身体が反射で動く、というもの自体が作為的なものである、という事にも注目せねばならぬ。 いわば、日本社会に於るパブロフの犬だな。 後天的に得る反射を先天的なものであると勘違いしてるようだが。 疑うというのはより良い結果を探る作業で、それを否定する事のどこに進歩があるのか。 個人の快・不快などという物差しでしか見ないからいつまでも先に進まないとは思わんかね?