匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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────……!?
(切実な祈りを込めてのなりふり構わぬ威迫のほどは、無謀がちな恋人にどれほど届いたことだろう。それをしかと確かめるべく、相手の顔に目を凝らし──だからこそ、反応が遅れた。その暖かな指先が、己の頬を労わるように慰撫することを許すまで。……こちらを見つめる翡翠の瞳が、怯えでも、反発でもなく、深い深い慈愛の光を湛えていると気付くまで。
根が生えたような硬直は、実に数秒間ほども晒していたに違いない。いきりたっていたはずの呼吸すら完全に静止して、その不自然さに自覚のないまま見つめ返していた矢先。突然まじないが解けたように反射的に顔を逸らすと、掴んでいた両手を力の抜けるように下ろして、我に返ろうとするかの如く浅い息を繰り返す。何故そんな顔をしている──もしや伝わっていないのか、いやちがう、彼女はきちんと理解している、だがしかし今見据えているのは、全く別の……ならばどういう、なぜ俺を見てそれを、第一どういうわけなのだ、どうすれば良いのかなんて、俺の方こそ──ずっと、毎晩。大好きで仕方ない、最近まったく伝わってないだなんて、伝わるも何も、こちらから言うまでもなく、相手のほうこそ家を出て遠ざかっていたはずだ。愛想を尽かしていたはずだ、遂に現実に立ち戻らせてしまったはずだ。愛想を──そうだ、俺は──目を大きく瞠る──約束を、また、守らなかった。)
──……ちがう。
ちが、うんだ……
(思わず口から零れ出たのは、情けないほどの震え声。この瞬間、魔剣使いのギデオン・ノースは、その見る影もないほどに弱々しく成り果てた。──かろうじて触れていた手をとうとう離し、軽く半歩ほど後ずさりながら、魔素切れで揺れる街灯を背に、昏い翳りに逃げる顔。そのくせ尚も口走るのだ、「おまえがどこにいるのか、無事なのかを確かめたかった、それだけで……」「お前の言うことを──違う、約束を破るつもりは」と。どこを見るでもないはずなのに激しく揺れる目の動き、どんどん凍り付くように強張っていく己の躰。脳裏ではこの決定的な醜態を自覚出来ているはずで、故にけたたましい警鐘がガンガン鳴り響いていながらも、異常を来たす思考回路は恐ろしいほどの無音となって、意識をどんどん巻き込んでいく。──柔らかな愛情で包まれれば包まれるほど、それに己に見合わぬことが浮き彫りにされていくようで、恐ろしくなっていく。
蘇るあの日の記憶、あんなに愛してくれたはずが二度と会えなくなった母。渇望した罰として齢七つの骨身を鞭打つ、真冬の原野のあの寒さ。大事なひととの約束は、それがどんなものであっても、決して、二度と破るまいと胸に誓っていたはずだ──忘れていたわけじゃない。だがどうして、ずっとずっと後に出会った相手の愛情に溺れるうちにだらしなく緩んでいたのか。ならばどうか、今度は決して緩まぬように己を律してみせるから。だからほんの一縷だけでも、それすら烏滸がましかったとしても。
それまで、きっと長いこと相手の働きかけがわからず迷走していた双眸が、ようやく再び相手をみとめる。そしてその瞬間、相手の瞳を見つめた瞬間、一歩その場から踏み出したのは、ほとんど捨て身にも近い、ギデオンなりの決死の勇気。己よりずっと年下の恋人に、こちらを見上げるそのかんばせに、再び上から近づくと。ほんのかすか、去年の今よりもまだずっと浅い距離感で、おずおずと屈みこんでは、絞り出すような、小さな、小さな掠れ声で、相手の慈悲に嘆願し。)
……頼む。一度、だけで、いい……やり直しをさせてくれ。
今度は、ちゃんと……うまく……やるから……
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