匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(ヴィヴィアンの酷く震える声。それを聞いて尚、ギデオンの決意は頑なに変わらなかった。「お前を信じてる。……頼んだぞ」と、卑怯な言い回しで遠回しに拒絶すれば、あとは相手の声に構わず、くるりと踵を返して走り出す。冷静に考えればわかったろうに──自分のことを誰よりも慕ってくれるヴィヴィアンが、そう大人しく立ち去るわけがないと、自惚れでなく気づけたろうに。しかし、そこまで冷静さを失っていたのは、脳裏で小刻みにフラッシュバックするあの惨劇が、ギデオンの胸を激しく締め付けているせいだった。間に合わなかったあの一瞬。狂暴な夢魔の呪いが閃き、血と悲鳴が砕け散った。ぐったり動かない体、どんなに呼びかけても開かぬ瞼。死人のように青褪めた顔、今にも消えそうなか弱い脈拍。そして、未だに目覚めぬまま、時間ばかりが残酷に過ぎ去っていって──自分ばかりがのうのうと生きている。そんな恐ろしい結末に、相棒を近づかせたい筈がなかった。あの時と同じ絶望に、再び耐えられる心などなかった。13年前、否……20年以上前から続く因縁には、今度こそ自分独りで蹴りをつけなければ。あの時残してきた友をもう一度救いたい、ならば今度は、決して他の誰も巻き込まずに。
そう決意して、ギデオンは再び、無謀な闘いに身を投じていったのだった。襲い来る“館”の怪物に、魔剣一本を翳し、流れる血を振り飛ばしながら。時折不思議な助けを得られたのは、この“館”に縛り付けられた犠牲者の魂が、悪魔を討たんとする者を後押ししていたからだろう。無論、ギデオン本人は知る由もなかったが、アーロンに近づけるならもう何でも良く、貪るようにその力を取り込んだ。けれど──それは着実に、死に赴く階段を下っていくようなもの。この晩、ギデオンは確かに、ヴィヴィアンの恐れる事態へ転落していったのだ。)
(──一方、その頃。一度逃がしかけた獲物が、なんと自ら再び舞い戻ったのを知って。今度こそ逃がすまいと、“彼女”は地獄の呪詛を唱え、その悍ましい手数を増していった。“黒い館”はますます不気味に造り変わり、生き物を蝕む瘴気がどろどろと立ち込めていく。しかしいったいどういうわけか、“あの男”はなかなか倒れそうにない。あの目障りな“娘”の支援を失ったはずなのに、今度は別のなにかから力を借りているらしい。自分の体内でそんな身勝手を許すのは、己の魔力が弱りつつあるせいだと、“彼女”も否応なく気がついていた。──いいや、違う、違う! アーロンさえいてくれるなら、それだけで全てが薔薇色に満たされるはずなのだ! こんなことはあり得ない。他の男と交わらないせいで、彼との愛の巣が暴かれることなど、あっていいはずがない。けれど、大侯爵アスタロトや断罪者アラストルといった第一級の悪魔たちに比べ、所詮己はそこらの夢魔に生まれついた身。どれほど呪詛を重ねようと、本来の夢魔の能力を遥かに逸脱した魔法陣を構築しようと、その地力には限界があった。それが忌まわしくて仕方がなく、“館”の機構を幾重にも増して標的の殺害を急ぐものの、“あの男”とそれを後押しする怨霊たちは、それすら巧みに掻い潜る始末。幾度か危ういことがあり、そのたびに自衛の術を講じる必要に迫られた。そうすると、己の魔力を湯水のように使うせいで、残りの力がどんどん少なくなっていく。 “彼女”は激しい焦燥に駆られた。逆立つ黒い髪を両手で引っ掴み、猫のような目を零れんばかりに剥き、闇の中で怒りの叫び声を上げた。──その時だ。館のどこかに、異物が入り込む感触がしたのは。
聖属性の匂いを感じ、“彼女”の胸に恐怖がせりあがった。──“あの娘”だ! 数時間前、自分の魔力がまだ潤っている時なら着実に殺せたはずの“あの男”を、予想外にも生き延びさせる原因となったヒーラーだ。己の力が尽きつつある今、もし“あの娘”と“あの男”が再び合流してしまったら──また、己の最愛のアーロンに近づかれてしまったら。そう考えるや否や、“彼女”は動いた。“館”の闇を自在に滑り動き、辿り着いた先は、地上のホールの暖炉のなか。最初は姿を現さず、靴音を鳴らして進み出てくる“娘”を観察した。あちこち嗅ぎ回ったからだろう、薄黒く煤に汚れていたが、その目には強い光があり。突然こちらの名を呼んで語り掛けてきたその声にも、“彼女”にはない清廉な響きがあった。──ああ、忌まわしい、大っ嫌いだ! 思わず緑の炎となって燃え上がり、激しい突風を吹かせると、先ほどの“館”の改築で砕け散っていた幾十ものガラスの欠片で“娘”を斬りつけようとする。だが、“娘”が自衛を講じてか、もしくはそんな虚仮威しなどに少しも動じなかったか。とにかく、思ったような効果は得られず、仕方なく手を引くと、炎の姿を取ったまま、不気味な声をホールじゅうに轟かせ。──元は、最愛の人間の男に裏切られた身なのだ。どうしてこんな……自分と違って、人間として生まれつき、最愛の男に愛されてもいる、気に入らない娘の口車に乗るはずがあるだろう。)
取引──あは、取引ですって? 本物の悪魔の私によくもまあ、そんなことが言えたものね! そんな手には乗ってやらない。あんたなんかには絶対にやられない。だからさあ、出て行って、出て行って、出て行って! そうしないなら──殺してやるから!!
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