和 2021-02-05 20:05:25 ID:2b638c22a |
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ぼくは現在、高校一年生です。
ぼくの悩みは、ぼくの話を真剣に聞いてもらえないということです。なので、ここで話をします。
まず初めに、ぼくは、人間にとって最大の幸福は安らかな消滅だと思います。
なぜなら人生とは苦痛だからです。なぜなら、別に頼んでいないのに、大人のエゴで勝手にこのクソな世に生み落とされ、勝手に教育を強いられ、勝手に労働を強いられ、勝手に価値観を強いられる。ここで、よく反論されるのが、「なら働かなければいい、ホームレスにでもなればいい」という主張ですが、それは完全に誤った主張です。なぜなら、働かなければ、ホームレスになる、という事態そのものが苦痛であり、親や社会からの押しつけになるからです。
そう言うと、「ならば死んでしまえよい」という反論がきます。それもまたおかしな主張です。なぜなら、自死という行為は基本的に苦痛を伴う以上、安楽死以外の自死は、親や社会の押しつけです。そもそも、苦痛を伴う生 or 苦痛を伴う死 という選択肢しかないのが、この世なので、地獄のみたいなものです。
安らかな自死を願う我々からしてみれば、生というスイッチが勝手に押されてから、苦痛を強制的に受けなくてはならないのです。もっと言えば、究極的には、勝手に『苦痛』を強いられるのです。過去の偉人たちもまた口を揃えてこう言っています。『人生は苦しくてクソである』と。
我々が生きていること自体が苦痛なのだから、存在していても無駄なのです。
なにより我々は遅かれ早かれどうせ死にます。人類は遅かれ早かれどうせ滅びます。今の人間社会も地球も宇宙もまた、どうせ滅びて、いつか終焉を迎えるでしょう。
そうであるならば、人間は絶望しているのが自然な姿です。
なのに、どうして笑ってられる人がいるのでしょう。
我々は生まれた時点で不幸なのに不思議です。
不幸だからこそ、我々にとっての最大の幸福は、この不幸を未来永劫感じることのない消滅という状態です。そこで、理想を言うならば、死にたい人々の安楽死計画が最も素晴らしいでしょう。
第二に、そうした人生はクソであるという前提を踏まえ、社会という名のエゴ装置もまたクソであるという事を話します。社会は、人間を生かし、苦痛から解放することを目的とします。その手段として、政治とか経済とかメディアとか学校とか病院とかあるのでしょう。
ですが、先ほどから言っている通り、人生はクソです。
その前提があると、社会はクソな人生を維持するものに過ぎません。そうである以上、社会は滅びるべきなのです。あるいは、現存する人類の全てから苦痛を排除した世界を作ることができて初めて、社会の存続は許されるはずです。
しかし、少なくとも日本社会は違います。
それなのにも関わらず、社会は維持される。方法としては、教育や広告をもって人間を洗脳し、沢山の快楽を生産して、人間を快楽中毒者に変えることによって、社会は存続をしている。学校はまるで、人間という名の機械を作るための生産工場です。近代以降ただでさえ、人間を機械のように扱う傾向は一旦は改善されたものの、現状においては悪化の一途を辿っていると言わざるをえません。
そして、何より社会存続を望むのは、結局のところ、いわゆる上級国民と呼ばれような生まれた時から持てる者である人たちでしょう。持てる者のうち、社会を操作できる政治家もまたその一部とみなしてよいでしょう。
日本の民主主義は現在、機能不全ですし、その欠陥制度を利用しているのが世襲的な政治家の皆様方( 今の社会存続派 )ですから、この社会に改善される余地はないと考えるの妥当でしょう。むしろ今後社会は、自己責任論が強まり、さらに悪化する可能性の方が大きい。
であるならば、やはり社会はクソと結論せざるをえません。地獄を維持する装置は、社会であり、正義だとかモラルだとか自殺幇助は良くないだとか、そう言った決まり文句的なものは全て、クソ社会存続のための言い訳でしかないわけです。エゴです。正義なんかじゃない。一部の人間のために、エゴで構築され続ける産物、それが社会です。
そんな社会は滅びた方がいい。
本来、社会がらすべきことは、人間から苦痛を除去していくこと。そして、それができなければ責任持って、安らかな消滅を安楽死を通じて、人々に提供すること、僕は、そう考えます。
長くてごめんなさい。あとみなさんの意見が知りたいですし、少しでも共感してもらえたら、悩みや苦しみの改善につながる気がします。
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