匿名さん 2022-08-21 15:03:38 |
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(足音を立てる事さえ躊躇われた静謐な書庫は、声こそ聞こえてこないものの瞬く光に彩られて随分と賑やかに姿を変えて。絵本の中にしか見た事のない幻想的な情景に目を奪われる己とは対照的に、歯牙にも掛けぬ様子の主人がつまらなそうに鼻を鳴らすと、言外に問いへの答を得てつい綻びそうになる面貌を自制するように唇の両端をきゅっと固くし。その僅かな変化が平常より一層の高低差の生じた相手に見咎められた訳でもあるまいが、先の祝福の一言と厚遇を受けているかに思わせる精霊達の浮遊によって好意的な側面しか見えていない新顔へと先達の警告が与えられれば、しきりに周囲を見渡していた両眼も摯実な顔付きを伴ってそちらを向き。同じものが視認出来るようになったと言えど、それはただ像を結ぶだけの事。依然その怜悧な瞳が見通す未来も見てきた過去も真に窺い知る事は叶わなければ、話の内容を理解しているともしていないともつかぬ曖昧な面様を湛え。主人の予見する受難――それは、孤児院を抜け出して赴いた夜市で、里親に引き取られたはずの兄弟が鎖に繋がれているのを目にした時よりグロテスクな光景だろうか。それは、所々に傷の目立つ彼の助けを求める眼差しに凍り付く事しかできなかった咎以上に心を失わせるものだろうか。慟哭し、恐怖し、やがて諦念を積み上げた人格形成の根幹を成す記憶が頭を過ると、地に張り付いて泡ぶくのように消えて行く澱みへと視線を動かし。そこから目を上げると共に椅子から立ち上がって発した従服は、あの日以来戻らない全うな自己愛のためでなく、主人の手を煩わせないという初めに言い付けられた命を遵守するためのもので)
……はい。ご指示の通りに。
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