北風 2018-02-04 01:16:52 |
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三話
時刻は午後五時。
校庭は部活に勤しむ生徒達の活気で満ちていた。
その脇の通路を、俺と布倉は歩く。
向かう先は中等部の部室棟だ。
歩を進めながら、布倉は語った。
「今から数年前、受験勉強に疲れた女子生徒が部室棟の一室で自殺したんです。最近になってその生徒の霊がちょくちょく目撃されるようになりましてね。今ではもう、部室棟を利用する生徒の半分くらいが目撃してるくらいです。実害も出てて、怖いわ危ないわで、人が全然寄り付かなくなっちゃったんですよ」
「実害?」
「ええ。なんでも部室棟の近くを通ると植木鉢が降ってきたり、部室に残った最後の一人が閉じ込められたりするそうです」
「へぇー……それは怖いな」
なるほど、幽霊が怖いという理由だけで部員が休んでは例の熱血系教師とやらも容認しないだろうと思っていたが、そういうことなら腑に落ちる。
いくら厳しい教育方針でも、生徒に身の危険があるのならば強制的に部活に出させるわけにも行かないだろう。
だが──
「布倉、それ知ってたんなら何でさっき雪に教えてやらなかったんだ?」
「いやぁ……部室棟の場所を知るや否や颯爽と向かっていっちゃいましたし……そもそも白樺先輩なら大丈夫なんじゃないですかね?」
「んん……まあそれは俺も同感だが……」
午後の授業のために一時は中等部に戻った布倉だったが、終業と共に再び俺達の前に姿を現した。
昼は布倉に怯えきっていた雪はあっさりと手のひらを返し、部室棟の場所を教えてもらうと瞬く間に教室を飛び出して行った。
良いフットワークをしている。
※
部室棟は中等部の校舎裏にひっそりと佇んでいた。
プレハブの二階建てで、所々老朽化が進んでいるのか、雑に補強が施されている。
布倉に聞いた通り、人気は一切ない。
立地の影響で日当たりが悪いのも相まって、どことなく不気味な印象を受ける。
「確かに何か出そうな雰囲気はあるな」
「でしょ? あなた、幽霊見えるならなんとかしてくださいよ」
「そんな事言われても……」
俺を霊媒師か何かと勘違いしているのだろうか。
「そもそも、その幽霊ってのはどこに出るんだよ。それが分からないことにはどうしようもねえじゃねえか」
「う……それは……分からないんですよ」
「は?」
「あたし、実際に見たこと無いですし。目撃された場所も、噂によってまちまちなんです。自殺した部屋だけに出るとか、そういう感じじゃないみたいです」
「面倒だな……」
だが、だからこその危険性もあるのだろう。
ピンポイントでどこか一室に現れるのであれば、そこに近寄らなければ良いだけの話だが、どこに現れるのか分からなければ部室棟そのものに寄り付かない以外の対処法は無い。
とりあえず一部屋一部屋当たっていく他無いだろう。
見たところ十数部屋程度しかなさそうだ。
そこまで手間になりそうもない。
俺は手始めに、一階右端の部室の扉に手を掛けた。
だが。
「えっちょ待っ……は、入るんですか?」
布倉が俺の腕を掴んで引き留めた。
「え? いやそりゃあ入るよ。それ以外どうしろって言うんだよ」
それに雪も探さなくてはいけない。
むしろそっちがメインだ。
「い、いやそれはそうなんですけど…………それ、あたしも入る流れですか?」
布倉は引きつった苦笑いでそう訊ねた。
その瞳には確かな怯えが見て取れ、腕を掴む手からは緊張感がひしひしと伝わってくる。
「……なるほどお前怖いのか」
「…………怖くないと言えば嘘になりますが?」
「なんでそんな挑発的なんだ」
なりますが?ではない。
「別に付いてこなくても構わねえよ。怖いんなら布倉はここで待ってろ」
「あ……あたしを心霊スポットの目の前に一人残していくんですか!?」
「めんどくせえなお前! じゃあもう帰れよ!!」
「あの」
俺の言葉に対して布倉が何か言い返そうとした瞬間。
真上から声が降ってきた。
顔を上げると、二階の手摺りから誰かがこちらを見下ろしている。
「ちょっと静かにしてくれませんか?」
苛立ちを隠そうともしない溜め息混じりの声は、まだ幼さの残る少年のそれだった。
※
「ここは俺の場所です。近寄らないでください」
少年は二階から降りてくるなり、きっぱりと言い放った。
あからさまに迷惑そうな顔をしている。
「……えっと……」
「帰ってください」
取り付く島もない。
少年は背格好からしてせいぜい中学一年、行っても二年くらいだろう。
俺どころか、外見年齢を差し引けば布倉より年下だろうと思われる。
なのに目を合わせようともしないこのふてぶてしさ。
いっそ清々しくもある。
「先輩、こいつぶん殴ってください」
「嫌だよ」
「じゃああたしが殴ります」
「やめろ!」
俺は今まさに初対面の人間に拳を振り下ろさんとしている布倉を羽交い絞めにし、少年に問いかけた。
「あー……さっきここに高等部の生徒が来なかったか? 俺達はそいつの知り合いなんだけどさ、そいつさえ回収させてくれれば大人しく帰るよ」
それを聞いた少年は、なんだ、と呟くと、顔を上げてやっと俺の目を見た。
「白樺先輩のご友人でしたか。先輩ならこっちですよ」
相変わらず煩わしそうな鼻につく喋り方だったが、ようやく会話が成立した。
少年は踵を返すと、今しがた下ってきた階段をカンカンと音を立てて昇って行った。
