匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
通報 |
(どこか恥ずかしそうに誤魔化す相手の様子に、若干首を傾げたものの。彼女のトレードマークと言ってもいい明るい笑顔が目の前で咲くのを眺めては、内心ほっと胸を撫で下ろした自分がいる。だからそのあとに続く茶目っ気たっぷりの誘惑にも、「おおかた、俺が無茶をしないか監視するためにつけられただけだろ」と、事実半ばの捻くれた返事を、それでもギデオンにしてはやや砕けた声音で返すことにして。そうして袖をまくった右腕を出し、いつもと変わらぬ治療行為に入るはずだった。相手がこちらをまっすぐ見つめ、真剣な声で誘いを告げてくるまでは。ギデオンの視線も動きも、呼吸さえもがしばし静止し、彼女の細い指先を押し当てられた脈だけが、一瞬不自然にゆっくりになって。患者とヒーラー、男と女が互いをまっすぐ見つめあうなか、白いカーテン越しに夏の日差しが降り注ぐ診察室には静かな緊張感が走り、外で響く鳥の声がいっそ場違いなほどにのどかだ。……建国祭最終夜の花火にまつわるジンクスは、どんなに鈍い人間でも聞き知る程に有名である。その誘いを受けるというのは、つまりはそういうことを意味する。受けられない、受けるべきではない、と頭の中で反射的な拒絶が下される一方、口からは相手に告げるべき台詞が出てこずに、ただ青い瞳がかすかに揺れて。──ふと脳裏に蘇るのは、キングストンへの帰還後、旧交を温めようとカトブレパス料理を囲んだときに、レオンツィオから言われた言葉だった。『本当に面倒ってんなら、もっとはっきりフってやれよ。なぜわざわざ彼女のアプローチに甘んじてるんだ?』……なぜ。なぜ? そんなものはわかりきっている、単に……仕事に差し障りのないようにするためだ。若手の中でも飛び抜けて頭角を表すヴィヴィアンとは、何だかんだバディを組む縁が多い。その過程で相手のことを信頼し、仕事仲間として好ましく感じ、これから先も何度か手を借りたいとすら思うようになっている。そんな相手との間に波風を立ててしまえば、いずれ困るのはギデオン自身。そしてそれだけの理由でもない。先月以来、肩の魔法創を定期的に治癒してもらっている身、かかりつけ医としての彼女に大きな恩義を感じてもいるのだ。そんな相手からの好意を、無碍にするなど。だから今まで許してきた状況は、自分なりの妥協であって。──だが、今回はそんな後ろめたい言い訳が通りそうにもないとわかってしまう。相手の、いつもどおりの猛進のように見えて、その実精一杯の勇気を振り絞っている胸の内は、脈をとるため触れ合っている彼女の指先の震えから、これ以上ないほどじかに伝わってくる。だからこそ、いつものような卑怯な断り方を選べずに。己の腕を引くことはしないまま、躊躇うように目を伏せ。「……ほかに、友達でもなんでも、いくらでもいるだろう」と落とされた声に滲むのは、拒絶ではなく、強い迷いで。)
トピック検索 |