蟲 2016-11-26 12:01:37 |
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>月夜
( 引き戸を閉めようとしたその時だ。飛んできた男の声に、はた、と足を止める。頭の中でその言葉を噛み砕いては、数秒経ってからふっと大きく噴き出した。可愛い。余りにもだ。あえて返事も振り返る事もせず、ぱしんと冷たく引き戸を閉めてはあはははと聞こえる様に笑い声を上げ廊下を歩く。己の腹の中で息を潜める加虐欲に気付きもせず、無条件に懐くあの男が異常に可愛い。息を整える様に一つ小さく息を吐いて、流しに辿り着くとシンクに手拭いをぽいっと放った。乾燥でぴりつく冬の空気の中、肌を晒すのは中々に堪え、てきぱきと着替えを済ます。脱いだ服を畳んで籠に入れながら、水で汚れを落とせだなんて本当に酷な事を言ったなあと思い出し、笑ったせいか少し乾いた喉をさすった。棚から取り出した適当な湯呑に水を入れ、ゆっくりと喉に流し込む。ごくり、と飲み終えるとシンクに横たわる手拭いの横に湯呑みを置いて、今日やるべき事はもう無いだろうかと考え始めてすぐ、さすがにそろそろ戻ってやろうと思考を打ち消した。癖のある髪を指で梳きながら、ひたひたと静かに廊下を辿る。すっと開けた引き戸の向こう、薄暗い部屋の隅で丸まるその姿が彼の性格を顕著に表している様な気がして、また少し笑った。「荒らされていなくて良かった。」なんて茶化す様に言い放っては、いそいそと布団を敷き始める。男二人が一枚の布団に寝そべる様子を想像して、寝相が良ければぎりぎりはみ出さないかな、等とぼんやり考えていた。自分は寝相が良い方なので、後はこの男の寝相の良さを祈るばかりだ。ぺらりと布団を捲って、それが当たり前であるかの様に右半分開けて中に潜り込む。「寒いだろ、早く入れよ。」なんて少しぶっきらぼうに言い放っては、一つしかない枕をぐいっと右に寄せた。元々低めの枕が好きな己は枕無しでも寝られるので、卵から出て初めての睡眠位良いものにしてやろうと、自分の腕を枕に背を向け丸まった。しかしすぐに顔だけ振り返っては、「…人の形をしていて、食欲があるなら…睡眠欲もある、よね。眠る感覚は分かるかな。」等と、真剣な顔つきをして今更な事を尋ねて。 )
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