匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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っく、くくっ……。悪かった、謝るから……謝るから許してくれ。
(二つの意味で湯気を立てながら猛抗議するヴィヴィアンの前で、当のギデオンはと言えば、大理石の欄干に気障にもたれかかりつつ、これまでにない腹の底からの大笑いを、それはもう懸命にこらえている有様だった。いやはや本当に、これほど愉快な気分になるのはいつぶりのことだろうか。仮にも潜入捜査中、尚且つここは優雅さの求められる社交界ということで、人混みから離れたテラスにいるとはいえど一応人目に気を遣い、拳を口に当てながら全身を震わせるだけに頑張って留めているのを、彼女にも褒めてもらいたい。猫じみた軽いパンチの嵐は、相手の優しさが込められているにせよ、そのあまりにも低い威力がかえっていじらしさを掻き立てる。本人はこちらを怒っているつもりでもまるで逆効果にしかならないのだと、はたしてわかっているのだろうか。そんなヴィヴィアンの必死な台詞も、真っ赤に恥じらう表情も、本当にどれもこれもが可笑しくて──それ以上の、もっと深い感情すら、否応なしに抱かせて。未だ明確な言葉にならずとも胸に広がる、この特別な温かさ。それをわざわざ打ち消そうとする考えなど、もはや思い浮かびもしなかった。)
(そうしてささやかなガス抜きを終えると、ギデオンもまた星空を振り仰ぎ、今宵の目的に話を戻す。ヴィヴィアンの(誰の目にもまったくもって演技とは思えない)恥じらいの甲斐あって、大いに浮き立った御令嬢たちは、まじないについての話を口々に教えてくれた。その方法の傾向………酷く歪で型破りな材料の組み合わせ方はやはり、ふたりでここ数週間解析しまくった数々の呪具と全く同じそれだった。そして彼女たちの言う「美しい貴公子」は、中流貴族の御婦人たちの前にだけ現れたそうだ。おそらくそこから口づてに広まって、男爵家のような末端の娘も知るところとなったのだろう。流行りというものに一際敏感な性質を持ち、尚且つ様々な愛憎渦巻く社交界では、例のまじないはより一層脅威をもたらすであろうことが想像に難くない。相手同様、被害の拡大を思うと頭が痛くなり、憂鬱な相槌を返さずにはいられないが、それでも確実に、黒幕に一歩近づけたのは事実。次に話を聞き込むべきは、中流貴族の女性たちだ。そして──それを可能とする絶好の機会は、今まさに、目の前の華やかなダンスホールの中に。)
……エドワードたちも、まだ“挨拶”に向かえないみたいだしな。
先にふたりで楽しんでおくことにしよう。
(相手の言葉にそちらを向いてから、一度片耳に手をやり、装着しているイヤーカフスがちゃんと機能していることを確認する。本来なら、最初の連絡が聞こえてきてもいい頃だ──ギデオンとヴィヴィアンも、それを思って一旦喧騒を離れたのだから。とはいえ、ホール内で姿を見かけてはいるから、何か緊急事態が起こったということはなく、予定が少し遅れているだけのことだろう。リーダーからの連絡の待機がてら、ホールの参加客の様子を確かめておき、脳内に記憶した情報と照らし合わせて聴取対象をより精密に絞るのも悪くない。──たとえ自分や相手にパートナーがいても、社交場のマナーさえ守れば、複数の相手と次々に踊れるのが舞踏会という催し。それを利用して聞き込みを行う為にも、まずは最初の一曲を、自分の婚約者と踊っておくことが必要となる。そんな計算をしていたものの、相手の方に再び向けば、その色鮮やかなグリーンの瞳が純真無垢に輝いているのに気づき、思わず困ったように苦笑して。頷いたそのままに相手の白い手をそっと取り、再び煌びやかな室内へ戻ると、傍目にはいかにも仲睦まじく寄り添いながら、一曲目の終了を待つこと暫し。踊り手が入れ替わるタイミングになれば、静かにホールへ進み出て、所定の位置のうち比較的に目立ちにくいポジションへ。まずは周囲の観客に、それからパートナーであるリリーに優雅な一礼。それから彼女と片手を絡め、残る他方はそのほっそりした背中に回し──初めて素肌のそこに触れた動揺は、仕事に備えての集中を胸に銘じることで速やかに押し流す。自然と近くなる距離感に彼女の熱を感じ、密かに息を押し殺しながら、耳を打つのはほんの一瞬の静寂。──やがて、ポロポロと煌びやかなハープのカデンツァを前置きに、弦やホルンの合奏で主部が織り上げられていく“花のワルツ”が流れ出せば、優雅なステップを相手と共に踏み出して。)
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