匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(相手が示した住所までの道程は、やはり勝手知ったるものだった。そこ自体を利用していたわけではないが、5ブロックほど離れた位置にある老舗の『クラブ・リリス』の方に、三年ほど前まで世話になっていたからだ。しかし、あまりはっきりリードしては悪目立ちするだろうからと、如何にも熟練戦士らしく、所属ギルドのある市の地図くらい端々までしっかり頭に入れているというふりを。「こっちじゃないか」「たぶんこの小路だろう」などと、いけしゃあしゃあと抜かしながら並んで歩くこと暫し。辿り着いたのは小綺麗な旅籠、つい最近も改装を重ねたばかりらしい。明け透けな看板やそこに書かれた料金表は目にも留めず、平然と中に入るが、そこでふと、隣から漂う落ち着かない気配を振り返る。最初こそ物珍しそうに周囲を一瞥していた娘は、何やらはっとしたかと思えば、次の瞬間首まで赤く染めながらわたわたしはじめる始末。──ああ、あのとき泊まった宿の実態に今更気づいたな、なんて。付き合いの長さゆえの気づきから、口の端を歪めつつ生温い視線を送れば。あれだけ“役得”を堪能していたにもかかわらず振り腕をほどく相手の逃亡を、何ら引き留めることはなく。たださらりと、涼しい顔で追い討ちをかけることにして。)
そうだな、ちゃんと二部屋空いてるか確認してみよう。
(──しかし、そんな愉快な気分も、奥の受付に先に近づいて店員の顔を見た瞬間、跡形もなく吹き飛んでしまう。小指同士を絡めながら立ち去っていく紳士ふたりを見送るのは、焦げ茶色の髪を肩口の辺りで切り揃えた女。それだけなら別にどこにでもいるが、ノースリーブの装い故にはっきりと見える左肩のケルベロスのタトゥーは、そう見間違えるものではない。立ち止まったギデオンが思わず凝視しているのに気づいたのだろう、受付の女もくるりと振り向き、元々大きい水色の目を更に真ん丸にしてみせる。「──やだ、ちょっとギデオンじゃない!」跳ね起きるように立ち上がった女は、そのままカウンター越しにギデオンに近づき、細身の──出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、15年前とどこも変わりない──体を、黒磨きの台から乗り出す姿勢に。「もうずっと連絡取れなかったじゃない、何してたのよ! 『リリス』の子たちも、あんたがもしや大怪我でもしたんじゃないかってずっと噂してたのよ? 特にカロリーヌなんて見てらんなかったわ、可哀想じゃないの、あんたそんなに薄情はなかったと思うんだけど。せめてあたしには連絡くらいくれたっていいじゃないのに、ねえ? でもま、よかった、無事に生きてたなら許してあげる。あら、そちらは新しい子かしら? 相変わらず元気ねえ、何時間で泊まってく? 終わった後にあたしともベッドで話してくれるなら、結構値引きしてあげるわよ」……一気にこれだけのことを、無駄によく通る明るい声で勢いよく喋ってのけた女は、最後ににこりと愛想の良い笑みを相手に向けた。が、途中何度か口を挟もうとしていたギデオンの方はと言えば、完全に片手で顔を覆い、満身創痍で打ちひしがれている有様で。「……アイリーン、頼む、ちょっと一旦黙ってくれないか……」と呻き声を上げるのを、「は? なによ冷たいわね」と切り捨てて綺麗な眉をしかめた女には、たった今、すべてを無邪気に破壊し尽くしたことなど、全く見えていないのだろう。)
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