匿名ゆき 2014-11-23 17:15:10 |
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"REAL DUST" IN INDUSTRIAL
(工業的電子音に漂流する商業的雑音)
音楽とは、商業的であってはならない。
インダストリアルは大衆音楽に
風刺の矢を撃ち込んだものである。
部品のように排出される音楽たち。
用途不明の音は行き場を探し店を彷徨う―。
私はインダストリアル思考が好きではない。
そもそもインダストリアルは聴いていない。
だが、理解出来る部分もないわけではない。
このような回りくどい言い回しになるのは
音楽の洗脳性を認めているからだ。
大衆音楽の洗脳性に警笛を鳴らす一方で
その応用法を探りだしたいと思っている。
集合的無意識を語る上で音楽を切り離す事は
私にはできない。
音はそれだけ浸透していると考えるべきだ。
陰謀論を納得させるにはこの領域に乗り込み
一度はハンドルを切らなければならない。
その際に影響を受けるステアリングは
文学、音楽、絵画…美的感覚で構築される。
安価な音楽のみで構成されたステアリングは
簡単に陰謀論を飲み込んでしまうのだろう。
美的感覚は失いたくないものだね。
ここである二人の美への言及を紹介したい。
アンドレ・ブルトンはこう言った。
『美とは痙攣的なものだろう』
サルバドール・ダリはこう言った。
『美とは可食的なものでなければならない』
ブルトンの美は『痙攣』についての説明で
一応の解釈は可能である。
事象の内面を取り出して語っているのだ。
痙攣は突発的な筋収縮の事であるが
美に震える瞬間を痙攣と捉えるのは面白い。
しかしダリの美はもっと面白い。
可食的であること、即ち消耗品であるのだ。
食欲が湧かなれば食事をしない。
魅力がないものに興味をもたないことを
これほど上手く言い換えられるのは凄い。
ここで二人の文体を比べると
ダリはブルトンよりも断定的な表現である。
この断定口調がダリを愛する理由の一つだ。
二人の共通点はシュルレアリスム。
ダリはブルトンの宣言に勇気付けられて
多くの絵を書き残す事になった。
結局二人は意見が食い違うことになるが…
ダリに興味を持った時はブルトンもどうぞ。
フロイト話が多々出るので既読者は得です。
音楽の話から見事に逸れましたね。
携帯からの投稿はやはり楽しいです。
内容がぼやけて最終地点が分からなくなる。
元々行先がないから構わないのだけれどね。
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