にマーク外でね。母親とふたりで、何やら迫害されていたらしいのは突き止められていたのだけれど……その加害者が、フィオラ村の差し向けたビェクナー商店だったってことも、サレスが母親を追い詰めた故郷を深く怨んでたってことも、僕らは気づけちゃいなかった。
だからヴァランガ調査の顛末は、もう完全に、憲兵団の大失敗さ。行かせちゃいけない人間を行かせて、そいつが大爆発したことで、君らも含めた一般人を随分巻き込んでしまったし、情報漏洩を防ぐための追跡調でもてんてこ舞いだ。そもそもの調査対象だったアラドヴァルの奴にしたって、今回のせいで強硬手段に移らざるを得なくなった。それじゃあ取り漏らしもあるだろうから、上はもうおかんむりでね。やらかした前任なんて、今ごろルーンの最果てに飛ばされている頃だろうよ。そそう、それで後始末にあてがわれたのが今回の僕ってわけ。フィオラ村の流通を突き止めるのはもちろん、サレスが何をしたか、今までどんな動きをしてたか、全部報告書を出せって話さ。まったく、幾らこの僕が優秀極まりないとはいえ、とんだとばっちりだよねえ……」
──随分と饒舌な、そのエドワードの話によると。フィオラ村の唯一の生存者であるあの少年、イクセルは、現在は憲兵団の関連施設で保護……もとい、監禁されているらしい。
イクセルは山を下るとき、自分ひとりが生き延びてしまったことに、酷く泣き叫んでいたようだ。その幼いながらに凄まじい怒りの矛先は、他に誰あろう、ギデオンたち冒険者にまっすぐに向けられた。──なんでみんなを助けなかった! なんでみんなを見殺しにした! ──俺も村のみんなと一緒に死なせてくれればよかったじゃんか! ──俺が、俺がちゃんと英雄になれば! おまえらが村に来なければ!
イクサルは決して、妹たちはまだ生きているはずだとは一言も言わなかった。途中で雪崩に巻き込まれて意識を失ったギデオンたちとは違い、あの子どもは一晩じゅう、谷の向こうに戻ろうとするのをレクターたちに必死に止められ、涙をはらはら流しながら、故郷が雪崩に呑まれる様を見届けつづけていたらしい。ただでさえまだ幼い子どもにとって、それはどれほど惨い光景だったろう。ヴィヴィアンは特に酷く心を痛めていたが、さりとてできることはなかった。こうして続報を聞けるだけまだありがたいほうで、そもそも事件後の冒険者たちは、同じギルドから参加した者以外との接触を禁じられている。天涯孤独のイクセルは、当然誰とも会えないし、誰のことも、何のことも、知らせてもらえやしない立場だ。
よってあの少年は、今も施設の職員相手に、堅く口を閉ざしている。フィオラ村はどんな村なのか、どんなことをしていたのか。職員たちが遠回しに聞き出そうとしてみても、一言も語らないらしい。当然ではあるだろう……おそらくその調子なら、いつかはきっと、ヴィヴィアンが聴取役として呼ばれることもあるだろうか。その時が来るまでに、少年の孤独な心は、気丈に耐えてくれるだろうか。
……その少年の体を魔導学院が調査して、ひとつ判明したことがある。
フィオラ村の出身であるイクセル少年の体内には、本来は人体にあるはずのない完全未知の成分が、高濃度で蓄積していた。この組成は一説によると、ハリガネムシがカマキリを操る時に注入する、ある特殊な成分に非常によく似た配列らしい。
その解析結果と、ヴィヴィアンが持ちかえった花の成分の調査結果を、憲兵団の監視下で照らし合わせてみたところ。誰もがにわかには信じがたい、だがそうとしか思えない、ある仮説が浮かび上がった。
──フィオラ村のあの“花”の正体は、非常に特異で悪質な、寄生植物なのではないか。
──自他の生きものの体を侵し、その本能を“花”に利のある行動をとるように書き換え。やがて一定以上溜まれば、月の魔力に反応して、その体を凶暴な魔獣のそれへと変えてしまう。そんな恐ろしい作用を持つ、いっそ猛毒とも呼べる花粉を分泌していたのではないか。
そう仮定して振り返るなら、心当たりは様々だ。
──鍾乳洞に巣をつくる、フィオラ村の特別な蜜蜂。本来はどんな蜂も、地上に巣をつくる習性のはずだ。それがフィオラの蜜蜂は、どんな光も差し込まない地下深くに巣を構えていた。あれはおそらく、本来は“花”に洗脳されて受粉を手伝う立場の彼らが、月の光を浴びることで変貌まで遂げてしまわぬよう、夜間は地下に引きこもるように変わっていったのではないか。
