匿名ゆき 2014-11-23 17:15:10 |
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捻転性の自己顕示欲、聴衆のいない講演会にて
『私は凄い』
果たして何人がこの言葉を鵜呑みにするだろうか。
今までの人生を思い返しても、自身を自分で評価する人間に素晴らしい人が多かった
などということはないはずだ。
だからそれなりに能力の高い人間は、好んでこのようなフレーズを使うことはなく
以下のような事ばかり疑う。
『本当に凄い人は自分自身を評価したりしない』
こちらも様々な場所で聞き飽かしたことだろう。
だが、果たしてそうなのだろうか。
結論を話せばそんな事はない。
自己の印象を確立した先には自己顕示欲など生まれないが
その過程では数々の婉曲的な自己証明を重ねてきているのである。
さて、これは何の話だろうかと興味をもってもらえたらなら先に進んでいただきたい。
まずは失敗だと思われる自己顕示欲発散法の紹介をしよう。
何よりも避けたいのが、自己顕示欲の激しい者通しの接触だ。
さらにこの接触は大抵似通った分野に通じている者の間で行われる。
これでは自己顕示欲は加速してしまうので全くおすすめできないわけだが
自己顕示欲の高い人ほど自身を逆向きのレールに乗せてしまう傾向があるので
一度走り出したら脱線させるか、衝突するか
どちらにせよ、痛みを負うことになる。
つまり、自己顕示欲のぶつかりあいでは欲求の発散にならず
むしろ有意義に使えるはずの時間を失ってしまうのだと忌むべきなのだ。
相手が脱線してきたにも関わらず、わざわざ路線を変えてまで対向したとき
それに伴う最終的な結果はあなたにとって何の欲求を満たすことになっているのか、今一度考えていただきたい。
これを踏まえて自己顕示欲の解消法を考えよう。
自己顕示欲を満たす上での一番の障害、それは自分一人で満たすことが難しいということだろう。
いや、話し相手ならそこらじゅうにいるさ。
自分を売り出す機会はいくらでもあるにも関わらず、それが出来ない理由は痛いほど分かる。
この手の話は差異が大きければ大きいほど、片方が被害を受ける。
関係の悪化を恐れて遠慮しているのだろう。
『どうせ知ったばかりの言葉のくせに』
『俺だってやろうと思えばできたけど』
こんなことは誰だってなるべく聞きたくない。(稀にこれが目当てで努力を重ねた人もいるが)
別に、会話だけが自己顕示欲を満たしてくれるわけではない。
ようやく最善の手を打ち明けることになるが、真新しさは感じられないかもしれない。
私が思うに自己顕示欲を満たす最良の方法は
他人の、誰かの役に立てるように生きることだと思います。
ある人は、人の役に立つ事を幸福になるために必要なことと仰いましたが
そうではなく厳密には自己顕示欲を満たした結果幸福を感じられるのだと思うのです。
この方法であれば、自ずと評価もついてくるに違いない。
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