蟲 2016-11-26 12:01:37 |
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>月夜
( 悟るのは春、求めるのは夏、誰でもよくなって秋、誰もいなくなるのが冬なのだと、決まっていると己は思う。何度も季節を繰り返してきた大人達は、気付かぬ内に上手い生き方を会得していく。それは固まった墨汁を捏ね回した様な黒海に、音も無く降り注ぐ白雪みたいに儚い欲の殺.し方。“本能だけじゃ人は死.ぬの。あたしは理性で生き残るのよ。”そう語ったのは誰であったか、あるいは何らかの本で読んだのかもしれない。ぺたりぺたりと吸い付くような素足の音が、冬の夜を静かに彩る。一人で住んでいるのかと聞かれれば、ああ、と短く視線も寄越さず返事をした。他に人がいたらお前を連れ回したりなんかしないさ、と内心思うも口に出すことはせず、自室の前でぴたりと立ち止まる。―――聞き辛いなら、咎められるまで黙っていれば良いのに。長い前髪に覆われた表情を窺い知る事は到底出来ない。紡がれる言葉のみで彼の心中を探ろうとして、すうっと目が細まっていくのを何処か他人事のように感じた。肯定されたがるのは、求められたがるのは自信の無さの表れだ。言葉を欲しがる子なのは十分に分かった。聞き辛いから中途半端に促して、びくびくしながら求められるのを待っている。突き放されたら死にたい位傷付くのだろう。だったら、咎められるまで黙っていれば良いのに。それでも、否定される恐れと求められる喜びとを量りにかけて、後者を選び取った承認欲求は中々のものである。もしくは、見限られた時に「わかっていたさ」と吐き捨てる為の予防線。その確認癖がどちらのせいであったとしても、盲目的な恋に落ちる女の様だ。そう思ったら、加虐心の強い己の中でむくむくと、この男を否定したい欲が生まれてしまう。理不尽な平手打ちでぞくりと渦巻き迸ったあの興奮は、他の何にも代えがたいのだ。…調子に乗るなよ、化け物が。そう言われて絶望に伏すこの子の顔が見てみたい。手放す気なんて少しもないけど、己の興奮の為だけにそう言い放ってしまいたい本能を理性で抑え込む。優しい表情を心掛けては、「…お前を追い出してしまう様な男に見えるのかな。頼んでも離してやらないから、そのつもりで、ぬくぬく閉じ籠っていたら良い。」等とつらつら告げた。返事を待たずに引き戸を開けると、「今日はここで眠ろう、入って。」と言いながら、真ん中に木机があって、端の方に服棚と畳まれた布団が置いてあるばかりの四方を本棚に囲まれた自室に足を踏み入れる。手拭いを持っていない方の手で器用に服棚を開け寝巻用の着流しを取り出すと、着替え兼手拭いを置きに行く為また彼を一人残して部屋を出た。 )
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