──祝祭に参加した最初の宴で卓に出された、あの特別な肉料理。あれはたしか大型魔獣、ヘイズルーンの肉だった。月夜に山々をうろつき回るあの山羊は、何かしらの特殊な酵素を体内に隠し持つらしく、どんな毒草も効果がない。植物であれば皆一様に、美味な乳へと変えてしまう。……だからフィオラの“花”にとって、己の洗脳が一切効かないあの奇妙な草食魔獣は、唯一の天敵だろう。おそらくはそのために、自分の洗脳下にあるもの、特に何度も毒を含んですっかり従順になったものを、月の光をトリガーとして強い魔獣に生まれ変わらせ、“花”を食べにくるヘイズルーンと闘わせるようになったのではないか。本来のフィオラ村が狩猟を生業としていたのも、魔獣化を遂げるまでもなく、ヒトならではの知能や道具で、たびたびやって来るヘイズルーンを屠っていたからなのではないだろうか。
──村の資料館のタペストリーの、ぐるぐる目をした村人たち。あのフィオラ村の祖先たちは、数百年前の世界で迫害を受けたときでさえ、“花”を忘れずに持ち出していた。あの刺繍群の最後でも、“花”はやたらと神聖そうに縫い込まれていた筈だ。きっとそのときから、始まりの祖先の時から、彼らは花粉に毒されて、“花”に魅入られていたのだろう。……そもそもかれらは、どんな理由で迫害を受けていたのか。もしかしたらきっと、ロウェバ教を中心とした宗教弾圧が激しかった大昔に、“花”を崇める異教を掲げていたのではなかろうか。
──それからあの、ジョルジュ・ジェロームの日記に綴られていた凄惨な最期。あれはおそらく彼の体が、フィオラ村の花粉に対してアレルギーを来たしたせいだ。滞在が長くなるにつれ、最初は順応できていたジョルジュ・ジェロームの肉体は、フィオラ村に蔓延している“花”の花粉の異常さに気づき、激しい免疫反応を引き起こすようになったのだろう。ただでさえ他の生物の肉体をそっくり改造してしまうほどをど強力な毒なのだ、相応の苛烈な反応が起こってもおかしくない。
──だとすれば、フィオラ村の人々が行っていたあの近親相姦は、一種の生存戦略的な文化だったのではないか。“花”の毒に侵されて尚生き残れる者たちで子孫を作っていくうちに、“花”に対するある種の免疫、自己破壊には至らないまま“花”を愛でていられる体を、獲得したのではないか。
しかしこの世には無情にも、生物濃縮というメカニズムがある。
毒の海で育った小魚を、それより大きなレモラが食べ。そのレモラをメガロドンが、メガロドンをドラゴンが。そう言った食物連鎖をするうちに、最初は僅かだった毒が、後々の生物の体内にどんどん蓄積されていって、より高濃度になっていく。そして時にその猛毒は、母胎から子へ継がれてしまう。
フィオラ村の人々は、おそらく数百年もの間、あの“花”とともにに生きてきた。その花粉を吸い続けて、何もないわけがない。無自覚に花の守り人となりつづけ、やがてはそれを利益のために悪用しだしたその先に。ただでさえ近親相姦で高め続けた花の毒が、あとはエデルミラが大鍋に盛った僅かな秘薬のひと押しだけで、臨界点を迎えたという可能性が、限りなく高いのだ。
イクセルはあの日、魔獣化の秘薬をとうとう口にしていない。なのにその体には、既にあの“花”の毒が一定程度溜まっているとわかった。だとすればそれは、イクセルが先祖代々、知らずに受け継いできた毒だ。そしてイクセルが将来的に、もしもフィオラのだれかと結婚していたのなら。その息子や娘の体には……イクセルよりも多くの毒が、生来宿っていたはずである。──フィオラ村はきっと、今回の事件がなくとも、いずれ数世代のうちに、皆魔獣化して滅んでいたのだ。
しかしそれでも、かれらの“花”や、彼らがこの世に編み出した秘薬の製法はなくならない。ならばいずれ、連絡の絶えたフィオラ村を、あの取引先のいずれかが訪ねては、遺されたそれを手に入れてしまっただろう。そうなると、もっと恐ろしい大事件が、もっと恐ろしい連中によって引き起こされた未来も有り得る。……結果論でしかないにせよ、今回のヴァランガ調査は、それを防ぐ最後のチャンスをぎりぎり逃がさなかったのだ。
──故に。調査隊が山を下り、通報を入れた後は、然るべき機関、然るべき者たちが、即座に水面下で動きはじめた。
