雪風 2015-06-07 23:36:40 |
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その場が凍りつく。
お父さんの顔もお母さんの顔も固まる。
僕は誰にも分からないように溜め息をついた。
反対する可能性が一番あるのは結衣だと思ってはいた。
だが、反対するより無関心なのではないかと思っていた。どうでもいいと考えるのではないかと楽観していた。
僕に対する結衣の言動はだいたい予想が当たるのに今回は読み違えていたようだ。
少しの沈黙後、お父さんが結衣に訊く。
「何で反対なんだ?理由は?」
厄介なことなになった、そんなふうに思っていることだろう。
「だって、あたしも前から仔犬が欲しかったんだもん。家に猫なんかいたら仔犬が可哀想じゃない。」
強気を全面に押し出す勢いで答えた。しかし、ずっと結衣はテレビから目を離していない。僕に背を向けたままだ。仔猫を飼うことを絶対に拒否するという姿勢だ。
「そんなこと今まで言ったことなかったじゃないか。何で急にそんなこと……」
お父さんは明らかに困っている。
「こいつだって急に言ったじゃない。大体こういった話は急なもんでしょう。どうしたら急にならないのよ。」
「こいつ」とは、もちろん僕のことだ。
お父さんは少し時間だが思案してから口を開く。
「お兄さんに向かって -こいつ- なんて呼ぶのは感心しないな。それから、駿太君が仔猫を飼うことに反対する理由は何もない。駿太君は猫を飼えばいい。結衣が仔犬を飼うことにも反対しない。が、猫と犬を一緒に飼うことが出来ないと判断したのならば結衣が犬を飼うことを諦めなさい。先に話をしてくれたのは駿太君だ。」
意外だと思う。普段お父さんは結衣を甘やかしている。結衣の言うことに反対するところは見たことがない。僕にいつも気を使って接しているのも確かだが、結衣より僕の気持ちを通そうとするとは考えなかった。
謝りながら仔猫を飼うことを今回は諦めて欲しい、と僕に頼んでくる。
きっと、そういった展開になると思っていた。
あの仔猫を家に連れて来ることができるかもしれない。
その期待が高まってくる。
結衣はテレビから目を離しお父さんを睨む。
それは誰もが怯みそうな怖い顔だった。
「ふーん、お父さんはこいつの味方をするんだ。」
そして声を荒げる。
「あたしはこの家にずーっと住んでるだから!新参者が遠慮するべきよ!あたしが仔犬を飼うわ!」
結衣の喚きに、お母さんは顔だけでなく全身が固まってしまった様で微動だにしない。
「結衣!」
お父さんがたしなめる様に結衣を牽制した次の瞬間、結衣は立ち上がる。
「だいたい先に話を出しのは、あたしよ!仔犬を飼いたいと、あたしが先に言ったんだから!」
突然の結衣の言動にお父さんは言葉に詰まるが、すぐに気持ちを立て直して落ち着いた声で言う。
「そんな話聞いていないな。いつ、誰に言ったんだ?言ってなんかないだろう?」
結衣は苛立った顔をして、お母さんを指差した。
「この人に言ったわよ。もう一週間くらい前に!」
お母さんは口を開けて驚いた表情をした。
結衣はお母さんの方に体を向けて、
「お父さんに、仔犬が飼いたいと言っておいてって頼んでおいたじゃない!何でお父さんに話しておいてくれなかったのよ!お陰でお父さんに怒られたじゃない!」
と、物凄い剣幕で詰る。
お母さんは動揺しながら
「ごめんなさい……」
と声を絞り出した。
それに対して結衣は、 ヒステリックにお母さんを責め立てた。
「謝ってほしくなんかないわ!何でお父さんに話しておいてくれなかったのか理由を訊いているの!何で!」
明らかにお母さんは困惑している。すぐに言葉は出ないが、やがて、
「ごめんなさい……なかなか話すタイミングかなくて……本当にごめんなさいね……」
と、詰まりながらそう言った。
お母さんが結衣に、そんな頼まれごとをされていないことは明確だった。
結衣はお母さんを疎ましく思っているのは間違いない。
これまで、新しいお母さんを受け入れようとは全くしていない。
だから仔犬が飼いたければ、お母さんではなくお父さんに話していただろう。
つまり、結衣は嘘をついている。
だけど、お母さんは結衣に謝罪の言葉を口にした。
そんなお母さんに畳み掛ける。
「タイミングがなかった?……そう、ならば今すぐ言ってよ。遅いけど今がタイミングよ!あたしが仔犬を飼いたいと前から言っていたことを、ちゃんとお父さんに……ううん、こいつに言って!そして、こいつが仔猫を飼うのを止めさせて!」
結衣はやっと僕を見た。その目は敵意以外に何も感じなかった。
やや沈黙があった後、お母さんが下を向きながら蚊の鳴くような声で言葉を絞り出した。
「結衣ちゃんから仔犬を飼いたいと相談されていたの。ごめんね、早く言わなくて。」
そんなお母さんの姿を見て僕は心の痛みを感じる。
お母さんは哀しそうに僕を見た。そして続ける。
「いろいろ忙しくて、言う機会がなくて……。全部お母さんが悪いの。本当にごめんなさい……。だから、駿。……ごめんね、猫のことは……」
そこまで言って、また下を向き黙ってしまった。
僕の目に涙が溜まり始めるのを感じた。
こんなにお母さんを苦しませてしまうとは思わなかった。
仔猫と一緒にいたい思うことが、こんな事態になるとは考えていなかった。
しかし、それ以上に思うことがある。
心の中でお母さんに問いかける。
この再婚はお母さんを幸せにしたの?
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