匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(水上にざばりと顔を出してすぐ、まずは相手の、次に周囲の連中の無事を確認する。──どうやらデレクの班も、問題なく凌げたようだ。先ほど大騒ぎしていた奴らは、結局皆があの大波に運ばれ、浅瀬にすんなり一番乗り。無論、その水深ですら溺れる危険性は充分にあるわけだが、先に浜に上がっていた仲間が迎えに来てくれているから、後は託して大丈夫だろう。まだインサイドにいる残りの数人も、元々すぐに泳ぎを覚えた連中ばかりだし、それでもデレクがしっかり目を配ってくれている様子。いちばん心配だったエリザベスも、バルガスがぴったり寄り添い、陸の方へ誘導している。これで顔の見えない者はいない、ギデオンたちより後ろを泳ぐ者もない。安全よし──と、軽く頷きかけたところで。)
ッ!? なっ、おい、ヴィヴィアッ……
(──よりによって、こういう時のパニック症状に後から陥ってしまったのは、いちばん近くにいたヴィヴィアンだ。ギデオンは無論、彼女とがっちり手を繋いで離さずにいたのだが……それでも海に不慣れな娘は、ほんの少しでも潮に流されたことで、ギデオンがどこか遠くに行ってしまうと錯覚してしまったらしい。ぐん、と思いのほか強い力でギデオンの手を引いた恋人は、不安げに鳴きながらこちらに必死に縋りつき、その全身で絡みついてくる始末。──踏ん張りの利く陸とは違い、ここは足場のない海の上。柔らかな果実やしっとりした素肌をいくら甘美に押し付けられようが、一緒に沈み、肺に空気のないヴィヴィアンだけが溺れる可能性への警鐘のほうが、ギデオンの頭の中でガンガンと鳴り響き。故に、いくら声をかけても一向に無駄だと判断したその瞬間──唐突に、ざぶんと海中に潜り込んで。
一方、その頃。浜や浅瀬にいた仲間たちからも、パニックに駆られるヴィヴィアンと、それを宥めようと四苦八苦するギデオンの様子は、よくよく見えていたようだ。あれ大丈夫なんでしょうか……と、経理受付が心配そうに呟いたところで、「お、ちょうどよい教材だ」と明るい声を上げたのがカトリーヌ。教材?? と周囲の若い面々が一斉に首を傾げれば、「まあ見てろ。今からギデオンが、溺れた要救助者が縋りついてきたときの対応を見せてくれるはずだ」と、ニカッと歯を見せて笑うだろう。「──入水救助は難しいんだ。溺れかけてる要救助者は、ああやって頭が真っ白になって、助けに来た奴にしがみついちまう。中には、救助者の頭を水中に沈めてでも自分が浮かび上がろうとする要救助者もいるんだよ。ビビはそうなっちゃいないけど……でも寸前みたいなもんだな。それで助けようとしてるギデオンまで溺れちゃあ報われないだろ? だから、ああいうときは──ほら」。
カトリーヌがちゃっかり解説している、まさにその通りのことを、彼らの視線の先にいるギデオンは実現していた。水への不安が高まっている者は、救助者が故意に沈めば、それにもついていこうとはしない──その性質を利用して、ヴィヴィアンの手脚の拘束を少しでも弛ませれば。彼女の背面に回ってざばあっと顔を出し、煌めく雫を飛び散らせ。そのまま後ろから、彼女の胸の下に両腕を回し、己に背をもたれさせながら、しっかりと抱きかかえて。ギデオンが視界から消えて不安だろう恋人の耳元に口を寄せ、「大丈夫だ」と、穏やかな低い声を繰り返し聞かせるのだ。大丈夫──大丈夫だ、俺はここにいる。離れていかない、一緒にいる、おまえは流されやしない、俺が一緒だから大丈夫だ。だからほら、ゆっくり息を吸って──吐いて。そうだ、できてるぞ。肺に空気を入れれば、そう慌てるようなことにならない。だからもう一度、ゆっくり、そうだ。……な? 落ち着いてきただろう。
それは確かに、水難救助のまさに理想的なモデルではあった。しかし問題は、歳の差こそあるものの、ギデオンとヴィヴィアンは双方ともに美男美女……おまけに、現に恋人同士だと知れ渡っていることで。要するに、晴れ渡る空の下で煌めくエメラルドグリーンの海で、ギデオンがヴィヴィアンを後ろ抱きしている光景は、やたら絵になる様だったのだ。純粋なアリアなどは、真っ赤な顔を両手で覆い隠しながらも、そろそろと開いた指の間から、やたら官能的な救助風景をばっちり眺めてしまっているし。浜辺でたむろ座りをしていたマルセルとフェルディナンドに至っては、棒飴を咥えながら、(──あれ)(──もしかして)((──女の子がそこで溺れてりゃ、俺ら合法でああいうハグができるんでね?))などと、ろくでもない閃き顔を並べ立てては、背後に立つギルマスから、「おまえたち、お見通しですからね」と、氷のように冷ややかな釘を刺されているだろう。)
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