匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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──……ヘレナ……
(目の前の、後頭部から膝裏までがほとんど焼け落ちた女悪魔を振り返り。アーロンはただ呆然と、思わず相手の名を呼んだ。思えばそれは、彼女の支配下にあった間は、決して自分の意志ではしなかった行為で。さらさらと朽ちゆくヘレナの、金に戻った大きな瞳が、一瞬大きく見開かれた後、少女のように柔らかく潤む。彼女はただ一度、無事に残っていた片手を、アーロンに向けて弱々しく差し伸べた。彼がその手を静かにとれば、パチッ、と紫電が光るとともに、堅かった何かが解かれる。──眷属の繋がりだ。主たるヘレナが現世から欠け落ちれば、配下のアーロンもつられて消滅することになる。それを防ぐため、アーロンを解放することにしたらしい。……今更、何を。荒れ狂っていた先ほどまでは、心中しようとしていた癖に。
最早ヘレナは目を閉じて、ほとんど意識を失っている状態だ。膝が砕け散るそのままに、荒れた地底へ崩れ落ち。今となっては、仮面のようになった顔面しか残っていない。しかしそれでも、今も尚。譫言のように、初めて聞くような優しい声で、好き、大好き……と唇を震わせている。
──眷属化が解けた今、アーロンはこれを、何とも思わず踏みつぶすこともできた。それはそうだ、元々愛せもしない娘に、何年も何年も拷問されつづけてきたのだから。今だって、虐げられていた13年間の苦痛を思い返さないわけではない。……それでも。アーロンはヘレナのそばに屈みこみ、黒い爪で彼女の頬を撫でながら、何かの呪いを呟きはじめた。今や己はほとんど悪魔、人の身にはもう戻れない。その責任をとらせなければ。悪魔の呪いを幾度も受け、それに詳しい身となったからこそ知っている。──13年前の罪を贖うには、彼女の生存が必要だ。)
*
(──いわゆる“逆呪い”を、アーロンがヘレナにかける、その少し前。何者かに抱きしめられたギデオンは、思いがけない優しい温もりに、何かを思い出そうとしていた。この感覚、いつか……どこかで。朦朧とする意識の奥から、ふと潮騒の音が聞こえてきて、その答えが自然と定まる。……そうだ、あれは。いつぞやの孤島の浜辺でも、駆けつけてくれた誰かに、こうして命を救われた。“彼女”だ……きっと、彼女だ。それなら、そうだ、今回も。──約1年前のその時同様に、ありったけの祝福を、貪るように取り込む。何度も何度も迎え入れた経験のある聖らかな魔素が、途端に全てを癒していく。指先まで血が通い、顔に生気が取り戻される。──再び、ヴィヴィアンの手で蘇る。
引いていく眩さのなか、ギデオンはようやくその瞼を震わせた。しかし、薄青い目が間近に見たのは、ヒーラー娘、ヴィヴィアンの……うっとりと安堵した、けれども死相の滲む顔で。暗く翳っていくエメラルドの瞳を、一瞬唖然と見つめると。彼女ががくり、と倒れ伏すのと反対に、思わずその身を置きあがらせ、凍りついた顔で見下ろす。有り得ないほどどす黒い肌だ……そして魔法に疎い自分でもわかる、何か致命的な状態に陥っている。──反対に、己の有り様は何だ。胸の出血が止まっている、呼吸も問題ない。何故こんなに早く癒えた、決まっている……ヴィヴィアンの治癒魔法だ! こんな重体で、それでもその力のありったけを、己に注いでくれたのだ。それが意味するところに、ぞっと凍りつきながら。彼女の薄い肩を小さく揺さぶり、思わず喉を詰まらせながら、必死な声で呼びかけて。)
……ッ──ヴィヴィアン、ヴィヴィアン……!
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