ここ数カ月のヴァランガ地方は、いよいよ厳冬の雪に閉ざされ、もう何者も立ち入れない。だがひとたび春を迎えれば、きっとかつての取引先も再びフィオラに秘薬を求め、その惨劇を知るだろう。タイムリミットはそれまでとばかりに、今日も国内のあちこちで、憲兵団の諜報員が、魔導学院の研究者が、警察の名刑事が、公認協会の古強者が、皆この事件を追っている。互いの顔すら見知らぬ者も多々いるだろうにせよ、しかしその志は、ぶれることなくぴたりとひとつだ。──明日の平和を守りたい。家族や友人、知人、そこらの赤の他人でもいい。誰もが安心して過ごせる日々を、不完全でも愛しい社会を明日も続けていけるよう。日陰のうちに悪を下して、この戦いを乗り越えたい。
ギデオンとヴィヴィアンもまた、キングストンに帰還してからしばらくの連日連夜、私生活を投げ打っての事後処理に奔走した。山のような報告書に、何度も繰り返しの事情聴取、記憶を掘り越してのマッピング、査問会、再現見分、エトセトラエトセトラ。求められる協力をひたすらこなしつづけるうちに、会えない日々、帰れない日々も、何度続いたかわからない。
そうしてようやく、ふたりがそれぞれ帯びた使命を、一度すっかり果たし終え。少なくとも私的には、長かったヴァランガ調査を完了することができたとき。……本当はふたりで、ちょっと良いところに小旅行でもしに行って、お互いを労おうかと計画していたはずだったのだ。しかしふたりとも、いざお互いの顔を見るなり、そんな考えは吹っ飛んだ。
──帰りたい。籠りたい。一刻も早く、サリーチェの家に。
引き合うように抱き締めただけで、それがひしひしと伝わった。互いに同じ思いだった。
半年前にふたりで住みはじめた、あの麗らかなラメット通りの一軒家。今のギデオンとヴィヴィアンにとって、他でもないあの空間こそ……既に思い出がたっぷり詰まった、心安らぐ場所だったのだ。)
*
(それは、その日の夕暮れどき。聖バジリオ記念病院の真っ白な廊下にも、温かなオレンジの西日が格子状に差しこみはじめ。いよいよ他の見舞客も、ちらほらと帰り支度を始めたころのことである。
ギデオンはひとり、用があった受付からヴィヴィアンの病室に戻っていくところだった。数日ぶりの見舞いだったが、今日は随分長いこと彼女のために居ついている。その上さらにとある申請をしたことで、悪戯っぽい顔をした受付のご婦人には、何やら変化があったのをちゃっかり見抜かれてしまったようだ。こちらの何か言いたいのを自重して綻む口許に、対するギデオンのほうはといえば、なんだか居た堪れない気持ちで視線を僅かに逸らしたが。……今までと違うのは、他人のこういい揶揄うような反応に、上辺ばかりの焦燥感を抱かなくなったことだった。我ながら以前の自分に呆れるようばかりだが、それだけ自分の心境が大きく変化したのだろう。
──後輩ヒーラーのヴィヴィアンと組むようになって一年。ギデオンは最初こそ、彼女の無邪気で獰猛な好意を躱しつづけたはずだった。しかしいつしか彼女に絆され、様々な日々を共有しながら、やがて本当に憎からず想いはじめた……その矢先。あの因縁の悪魔の事件で初めて彼女を失いかけて、そこでようやくギデオンは、それまでの自分の愚かさに気がついたのだ。
あんな思いは、もう二度としたくない──故に今のギデオンは、いっそ腹が据わっている。とある聞き込みをしたことで、ギルドの連中や旧友たちには、最近おまえらいろいろありすぎてもういったい何なんだ、何が何だかわかんねぇよ、と狼狽されてしまったもの。ああ、別にこんな手合いは気にする必要もなかったのだと、そんな当たり前のことに今更のように気がつきながら、ただ淡々と質問を重ね。──その成果をひっさげた上で、今日は彼女を見舞いに来たのだ。)
……ヴィヴィアン、俺だ。
(そうして、馴染み始めた病室の戸をノックしてから声をかければ。内側からの声に慣れた様子で病室に入り、馴染みの丸椅子に腰かけたはいいものの。今日持ち込んだばかりの人気店の焼き菓子が、まだ辺りに馥郁とした甘い香りを漂わせているものだから、甘党ではない己でさえ、思いがけず腹が微かに鳴いてしまう。──そういえば、今日はいち早くここに駆け付けたかったから、朝飯もそこそこに街道の馬車に乗り込んだんだ、と。少しはにかんだように言い訳してみせながら、ふと立ち上がって傍らの棚に歩みより、鉄製の水差しを魔法盤の火にかけて。)
なあ、悪いが。
そこのポットで茶を淹れるから……今日の検査結果の話は、そいつをつまみながらにしないか。
| トピック検索 |