匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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違っ……別に、昔の……話で……
(相手の甲高い非難を聞きつけてバッと顔を上げるも、何やら様子の変わった相手を見ながら喉から絞り出したのは、情けないほど苦しい言い訳。身に覚えがある以上、“遊んでいた”こと自体は決して否定できない事実だ。とはいえ昔はそのことを、どの女にも隠していなかった、むしろ隠すつもりすらなかった。それが今は、ヴィヴィアン相手となるとまるで事情が違うわけで──そしてできれば、というか絶対に、耳に入れたくない話であって。そんな苦悶のギデオンをよそに、災厄の女アイリーンは、「『他所で遊ばない』って……は? だれが言ったの? こいつ? ──ご冗談でしょ!?」なんて、片腕全部を使って思いきりギデオンを指差し、大げさに叫ぶ始末。信じられないと言わんばかりの失礼極まりない表情も、首をこてんと傾げた相手を見るなり「あらやだ何この子可愛い優勝」とまた別の驚愕に染まる、途端に物凄く嫌な予感がする。「おい、待て、」と止めようとしたが、アイリーンはろくにこちらの顔も見ぬまま、掌だけを妙にキレのある速さで突き出し、“いいからあんたはすっこんでて”のジェスチャーを。彼女自身もカウンターに肘をついて頬杖を突き、ダイヤモンドもかくやというほどのキラッキラした笑顔を浮かべれば、「んーん、うちには多分一回も来てないよ! こいつがよく女連れ込んでたのは『エデンの林檎』ってところかな、アメニティが超リッチだからうちなんかよりよっぽどおすすめ。あれもちゃんと箱ごと置いてくれてるし、ローションもいい匂いだし、あとルームサービスの飲むチョコレートがすっごく美味しくて実用的で──」……いっそ露骨な、明らかに実体験込みとわかる会話、それも何やらヴィヴィアンの役に立つだろうと考えて伝授しているらしいトークを繰り広げられ、傍らで制止を食らい続けていたギデオンはふらっと気が遠くなりそうな顔をする。……これだから、こいつを一目見た瞬間凍りついていたのだ。関わり始めた15年前にはその美貌でやたら持て囃されていたが、ギデオンに言わせれば、アイリーンは口から先に生まれてきたような女で、空気の読めない馬鹿である。しかも馬鹿の発揮どころがどれも妙にクリティカルヒットで、何故かこいつが喋るだけで酒場が修羅場に代わったり、巨額横領事件の真犯人が見つかったり、ひとつの政権が派手な泥沼の末同士討ちしながら崩壊したりしたものだ。しかし生憎アイリーン本人には、諸悪の根源たる自覚が全くない。体の相性と素の性格──情交の後、煙草に火をつける小一時間だけは人が変わったように寡黙で賢くなる妙な一面──の相性さえなければ、ギデオンとて関わろうとしなかっただろう。そういう、ある種の凶星のもとに生まれついた女なのだ。関係が穏やかに自然消滅した当時、「そういや俺は何ともならなかったな」なんて大いに油断していたものだが、まさか数年越しに、ギデオンの人生に新しく現れたヴィヴィアンとの関係にしっかり楔を打ち込むなどとは思いもよらない。今もまだ、「頼むからもうやめてくれ」と横から何度も言い続けているのだが、まさしく水を得た魚のアイリーンはむしろわざと聞く耳を持たず、身振り手振りでギデオンを巧みに追いやりながら喋り倒す有様で。「──だからね、こいつが好きで手を出すのはいつだってフリーのビッチばっかだったわけ、あたし含めて一人残らず。それがいったいどういう風の吹き回し? あなた見たところ良いおうちのお嬢さんでしょ? 確かに髪も目も顔も胸もこいつの好みドンピシャだけど──え、ちょっと、まさかもうしっぽりなんて言わないでよ。四十近くにもなってこんないい子誑かしてるなんて、無責任畜生ドクズもいいとこじゃないの! そしたらあたしこの世の女の平和の為にこいつの始末も辞さないんだからね、あなたが泣いてもそれだけは譲れない、可愛い子の明るい未来を守るためにお姉さん戦うんだから。それはそうと、ふたりはどういうご関係なわけさあ吐いて。全部、全部よ、全部全部吐いて!!」──要は、そこが聞きたかったらしい。大興奮ではしゃぐアイリーンの頭にようやく横から手を伸ばし、髪をぐしゃぐしゃぐしゃっとかき回して「ぐえっ」と離脱させるのに成功すると、疲れ切った表情でヴィヴィアンに向き直る。精も根も尽き果てて、もはや顔を見るのが恐ろしいどころではない。二十歳になる前から当時の親友と連れだって女を漁りまくっていたことも、爛れた関係の相手はアイリーン以外にたくさんいたことも、三十路手前になるころからここらの娼館に通い詰めるようになったことも、あらかた凄まじい勢いで暴露されてしまった。だが真面目に、こんな場合ではないはずである。そう、ギデオンもヴィヴィアンも本来は冒険者としての崇高なる使命感から聞き込みにやって来たはずで、なにもくだらない与太話を興じに来たのではないはずだ。「ああもう最ッ悪、だからあんたモテないのよ!」と捨て鉢な台詞を吐いて髪を整えるアイリーンをよそに、疲労がありありと滲む声でようやく口を挟むと、追って懇願するようなまなざしを向けるほど、その憔悴ぶりは相当もので。)
……こいつに喋らせ続けたら、千年後だってひとりでぺちゃくちゃ囀ってるぞ。そろそろ仕事の……まじないの件の話をしよう、他はどうだっていい、そうだろ。な……?
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