蟲 2016-11-26 12:01:37 |
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>黒鈴
(足の甲でじくじくと疼く鈍痛がなかなかとやまないのは受けた物のせいもあるだろうが、おおかた同情という概念を知らない相手が無遠慮に触れたせいもあるのだろうと思う。それに説教だ説明だをしたところで人間でない相手に通じる気はしないし親でもない自分が教育してやるつもりも毛頭なく、今はあるはずの浴衣を探すのに集中して、ただ、嬉しそうな顔が可愛かったななんてぼんやり思いながら渡した干し肉を食べている気配だけを感じ。一つ目の行李には自分とは関係のないこの家の私物しかなく、そんなに奥にしまっただろうかと物を退かしつつ別の行李を引っ張り出して、少し埃っぽい荷物を漁る単純作業だとつい頭は別の事に考えがいってしまい、咀嚼の気配のせいか目の当たりにした捕食風景を思い出す。案外、綺麗に食べたものだが、あれは行儀が良いというよりはやはり食い意地が張っての事だろうと考えを巡らせ。そうなると今後の食事はどうすれば良いだろうか、雑用夫の少ない賃金も使い道がないので蓄えはあるが微々たるもので文鳥二羽でさえかなりの出費だったというのに、元々は今日殺されるつもりでいたのだ、夫婦にはいつまでこの蟲を隠し通せるのだろうか。ふと、とめどない思考が途中で止まったのは表面に自分の名前が書かれたたとう紙を見付けたから、本来包む必要もないほど平凡な浴衣をわざわざ包んで寄越した夫婦の意図がよく掴めなかったそれ──そんな事はどうでも良い。目当てのものを見付けたので顔を上げたが振り返る直前に衣擦れと水の揺れるがやけにはっきりと耳につくとぴたっと動きを止め、たとう紙を下してまずは行李の片付けをし始めたのは背後で聞こえ出した音がやむのを待つための時間稼ぎ。体を拭くのに使えと言ったのは自分なので感じるのは文句ではなく寧ろ話は聞いているのだな、という感心だが、異形とはいえ外見はああも人間の女性をしていると男が女の裸をそう簡単に見るものではないと思ってしまう、拭いてやらずに任せたのもそれが理由であれば振り返る事など出来るはずもなくやたらもたもたと探す時より手際悪く出した荷物を押入れにしまい込んで「おかわりなら、あと少しだけ」音がやみ、おかわりを欲しがる呟きがすれば行李の蓋を被せながら答えて元の場所に戻し、押入れの戸を閉める。「君の着るもの」相手の問いに一言で返し、探し物は既に見付かっているため笑い声を聞きつつあとは浴衣を渡すだけだとたとう紙を解いて灰色の浴衣と黒の帯を出せば俯いたまま振り返って相手の事は一切視界に入れずに「着替えが済んだらご褒美をあげよう」ずず、と用意したものを相手の方に押しやるともう一度相手に背を向け「男物でも濡れた着物よりはましだろうから。終わったら声をかけて」そう続けて)
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