匿名さん 2022-05-28 14:28:01 |
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(背後でぱたん、と、扉が控えめに閉まる音。女主人の酷く萎縮した声は、こちらの耳にも届いていた。ヴィヴィアンが珍しく崩れた言葉遣いをするが、ギデオンも完全に同意で、ようやく硬直が終わったかと思えば、俯きながら片手で頭を抱えてしまう。……今になって、女主人の倅らしき小男が鍵を渡してきたときの、憎むような羨むような、妙な視線の意味を知る。労働力が必要な田舎の夫婦は、大抵子沢山だ。そのため、夫婦ふたりで大切な時間を過ごす際には、子どもたちに気取られてしまわぬようにと、わざわざ同じ村の宿に外泊することも少なくない。おそらくこの部屋はそういう客向けなのだろう、手狭かつ質素ではあるものの、少しだけ良い雰囲気の内装をしていた。しかしそんなのは困る、完全に無用の長物である。ヴィヴィアンはあくまでも後輩……もう少し言えば、シルクタウンとグランポート、2回に渡って良き連携を果たしてくれた相棒だ。──間違っても恋人ではない。こういう部屋に通されたところで、すこぶる居心地が悪くなるのが関の山なのだ。どうにか抜け道はないかと頭を回しかけたところで、不意に聞こえた無邪気な足音に顔を上げる。自分と違って気後れのないらしい彼女が、すんなり腰を落ちつけるのを、表面だけは無感動な眼差しで眺めれば。体を緩く捻って小首を傾げる相手の姿は、燭台の揺らめく灯りも相まって、いつか見た絵画にあったような、妙な美しさを放って見えた。しかし、そんなミューズがさらりと口にした言葉には、しっかりと流されない。途端に真面目腐った表情になって「ダメだ」の一言、引っ提げていた旅荷を自分も床に下ろす。麻紐で縛った着替えを取り出せば、しゃくって見せたのは浴室ではなく扉の方。相手の優しい申し出にも拘わらず、頑固に一定の距離を置く構えで。)
多分、どこかに共用の風呂場があるだろ。俺はそっちで済ませてくるから、お前はここでゆっくりすればいい。……21時くらいには戻ってきて大丈夫か?
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