カムパネルラ 2024-01-31 16:56:51 |
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>蠍座
女は自分が一体何者なのか、わからないのだ。何処で生まれ、何を糧に今まで生きていたのか。全てが霧に包まれ思い出せない。
するとこちらの異変に勘付いてか。蠍と名乗った男の鋭い視線が向けられる。ぞわぞわと。不安を掻き立てるような色彩を放つその声色に、固唾を飲み、膝上で綺麗に重ね合わせていた手を握る。動揺こそ表情には出ていないものの、内心では恐怖に駆られていた。だがその恐怖は、目前の彼へ抱いたものではない。
記憶を失くした己が怖いのだ。
女は彼の問いを噛み砕き、思案した。先程から目の端に煌めく星屑。車窓を埋め尽くす星の海が夢幻の光景を生み出す。まるで深海にでもいるような暗闇は不気味なほど美しい。確と瞳にその光景を焼き付けるも、この状況下では悪夢にさえ思えてしまえる。
親切とは言い難い印象の彼。女の目を通して見れば、全身より滲み出る邪悪な色。まるで、12色の絵の具を混ぜてぐちゃぐちゃにしたような…複雑に濁り切った色合いが、やはり信用できるはずもない。姿勢良く腰掛けたまま、女は口を開いた。
「…そんなことよりも、貴方のことをもっと教えて欲しいわ。カムパネルラとは何?どうして蠍なの?…いつから貴方は、ここで私が目を覚ますのを待っていたの?」
彼が最初にそうしたように。彼の問いに対し、答えることはなかった。女は記憶喪失を隠す事にした。信用できない内はそれが安全だと思ったのだ。話して仕舞えば、悪用されかねない。ましてや貴方のような、闇を煮詰めたような色彩の男は危険極まりないのだから。一度は伏せられた碧眼も、今では貴方を真っ直ぐに捉え、澄んだ色で見つめ返しては、つらつらと質問を投げかけた。
「…"死ぬ気でオレを見ろ"と。最初にそう言ったのだから、貴方のことを教えて欲しいわ。…死ぬ気でね。」
言われたその言葉通り、貴方だけに焦点を当てる。現に貴方のことが知りたいのも事実。情報もなく、他の客もいない今、やはり貴方に尋ねる他ない。とはいえ、投げ出されて仕舞えばそれまで。品定めするような貴方の視線の真意。女を玩具だと思っているのならそれを利用する他ない。目覚める気配もない悪夢。精巧な夢ならば堪能しなくては。目を覚ますその時まで、貴方にたくさん構ってもらわなくては。
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