匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(ぱふ、と口を塞がれた途端。暗い欲の火が点いていたギデオンの青い瞳は、靄がみるみる晴れていくように、澄んだ明るさを取り戻す。そうして、戸惑ったようにぱしぱしと瞬きながら、もう一度相手を見つめ直せば──可哀そうに、ヴィヴィアンの真っ赤な顔は、明らかに酷いショックを受けていて。触れている体もゴルゴンに睨まれたように強張り、あのゆったりとした安心感、ギデオンへの全幅の信頼感が、どこかに引っ込んでしまっている。挙句、集合の呼び声とほとんど同時に絞り出されたその声は、決して甘やかなお預けなどには聞こえず。寧ろ、怖くて蹲るような……問題を先送りするような……それでもこちらを想って無理に背伸びするような──か細く震える、痛々しいもので。
──ギデオンの理性が、急速にその本来の冷たさを取り戻し。かえって己の肝を、突き落とすように冷やしていく。……いったい何故、忘れていたのか。マリアが言っていたではないか、彼女は男とのそういった行為にトラウマがあるようだと。『その……、私、あんまり "こういうこと"……に、いい思い出がなくて……』。去年の冬、彼女自身も、目を潤ませながらそう打ち明けてくれていた。だというのに、自分は何を……ヴィヴィアンに何を。──そう、結局のところ、このひと月の親密な戯れで、すっかり油断や誤解をしていたのは、ギデオンもまた同じ。相棒関係になって一年、恋人同士として同棲を始めて一カ月。ほんのそこらの浅さの関係で、互いの人生経験の違いがそう簡単に擦り合わせられるなど……傲慢甚だしい思い上がりだったのだ。)
……、悪い。怖がらせるつもりじゃなかった……本当にすまない。
(ギデオンの身体から、男の仄暗い獣性も、恋人を傷つけた恐怖による強張りも、一度すうっと抜け落ちて。自然に俯いてから再び面を緩く上げれば、そこにはいつものギデオンが……このひと月彼女と親密に接してきた、温かな、絶対に安心できる恋人として求められていた時の顔が、取り戻されているだろう。彼女の竦んだエメラルドを優しく覗き込み、集合の声を少し無視してでも、相手の熱い頬に柔らかく手を添えて、潤んだ目元を拭う素振りをしてみせたのは。ここを決して間違ってはいけない、軽く見てはいけないと、強く直感していたからだ。)
……俺は、おまえが大事だ。無理はしなくていい……別に、変に諦めるわけじゃない。
このことはちゃんと……後で、ゆっくり話をしよう。
(──本来なら、後日と言わず今ここで、きちんと話し合いたいのだが、状況のせいでそうもいかない。だから兎に角、相手の拒絶にがっかりしたりなどしていないこと、寧ろきちんとヴィヴィアンの気持ちを待って臨みたいこと、それよりも前に、もっと大切な部分を確かめあいたいことなどを、最低限伝えれば。「おふたりさーん、」と聞こえてきた声に、一度そちらをもどかしげに振り返ってから、やむを得ず、相手に手を貸しながら立ち上がり。合流する道すがら、相手の手を軽く握り込み、自分の心は相手とともにあることを、無言でもう一度念押しする慎重ぶりで。──はたして、人だかりのすぐそばまで行けば。ベンチで休んでいたエリザベスが(隣には当然かつ番犬のようにバルガスが控えていた)、何を感じたかこちらを振り向き。ヴィヴィアンの様子を見て訝し気に眉を顰めたかと思うと、彼女とずっと過ごしていたギデオンのほうに、疑念顕わな目を向けてきた。それを臆さずまっすぐに受け止め、寧ろ意図を込めた視線を送り返せば。──その頼み込むようなまなざしを、聡明な彼女はきちんと読み取ったのだろう。ただでさえ冷めている瞳が、明らかに数段階冷え込んだかと思えば。すい、とギデオンから逸らした顔は、もうヴィヴィアンにのみその意識を向けており。「──女子の馬車は先に発つようです、行きましょう」と、ごく自然に彼女を引き取り、もとい……ギデオンから離したのだった。)
(──2日目の晩餐も、グランポート市の厚意による温かなご馳走が供された。初日の夜のご当地名物フルコースとは違い、今日は温かな郷土料理が中心。昔ながらの鍋や煮物を皆でつついて楽しんで、控えめながら酒盛りもして。それが終われば、各々のコテージに引き上げ、明日に向けての就寝準備だ(とはいえ、ギルマスやジャスパー、ギデオンなどの引率組が宿泊する中央の大コテージは、夜半まで明かりが点いているのだろう)。
総勢40人の合宿参加者の中で、女子の割合は三分の一。よって、ベッドが8つあるコテージが2棟割り当てられているものの、片方のコテージは、実質的にはその半数しか使われない。──それを良いことに、自分の彼氏なり、良い雰囲気になった相手なりを連れ込む、お盛んな娘たちがいるらしく。カレトヴルッフの前代三人娘こと、フリーダ、リッリ、エスメラルダの独身三十路冒険者たちが、妹分たるヴィヴィアンらの棟に転がり込んできたのは、表向きはまあ、そういった事情によるもので。
「開けろ、キングストン市警だー!」と豪快に笑う女槍使いエスメラルダは、既に片手に酒瓶を掲げ、ご機嫌の酔いどれっぷり。乱暴にドアを叩かれたことで出迎えたエリザベスは、「ここに被疑者はおりません」と、きっぱり冷ややかに締め出そうとしたのだが。「まあまあ、昨夜は一応早寝しよっかってなってできなかったしさ。せっかくだから女子会しようよ??」と、ちゃっかりフット・イン・ザ・ドアをかましてくるのが、女魔法使いフリーダ。「ごめんねぇ、このふたり言いだしたら聞かなくて……」と、ふたりの後ろで申し訳なさそうに、その実したたかに上目遣いで頼み込んでくるのが、女精霊使いリッリ──いずれも、業績の上でも同世代の男たちに引けを取らず、実際プライベートでも男に「あ?」と返して見せる、手練れの先輩方である。ため息をついたエリザベスが仕方なく中に引き入れれば、先輩方はずかずかと中に入り込み、さっそく実家のような寛ぎっぷりを発揮し始め。「なんだ、カティもう寝てんじゃん! 起きろよ! あんなんじゃ飲み足りないだろうがよー!」と、エスメラルダがベッドでぼんぼん飛び跳ねて起こしにかかるものの、腹を出したままいびきをかいているカトリーヌは、それこそゴーレムが降ってこない限り起きないような爆睡っぷりだ。他にこのコテージに居るのは、ヴィヴィアンとアリアのふたり。他にも4人ほど同室の娘がいるはずなのだが、彼女らは宵闇に紛れて逢引に走っている頃だ──まったくトランフォード人らしくて結構なことである。とにかく、カトリーヌが健やかに寝ている今、先輩方の言う“女子会”とやらは、前代・現役のカレトヴルッフ三人娘が、ごろごろできるラグの上で仲良く向き合う形となり。ジャスパーを操……誉めそやすことで上手いことつまみをせしめてきたフリーダが、レモラのちちこ(心臓を甘辛いタレで煮込んだもので、なかなかの高級品なのだという)を嗜みながらヴィヴィアンに水を向けたのは、ごくごく自然な流れでのことで。)
──それで、ビビちゃん。アイツとはどうなの? どのくらいいってるの??
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