俺がそれに続くと、布倉も慌てて付いてくる。
「せ、先輩! あたし最後尾嫌です! こう……先輩とあいつで私をサンドするようにして歩いてください!」
背後で喚く布倉を無視して、俺は前方を歩く少年の背に問いかけた。
「なあ、お前雪と知り合いだったのか?」
「雪……? ああ、白樺先輩ですか。いえ、今さっき知り合ったばかりですよ」
少年は前を向いたまま気怠げな口調でそう返した。
「まあ、そうだろうな……」
「何なんですか、分かってたなら初めっから聞かないでください……あ、ここですよ」
そう言って少年が足を止めたのは、部室棟二階の奥から二番目に位置する部室の前だった。
少年がドアノブを回すと、錆び付いた音と共に、扉が開いた。
「白樺せんぱーい、今戻りました」
「おかえり柊……あ、宗哉」
その部室は、数個のロッカーとベンチが置いてあるだけの閑静な造りだった。
部活動に使用されていると思われる道具は無く、ロッカーにも使われている形跡は見られない。
どうやら今は利用されていない部屋のようだ。
その部屋の中央、無造作に置かれたパイプ椅子に雪は腰かけていた。
右手にはビデオカメラがあり、何かの映像を観ていたようだ。
「雪、何観てるんだ?」
「俺が撮影した部室棟の映像ですよ」
雪の手元を覗き込みつつ問いかけると、返事は少年から返ってきた。
「俺、この部室棟に出ると噂の幽霊について調べてるんです。白樺先輩が手伝ってくださるとのことだったので、昨日この部屋に設置しておいたカメラを確認していただいてるんですよ」
「調べて……? 何でだよ。ここの部員なのか?」
「いえ、俺は帰宅部です」
ビデオカメラを雪から受け取り、画面から顔を上げようともせず彼は言った。
「ていうか、理由なんてどうでも良いでしょう? さっさと白樺先輩連れて帰ってください」
「はいはい、分かったよ。おい雪、帰るぞ」
「…………ああ」
雪はやや釈然としない様子ながらも、パイプ椅子から腰を浮かせた。
だが。
「ちょっと待ってくださいよお二方」
部屋の隅でじっとしていた布倉が、不機嫌そうに口を挟んできた。
嫌な予感がする。
「……どうした布倉」
頼むから余計な事を言わないでくれという願いを込め、俺は彼女を軽く睨み付けた。
だが布倉は思い直す様子は見せず、苛立ちを含んだ声音で告げた。
「あの嫌なやつの言いなりで良いんですか? あいつにこの部室棟の問題、丸投げするつもりですか?」
「いや……良いじゃねえか別に。あいつが解決に乗り出してくれてるんだったら、お前だって本望だろ」
「全然本望じゃありません!」
布倉の声に、少年が煩そうに顔を顰めた。
「ちょっと、静かにしてくださいよ。てか、いつまでいるんですか」
「~~っ! ちょっと君!」
挑発的な口調の少年に、布倉はいきり立って詰め寄った。
一メートルほどの距離まで近づくと、右の人差し指でびしっと少年を指し、言った。
「先輩に対してその態度はちょ~っといただけないなぁ!? こちとら中三と高一だよ!? 君何年生かなぁ?」
「一年ですけど。あなた三年だったんですね。同学年かと思ってました。なんなら何故かセーラー服を着て中学の敷地内にいる小学生かと」
「しっ失礼な! あたしは! 三年C組二十五番! 布倉苺果! れっきとした先輩だよ!!」
布倉は名乗る時に学年組出席番号フルネームをセットで言う癖でもあるのだろうか。
「はあ……俺は一年A組三十番、柊(ひいらぎ)佑人(ゆうと)です」
同じ感じで名乗り返しやがった。
律儀なのか馬鹿にしているのか。
恐らく後者だ。
「おい布倉。その辺にしとけって。後輩相手に噛みついてもみっともねえだろ」
「うぅぅう!」
少年――もとい柊佑人に再び拳を振りかざす布倉を、襟首を掴むことで何とか止める。
それでも布倉は手足をばたばたさせて俺の手から逃れようとしていた。
「納得いかないー! 年下とか関係無しに単にあの野郎に吠え面かかせてやりたいぃ!」
「自分の気持ちに正直だなお前……」
「あっそうだ!」
布倉は不意に暴れるのを止め、にかっと笑って俺を見上げた。
「先輩、あいつより先にこの問題ちゃちゃっと片づけてやってくださいよ。先輩のお力を持ってすれば、こんなの一瞬で片付きますよね」
「え?」
「そんであたしはあいつを嘲笑うんです。『無能野郎め』って」
「ほんっと大人げねぇな……」
「俺は別に構いませんけど」
柊が冷めた目をこちらに投げ掛けつつ、これまた冷ややかに言い放った。
「手伝ってくださるんですよね? ならありがたいです」
「え? あ、そうなのか……?」
執拗に俺達を帰らせたがっていたので、あまり深く踏み込まれるのを良しとしないのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「え、あいつにダメージ行かないんですか? じゃあいいです」
「もう黙ってろ布倉」
本当に自分本位な人間だな、こいつは。
呆れを通り越して尊敬の意さえ覚える。
「あ、そうだ。手伝ってくださるなら早速一つお願いしたいことがあるんですけど……」
柊は柊で、俺が手伝うことを前提に話を進め始めている。
やはり中等部の生徒には碌なのがいない。
俺は胸中で勝手にそう決めつけた。
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