匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(先ほどあんなに大胆な誘惑をけしかけてきた娘と、本当に同一人物なのだろうか。思わずそう首を傾げるほど純な赤面を見せた相手が、それでも言い募るように隣で絞り出した、小さな小さな声。本当にか細いものだから切れ切れにしか聞こえなかったが、刹那静止した視線を(……ん?)と向ける程度には、さしもの朴念仁でも、彼女の言わんとしたことがうっすらと感じ取れて。果たして当の相手はといえば、俯きながらも途端に足を速め、目的地を元気よく指し示す様子。その不自然さが余計に、己の胸中で声高に主張する聞き間違いの可能性を消し去り、確信をもたらすはずだったが。いや、もう資料館に着くのだ、今は依頼のためにこんな些事など忘れるべきだろう、と。「空いているといいな」だなんて、普通の応対に舵を切って無理やり押し流すことにした。……揺らぐことを、避けた。真剣さに本当に気がついてしまうのを、無意識に恐れていた。)
……金を、産む……。
(そんなさざ波から数分が経った頃。相手がふと口にした言葉を鸚鵡返しに繰り返しながら、頭の片隅で閃いたものにゆっくりと目を瞠り、思わず顔を見合わせる。消える人々、出どころの不明な金、この地に伝わる謎の黄金、まさか。先ほど手に取ったリーフレットの館内情報に目を走らせ、「悪い、エウボイア号は一旦後回しだ。一緒に来てくれ」そう頼むと、踵を返し資料館の入口へ。歯のないしわくちゃの老婆が受付を担うそこに着けば、彼女に一言、「地下の保存書庫を拝見させてほしい」と申し入れを。老婆は細めた目でギデオンを見、次いで(普段から胸元を軽くくつろげている)ヴィヴィアンを見。もう一度ギデオンを、今度は露骨に、ありありと、あからさまに、若干呆れすら感じさせる目で上から下まで眺め倒すという妙な一幕を経たものの、黙って記帳をすすめた。老衰ゆえかぷるぷる震えながらの歩行で通されたその地下の一室は、若干埃っぽいものの広々としており、上階以上にひんやりと冷え込んでいる。「グランポート民話で、蛇かドラゴンが出てくるものを探してほしい」相手にそう告げながら自分は書架の間を抜け、流刑地時代の記録を探し出そうと、油紙にくるまれて保管された古書の数々を調べはじめ。
──ファーヴニル、という大蛇、あるいはドラゴンの伝説がある。神話の時代、ある三兄弟のうちの次男が海鳥に化けて飛んでいたところ、神々に捕まり殺されてしまった。神々はそうとは知らずに、宿を経営していた三兄弟の父親にその日の宿を求めたため、怒った父親は神々に賠償金を請求する。困り果てた神々は、とあるドワーフから黄金を生む指輪を奪うことにするが、不当に感じたドワーフは、嵌めた主と同化して不幸に陥れる呪いを、盗み出されるときにかけた。やがて神々の手から父親のもとへ、黄金を生む指輪が差し出されることになるが、ここで三兄弟の長男、ファーヴニルが欲を出し、父親を殺してまで指輪を奪い取る。指輪を嵌めた瞬間、ファーヴニルは呪われ、大蛇あるいはドラゴンに変身してしまった。黄金を産み出せる代わりに人の理を外れた身の上を嘆くファーヴニルは、解呪して人に戻るべく、人を攫ってはその魂を貪り喰う怪物に成り下がる。しかし最後には、唯一人として生き残っていた末の弟に心臓を焼かれて弱まり、孤島に閉じ込められた……というのが、ファーヴニル伝説のあらましだ。
本来はグランポートに限らず各地に伝わる物語だが、次第に広まり派生していくのは、伝承の持つさがだろう。もしこれが、事実であったとしたら。流刑地として選ばれた島で、罪人たちがファーヴニルを見つけたのではないか。そのことに、現代になって気づいた者がいるのではないか。調べ始めて数時間、その見当は思わぬところで確かさを増すことになった。開拓時代、流刑者を島に送り届けていた最後の刑吏の名が──ファビアン・レイケルと記されていたのだ。)
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