マイペース 2015-06-28 12:27:48 |
![]() |
通報 |
その頃の樺太には、日本人とロシア人が住んでいた。
民間人同士では、多少なりとも助け合いをしながら生活していたそうだ。
同じ町内に住んでいるという事ではないが、当時は、日本人の村とロシア人の村とに分かれていた。
大人同士は警戒心も多々あったが、子供同士ではただの喧嘩相手にすぎない。
日本人の子は日本人同士で、ロシア人の子供はロシア人同士で遊んでいたが、狭い島なので姿が見える時もある。
そういう時は親の話しを聞いていたのか「敵」という認識だった。
どちらからともなく「ばか」「あほ」というような罵詈雑言をあびせあっていた。
当然子供達は敵国の言葉度知らない。
知らないが、ニュアンスで分かる。
ロシア語で悪口を言われたら日本語で応戦をしていた。
トピック検索 |