蟲 2016-11-26 12:01:37 |
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>月夜
( ―――死にたがり。人の形を取って数時間に満たないこの男を一言で表せと言われたら、その五文字を口にする事に己は全く躊躇いが無い。先程交わしたばかりの親不孝云々という会話を忘れてしまったとでも言うのか、冷たい床の上に伏せ自.殺失敗に小さく喘ぐ男を見下ろし呆れたように息を吐き。左腕に掛けていた手拭いと着流しを乱雑に放り投げ、膝の上で腕を組むようにしてしゃがみ込む。冷たい表情をしている自覚があった。憤りの様な、落胆の様な。それらが入り混じった感情が胸の内を渦巻いていて、静かに此方を見つめる彼の双眸を、暫く黙って見つめ返していた。顔色が悪い。それもそうか、冷水で汚れを落とせだなんて可哀想な事を言ったなと思い、冷たい表情はそのままに割れ物を扱うかの様な手つきで頬を撫で。血だらけだった口周りを入念洗ったのだろう、指先から伝わってくる痺れる様な冷たさに、くつくつと小さく笑いが込み上げて来て。世間を騒がせる化け物が、こうも従順だなんて誰が思うだろう。…可愛い、かわいいと思った。するすると頬を撫でる手に力を込める。ぐに、と容赦なく頬をつまんでは、はは、と笑って手を離す。死ぬ勇気のない死にたがりめ。明日を生きたかった罪無き猫に、申し訳無いと思わないのか。離した手の指先をパッと開いてゆっくり振りかぶってはパン、と小気味の良い音を立て頬を叩いた。…可愛い、かわいいと思った。痛かっただろうか。どうしても笑みを抑えきれない。―――そうして暫くにこにこにこにこと見下ろしてはふいに、何にもなかったかのようにぱっと立ち上がる。着流しと共にぐしゃりと床に伏した手拭いを拾い上げると、ぱさりと彼の顔に掛け「血液はね、水で洗えば落ちるんだよ。湯じゃ固まってしまって駄目なんだ、覚えておくと良い。早く着替えなさい。」等と言ってのけ。彼に背を向け洗面台に立つと、蛇口を捻り汚れた服を浸ける水を桶に溜め始めた。 )
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