蟲 2016-11-26 12:01:37 |
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>白雨
(暗闇の中で淡い光を放つ青年の、なんと幻想的で美しい事か。ゆっくりと彼の瞼が持ち上がるのに合わせて二つのあかりが灯るのに、魂がふうわりと吸い寄せられるような心地がした。光に集う羽虫とはこのような気持ちなのだろうか。と、何とも皮肉めいたことを取り留めも無く考える。そんな事に気を遣っていたからだろうか。見上げる顔が笑みを形作るのに心当たりはなく、はて、と首を傾けてから問いへの肯定に頷きを一つ。雨水を含んで僅かに重くなった着物の裾を捌いて先ほどのように正面へと座せば、並べた食事から一瞬の迷いもなく選ばれたのは不運ないきもの。噂話が正しかったのだと思う以上に、彼が蟲卵だと言う事がすとんと胸に落ちる。一体どのような食事が行われるのかと、じぃと視線を注ぐ先。淡白ながら食前の挨拶を忘れずに、誰に教わるでもなく道具をきちんと使いこなす姿は親としてとても誇らしく、知らず知らずのうちに口元は弧を描いた。――こんなにも美しく、丁寧に命に意味を与えられた鶏はさぞ幸せだろう、なんて。双眸には同情でも悲哀でもなく侮蔑の色が確かに滲んでいるのに、祝福にも似たとろけるような笑みを床に転がる頸部に向ける。しかしそれも一瞬のこと。もうそちらに用はないとばかりに視線を彼に戻すと、以降はごくり、ごくりと真っ赤な命を嚥下するたびに白い喉が動くのを熱心に見つめ続けた。――やがて永遠にも思えた食事の時間が唐突に終わりを告げれば、死の影が遠ざかった気配を食後の挨拶で確信してそうっと息を吐く。もう少しあの光を見ていたかったと望む気持ちが無かったとは言わないが、それ以上に燻る焦燥感がすぅと失われたことに確かな安堵を覚えた。光源を失った部屋でもつやりと輝く黒瞳に視線を合わせて、頼まれるまでもないことに綻ぶように微笑めば「勿論よ、わたくしの愛しい子。……でも一つだけ覚えていてね」とびきりの秘密を告げるように立てた人差し指を自らの唇へとあてがったかと思えば、人ひとり分ほど空いていた彼我の距離を音もなく詰め、まだ乾ききらぬ粘液に塗れることも厭わずに両の腕を彼の首に絡めて「――――わたくしはね? ひどい人は嫌いなの」ザアザア、ザアザアと。響く雨音に今にも掻き消されてしまいそうな囁き声を彼の耳元へ吹き込めば、するりと腕を解いて「さ、まずは身なりを整えましょうね。――背格好は似ているから、あの人の服が合うはずだわ」と何事もなかったかのように胸の前で両手を合わせて微笑みかけ)
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