私の母親は、広島に原爆が投下された当日遠足に出掛け、早朝に広島市内を離れたお陰で、命拾いをしました。 結果、今私が存在します。 両親の田舎は、昔海軍兵学校のあった広島県江田島だし、その本州側は海軍の街の呉市だし、戦争と自衛隊には子供のころから馴染みがあったので、違和感なかった。 「国を守る」なんて偉そうな気持はないけれど、身内を守るという雰囲気は子供のころから持っていたもんね。