匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(激変していく周囲の光景、びりびり高まる魔素の圧。それらに一瞬気を取られたアーロンが、はっと振り向いたときには遅く。火の粉と土煙をぎゅんと切って、一筋の黒髪がアーロンの喉元に迫る。咄嗟に仰け反るも──間に合わない。触手のようにびったり巻き付かれ、ぎりぎりと捩じ上げられれば、藻掻くアーロンの爪先は、宙に虚しく浮くばかり。ヘレナの首輪を発動させようにも、とっくに見越されていたようで、横から伸びた第二第三の髪束に、両手をがっちりと絡めとられた。──小指一本も動かせない。
雁字搦めにされてしまったアーロンは、ヘレナが陶然と愛を囁く目の前で、がっ、アッ……と、血泡を吹いて痙攣する。同じ悪魔同士だからこそ、物理干渉がまともに働くのだ。いっそ首を捩じ切ってくれれば、すぐに身動きが取れずとも、まだ勝機があろうものを。反撃の手を封じ、全身の魔素の流れを絶つ──最も効果的な追い込み方を、この女もわかっている。今ここで、威しではなく本気で、アーロンを殺すつもりだ。
……しかし、ここまで直接追い込まれて尚。意識が遠のくアーロンの、昏くなる目に浮かぶのは、目の前で妖艶に笑う、いかれた女悪魔ではなく。いつも気怠げにすかして、そのくせ自分といる時はくしゃくしゃに笑ってくれる、あの友人の横顔だった。13年ぶりに拝んだつらは、随分枯れて、草臥れてはいたけれど……あの目元の笑い方が、全く変わらないままで。それだけでアーロンは救われた──本当に救われていたのだ、けれど。締め上げられた首をだらりと垂れて、動かなくなったアーロンの脳裏に。ふと、ひとつの情景が浮かぶ。すべてが終わって、森の焼け跡に戻ってくるギデオン。周囲を探すその顔に、次第に不安、そして恐れが浮かんでは、やがてどんよりと暗い諦めに呑まれていく。──ところ変わって、病院で。肝心のあの娘、憎からず思い合っているのだろうあのヒーラーが、ようやく目を覚まし。見舞いに来たギデオンを、迎え入れてくれたというのに。……ギデオンの顔は、最初だけ喜んだかと思えば、あとはずっと暗いまま。ベッド横の椅子に力なく座り、うなだれた状態でぽつぽつと、あの娘に報告をしているようだ。目を瞠ったあの娘が、やがてギデオンの頭を抱き寄せて慰めるのに。奴の目はいつまでも、後悔と罪悪感に沈んだまま、そこから浮かび上がれない。再び場面が変わり、ギデオンとあの娘が、眠る子どもたちの病室を訪れる光景が見える。やがてそう時を経ずに、ギデオンがあの娘と話して……泣いて拒む彼女を、そこにひとりで置いていく。ひとりで……どこかへ消えていく。
それが再起の瞬間だった。ほとんど死んでいた筈のアーロンの身体が、突然ビクンと激しくのたうち。俯いていたその顔が、がっと奇怪に持ち上がって──先ほどまでとは違う、複眼や複口すら生じた異形のそれを、ヘレナの眼前に曝け出す。突然、左肩を突き破るようにして第三の腕を生えたかと思えば、その指がばちん、とトリガーを鳴らし、ヘレナの首輪の懲罰魔法を強く発動させるだろう。そうして、黒髪の拘束を緩めさせることに成功できたなら。激しく逆巻く炎を背に、ゆらりとヘレナに向き直り。拒絶の言葉を吐きながら、首を刈るべく一足で距離を詰め。)
安心しろよ。そこまでしなくたって、手の内で大事に飼い殺しにしてやる。
おまえはそこから、僕やギデオンやあの子の未来を──何もできずに見ていればいい!
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